2026年2月24日火曜日

ニース研修春2026 第9日目

 

2026年2月23日(月)第9日

語学研修が第二週目に入った。今日は遠足の予定がない日で、午前中の授業の後はフリーになっている。学生の一部は授業後にグラースに香水作りのアトリエに参加するとのことだった。ちょっと心配だったけれど、自主的に自分たちで企画して、実行するというチャレンジは悪いことではない。行程の連絡と帰着後の報告をするように念押しして、許可した。
私は午前中は滞在先の家で、韓国語のZoomレッスンを受けた。始めて3ヶ月になるが、自分が思っていたよりも単語などが覚えられなくて、すごく上達した感じはない。昨年の7月からDuolingoで韓国語の勉強を始めていたのだが、4ヶ月やってもまったく上達した感じがないので、知り合いのつてでソウル在住の韓国人の先生を紹介してもらい、1回80分、週1で教えてもらっている。ハングルは一応読めるようになったが、すらすらは読めない。これがネックになっているように思う。ただ自分が新しい言語を学ぶことで、自分のフランス語教授法の課題も見えてきた。韓国語レッスンはZoomの個人レッスンなので、先生はとても丁寧に反復練習につきあってくれる。自分のクラスの授業ではここまで丁寧に指導はできないが、参考になることは多い。
昼休みの時間に学校に行き、学生と外食したときの未回収の食事代を受け取る。今日の夜は、7年前から毎年学生を預かってもらっているイザベルさんの家の誕生パーティに招かれている。そのプレゼント用のチョコレートとワインを旧市街で午後に買おうと思っていた。それでチョコとワインの購入に興味がある人は一緒に来ていいよ、と呼びかけたら数人の学生が一緒に行くことになった。

昼ご飯は先日行ったアジアン料理屋の日本人店員がニースで一番人気のフォーの店、と言っていたベトナム料理屋に行くことにした。外からは店のなかの様子がうかがいにくい、ちょっと入るのに躊躇する店だったが、ガラッと扉をあけて中に入る。店内には5つほどテーブルがあったがほぼ満席だった。丸テーブルが空いていて、そこに私のあとにやってきた若い中国人カップルと相席で座ることに。このカップルとはテーブルに案内される前に入り口で言葉を交わしていたのだが、実に感じのいい人だった。エンジニアとしての勉強をするために、3ヶ月前からニースにいるという。フランス語はあまり得意でないようだったので、片言の英語、ときおりフランス語で会話をした。


私たち3人が同じ丸テーブルで食事をしていると、さらにあとから中国人の中年女性が店に入ってきて、彼女ともテーブルをともにすることに。丸テーブルが見知らぬアジア人に占拠されることになった。中国人カップルは中国の南の地方の出身で広東語が第一言語だという。二人のあいだでは広東語の会話がなされていた。あとからやって来た中国人婦人は二人とは知り合いではないらしい。彼女は北京語しか話さない。中国人カップルの男性が中国人婦人のことばをたびたび仏語まじりの英語で翻訳して、私に伝えた。何を注文したとか、日本のどこに行ったことがあるとか、たわいのない会話だ。
日本人と中国人のメンタリティや物事の認識の傾向にどれくらい共通するところがあるのかよくわからないけれど、フランスにいると、同じ東アジアのマイノリティというだけで何となく安心感を持つことができる。私はパリに滞在するときは、好んで13区の中華街に宿を取るが、東アジア系の人が周りにいるとなんとなく安心感があるし、実際、フランスで感じの悪い中国人と出会ったことはない。パリに留学中は、中華料理屋や中華スーパーに食生活のうえで散々世話になったので、私に限らず、パリ留学した日本人留学生は中国人に足を向けて寝ることはできないはずだ。孤独な留学生活で、食生活は精神の安定のうえできわめて重要だ。それにしても今日の中国人カップルは片言の英語での会話とはいえ、実に気持ちのいい人たちであった。


昼食後、学校に戻り、3人の女子学生と旧市街に向かう。最初にチョコなどの買い物をしようと思ったが、毎週月曜日にサレヤ広場で開催されている蚤の市に先に行くことにした。フランス語では、蚤の市はmarché aux pucesもしくはbrocanteと言う。サレヤ市場は火曜日から日曜日は花と食料品屋が並ぶマルシェなのだが、月曜だけは骨董や雑貨、食器などが並ぶ古物市なのだ。私は何も買う予定はないのだけど、グラースでの香水アトリエに参加している学生から、「卵立てがあったら写真送ってください」とメッセージが入り、卵立てを探しているうちに見て回るのが面白くなった。やはりなにか目当ての品物があると、こういう古物市は楽しめるのだろう。古着や絵画、アクセサリーなどいろいろなものが売っていたが、とりわけ目についたのは食器類だ。19世紀の有名なメーカーの銀製のスプーン、フォークなど一式は、ぎょっとするような値段がついていた。



ジェラートが食べたくてしかたなかったので、先週火曜日の学校主催の市内ツアーでガイド役のクロエが推薦していた聖ルパラート大聖堂の広場のジェラート屋に向かったが月曜が休日だった。旧市街にある地元ワインのベレを扱っている酒屋も月曜休業。結局、旧市街を抜けたところにあるチョコレート屋で、小型チョコレートの詰め合わせをイザベルさんの誕生日用に買った。


