2026年2月15日(日)第1日
ニースに行くときはいつも22時ごろ成田空港発のエミレーツ航空なのだが、今回は0時05分羽田空港発の便になった。乗客登録なしで事前に座席を確保の上、入金を2ヶ月後ぐらいに設定できる「団体航空券」というカテゴリーの航空券を手配しているのだが、この団体航空券を取り扱う航空会社は少ない。エミレーツ航空での扱いもだんだん制限が厳しくなっていて、今年は復路便については3月2日(月)のチケットしか確保できなかった。
羽田空港第3ターミナルからの出発だった。通常、国際便の場合は出発時刻の3時間前に空港に到着することが推奨されている。ちょっと余裕を見て20時45分を集合時刻とした。今回は参加者の学生の顔と名前はちゃんと憶えたつもりだったのだけど、マスクして、メガネ、そして帽子とか被っていると誰なのか判別し難い女子学生がいた。
昨年は16名の参加学生がいて、現地で全員で動くには少々不便を感じたので、今回は14名にしようと思っていた。円安も進行しているし、物価も上がっている。それに伴いこの旅行の費用も上がったので、14人でも学生を集めるのは難しいかも知れないなと思っていた。まあ少人数になったらなったで、現地で動きやすくなるし、継続的に実施することが重要だと思っていたので、たとえ申し込みが一桁でもやるつもりではいたが。
ところが実際には10月初めに告知して募集をかけると、すぐに問い合わせが数件あり、申し込みの締め切りの3週間ほど前に14名に達してしまった。例年は申込締め切り直前にだだっと申込があり、定員に達するという感じだったのだが。16名申込があった時点で一旦締め切ったが、やはり断るのは忍びなく、ChatGPTに相談してみると、「2名増やして18名になっても、片山さんにはこれまでの経験がありますからなんとかなるはずです」との回答を得て、迷った末、18名にした。
エミレーツ航空のカウンターは出発3時間前の午後9時にはかなり混雑していて、受託手荷物(スーツケース)の預入に長い列ができていた。このチェックインと荷物預けのやり方が航空会社、空港によって異なり、同じ航空会社でも変更があったりするのでいつも戸惑う。これまでは、エミレーツ航空団体のときは事前チェックインせず、直接荷物預かりカウンターに行って、パスポートを提示するやり方だった。スーツケースへの識別用シールもスタッフが貼ってくれる。今回はカウンター前のチェックイン機で各自手続きして、機械からクレームタグのシールと搭乗券を受け取り、自分でクレームタグをスーツケースに付けて、スーツケースをカウンターでドロップオフする手順だった。
飛行機は定刻通りに羽田を出た。離陸してしばらくすると夕食。全部食べた。日本を深夜発で、フランスに行く場合は、とにかく機内でできるだけ寝て、現地到着後は夜まで頑張って起きておくのが、時差ボケ対策としていい。学生たちにも、旅行への高揚感はあるだろうけど、機内で頑張って寝ろ、と言っておいた。
不思議とエコノミー機内での長時間フライトでのしんどさの感覚は忘れてしまうもので、学生たちには「寝ろ寝ろ」と言っていた私も、あの狭い空間ではなかなか寝付けない。それでもうつらうつらという感じで4時間ぐらいは寝られただろうか。熟睡とは程遠い。こういうエコノミー機内のしんどい記憶は不思議と旅行後にはリセットされてしまう。ドバイ到着前にまた飯がでる。
ドバイには予定通りの時間に到着した。次のニース行きの便への乗り継ぎ時間が1時間半とあまり余裕がないので、早歩きで急いで移動したら暑かった。空港でトイレに行く時間は確保できた。ドバイからニースまでは6時間。
肩が痛い。ドバイの乗り継ぎが短くて、痛み止めを飲む時間がなかった。
ドバイ→ニース便は運良く隣が空席だった。これで全然疲れ方が違う。
この6時間のあいだに2食出た。お腹はあまり空いてなかったが、2食完食。エミレーツの機内食はそこそこ美味しい。ニース行きの便でも眠る。2時間ぐらい眠れたか。ドバイ行きの便よりもちゃんと眠れた感じ。
機内で『蒸発』という日本映画を見る。ドキュメンタリー映画だった。フランスおよびカナダのフランス語圏で、日本人の「蒸発」をテーマとする演劇作品や小説が近年、いくつか発表されていて、現地ではそれなりの評価を得ている。私はフランス語圏での「蒸発」テーマの作品にはちょっと注目していて、購入している。この映画の日本公開は未チェックだった。ポレポレ東中野あたりで上映されていそうな感じだが。
