2026年2月26日木曜日

ニース研修2026春 第11日目

 

2026年2月25日(水)第11日

朝8時半に起床。午前中は韓国語の勉強をしたかったのだが、3月中に刊行予定の研究論集の目次の改訂やその他、事務的な仕事がいくつかあって、韓国語の勉強ができなかった。目次改訂、その他の学務に関する事務作業は基本、億劫で手をつける気になかなかなれない。やらなければ仕事上の信用を失ったりするのでやらざるを得ないのだけど。YouTubeやTikTok、本当にどうでもいい動画をグズグズ見ていたりして、取りかかるまでに時間もかかった。自分はマルチタスクが基本できない人間であることに気づいたのは2年ほど前のことである。あることが気に掛かると、そのことから頭が離れず、別の作業への注意が散漫になってしまう。それをかなり無理してやってきたのだ。ニース語学研修中は、研修に関わることでまず頭が占められる。そのことだけでチケットの手配やら学校への連絡やらいろいろやることがある。ニース語学研修に関わることだけで既にマルチタスク状態なので、さらに日本での学務や研究に関わるさまざまな事象になかなか気が回らないし、やる気が起きない。と書いているうちに、やらなくてはならない作業がまた頭に浮かんで、気になってしまう。

昼は学生3人と昨日予約したニース料理店、Le Tchitchouでご飯を食べた。この店には過去二回、Azurlinguaの校長に連れて行ってもらったことがある。今日は夜もレストランで外食なので、昼の食事は抑えておこうと思った。Le Tchitchouはテーブルが5卓ほどのこじんまりした店だ。


前菜はニース郷土料理の盛り合わせとニース風サラダを頼んだ。盛り合わせには7品ぐらいあっただろうか。大皿で提供されるので見栄えもいい。Le Tchitchouでの食事は一年半ぶりだったが、前菜皿のどの料理も本当に美味しかった。絶品。ドレッシングのベースはオリーブオイル。そのオリーブオイルベースのドレッシングが、素材の旨みを増大させているかのようだ。野菜のほか、たこのマリネや小さないかのからあげもあるのが嬉しかった。

メインは私はニース風内臓煮込みを頼んだ。フランスでは内臓をよく食べるということは、確かマンガ『美味しんぼ』で得た知識だ。内臓煮込みは、ニース以外のいろいろな地方であるらしい。私はノルマンディのカーンでもご当地風の内臓煮込みを食べたことがある。焼肉でもホルモンを好む私は、メニューに記載があれば、もつ料理を頼むことが多い。ニース風内臓煮込み、美味しかったがボリュームがありすぎて、食べきれなかった。味付けもかなり濃いめでヘヴィ。お腹がパンパンに膨れてしまった。学生たちはそれぞれ、ブレッド入りのニョッキのドーブ、ニース風蛸の煮込みなど、ニースならではの料理を食べていた。多分このクオリティのニース料理は、日本では食べることは難しいだろう。もつ料理が重かったため、夕方までずっと残っている感じだった。

食事後、今日はニースの高台のシミエ地区への遠足。SNCFの線路の側のバス停からバスで10分ほどのところにある。ここは古代ローマ史跡があり、広大な浴場跡遺跡を敷地に含む考古学博物館、20世紀初頭にニースで創作活動を行いいくつかの代表作を残したアンリ・マチスの美術館、フランシスコ会の修道院であるシミエ修道院とその附属教会と庭園がある。シミエ地区についたのは14時半ぐらいだった。マチス美術館への団体入場の予約は3時45分なので、1時間ぐらい時間がある。マチス美術館のそばにある考古学博物館にまずは行った。



考古学博物館には団体入場予約はしていなかった。いつも空いているし、これまで団体予約なしで入場できた。ただ一度だけ入場時にもめたことがある。ニースの市立美術館・博物館は、学生は国籍を問わず入場無料となる。この博物館に入場するときに、学生証の提示を求められたので、日本の大学の学生証を学生から集めて提示したのだが、「こんなものを見せられてもこれが学生証かどうか私には確認できない」と言われ、無料入場を拒まれたことがあったのだ。このときも「遠く離れた日本からわざわざやって来たので、お願いします」などと交渉して、しぶしぶという感じで学生無料扱いにしてくれた。アンティーブのピカソ美術館やコロナ禍のときからリニューアル工事で休館中のニース現代美術館、モナコの海洋博物館でも同じようなことはあった。

