2014年7月19日土曜日

SPAC『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』@アヴィニョン演劇祭 劇評

十数人の評論家によって運営されているフランスの舞台芸術批評のブログ、« Théâtre du blog »に、アヴィニョン演劇祭の《イン》で、今月19日まで上演される宮城聰演出、SPAC『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』の劇評が掲載されました。
執筆者はフィリップ・ジャンティのカンパニーで、批評と写真を担当されているジャン・クテュリエ氏です。
« Théâtre du blog »のサイト管理者に連絡をとり、許可を頂いた上で、クテュリエ氏の劇評の翻訳をここに掲載します。
2014年7月19日 片山幹生

オリジナル記事(仏語)のurl:http://theatredublog.unblog.fr/2014/07/16/mahabharata-nalacharitam/
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J'exprime mes remerciements sincères au personnel du site « Théâtre du blog »  et l'auteur de l'article original, M. Jean Couturier de m'avoir bien permis de publier une traduction en japonais de l'article sur la représentation de Mahabharata du SPAC au festival d'Avignon.
le 19 juillet 2014, à Tokyo
Mikio KATAYAMA
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『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』

執筆者:ジャン・クテュリエJean Couturier
Mahabharata-Nalacharitam
2014/07/16

撮影ジャン・クテュリエ:アヴィニョン演劇祭《イン》『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』演出:宮城聰(日本語上演、フランス語字幕)
ピーター・ブルックの神話的スペクタクルの上演のほぼ三〇年後、インドのこの有名な叙事詩にある「ナラ王の冒険」のエピソードが、静岡舞台芸術センター(SPAC)の宮城聰の演出によって上演された。アンテルミタンのストライキのためブルボン石切場での公演ができなかった7/12には、宮城とSPACのメンバーは、この作品の抜粋をアヴィニョン教皇庁宮殿の前で無料で上演している。

 この作品でまず印象的なのは、極めて知的に構築されたセノグラフィ(舞台空間)である。客席はその頭上に指輪状に設置された舞台に取り巻かれている。この舞台上で俳優、人形遣い、ダンサー、そして語り手が演技を行う。
 
 演技の概念もここでは重要である。ナラ王の冒険をわれわれに物語るアーティストたちの高揚させる精神の状態は、演技の概念と結びついている。悪魔カリに取り憑かれたナラ王は賭けによって王国と彼の妻、ダマヤンティを失うはめになる。110分のあいだ、ナラ王は愛するダマヤンティと王国を取り戻すために奮闘し、そして最後に取り戻す。

 輪状の舞台の下方では、男性三名、女性四名からなる七名の卓越したミュージシャンが、素晴らしい音楽を奏でる。歌舞伎、文楽、語り芸といった日本の伝統芸術の形式だけでなく、マンガやテレビ・コマーシャルといった現代的な表現もアクセントとしてこの作品には取り入れられ、それらの要素が見事に統合され、共存している。

 俳優はみな達者で、その演技はエネルギーと演じる喜びにあふれていた。とりわけ語り手の声の表現力は驚嘆すべきものだ。語り手の分身である女性の声を担当するほか、「ナラ王の冒険」の全ての登場人物たちの声をひとりで語り分けた。さらには式典で経文を唱える僧侶の声まで模倣してみせた。

  『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』の陽気で愉快な演技には、神社の祝祭の雰囲気を感じさせるところもあった。登場人物を模した指遣いの小型の人形にせよ、観客の周りを囲む輪状の舞台を駆け回る大型の虎にせよ、その操作は常に非常に巧みだった。喜びに満ちたこのスペクタクルを余すところなく享受するには子供の心を持つ必要があるだろう。

   アーティストたちは全体で持続したリズムを受け入れ、観客を引き込んでいく。彼らが着ている白い衣装は、和紙を主な材料としているが、合成皮革を混入することで、より丈夫な材質になっている。紙製の仮面のなかにはマンガを連想させるデザインのものもあった。

 作品には素朴さと楽しさが浸透している。驚くべき謙虚さで、宮城聰は自分の作品と日本文化の雑種性について次のように語った。「この島国にはあらゆる文化が混入しているのですが、そのなかでも日本文化にもっとも大きな影響をもたらしたのは、中国文化とインド文化なのです」。こうした文化のありようは舞台の上に見て取ることができる。

