2018年9月4日火曜日

フランス修道院宿泊ガイド:ル・バルー聖マドレーヌ大修道院滞在の記録 その2(2018/07/25-27)

5.ル・バルー聖マドレーヌ修道院の歴史

ル・バルー修道院の歴史は浅い。設立したのはジェラール・カルヴェ師 Gérard Calvet (1927-2008)だ。1970年8月24日にベネディクト会修道士のカルヴェ師はスクーターに乗ってル・バルーのそばにあるベドワンBédoin村にあったうち捨てられた小さな礼拝堂にやって来た。この礼拝堂は聖マドレーヌに捧げられたものだった。ここで彼は聖ベネディクトゥスの戒律に則った修道生活を行おうとしたのだ。すなわち祈り、沈黙、労働、ラテン語の聖務日課、伝統的な典礼を行う日々だ。彼を敬愛する若い修道士たちがすぐにベドワンに次々とやって来た。
ラテン語による伝統的な典礼を行っている修道院がどれぐらいフランスにあるのか私は知らないが、カルヴェ師の伝統回帰は1960年代の第二バチカン公会議で、各国語による典礼が認められたあと、大半の教会がラテン語での典礼を捨て去ってしまったことへの反動だろう。またスク—ター一台で移動し、うち捨てられた礼拝堂に身を寄せる彼のもとに、多くの修道士が次々と集まり、共同体を形成する過程は、修道院の歴史からみれば原点に戻ったと言えるが、60年代70年代のヒッピーたちのコミューン形成の動きとの類似も感じられる。

彼らは礼拝堂周辺の粗末な小屋で生活していたが、増え続ける修道士にそうした生活も限界に近づいた。
1978年にカルヴェ師はル・バルー村に30ヘクタールの土地を手に入れる。募金活動で資金を集め、ル・バルーの地に新たな修道院の建設がはじまる。1981年に修道士たちはベドワンを離れ、ル・バルーに移る。1989年にようやく教会が建ち、ローマから大修道院として正式に認可された。

6.祈りの時間

修道院の生活は聖ベネディクトゥスの戒律に則って行われる。聖ベネディクトゥスは5世紀末から6世紀前半に生きたイタリア中部ヌルシア出身の修道士で、モンテ・カッシーノ修道院の創設者である。ベネディクトゥスの戒律は「祈りと労働」を核とする修道士の共同生活のルールを定めたものだ。この戒律は西ヨーロッパの修道生活の規範となった。「戒律」は中世にはおそらく聖書に次いで広く読まれたテクストであり、私が大学院修士課程に入ったときに最初に読んだのが「戒律」の古仏語版だった。指導教授が修道院思想の研究者だったのだ。文学研究科フランス文学専攻なのに、文学性の乏しい修道院戒律の古仏語版を授業で読まなくてはならないのは、宗教的なものに関心が薄かった当時の私には苦痛だったが、まさか今になってこの戒律に立ち戻ることになろうとは。

一日に八回、祈りの時間がある。週日は朝3時半に朝課、6時に賛課、7時45分に第一時課、9時30分に第三時課と歌ミサ、12時15分に第六時課、14時15分に第九時課、17時30分に晩課、そして19時45分に終課。

各聖務日課の開始前には教会の鐘が鳴らされる。静修者はこれらの聖務日課への参席が義務づけられているわけではない。別に来なくても何も言われない。基本的に最初に宿泊する部屋に案内された後は、修道士はこちらの行動には介入しない。聖務日課に出る出ないは各人の自由なのだ。私はせっかくの機会なので、3時半からの朝課と14時15分からの第九時課を除くすべての聖務日課とミサには参席した。

聖務日課とミサは修道院附属の教会で行われる。町中の教会との大きな違いは、聖職者のみが入ることができる内陣が広く取られていることだ。教会内部の2/3は聖職者専用の聖域になっている。修道士たちは内陣で左右に分かれ、向かい合って座る。修道士は六〇名くらいいるだろうか。各課によって参席する修道士の数は異なる。
[修道院附属の教会の内部。修道士たちは右側から入場し、左右に分かれて座る]