学生に国際学生証を作らせれば面倒はないのだけど、滞在中1回あるかないかのこうした事態にそなえ、しかもたいてい交渉次第でなんとか乗り切れることなのに、数千円も出して国際学生証なんてインチキくさい組織の発行するものを作らせるのは何かなあという気もしたし、こうした交渉ごとはストレスといえばストレスだが、自分のフランス語コミュニケーション能力の鍛錬の場にもなる。という具合に考えて、敢えて日本の大学の学生証だけ持ってくるようにと学生には伝えていた。ただ今回は、日本の学生証も「なくしたら嫌だから」と持ってきていない学生もいたが。フランスではこうした扱いの裁量は、対応する職員に委ねられていて、要は相手次第だ。

今日もちょっと身構えて考古学博物館の受付に行ったのだけど、「日本から来た。大学生18名と引率私の1名の団体だ」と伝えると、学生証などの証明書などの提示を迫られることなく、「遠くからよく来たな」とあっさり無料の入館証を発行してくれた。引率者の私の身分証明書は求められたが、国際演劇評論家協会の会員証を提示すると、それが通った。国際演劇評論家協会の会員証がはじめて役に立った。

ニース考古学博物館の建物の裏手にある広大なローマ帝国時代の浴場遺跡は壮観だと思うのだが、風呂文化について愛着が乏しいフランス人には古代人の風呂の遺跡に好奇心をそそられないのか、いつ来てもこの博物館はガラガラだ。今日もわれわれ以外の訪問者は、数人だけだった。博物館の館内には浴場跡遺跡の解説パネルや、シミエ地区の考古学調査で発掘された石棺や碑文、石像などが展示されていた。1時間ほど博物館で過ごした後、マチス美術館へ。ここはけっこう混雑していた。


明るいパステルカラーの赤の壁面が印象的な17世紀邸宅を改装したマチス美術館は20世紀初頭にニースに滞在したマチスの重要な作品のいくつかを所蔵しているのだけれど、入口ホールの大作をのぞき、本館に展示されている作品の多くは習作的な素描で、あまり見応えのある美術館ではない。ただ各展示室のやわらかいオレンジ色の明かりは、この時期の明朗でシンプルな色彩と図形で構成されたマチスの画風と調和していて感じがいい。

マチス美術館のあとは、オリーブの木が並ぶ公園を抜けて、シミエ修道院附属教会へ。おそらく17世紀の建築だが、バロック様式の祭壇の装飾と天井のフレスコ画、壁に掛けられている大きな聖画のかずかずは見る価値がある。教会のあとは、修道院の庭園に移動した。ここからは市街地ニースの「裏手」にあたる地域を見下ろすことができる。今日はそんなに長い距離歩いたわけではないのに、昨日の《ニーチェの小径》の山下りのダメージのためか、足の疲労感が強い。



修道院の庭園で解散とし、希望者は私と一緒にバスでふもとに降りて、旧市街で買い物をするとした。Google Mapを見ると、シミエ修道院から歩いて15分ぐらいのところにバス停があり、そこから旧市街に行けるとあった。しかしそのバス停は私が利用したことがないバス停で、シミエ修道院からそのバス停方面は崖のようになっていて、降りられるような感じがしない。それでもGoogleが言うならと、その通り進むと、その崖のような斜面に沿って、さきほど修道院庭園から見下ろしたパヨン川に降りる急階段が続いていた。このルートは私は知らなかった。下りだからよかったものの、絶対このルートから修道院に上って来たくはないような階段道だった。この麓の川沿いにあるバス停に止まるバスが90分以上の遅れという謎の事態だったのだが、この線は幸い本数が多くて、しばらくすると旧市街方面行きのバスが来た。

旧市街に着く頃にはもう6時20分ごろになっていた。ニース名産のベレワインを扱っているワインショップに向かう。私はお土産用のベレワインを2本購入するつもりだったが、このあと7時から2年前にこの語学研修に参加し、この秋からストラスブールに留学している学生と食事をする約束があるので、重いワインを持ってレストランに行くのは嫌だなと思い、購入は次の機会にすることにした。学生たちのうち、何人かはワインを購入していた。

