2月28日(日)
二日目だけれど、語学研修は月曜からなのでまだ始まっていない。ニースのカーニバルの最終日なのだが、昼間のプログラムの花合戦は昨日で終わってしまったので、日中はソッカ(ニースの郷土B級グルメ)パーティという地味なプログラムしかない。夜にはみんなで巨大なカーニバルの王と女王を会場で燃やし、花火が上がるというクロージングのイベントを見に行くことにしていた。
日中はニースから鉄道で40分のところにあるマントンの行き、そこで行われているレモン祭を見に行くことにした。マントンはイタリアとの国境の町で、リタイアしたフランス人が大量に移住している町らしい。フランス方言地図で南仏は南仏方言あるいは訛りなのだけれど、マントンはパリ方言が有力だったようなことを覚えている。
マントンのレモン祭りは今年で83回目とのこと。2月のコートダジュールのイベントでは、ニースのカーニバルに次ぐ規模のイベントだ。プログラムは大きく二つでレモンとオレンジを使った巨大なオブジェの展覧会と海岸通り沿いの道のパレードである。パレードのコンセプトは基本的にニースの花合戦と変わらない。ただレモンとオレンジを使ったオブジェの山車がレモン祭では出る。
マントンに着くとまず観光案内書に行き、展覧会とパレードのチケットを購入する。セットチケットで一人17ユーロ。展覧会、パレードとも衝立で区切られていて、チケットがない人は中に入って見ることができないようになっている。これはニースのカーニバルも同じだ。無料にしたほうが盛り上がって楽しいのになと思うのだが。最初は展覧会を見た。10人でまとまって見ると大変なので、パレードの始まる10分前に再集合するようにした。食事も各自で取ってもらうことに。展覧会会場はかなりの人出だった。おそらく万単位の人間がいるのにトイレはしょぼい仮設が4基のみ。フランス人は外ではトイレを我慢するのだろうか。その仮設トイレの状態もひどいものだった。
展覧会自体は「チネチッタ」がテーマになっていてフェリーニの映画の場面が、レモンとオレンジのオブジェで再現されていたりして、入る前に思っていたよりも楽しめた。昼飯は近所のイタリア料理屋でラザニアの定食を食べた。サラダとラザニアとレモンのタルトで15ユーロ。まあこんなものか。味はそこそこおいしい。店はレモン祭りの観光客で大混雑。ウェイターが楽し気にユーモラスな調子でサービスしている。ある種の芸みたいな感じで。こういうところはフランスはいいなと思う。もっともパリの観光地のカフェやレストランでは、観光客をはなから馬鹿にした不愉快なウェイターもいるのだけれど(日本のサービス業ではありえない、あからさまに不誠実で差別的な)。トイレに行きたかったけれど、レストランのトイレは長蛇の列ができていた。やはりフランス人もトイレに行くんだ。外国人かもしれないが。いずれにせよこれだけの規模のイベントで仮設トイレ等のトイレ環境の貧弱さは、日本の感覚では考えられないひどさである。トイレ環境については世界でももしかすると日本が突出して素晴らしすぎるのかもしれないが、東欧諸国の人もニースのトイレ事情には不満を漏らしていたので、やはりフランスはトイレ後進国なのだと思う。せっかくレモン祭りを見にきて、トイレのことばかり書くのはなんかなという感じもするが。TOTOとかフランスでもっと精力的に営業してほしいものだ。
パレードは午後2時半から1時間半弱。椅子に座って見られるスタンド席ではなく、立見券を購入したがこれが正解だった。すぐ近くから山車を見ることができるし、演者からもいじられたりして楽しい。コンフェティ(花吹雪)を大量に振りかけられたりする。昨年のニースのカーニバルでは、初めて見るということもありスタンド席チケットを購入したのだけれど、上から距離をおいて見下ろす感じだったのでいまひとつ気分が盛り上がらなかったのだと思った。立ったままは疲れるけれど、立見でパレードを見上げるほうが圧倒的に面白い。学生たちも満足そうでよかった。
パレードが終わったのが午後4時前。このまま帰るにはちょっともったいない感じがしたので、私が愛用するフランスのガイドブック、Le Routardで必見となっているジャン・コクトーが内部フレスコ画で装飾をおこなったマントン市庁舎の結婚式場を見に行くことにした。しかし見に行ったら閉まっていた。ガイドブックを見ると週末は閉まっていると記述されていた。このまま町を一周して帰ろうかと思ったのだが、メンバーの一人の提案でジャン・コクトー美術館に行くことにした。「うーん、美術館か。時間も中途半端だしなあ」とあまり気のりしなかったのだが、結局行くことに。料金は10人グループ割引で4ユーロ。ジャン・コクトー美術館は思いのほか見ごたえがあった。作品はコクトーのものだけではなかった。演劇関係の絵が多かった。とりわけ見入ってしまったのは、ジョルジュ・バルビエによるニジンスキーの舞台のイラストだ。『バラの精』、『牧神の午後』、『シェヘラザード』等の舞台のイラストだ。
30分ぐらいさっと見て出るつもりだったけれど、1時間ぐらいいることになり、同じチケットで見られる城砦 le Bastillon の中を見ることができなかった。Le Routardによるとこの中に展示されているコレクションも素晴らしいもののようだが。また次回来るときに見ることにしよう。