ル・バルー修道院の修道士以外の人は、手前の身廊に座る。この身廊には女性も入ることができる。聖務日課とミサのときだけ、外からやってくる信徒もいた。服装は「教会での祈りにふさわしいもの」という注意書きがあるが、短パンTシャツのバカンス・スタイルで出ても問題はないようだ。女性はもうちょっとちゃんとした服を着ている人が多かったように思ったが。ただ短パン・Tシャツのラフな格好で来ている人もよくみれば足元はサンダルでなく、みな靴を履いていることに気づいた。サンダルでは来ないというのが暗黙の服装コードなのだろうか。

聖務日課は各課とも基本は詩篇の朗唱だ。この詩篇の朗唱の合間に旋律のついた讃歌などが挿入される。もちろんすべてラテン語で行われる。曜日によって各課で朗唱される詩篇や歌は決まっていて、身廊の入口には各課別のラテン語(仏語対訳)の聖務日課書抜粋冊子が置いてあるのだけれど、聖人の祝日などに従って同じ曜日でも取り上げるテクストが異なるようで、その冊子の該当ページにあるテクストが取り上げられなかったりすることが多い。冊子と違う詩篇や聖歌が取り上げられるときは、修道士の一人が参席者にその日のテクストを印刷したパンフレットを配付して回る。これらの冊子やパンフは貸し出し制なので、祈りの時間が終わると返却しなくてはならない。

自分で聖務日課書やミサ典書を持っていて、それを見ながら典礼に参席する信徒もいる。
祈りは内陣の修道士が行うものので、身廊にいる人たちは聞いているだけだ。教会堂内は反響が大きい。ラテン語の詩篇の朗唱や聖歌の響きが実に美しく、心にしみ通る感じがする。日々何回も祈っているのだから当たり前といえば当たり前だが、ラテン語の発声と歌は、日本の聖ピウス十世会のミサの聖歌隊よりはるかに上手だ。ル・バルー修道院の聖務日課は、ウェブ上でリアルタイムでも、後になってからも聞くことができる。修道院で聖務日課とミサに出ると、これらの美しい朗唱と歌声がまさに神を賛美し、神に捧げられたものであることが実感できる。中世に典礼の枠内ないしその周辺で聖職者たちによって演じられた典礼劇もそのような精神のもとで作られ、演じられたはずだ。

フランスはカトリックの国とはいえ、今では教会に通う人とは本当に少数で、こうして静修のために修道院に泊まるような人は相当熱心な信者のはずだ。祈りの手順はよくわかっている人ばかり。身廊にいるのはこうした熱心な信者と他の修道院から来た修道士だけだ。周りが立ったり、座ったり、十字を切ったりする度に、私はおたおたと慌てて真似をした。祈りの時間の様子を写真や映像で取りたかったが、厳粛そのものといった感じで、とてもiphoneを取りだして傍若無人に撮影できそうな雰囲気ではなかった。

7.修道士との食事

聖務日課やミサは、手順を知らなくておたおたすると言っても、「観客」としてその様子を眺めていればいいだけだ。修道士との食事はそうはいかない。修道院では朝食は女性も入ることができる食堂で、朝6時から8時半のあいだに自由に(ただし沈黙を守ったまま)取るのだが、昼食と夕食は修道士たちと修道院の奥の修道士エリアにある食堂で取ることになっている。この食事の時間は、祈りの時間以上に強烈なカルチャーショックの時間だった。
[修道士たちと食事を取った食堂。外側が修道士たちのすわる場所。内側が静修者の座るテーブル。ル・バルー大修道院のウェブページより]

私は午後3時に修道院に到着したので修道院で最初に取ったのは夕食だった。夕食の開始時間は18時半である。18時半の5分前に修道院内の回廊に集合する。滞在中、修道士と会話することができるのは、最初の受け入れ時と昼食・夕食の前後の短い時間しかない。修道院生活がはじめての私にとっては、修道士との会話は失礼で場違いなことを言っていないだろうかとヒヤヒヤしながらのもので、がちがちに緊張した。
[ル・バルー修道院回廊]

静修者全員が揃うと、当番の修道士の先導で食堂に並んで入る。食堂に入ると話しはならない。静修者たちは食堂の中央にテーブルに座る。テーブルの椅子には各静修者の名前が書いたカードが置いてある。修道士たちは静修者を取り囲むかたちで、壁際に座る。
全員が席に着くと、食べ始める前にラテン語の祈りを唱える。唱える文句は各自の座る席の前に置かれたカードに書いてある。祈りが終わると食べ始めるが、食べている間は一切会話してはならない。一人、朗読役の修道士がいて、その修道士は食事時間中ずっと聖書の一節とかその日に関係する聖人のこととかを独特の抑揚でずっと話している。この朗読はフランス語だ。