18時45分に私はワインショップを出て、トラムに乗って、Libération駅の側にある魚介類のレストランへ。Azurlinguaのスタッフが推薦していた店で、この店で2年前研修に参加していた学生WKNと会うことにしていた。彼女は同じくストラスブール大学に留学している上智大学の友達とニースに休暇に来ていた。今、フランスの大学は2月休みらしい。

レストランについても私は昼の食事の臓物料理がまだ残っている感じでまったく食欲はない。メインを一品だけ、できるだけボリュームのなさげなものを頼んで、場合によっては残してもいいかと思った。せっかくの魚介料理なので残念であった。前菜として生牡蠣を頼んだ。6個を3人でシェア。私は用心して1個しか食べなかった。メインは二人は魚介の具のパスタ、私は日本風のマグロのタルタルというやつを頼んだ。これは生のマグロキューブを円筒状に整形したもので、もずくのような海藻が乗っていて、醤油ベースのドレッシングがかかっている。ポテトフライと一緒に出てきた。この料理は案外いける。




到着したときは疲れと満腹感で元気があまりなかったのだが、ご飯を食べながら話しているうちに、どんどん調子が出てきて、というか調子に乗りすぎて、普段は寡黙な私だが、いつもより饒舌にいろいろと話した。酒を飲んでいないのに酔っ払っているかのように。WKNは、先日私が誕生パーティで家に行ったイザベルさんの家に2年前滞在していた。イザベルさんはWKNとWKNより数年前にイザベル宅に滞在した別の女子学生がごっちゃになっていることが判明する。WKNもイザベルさんに時折連絡をとっていたようだ。2時間ほど食事しながら談笑。しゃべっているうちに体調も回復した感じになった。

彼女たちは明後日までニースに泊まり、そのあとマルセイユに滞在して、ストラスブールに戻るという。マルセイユでは東横インに泊まるそうだ。東横インは、私が国内出張でよく使うビジネスホテルチェーンで、ヨーロッパではマルセイユのほか、フランクフルトにもある。東横インの内装は、どの支店でもほぼ同一だ。値段の安さと、どこでも同じクオリティの部屋とサービスが提供される安心感が東横インの特徴だが、マルセイユではどのレベルでこれが実現されているのかは前から気になっていた。マルセイユの東横インの写真とレポートを送ってくれるように要望を出した。

3月に刊行される論文集の目次改訂のアイディアを考える大仕事は明日の午前中に。これがけっこう悩ましいというか、手をつけるのが億劫なのだが、明日中に編集者に伝えないと3月中に本が出ない。

2026年2月25日水曜日

ニース研修2006年春 第10日目

 

2026年2月24日(火)第10日

今日は午後からエズ村に遠足に行く日だった。午前中は家にいたが、家で何をしていたのか思い出せない。8時半過ぎまで寝ていて、朝ご飯食べて、Duolingoをやって。仕事関係のメールの返信などをしていたのか。あ、そうそう週末のイベントのシミュレーションをしていたのだった。

昼前に家を出る。家を出てまず近所にあるニース料理の人気店、Le Tchitchouに行って、明日、明後日、明明後日のいずれかのランチを予約できないか尋ねた。この店は地元の人に圧倒的に支持されているニース料理の名店だが、こじんまりしているので、予約必須となっている。Azurlinguaの校長に二回連れて行ってもらったことがある。幸い、明日のランチ、4人席を予約できた。やはりニースにいるのだから、本場のニース料理は食べておきたかった。そのあと、学校に向かう途中でケバブを買って、それを昼食とした。

フランスのケバブは、肉の量が日本のケバブより多くて、美味しい。何年か前に、フランスから帰ったちょっとあとに江古田のケバブ屋に行ったとき、ケバブのボリュームが物足りなく感じた。ケバブ屋の店員に、「どこから来た?」と聞くと、「トルコ」と答えた。「イスタンブールでこのボリュームのケバブを出すなんてありえないだろう?」と言うと、「日本では事情が違いますから」と返ってきた。そう、事情が違うからしかたない。