夜のニースのカーニバルのフィナーレは、波が高くて危険ということで人形燃やしも花火も中止になってしまった。残念。来年春には見られますように。マントンからニースに戻ったのが午後6時ごろ。雨も強くなっていた。暗くなっていたので遠くのホストファミリーに滞在している子を送る。疲れたけれど、やはり夜遅く帰すのはよくなさそうなところだったので送ってよかったと思った。
明日からフランス語の授業が始まる。学生たちにとってはこっちのほうが本番とも言えるわけで、ちょっと緊張しているかもしれない。
2月29日(月)
今日から語学学校の授業が始まる。今年参加した研修生のうち一人はA2レベルのクラスに入ることになった。他の8人で一つのわれわれのグループ専用のクラスを作り、A1レベルで授業を行うことになった。実はこの8人のあいだでも言語運用能力にはかなり差がある。クラスを担当するのはGaël Crépieuxで彼は日本で何年も教えたことがあるので日本人学生のメンタリティはよくわかっている。教育経験も長い優れた語学教師だ。
昼は学校のそばにあるカフェテリア形式の食堂で食べる。Azurlinguaだけでなく近隣の契約企業数軒と共同で使う食堂のようだ。大学の学食よりボリュームがあっておいしい。前菜、主菜、副菜、パン、デザート、飲み物がつく。前菜、主菜、副菜、デザートは日替わりで数種類のなかから選ぶことができる。
午後はAzurlinguaのプログラムによるニース旧市街の見学ツアー。要所要所で解説が入る。パステルカラーの壁の建物のあいだに狭い路地が走るニース旧市街の町並みは、美しくて、人間くさくて、味わい深い。気候と自然景観と相談しながら美しい街並みを作った昔のイタリア人・フランス人の都市計画のセンスは本当に見事なものだと思う。何度来ても感嘆してしまう。ニースの何が素晴らしいといったら、私は都市とそれを取り囲む海と山が作る景観美だと思う。バランスのとれた調和を保ちながら、人間の暮らしと歴史を感じさせる猥雑さ、活気もある。
旧市街のいろいろな場所をめぐり、海岸沿いをかなり長く歩いたのでばててしまったが、途中からようやく晴れ間も出て(これまではずっと曇りがちで雨が時折降る天候だった)、ニースの景観を見る喜びが蘇ってきた。やはり来てよかったなあと思う。ニース近郊にはカンヌ、モナコ、エズなどの美しい小さな町や村がいくつもあるが、私にとってはニースが圧倒的に魅力的だ。今回はカーニバルは天候不順や飛行機の到着のせいで楽しむことができなかったけれど、実はカーニバルなんてニースにとってはおまけに過ぎないと私は思っている。カーニバルがなくてもニースの旧市街の夜は活気があって楽しい。そこにいるだけで映画や演劇のなかにいるようだ。
今日の遠足の最後は、フロリアンというニース屈指のお菓子屋のアトリエの見学と買い物。このお菓子屋はクレモンティーヌなど果物の砂糖漬け、スミレ、バラ、ジャスミンの花のジャムと砂糖菓子、チョコレートで名高い。アトリエでそれぞれのお菓子の工程を説明してもらったが、無添加の本物の材料を使って、丁寧に作っているのがわかる。味ももちろんいい。アトリエ見学の最後がお店で買い物となるのだけれど、やはり本物のお菓子はかなり割高なのだ。それでちょっとひるんでしまう。私はレモンとオレンジの皮の砂糖漬けを買ってしまったが。うまいことまんまと買わせてしまう流れを作っている。この流れの持っていきかたも老舗ならではという感じか。
かなり長い距離を歩いたので終了後は疲労困憊。ニースのカーニバル最終日は昨日だったが、予定されていたすべてのプログラムが悪天候で中止になったとか。マントンのレモン祭りに行ってよかった。一日遅れで今日の夜、人形燃やしをやるという話も聞いたのだが、カーニバルの公式ページやツィッターではそのような情報は見当たらない。夜に海岸に出てみたけれど、イベントが行われた形跡はなかった。
私の滞在しているホストファミリーは74歳のおばあさんと46歳のその娘の二人家族。おばあさんはかつては劇場で働き、舞台美術を作る仕事をしていたとのこと。夫はどうしたのかと思えば、離婚しているわけではなく、20年ぐらい前から別居しているそうだ。おばあさんの夫は、オランダ人なのだがチュニジアに住んでいる。かつては同じ劇場で働き、彼は劇場の宣伝関係の仕事をしていたそうだ。オランダ、フランス、スイス、モロッコで仕事をしたが、どこにも自分の居場所を見つけられず、20年ほど前に、妻子を置いて、ひとりでチュニジアにわたり、そこで一人で暮らしているという。税金関係の処理はおばあさんがフランスでやっているため、一年に一度くらい電話で話をしたりするそうだ。おばあさんとここまで書いたが、74歳だけども実はおばあさんという感じは私はまったくしていなくて、「おばあさん」と書くこと自体に違和感があることに今、気づいた。ジャックリーヌとファーストネームで彼女を呼んでいる。ジャックリーヌは引退後、それまで特にゆかりのなかったニースが気に入り、ここを終の棲家と決めた。海岸通りに近い贅沢なアパルトマンだ。7年前からホームステイ先として語学研修生の受け入れを始めたと言う。父親がイタリア人、母親がスロベニア人、自分はスイスで生まれたとのこと。兄弟一族は、カナダ、ブラジル、フランスと散り散りで、イタリアにはつきあいのある親戚はいないと言う。国籍はフランスだが、こういった多国籍で移動の人生を送っていたために、いわゆる「フランス人」にはかなり批判的だったりする。
