閑人手帖 Blogger
2026年3月4日水曜日
ニース研修2026春 第17日
2026年3月3日火曜日
ニース研修2026春 第16日
2026年3月2日(月)第16日
昨日、旅行代理店の担当者の話では、日本時間の3月2日(月)の朝からニースからの帰国便の代替便の手配を行い、確定次第連絡をくれるということだった。フランスと日本では、今の季節、8時間の時差がある。代替便が確定するのは日本の午後、フランスの朝になると言う。目覚ましを午前6時に設定していたが、それより前に電話が鳴った。旅行代理店担当者だった。そこで聞いたのは、想定外のぎょっとするような内容だった。
昨日のLINEのやりとりでは、欠航を決定したエミレーツ航空が代替便の費用を負担するという前提で、かつ代替便については分散になるにせよ、3月2日(月)にニース発の便が確保されるだろうという見通しだった。場合によっては学生たちが乗るはずだったエミレーツ航空EK87便の14:30より早く出発する便になるかもしれないとのことだったので、学生たちには昨夜のうちに出発できるよう荷造りをするように伝えていた。そして3月2日の便が仮に取れなくても、翌日の3月3日の便は確保できるだろうと、おそらく旅行代理店の人も考えていた。しかし提案されたのは次のような便だった。
3月4日(水) エーゲ航空 A3691便
出発: 11:40 ニース ターミナル 1
到着: 15:05 アテネ
所要時間: 02時間25分 NON STOP
3月5日(木) 吉祥航空 HO1658便
出発: 13:20 アテネ
到着: 3月6日 05:10 上海/浦東 ターミナル 2
所要時間: 09時間50分 NON STOP
3月6日(金) 吉祥航空 HO1379便
出発: 08:25 上海/浦東 ターミナル 2
到着: 12:00 東京/成田 ターミナル 2
所要時間: 02時間35分 NON STOP
出発日は明後日の水曜日。しかも途中、アテネで一泊。航空会社はエーゲ航空と吉祥航空。アテネから上海を経由して、帰国は金曜日の正午。しかもこの便のために、ひとりあたり、339,560円を、日本時間の3月3日中に入金しなくてはならない。
エミレーツ航空側の事情で欠航になったのだから、代替便は追加料金なしで、エミレーツが負担するものだと思い込んでいた。通常のキャンセルではそうなる。おそらく旅行代理店の担当者もそう考えていたのだと思う。そうでないと昨日のやりとりはつじつまが合わないので。しかし今回の欠航は、戦争という不可抗力の事態なのでエミレーツ航空は免責であるというのだ。これは乗客にとっては理不尽なルールではある。しかし今の帰国できるかどうかわからない瀬戸際で、代理店を通してエミレーツ航空と先の見えない交渉する余裕はなかった。交渉しているあいだに、帰国可能な便の確保がどんどん難しくなってしまう。代理店が確保したのは学生17名全員が一緒に帰ることのできる便だった。昨日までは、航空券の変更で出発地を変更するのは困難だと聞いていたので、私は学生をニースで送ったあとチュニスに予定通り飛ぶつもりだった。しかしこの状況ではチュニスからドバイ経由で成田に行く便の代替便をエミレーツが用意する可能性は低いし、明後日水曜日出発で、アテネ一泊、上海経由という帰路は学生たちだけでは心配だ。私もまだキャンセルが確定していないチュニス発の帰路便を捨て、学生たちと一緒の飛行機で日本に帰りたいと、代理店に要望を伝えたところ、私の席も確保された。
しかし突然の高額追加請求については、日本のご両親はさぞかし驚愕したに違いない。私も、そしておそらく旅行代理店の担当者もショックだった。しかし了承を頂かなくては、帰国の道筋が見えない。こうした請求の了承を求めるのは、非常に心苦しかったが、事情を説明した文面を作成し、学生たちにこれを転送して、了承を請うようにお願いした。これが現時点で取り得る最良で唯一の方策だと考えた。幸い、保護者の方々からは速やかに了承を得て、旅行代理店担当者に発券の手続きを依頼した。
そのあと学校の担当者に今日の空港送りはなくなったことを告げる。そしてわれわれの出国が水曜日の午前になったことも。これまでいた家庭に滞在できなくなった4人の学生は、昼前に学校の送迎担当者が、学校敷地内にある宿舎に連れて行った。急な延泊要望に迅速に対処してくれた学校と、学生たちを引き続き泊めることを了承してくれたホストファミリーにはおおいに感謝しなくてはならない。
午前中は学校の担当者、旅行代理店、そして学生たちの保護者や学生たちとの連絡に明け暮れた。アテネでのホテルの部屋も確保してもらい、それも含めた請求書を旅行会社に作成してもらった上で、学生たちに送付した。
学生のなかでひとりだけ、今日、パリに向かう学生がいた。彼女はパリで、日本からやってきた母親と親戚と合流し、3月中旬までパリに滞在する。彼女の空港への送りを学校の担当者に依頼していた。私も空港まで一緒に行った。荷物の預け入れを終えたあと、彼女と一緒に空港のカフェテリアで食事をした。
女子学生二人が、駅から離れた場所に住んでいて、彼女たちに渡していたトラム・市内バスの定期券が昨日で切れていることを思い出した。LINEで連絡を取ると、彼女たちは海岸にいるという。オペラ座裏の海岸で待ち合わせをして、トラム・市内バスの回数券を渡し、そのあとしばらく話をした。多くの人にとって一生に一度もないような事態に遭遇しているわけで、やはり誰もが心に不安を抱えているはずだ。
家に戻り、まず自分の航空券代とホテル代を振り込む。ゆうちょ口座には幸いこの代金分のお金はあった。しかしゆうちょ銀行の振り込み上限額を30万に設定したため、全額を振り込めない。振込上限額の変更を申請したが、その承認には1、2日かかるという。なんということだ。メイン口座にはごくわずかな金額しか残ってなかった。Wiseにうつしておいたお金が数万円あったのでそれをメイン口座に戻し、そしてゆうちょ銀行口座から上限の30万円をメイン口座に移した。それでようやく帰路航空便とホテル代の振込ができた。ホッとする。