そのチョコレート屋のそばに、La Sorbonneという品揃えがいい書店があるので、学生たちを案内する。日本の作家コーナーのそばで学生たちが、若いフランス人女性に話しかけられていていったいどうしたんだと思ったら、その女性はニース大学で文学を専攻している学生だった。英文学専攻だが、日本人作家の小説も読んでいて、特に村上春樹の作品のファンとのこと。穏やかで感じのいい女性だった。10分ほど立ち話をする。ニースでは人なつっこい、好奇心旺盛な人とちょくちょく出くわす。南仏っぽいなと思う。パリではこういうことはほぼないように思う。
本屋を出た後、学生たちと別れ、Monoprixで靴下とヘアスプレー、お菓子を購入して、一度、自分の滞在先に戻る。なんのかんので今日も長距離歩いてしまった。昨夜は韓国語の授業の準備もあったので寝不足だ。昨日、一昨日の遠足での長時間歩行もけっこうダメージが残っている。疲れた。
けど18時半に家を出て、イザベルさんのところへ。イザベルさんに私の研修の学生をはじめて預けたのは7年前だ。それ以来、ずっと継続的に、私の学生の受入をお願いしている。イザベルさんとその夫のフランソワは、本当にニースの下町のおばちゃん、おっさんという感じで、誠実で、開けっぴろげで、裏表がない。善良さのかたまりみたいな人で、安心して学生を預けることができる。毎年お世話になっていて、しかも滞在中にイザベルさんの誕生日なので、数年前から誕生日にチョコレートの贈り物をしていた。一昨年、彼女の誕生日に招待されたのだが、そのときは私の体調が悪くて招待を受けることができなかった。昨年は、マントンの遠足に、イザベルさんが参加した。そして今年、ようやく彼女の家に行くことになった。



偶然、イザベルさんの住んでいる建物には、2014年の夏に知り合った眼鏡屋で働くスタイリストのイザベルも住んでいる。どっちもイザベルという名前のためややこしいが、ホストマザーのイザベルは何年か前まで保育ママをやっていて、スタイリストのイザベルは娘を前者のイザベルに預けていたことがあったのだった。今日の誕生パーティにはスタイリスト・イザベルも招待されていた。他は近所に住むイザベル夫妻の友だちが3人来ていた。そのうちの一人、84歳のおばあさんの作ったタマネギ、アンチョビ、オリーブのピザ、ピサラディエールがとても美味しかった。ピサラディエールはニースのローカルフードの代表で、私はニースに来るたびに1回は食べているのだけれど、そんなに美味しいと思ったことはなかったが、今日のピサラディエールは、タマネギの甘みとアンチョビの苦みと塩気のハーモニーが絶妙で、4枚も食べてしまった。
イザベルさん、フランソワさんともほんとにかしましい。賑やかで陽気な食卓だった。今回の学生二人はおとなしめの女の子なのだけど、このかしましい家庭にもなじんできているようで安心した。イザベルさんが、「あいりは、このころ、フランス語でよくしゃべるようになった」と言うので、「フランスに段々慣れてきて安心したからでしょう」と応えたら、「いや、フランスじゃなくて、私に慣れてきたんだよ」と言うので笑った。確かにそうかもしれない。午後9時過ぎにイザベルさん宅を出た。楽しい晩餐だった。
一週間過ぎて、自分もようやくニースに馴染んできた感じがしたような日だった。

2026年2月23日月曜日

ニース研修2026春 第8日

 

2026年2月22日(日)第8日

モナコへの日帰り遠足の日だ。体調を崩した学生に朝がた電話をして様子を聞く。Gemini先生の助言では、「せっかくのモナコ、行きたい気持ちは痛いほど分かる。でも、君の検査数値はまだ体が戦っていることを示しているんだ。ここで無理をして帰国まで寝込むより、明日一日プロのように完璧に休んで、月曜日からまたみんなと笑って過ごそう。それが今の君のミッションだ」というものだった。Geminiはかなりの慎重派なのだ。しかし一応、回復しているのに、昨日、今日と、他の学生たちは出かけているのに、ずっと家に閉じこもっておくというのもさぞかしつらいはずだ。熱もないし、電話の様子でも元気そうにしていたので、結局、モナコ遠足への参加を許可した。
ニース駅への集合は午前10時と遅めにした。10時22分ニース発の列車に乗ったが、列車は大混雑だった。マントンのレモン祭の昼のパレードもそういえば今日だった。モナコにはこの研修では毎回必ず訪問しているのだけど、駅の出口がいまだによくわからない。昨年は変な出口から出てしまったため、最初の目的地である大公宮殿に行くまでに大幅な遠回りをするはめになり、大公宮殿前広場に着いたときには疲れ切っていた。今年もどの出口から出るのがいいのかわからない。選んだ出口は駅の北側の高台に出るもので、やはり間違っていたが、下り道で大公宮殿に向かう坂道にたどり着けたので疲労はそれほどでもなかった。
大公宮殿前広場に到着したのが午前11時半頃。確か正午に衛兵交替のセレモニーが宮殿前で行われていたことをなんとなく覚えていた。前に一度だけ、その時間に宮殿前にいたことがある。様式感のある、演劇的なセレモニーだったことを記憶している。宮殿入り口前には、その衛兵交替を見たい人たちの人垣ができていた。われわれもそれに加わり、衛兵交替のセレモニーを見物することにした。正午5分ほど前に、セレモニー開始。四角張った動作で、衛兵達は動き、あいさつ(?)を交わす。茶番じみた見世物のような儀式は、15分ほどだったと思う。


たかが持ち場の交替を、このように儀式化・演劇化しなくてはならなかった理由は何だろうと思う。今はある種の観光客向けのパフォーマンスとなっているが、もともとは観光客向けのスペクタクルとして演劇的な様式で行われたのではないはずだ。王権、領主権を可視化させて、国民に誇示する、という目的があったのか?しかしこの儀式は、国民向けに見せるものとしてあったわけでもないように思う。



