2026年2月22日日曜日

ニース研修2026春第7日目

 

2026年2月21日(土)第7日

午前6時45分起床。体調を崩した学生を朝一番で診療所に連れて行くか、アンティーブへの遠足を早めに切り上げニースに戻ってから診療所に連れて行くのか、迷う。朝、診療所に行った場合、診療所Doc Med 7/7が混んでいたりすると、予定通りアンティーブに遠足に行けなくなるかもしれない。午前10時半にアンティーブのピカソ美術館に団体予約していて、このピカソ美術館のスタッフが昨年、けっこう手続き面でうるさかったのだ。だから時間に遅れたり、キャンセルとかになるとまた一手間かかるかもしれない。私が病気学生についてニースにとどまり、他の学生は私なしにアンティーブに行かせるというのはちょっと無理そうだ。

かといって体調の悪い学生を夕方まで自宅待機させるというのも不安だ。万一、その間に体調が悪化したら後悔することになる、とか考えてしまう。

毎日休みなしで開いているクリニック、Doc Med 7/7の開業時間は、ウェブページを見ると午前8時だった。アンティーブ行きのためのニース駅の集合時刻は9時10分に設定していた。結局、病気学生のことを気にしつつアンティーブに私が行くよりも、たとえピカソ美術館の予約時間や予約していた昼食のレストランに遅れることになっても、朝のうちに学生に診察を受けさせることを優先すべきだと考えた。

電話すると、体調不良の学生は昨夜下痢が二回あったとのこと。ウィルス性胃腸炎の可能性もあるなと考えた。ただ熱はなく、しんどさはないとのことだった。彼は昨日、マントンの遠足のあと、夕方から夜にかけて海岸での「夕陽を見る会」にも参加している。昨日夕方のうちに、検査結果を解読して、医者に連れていけばよかったと後悔する。彼には診察時間の10分前に、Doc Med 7/7の前に来るように言った。


私は7時45分ごろにDoc Med 7/7に到着。私および彼の滞在先から歩いて5分のところにこういう医療機関があるのはありがたい。私たちの前には小さな子供連れの母親がいた。私たちは二番目だ。8時ちょうどに診療所に入り、8時30分に診察を受けた。最初は前回の診察とは違う医師だったが、運良く、前回診察をしてくれた医師が出勤して、途中から彼と交替になった。ラボの血液検査の結果や、昨日以降の経過を確認した医師の結論は、急性胃腸炎とのことだった。Geminiが脅かしていた炎症を示すCRPの数値は特に重大なものではないとのこと。とりあえずホッとした。ビタミン剤と下痢止めを処方された。

診察が終わった後、トラムのニース駅のすぐ側にある24時間365日営業の薬局に行き、薬を購入。そのあと、学生の滞在先に戻った。滞在先にはマダムがいた。状況を説明すると、こうしたことには慣れているので心配するな、とのこと。そのあと「学校には連絡、相談しないのか?」と聞く。この手の対応で、学校のスタッフがなんか有効な手助けをしてくれることはほぼ期待できない。過去の経験からして、期待したところで無駄。「報告したところでどういう意味があるんだ?」と言うと、マダムは「こちらは学校との契約で子供を預かっているので学校に病気の学生が出たことは伝えなくてはならない」と言うので、「あなたが伝えたければ伝えればいい」と言った。

こういう責任を問われかねないような状況での、フランス人のドライな対応、ある種の強固な自己防衛反応は、私は慣れっこだ。またこういうことがあるので、根っこの部分で、フランス人は信用できないと思っている。トラブルが起こって、ヤバそうだと、逃げる。もちろん日本人でもそういう人はあまたいるが、フランス人は日本人以上に露骨にそうで、個人的関係のみならず、職業的関係においても、私からみると責任回避の「投げ出し」に近いことをやる場合が多い。

学生は一見、回復したようには見えるが、少なくとも今日は、アンティーブ遠足と夕方からのオペラは諦めて、家で休むように伝えた。




予定の集合時刻9時10分より、20分ほど遅れて集合場所のニース駅に着いた。ピカソ美術館の入場予約には間に合った。美術館開場すぐだったらしく、館内に鑑賞者は少なく、ゆったりと作品を見ることができた。また団体予約で昨年はえらく理不尽で面倒なことを要求されて辟易したのだが、今回の受付の人は、予約したことを伝えるとあっさり学生を入場させてくれて、拍子抜けした。こういうのは、フランスでは本当に人次第だ。美術館の滞在時間を1時間取った。そのあと、美術館の近くにあるアンティーブのマルシェに学生たちを案内する。アンティーブのマルシェはその規模と活気で名高い。12時から2時間の自由時間として、私は3人の女子学生と昨日予約した海岸沿いのレバノン料理屋で昼食を取った。



レバノン料理はニースで2回食べたことがある。野菜が多い、ヘルシーでかつ日本人の口に合う美味しい料理だった。ニースのレバノン料理屋は大衆的で値段もひとりあたり20ユーロから30ユーロのあいだだったと思うのだが、アンティーブのこの店はちょっとシックで、一人あたり飲み物込みで40ユーロを超えた。高い。日本円に換算すると、なんて贅沢なランチだと思ってしまう。ただ料理は非常に美味しかったし、店の雰囲気もよかった。

レバノン料理については、料理名をほぼ知らないので、ウェイターに「いかにもレバノン料理っていう定番もの、おすすめを一通り食べたい」とリクエストしたら、ベジタリアンメニューである前菜の盛り合わせ二人前、肉串焼きを二人前頼むといい、とアドバイスされ、実際、このアドバイスは的確だった。フランス料理では、料理を多人数で分け合って食べたりはしないが、レバノン料理は前菜とメインがどかっと一度にテーブルに並び、それを取り分けて食べるスタイルだ。前菜の野菜料理はいったい何皿ぐらいあっただろう?壮観だった。私は普段野菜は好んで食べないのだが、茄子やトマトやひよこ豆などさまざまな野菜を使ったレバノン料理の前菜はどれも美味しかった。野菜不足になりがちなフランスで、これだけ多くの野菜を食べられるのはありがたい。串焼きの肉は、羊ミンチ、鶏肉、牛肉の三種だったが、いずれもしっかり味がついて、肉の旨みもある。値段は高いなとは思ったけれど、食事の内容としては大満足できた。

昼食を取ると90分ぐらいたってしまっていた。海岸沿いの道を集合場所まで歩く。再集合したあとは、海辺の堤防の先に設置された、スペインの現代彫刻家、ジャウメ・プレンサによるモニュメント《放浪者》を見に行った。プレンサはニースのマセナ広場のモニュメント《五大陸》の作者でもある。《放浪者》は、白いアルファベット文字で組み合わされた高さ6メートルほどの像で、膝を抱えて海の彼方を眺めている。中は空洞になっていた。