そのあと、またほうぼうに連絡。
夕食はボロネーズのパスタだった。今夜も食べ過ぎた。
明日は何もない日。ただ出国を待機する日。
2026年3月2日月曜日
ニース研修2026春 第15日
2026年3月1日(日)第15日
学生たちの帰国前日である。
カンヌへの自由参加の遠足を企画していたのだが、それは中止した。昨夜はこの緊急事態の対応のシミュレーションで興奮したのかやはりなかなか寝付けなかった。午前中に日本の家にいる妻と息子に電話した。息子は3日にチュニスにエディハド航空で来て、私と合流する予定だが、エディハドは運行休止のはずだ。にもかかわらず昨日、オンラインチェックインしたから行けるはずだと言っている。結局、チュニスは断念で、バルセロナ行きの飛行機でバルセロナに行き、マヨルカ島での後半のひとり旅だけするということになった。妻は国会図書館に勤務していて毎日数種の新聞を目にしているのだが、アルメニアにいる娘と私の状況を伝えても「そんなことを言われても、私にはどうしようもない」とひとごとで、この戦争がもたらす飛行機交通の混乱の影響がどんなものなのかわかっていないような様子だった。ちょっとイライラする。
昨夜、学校の担当者に中東情勢によるドバイ空港閉鎖に伴う月曜日の空港への送りの対応などについて尋ねたが返答がない。2年前からAzurlinguaの親会社となった米国の巨大教育産業のKaplan社の社員に日本人がいて、彼女とは懇意にしていたので、彼女を通してAzurlinguaの対応にプレッシャーをかけてくれるように要請した。これが功を奏したのか、午後になってAzurlinguaの関係者から月曜日の対応についてメッセージが届くようになった。
空港のエミレーツ航空カウンターに行って直接明日の便の代替について要求してみて欲しい、というアドバイスをわれわれのチケットを扱った旅行代理店の人からあったので、正午過ぎにニース空港に行った。エミレーツは毎日14時半にニース発ドバイ便を飛ばしているので、この時間帯ならカウンターにエミレーツのスタッフがいるはずだ。正午はちょうどチェックインの時間帯だが、エミレーツ航空カウンターには乗客らしい人はいない。カウンターにいたエミレーツ航空のスタッフに、明日の便の振替便について聞いた。なお私がエミレーツ・カウンターに到着した時点で、明日の便の欠航も正式にアナウンスされていた。スタッフに「17人の学生で、その親もとても心配している、代替便を今、ここで提示して頂けないだろうか?」と、Geminiが作ってくれた例文を使って切々と訴えたのだが、カウンター・スタッフには代替便を提示する権限はない、チケットを購入した旅行会社に言ってくれということだった。エミレーツだけでなく、エディハド、カタールなど中東系の航空会社はのきなみ空港閉鎖と運休で、大混乱に陥っているに違いない。たまたま運悪く、ドバイ空港に行って、足止めを食らった人もいるだろう。そうした人は飛行機が飛ばないので、ドバイから出る見通しが立たないということになっているはずだ。おそらく数万人単位の人たちに今回の戦争による空港閉鎖は影響しているだろう。旅行代理店の担当にエミレーツのカウンターでのやりとりを報告した。その場で振替便が提示されなかったのは残念だが、明日、月曜の朝から順次振替便の座席を確保してもらうようにした。明日の日本の夕方、フランスの早朝には、概ね振替便が確定するだろうとのこと。逆に言えば、明日の朝にならなければ、どうなるのかはわからない。この状況なので私もチュニスに旅行よりは、できれば学生たちと同じ便で帰国したい気持ちが強くなったが、私の帰りの航空券はチュニス発になっているため、その出発地を変更するのは難しいとのことだった。まあ学生たちさえ、振替便で無事帰国できたなら、それでいい。私はフランスでもチュニスでも特に不便はない。
昼ご飯を誰かと食べたかった。学生に声かけすると男子学生一人が一緒に飯を食っていいという。女子学生がジェラートならオッケーという返事が。2時過ぎにマセナ広場で待ち合わせする。トラムに乗って空港から市街地に向かったが、学校の送迎担当者との電話やメッセージのやりとりをしていて乗り過ごしてしまった。送迎担当は「明日の朝にならなければどの便になるかわからないとのことだが、いっそ朝8時ごろに学生宅に迎えに行って、全員を空港で待機させるのがいいんじゃないか?」と言う。ニース空港に行けば、その後、パリ空港に移動とかして、なんとかなるだろうと。何を言ってるんだこいつは、とむかつく。とりあえず空港に学生たちを届けておけば、航空会社がなんとかしてくれるだろうという態度だ。送迎の調整をするのは面倒なので、いっそ一括で朝に届けてしまえばという。明日の便で確実に全員が帰国の途につけるとは限らないと伝えているのに。ほんとにこういう応対は頭にくる。「航空券が確定していない状態で、8時にグループ全員を空港へ送ることはリスクが高すぎ。すでに伝えたけど、振替便の時間が判明するのは明日の朝であり、学生の一部は3月3日まで出発できない可能性が十分にある」というようなことを伝える。学生が延泊となった場合は、戦争の場合、航空会社は免責となって宿泊先を用意しないことは昨夜の旅行代理店との電話でわかった。なので延泊になった場合、家庭での延泊を拒否された学生への対処、そういう場合に延泊できるかどうかの各家庭への確認も昨夜のメールで要望していたが、これは担当者が各家庭に確認し、家庭延泊できない場合は、学校の寮に入ることを確約してくれた。