眺望の良い大公宮殿前広場に、衛兵交替のあと20分ぐらいいて、写真撮影時間とした。その後、旧市街を抜け、大聖堂前まで移動。1時間の自由時間とし、この間に旧市街の売店でサンドイッチなどを買って、食事をとっておくように伝えた。私はケバブのサンドイッチといちごなど数種の果物のシロップ漬けを購入。ケバブサンドはまあまあ、しかしこれはアラブ人、トルコ人系の人が作るケバブではなく、迫力に乏しいものだった。果物は甘みがなくて美味しくなかったので、全部食べなかった。
休憩時間後は、エキゾチック植物園のなかの道を通って、モナコ海洋博物館へ。ここは学生料金が設定されていて、一般料金よりかなり安い。昨年はチケットを買うときに、「学生証を出せ」と言われたので、学生たちから日本の大学の学生証を集めてそれを見せたのだが、「中国語で書いてあるものを見せられても困る」「そもそもこれが有効な学生証かどうかわからない」とかいろいろいちゃもんをつけられたのを、なんとか「お願いします、日本からはるばるやって来たのですから」と粘って学生料金にしてもらった。今回もそういった対応を予想して若干緊張していたのだが、学生の名前と生年月日、年齢を一覧にしたリストを見せると、あっさり学生料金適用にしてくれた。このリスト作成は、アンティーブのピカソ美術館に団体予約したときに求められたものなのだが、他のケースでも役立つかもしれないと思い、何枚か印刷しておいたのだ。それが役に立った。また昨日のピカソ美術館同様、チケットの担当者がゆるい人で助かった。フランスはこういうとき、本当に人次第で対応が変わる。


海洋博物館は地下1階が水族館、上階が海洋についての映像と展示となっている。屋上にテラスあり。ミュージアムショップには可愛らしいデザインのものがそろっている。南仏観光といえば、モナコは外せないし、モナコ観光のコースは、大公宮殿、旧市街、大聖堂、海洋博物館、モンテカルロという流れなので、私はもう10回以上、海洋博物館に来ている。展示には毎年若干の変化はあるものの、新鮮味はまったくない。昨年はチケット購入で交渉が必要だったのに加え、館内の混雑も相当なものだった。今回は人が例年に比べると少なかったので落ち着いて、見学することができた。海洋博物館で90分弱、滞在する。


海洋博物館のあとは、一度港まで降りて、それからモンテカルロの丘に登ることになる。歩行時間は30分ほどだが、港からモンテカルロへの上り坂がけっこうしんどい。港からモンテカルロまでの公共エレベーターがあって、かつて一度それを利用して上ったことがあるのだけど、その場所が定かでない。今回、エレベーターの場所を探して利用しようと思ったが、Googleマップを頼りにモンテカルロに向かっていると、通常の坂道登山になってしまった。
モンテカルロのカジノ・歌劇場は、外壁工事中だった。せっかくここまで上ってきたのに中を見ることができないのかとがっくりしたが、建物の入り口の守衛さんに聞くと、中には入れるという。カジノの入り口前のホールに20分ほど滞在する。それからカジノの建物の裏手にあるF1コースのヘアピンカーブを見て、駅に向かった。



モンテカルロには10回以上来ているくせに、道をちゃんと覚えていない。駅の入り口が何箇所かあって、どの出口がどこに出るのか把握できていない。Google Mapに従って、駅に向かったが、このルートは無駄に上り坂を上るもので、足が疲れてしまった。「あ、これ、違うわ」と思ったときには遅い。モンテカルロに来るのに上ってきた坂道を下ったところに、駅に向かう長いトンネルがあったことを、途中で思い出したがもう遅い。
帰りの列車もけっこう混んでいて座ることはできなかった。学生たちも昨日に引き続き、今日も歩き回ったので、かなり疲れている様子だ。病み上がりの学生も、Geminiがあんなに警告していたのに、上り下りの道を長距離歩かせてしまった。
私の滞在先の家の夕食が異常に美味しい。美味しすぎる。今夜はスケソウダラ(lieu noir)の紙包み焼き(papillote)だった。キヌア(quinoa)という南米の穀物と、カリフラワー、あともう一つ、野菜が添えられている。香草とオリーブオイルのソースが絶品だ。毎晩、こんなご飯を作っているというのは、驚くべきことだ。料理はいわゆる家庭料理が主だが、その技術はプロ並みではないか。


こんなに美味しい料理が家で食べられるので、夜の外食はあまりしたくない。しかしいろいろ外出の予定があって、この美味しい家飯が食べられるのは、あと火曜、土曜、日曜の三日間だけだ。外食も、実はまだ行きたいレストランはいくつかある。西アフリカ料理の店、ニース料理の店、クスクスの店、レユニオン料理の店など。昼食時にいくつかは行っておきたい。せっかくニースにいるのだから、ニース料理の店が最優先か。しかし私の行きたい店は小さな店で、人気店なので果たして予約がとれるかどうか。電話での予約となるのもちょっと気が重い。

2026年2月22日日曜日

ニース研修2026春第7日目

 

2026年2月21日(土)第7日

午前6時45分起床。体調を崩した学生を朝一番で診療所に連れて行くか、アンティーブへの遠足を早めに切り上げニースに戻ってから診療所に連れて行くのか、迷う。朝、診療所に行った場合、診療所Doc Med 7/7が混んでいたりすると、予定通りアンティーブに遠足に行けなくなるかもしれない。午前10時半にアンティーブのピカソ美術館に団体予約していて、このピカソ美術館のスタッフが昨年、けっこう手続き面でうるさかったのだ。だから時間に遅れたり、キャンセルとかになるとまた一手間かかるかもしれない。私が病気学生についてニースにとどまり、他の学生は私なしにアンティーブに行かせるというのはちょっと無理そうだ。