プレンサの《放浪者》に行ったのが、午後3時過ぎ。夜は18時からニース・オペラ座でクラシックのコンサートに行くことになっていた。それにはまだ間がある。

プレンサの像がある場所から港をはさんだ向こう側に、17世紀フランスの天才築城家、ヴォーバンが設計した《四角い要塞》が見える。アンティーブにはニース語学研修旅行のたびに来ているのだが、あの要塞のところまで行ったことはなかった。すぐそばにあるように見えるのだが、Googleマップでは徒歩40分とあった。時間的に微妙だが、この機会に要塞まで行ってみることにした。


しかしこれがなかなかきつくて、長い道のりだった。天気は快晴で、海と空のブルーは美しく、奥にあるアルプス山脈の白さと対比をなしている。絶景であったが、暑かったし、40分というのは思っていた以上に長距離で、要塞の入り口に着いた時にはヘトヘトになった。そして要塞に入ろうとしたら、受付で「今要塞内は定員で一杯なので、18人の団体が入場することは不可能だ」と言う。中に入る人数が決まっているらしいのだ。なんで?と思う。要塞って広そうなのに。「日本からわざわざ来たので、なんとかして欲しい」と粘ったが、結局ダメだった。アンティーブの駅までまた40分かけて戻る。

ニースに着くと、5時15分前くらいで、オペラ座でのコンサート開始まで余裕がない。5時半にオペラ座前に集合とした。ジェラートが食べたいという女子学生がいた。私ものどが渇いたし、ジェラートを食べたかった。トラムに乗って、旧市街に行き、ジェラートを食べながら、オペラ座まで行こうとしたのだが、カーニバルの夜のパレードのため、旧市街の入り口までトラムが行かない。マセナ広場の前で降ろされてしまった。このため、結局、ジェラートを買って、食べる時間はなくなってしまった。

オペラ座のコンサートのプログラムは、ハチャトリアンの《ヴァイオリン協奏曲ニ短調》とショスタコーヴィチの《交響曲第5番ニ短調》。学生たちは最上階の天井桟敷の席。見下ろすような高い場所だが、舞台はよく見えたと思う。私はけっこういい席を買ったつもりが、舞台から見て左側のボックス席の後列で、舞台の上手1/3は見えなかった。オペラでなく、コンサートだったので、舞台全体が見えなくても、問題はないが。



ハチャトリアンのヴァイオリン協奏曲は、とらえどころがないし、ソリストの演奏も音量が小さくてパンチが弱いような気がして、ちょっとうつらうつらしてしまった。休憩後のショスタコーヴィチの交響曲は私は好物の部類で、とりわけ最終楽章のダイナミックな盛り上がりには気分が高揚した。


コンサート終了後、オペラ座前で集合写真を撮ったあと、解散。私は昼はかなりしっかり食べたので、夜はコンサート終了後、さらっとケバブでも食べて帰るつもりだったが、昼がサンドイッチだけと軽かった学生が多かったみたいだ。昨日、家の場所を確認したカーボベルデ人家庭の学生もお腹が空いたと言っている。彼らは家では四旬節メニューでちょっと可哀想である。帰り道に、私が毎年行っているクスクス屋がある。昼にあんなに食べたにもかかわらず、あのクスクスなら食べられそうな気がして、その四旬節学生に「クスクスを食べに行かないか?」と声をかけると「行く!」という。さらに病気で自宅待機の学生と同室の学生も同方向だったので、クスクスに誘い、男5人でクスクス屋に行った。幸い空いていた。

Le Bédouin chez Michelという店だ。ここにはニースに来るたびに来ている。フロアを取り仕切るおじさんが冗談好きで面白い。彼がMichelかと思えば、Michelは店のオーナーの名前で、おじさんの名前は別だった。何と言う名前か忘れてしまったが。この7〜8年、私は毎年、学生を連れてきているので、おじさんはさすがに私のことは覚えていた。相変わらず、冗談ばっかりだ。客あしらいがうまい。


そしてこの店のクスクスも絶品だ。ボリュームたっぷりで、ダイナミック。まさにこれぞクスクスと私が思うクスクスを出してくれる。というかこの店のクスクスが私のクスクスの基準になっているのかもしれない。スムール(クスクスの粒)とスープはお代わり自由だ。野菜がたっぷり入ったスープが、クスクスと絶妙に合っている。そして副菜となっている羊肉、鶏肉、ミートボール、メルゲーズ(羊肉のピリ辛ソーセージ)もシンプルな調理ながら美味しい。値段も25ユーロ前後で、フランスの外食としては安い部類だ。

一年ぶりのLe Bédouinのクスクスはやはり美味しかった。学生たちも満足したようだった。おじさんもその様子をみて大満足の様子だった。

ニース研修2026春第6日

2026年2月20日(金)第6日

朝6時半に起床した。昨日倒れた学生をラボまで同伴するためだ。幸いその学生の滞在先は、私の滞在先から数百メートルの距離だ。7時15分に学生の滞在先へ。症状を聞くと、昨夜下痢があったそうだが、熱は下がっていて、吐き気もないとのことだった。採血をするラボもすぐ近くにあった。7時30分にラボの受付をすませると、すぐに呼び出しがあって7時45分には採血を終えてラボを出た。血液検査の結果は午後にメールで届くという。ラボのスタッフも親切で優しい。

フランスは全般的にサービス業に携わる人のクオリティが日本よりはるかに低いのだが(無能、無気力、無愛想)、これまでの私の経験では、医師や薬剤師など医療従事者で嫌な人に会ったことはない。ここもそうだった。
学生には今日の午前中の授業は出なくていい、午後の遠足も行かなくていい、家で寝ていろと伝えた。私はそのあと、自分の家に戻り、朝食を取った。韓国語のDuolingoや週末の予定を考えているうちに、午前中が過ぎる。正午前に、病気の学生に電話すると、もう大丈夫そうなので午後のマントンへの遠足には行ってみたいと言う。食欲もあるとのこと。とりあえず会って一緒に食事を取り、様子を確かめることにした。
ニース駅で待ち合わせして会ってみると、顔色は悪くないし、回復しているように見えた。とはいえ、一昨日に嘔吐、昨夜は下痢があったということで、お腹に負担がかからないものを食べた方がいい。朝はバナナを食べたと言っていた。Geminiに「ニース駅周辺で、お腹にやさしいランチを取れる店」を尋ねたところ、駅前にある中華・和食・ベトナムなどのアジア料理を出すレストランを薦めてきたのでそこにした。道をはさんで駅の向かいにある店だが、これまで入ったことがない。