ケバブはフランス留学した日本人学生ならたいてい好きになる。私もケバブを知ったのはフランスだ。ボリュームがあって、安くて、肉と野菜が食べられる完全食だ。私は一時kebabisteを名乗っていた。フランスのいたるところにケバブ屋があるが、ニースよりもパリのほうがケバブ屋の競争が激しいためか、ちょっとクオリティが高いように思う。ニースのケバブも十分おいしいのだが。ケバブ屋は女性客は少なく、白人女性がケバブ屋にいることは極めて稀だ。ブルーカラーの有色人種がケバブ屋のメインターゲットだと思う。


エズ村にはバスで行く。昨日夕方に、ニースの観光案内所(touriste information)で行き方を確認した。フランスは全般的にサービス業に携わる人の労働モラルは、日本の平均と比べるとはるかに低くて、無気力、無能、無愛想の三拍子そろった店員の気分の悪い応対をされることがちょくちょくあるのだが、私の経験では医療関係者(医師、薬剤師)、劇場スタッフ、そして観光案内所のスタッフで、嫌な思いをしたことはない。いずれも感じがよくて、テキパキと仕事をこなす。フランスのtouriste informationは日本の観光案内所より、歴史的な事情で公的なステイタスが付与されていて、職業意識が高い、とどこかで聞いたことがある。ひとりで旅行するときは、いわゆる観光目的でないことがほとんどなので、観光案内所に情報を得にいくことは数回しかなかったが、ニース語学研修旅行では学生たちを連れていかなければならないので、たびたび観光案内所に問い合わせに行った。応対は丁寧だし、情報は的確で、Google Mapではわからないノウハウを得ることができる。

ニースからエズ村には路線バスで行くことができるのだが、この路線バスの始発駅であるヴォーバンのバスターミナルにまず行かなければならない。ヴォーバンは学校からは2キロ以上離れたところにある。ヴォーバン始発でエズ村に行くバスは、1時間に1本しかない。エズ村での滞在時間をできるだけ長くとりたかったので、13時半ヴォーバン発のバスに乗ることにした。そのためには、ニースヴィル駅の近くからトラムに乗るよりも、鉄道で一駅のニース・リキエ駅まで行き、そこからヴォーバン・バスターミナルに行くのが一番早い。そのため、学生たちの集合時間をニースヴィル駅に12時45分に設定した。

ヴォーバン・バスターミナルからエズ村までは80番のバスで30分ほどだが、途中から崖沿いの山道となる。ニースのバスの運転は全般的に荒くて、急発進急停車が多い。昨日、グラースで香水アトリエに行った学生たちのなかには、カンヌからグラースへのバスで車酔いした人が何人かいたようだ。バス乗車時に、回数券のカードを人数分、バス内の検札機にかけるのだが、15人分の検札が必要なのに、11人分しか検札されない。フランスの機械にはありがちなトラブルだ。何回やってもダメだった。

「コントロールの連中が来たときに、罰金を取られるのは嫌だ」と言うと、運転手が「おれが証言するから大丈夫」と言うので、11人分だけ検札して乗車した。



南仏のニース近辺には、「鷲の巣村」と呼ばれる急峻な崖山の頂上付近に形成された村や町がいくつもある。ニースとモナコのあいだにあるエズ村は「鷲の巣村」でも最も知られているところで、高所から見下ろす地中海の景観がすばらしい。人気観光スポットで、ニース語学研修旅行では毎回学生たちを連れて行っている場所だ。エズ村に着くと、まずこの村の一番高所にある植物園に向かって登った。植物園に至るまで、急な坂道に沿って石造りの道と家が密集している街の風景が特徴的だ。バス停から植物園までは15分くらい。まず植物園の頂上まで登り、パノラマを楽しみ、1時間後にふもとにあるガリマールの香水工房の前に集合することにした。今回の語学研修旅行は天気に恵まれていて、おそらく滞在中、雨に降られることはないだろう。

植物園のあとは、18世紀から営業を続けるフランス最古の香水工房、ガリマールを、まずフランス語のガイド付きで見学した。ガイドは20分ほどか。前に一度、この香水工房ガイドをお願いしたことがあるが、今回は依頼するときに「ゆっくり、優しいフランス語で」と言ったためか、以前聞いたガイドより内容が薄かったように思う。私が通訳しなくてはならないので、早口で情報量が多いと困るのだが。