Azurlinguaのスタッフの一人にジュリアンという若いハンサムな男がいて、彼はアルゼンチンとイタリアの二重国籍とのこと。スペイン語、イタリア語、フランス語が堪能だ。彼の両親はアルゼンチンへのイタリア系移民だそうだが、彼にとってはイタリア語はあえて学んだ言語で、国籍はあるもののあまりイタリア系を意識したことがないそうだ。
フランスでは排外主義のFNが勢力を伸ばしているけれど、人の移動が激しいヨーロッパではこのように国籍を超えて生きている人は数多いはずだ。国籍やナショナリズムっていったいどれほどのものだろうと思ってしまう。単なる生きていく上での「便宜」に過ぎないじゃないか。もともと私が無国籍のノマドな生き方にあこがれを持っているからこんな風に考えるのであるが。
3月2日(水)。
風邪ひいてのどが痛い。熱はなさそうだし、体のだるさもないのでインフルエンザではないと思う。でもちょっときつい。
学生は午前中授業だが、私は授業がないので朝寝坊した。昼前に学校に行って、学生たちの授業が終わるのを待って、一緒に昼飯を学校のそばの食堂で食べる。今日の午後は何の予定もない。天気がよかったのでそのまま家に戻るのももったいない感じがして、海岸通り沿いにある高級ホテル、ネグレスコ・ホテルのカフェに学生数人と一緒に行った。この前の夏の研修時に、ルーマニア人の先生がこのホテルのカフェに行った話を聞いていて、興味を持ったのだ。そのときにホテルのカフェの写真も見せてもらった。
ホテルの入り口から入ろうとしたら、「カフェはあっちだ」と30メートルほど離れた場所に行けと言われた。確かにカフェがそこにある。中でお茶を飲んだものの、内装は私が思い描いたものとは違う。壁の絵も装飾もどこか安っぽくて高級感が乏しい。値段はエスプレッソの大が8ユーロと少々割高ではあるがむちゃくちゃ高いというわけでもない。後で家に帰ってみると、私がルーマニア人に見せてもらたのはホテルにある「サロン」のいくつかであり、私たちが今日入ったカフェとは別の場所だ。彼女たちはどうやってあのサロンでお茶を飲んだのだろう? なんか私が聞き間違えをしていたのか。
一時間ほどカフェで過ごして、海をちょっと見てから、学生たちと別れ、家に戻る。途中のどの痛みを和らげるスプレー(よく効く)と酔い止めの薬を買った。家で1時間ほど眠る。
夜はニースで知り合った友人たちと食事。イタリア料理屋に行ったのだけれど、体調がいまひとつで食欲がない。せっかくおいしい料理だったのに、だいぶ残してしまった。おまけに彼らに渡すはずのお土産を家に置き忘れていた。金曜に彼らの家まで届けに行くことになった。
体調崩してさえない一日だった。一晩寝てよくなりますように。
3月3日(木)。
朝起きるとやはりのどがまだ痛い。若干熱っぽい感じもあり。体も重かったが、11時にAzurlinguaのスタッフと会う約束があったので家を出る。Azurlinguaはニースにある私立のフランス語の語学学校で、規模もそれほど大きくないのだけれど、毎年夏に世界中から先生を集めてフランス語教員向けの研修を行っている。私がこの学校と付き合いができたのも二年前にその研修に参加したのがきっかけだった。日本フランス語教育学会の告知でこの研修を知ったのだけれど、とにかく夏のバカンス時期のニースで二週間過ごせるのだったら素晴らしいではないか、と思ったのが応募の本当の動機で、研修内容にはあまり期待はしていなかったのだ。実際バカンス時期のニースの狂騒的な雰囲気は最高だ。しかし研修内容もこれまでブザンソンやケベックでの研修以上に実践的で内容の濃いものだったし、スタッフの歓待ぶりにも感激した。そして世界数十か国のフランス語の教員が同じ部屋で研修を受け、一緒に食事をし、遊びに行くという濃密な文化交流がとても刺激的で面白かったのだ。
この教員向けの研修を今年度はリニューアルして、Universités du mondeというより大規模なプロジェクトにしたいとスタッフは考えている。このプロジェクトの主催は、Azurlinguaという学校名ではなく、Bonjour du monde という名前で行っている。
今日の午前中、このBonjour du mondeの遂行スタッフとの話では、日本から10名のフランス語教員を夏のuniversités du mondeに招聘し、そのうち何人かには研修で講師を行ってほしいというものだった。その仲介役を私にやってほしいというリクエストだ。「講師招聘にはお金が必要だ、研修費用はどうするんだ?」と聞くと、まず日本の日本フランス語教育学会の責任者と連絡をとり、企画プレゼンを行い、さらに日仏学院やフランス大使館と交渉して予算を取って欲しいと言うのだ。私には荷が重すぎる任務だ。自分が一介の非常勤講師に過ぎないこと、フランス大使館に交渉しようにもそのつてがないことなど説明したが、日本よりもっと貧しい国からも派遣しているのだから不可能ではないと言う。うまくいくにせよいかないせよ、8月のはじめにまた私がニースに行くことはほぼ確定になった。彼の期待に応えることができないかもしれないけれど、とにかくできるところからこの仕事を進めていくことにした。