 毎夜の観客の熱狂ぶりは驚くべきものだ。私たちは、一時的に静けさを取り戻したアヴィニョンの夜、演出家と演じる幸福にひたる俳優たちと別れた。私たちがフェスティヴァルに望むものは何だろうか? それは生涯にわたって記憶に残るような夕べの時間ではないだろうか? 他の場所では経験することができないような、上演場所と物語と観客の詩的な錬金術によってもたらされる夕べの時間。ありがとう、宮城聰さん。私たちは確かにそういう時間を味わうことができました。

ジャン・クテュリエ Jean Couturier

2014年7月14日月曜日

アヴィニョン演劇祭でのSPAC:7/12(土)教皇庁前広場での特別公演のレポート

 演劇、映画、文学、音楽、美術展など幅広い文化イベントを紹介するフランスのWebzineRick&Pick》に、7/12(土)のアヴィニョン演劇祭でSPACが行った無料パフォーマンスの記事が掲載されました。

 記事執筆者のリック・パヌジーさんに許可を頂き、その全文の訳を下に公開します。この無料公演は、アヴィニョン演劇祭の舞台関係労働者のストライキのため、予定されていた『マハーバーラタ』が中止になった日に、特別に行われたものです。
 元の記事にあった写真に加え、現地でこのパフォーマンスをご覧になった演劇評論家の長谷部浩氏から提供して頂いた写真を数点加えました。長谷部さん、どうもありがとうございました。

 J'exprime mes remerciements sincères au site Web Rick et Pick de m'avoir bien permis de publier une traduction de l'article sur la représentation spéciale du SPAC à Avignon.

2014年7月5日土曜日

講演+上映会『はちみつ色のユン』の背景 ご来場頂きありがとうございました。


講演+上映会、無事終了しました。

 開始時間が遅いし、小雨模様だったので、何人来て頂けるか不安だったのですが、ざっと見て70名くらいの方に「はちみつ色のユン」を見て頂けたように思います。
足を運んでくれた方々、上映会の情報を拡散して頂いた方々に心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

 実は昨日、あの教室で器材のチェックをしているときに、一人で「はちみつ色のユン」を通して見てしまいました。今日見るので、最初の部分だけ確認すればいいと思っていたのですが、見始めると途中でやめることができず。2月に六本木シネマートで見て以来、私にとって二回目の「はちみつ色のユン」でしたが、作品のクオリティの高さについては確信できました。極めて悲痛で深刻な主題なのだけれど、作品の間口は広いので見てもらえれば、大半の方はきっと満足されるに違いないと思いました。

 昨日に続き三度目の鑑賞となった今日も、見ていてやはり胸締め付けられる思いでした。自分自身の存在を受け入れ、さらに周囲の人間を受け入れるまでに、あれほど自分を苛み、傷つけなければならないなんて。

 原作者であり監督でもあるユンはこの作品を作るにあたって、また過去の自分の苦く、つらい記憶をたどり、直視することになります。はちみつ色がかかったノスタルジック、抒情的、牧歌的な情景と抑制され、ドライな印象の演出が、物語内容の悲痛さ、ユンの痛々しさと結び付き、澄み切った緊張感を生み出しています。はちみつ色の肌ゆえに意識せざるを得なかった自分の存在の異物性、疎外感。それをもてあまし、苦悩し、自らを追い詰めることで、ようやくはちみつ色の肌である自分をそのものとして受け入れることができたのは、ユンが私小説的バンドデシネを書き終えたあとだったのかも知れません。
ユンの姿には、私たちが抱える自己存在についての問いかけ、孤独感、不安感が、先鋭的なかたちで集約されているように感じました。

 エンディングで流れるのはユンの娘であるLittle Cometが歌う《Roots》という曲です。この曲は彼女が13歳のときに作詞作曲し、16歳のときにスタジオ録音したものだそうです。思春期の娘は、すでに母親のように、父親であるユンの哀しみを理解し、このうたによって慰めていることにも心動かされました。

 DVDの国内販売がないということで、早稲田大学文学学術院フランス語フランス文学コースのご協力を頂き、自主上映会というかたちでこの作品を上映し、学生のみならず、いろいろなバックグラウンドの方々と、作品を共有できて本当によかったと思いました。
最後にあらためて、ご入場頂いた方々にお礼を申し上げます。

2014年7月4日
片山幹生