香水の香りはnoteと呼ばれる階層で細かく分類されて、そのnotesは大きく、note de tête「トップ・ノート」、note de cœur「中間部のノート」、note de fond「土台のノート」に分類される。香水は三つの段階のnoteを複雑に混交させて作られるとか、香水は原料とその匂いの質によって、花類、樹木類、シダ・コケ類などのfamille「家族」に分類されることとか、香水師養成の学校はフランスにしかないことや、グラースがなぜ香水の首都となっているか、などなど。前に聞いたときは、香水の製造方法についての説明もあったように思った。

日本にはフランスのような香料の分厚い伝統はない。現代の日本ではむしろ無臭が志向されていて、フランスで香水が発達しているのは、フランス人があまり風呂に入らないので、その体臭消しのためだ、というような俗説が流布している。しかしフランスにおける匂いの文化の歴史は長く、その蓄積による技術の高さや哲学は、日本人が思うよりも遙かに深いものである。というようなことは、たぶん9年ぐらい前にこの香水工房のガイドによって知ったものだ。

工房のガイドツアーのあとは、店舗での買い物時間となる。ガイドツアーは買い物の宣伝みたいなもので、予約なしで無料だ。私たちをガイドしてくれた店員は、日本人向けの三つの香水を用意し、プレゼンテーションした。香水は100ミリリットルで65ユーロ前後とかなり高価なものだが、学生のうち何人かは購入したようだ。日本ではフランスのガリマールの香水がどれほど知られているのか知らないが、よい記念にはなるだろう。私は何も買わなかったが。老年おやじに近くなって、ちょっと加齢臭というのが気になっていたので、どうしようか迷ったけど。まあ必要なら、日本でなんか買えばいいか。ここの香水(匂いの持続力が一日)やeau de parfum(匂いの持続力が5時間ぐらい)は、天然素材だけを使った本物だけに高い。フランスはおおむね、高くて素晴らしいものか、安くてひどいものしかない。お買い得品というのが日本よりはるかに薄い国だと思う。30分ほど買い物時間を設定した。

このところ歩いてばかりで疲れがたまっているので、帰りもバスでニースに戻るつもりだった。それが一番安上がりでもある。しかし次のニース行きのバスは5時50分だった。ガリマール香水工房を出たのが5時前だ。9年前にここに来たとき、そのときはAzurlinguaのスタッフが連れてきてくれたのだが、帰りは「ニーチェの小径」という山のなかの道を降りて、ふもとにあるSNCFのエズ駅まで行き、そこから列車に乗ってニースに戻ったことがあった。かなりしんどい山道ハイキングだったが、そのあとは、夜にオペラを見たことも覚えている。Google Mapでは40分で麓に降りることができて、しかも平坦な道とあった。Geminiも「ハイキングコースとしては中級。今の季節で、下りならおすすめです」みたいなことを言っていた。50分、エズ村で無為に時間を潰すより、このニーチェの小径を降りてみることにした。下りだし、ハイキング気分も味わえて、バスで降りるよりもいいのではないかと思ったのだ。


しかし9年前の私は若かったんだなあと思った。昨年9月と10月に普通の道で転倒して、そのせいで肩の痛みがずっと続いているので、転ばないように慎重に降りたのだが、「平坦な道」どころか岩がゴロゴロしているかなりの急斜面を延々と降りなくてはならない。気軽なハイキングコースではまったくなかった。転けないようにゆっくり降りていったが、膝はガクガクで、汗はダラダラ。学生たちは若いだけあって、さっさと降りていった。私がなかなか降りてこないので、戻って私を探しに来てくれた学生もいた。本当にひどい山道だった。またエズに来る機会はあると思うが、《ニーチェの小径》はこれが最後だ。無駄に学生たちを疲れさせてしまった。自分も体力温存しておくべきなのに。エズ駅から鉄道でニースに戻る。

夕食はレンズ豆とにんじんにソーセージ。いかにもフランスの家庭料理らしい料理だ。今夜もとても美味しかった。またついつい食べ過ぎてしまう。



2026年2月24日火曜日

ニース研修春2026 第9日目

 