監督は二人クレジットされていて、Andreas HartmannとArata Moriとある。欧米で日本人の蒸発が、引きこもり同様、日本社会特有の病理として注目されているのかも知れない。しかし実際には蒸発、行方不明となる人の数は、日本よりフランスの方が多かったように思う。『蒸発』、夜逃げ屋の女性社長のやさぐれ方が、見た目も、喋り方も、いかにもという感じでやさぐれていて、よかった。セリフや演出があったのかと思うくらいハマっている。
蒸発者を受け入れる「優しい町」、西成も取材されていた。芸術活動の社会的包摂ということで西成はNPO団体による住民参加の芸術活動が盛んな地域でもあり、そこで行われているユニークなアマチュア演劇の取材で何回か滞在したことがある。取材では、住民の素性についての質問はご法度あるいは慎重に行うようにと言われた。自分からベラベラ話す人もいたが、その内容は必ずしも本当のことではない、いや本当のことであることが少ないとも。西成はよるべなき人たちのファンタジーによってゆるゆると成り立っている町だ。そこに身を落ち着ける蒸発者の一人は、西成はユートピアと言っていた。
ニース空港へも予定通りに到着。学校の送迎スタッフも顔見知りだ。今回は3台の車に分かれてそれぞれの滞在先に向かった。今回は私を含め、19人が9家庭に分散滞在する。今年は比較的学校に近い家が多いのでよかった。一軒だけ学校から3キロぐらい離れた家だったが。
私の滞在先のArhan家は、退職した老夫婦の家で、ニース駅のすぐ近くにある。学校にも歩いて3分ほどのところだ。二人は再婚夫婦で、一緒になってから15年ほどだと言う。それぞれ前の配偶者とのあいだに子供はいるが、子供は成人して独立したり、前の配偶者と一緒に暮らしたりしているそうだ。ニースの出身ではなく、夫のYanicさんはブルターニュ出身、妻のMurielさんはパ・ド・カレ県の出身で、二人とも仕事でニースに来て知り合ったとか。
今回は忘れ物は大丈夫かなと思ったが、やはりしていた。肩の痛みで大量に処方してもらった湿布薬の大半を家に置いたままだ。フランスには湿布薬みたいなものは売っていない。湿布があったところで気休めみたいなもんなので、まあいいか。どこで何をするにせよ、忘れ物がないというのが、私には極めて稀だ。
到着日の今日は、学生たちには学校までの道筋を確認がてら、夕食まで街を散策することを勧めている。学生たちのうち、二組四名とは駅で待ち合わせをしてカンヌに行った。カンヌでモンテカルロ・バレエ団による『シンデレラ』の公演があり、それを一緒に見に行ったのだ。
このカンヌの公演は、到着当日だったので、行くかどうかはとても迷った。長距離の移動のあとで疲労がひどいかもしれないし、また到着初日はけっこうトラブルが多くて、その対応に追われることもけっこうあったからだ。バレエ好きで、現地でバレエ公演があるならぜひ見てみたいという学生がいて、どうしようか迷った。私も見てみたいと思った。しかし到着当日に、全員をカンヌに連れて行くことは難しいだろう。どうしようか散々迷ったすえ、とりあえずチケットは予約し、到着当日、特にひどい疲労やトラブルがなさそうなら、バレエ好きの学生とその学生の同室の人を誘ってカンヌに行こうと思った。
私は研修旅行のコーディネーターでもあり、教員でもあるので、一部の学生だけを優遇するようなことはあってはならないとは思っているのだが、演劇・舞台芸術研究をしている私が見に行きたいと思ったし、バレエに強い関心を持っている学生にフランスで舞台を見せたいと思ったのだ。他の学生にも行きたかった人はいたかもしれない。他の学生については別のことで埋め合わせをしたい。
16時過ぎにニースを出る列車にのって、カンヌ着は16時45分ぐらいだった。カンヌ映画祭の会場であり、今夜のバレエ公演の会場でもあるパレ・デ・フェスティヴァルの周囲をぶらぶら歩いたあと、会場に入った。パレ・デ・フェスティヴァルのなかに入ったのはこれが初めてだ。
モンテカルロ・バレエ団の上演演目は、『シンデレラ』だった。音楽はプロコフィエフがバレエ音楽として作曲したもの。振付はJean-Christophe Maillot。このプロダクションの初演は1999年。三幕構成で上演時間は約2時間。私はバレエの公演は2年に一回ぐらいしか見てないが、パリのオペラ・バスティーユで見たバランシン振付の『夏の夜の夢』は私の見た舞台作品の中でも生涯ベスト10に入る印象的なものだったし、一時期、バレエ・リュスについて調べていたこともあった。