かといって体調の悪い学生を夕方まで自宅待機させるというのも不安だ。万一、その間に体調が悪化したら後悔することになる、とか考えてしまう。

毎日休みなしで開いているクリニック、Doc Med 7/7の開業時間は、ウェブページを見ると午前8時だった。アンティーブ行きのためのニース駅の集合時刻は9時10分に設定していた。結局、病気学生のことを気にしつつアンティーブに私が行くよりも、たとえピカソ美術館の予約時間や予約していた昼食のレストランに遅れることになっても、朝のうちに学生に診察を受けさせることを優先すべきだと考えた。

電話すると、体調不良の学生は昨夜下痢が二回あったとのこと。ウィルス性胃腸炎の可能性もあるなと考えた。ただ熱はなく、しんどさはないとのことだった。彼は昨日、マントンの遠足のあと、夕方から夜にかけて海岸での「夕陽を見る会」にも参加している。昨日夕方のうちに、検査結果を解読して、医者に連れていけばよかったと後悔する。彼には診察時間の10分前に、Doc Med 7/7の前に来るように言った。


私は7時45分ごろにDoc Med 7/7に到着。私および彼の滞在先から歩いて5分のところにこういう医療機関があるのはありがたい。私たちの前には小さな子供連れの母親がいた。私たちは二番目だ。8時ちょうどに診療所に入り、8時30分に診察を受けた。最初は前回の診察とは違う医師だったが、運良く、前回診察をしてくれた医師が出勤して、途中から彼と交替になった。ラボの血液検査の結果や、昨日以降の経過を確認した医師の結論は、急性胃腸炎とのことだった。Geminiが脅かしていた炎症を示すCRPの数値は特に重大なものではないとのこと。とりあえずホッとした。ビタミン剤と下痢止めを処方された。

診察が終わった後、トラムのニース駅のすぐ側にある24時間365日営業の薬局に行き、薬を購入。そのあと、学生の滞在先に戻った。滞在先にはマダムがいた。状況を説明すると、こうしたことには慣れているので心配するな、とのこと。そのあと「学校には連絡、相談しないのか?」と聞く。この手の対応で、学校のスタッフがなんか有効な手助けをしてくれることはほぼ期待できない。過去の経験からして、期待したところで無駄。「報告したところでどういう意味があるんだ?」と言うと、マダムは「こちらは学校との契約で子供を預かっているので学校に病気の学生が出たことは伝えなくてはならない」と言うので、「あなたが伝えたければ伝えればいい」と言った。

こういう責任を問われかねないような状況での、フランス人のドライな対応、ある種の強固な自己防衛反応は、私は慣れっこだ。またこういうことがあるので、根っこの部分で、フランス人は信用できないと思っている。トラブルが起こって、ヤバそうだと、逃げる。もちろん日本人でもそういう人はあまたいるが、フランス人は日本人以上に露骨にそうで、個人的関係のみならず、職業的関係においても、私からみると責任回避の「投げ出し」に近いことをやる場合が多い。

学生は一見、回復したようには見えるが、少なくとも今日は、アンティーブ遠足と夕方からのオペラは諦めて、家で休むように伝えた。




予定の集合時刻9時10分より、20分ほど遅れて集合場所のニース駅に着いた。ピカソ美術館の入場予約には間に合った。美術館開場すぐだったらしく、館内に鑑賞者は少なく、ゆったりと作品を見ることができた。また団体予約で昨年はえらく理不尽で面倒なことを要求されて辟易したのだが、今回の受付の人は、予約したことを伝えるとあっさり学生を入場させてくれて、拍子抜けした。こういうのは、フランスでは本当に人次第だ。美術館の滞在時間を1時間取った。そのあと、美術館の近くにあるアンティーブのマルシェに学生たちを案内する。アンティーブのマルシェはその規模と活気で名高い。12時から2時間の自由時間として、私は3人の女子学生と昨日予約した海岸沿いのレバノン料理屋で昼食を取った。



レバノン料理はニースで2回食べたことがある。野菜が多い、ヘルシーでかつ日本人の口に合う美味しい料理だった。ニースのレバノン料理屋は大衆的で値段もひとりあたり20ユーロから30ユーロのあいだだったと思うのだが、アンティーブのこの店はちょっとシックで、一人あたり飲み物込みで40ユーロを超えた。高い。日本円に換算すると、なんて贅沢なランチだと思ってしまう。ただ料理は非常に美味しかったし、店の雰囲気もよかった。

レバノン料理については、料理名をほぼ知らないので、ウェイターに「いかにもレバノン料理っていう定番もの、おすすめを一通り食べたい」とリクエストしたら、ベジタリアンメニューである前菜の盛り合わせ二人前、肉串焼きを二人前頼むといい、とアドバイスされ、実際、このアドバイスは的確だった。フランス料理では、料理を多人数で分け合って食べたりはしないが、レバノン料理は前菜とメインがどかっと一度にテーブルに並び、それを取り分けて食べるスタイルだ。前菜の野菜料理はいったい何皿ぐらいあっただろう?壮観だった。私は普段野菜は好んで食べないのだが、茄子やトマトやひよこ豆などさまざまな野菜を使ったレバノン料理の前菜はどれも美味しかった。野菜不足になりがちなフランスで、これだけ多くの野菜を食べられるのはありがたい。串焼きの肉は、羊ミンチ、鶏肉、牛肉の三種だったが、いずれもしっかり味がついて、肉の旨みもある。値段は高いなとは思ったけれど、食事の内容としては大満足できた。