食事は前菜、主菜、デザート。ワインと水も出る。給仕係の修道士がテーブルの周りを移動し、料理を出してくれる。4人で一つの大皿からとりわけて食べる。「もっといる?」「いや、もうけっこうです」といった合図を無言で行いながら。前に座っている人の後ろには、壁際に座る修道士たちがこちらを向いて黙々と食べている。話すのは禁止なので、文字通り黙々と食べるしかない。

食事は前菜にはハムも出た。初日の主菜はラビオリのクリームソースだったように思う。豪華な食事というわけではないが、味は悪くない。美味しいと言っていい。ただ修道士に囲まれ、無言の厳粛な雰囲気のなかで食べるので、味を楽しむ心理的余裕はなかった。

食事時間は30分。30分で全員が食べ終わる。食事終了後は短いラテン語の祈り。そのあと静修者たちは修道士の先導され、一列になって食堂から出て行く。一列に並んで出て行くのが初日夕食ではわからなくてぼんやり座っていたら、私の前に座っていた修道士から肘で合図され、どきっとした。

二日目の昼は私が到着後、最初の昼ご飯ということで、食堂に入る前に大修道院長に手を洗って貰うというサービスがあった。これは私にだけの特別サービスではなくて、静修者が最初の昼食を取る時に行うとのこと。

この緊張感に満ちた食事の様子こそ写真や映像に取っておきたかったのだが、とてもiphoneを取り出せるような雰囲気ではなかった。

8.ル・バルー村散策と修道院土産

[修道院の売店で購入したお土産]

滞在二日目は第三時課とミサが終わったあと、修道院敷地内にある売店に行ってお土産を買った。売店は修道院の建物から5分ほど離れた別の場所にあった。売り場はかなり広くて、日本の小中学校の教室ぐらいの広さがある。売っているのはキリスト教関係の書籍の他、オリーブ関連商品、ワインやビールなどの飲料、バター、チョコレートなどの食品である。食品類は必ずしもこの修道院で作られたものではない。私はオリーブ油で作った石けん、板チョコレート、そして聖務日課書を購入した。
二日目は第六時課と昼食のあと、第九時課は欠席して、修道院から2キロほど離れた場所にあるル・バルー村を散策した。修道院は木々に囲まれた丘の上にあり、周囲は森とオリーブ畑とぶどう畑が広がっている。修道院からふもとに向かって坂を下っていると、オリーブ畑から修道院に戻る修道士とすれ違った。おそらく気温は35度くらいの暑い日だったが、修道士はそんな暑さのなかでも黒い修道服を身につけている。

修道院から丘を下に降りて、また高台に上ったところにル・バルー村はある。
ル・バルーは人口650人の小さな集落だ。高台の頂上には城塞があるが、立派な城塞にも関わらずフランスではこれくらいの城塞は珍しくないためか、国の文化財にも指定されていない。町の有志で作った委員会がこの城塞を管理しているらしい。
[ル・バルー城]
[ル・バルー城]

ル・バルー城の建設は一六世紀まで遡ることができるらしいが、何度にもわたって襲撃を受け、中はかなり荒れ果てている。第二次大戦中にはドイツ軍にも焼き払われたそうだ。小学生ぐらいの男の子、中学生ぐらいの女の子とおじいさんが入口にいて、入場料を取っていた。
「どこの国から来た?」と聞かれたので「日本から」と答えると、事務室からクリアファイルに入った日本語のパンフレットを持ってきたのでちょっと驚いた。ここまでわざわざ観光でやってくる日本人がいるとは思えないのだが。
城塞内を見学したあと、ル・バルーの村のなかを散策する。南仏には高台の上の方に密集している村が多い。城塞から下に降りるとカフェがあったので、そこでちょっと休んだ。暑い日だった。村の中は静かで人の気配がしない。
[ル・バルー村]
[ル・バルー村]