14時過ぎにマセナ広場へ。そこにやって来た男子学生と女子学生数名に状況を説明する。女子学生はフロリアンにお菓子を買いに行くという。私は男子学生と遅めの昼飯を取った。旧市街の入り口にあるレバノン料理屋に入った。ここはアンティーブの店よりはるかに大衆的で、ケバブ屋+という感じだ。プレートの上に定食風にいろんな料理が乗っかって出てくる。量は非常に多い。値段は安く、アンティーブの店のような見た目の洗練はない大衆食堂的な店だったが、確かにレバノン料理だった。店のスタッフも見た目はごついが、思いのほか人なつっこい。飯を食いながらダラダラといろんなことを話した。私は話しすぎだ。
ニースとその近郊の美術館めぐりを一人でしていたこの男子学生を、ニース旧市街のなかにあるジェジュ教会と、ラスカリス宮に連れて行った。どちらもイタリア・バロック式の豪華でごてごてした内装がみものだ。ラスカリス宮は小さな楽器博物館でもある。私のお気に入りの場所なのだが、ここに例年学生たちを連れてきても、こうした室内装飾は学生たちの関心をあまりひかない感じだったので、今年はラスカリス宮は特に紹介しなかった。ラスカリス宮は17世紀貴族の館だ。天井を覆うフレスコ画と漆喰壁にグロテスクで官能的ともいえる彫像やレリーフがゴテゴテと施されているのが特徴だ。ニース旧市街の美学の基調は、このゴテゴテのイタリア・バロック様式である。
ラスカリス宮のあと、聖レパラート大聖堂前の広場にあるジェラートの人気店Fenocchioに行き、私はローズとマンダリンオレンジのアイスを購入。歩きながら食べた。どちらも非常に美味しく感じた。海岸にしばらくいて、男子学生と別れる。
帰宅後、学生たちへの明日の朝についての流れを書いたメッセージを送る。とにかく朝に振替便の連絡があり、その振替便次第で動きが変わる。
夕食はガレットと野菜のスープだったが、昼の食事が遅かった上、ボリュームがあったので全然お腹が減っていなかった。美味しかったが、今日はおかわりなしにした。お腹いっぱいで食べられない。明日の夜はこの家で私は夕食を食べているだろうか、あるいはチュニスで食べているだろうか。私の出発は学生たちを全員見送ったあとになる。
2026年3月1日日曜日
ニース研修2026春 第14日
2026年2月28日(土)第14日
2026年2月28日土曜日
ニース研修2026春 第12日
2026年2月26日(木)第12日
午前8時半まで寝ていた。昨夜寝るのが深夜2時前だった。なんでそんな夜更かししたのか覚えてない。なんのかんの細々、事務的な仕事がある。「あ、あれもやんなきゃ」と思い出すたびにこなしているのだけど。そもそもパソコン、ネットというのは、やろうとした作業をついつい中断させ、脇道にそらせてしまうのでやっかいだ。まあこんな旅日記を書くのも毎日けっこう時間を取られているのだけど。
昨日は昼、夜といくらなんでも食べ過ぎの日だった。胃の調子が心配だ。この2年ぐらい、胃腸が弱くなった。出国前にガスター10を購入しておくつもりだったのだけど、買い忘れている。胃薬でまともに効く市販薬はガスター10ぐらいしかないと思う。整腸剤は気休めにしかならないが、これも荷物のなかに入れたつもりが持ってくるのを忘れていた。
とにかく胃と体を休めた方がいい。疲れているはずだ。今日は午前中は家にいた。朝ごはんをごく軽く食べて、シャワーを浴びて、一番憂鬱で厄介で重要度が高い3月に公刊される研究論文集の目次の改訂作業に取り組む。ChatGPTなど複数のAIに相談しながら。
今日の昼はクスクスの日だった。ニースで行きつけのクスクス屋は二軒ある。一つは数日前に男子学生たちと行ったBédouin。もう一つはガンベッタ通り沿いにあるLa Gouletteという店だ。ここはクスクスも美味しいし、安いし、そして店員の人たちの雰囲気がとてもいい。以前、ここに来たときに、小さい子供連れの客がいて、子供がぐずったりしていたのだけど、店のスタッフは楽しそうにその子をあやしたりしていて、いい感じだなと思った。Bédouin同様、チュニジア系のクスクスの店だ。以前、もう一軒、モロッコ系のクスクス屋で好きなところがあったのだが、その店は数年前に閉店してしまった。La Gouletteは家族経営の小さな店で、テーブルは6つほど。昨夜、一応、私を入れて5名で予約していた。
今回来た学生は18名で、外食などはできるだけ公平に、全員とご飯を食べに行くようにしている。私とご飯を一緒に食べに行くことが、学生たちにとって嬉しいのかどうかはわからないけど。全員一緒に食べに行くとなると、私を入れて19人を受け入れてくれる店を探し、事前に予約しなくてはならない。これはかなり面倒で、飯も美味しいものを食べられないので、4〜5人ずつ誘って外食している。3年前までは昼は学校近くのカフェテリアで全員、一緒に食事を取る機会があったのだが、物価上昇、円安などで費用が高騰したので、昨年からは昼は各自で取るということにした。メンバー全員で一緒にご飯を食べる機会がなくなったのは残念だったし、学校が契約しているcantineの飯のクオリティはかなり高いものだったのだけど、その分、昼に外食できる機会が増えた。
私を入れて5名で予約をしていたのだが、うっかりこれまで私が飯に誘っていない学生を入れていないことに気づいた。まあ私のようなおっさんと一緒に飯を食ってもそんなにいいことはないと思うのだけど、私はコーディネーター兼教員なのでできるだけ均等に学生たちとは接しなくてはならないとは思っている。小さい店ではあるがそんなに大人気、大混雑という店ではないし、テーブルは偶数席が基本なので5人が6人になっても問題はないだろうと思い、うっかり誘い忘れた学生も一緒にクスクス屋に行くことにした。ただ予約を入れたのが昨夜、ネットからだったので、店がちゃんとそれを把握しているかどうかは若干の不安はあった。ネットでの予約は便利ではあるが、案外店が予約をちゃんと確認していないこともある。レストランの予約は電話が確実だ。幸い昨夜の予約はちゃんと店は受け取っていたようで、われわれの席は用意されていた。5人が6人になっても問題ないとのこと。この店も毎年学生を連れてきているので、店の人は私のことは覚えてくれていたようだ。