ガラスの覆いのあるカウンターに様々な惣菜が並んでいて、注文するとそこから料理を取って皿に入れて、温めて出してくれるタイプの「簡易」中華レストランだ。ここは中華惣菜のほかに、寿司もある。カウンターで私たちを迎えた男性店員は東アジアの人だった。フランス語で「日本人なんです」と言うと、ニコッと感じよく笑って、奥に人を呼びに行った。するとなんと出てきたのは日本人女性スタッフだった。話を聞くと、ここは中国人の家族経営の店で、自分は数年前から働いている。夫がフランス人で、カナダのモントリオールでワーキングホリデーで滞在していたときに知り合い、結婚し、最初はリヨン、それからニースに移り、住んでいるとのことだった。まさかフランスのニースの、中華系ファストフード・レストランで、日本語が通じるとは!
私は酢豚丼、学生はカツカレーを頼んだ。カツカレーは日本のカツカレーとはかなり雰囲気は違うが、美味しいと言っていた。酢豚丼は見た目はそっけないが、普通にいける。ご飯の量が多い。店員は、日本人女性スタッフをはじめ、みなニコッと笑ってくれて感じが良く、安心できる雰囲気だ。店も広々していて、清潔だ。値段も高くない。さらっと一人で入って食べるには最適の店だろう。
学生の様子を見て、マントンに連れて行くことにした。ニースを13時30分に出発。マントンには14時10分過ぎに着く。列車のなかで、血液検査の結果が届いていることがわかったが、pdfにパスワードがかけられていて、スマホでは内容が確認できなかった。帰宅してから内容を確認することにする。昨日の医師の様子からたいしたことはないとは思うのだが。
今日は金曜でパレードのある日ではないが、マントンはけっこう人手が多かった。まず駅から300メートルぐらいのところにある公園で、オレンジとレモンで作られた巨大な立像の展示を見学する。毎年何らかのテーマに沿って、像が作られるのだが、今回は動物の像が並んでいた。この立像展覧会に40分ぐらい過ごす。それから旧市街方面に向かって歩いた。



途中、ジャン・コクトーが内装を手がけた市役所内の結婚式場を見学するかどうか迷ったが、旧市街滞在時間を長めに取りたかったので、結婚式場見学は諦めた。クラスの他の国から来た人たちと海岸で夕暮れを見ながらお別れ会をするので、それまでにニースに戻りたいという要望があったため、4時半の列車でマントンを発つことにしていた。これに乗れば、5時10分にニースに着く。旧市街の入り口についたのが3時頃。そこで約1時間の自由時間とした。
丘に沿って形成されたマントンの旧市街見学を強く薦めたのだが、旧市街は見ずに麓でショッピングをしていた学生が多かったようだ。日本人の観光行動は、「見ること」よりも、その消費スタイルが優先されることが多い。観光地における消費は、もちろん「見ること」を前提としたものなのだけど。一昨年から、科研費のグループ研究で、観光演劇学という新しい学問領域を提唱するために、観光学の勉強もやっているのだが、観光学の古典的名著であるアーリ/ラースン『観光のまなざし』第2版では、観光の核心として「視線」の存在が強調されている。見ることを重視するこの理論は、日本スタイルの観光の考察については、アジャストが必要となるように思う。このテーマに沿った科研費の研修申請の審査結果は来週出る。申請書執筆には膨大な労力と時間を費やしているので、採択されていなかったらひどく落ち込むことになるだろう。



私は南仏の旧市街のなかで、丘の斜面に沿って迷路のように展開するマントンの旧市街が一番好きだ。旧市街の頂上にある墓地からの景観も素晴らしい。麓から上に登り、また下に下るだけで、1時間が過ぎてしまった。美術館や市役所の結婚式場、海などを見ることを考えると、マントン滞在は2時間では短すぎた。半日くらいは最低、いたい街だ。
16時15分頃にマントン駅に到着すると、16時20分ごろ発の予定のニースに向かう列車が停車していた。これに乗り込んだのだが、なぜかなかなか動かない。車内は混雑していて暑かった。結局ニースに着いたのは17時半だった。夕食の時間まで間があるので、今回の参加学生のなかで最も遠くに住んでいる学生の滞在先付近を見てみることにした。ニース駅を出発し、海から山側へまっすぐ伸びるガンベッタ通りを20分ほど進んだ場所だ。この時間帯のバスはおそらく通勤の帰り客で混雑していた。このあたりに来たのは初めてだったが、ごく普通の住宅地で、特に危なそうな雰囲気はなかった。
ここに住む二人の男子学生の大家はカーボベルデ人で、おそらくかなり敬虔なカトリックだ。というのも、2月18日が灰の水曜日で、断食の時期である四旬節の始まりなのだが、それ以来、食卓には肉も魚も出なくなったと学生たちが言うのだ。小麦のタブレにスパイスやソースをかけたものを食べているらしい。いまどきのフランス人でここまで厳格に四旬節を守っている人は珍しいように思う。しかしこの二人の男子学生にとっては災難だ。気の毒に思ったので、彼らをまた肉が食べられる食事に誘おうと思った。
家に帰り、夕食。今日は苦みのある白い葉野菜、アンディーブ(チコリ)とハムのホワイトソースグラタンだった。いかにもフランスの家庭料理っぽい料理だ。アンディーブの苦みに慣れると美味しい。これに甘いコーヒークリームのミルフィーユ。今夜も満腹である。



シャワーを浴び、寝る前に、ようやく学生の血液検査の結果を読む。すると、pdfの記述内容を解析したGeminiによると、炎症反応を示す数値が高いということだった。元気になったように見えたが血液検査の結果では治ってないのだ。なんということだ!明日、医者に連れて行かなければならない。しかし明日の日中はアンティーブへの遠足で、午前中にピカソ美術館の団体訪問を予約している。ピカソ美術館の団体予約処理は結構面倒くさいので、学生だけでは無理だろう。いまさら学生だけでアンティーブに行かせるわけにはいかない。どうしようか悩む。とりあえず明日の朝の様子をみて、よくなさそうなら朝に病院に連れて行く。大丈夫そうに見えたら、とりあえず日中は家で安静とし、夕方、アンティーブから戻り次第、病院に連れて行く、ということにした。

2026年2月20日金曜日

ニース研修2026春第5日

 

2026年2月19日(木)第5日

今日は夜にニース近郊の海岸沿いにあるTable de Kamiyaで夕食を取る以外は予定のない日だった。

今週は3クラスが開講されているのだが、私が連れてきた学生は一人を除き、下のレベルの2クラスに振り分けられている。下のクラスにいる学生が一つ上のクラスに移動したいというので、担当のニコラと相談する。一番上、A2+レベルのクラスに一人学生を送っているが、その学生は難しすぎるので来週は下のクラスに移動したいと言う。