2026年2月23日(月)第9日

語学研修が第二週目に入った。今日は遠足の予定がない日で、午前中の授業の後はフリーになっている。学生の一部は授業後にグラースに香水作りのアトリエに参加するとのことだった。ちょっと心配だったけれど、自主的に自分たちで企画して、実行するというチャレンジは悪いことではない。行程の連絡と帰着後の報告をするように念押しして、許可した。
私は午前中は滞在先の家で、韓国語のZoomレッスンを受けた。始めて3ヶ月になるが、自分が思っていたよりも単語などが覚えられなくて、すごく上達した感じはない。昨年の7月からDuolingoで韓国語の勉強を始めていたのだが、4ヶ月やってもまったく上達した感じがないので、知り合いのつてでソウル在住の韓国人の先生を紹介してもらい、1回80分、週1で教えてもらっている。ハングルは一応読めるようになったが、すらすらは読めない。これがネックになっているように思う。ただ自分が新しい言語を学ぶことで、自分のフランス語教授法の課題も見えてきた。韓国語レッスンはZoomの個人レッスンなので、先生はとても丁寧に反復練習につきあってくれる。自分のクラスの授業ではここまで丁寧に指導はできないが、参考になることは多い。
昼休みの時間に学校に行き、学生と外食したときの未回収の食事代を受け取る。今日の夜は、7年前から毎年学生を預かってもらっているイザベルさんの家の誕生パーティに招かれている。そのプレゼント用のチョコレートとワインを旧市街で午後に買おうと思っていた。それでチョコとワインの購入に興味がある人は一緒に来ていいよ、と呼びかけたら数人の学生が一緒に行くことになった。

昼ご飯は先日行ったアジアン料理屋の日本人店員がニースで一番人気のフォーの店、と言っていたベトナム料理屋に行くことにした。外からは店のなかの様子がうかがいにくい、ちょっと入るのに躊躇する店だったが、ガラッと扉をあけて中に入る。店内には5つほどテーブルがあったがほぼ満席だった。丸テーブルが空いていて、そこに私のあとにやってきた若い中国人カップルと相席で座ることに。このカップルとはテーブルに案内される前に入り口で言葉を交わしていたのだが、実に感じのいい人だった。エンジニアとしての勉強をするために、3ヶ月前からニースにいるという。フランス語はあまり得意でないようだったので、片言の英語、ときおりフランス語で会話をした。


私たち3人が同じ丸テーブルで食事をしていると、さらにあとから中国人の中年女性が店に入ってきて、彼女ともテーブルをともにすることに。丸テーブルが見知らぬアジア人に占拠されることになった。中国人カップルは中国の南の地方の出身で広東語が第一言語だという。二人のあいだでは広東語の会話がなされていた。あとからやって来た中国人婦人は二人とは知り合いではないらしい。彼女は北京語しか話さない。中国人カップルの男性が中国人婦人のことばをたびたび仏語まじりの英語で翻訳して、私に伝えた。何を注文したとか、日本のどこに行ったことがあるとか、たわいのない会話だ。
日本人と中国人のメンタリティや物事の認識の傾向にどれくらい共通するところがあるのかよくわからないけれど、フランスにいると、同じ東アジアのマイノリティというだけで何となく安心感を持つことができる。私はパリに滞在するときは、好んで13区の中華街に宿を取るが、東アジア系の人が周りにいるとなんとなく安心感があるし、実際、フランスで感じの悪い中国人と出会ったことはない。パリに留学中は、中華料理屋や中華スーパーに食生活のうえで散々世話になったので、私に限らず、パリ留学した日本人留学生は中国人に足を向けて寝ることはできないはずだ。孤独な留学生活で、食生活は精神の安定のうえできわめて重要だ。それにしても今日の中国人カップルは片言の英語での会話とはいえ、実に気持ちのいい人たちであった。


昼食後、学校に戻り、3人の女子学生と旧市街に向かう。最初にチョコなどの買い物をしようと思ったが、毎週月曜日にサレヤ広場で開催されている蚤の市に先に行くことにした。フランス語では、蚤の市はmarché aux pucesもしくはbrocanteと言う。サレヤ市場は火曜日から日曜日は花と食料品屋が並ぶマルシェなのだが、月曜だけは骨董や雑貨、食器などが並ぶ古物市なのだ。私は何も買う予定はないのだけど、グラースでの香水アトリエに参加している学生から、「卵立てがあったら写真送ってください」とメッセージが入り、卵立てを探しているうちに見て回るのが面白くなった。やはりなにか目当ての品物があると、こういう古物市は楽しめるのだろう。古着や絵画、アクセサリーなどいろいろなものが売っていたが、とりわけ目についたのは食器類だ。19世紀の有名なメーカーの銀製のスプーン、フォークなど一式は、ぎょっとするような値段がついていた。