昼食を食堂で食べたあと、午後は学生たちとモナコへ遠足のプログラム。風邪でしんどかったけれど同行しないわけにはいかない。15歳のイタリア人の団体と一緒に行った。このイタリア人たち、日本人のわれわれに興味津々の様子だったので、話しかけて見ると、喜んでどんどんこちらに入ってくる。本当にうるさくて元気。フランス語の勉強に来ているのにほとんどイタリア語でしか話さないし。イタリアの学校の教室はさぞかし騒がしいだろう。
モナコ観光はコートダジュール観光でははずせないプログラムだ。治安がよくて、町は清潔。今日のモナコ遠足は出発時間が遅かったため駆け足で、モナコ公国宮殿広場とカテドラル、モナコ海洋博物館を見学する。崖を背にしてオレンジ屋根様式の建物が並ぶ景観は面白いけれど、個人的にはモナコ公国というのは大金持ち成金主義者のための人工的遊園地みたいで、コートダジュールの町の中でもつまらない町だと思っている。
モナコ観光しているあいだにだいぶ体調が回復してきたことを感じる。のどはまだちょっといがらっぽいけれど。夜はホストファミリーと食事。日本のことをフランスのテレビはよく報道している。ベッキーの不倫騒動もフランスのマスコミは、不思議な日本の事例として取り上げていたようだ。話題に出てきて最初何のことかと思えば、ベッキーの不倫の話でびっくりした。フランス人は好奇心旺盛だ。それが時に悪意のあるもの、あるいは善意ある誤解に基づく関心であっても、日本の文化や社会にこんなに関心を持っている西欧の国民はいないのではないだろうか?
3月4日(金)。
今日で一週間が終わる。午前中はニースの友人の家にリクエストされていた帯と袴を届けに行った。帯は帯として使わず洋服の上から首からかけて腰に回して使うみたいだ。重そうだけど。袴はスカートとして履くのだろうか。帯は彼女が思っていたより立派なものだったらしく、喜んでいた。ただし古着の帯だったので二本持っていたうち一本はちょっと薄汚れたところがあった。グーグルで検索したネットショップで購入したものだったが、汚れについての記述はなかったように思う。ちょっと遺憾。値段は安かった。帯2本(古着)と袴で7000円くらいだったと思う。
食堂で学生たちと昼飯を食べる。食堂はカフェテリア形式で、前菜、主菜、副菜、パン、デザート、飲み物でかなりのボリュームがある。味も悪くない。こんなかんじである。
午後は学校主催の文化学習でニース現代美術館に行った。ここは面白い作品がコレクションされているだけでなく、空間をたっぷり使った作品の配置が上手い。私は現代芸術にはそれほど関心があるわけではないけれど、作品の魅力を引き出す見事なレイアウトのせいでじっくり見入ってしまう。2時間ぐらいはゆったり過ごせる充実した美術館だ。学生は入館料無料。コレクションの目玉はニース出身の単色の画家イヴ・クラインの作品だろう。白い壁面に配置されたクラインの鮮やかな青は圧倒的な存在感を示している。
ニース現代美術館のもう一つの目玉は屋上の庭園からの町の風景だ。現代美術館自体は7階建てのビルぐらいの高さしかないのだけれど、高層建築のないニースの街並みを一望することができる。オレンジ色の屋根の街並みが作るニースの景観美は本当に素晴らしい。美術館は下から順番に上ってみるのだが、この景観にそれまで見た作品の印象が薄れてしまうほど美しい。
二時間ほど美術館で過ごして解散。夜にニース国立劇場でクローデル『マリアへのお告げ』を一緒に見る学生3名と旧市街を散策してお菓子の買い物に付き合って、観劇前の早めの夕食をサレヤ通りのレストランで取った。本当はクスクスが食べたかったのだけれど、レストランの営業は通常7時からなのでそれを待ってから飯を食べると芝居に間に合わない。ノンストップのサービスをしているレストランを事前に調べていたのだが、行ってみると閉まっていた。それで旧市街でも観光スポットのサレイヤ通りのレストランに呼び込みに呼び込まれるままに入ってしまった。サラダ、ピザ、ムール貝、パスタ、パエリヤなど一通りあるいかにも観光客向けのレストランだったが、店員は愛嬌があって感じがよく、値段も高くなかった。私と学生一人はムール貝+ポテトを、別の二人の学生はニース風サラダを注文。料理もすぐ出てきて、意外なことにボリュームがあり、かなりおいしかった。もっともムール貝とサラダはどこで食べてもそこそこ同じくらいおいしいのかもしれないけれど。
値段はサラダ、ムール貝とも12ユーロ50サンチーム。80分くらいレストランにいて、劇場に向かう。日が暮れたあとの旧市街のくすんだオレンジ色の照明がかっこいい。この照明を選んだ人がいて、そして町全体でそれをそろえるというコンセンサスが形成されるというのは驚くべきことだ。チェックしていたジャズバーを見つけた。日曜夜に行くつもり。