今週はなまじ全体の受講者数が少なく、しかもそのマジョリティは我々日本人学生、そして日本人学生のあいだでもかなりフランス語力にはばらつきがあるので、しっくりいかないところがある。それぞれの個人のフランス語力にぴったりと適合する授業はあり得ないので、どこかで妥協点を学生も探らなくてはならないが、その加減を見極めるのは難しいだろう。3クラスだけということで、授業開始後のクラス移動は比較的フレキシブルに行われているが、ニコラ曰く、移動先の先生への気づかいなどもあってデリケートなところもあるらしい。教室の収容人数やクラスの受講者数のバランスもある。

今週は本来の教務主任のアントニオが休暇を取っているので、副主任にあたるニコラが自分も授業を担当するかたわら、こうした調整役もやっている。Azurlinguaの授業は一週間で一ユニット完結で、一週間ごとに学生は入れ替わる。今週で終わりもいれば、来週も引き続きという学生もいる。来週になると新たな受講生が入ってきて、クラスも再編されるだろう。

学生のクラス変更に立ち会ったあと、家に戻る。家で11月から始めている韓国語の勉強をしようと思っていたのだが、「よしこれから韓国語をやるぞ」とやる気になったところで、学校で授業を受けている学生から電話が入った。男子学生一人がめまいで倒れたとのこと。すぐに学校に向かう。滞在先から学校までが5分ほどというのはありがたい。

めまいで倒れた学生は、ひとり、空き教室で休んでいた。昨夜から吐き気と寒気があったという。嘔吐は昨夜一回した。授業で教室の外での活動となったときに、めまいがして立てなくなったということだった。ニースに来る一週間前に、家族でハワイ旅行に行き、その帰りの飛行機でも同じようなことがあり、二回目ということで不安も大きいようだった。

2023年に学校の近くに一週間毎日、昼休みなしのノンストップで開業しているDoc Med 7/7という医療機関ができていたことを、昨年の研修で知っていたので、そこに連れて行くことにする。通常はフランスで病院に連れて行く場合は、予約が必要だが、ここは予約が必要ないと聞いていた。これまでは土日以外、昼間の時間帯は、学校から20分ほど歩いたところにある女性の個人開業医に連れて行っていた。そして土日に学生が調子が悪くなった場合は、トラムの終点にある大学病院、パストゥール病院の救急外来に行くしかなかった。2023年夏に、連れて行った学生の一人が発熱したときは、パストゥール病院に連れて行った。検査したら彼は新型コロナに感染していたのだったが。

Doc Med 7/7に学生を連れて行くのはこれが初めてだが、学校のすぐ側で、予約なしというのはありがたい。フランスの個人開業院は、集合住宅の一室で、看板もなく、外からはクリニックだとはわからないところが多いのだが、Doc Med 7/7は複数の医師がいて、外側からもクリニックというのがわかるようになっていた。入ると子供連れなど10名ぐらいの患者が待合室にいた。入ると、まず大型タッチパネルで受診登録をしなくてはならない。これはフランス語ができないとかなりハードルが高いはずだ。受診登録が終わるとチケットが出てきて、その番号で呼び出される。1時間半ほど待つことになった。

私の学生を診断したのは30代くらいの若い医師だった。私はフランスでは入院経験があり、複数の病院で診察を受けたことがある。またニースの研修ではこれまで体調を崩した学生を何人も病院まで付き添って行ったことがある。フランスの医療については、フランス在住者がその医療システムや医者の能力について否定的に語るのをネットで見たり、あるいは聞いたりしたことはあるが、私の経験の範囲では、フランスの医師はおおむね親切で感じのいい人が多く、問診も日本の医師より丁寧に行う。

ただいわゆるクリニックでは、問診が中心で、あとは血圧や体温を測るぐらいのことしかしない。採血などの検査が必要と判断した場合は、医師が「検査リクエスト票」を作成し、それを持って、1キロ四方に一つぐらいの割合である医療ラボ(検査場)に患者が赴き、そこで検査を受け、その検査結果を持ってまた医師の診察を受けるというプロセスになる。その検査結果を見て問題があると医師が判断すれば、その医師は専門医への紹介状を書くというシステムだ。病院と検査場の行き来が必要だが、一般医、検査場、専門医の分業が明確で、合理的なシステムだと思う。

聞いた話で、実際に私が医療を受けたわけではないが、病院はあるものの、実際に受診するまでのハードルが高いカナダや英米の医療に比べると、すぐに診察を受けることができるフランスのシステムは優れているように思うし、あくまで私が経験した範囲ではあるが、医師の専門性、誠意、応対も日本の平均的な医師よりも優れているように思う。

Doc Med 7/7の医師もこの私の認識を裏切らなかった。こちらの症状説明を丁寧に聞き、問診を行った結果、疲労と緊張が原因ではないか、喉が少し赤くなっているが、特に重大だとは思われない。一応Laboへの検査依頼書を出すので採血をして欲しいということだった。薬は吐き気止めと解熱剤を処方された。解熱剤はアセトアミノフェン(パラセタモール)で、日本ではカロナールという商品名で売られているものだ。しかしフランスでは効き目がはっきりしない薬は好まれないので、成分は日本の製品の2倍か3倍詰め込まれている。実によく効く。とりあえず対処療法で、吐き気がしんどければ吐き気止めを、熱がしんどければ、パラセタモールを飲んで、安静にしておけ。来週には回復するだろうという話だった。

診察料は70ユーロ。日本円の今のレートで13000円くらいか。日本だと保険で3割負担なので4000円弱となる。円安もあるが、医療費自体はそんなに変わらないかもしれない。ただ解熱剤のようなごく一般的な薬品代は、5日分で7ユーロ(1300円くらい)だったので、日本より安いと思う。

病気の学生の滞在先も数百メートルのところだった。明日朝のラボには付き添うことにする。その学生は夜にTable de Kamiyaのディナーに参加予定だったが、この体調不良のため、キャンセルとなった。まあしかたない。

昼飯は駅の近くでフォーを食べた。お腹は空いていたが、夜はKamiyaでの食事なので、軽めにすませたかったのだ。軽めの食事で美味しかったけど、フォーで2500円ぐらいする。円換算しては何も食べられない。家に帰って韓国語の勉強を始めようと思ったが、眠たくなって2時間ほど寝てしまった。

Table de Kamiyaへの食事は7人の学生と一緒に行った。集合はニース駅に18時としたが、Kamiyaの最寄り駅であるCros de Cagnesに停車する列車は18時30分過ぎのものだった。Kamiyaには予約していた19時ちょっと前に到着する。19時オープンなので私たちが最初の客だった。