昼食を取ると90分ぐらいたってしまっていた。海岸沿いの道を集合場所まで歩く。再集合したあとは、海辺の堤防の先に設置された、スペインの現代彫刻家、ジャウメ・プレンサによるモニュメント《放浪者》を見に行った。プレンサはニースのマセナ広場のモニュメント《五大陸》の作者でもある。《放浪者》は、白いアルファベット文字で組み合わされた高さ6メートルほどの像で、膝を抱えて海の彼方を眺めている。中は空洞になっていた。


プレンサの《放浪者》に行ったのが、午後3時過ぎ。夜は18時からニース・オペラ座でクラシックのコンサートに行くことになっていた。それにはまだ間がある。

プレンサの像がある場所から港をはさんだ向こう側に、17世紀フランスの天才築城家、ヴォーバンが設計した《四角い要塞》が見える。アンティーブにはニース語学研修旅行のたびに来ているのだが、あの要塞のところまで行ったことはなかった。すぐそばにあるように見えるのだが、Googleマップでは徒歩40分とあった。時間的に微妙だが、この機会に要塞まで行ってみることにした。


しかしこれがなかなかきつくて、長い道のりだった。天気は快晴で、海と空のブルーは美しく、奥にあるアルプス山脈の白さと対比をなしている。絶景であったが、暑かったし、40分というのは思っていた以上に長距離で、要塞の入り口に着いた時にはヘトヘトになった。そして要塞に入ろうとしたら、受付で「今要塞内は定員で一杯なので、18人の団体が入場することは不可能だ」と言う。中に入る人数が決まっているらしいのだ。なんで?と思う。要塞って広そうなのに。「日本からわざわざ来たので、なんとかして欲しい」と粘ったが、結局ダメだった。アンティーブの駅までまた40分かけて戻る。

ニースに着くと、5時15分前くらいで、オペラ座でのコンサート開始まで余裕がない。5時半にオペラ座前に集合とした。ジェラートが食べたいという女子学生がいた。私ものどが渇いたし、ジェラートを食べたかった。トラムに乗って、旧市街に行き、ジェラートを食べながら、オペラ座まで行こうとしたのだが、カーニバルの夜のパレードのため、旧市街の入り口までトラムが行かない。マセナ広場の前で降ろされてしまった。このため、結局、ジェラートを買って、食べる時間はなくなってしまった。

オペラ座のコンサートのプログラムは、ハチャトリアンの《ヴァイオリン協奏曲ニ短調》とショスタコーヴィチの《交響曲第5番ニ短調》。学生たちは最上階の天井桟敷の席。見下ろすような高い場所だが、舞台はよく見えたと思う。私はけっこういい席を買ったつもりが、舞台から見て左側のボックス席の後列で、舞台の上手1/3は見えなかった。オペラでなく、コンサートだったので、舞台全体が見えなくても、問題はないが。



ハチャトリアンのヴァイオリン協奏曲は、とらえどころがないし、ソリストの演奏も音量が小さくてパンチが弱いような気がして、ちょっとうつらうつらしてしまった。休憩後のショスタコーヴィチの交響曲は私は好物の部類で、とりわけ最終楽章のダイナミックな盛り上がりには気分が高揚した。


コンサート終了後、オペラ座前で集合写真を撮ったあと、解散。私は昼はかなりしっかり食べたので、夜はコンサート終了後、さらっとケバブでも食べて帰るつもりだったが、昼がサンドイッチだけと軽かった学生が多かったみたいだ。昨日、家の場所を確認したカーボベルデ人家庭の学生もお腹が空いたと言っている。彼らは家では四旬節メニューでちょっと可哀想である。帰り道に、私が毎年行っているクスクス屋がある。昼にあんなに食べたにもかかわらず、あのクスクスなら食べられそうな気がして、その四旬節学生に「クスクスを食べに行かないか?」と声をかけると「行く!」という。さらに病気で自宅待機の学生と同室の学生も同方向だったので、クスクスに誘い、男5人でクスクス屋に行った。幸い空いていた。

Le Bédouin chez Michelという店だ。ここにはニースに来るたびに来ている。フロアを取り仕切るおじさんが冗談好きで面白い。彼がMichelかと思えば、Michelは店のオーナーの名前で、おじさんの名前は別だった。何と言う名前か忘れてしまったが。この7〜8年、私は毎年、学生を連れてきているので、おじさんはさすがに私のことは覚えていた。相変わらず、冗談ばっかりだ。客あしらいがうまい。


そしてこの店のクスクスも絶品だ。ボリュームたっぷりで、ダイナミック。まさにこれぞクスクスと私が思うクスクスを出してくれる。というかこの店のクスクスが私のクスクスの基準になっているのかもしれない。スムール(クスクスの粒)とスープはお代わり自由だ。野菜がたっぷり入ったスープが、クスクスと絶妙に合っている。そして副菜となっている羊肉、鶏肉、ミートボール、メルゲーズ(羊肉のピリ辛ソーセージ)もシンプルな調理ながら美味しい。値段も25ユーロ前後で、フランスの外食としては安い部類だ。

一年ぶりのLe Bédouinのクスクスはやはり美味しかった。学生たちも満足したようだった。おじさんもその様子をみて大満足の様子だった。

ニース研修2026春第6日

2026年2月20日(金)第6日

朝6時半に起床した。昨日倒れた学生をラボまで同伴するためだ。幸いその学生の滞在先は、私の滞在先から数百メートルの距離だ。7時15分に学生の滞在先へ。症状を聞くと、昨夜下痢があったそうだが、熱は下がっていて、吐き気もないとのことだった。採血をするラボもすぐ近くにあった。7時30分にラボの受付をすませると、すぐに呼び出しがあって7時45分には採血を終えてラボを出た。血液検査の結果は午後にメールで届くという。ラボのスタッフも親切で優しい。