この店のクスクスは、先日男子学生と行ったBédouinよりも5ユーロほど安い。今時のフランスで20ユーロ以下でクスクスを食べられるのはありがたい。学生たちにもおおむねクスクスは好評だったよう。野菜のたっぷり入ったスープをかけて食べるクスクスはたいていの日本人は好きだと思う。私は今回もメルゲーズを添えることにした。学生たちは私が薦めた仔羊肉を選択した。クスクスはつい食べ過ぎて、腹が膨れてしまう。用心して食べ過ぎないようにしたので、ちょうどいい腹具合だった。
クスクス後、一度家に戻る。今夕は、今回のニース滞在で私にとっての最大イベント、モンテカルロ歌劇場でのオペラ《ペレアスとメリザンド》の公演を見に行くことにしていた。この公演は昨年の今頃、知人のオペラ研究者のSNSでの投稿で知った。メーテルリンクは一時期関心を持って、論文を書くところまでにはいかなかったけれど、かなり勉強していた。『ペレアスとメリザンド』の原作は何度か通読しているし、パリのオデオン座での演劇公演は見たことがある。しかしドビュッシーによるオペラ版は、DVDでしか見たことがなかった。公演日はちょうどニースでの滞在日である。これまでモナコ歌劇場に私は行ったことがなかった。ニースとモナコは列車で30分ほどの距離だが、フランスは公演開始時間が20時と遅いので、モナコで夜、公演を見て、そのあとニースに戻ってくるのは難しいと思い、これまでモンテカルロ歌劇場での観劇は検討したことがなかったのだ。しかし演目が《ペレアスとメリザンド》となれば見に行ってみたい。演出家はモナコの演出家で私の知らない人だったが、指揮者の山田和樹の名前はヨーロッパで活躍する注目株の指揮者として聞いたことはある。そしてパリのオペラ・ガルニエの設計者のシャルル・ガルニエが手がけた歌劇場での観劇体験は魅力的だった。高くつくが、列車がなくても、公演終了後、タクシーを使えばニースまで戻れるだろうと考えた。
この公演はチケット代も高額なので、私ひとりで見に行くつもりでいたのだが、もしかして学生のなかに見に行きたいという人がいるかもしれないと思い、研修参加学生に呼びかけてみた。ただし希望者がいたとしても、帰りの脚がタクシーになることを考慮して、2名限定とした。それで希望があった2名の学生と一緒にモナコにオペラを見に行くことにした。せっかく高額チケットを買って見に行く公演なので、事前にZoomで《ペレアスとメリザンド》の勉強会も行い、予習も行った。オペラのチケットは10月に予約した。客席が500席という小さなオペラハウスだが、チケットは確保できた。チケット代は100ユーロだった。日本でも最近、商業演劇は15000円や20000円ぐらいの席があるので、それを思うとそんなに高額なチケットだとは思えない。
公演は20時開演だが、モナコ行きは16時にニースヴィル駅に待ち合わせとしていた。家に戻ってLINEを見ると、オペラに一緒に見に行く学生の一人から、もし時間があればモナコ大公御用達のチョコレート店、Chocolaterie de Monacoへ行きたい、というメッセージが入っていた。先日行った海洋博物館のすぐ近くにある店で、モンテカルロ歌劇場からは遠いが、行けないことはない。ただ坂道を歩いて上るのはかなわないので、モナコ駅についたらタクシーでその店の場所まで行くことにした。Geminiを参照するとモナコ駅のタクシー乗り場からすぐにタクシーを拾えるみたいなことを言われたのだが、実際にはタクシー乗り場にタクシーなんか停まっていなかった。電話でタクシーを呼ぼうと思ったのだけど、モナコ駅のどの出口付近に来てもらえばいいのか、その出口あたりの地名がわからない。Uberなら呼んだ位置に、こちらが場所名を言わなくても来てくれるのだが、モナコではUberが使えないのだ。結局駅の出口周辺をうろうろした挙げ句、Google Mapの指示に従い、バスに乗ってChocolaterie de Monacoのある場所まで向かった。閉店30分前に店に入り、学生は目当ての商品を購入し、私ともう一人の学生もついでにという感じで、安めのチョコレートをお土産として購入した。
開演が20時、終演が23時を過ぎるので、開演前に腹ごしらえをしておかなければならない。港まで降りて、モンテカルロに上る坂道の出発点付近にあるハンバーガーショップで食事をした。値段は13ユーロぐらい。バンズも美味しかったし、肉の部分もちゃんと肉汁の旨みがあって美味しいハンバーガーだった。港のあたりから、モンテカルロに上る坂道がけっこう急勾配で長くてつらい。モンテカルロに上る公共エレベーターに何年か前に乗ったことがあるのだけど、その入り口があやふやで、この前の日曜にモナコに来たときは結局Google Mapの指示するまま、坂道を上って歩いて疲労した。今回は坂を上らず、海沿いの道を歩いてエレベーターの入り口を探すと、案外簡単に見つかった。エレベーターだと一気にモンテカルロの丘の上まで連れて行ってくれる。楽ちんだ。
カジノ・歌劇場の建物に入り、トイレに行って、クロークにコートを預け、19時20分ごろに歌劇場の入り口の扉が開いた。さあ、中に入るぞ、と劇場入り口に行くと、チケットチェックの男性スタッフが、「あなたのチケットは補助椅子(strapontin / ストラポンタン)なので、普通座席の人が席についた後になる。それまで入れません」と言う。これまで補助椅子座席だからといって、開場後に待たされるという経験がなかったので、「変なことを言うよな。早く中に入って劇場内部の装飾を見たいのに」と思って、「いつ頃入れるのか?」と聞くと、「一番最後だ。入れるようになったら呼ぶので、ホールでも見学していろ」とそのスタッフは言う。
なんか納得がいかず、ホールにたまっていた客席を誘導していた別の女性スタッフにチケットを見せて、「あの男性スタッフが私たちの入場を拒絶したのですが」と聞いたが、その女性スタッフは「いや、これは担当のあの男性スタッフが判断することなので」と言う。