Kamiyaには昨年はじめて行った。通常、私はフランスにいるときは、とりわけ高価なフランス料理をレストランで食べるということはしないし、若い学生が高い飯を食べるのをあまり気分のいいものだとは思っていないのだけど、昨年はフランスでどうしてもフランス料理を食べたいという強いリクエストがあり、どうせ食べるのならちゃんとしたごちそう感があるフランス料理、ここでしか食べられないようなフランス料理がいいと思い、それ以前からインスタなどを見ていて、そのメッセージや料理に共感を抱いていた神谷さんのレストランに行くことにしたのだった。このTable de Kamiyaの体験は、昨年の日記に書いている。

https://kanjintecho.blogspot.com/2025/02/2025-022511.html

このTable de Kamiya体験があまりにも印象的だったので、昨年は、次の年ニースに来たときも必ず神谷さんの店に行こうと思っていたのだ。本当は学生全員を連れて行きたい気持ちはあるのだけど、高級フレンチではないとはいえ、値段はそこそこするし(定食が45ユーロ)、また20人近い団体であの店を占拠するような野蛮なことはやりたくなかった。もっともフランスではまともなレストランでは、大人数団体では食事は食べられない。食事をサーブするタイミングが難しかったり、また他の客への配慮もある。なので今回は私を入れて8名で行くことにした。



神谷さんの料理は、フランス料理をベースとしつつ、地元の食材を使い、アクセントとして和風の材料なども使っている。複雑で洗練されているけど、いわゆるフランス料理のような重さがない。フランス人には、少々軽すぎてものたりないという感じを持つ人もいるようだ。それでも競争の激しい南仏のリゾート地で、日本人ながらフランス料理店で勝負し、地元の人に高く支持されるレストランとなっている。


シェフの神谷さんが何度かテーブルまで来てくれた。最後には神谷さんを交えて集合写真も。今年もこの店に来られて本当によかったと思う。料理が美味しいだけでなく、料理に励まされるというか。

食事中はなにか話をしなくてはならない。一人一つずつなんか面白い話題を提供することとしていたが、私の話は学生たちには不興だったようだ。なかなか難しい。9時半ごろに店を出る。できるだけさっさと食べて9時前に店を出ようと思っていたのだが、なんのかんので時間は過ぎる。ニースに着いたのは午後10時半ごろだった。















2026年2月19日木曜日

ニース研修2026春第4日

 

2026年2月18日(水)第4日

今日はちょっと寝坊して、午前8時前に起床。2016年の夏、ニースでトラックテロがあった一週間ほどあと、16歳、高校一年生だった娘と一緒にニースに行き、二週間のあいだ、私はフランス語教育法の研修を受け、娘はフランス語の研修を受けた。フランス語教育の研修には二十数カ国のフランス語教員が参加したが、そのときに仲良くなった教員のひとりが、セルビア人女性のVoykaである。彼女とはその後、会う機会はなかったのだけれど、Facebookでの「友達」関係は続いていた。

Voykaの誕生日が数日前で、そのとき私はFacebookで「お誕生日おめでとう」のメッセージを送った。するとVoykaからメッセージが届き、ちょうど今、彼女は夫と休暇でニースに来ているので、時間が合うようなら会わないかと言う。それで今日の午前10時に、海岸沿いに建つニース随一の高級ホテル、ネグレスコ・ホテルの前で待ち合わせして、会うことになった。まさか10年ぶりに彼女にニースで再会できるとは思ってもいなかった。

彼女は夫と一緒に来ていた。彼女の夫はフランス語がわからないので、適宜、Voykaが通訳した。

ネグレスコ・ホテルのカフェとその奥にある大サロンは、ニースのなかで私のお気に入りの場所なのだが、彼女は行ったことがないという。それならということで、値段は少々高くなるものの、ネグレスコ・ホテルのカフェでお茶を飲みながら話をしようかと思ったのだが、カフェの開業時間は午前10時半だった。近場の別のカフェにしようかどうか迷ったが、結局、カフェの開業を待ち、ホテル前の海岸に面したところにあるベンチで30分ほど話したあと、ネグレスコ・ホテルのカフェに入ることにした。今日も快晴で、空と海の色が美しい。

互いにフランス語教員で、10年前にフランス語教育の研修をニースで一緒に受講したとはいえ、それぞれの状況は相当異なる。10年ぶりの再会で、フランス語で話が持つかなあと若干心配ではあったが、互いの国のフランス語教育の状況、家族のこと、セルビアの社会状況、10年前に一緒に研修を受けた他の人たちの近況など、話は途切れることはなかった。10時半にネグレスコ・ホテルのカフェが開業するとそちらに移動し、30分ほど話したあと、大サロンに移動。ベル・エポック期のブルジョワ文化の精髄のような広大なサロンの洗練には、彼女たちは感嘆していた。このサロンの見学は、ホテルの客しかできない。ニースの観光ポイントの穴場であり、訪れる価値のある場所だと私は思う。

11時半ごろにVoyka夫妻と別れ、学校に。今日の午後はカーニバルのプログラムの花合戦を見学することになっていて、学生たちには昨日、チケットを渡してある。その花合戦を見る前に、鍵騒動の被害者となった学生二人にランチを奢ることにしていた。

ランチの場所は、Netflixで放映されているニースを舞台とする恋愛リアリティショー、『オフライン・ラブ』に登場するメゾン・マルゴーというレストランにした。鍵騒動の二人のうちの一人が『オフライン・ラブ』の視聴者だった。昨日、家まで送った女子学生のうちの一人が『オフライン・ラブ』のファンで、鍵騒動二人とメゾン・マルゴーにランチに行くと話すと、自分も是非行きたい、ということだったので、彼女と彼女の同室者の二人も連れて、私を含め五名で行くことになった。

メゾン・マルゴーは海岸から2ブロックほど中に入った、レストランが並ぶ賑やかなところにあり、学校からは徒歩で10分ほどの距離だ。昨夜、店のウェブサイトで予約したのだが、店に着くとその予約がちゃんと機能していたかどうかは怪しい。予約なしでも入ることができる店ではある。テラス席は満席であったが、店内の外に面した席に案内された。高級レストランではなく、ニースの観光ポイントにあまたある、大衆的で観光客向きのレストランだ。料理の値段は20ユーロ前後だ。