クローデル『マリアへのお告げ』は2時間半休憩なしのノンストップの公演だった。チェロ2台の伴奏でのインストの音楽、そして俳優たちが歌う歌がとてもいい。しかしフランス語はほとんど聞き取れなかったことにショックを受ける。クローデルのことばは詩的で難しいとはいえ、なんということだ。事前に翻訳では読んでいたので、登場人物や舞台上で起こっていたことはほぼ理解して見ていた。ことばがわからないままで見た、暗めの照明が続くストイックな演出の舞台だったが眠くはならなかったのは、やはり俳優の力ゆえだろうか。今日、一緒に見た学生も翻訳は事前に読んでいる。彼らはどれくらい楽しめたのだろうか。
方向音痴でほかの学生とは外れた方向に住んでいる学生を家の近くまで送ってから、深夜バスを使って帰宅。
3月7日(土)。
今日は学校主催の遠足でカンヌへ行った。雨の予報が出ていたので今日行くかどうかはちょっと迷った。昨年はカンヌに行った日、カンヌ沖合のレラン諸島にいるときに暴風雨に遭遇しずぶぬれとなり、遭難しかけたという苦い体験があったからだ。突然の天候の急変だった。二時間近く濡れたまま掘っ立て小屋のようなところで立ったまま待機して、迎えの船を待った。空腹だったし、寒かったしで、「遭難しかけた」というのは誇張ではない。昨日、学校のレクリエーション担当の人と話し合って、雨でも予定通りカンヌには行く、ただし雨が強くなりそうなときは島には渡らないことにした。
ニースからカンヌまではローカル線で40分ぐらいだ。カンヌはニースよりこじんまりした町だが、ブルジョワが集まる観光地としてにぎわいがある。幸い天気予報は外れ、風は強かったけれども好天に恵まれた。最初はカンヌのマルシェへ。そこでいったん解散。自由時間30分ほどのあいだに、徒歩地域の商店街で昼ご飯となるサンドイッチ等を購入する。
正午丁度の船でカンヌの沖合15分ほどのところにあるレラン諸島のサントマグリット島に渡る。17世紀に鉄仮面が幽閉されていた監獄があるところだ。この監獄のある建物は博物館になっている。
港を守るための城塞が島内に築かれていて、城塞内には兵舎が並んでいる。この兵舎は今は臨海学校などの宿泊施設として使われている。オレンジ色の壁とくすんだエメラルド・グリーンの戸の配色がかっこいい。
島内で2時間ほど過ごしてカンヌに戻る。帰りは風が強くて海が大荒れだった。カンヌ映画祭のメイン会場の前で記念写真を撮る。カンヌ観光の定番だけれど、レッドカーペットは敷かれおらずあんまり雰囲気が出ない。午後3時半ごろ、カンヌ駅に戻る。列車がことごとく遅れていて、私たちが乗る予定だったローカル線列車がなかなか来ない。それよりさきにやはり遅れて到着したTGVがホームに入ってきた。ニースのあたりではTGVと在来線の線路が共用なのだ。TGVの乗車には予約必須で、われわれは乗ることができないはずなのだけれど、学校の引率者のエリックが列車の乗務員と交渉したところ、二駅だけだし、終着はニース駅だからということで、予約なしでこのTGVに乗り込むことの許可が出た(ようだ)。こういう融通が利くのがフランスっぽい。
夜は今回の私のグループの研修生のひとりが寄宿しているホストファミリーの旦那さんが俳優で、インプロビゼーションのショーをやるというのでそれを見に行った。この俳優の旦那さん、Henri Concasさんがインプロで何か演じるのかと思って見に行ったらそうではなくて、彼はアニメーター、司会進行役だ。巧みな進行でくじで観客を選んでステージに呼び、4人組を作らせて、これもくじでひいたお題に合わせて即興で劇を作り、演じさせるという観客参加のイベントだった。くじで私の名前が当たったらどうしようとどきどきした。扮装用の衣装が用意されていた。休憩をはさみ4人組で8組が演じた。午後8時からだらだらとはじまって終わったのが11時過ぎ。観客の大半がConcasさんの知り合いだったみたいだが、のりのりで即興演劇を楽しんでいる。観客席に座った観客の反応も大きい。
コンカスさんがこの即興演劇プログラムの優れたアニメーターであることはよくわかった。構成、即興のお題、演技に向かわせるためのキュー、出演者の紹介などにいろいろな細かい配慮がある。いくら知り合いが観客でのりがいいといっても、これだけの人数を舞台に上げてショーを成立させるのは大変なことだ。即興のプログラムは語学教育にも応用可能だし、語学教育以外の分野でももちろん応用可能であることがよくわかるプログラムになっていた。あとでコンカスさんに聞くと、語学教育研修や、医者の教育研修なども行っているそうだ。
今日のプログラムはコンカスさんが家族全員で準備していた。奥さんが女優と制作。そしてふたりの娘さんもかかわっている。まだ12歳の下の娘、オルネーラちゃんは司会進行役としても活躍していた。この子、司会進行ぶりが達者で、見た目も本当にかわいい。一緒に写真を撮ってもらった。コンカスさんとも終演後、一緒に写真を撮る。
3月6日(日)。
風邪をまだ引きずっていて痰がらみの咳が出る。あと日中、昼頃にお腹が張ってガスが出る。毎日出かけているので疲れが取れない感じがする。明日からの五日間は私も午前中の授業に出てみたいのだけれど迷っている。