9.チェックアウト

聖務日課のなかでも晩課は重要なので、ル・バルーを散策したあと、晩課の時間までには修道院に戻った。暑い日だったので坂を上り下りするのでだいぶバテた。汗をだいぶかいたのでまずシャワーを浴びた。翌日の朝チェックアウトなので、電話でタクシーを予約し、朝9時に修道院まで迎えに来るように頼んだ。
お菓子の時間だったので一般の人も入ることのできる食堂に行き、テーブルにあったアプリコットを何個か食べる。冷蔵庫には冷たい水もある。食堂で他の静修者とも会ったが、大声でのお喋りは憚られる感じで、ぼそぼそと小さな声で二三ことばを交わしただけ。無口で信仰に篤いフランス人にこれまで会ったことはなかったが、修道院ではそうした例外的フランス人と出会うことができる。二〇代から三〇代の若い人がけっこう多い。しかもなぜかみなハンサムだ。

晩課、それから夕食。初日の夕食には30人くらい静修者がいたように思うが、二日目はその半分ほど。人数が少ないと、修道士たちに囲まれている圧迫感がますます強くなって、食事の緊張度が増した。食事が終わった後、修道士に「お前は明日出るんだよね。昼食は取るのか?」と聞かれる。
「いや、昼食はとらずに修道院を出ます」
「それではこれでお別れだね。修道院はどうだった?」
「いや、日本で想像していたのとはまったく雰囲気が違いました。もっと厳かで静かで。ラテン語の響きの美しさに魅了されました。今度はもっと勉強してから来ようと思います」
自分にとっては特異な体験で、色々思うところはあったのだが、ことばが出てこない。無難でありきたりのことしか言えなかった。

終課が終わるのが20時過ぎ。夏時間のため日はまだ明るいが、終課とともに修道院の一日は終わり、修道士は眠りに就く。修道院の扉に鍵がかかり、外出ができなくなる。

最終日、3時半の朝課を告げる鐘で一旦目ざめるが、教会には行かず、眠ってしまう。6時からの朝課と7時45分からの第一時課には参席した。
部屋の掃除と次の人の為のベッドメイキングをし、郵便箱に二日滞在したお礼として80€入りの封筒を入れた。ちょっと少なすぎるかなとも思いつつ。

修道院の受付は午前のミサのあとにしか開かないので、修道士に出発の挨拶をすることなく、修道院を出て入口でタクシーを待った。
タクシーが果たして時間通りに来てくれるのかどうか不安だったが、予約した時間の5分前に、私を迎えに来た。

2018年9月1日土曜日

フランス修道院宿泊ガイド:ル・バルー聖マドレーヌ大修道院滞在の記録 その1(2018/07/25-27)

[ル・バルー聖マドレーヌ大修道院。修道院Webページより]

1.なぜ修道院泊をしようと思ったのか

2018/07/25から27までの二泊三日、南フランスのル・バルー村にあるベネディクト会修道院、聖マドレーヌ大修道院に滞在した。アヴィニョンから北東に40キロほどの場所にあるこの修道院ではラテン語による典礼が行われている。

中世フランス演劇研究をしている私は、「典礼劇」と呼ばれるカトリック典礼の枠組みのなかあるいはその周辺で聖職者たちによって演じられていた対話体の音楽劇に関心があった。
しかし「典礼の枠組み」と言っても、キリスト者でない私には典礼がどのようなものなのかよくわからない。ミサの式次第さえわかっていないのに、中世の典礼劇の研究するのも何かなあと思い、信者の友人の導きでラテン語でトリエント公会議で決められたやり方に沿ってミサを執り行っている聖ピオ十世会のミサに何回か出てみたりした。東京カテドラルで年に一度行われる荘厳ミサにも行ったし、フランスに行ったときは都合が合えばラテン語でミサが行われる教会に行ったりもした。
ミサについてはラテン語で行われているものに接する機会はあるのだけれど、日々の祈りである聖務日課については修道院に行かないとその様子はわからない。
今、行われているミサや聖務日課は、ラテン語で行われ、グレゴリオ聖歌が歌われていると言ってもその手順は16世紀後半のトレント公会議で定められたものに基づくもので、私が研究対象としている中世の時代の典礼とはかなり異なるのだけれど、それでもそこから中世に典礼劇が教会で上演されていた状況ぐらいは想像できるかようになるかもしれない。そうした体験があることは、テクスト読解のときに想像力を膨らます上で重要であるように私は思ったのだ。

カトリックの信者の友人から修道院泊について聞いた私は、自分もラテン語で典礼が行われている修道院に滞在して、聖務日課に立ち会いたいと思うようになった。
[ル・バルー聖マドレーヌ修道院の教会。撮影:片山幹生]