定食があるかと思えば、アラカルトだけだった。各自パスタやサンドイッチみたいなものを注文した。私はムール・フリットを注文した。フランスのB級グルメの定番的料理で、フランス滞在中には私は一度は食べる。外に面した店内席だったが、ガラス越しに入って来る陽光を学生が嫌ったので、店の奥の、外光が入らない座席に移動した。店内にはわれわれの他にも日本人の客がいて、どうやら皆、『オフライン・ラブ』を視聴して、ここに《聖地巡礼》にやってきたようだ。

飯の味は、まずくはない。いかにもこのあたりにある観光客向きの大衆レストランだなあという感じ。メニューの値段が、サービス料別だったのは、ちょっと嫌な感じがした。フランスのレストランだとたいていサービス料込みなので。『オフライン・ラブ』ファンの女子学生はそれでも《聖地巡礼》できたことに大いに満足していた様子だったのでよかった。連れてきた甲斐があったというものだ。

食事後、カーニバルの会場に向かった。カーニバルは14時半開演となっていた。入場ゲートに着いたのは14時過ぎだったと思うが、入場待ちの長蛇の列には驚いた。例年、カーニバルは混雑はするけれど、ここまで長い入場待ちの列ができていたことはない。開始30分前に入場ゲートに行けば、14時半の開演前には会場に入ることができた。

今回、なぜこんなに長蛇の列になったのかを考えてみると、例年に比べて入場口が減らされ、二箇所だけになっていることに気づいた。おそらく警備の関係だと思う。例年は四箇所あり、入場者は分散していた。今年は二箇所に減った上に、われわれが並んだ西側の入場口に人が殺到した。そちらのほうがアクセスがしやすかったからだ。結局、入場できるまでに90分ほどかかってしまった。中に入ったら入ったで人混みで、パレードがよく見えない。ずっと立ちっぱなしなので、入場できたときには既に私は疲れていた。

4時過ぎになると、会場から退場する観客がぞろぞろ出てきて、ようやくパレードが見える位置まで移動できた。私は16時半ごろに会場を離脱して、プロムナード・デザングレの海を見下ろすベンチで休んでいた。花合戦終了後、私を人混みから見つけることができれば、先着五名でネグレスコ・ホテルに案内するとLINEにメッセージを出しておいたのだが、誰も来ない。17時頃、家に戻ろうかとベンチから離れ、歩いていると女子学生二人に声をかけられた。二人をネグレスコ・ホテルに誘った。午前午後で、今日は二回ネグレスコ・ホテルのカフェに行くことになった。

カフェのフロアは満席だったが、カウンター席でよければと言うのでカウンター席に。案内してくれた女性スタッフは、多分、午前中にも会った人だ。口調が丁寧でとても感じがいい。そのスタッフが、私に「あなたはこの辺に住んでいるのですか?」と聞いた。朝夕で、違う人を連れてきたからかもしれない。「いや日本から来た観光客です」と返答する。カウンター席の向こう側のバーテンもとても感じがいい人だった。

カフェに30分ほどいたあと、大サロンに学生を案内する。「どやっ」という感じで。学生二人もネグレスコを楽しんでくれたと思う。ニース滞在も彼女たちなりに楽しんでいるようで、安心した。

普段の授業で私は学生と話をすることはほとんどない。ニース研修旅行中はこうして学生と話す機会があるのは楽しいことだ。

大サロンおよびエレベーターで客室階を見学したあと、18時半過ぎにホテルを出た。夕暮れのニース海岸の風景の美しさに見とれる。本当にニースは美しい街だ。

夕飯は、ポワロネギとベーコンのタルト、野菜のスープ、そして昨夜の残りのチキンカレー。全て手作りだ。美味しい。また食べ過ぎてしまう。



2026年2月18日水曜日

ニース研修2026春第3日

 2026/02/17(火)第3日

午前7時15分に起床。普段の生活は午前2時、3時まで夜更かしすることが多く、朝の授業があるときは睡眠時間が5時間ほどという不規則な生活だが、ニース語学研修旅行中は夜眠って、朝に起きる真人間の生活リズムになる。大家のARHAN夫妻は二人とも退職しているが、夜更かしで朝は遅い。朝食は前夜のうちにMurielさんがパンや食器を用意してくれていて、私はコーヒーをマシンで作る。冷蔵庫からジャムなどを取り出して勝手に食べるスタイルだ。これは気楽でいい。

日本からAzurlinguaのスタッフへのお土産として、キットカットの抹茶味を持ってきていた。昨日は鍵騒動で渡せなかったが、今日ようやく手渡すことができた。ニース研修のお土産はいつもこれだ。キットカットならフランスでも売っているので向こうも安心して食べられるし、抹茶味は日本らしく、かつフランスではそんなに流通していない。ここに来るたびに配っているので、「ミキオといえばキットカット抹茶味」というのは定着しているだろう。こうした重くない儀礼的なお土産は、フランス人は案外素直に喜んでくれて、コミュニケーションの潤滑油としてはかなり有効だ。

明日の午後はニースのカーニバルの花合戦を見に行くので、午前中に学生たちの分も含めチケットを購入した。立ち見席は一人14€、日本円で2500円くらいだ。円安の影響が重い。

ニース在住の友人に頼まれて、日本で中古の袴を何着か買って持ってきていた。ずいぶんかさばったし、重量もかなりのものだったので、正直、かなり面倒な依頼だった。彼女は数年前からスタイリストとしての活動を始め、その仕事で日本の着物や袴をコーディネートの材料として使っている。次の仕事でどうしても必要だということだった。彼女とは、私がフランス語教授法の研修でAzurlinguaに初めて来た2014年の夏に出会った。


この研修は日本フランス語教育学会を通して参加者募集があり、一名に現地滞在費と研修費用が出るというものだった。2014年は、私が応援している静岡県立舞台芸術センター(SPAC)がアヴィニョン演劇祭に初めて招聘された年で、公演は7月。私はどうしてもそれを見に行きたかった。しかし低賃金の非常勤講師生活では、芝居のためだけにフランスへ行く贅沢は考えられなかった。そんな時にこの研修の募集があった。「仕事」という名目があれば、無理をしてでも行く口実になる。そう考えて応募した結果、ニースに来られることになったのだ。当時の自分は、フランス語を教えて生計を立ててはいるものの、意識は「演劇・フランス文学研究者」の方がはるかに高かった。そのため、ニースでの研修はアヴィニョンへ行くための「おまけ」程度に考えていたのだが、いざ参加してみると、二十数カ国から集まった教員たちとの交流は予想外に刺激的で面白いものだった。日本人は私一人だけだった。