開演15分前に、そろそろいいだろうと思い、もう一度男性スタッフに入場できるかどうか聞いたがダメだという。「こんな理不尽な扱いを受けたことはこれまでない。なぜストラポンタンだと入場できないのか理解できない」と言うと、「劇場の座席が詰まっていて、補助椅子の観客が先に座ると、後から来た観客が奥に行けなくなるんだ。入ったらわかる」と言う。私には依然、理不尽な扱いに思え、この男性スタッフがもしかするとアジア人の貧乏観客だということで嫌がらせをしているのではないか、などと不信感を持ったのだが、我々以外にも入場口の前で待機している観客が複数いて、「ストラポンタンですか?」と聞くと、「そうだ」と言う。「ストラポンタン差別ですね。ありえないこんな劇場」と言うと、苦笑いしていた。
開演5分前にようやく入場が許可される。学生のうち一人は離れた場所の席だったが、私ともう一人の学生は、なんと補助椅子とはいえ、舞台に一番近い座席だった。最前列である。こんな席でこれまでオペラは見たことがない。そしてモンテカルロ歌劇場では補助椅子を倒すと、ほぼ通路が塞がれる感じになっていて、男性スタッフが言っていたとおり、最後に補助椅子客を入場させないと客入れが非常に困難になることがわかった。休憩時間にその男性スタッフには「私が間違っていた。ごめんなさい」と謝っておいた。
シャルル・ガルニエの設計による劇場内の装飾の密度は強烈だった。劇場が小さい分、パリのオペラ座よりもさらに凝縮感がある。観客席と舞台の距離は近い。私たちの席は最前列だったので、すぐ先にオーケストラピットをのぞき込むことができた。舞台についての感想はあらためて別の場所に書くことにしよう。抽象的で直線的なデザインの美術が、場ごとに変わる舞台美術と演出は素晴らしかった。そして山田和樹指揮の音楽も舞台上の展開としっかりと連動した本当に見事なもので、指揮者が日本人であることが誇らしかった。そしてこの劇場空間。端的に言って、私のこれまでの舞台鑑賞経験の中でも十指に入る最高の劇場体験だった。これが100ユーロで体験できるなんて。わざわざモンテカルロ歌劇場に見に来て、本当によかったと思った。
終演は23時20分。昨日、ニースのOffice de Tourismeで、この日はマントン発23時40分の臨時深夜列車が出ることを確認していた。終演後、早足でモナコ駅に向かい、23時47分に到着。マントン発の列車のモナコ駅着は23時52分だった。けっこうギリギリである。こういうときはフランス国鉄の運行は時間通りだ。
ニースについたのは0時過ぎだった。駅から遠い場所に住む学生は、駅の近くでUberを呼ぶつもりだったのだが、最終バスに運良く飛び乗ることができた。もう一人の学生は女子学生だったので、家の近くまで送った。
2026年2月26日木曜日
ニース研修2026春 第11日目
2026年2月25日(水)第11日
朝8時半に起床。午前中は韓国語の勉強をしたかったのだが、3月中に刊行予定の研究論集の目次の改訂やその他、事務的な仕事がいくつかあって、韓国語の勉強ができなかった。目次改訂、その他の学務に関する事務作業は基本、億劫で手をつける気になかなかなれない。やらなければ仕事上の信用を失ったりするのでやらざるを得ないのだけど。YouTubeやTikTok、本当にどうでもいい動画をグズグズ見ていたりして、取りかかるまでに時間もかかった。自分はマルチタスクが基本できない人間であることに気づいたのは2年ほど前のことである。あることが気に掛かると、そのことから頭が離れず、別の作業への注意が散漫になってしまう。それをかなり無理してやってきたのだ。ニース語学研修中は、研修に関わることでまず頭が占められる。そのことだけでチケットの手配やら学校への連絡やらいろいろやることがある。ニース語学研修に関わることだけで既にマルチタスク状態なので、さらに日本での学務や研究に関わるさまざまな事象になかなか気が回らないし、やる気が起きない。と書いているうちに、やらなくてはならない作業がまた頭に浮かんで、気になってしまう。
昼は学生3人と昨日予約したニース料理店、Le Tchitchouでご飯を食べた。この店には過去二回、Azurlinguaの校長に連れて行ってもらったことがある。今日は夜もレストランで外食なので、昼の食事は抑えておこうと思った。Le Tchitchouはテーブルが5卓ほどのこじんまりした店だ。
前菜はニース郷土料理の盛り合わせとニース風サラダを頼んだ。盛り合わせには7品ぐらいあっただろうか。大皿で提供されるので見栄えもいい。Le Tchitchouでの食事は一年半ぶりだったが、前菜皿のどの料理も本当に美味しかった。絶品。ドレッシングのベースはオリーブオイル。そのオリーブオイルベースのドレッシングが、素材の旨みを増大させているかのようだ。野菜のほか、たこのマリネや小さないかのからあげもあるのが嬉しかった。
メインは私はニース風内臓煮込みを頼んだ。フランスでは内臓をよく食べるということは、確かマンガ『美味しんぼ』で得た知識だ。内臓煮込みは、ニース以外のいろいろな地方であるらしい。私はノルマンディのカーンでもご当地風の内臓煮込みを食べたことがある。焼肉でもホルモンを好む私は、メニューに記載があれば、もつ料理を頼むことが多い。ニース風内臓煮込み、美味しかったがボリュームがありすぎて、食べきれなかった。味付けもかなり濃いめでヘヴィ。お腹がパンパンに膨れてしまった。学生たちはそれぞれ、ブレッド入りのニョッキのドーブ、ニース風蛸の煮込みなど、ニースならではの料理を食べていた。多分このクオリティのニース料理は、日本では食べることは難しいだろう。もつ料理が重かったため、夕方までずっと残っている感じだった。