今日は日曜なので学校のプログラムはない。午前中はシャガール美術館に行った。第一日曜は無料開館日なのだ。シャガール美術館はニースの美術館のなかでも足を運ぶ価値のある美術館だと思うのだけれど、どういうわけか学校のプログラムではシャガール美術館見学の活動は含まれていない。ここもフラッシュなしなら館内の撮影は可能である。明日の夜、シャガール美術館でピアノとバイオリンのコンサートがあるのだが、そのリハーサルを公開でやっていた。明日の夜のコンサートは学生数人と聞きに行く予定である。学生の料金は5ユーロ。
昼飯はニース駅近くのケバブ屋でケバブを購入。歩きながら食べた。午後1時ニース発の路線バスにのって、ニースの西側の山の上にある村、サン・ポール・ド・ヴァンスに行った。南仏のこのあたりにいくつかある中世っぽい景観の「丘の上の村」のなかでも、ニース東側にあるエズと並んで有名な村だ。シャガールが晩年をこの村で過ごしたほか、ブラック、ミロなどの多くの芸術家がこの村に滞在した。山の頂上付近に作られた石造りの城塞のような村の路地にはギャラリーやお土産物屋、レストランなどが並んでいる。観光化はされているけれど、村のたたずまいは観光と折り合いをつけ保持されている。
城塞の村を見学する前に、村から15分ほど歩いた山の中にあるマーグ財団美術館に行った。
ジャコメティ、ミロ、ブラックなどの現代美術のコレクションで知られている美術館だ。入館料はグループ割引きで一人10ユーロ。館内で写真撮影するにはさらに一人あたり5ユーロ支払わなくてはならない。作品点数はそれほど多くない美術館だけれども、展示された作品は選りすぐりで、その展示の仕方も贅沢で大胆な空間の使い方がされていて、楽しんでみることができた。立体作品が多い現代美術は見せ方の演出、展示のレイアウトが重要だ。トイレも清潔で、ニースとしては高レベル。
サン・ポール・ド・ヴァンスはエズよりは少し広い。2時間もあれば町全体を歩くことができると思う。人出はかなり多い。7月、8月のバカンス時期になると人込みのなかを歩くみたいな感じになるのかもしれない。中世ファンタジーの映画のセットのようなこの景観が、過剰な俗化に抗しつつよくこの状態でずっと保存されていたものだと感心する。ここには3500人ぐらいの住民がいるそうだ。でも正直、ちょっと観光地過ぎるところが気に入らない。ギャラリーが多いのだけど、中には観光客目当てのつまらない売り絵を並べたギャラリーもあってそういうのを目にしてしまうとちょっと興ざめしてしまう。しかたないのだけれど。人が比較的少ない今の時期に来てよかったと思った。
夜は家でご飯を食べる。家主のジャックリーヌはイタリア系なのでイタリア料理が多い。今日はサラダとラビオリにひき肉トマトのソースをかけたもの。ジャックリーヌの料理は絶品と言っていい。素材もいいのだと思う。サラダのドレッシングはオリーブ油とバルサミコ酢。この二つは日本にも買って帰ろうと思っている。夜の食事時のジャックリーヌとのおしゃべりが楽しい。
食事後は疲れていたけれど外出して旧市街に行った。学生のなかにジャズ研に所属してサックスを吹く子がいて、彼女のリクエストで旧市街のジャズバーにライブを聞きに行くことにしたのだ。私もどんな雰囲気だか知りたかったので彼女のリクエストに乗った。するとほかにも何人か行きたいという子が出てきて、サックス吹きの子だけを連れていくわけにもいかず、私を含め6名で深夜の旧市街のジャズバーに行くことになった。
行ったのはニース旧市街の奥にあるShapko Barである。いくつかあるジャズライブの店でここが一番よさそうな気がしたのだ。40席ほどのこじんまりした小屋だった。チャージはなく、ドリンク一杯で音楽を楽しむことができる。昨夜はベースのPierre Marcusを中心とするサックス、ピアノ、ドラムのカルテット。6人の日本人がぞろぞろ入ってきて「いったいなんなんだ?」って感じだったが、バンドも客も店もオープンな感じで歓迎してくれて感じがよかった。音楽はスタンダードなジャズをスタンダードなジャズっぽく演奏するという感じ。演奏のクオリティはかなり高いように思った。客は常連っぽい人が多かったが、ちゃんと音楽を楽しみに来ていることがわかる聞き方。小屋全体がフレンドリーでいい感じだった。ベースのピエールは昨年12月に大阪に来て演奏したそうだ。すごく気さくなかんじでライブの途中でこちらに声をかけてきたり、終演後はこっちの研修生に頼まれ一緒に写真を撮って、なんか話していた。
ちょっとした事件もこのライブであった。飲み物だが、私はこの研修ではアルコールは禁止にしていた。私自身は下戸なのでアルコールは飲めないし、やはり「先生」、引率責任者としてはアルコールを認めるわけにはいけないだろうと。しかしこのジャズバーでは、女の子たちにアルコールを頼む人がいたのには気づいていたけれど、見て見ぬふりをしていたのだ。カクテル一杯ぐらいだから、まあいいか、と思って。これがよくなくて、5人連れてきたうちのひとりがカクテル半分くらいしか飲んでなかったのだが、酔って腰が立たなくなってしまったのだ。ライブの途中からうつらうつらした感じだったので、疲れて眠っているのかなと思ったら酔っぱらっていたのだ。