2.修道院宿泊の手順

1960年代までカトリックの典礼はトリエント公会議で決められた手順に従い世界のどの教会でもラテン語で行われていたが、第二バチカン会議以降、自国語での典礼が認められて移行、ほとんどの教会はラテン語での典礼をやめ、自国語での典礼を行うようになった。聖歌も中世以来伝えられてきたグレゴリオ聖歌ではなく、自国語の歌詞の新しく作曲された聖歌に置き換わっている。

日本の宿坊のようなかんじで外来者の宿泊を受け付けている修道院は多い。ただラテン語で典礼を行っている修道院はそんな多くはない。ラテン語で典礼というとパリとナントのほぼ中間地点にあるソレム大修道院は19世紀におけるグレゴリオ聖歌復興で名高く、外来者の宿泊も受け付けているが、今回の渡仏はアヴィニョン演劇祭エクサンプロヴァンス音楽祭という南仏で行われる二つのフェスティヴァル訪問が予定に入っていたので、そこからわざわざソレムまで足を伸ばすはルートとしては無駄が多いように思った。

修道院宿泊はフランスではかなりポピュラーな観光(と言うのが適切かどうかわからないが)らしく、ネットで検索してみると滞在可能な修道院を検索できるページがあった。そこで出てきた修道院の情報を見てみると、アヴィニョン近郊でラテン語で典礼を行っているル・バルー聖マドレーヌ大修道院を見つけた。ちなみに外部者の修道院滞在をフランス語ではretraite spirituelleという。直訳すると「霊的な隠遁」ということになるだろうか。仏和辞典では「静修」という訳語が当てられていた。
修道院ページに「滞在」séjourというタブがあり、そこから「個人の滞在」retraites individuellesに入る。宿泊の予約は電話、FAX、メール、あるいはこのページにリンクが張ってあるフォームへ記載することでできる。フォームに氏名や到着日など必要事項を記入して送信すると、まもなく修道院の宿泊担当修道士から了解の返事が届いた。私が予約を入れたのは滞在のほぼ一ヶ月間、6/20だった。この時点では交通手段を調べていなかったので到着時間がいつごろになるかわからなかった。修道院からは「できれば扉が閉まる17時までに到着して欲しい」とあった。

3.修道院へのアクセス

7/19(木)から7/23(月)までアヴィニョンに滞在し、7/23(月)から7/25(水)までエクサンプロヴァンスに2泊した。エクサンプロヴァサンスから修道院のある村ル・バルーに行くには、またアヴィニョンに戻らなければならない。交通経路を調べて、修道院には宿泊前日にメールで25日(水)の午後2時半頃に到着すると伝えておいた。
エクサンプロヴァンスからアヴィニョンまでは90キロぐらいの距離がある。この2都市間の移動は長距離バスが安くて便利だ。時間は90分ぐらいで、運賃は18€だ。バス車両は新しくて快適だし、空いていた。アヴィニョン中央駅からカルパントラ Carpentras 行きのローカル鉄道に乗ると、30分ほどでカルパントラに到着する。ローカル線の車両も新しくてきれいだ。

[カルパントラ駅行きの列車の車内で自撮り]
[カルパントラ駅のホーム。ここがこの路線の終着駅]

カルパントラから修道院のあるル・バルー村までは15キロあるが、タクシーを使うしかない。13時半にカルパントラ駅に到着したが、修道院の受付は14時半以降なのですぐに行っても仕方ない。カルパントラの町の中心は駅からだいぶ離れた場所にあり、駅の周辺はガランとしている。駅から歩いて15分ほどのところにあるマクドナルドに入り、昼飯を取った。修道院のウェブページにカルパントラのタクシーの電話番号がいくつか載っていたので、その一番上にある名前にマクドナルドから電話した。15分ほどでタクシーがマクドナルドまで迎えに来る。
タクシーで修道院までは20分ほどかかった。タクシー料金は35€(約4500円)。修道院はル・バルー村から2キロほど離れた山のなかにある。修道院の周囲は森とオリーブ畑、ぶどう畑が広がっている。修道院には14時半に到着すると伝えていたが、15時過ぎになった。

[ル・バルー聖マドレーヌ大修道院外観]