食事後、今日はニースの高台のシミエ地区への遠足。SNCFの線路の側のバス停からバスで10分ほどのところにある。ここは古代ローマ史跡があり、広大な浴場跡遺跡を敷地に含む考古学博物館、20世紀初頭にニースで創作活動を行いいくつかの代表作を残したアンリ・マチスの美術館、フランシスコ会の修道院であるシミエ修道院とその附属教会と庭園がある。シミエ地区についたのは14時半ぐらいだった。マチス美術館への団体入場の予約は3時45分なので、1時間ぐらい時間がある。マチス美術館のそばにある考古学博物館にまずは行った。
考古学博物館には団体入場予約はしていなかった。いつも空いているし、これまで団体予約なしで入場できた。ただ一度だけ入場時にもめたことがある。ニースの市立美術館・博物館は、学生は国籍を問わず入場無料となる。この博物館に入場するときに、学生証の提示を求められたので、日本の大学の学生証を学生から集めて提示したのだが、「こんなものを見せられてもこれが学生証かどうか私には確認できない」と言われ、無料入場を拒まれたことがあったのだ。このときも「遠く離れた日本からわざわざやって来たので、お願いします」などと交渉して、しぶしぶという感じで学生無料扱いにしてくれた。アンティーブのピカソ美術館やコロナ禍のときからリニューアル工事で休館中のニース現代美術館、モナコの海洋博物館でも同じようなことはあった。
学生に国際学生証を作らせれば面倒はないのだけど、滞在中1回あるかないかのこうした事態にそなえ、しかもたいてい交渉次第でなんとか乗り切れることなのに、数千円も出して国際学生証なんてインチキくさい組織の発行するものを作らせるのは何かなあという気もしたし、こうした交渉ごとはストレスといえばストレスだが、自分のフランス語コミュニケーション能力の鍛錬の場にもなる。という具合に考えて、敢えて日本の大学の学生証だけ持ってくるようにと学生には伝えていた。ただ今回は、日本の学生証も「なくしたら嫌だから」と持ってきていない学生もいたが。フランスではこうした扱いの裁量は、対応する職員に委ねられていて、要は相手次第だ。
今日もちょっと身構えて考古学博物館の受付に行ったのだけど、「日本から来た。大学生18名と引率私の1名の団体だ」と伝えると、学生証などの証明書などの提示を迫られることなく、「遠くからよく来たな」とあっさり無料の入館証を発行してくれた。引率者の私の身分証明書は求められたが、国際演劇評論家協会の会員証を提示すると、それが通った。国際演劇評論家協会の会員証がはじめて役に立った。
ニース考古学博物館の建物の裏手にある広大なローマ帝国時代の浴場遺跡は壮観だと思うのだが、風呂文化について愛着が乏しいフランス人には古代人の風呂の遺跡に好奇心をそそられないのか、いつ来てもこの博物館はガラガラだ。今日もわれわれ以外の訪問者は、数人だけだった。博物館の館内には浴場跡遺跡の解説パネルや、シミエ地区の考古学調査で発掘された石棺や碑文、石像などが展示されていた。1時間ほど博物館で過ごした後、マチス美術館へ。ここはけっこう混雑していた。
明るいパステルカラーの赤の壁面が印象的な17世紀邸宅を改装したマチス美術館は20世紀初頭にニースに滞在したマチスの重要な作品のいくつかを所蔵しているのだけれど、入口ホールの大作をのぞき、本館に展示されている作品の多くは習作的な素描で、あまり見応えのある美術館ではない。ただ各展示室のやわらかいオレンジ色の明かりは、この時期の明朗でシンプルな色彩と図形で構成されたマチスの画風と調和していて感じがいい。
マチス美術館のあとは、オリーブの木が並ぶ公園を抜けて、シミエ修道院附属教会へ。おそらく17世紀の建築だが、バロック様式の祭壇の装飾と天井のフレスコ画、壁に掛けられている大きな聖画のかずかずは見る価値がある。教会のあとは、修道院の庭園に移動した。ここからは市街地ニースの「裏手」にあたる地域を見下ろすことができる。今日はそんなに長い距離歩いたわけではないのに、昨日の《ニーチェの小径》の山下りのダメージのためか、足の疲労感が強い。
修道院の庭園で解散とし、希望者は私と一緒にバスでふもとに降りて、旧市街で買い物をするとした。Google Mapを見ると、シミエ修道院から歩いて15分ぐらいのところにバス停があり、そこから旧市街に行けるとあった。しかしそのバス停は私が利用したことがないバス停で、シミエ修道院からそのバス停方面は崖のようになっていて、降りられるような感じがしない。それでもGoogleが言うならと、その通り進むと、その崖のような斜面に沿って、さきほど修道院庭園から見下ろしたパヨン川に降りる急階段が続いていた。このルートは私は知らなかった。下りだからよかったものの、絶対このルートから修道院に上って来たくはないような階段道だった。この麓の川沿いにあるバス停に止まるバスが90分以上の遅れという謎の事態だったのだが、この線は幸い本数が多くて、しばらくすると旧市街方面行きのバスが来た。
旧市街に着く頃にはもう6時20分ごろになっていた。ニース名産のベレワインを扱っているワインショップに向かう。私はお土産用のベレワインを2本購入するつもりだったが、このあと7時から2年前にこの語学研修に参加し、この秋からストラスブールに留学している学生と食事をする約束があるので、重いワインを持ってレストランに行くのは嫌だなと思い、購入は次の機会にすることにした。学生たちのうち、何人かはワインを購入していた。
18時45分に私はワインショップを出て、トラムに乗って、Libération駅の側にある魚介類のレストランへ。Azurlinguaのスタッフが推薦していた店で、この店で2年前研修に参加していた学生WKNと会うことにしていた。彼女は同じくストラスブール大学に留学している上智大学の友達とニースに休暇に来ていた。今、フランスの大学は2月休みらしい。