前置きが長くなったが、袴を届けた彼女とは、この研修後の延泊中に出会った。ニースの下町のレストランで隣のテーブルだった彼女夫妻が、料理の写真を撮っていた私に話しかけてきたのだ。話がはずみ、テーブルをくっつけて夕食を共にした。その2ヶ月後、彼女が友人二人と東京へやってきた。その予定があったからこそ、あの時私に話しかけてきたのかもしれない。東京で彼女たちを案内して遊んでいるうちに、私はまたニースに行きたくなった。そこから自力で関係各所と連絡を取り、自分のクラスの学生に声をかけ、翌年の2月に初めての研修旅行を実施した。以来、今回の10回目まで続いている。彼女との偶然の出会いがなければ、このプロジェクトは計画すらされなかっただろう。

彼女は現在、スタイリスト活動の傍ら、ニース旧市街の眼鏡屋で働いている。初めて会った時もカンヌの眼鏡店の店員だったので、別の店で元の職業に復帰したことになる。チケット売り場が旧市街のすぐ側だったので、購入後、裁判所広場にある彼女の職場に寄り、袴を渡した。

彼女と別れた後、昼食。昨夜の七面鳥は美味しかったが、少し胃もたれしていたのでアジア風のあっさりしたものを求めてGoogleマップで検索し、ヴェトナム料理屋へ向かった。新しくシックな店で、注文は大型タッチパネル。人気店らしく満席だったが、10分ほどで入店できた。化学調味料は入っているだろうが、あっさり味のフォーは優しく、穏やかに美味しかった。テキパキと働くスタッフの様子にも心が和んだ。


午後は学校のスタッフ、クロエによる旧市街と砂糖菓子店「Florian」のガイドツアーだ。昨年から課外活動はすべて自分で手配しているが、学校側が追加料金なしでやってくれるというのでお願いした。正直、自分の方が詳しいと思っていたが、クロエの解説は充実していた。「だまし絵」の窓の起源が中世の窓税にあることや、城山を徹底攻略したルイ14世の歴史、1860年までサヴォア公領だったニースの複雑な立場など、知らないことも多かった。彼女の明瞭なフランス語を、私が適宜通訳して学生に伝えた。




学校から旧市街を回り、城山公園の展望台まで上る行程はしんどかったが、そこから見下ろす地中海と街並みは格別で、学生たちも満足した様子だった。その後、老舗の「Florian」へ。ここでは偶然にもニース在住20年の日本人社員の方が案内してくれた。日本語での説明は、当たり前だがはるかによくわかる。南仏の果物や花を使った手作りの菓子は高品質で、円安の影響もあり高額だが、その手間暇を知れば納得の価値がある。私は試食で堪能し、購入は見送った。せっかくの高価な品も、その価値が伝わらない相手に渡すのは空しいと感じてしまったからだ。


工房を出たのが午後6時。夜のカーニバルがあるため、歩いてマセナ広場付近まで戻る。その際、ある学生が「大家が外出して夕食が出ない」と言い出した。ホームステイの契約上、あり得ない話だ。心配になり、学校から2キロほど離れた滞在先まで付き添うことにした。学生が道に迷うハプニングもあり、家に着いたのは午後7時半。家は真っ暗で大家は不在。勝手に中に入るわけにはいかないので、玄関先で学生と別れた。

帰宅後、夕食はココナツ風味のタイ風カレー。これが実に美味しかった。この家のご飯は本当にやばい。四旬節ダイエットのつもりだったが、歩き疲れた空腹も手伝い、またたくさん食べてしまった。



2026年2月17日火曜日

ニース研修2026春第2日

 2026年2月16日(月)第2日

学校のレジダンスに宿泊することになった学生二人のことが気に掛かりながらも、こちらも飛行機長時間移動やらカンヌ往復、そしてその後の鍵騒動で疲れていたので、すぐに眠った。
午前7時15分にiPhoneの目覚ましをかけていたのだが、目覚ましが鳴ってしばらくすると、またアラームが鳴る。スヌーズにしていたのかなと思ったら、昨夜の鍵騒動の大家の老婦人から電話だった。朝起きて、自分の携帯電話の留守番電話に入っていた録音を聞いて驚いて電話をかけたとのこと。昨夜は体調が悪くてぐっすり眠っていて、チャイムも電話も昨夜は気づかなかったとか。学生二人が何も言わずに黙って外出したので、部屋の中にいるだろうと思い、彼女たちが鍵を持っていない扉の上方にあるもう一つの鍵も閉めてしまったとのこと。
一応反省してオロオロしている感じではあったのだが、「何も言わずに外出した学生たちが悪い」みたいな如何にもフランス人っぽい言い訳をするのにむかっとした。そもそもその老婦人には、昨日、彼女たちが外出前に、私が電話で「今日はこれからカンヌに行って外食するので、そちらで夕食の用意はする必要はない」と伝えているのだ。そしたら向こうは「わかった」と言っていた。またフランス語には「行ってきます」に対応する表現はない。あとで学生に話を聞いたところ、家を出ようとするときに、老婦人が電話中だったので、一応「出ます」と伝えたのだけど、それが聞こえてなかったのかもということだった。
老婦人にはこれから学校に行って、学校の担当者と私の学生を交えて話をします。それからあらためて話を伺います、と伝え、電話を切った。
8時半に学校へ。今回は18人の学生をレベル別に二クラスに分けて欲しい、クラスのメンバーはわれわれのグループだけに限定する「閉じた」クラスで構成して欲しいと事前に伝え、「了解した。そのリクエストには応えるので、まかせておけ」という返事はもらったのだが、今週は受講生が少なくて、学校全体でA1、A2、A2+の3クラスしか開講できない、クラスはすべて「オープン」で他の国からやってきた学生との混合となるという話になっていた。こういう状況は事前にわかっていたはずなのに、事前に連絡がない。当日になって「変わった」だ。よくあることではあるがやれやれという感じだ。