フランスは全般的にサービス業に携わる人のクオリティが日本よりはるかに低いのだが(無能、無気力、無愛想)、これまでの私の経験では、医師や薬剤師など医療従事者で嫌な人に会ったことはない。ここもそうだった。
学生には今日の午前中の授業は出なくていい、午後の遠足も行かなくていい、家で寝ていろと伝えた。私はそのあと、自分の家に戻り、朝食を取った。韓国語のDuolingoや週末の予定を考えているうちに、午前中が過ぎる。正午前に、病気の学生に電話すると、もう大丈夫そうなので午後のマントンへの遠足には行ってみたいと言う。食欲もあるとのこと。とりあえず会って一緒に食事を取り、様子を確かめることにした。
ニース駅で待ち合わせして会ってみると、顔色は悪くないし、回復しているように見えた。とはいえ、一昨日に嘔吐、昨夜は下痢があったということで、お腹に負担がかからないものを食べた方がいい。朝はバナナを食べたと言っていた。Geminiに「ニース駅周辺で、お腹にやさしいランチを取れる店」を尋ねたところ、駅前にある中華・和食・ベトナムなどのアジア料理を出すレストランを薦めてきたのでそこにした。道をはさんで駅の向かいにある店だが、これまで入ったことがない。



ガラスの覆いのあるカウンターに様々な惣菜が並んでいて、注文するとそこから料理を取って皿に入れて、温めて出してくれるタイプの「簡易」中華レストランだ。ここは中華惣菜のほかに、寿司もある。カウンターで私たちを迎えた男性店員は東アジアの人だった。フランス語で「日本人なんです」と言うと、ニコッと感じよく笑って、奥に人を呼びに行った。するとなんと出てきたのは日本人女性スタッフだった。話を聞くと、ここは中国人の家族経営の店で、自分は数年前から働いている。夫がフランス人で、カナダのモントリオールでワーキングホリデーで滞在していたときに知り合い、結婚し、最初はリヨン、それからニースに移り、住んでいるとのことだった。まさかフランスのニースの、中華系ファストフード・レストランで、日本語が通じるとは!
私は酢豚丼、学生はカツカレーを頼んだ。カツカレーは日本のカツカレーとはかなり雰囲気は違うが、美味しいと言っていた。酢豚丼は見た目はそっけないが、普通にいける。ご飯の量が多い。店員は、日本人女性スタッフをはじめ、みなニコッと笑ってくれて感じが良く、安心できる雰囲気だ。店も広々していて、清潔だ。値段も高くない。さらっと一人で入って食べるには最適の店だろう。
学生の様子を見て、マントンに連れて行くことにした。ニースを13時30分に出発。マントンには14時10分過ぎに着く。列車のなかで、血液検査の結果が届いていることがわかったが、pdfにパスワードがかけられていて、スマホでは内容が確認できなかった。帰宅してから内容を確認することにする。昨日の医師の様子からたいしたことはないとは思うのだが。
今日は金曜でパレードのある日ではないが、マントンはけっこう人手が多かった。まず駅から300メートルぐらいのところにある公園で、オレンジとレモンで作られた巨大な立像の展示を見学する。毎年何らかのテーマに沿って、像が作られるのだが、今回は動物の像が並んでいた。この立像展覧会に40分ぐらい過ごす。それから旧市街方面に向かって歩いた。



途中、ジャン・コクトーが内装を手がけた市役所内の結婚式場を見学するかどうか迷ったが、旧市街滞在時間を長めに取りたかったので、結婚式場見学は諦めた。クラスの他の国から来た人たちと海岸で夕暮れを見ながらお別れ会をするので、それまでにニースに戻りたいという要望があったため、4時半の列車でマントンを発つことにしていた。これに乗れば、5時10分にニースに着く。旧市街の入り口についたのが3時頃。そこで約1時間の自由時間とした。
丘に沿って形成されたマントンの旧市街見学を強く薦めたのだが、旧市街は見ずに麓でショッピングをしていた学生が多かったようだ。日本人の観光行動は、「見ること」よりも、その消費スタイルが優先されることが多い。観光地における消費は、もちろん「見ること」を前提としたものなのだけど。一昨年から、科研費のグループ研究で、観光演劇学という新しい学問領域を提唱するために、観光学の勉強もやっているのだが、観光学の古典的名著であるアーリ/ラースン『観光のまなざし』第2版では、観光の核心として「視線」の存在が強調されている。見ることを重視するこの理論は、日本スタイルの観光の考察については、アジャストが必要となるように思う。このテーマに沿った科研費の研修申請の審査結果は来週出る。申請書執筆には膨大な労力と時間を費やしているので、採択されていなかったらひどく落ち込むことになるだろう。