レストランについても私は昼の食事の臓物料理がまだ残っている感じでまったく食欲はない。メインを一品だけ、できるだけボリュームのなさげなものを頼んで、場合によっては残してもいいかと思った。せっかくの魚介料理なので残念であった。前菜として生牡蠣を頼んだ。6個を3人でシェア。私は用心して1個しか食べなかった。メインは二人は魚介の具のパスタ、私は日本風のマグロのタルタルというやつを頼んだ。これは生のマグロキューブを円筒状に整形したもので、もずくのような海藻が乗っていて、醤油ベースのドレッシングがかかっている。ポテトフライと一緒に出てきた。この料理は案外いける。
到着したときは疲れと満腹感で元気があまりなかったのだが、ご飯を食べながら話しているうちに、どんどん調子が出てきて、というか調子に乗りすぎて、普段は寡黙な私だが、いつもより饒舌にいろいろと話した。酒を飲んでいないのに酔っ払っているかのように。WKNは、先日私が誕生パーティで家に行ったイザベルさんの家に2年前滞在していた。イザベルさんはWKNとWKNより数年前にイザベル宅に滞在した別の女子学生がごっちゃになっていることが判明する。WKNもイザベルさんに時折連絡をとっていたようだ。2時間ほど食事しながら談笑。しゃべっているうちに体調も回復した感じになった。
彼女たちは明後日までニースに泊まり、そのあとマルセイユに滞在して、ストラスブールに戻るという。マルセイユでは東横インに泊まるそうだ。東横インは、私が国内出張でよく使うビジネスホテルチェーンで、ヨーロッパではマルセイユのほか、フランクフルトにもある。東横インの内装は、どの支店でもほぼ同一だ。値段の安さと、どこでも同じクオリティの部屋とサービスが提供される安心感が東横インの特徴だが、マルセイユではどのレベルでこれが実現されているのかは前から気になっていた。マルセイユの東横インの写真とレポートを送ってくれるように要望を出した。
3月に刊行される論文集の目次改訂のアイディアを考える大仕事は明日の午前中に。これがけっこう悩ましいというか、手をつけるのが億劫なのだが、明日中に編集者に伝えないと3月中に本が出ない。
2026年2月25日水曜日
ニース研修2006年春 第10日目
2026年2月24日(火)第10日
今日は午後からエズ村に遠足に行く日だった。午前中は家にいたが、家で何をしていたのか思い出せない。8時半過ぎまで寝ていて、朝ご飯食べて、Duolingoをやって。仕事関係のメールの返信などをしていたのか。あ、そうそう週末のイベントのシミュレーションをしていたのだった。
昼前に家を出る。家を出てまず近所にあるニース料理の人気店、Le Tchitchouに行って、明日、明後日、明明後日のいずれかのランチを予約できないか尋ねた。この店は地元の人に圧倒的に支持されているニース料理の名店だが、こじんまりしているので、予約必須となっている。Azurlinguaの校長に二回連れて行ってもらったことがある。幸い、明日のランチ、4人席を予約できた。やはりニースにいるのだから、本場のニース料理は食べておきたかった。そのあと、学校に向かう途中でケバブを買って、それを昼食とした。
フランスのケバブは、肉の量が日本のケバブより多くて、美味しい。何年か前に、フランスから帰ったちょっとあとに江古田のケバブ屋に行ったとき、ケバブのボリュームが物足りなく感じた。ケバブ屋の店員に、「どこから来た?」と聞くと、「トルコ」と答えた。「イスタンブールでこのボリュームのケバブを出すなんてありえないだろう?」と言うと、「日本では事情が違いますから」と返ってきた。そう、事情が違うからしかたない。
ケバブはフランス留学した日本人学生ならたいてい好きになる。私もケバブを知ったのはフランスだ。ボリュームがあって、安くて、肉と野菜が食べられる完全食だ。私は一時kebabisteを名乗っていた。フランスのいたるところにケバブ屋があるが、ニースよりもパリのほうがケバブ屋の競争が激しいためか、ちょっとクオリティが高いように思う。ニースのケバブも十分おいしいのだが。ケバブ屋は女性客は少なく、白人女性がケバブ屋にいることは極めて稀だ。ブルーカラーの有色人種がケバブ屋のメインターゲットだと思う。
エズ村にはバスで行く。昨日夕方に、ニースの観光案内所(touriste information)で行き方を確認した。フランスは全般的にサービス業に携わる人の労働モラルは、日本の平均と比べるとはるかに低くて、無気力、無能、無愛想の三拍子そろった店員の気分の悪い応対をされることがちょくちょくあるのだが、私の経験では医療関係者(医師、薬剤師)、劇場スタッフ、そして観光案内所のスタッフで、嫌な思いをしたことはない。いずれも感じがよくて、テキパキと仕事をこなす。フランスのtouriste informationは日本の観光案内所より、歴史的な事情で公的なステイタスが付与されていて、職業意識が高い、とどこかで聞いたことがある。ひとりで旅行するときは、いわゆる観光目的でないことがほとんどなので、観光案内所に情報を得にいくことは数回しかなかったが、ニース語学研修旅行では学生たちを連れていかなければならないので、たびたび観光案内所に問い合わせに行った。応対は丁寧だし、情報は的確で、Google Mapではわからないノウハウを得ることができる。
ニースからエズ村には路線バスで行くことができるのだが、この路線バスの始発駅であるヴォーバンのバスターミナルにまず行かなければならない。ヴォーバンは学校からは2キロ以上離れたところにある。ヴォーバン始発でエズ村に行くバスは、1時間に1本しかない。エズ村での滞在時間をできるだけ長くとりたかったので、13時半ヴォーバン発のバスに乗ることにした。そのためには、ニースヴィル駅の近くからトラムに乗るよりも、鉄道で一駅のニース・リキエ駅まで行き、そこからヴォーバン・バスターミナルに行くのが一番早い。そのため、学生たちの集合時間をニースヴィル駅に12時45分に設定した。