深夜0時過ぎに店を出た。タクシーをその場にいた客のひとりが電話呼んでくれたが、徒歩地域の旧市街にどこからタクシーがやってくるのかまったく見当がつかない。10分ほど待ってタクシーが来る気配がないので、タクシー乗り場までとりあえず歩くことにした。ニースの場合、タクシー乗り場でタクシーが待機していることはまずない。そこから電話して呼ばなくてはならない。そのタクシー乗り場までの500メートルほどの道を、酔った子に歩いてもらうのが大変だった。奇跡的に流しのタクシーがあって、それを捕まえることができた。酔った子とその子と同じ家に住んでいる子はそのタクシーに乗せた。もう一組ちょっと遠いところに住んでいる二人がいたので、タクシーを電話で呼ぼうと思ったのだが、私のフランスの携帯電話の番号使用期限が切れていて電話できない。データ通信はあと20日ほど利用可能で、パケットにも余裕があったのだが、電話番号の使用期限は昨日で終わっていたのに気づいていなかったのだ。それでタクシーを呼ぶことができない。結局、ちょっと遠くに住んでいるその二人を家まで送り、さらにそれから自分の家に1時間ほど歩いて戻った。深夜1時台のニース市街は人がほとんどいない。逆にたまにいたりすると怖い。かもめがぎゃあぎゃあ鳴きながら飛んでいるのも不気味だった。また寒かったし。
夜だったのと疲労のためか、歩きなれたはずの道を間違えてしまい、家に着いたのは午前2時過ぎだった。
酔ってしまった子は深く反省していたようだが、これは私の判断ミスで、学生の監督の仕方が甘かったのだ。どこで線引きするかはきっちりとしなくてはならない。無事でよかった。今後の教訓にする。
3月7日(月)。
2週目に入った。私は先週の半ばから風邪をひいているが、学生にも風邪をひいている人が数名。みな同じ症状でのどの痛みが最初にあり、それからたんがらみの咳が続く。私の咳も続いているので薬局で薬を買った。ジャム状になっていて砂糖は入っていないけれど甘い。成分を見るとカルボシステインとなっている。日本で風邪をひいたときに処方されるものと成分は同じだ。ただし日本では一回分500ミリグラムであるのに対し、フランスの市販薬では750ミリグラムになっている。
昨日は深夜2時すぎに帰宅して、しかも長距離を寒い中歩いたためにぼろぼろの状態だった。なので今日は週初めのクラス編成替えだけれど寝坊。本当は二週目は私も授業に潜らせてもらおうとおもっていたのだが。今日の午後は何も予定がない。昼飯を食堂で食べたあと、学生たちは町に買い物に出かけたようだ。ただ月曜午後は旧市街の店舗で休みが案外多い。私はサレヤ通りで月曜だけに行われている古物市を冷やかしたあと、海岸に出て寝っ転がっていた。今日は快晴で暖かかった。海岸にはかなり多くの人が寝そべっている。小さな子供連れの家族もいた。水着の人もいる。すごくゆったりした気分で1時間ぐらい寝っ転がっていた。
夜は八時から学生三名とシャガール美術館にピアノとバイオリンのコンサートを聞きに行くことになっていた。予約は午前中に電話でしたのだが、「学生チケット三枚」と伝えたところ、「学生であることを証明するものを持ってきてください」と念押しで言われた。決済はカードで電話で番号を告げる(これがちょっと不安だった)。学生料金はたった5ユーロだ。一般料金は15ユーロ。これまでニースの美術館等で学生料金で払っても、学生証などを求められることがなかった。学生の多くは学生証は持ってきてないし、国際学生証など作っているものは一人もいない。まあそういった証明がなくても、彼女たちを見たら学生だってわかるのだが、こうした融通が利くのがフランスのいいところだ。今回のシャガール美術館のコンサートでは、電話で念押しされたのでもしかすると「見せろ」と言われるかな、そうしたらどうしようとちょっとドキドキしていた。
コンサートに行く学生とニース国立劇場前の広場で18時15分に待ち合わせしていた。しかしこの待ち合わせ場所は最悪だった。月曜はニース国立劇場もその正面にある現代美術館も休館。この休館日の劇場前広場は、やばそうな若い連中のグループのたまり場になっていたのだった。こんな不穏な雰囲気をニースで味わったのは初めてだった。一番最初に到着したのは私だったが、酔っぱらっているのからりっているのかわからない若い男から「犬を食ったか?」と絡まれる。ほかにも数グループ。がらんとした広場にはヒップホップがガンガン流れている。こんなところで若い女性と待ち合わせをするなんてどうかしている。
コンサートが始まる時間を考えると夕飯をとる時間はそんなにない。旧市街を歩いていたときにチュニジア料理屋を見つけた。ケバブ屋の前にある簡易食堂という感じの店だ。チュニジアというと私はクスクスしか知らなかったのだが、その店の看板にはオムレツみたいな料理の写真があって気になっていた。料理もすぐに出てきそうだ。そのオムレツみたいな料理以外は、甘そうなお菓子が十種類ぐらい売っていた。学生に時間がないので飯を食べるなら「ソッカか、ケバブか、チュニジア」と聞くと、これまで食べたことがないチュニジア料理になった。私も初めてである。