私は南仏の旧市街のなかで、丘の斜面に沿って迷路のように展開するマントンの旧市街が一番好きだ。旧市街の頂上にある墓地からの景観も素晴らしい。麓から上に登り、また下に下るだけで、1時間が過ぎてしまった。美術館や市役所の結婚式場、海などを見ることを考えると、マントン滞在は2時間では短すぎた。半日くらいは最低、いたい街だ。
16時15分頃にマントン駅に到着すると、16時20分ごろ発の予定のニースに向かう列車が停車していた。これに乗り込んだのだが、なぜかなかなか動かない。車内は混雑していて暑かった。結局ニースに着いたのは17時半だった。夕食の時間まで間があるので、今回の参加学生のなかで最も遠くに住んでいる学生の滞在先付近を見てみることにした。ニース駅を出発し、海から山側へまっすぐ伸びるガンベッタ通りを20分ほど進んだ場所だ。この時間帯のバスはおそらく通勤の帰り客で混雑していた。このあたりに来たのは初めてだったが、ごく普通の住宅地で、特に危なそうな雰囲気はなかった。
ここに住む二人の男子学生の大家はカーボベルデ人で、おそらくかなり敬虔なカトリックだ。というのも、2月18日が灰の水曜日で、断食の時期である四旬節の始まりなのだが、それ以来、食卓には肉も魚も出なくなったと学生たちが言うのだ。小麦のタブレにスパイスやソースをかけたものを食べているらしい。いまどきのフランス人でここまで厳格に四旬節を守っている人は珍しいように思う。しかしこの二人の男子学生にとっては災難だ。気の毒に思ったので、彼らをまた肉が食べられる食事に誘おうと思った。
家に帰り、夕食。今日は苦みのある白い葉野菜、アンディーブ(チコリ)とハムのホワイトソースグラタンだった。いかにもフランスの家庭料理っぽい料理だ。アンディーブの苦みに慣れると美味しい。これに甘いコーヒークリームのミルフィーユ。今夜も満腹である。



シャワーを浴び、寝る前に、ようやく学生の血液検査の結果を読む。すると、pdfの記述内容を解析したGeminiによると、炎症反応を示す数値が高いということだった。元気になったように見えたが血液検査の結果では治ってないのだ。なんということだ!明日、医者に連れて行かなければならない。しかし明日の日中はアンティーブへの遠足で、午前中にピカソ美術館の団体訪問を予約している。ピカソ美術館の団体予約処理は結構面倒くさいので、学生だけでは無理だろう。いまさら学生だけでアンティーブに行かせるわけにはいかない。どうしようか悩む。とりあえず明日の朝の様子をみて、よくなさそうなら朝に病院に連れて行く。大丈夫そうに見えたら、とりあえず日中は家で安静とし、夕方、アンティーブから戻り次第、病院に連れて行く、ということにした。

2026年2月20日金曜日

ニース研修2026春第5日

 

2026年2月19日(木)第5日

今日は夜にニース近郊の海岸沿いにあるTable de Kamiyaで夕食を取る以外は予定のない日だった。

今週は3クラスが開講されているのだが、私が連れてきた学生は一人を除き、下のレベルの2クラスに振り分けられている。下のクラスにいる学生が一つ上のクラスに移動したいというので、担当のニコラと相談する。一番上、A2+レベルのクラスに一人学生を送っているが、その学生は難しすぎるので来週は下のクラスに移動したいと言う。

今週はなまじ全体の受講者数が少なく、しかもそのマジョリティは我々日本人学生、そして日本人学生のあいだでもかなりフランス語力にはばらつきがあるので、しっくりいかないところがある。それぞれの個人のフランス語力にぴったりと適合する授業はあり得ないので、どこかで妥協点を学生も探らなくてはならないが、その加減を見極めるのは難しいだろう。3クラスだけということで、授業開始後のクラス移動は比較的フレキシブルに行われているが、ニコラ曰く、移動先の先生への気づかいなどもあってデリケートなところもあるらしい。教室の収容人数やクラスの受講者数のバランスもある。

今週は本来の教務主任のアントニオが休暇を取っているので、副主任にあたるニコラが自分も授業を担当するかたわら、こうした調整役もやっている。Azurlinguaの授業は一週間で一ユニット完結で、一週間ごとに学生は入れ替わる。今週で終わりもいれば、来週も引き続きという学生もいる。来週になると新たな受講生が入ってきて、クラスも再編されるだろう。

学生のクラス変更に立ち会ったあと、家に戻る。家で11月から始めている韓国語の勉強をしようと思っていたのだが、「よしこれから韓国語をやるぞ」とやる気になったところで、学校で授業を受けている学生から電話が入った。男子学生一人がめまいで倒れたとのこと。すぐに学校に向かう。滞在先から学校までが5分ほどというのはありがたい。

めまいで倒れた学生は、ひとり、空き教室で休んでいた。昨夜から吐き気と寒気があったという。嘔吐は昨夜一回した。授業で教室の外での活動となったときに、めまいがして立てなくなったということだった。ニースに来る一週間前に、家族でハワイ旅行に行き、その帰りの飛行機でも同じようなことがあり、二回目ということで不安も大きいようだった。

2023年に学校の近くに一週間毎日、昼休みなしのノンストップで開業しているDoc Med 7/7という医療機関ができていたことを、昨年の研修で知っていたので、そこに連れて行くことにする。通常はフランスで病院に連れて行く場合は、予約が必要だが、ここは予約が必要ないと聞いていた。これまでは土日以外、昼間の時間帯は、学校から20分ほど歩いたところにある女性の個人開業医に連れて行っていた。そして土日に学生が調子が悪くなった場合は、トラムの終点にある大学病院、パストゥール病院の救急外来に行くしかなかった。2023年夏に、連れて行った学生の一人が発熱したときは、パストゥール病院に連れて行った。検査したら彼は新型コロナに感染していたのだったが。

Doc Med 7/7に学生を連れて行くのはこれが初めてだが、学校のすぐ側で、予約なしというのはありがたい。フランスの個人開業院は、集合住宅の一室で、看板もなく、外からはクリニックだとはわからないところが多いのだが、Doc Med 7/7は複数の医師がいて、外側からもクリニックというのがわかるようになっていた。入ると子供連れなど10名ぐらいの患者が待合室にいた。入ると、まず大型タッチパネルで受診登録をしなくてはならない。これはフランス語ができないとかなりハードルが高いはずだ。受診登録が終わるとチケットが出てきて、その番号で呼び出される。1時間半ほど待つことになった。