ヴォーバン・バスターミナルからエズ村までは80番のバスで30分ほどだが、途中から崖沿いの山道となる。ニースのバスの運転は全般的に荒くて、急発進急停車が多い。昨日、グラースで香水アトリエに行った学生たちのなかには、カンヌからグラースへのバスで車酔いした人が何人かいたようだ。バス乗車時に、回数券のカードを人数分、バス内の検札機にかけるのだが、15人分の検札が必要なのに、11人分しか検札されない。フランスの機械にはありがちなトラブルだ。何回やってもダメだった。
「コントロールの連中が来たときに、罰金を取られるのは嫌だ」と言うと、運転手が「おれが証言するから大丈夫」と言うので、11人分だけ検札して乗車した。
南仏のニース近辺には、「鷲の巣村」と呼ばれる急峻な崖山の頂上付近に形成された村や町がいくつもある。ニースとモナコのあいだにあるエズ村は「鷲の巣村」でも最も知られているところで、高所から見下ろす地中海の景観がすばらしい。人気観光スポットで、ニース語学研修旅行では毎回学生たちを連れて行っている場所だ。エズ村に着くと、まずこの村の一番高所にある植物園に向かって登った。植物園に至るまで、急な坂道に沿って石造りの道と家が密集している街の風景が特徴的だ。バス停から植物園までは15分くらい。まず植物園の頂上まで登り、パノラマを楽しみ、1時間後にふもとにあるガリマールの香水工房の前に集合することにした。今回の語学研修旅行は天気に恵まれていて、おそらく滞在中、雨に降られることはないだろう。
植物園のあとは、18世紀から営業を続けるフランス最古の香水工房、ガリマールを、まずフランス語のガイド付きで見学した。ガイドは20分ほどか。前に一度、この香水工房ガイドをお願いしたことがあるが、今回は依頼するときに「ゆっくり、優しいフランス語で」と言ったためか、以前聞いたガイドより内容が薄かったように思う。私が通訳しなくてはならないので、早口で情報量が多いと困るのだが。
香水の香りはnoteと呼ばれる階層で細かく分類されて、そのnotesは大きく、note de tête「トップ・ノート」、note de cœur「中間部のノート」、note de fond「土台のノート」に分類される。香水は三つの段階のnoteを複雑に混交させて作られるとか、香水は原料とその匂いの質によって、花類、樹木類、シダ・コケ類などのfamille「家族」に分類されることとか、香水師養成の学校はフランスにしかないことや、グラースがなぜ香水の首都となっているか、などなど。前に聞いたときは、香水の製造方法についての説明もあったように思った。
日本にはフランスのような香料の分厚い伝統はない。現代の日本ではむしろ無臭が志向されていて、フランスで香水が発達しているのは、フランス人があまり風呂に入らないので、その体臭消しのためだ、というような俗説が流布している。しかしフランスにおける匂いの文化の歴史は長く、その蓄積による技術の高さや哲学は、日本人が思うよりも遙かに深いものである。というようなことは、たぶん9年ぐらい前にこの香水工房のガイドによって知ったものだ。
工房のガイドツアーのあとは、店舗での買い物時間となる。ガイドツアーは買い物の宣伝みたいなもので、予約なしで無料だ。私たちをガイドしてくれた店員は、日本人向けの三つの香水を用意し、プレゼンテーションした。香水は100ミリリットルで65ユーロ前後とかなり高価なものだが、学生のうち何人かは購入したようだ。日本ではフランスのガリマールの香水がどれほど知られているのか知らないが、よい記念にはなるだろう。私は何も買わなかったが。老年おやじに近くなって、ちょっと加齢臭というのが気になっていたので、どうしようか迷ったけど。まあ必要なら、日本でなんか買えばいいか。ここの香水(匂いの持続力が一日)やeau de parfum(匂いの持続力が5時間ぐらい)は、天然素材だけを使った本物だけに高い。フランスはおおむね、高くて素晴らしいものか、安くてひどいものしかない。お買い得品というのが日本よりはるかに薄い国だと思う。30分ほど買い物時間を設定した。
このところ歩いてばかりで疲れがたまっているので、帰りもバスでニースに戻るつもりだった。それが一番安上がりでもある。しかし次のニース行きのバスは5時50分だった。ガリマール香水工房を出たのが5時前だ。9年前にここに来たとき、そのときはAzurlinguaのスタッフが連れてきてくれたのだが、帰りは「ニーチェの小径」という山のなかの道を降りて、ふもとにあるSNCFのエズ駅まで行き、そこから列車に乗ってニースに戻ったことがあった。かなりしんどい山道ハイキングだったが、そのあとは、夜にオペラを見たことも覚えている。Google Mapでは40分で麓に降りることができて、しかも平坦な道とあった。Geminiも「ハイキングコースとしては中級。今の季節で、下りならおすすめです」みたいなことを言っていた。50分、エズ村で無為に時間を潰すより、このニーチェの小径を降りてみることにした。下りだし、ハイキング気分も味わえて、バスで降りるよりもいいのではないかと思ったのだ。
しかし9年前の私は若かったんだなあと思った。昨年9月と10月に普通の道で転倒して、そのせいで肩の痛みがずっと続いているので、転ばないように慎重に降りたのだが、「平坦な道」どころか岩がゴロゴロしているかなりの急斜面を延々と降りなくてはならない。気軽なハイキングコースではまったくなかった。転けないようにゆっくり降りていったが、膝はガクガクで、汗はダラダラ。学生たちは若いだけあって、さっさと降りていった。私がなかなか降りてこないので、戻って私を探しに来てくれた学生もいた。本当にひどい山道だった。またエズに来る機会はあると思うが、《ニーチェの小径》はこれが最後だ。無駄に学生たちを疲れさせてしまった。自分も体力温存しておくべきなのに。エズ駅から鉄道でニースに戻る。
夕食はレンズ豆とにんじんにソーセージ。いかにもフランスの家庭料理らしい料理だ。今夜もとても美味しかった。またついつい食べ過ぎてしまう。