しかし例年、2月の下旬は学校にとって繁忙期ではないとはいえ、昨年までは最初級のA1からB2まで、6から7クラスは開講されていたはずだ。今回は我々のグループ以外は、すべて「個人客」で、その個人客もせいぜい十数名だ。Azurlinguaでこんなに受講生が少なかったことはこれまでない。たまたまなのか。学校の状況がちょっと心配になる。
昨夜の鍵騒動の件については、グループ担当のサンドリーヌはすでに状況は承知していた。老婦人から学校に電話があったらしい。しかし昨夜この件で老婦人の家までやってきた送迎責任者のロマンは、今日からバカンスで学校に来ないという。昨夜は「じゃ、ミキオ、また明日この件については話そう」とか言っていたのに。緊急連絡先となっている彼の電話番号に電話をかけてもなしのつぶてだ。まあ、これもよくあることだが、ほんと、かなりむかついた。
サンドリーヌがホストファミリーの担当者なのだが、彼女も老婦人から状況は聞いたけど、彼女も体調が悪くて、学生たちが何も言わずに出かけたのでしかたない、とか言う。そして自分から解決について何の提案もしない。サンドリーヌはオープンで愛想のいい女性だが、仕事が本当に雑で、昨年も彼女の怠慢で、ホストファミリーのトラブルがあった。昨年は二回あったので、二回目は私はカンカンに怒って抗議したのだけど、その抗議のされ方がショックだったみたいで彼女を泣せてしまった。
こうしたホストファミリー関連のトラブルで、弱い立場にあり、一番の犠牲者は大金を払って研修に参加している学生なのに、学校側は被害者である学生の立場に立って動くことはない。サンドリーヌに、老婦人の大家と学生とあなたを交え話をする必要があるので、電話して訪問の約束をとりつけてくれ、と言うと、「昼休みでいいか?」というので、「今すぐだよ」と伝える。するとはいはい、わかりました、みたいな感じで、電話して、授業の休憩時間の10時15分に学校を出て、大家の家に行くことになった。ほんと、ヒトゴトみたいな対応だ。私のせいじゃないけど、まあミキオがギャアギャア言ってるし、という感じなのだと思う。
Geminiに大家との話し合いでの対応策について尋ねると、的確なアドバイスをくれた。
Geminiの回答
これから行われる話し合いは、学生たちの「安心感の回復」と、ホストマザーおよび学校側への「責任の再確認」が最大の目的です。 マダムが「病気だった」という理由を主張している以上、それを頭ごなしに否定すると感情的な対立になりかねません。しかし、「病気であること」と「契約不履行(学生を危険に晒したこと)」は別問題として切り分ける必要があります。
学生たちはあの家には住みたくないかもしれないが、スーツケースはあの家にあるし、新たにステイ先を探すとなるとこれがまた一仕事で、代替の家がましかどうかは賭けになる。朝の電話では自己弁護の言い訳はしていたものの、オロオロとしていて、反省していたみたいだったので、この午前中の面接の状況でステイ先を変更したいかどうか、考えて欲しいと学生たちには伝えた。
それで結局、学生たちにはそのまま同じ家に滞在してもらうことになった。マダムは性懲りもなく自己弁護はしていたけれど、それは押さえ込んだ。ここでこちらの本気を示さなければならないと思い、私も強い態度で出た。今後のあり方などを確認して、和解ということに。学生たちは午前の残りの授業は休んで、家でようやくシャワーを浴び、着替えることができるように。


ちなみに滞在先の建物は、ニース特有のネオコロニアルなシックな建物で、老婦人一人暮らしとは言え、調度や内装も立派なところだった。しっかり釘をさしておいたので、マダムの様子からみて、おそらくマダムは同じ過ちは二度としないと思う。マダムのこの対応も、グループの責任者である私が出てきて、学校の担当者を同席させたからだと思う。おそらく学生だけで対応させていたら、まあ、昨夜は学校に泊まることになったのは申し訳ないけど、結局は巧く解決したでしょ、と流していた可能性が極めて高いように私は思っている。
日本でも同じではあるが、フランスではとりわけ怒るときは本気で怒って、舐められないようにしなければならない。本当に幼稚に、素朴に、おとなしい人たちを舐めてかかる傾向が強い。という風に考えるようにさせたのは、Azurlinguaでの経験ゆえである。日本がフランスよりマシかと言えば、まあ本質的には変わりない。日本のほうが弱い者いじめは、フランスよりより陰湿で洗練されて狡猾であるとも言える面があるので。
学生たちは内心どう思ったか気にはなったが、とりあえず一件落着で、自分の仕事は果たした気がして気は軽くなった。昼飯はこの不運な女子学生二人にランチを奢ろうと思ったのだが、二日ぶりに身繕いができる彼女たちの準備が手間取って、結局、学校の近所のパン屋でサンドイッチを買って、学校の中庭で食べた。ランチの償いはまた別日で。
この学校近所のパン屋はどうってことのない街のパン屋だが、値段が安くて、サンドイッチは巨大でボリュームたっぷりで、美味しかった。チュニジア人がやっていて、私はチュニジア風サンド、唐辛子ソースとツナのサンドイッチを食べた。
今日の午後は、本来は学校のレクリエーション担当者がニース旧市街とニースで人気の老舗お菓子屋の工場と売店をガイドツアーしてくれるはずだったが、カーニバルによる道路封鎖などのため、明日にしてくれとこれも今日になってから言われる。そのため、午後は、私のガイドでニースの隣にある美しい港町、ヴィルフランシュ=シュール=メールへの遠足にした。海沿いの小さな街だが、その旧市街の構造、特にトンネルとなった街路が独特で、私は好きな場所である。ニースから列車で10分ほどのところにある。鍵騒動の二人も含め全員が参加。
今日はヴィルフランシュ=シュール=メールの海で、船による「花合戦」が行われ、大勢の観光客がいた。例年、この時期はひっそりしている街なのだが。「花合戦」はカーニバルのプログラムの一つだ。ニースのカーニバルは有名だが、この時期、南仏のいろいろな街でカーニバルの祭が行われている。ヴィルフランシュ=シュール=メールの海の花合戦については私は知らなかった。



旧市街を回り、街と海を見下ろす高台にある16世紀の要塞に登り、また街に降りて、50分ほど自由時間とした。私はその自由時間のあいだ、要塞博物館を散策した。要塞博物館は昨年確か行ったのだが、入り口がどこかあやふやだった。自分が行ってから学生たちも要塞博物館に連れてくればよかったとちょっと思う。博物館といっても要塞の内部が一部開放されているだけで、特に展示物はないのだけど。


ヴィルフランシュ=シュール=メールの旧市街の特異な景観は学生たちも気に入ってくれたと思う。風は強かったが天気がよく、海の色がきれいだった。

17時頃にニースに戻る。ニースの目抜き通りであるジャン・メドゥサン通りにあるFNACとMONOPRIXを学生たちに紹介して、私は家に戻った。うちの滞在先の夕食は、20時からと遅め。今日の献立は七面鳥のプロヴァンス風ハーフローストがメインで、それにサヤインゲンとにんじんのサラダ、マッシュポテトがついた。マダムが料理好きとのこと。七面鳥の旨みが、ハーブの風味によって引き立っていて、とても美味しかった。食べ過ぎた。ニースではダイエットも目標だったのに。飯がうますぎる。やばい。




フランスでの食事は会話の時間でもある。1時間半ぐらいご飯を食べながら、とりとめのない話を。ここ数年のフランスの夏の暑さや彼らのバカンスの過ごし方、これまで彼らが受け入れたホームステイ学生についてなど。まだお互いどんな人かわからないので、どこまで踏み込んだ話ができるのか探っている感じだ。