オムレツみたいに見えた料理はブリックというチュニジアの郷土料理だった。B級ファストフードだ。クレープに卵と葉野菜を包んでオリーブオイルで揚げたものだった。端っこは油っこくてぱりぱりしている。すぐに出てくる。そして私はかなりおいしいと思った。ソッカよりはこっちのほうが好きだ。ボリューム感はケバブほどではないが、油で揚げているので満腹感はある。一番簡素なものは5ユーロ。私が食べたいろんな具が添えられているのは10ユーロ。おじさんも愛想がよくて感じがいいし、またニースではこの店に寄ると思う。時間がないときにさっと食べられるものが増えるのはありがたい。
シャガール美術館のコンサートは、チェコ人のバイオリニストと日本人のピアニストのコンサートだった。チェコ人ではなくモラヴィア人というべきかもしれない。学生の身分チェックは結局なかった。受付で名前を言ったら、予約していた枚数のチケットと決済のレシートを渡され、それだけ。こういったルーズさはありがたい。
今日のプログラムはヤナーチェクの《ピアノとバイオリンのためのソナタ》、ラヴェル《ヴァイオリンソナタ第二番ト長調》、ベートーヴェン《ヴァイオリンソナタ9番イ長調》だった。ヤナーチェクの曲については演奏前に、モラヴィア民謡の引用やその変形のさせかた、子音が連続するモラヴィア語を模倣したパッセージなどいくつか説明付きで一部を演奏したうえで、全曲を聞かせるという念の入れようだった。ラヴェルの曲は超絶技巧が披露されるが、曲自体はとらえどころがなくて私はよくわからない。圧巻はベートーヴェンの9番だった。呼吸を合わせ、対話を行うように演奏を続ける二人の演者から発せられるオーラが会場全体を包み込み、音の流れに魂が持っていかれるような感覚を味わう。こういう感覚はライブでしか味わえない。こんな音楽をシャガールの巨大なステンドグラス、《魔笛》、《火の鳥》などの舞台デザイン画が展示された空間で聞くことができるなんて、なんという体験だろう。学生たちとこういう体験を共有できることを本当に幸せに思う。
終わった後の帰りがいつも問題。学生たちを二軒、別々の家に送ってから、40分ほど歩いて帰宅。タクシーを呼ぼうかともちょっと考えたけどやめた。タクシーだとニース市内の移動でもなぜか20ユーロぐらいはとられてしまう。タクシーもすぐにくればいいのだけれど、これがなかなか来なかったりするし。
幸か不幸かニースは歩いて移動可能なサイズの町なのだ。本当によく歩いている。夕方の国立劇場前の風景と昨夜の深夜の市内横断でちょっと怖い思いをしているので、今日も深夜人気のないニースの町中を歩くのは気が重かった。でも仕方ない。
3月8日(火)。
今日から午前中は私も授業に出ようと思っていたのだが、出るつもりのクラスが今日だけ午後開講だった。明日、明後日の二日間だけだけど、このクラスに出ることを教務担当の責任者に告げる。
昼ご飯を食べた後は、ニースから列車で20分ぐらいのところにあるアンティーブという町に遠足に行った。ニースを対岸に臨むこじんまりした町だ。しかし城壁が一部残る旧市街や海辺の風景は本当に美しい。ニースより落ち着いて静かな雰囲気がある。しかしさびれているわけではない。港には個人所有のクルーザーが数多く係留し、町中の商店街は賑わいがある。ピカソ美術館は石造りの立派な建物だけれど(確かかつては城塞だったはず)、ここに収蔵されているピカソの作品は後期の子供の落書きのような絵が中心であまり面白味がない。むしろピカソ以外の作家の作品のほうが面白いものが揃っている。この美術館での滞在時間は30分ほど。あとは町をぶらぶらと歩き、アイスクリームを食べたり、何軒かのお菓子屋さんやパン屋を冷やかして2時間ほど過ごした。
夜はニースの北部の山の手にある現代美術センター(ここは美術系の大学らしい)に行き、リトアニアのまだ若い女性映画監督、アランテ・カヴァイテの『夏』という作品を見に行った。監督が招かれたレクチャー付き上映会だった。この監督はパリに留学していたそうでフランス語が達者だ。とにかくよくしゃべる。
この上映会イベントは、昨年夏にAzurlinguaで受けた映画史のモデュールの講師 Kaloust Andalian 先生が関わっていて、アンダリアン先生からFBで招待されて知った。この先生の授業を20時間でフランス映画史のエッセンスを学ぶというもので、短い時間ながらしっかりと構築されていてとても映画の味方、分析の仕方をしるうえで勉強になった。それまで体系的に映画史を学んだことがなかった私は、フランス文化における映画というジャンルの重要性もこのモジュールを通して実感することができた。ニースの高台にある美術学校の入り口の門のところに先生がいて挨拶すると、再会をとても喜んでもらい、学校内をひととおり案内していただいた。
映画は10代半ばにして生きる意味を見失い、倦怠に陥った少女の不安定な心理を描いたもの。作品のテーマはあまり私の関心をひくものではなかったが、二人の少女の美しさは驚異的。音楽を使用しすぎるところが気になったけれど、抒情的で繊細で美しい作品だった。
夜は家の近所のレストランでクスクスを食べる。本当はモロッコ系クスクスを食べたかったのだが、入った店はチュニジア系だった。一人飯は私だけ。店員は感じよく、クスクスもおいしかった。