マイヨ振付のモンテカルロ・バレエの演出は、私からすると保守的でクラシックなスタイルの舞台に思えたのだけど、バレエ好きの二人の学生からすると「自分たちが考えるバレエとは違った」ということだった。実際に踊っている人と私では同じ作品でも見る視点が異なるということだ。この公演は値段も安かった。30ユーロくらい。生オケでなく録音の音楽だったからか。カンヌ映画祭のメイン会場であるパレ・デ・フェスティバルのなかに入ることができたのはちょっと嬉しい。いつもは外から建物の外側とレッドカーペットの階段しか見たことがなかったので。収容人数は2000人くらいか。
20時過ぎに公演終了。とりあえずはニースに戻って、ニース駅近くでサッと夕飯を取ることにした。カンヌの駅のホームで、往復の小グループ切符を買ったのに、それを紛失していたことに気付く。ズボンの後ろポケットに入れていたのに。検札に引っかかれば高額の罰金を取られてしまうので、大慌てで帰りの切符を買う。47ユーロ。クラクラする。自分の間抜けのせいだが。
ニースには21時過ぎに到着。案外日曜夜のニースは店がやってない。駅のすぐそばにあるハンバーガーショップで遅い夕食。高かった(15ユーロくらい)けど美味しかった。ちょっと気になる場所に滞在している学生2人を家まで送る。やはり夜はちょっとワイルドな場所だった。若い女性二人で夜遅く歩くのはちょっと勇気がいるかなあと。ただこのあたりはアフリカなどのエスニック料理の名店がいくつかある地域でもある。
自分の家に戻ったのが22時過ぎ。今回は初日、トラブルなく無事に終わったとホッとしていたら、そんなことはなかった。カンヌに一緒に行ったもう一方の女子学生二人組のひとりから電話が入って、家に入ろうとしたけれど、どうしても鍵が開かないという。
こちらの二人の滞在先は、老婦人ひとりの家で、場所はブルジョワ的なシックな建物が建ち並ぶところなので、問題はないだろうと思っていた。フランスの家のドアで鍵が開かないというのはちょくちょくあることだ。日本の家の鍵と仕組みが違って、ちょっとコツがいることがある。電話があったときはその類いだと思って、「こうやってみな」と指示を出したのだが、どうやってもうまくいかないし、家に居るはずの大家に電話をかけても、ドアチャイムを鳴らしても、ドアをノックしても、返事がないという。私も大家に電話したが、留守番電話になっていて、「今は電話に出られない」と言う。
彼女たちの滞在先は、私の滞在先から数百メートルの距離だったので、そこまで行くことにした。私が現地に到着したのが22時半頃か。私も鍵を回してみるが、カチャッという音がして、鍵がうまくはまった感じはあるのだけど、ドアはどうやっても開かない。私が試したようなことは彼女たちもすでに散々やっていた。チャイムもノックも返事がない。これは最悪、近所にある安ホテルに今晩、彼女たちを泊まらせるしかないかなと思った。
語学学校の送迎担当者に電話する。彼も最初のうちは、われわれが不器用で悪いやり方で鍵を回しているのだろうと疑っていたようだが、埒があかない。彼もそちらにやって来ることになった。そして現地でノックや、チャイムや、電話やらやってみたけれど、返事がない。彼女たちのために、今晩、ホテルの部屋を至急用意してくれと言ったのだが、「いや、もう少しやらせてくれ」と言って、30分ぐらいそんなことを続けただろうか。それでようやく彼も諦めた。
学校の校長に連絡して、結局、学校のある建物のなかにある「レジダンス」(寮のようなものか?)の一室に彼女たちを今晩は泊めることになった。すでに深夜11時半である。彼女たちは滞在先にスーツケースを置き、そのあとすぐ、カンヌに行ったので、着替えもなく、着の身着のままという感じだ。レジダンスの部屋があったのならさっさと用意しろよ、と心の中で思う。結局、大家の老婦人とは連絡がとれないままだ。
こちらの学生より老婦人のことが心配だとか言っているので、「救急車とか呼んだらどうだ?」と聞くと、「いや、深く眠っているだけかもしれないので、今夜は様子見するしかない」とか言う。学生たちは水と携帯電話の充電のためのケーブルがとりあえず必要だと言うので、私はいったん自分の滞在先にもどって余分なケーブルと電源を持ってきた。
水に関しては、フランスにはあいにくコンビニという便利なものが存在しない。しかし「レジダンス」から50メートルほどのところに、朝まで開いているエピスリー(小型食料品屋)があるのがGoogleマップでわかった。なんか柄の悪そうな若者たちが店の前でたむろっていたが、その店で水を買って、彼女たちの今晩の宿、「レジダンス」まで充電用ケーブルと電源とともに届けた。
彼女たちにとっては、ニース初日がいったい何というひどい夜になってしまったことだろう。着替えもないので、そのまま寝るしかない。私は彼女たちに翌日の朝食代として、20ユーロを渡して、帰宅した。深夜0時半になっていたと思う。