私の学生を診断したのは30代くらいの若い医師だった。私はフランスでは入院経験があり、複数の病院で診察を受けたことがある。またニースの研修ではこれまで体調を崩した学生を何人も病院まで付き添って行ったことがある。フランスの医療については、フランス在住者がその医療システムや医者の能力について否定的に語るのをネットで見たり、あるいは聞いたりしたことはあるが、私の経験の範囲では、フランスの医師はおおむね親切で感じのいい人が多く、問診も日本の医師より丁寧に行う。

ただいわゆるクリニックでは、問診が中心で、あとは血圧や体温を測るぐらいのことしかしない。採血などの検査が必要と判断した場合は、医師が「検査リクエスト票」を作成し、それを持って、1キロ四方に一つぐらいの割合である医療ラボ(検査場)に患者が赴き、そこで検査を受け、その検査結果を持ってまた医師の診察を受けるというプロセスになる。その検査結果を見て問題があると医師が判断すれば、その医師は専門医への紹介状を書くというシステムだ。病院と検査場の行き来が必要だが、一般医、検査場、専門医の分業が明確で、合理的なシステムだと思う。

聞いた話で、実際に私が医療を受けたわけではないが、病院はあるものの、実際に受診するまでのハードルが高いカナダや英米の医療に比べると、すぐに診察を受けることができるフランスのシステムは優れているように思うし、あくまで私が経験した範囲ではあるが、医師の専門性、誠意、応対も日本の平均的な医師よりも優れているように思う。

Doc Med 7/7の医師もこの私の認識を裏切らなかった。こちらの症状説明を丁寧に聞き、問診を行った結果、疲労と緊張が原因ではないか、喉が少し赤くなっているが、特に重大だとは思われない。一応Laboへの検査依頼書を出すので採血をして欲しいということだった。薬は吐き気止めと解熱剤を処方された。解熱剤はアセトアミノフェン(パラセタモール)で、日本ではカロナールという商品名で売られているものだ。しかしフランスでは効き目がはっきりしない薬は好まれないので、成分は日本の製品の2倍か3倍詰め込まれている。実によく効く。とりあえず対処療法で、吐き気がしんどければ吐き気止めを、熱がしんどければ、パラセタモールを飲んで、安静にしておけ。来週には回復するだろうという話だった。

診察料は70ユーロ。日本円の今のレートで13000円くらいか。日本だと保険で3割負担なので4000円弱となる。円安もあるが、医療費自体はそんなに変わらないかもしれない。ただ解熱剤のようなごく一般的な薬品代は、5日分で7ユーロ(1300円くらい)だったので、日本より安いと思う。

病気の学生の滞在先も数百メートルのところだった。明日朝のラボには付き添うことにする。その学生は夜にTable de Kamiyaのディナーに参加予定だったが、この体調不良のため、キャンセルとなった。まあしかたない。

昼飯は駅の近くでフォーを食べた。お腹は空いていたが、夜はKamiyaでの食事なので、軽めにすませたかったのだ。軽めの食事で美味しかったけど、フォーで2500円ぐらいする。円換算しては何も食べられない。家に帰って韓国語の勉強を始めようと思ったが、眠たくなって2時間ほど寝てしまった。

Table de Kamiyaへの食事は7人の学生と一緒に行った。集合はニース駅に18時としたが、Kamiyaの最寄り駅であるCros de Cagnesに停車する列車は18時30分過ぎのものだった。Kamiyaには予約していた19時ちょっと前に到着する。19時オープンなので私たちが最初の客だった。



Kamiyaには昨年はじめて行った。通常、私はフランスにいるときは、とりわけ高価なフランス料理をレストランで食べるということはしないし、若い学生が高い飯を食べるのをあまり気分のいいものだとは思っていないのだけど、昨年はフランスでどうしてもフランス料理を食べたいという強いリクエストがあり、どうせ食べるのならちゃんとしたごちそう感があるフランス料理、ここでしか食べられないようなフランス料理がいいと思い、それ以前からインスタなどを見ていて、そのメッセージや料理に共感を抱いていた神谷さんのレストランに行くことにしたのだった。このTable de Kamiyaの体験は、昨年の日記に書いている。

https://kanjintecho.blogspot.com/2025/02/2025-022511.html

このTable de Kamiya体験があまりにも印象的だったので、昨年は、次の年ニースに来たときも必ず神谷さんの店に行こうと思っていたのだ。本当は学生全員を連れて行きたい気持ちはあるのだけど、高級フレンチではないとはいえ、値段はそこそこするし(定食が45ユーロ)、また20人近い団体であの店を占拠するような野蛮なことはやりたくなかった。もっともフランスではまともなレストランでは、大人数団体では食事は食べられない。食事をサーブするタイミングが難しかったり、また他の客への配慮もある。なので今回は私を入れて8名で行くことにした。



神谷さんの料理は、フランス料理をベースとしつつ、地元の食材を使い、アクセントとして和風の材料なども使っている。複雑で洗練されているけど、いわゆるフランス料理のような重さがない。フランス人には、少々軽すぎてものたりないという感じを持つ人もいるようだ。それでも競争の激しい南仏のリゾート地で、日本人ながらフランス料理店で勝負し、地元の人に高く支持されるレストランとなっている。


シェフの神谷さんが何度かテーブルまで来てくれた。最後には神谷さんを交えて集合写真も。今年もこの店に来られて本当によかったと思う。料理が美味しいだけでなく、料理に励まされるというか。

食事中はなにか話をしなくてはならない。一人一つずつなんか面白い話題を提供することとしていたが、私の話は学生たちには不興だったようだ。なかなか難しい。9時半ごろに店を出る。できるだけさっさと食べて9時前に店を出ようと思っていたのだが、なんのかんので時間は過ぎる。ニースに着いたのは午後10時半ごろだった。