修道院の宿泊受付は11時〜12時、14時半〜17時のあいだだ。宿泊担当の修道士が案内してくれる。

4.修道院にチェックイン

修道院には男性しか宿泊することができない。男性なら私のように信者でなくても受け入れてくれる。修道院の建物のなかは三つの領域に分けられていて、女性や宿泊者(静修のために来た者)でなくても入ることのできるエリア(修道院内の教会の身廊も含む)、修道士と宿泊者しか入ることができないエリア、修道士しか入ることのできないエリアの三つである。
私が到着したときにはガールスカウトの少女たちが数名と静修のために来たフランスからやってきた青年が一人、修道院受付にいた。彼らは自由に立ち入るところのエリアまで、私と一緒に着いてきた。静修者ための食堂まで女性も入ることができる。

[宿泊者が朝食を取る食堂。おやつの時間もここで]

部屋の扉にかける私の名札を準備するのでしばらく食堂で待っておくようにと修道士に言われ、その間に青年と食堂で話をした。彼はこのあたりの出身で子供の頃はしばしばこの修道院に来ていたそうだ。今は北フランスに住んでいる。職業は船員とのこと。ハンサムでさわやかな青年だった。この修道院には、村を離れたあとも、一年か二年に一度やって来て過ごすのだと言う。滞在日数は三泊とのこと。私は何泊滞在するか迷ったが、他の静修者に聞いたところ、二三泊が多いようだ。
静修に来るのは修道士と一般の信徒。若い人が案外多い。私の滞在中は老人はいなかった。この食堂には来たいときにいつでも来ていいそうだ。朝食の時間帯にはパンや飲み物、ジャムなど、お菓子の時間帯にはクッキーやチョコ、飲み物が置いてあるので、自分で取って飲み食いしていいとのこと。使った食器は各自が洗い、食器棚に戻しておく。
修道士は朝食は取らないので、朝食は静修宿泊者が6時〜8時半の間にやってきて、自由に取る。ただし食事中は会話をすることは禁止である。昼食と夕食は修道士たちと、修道院の奥にある別の食堂で取る。
基本的に修道院は沈黙の場所なので、他の人たちと大声でおしゃべりしたりはしない。おかし時間は食堂で他の静修者と会話可能だが、小さい声でぼそぼそとしゃべる感じだ。

宿泊担当の修道士が戻ってきた。部屋の鍵と私の名前が書いたカードを持っている。食事や祈りの時間など滞在にあたってのごく簡単な注意があった。私の部屋は二階だった。静修者の部屋はすべて個室だ。30部屋ぐらいあるようだが、私が泊まった初日はほぼ満室だった。一ヶ月前に予約しておいてよかった。シャワー、トイレは共用で、20時以降、朝の6時まではシャワーを浴びることはできない。

[部屋の扉に付けられた名札。私は聖ヤコブの部屋]

[部屋の内部]

部屋の広さは8畳ほどか。ベッドと机と衣装ロッカー、洗面台があった。簡素だが室内は清潔だ。エアコンはついていない。部屋の窓は回廊のある中庭に面している。静修中は基本的には教会で日々の祈り、聖務日課やミサに出るか、飯を食うか、そうでなければこの部屋に引きこもって静かに過ごすことになる。携帯電話の電波は弱くて不安定。修道院内のwifiは使える。ただしこのwifiは夜8時以降は朝まで電源が切られてしまう。
宿泊の費用だが、これが決まっていないのだ。修道士のほうからお布施を要求されることはない。三食付個室で、ミサと聖務日課も参席できるとなれば、それなりのお布施を置かなければ申し訳ないような気がする。
宿泊者謝礼としてのお布施は、宿泊担当修道士か門番修道士に直接渡すかそうでなければ宿泊棟の郵便受けに入れておけばいいとのこと。渡すときに修道士に「相場」みたいなものを聞こうかと思ったが、私がチェックアウトする時間帯には修道院受付はまだ開いていない。金額は迷ったが一泊あたり40€、二日で80€を封筒に入れて、郵便受けに投函した。
宿泊者はチェックアウト時に次の人のために、部屋を掃除し、ベッドのシーツを替えるルールになっていた。

[修道院内の応接室のようなところ。ここには誰でも入ることができる]

修道院というと古い石造りの建物をイメージする人がいると思うが、このル・バルー聖マドレーヌ修道院の建物は1980年代の終わりに建てられたもので新しい。建物内外とも清潔だ。