ジェラートが食べたくてしかたなかったので、先週火曜日の学校主催の市内ツアーでガイド役のクロエが推薦していた聖ルパラート大聖堂の広場のジェラート屋に向かったが月曜が休日だった。旧市街にある地元ワインのベレを扱っている酒屋も月曜休業。結局、旧市街を抜けたところにあるチョコレート屋で、小型チョコレートの詰め合わせをイザベルさんの誕生日用に買った。


そのチョコレート屋のそばに、La Sorbonneという品揃えがいい書店があるので、学生たちを案内する。日本の作家コーナーのそばで学生たちが、若いフランス人女性に話しかけられていていったいどうしたんだと思ったら、その女性はニース大学で文学を専攻している学生だった。英文学専攻だが、日本人作家の小説も読んでいて、特に村上春樹の作品のファンとのこと。穏やかで感じのいい女性だった。10分ほど立ち話をする。ニースでは人なつっこい、好奇心旺盛な人とちょくちょく出くわす。南仏っぽいなと思う。パリではこういうことはほぼないように思う。
本屋を出た後、学生たちと別れ、Monoprixで靴下とヘアスプレー、お菓子を購入して、一度、自分の滞在先に戻る。なんのかんので今日も長距離歩いてしまった。昨夜は韓国語の授業の準備もあったので寝不足だ。昨日、一昨日の遠足での長時間歩行もけっこうダメージが残っている。疲れた。
けど18時半に家を出て、イザベルさんのところへ。イザベルさんに私の研修の学生をはじめて預けたのは7年前だ。それ以来、ずっと継続的に、私の学生の受入をお願いしている。イザベルさんとその夫のフランソワは、本当にニースの下町のおばちゃん、おっさんという感じで、誠実で、開けっぴろげで、裏表がない。善良さのかたまりみたいな人で、安心して学生を預けることができる。毎年お世話になっていて、しかも滞在中にイザベルさんの誕生日なので、数年前から誕生日にチョコレートの贈り物をしていた。一昨年、彼女の誕生日に招待されたのだが、そのときは私の体調が悪くて招待を受けることができなかった。昨年は、マントンの遠足に、イザベルさんが参加した。そして今年、ようやく彼女の家に行くことになった。



偶然、イザベルさんの住んでいる建物には、2014年の夏に知り合った眼鏡屋で働くスタイリストのイザベルも住んでいる。どっちもイザベルという名前のためややこしいが、ホストマザーのイザベルは何年か前まで保育ママをやっていて、スタイリストのイザベルは娘を前者のイザベルに預けていたことがあったのだった。今日の誕生パーティにはスタイリスト・イザベルも招待されていた。他は近所に住むイザベル夫妻の友だちが3人来ていた。そのうちの一人、84歳のおばあさんの作ったタマネギ、アンチョビ、オリーブのピザ、ピサラディエールがとても美味しかった。ピサラディエールはニースのローカルフードの代表で、私はニースに来るたびに1回は食べているのだけれど、そんなに美味しいと思ったことはなかったが、今日のピサラディエールは、タマネギの甘みとアンチョビの苦みと塩気のハーモニーが絶妙で、4枚も食べてしまった。
イザベルさん、フランソワさんともほんとにかしましい。賑やかで陽気な食卓だった。今回の学生二人はおとなしめの女の子なのだけど、このかしましい家庭にもなじんできているようで安心した。イザベルさんが、「あいりは、このころ、フランス語でよくしゃべるようになった」と言うので、「フランスに段々慣れてきて安心したからでしょう」と応えたら、「いや、フランスじゃなくて、私に慣れてきたんだよ」と言うので笑った。確かにそうかもしれない。午後9時過ぎにイザベルさん宅を出た。楽しい晩餐だった。
一週間過ぎて、自分もようやくニースに馴染んできた感じがしたような日だった。

2026年2月23日月曜日

ニース研修2026春 第8日

 

2026年2月22日(日)第8日

モナコへの日帰り遠足の日だ。体調を崩した学生に朝がた電話をして様子を聞く。Gemini先生の助言では、「せっかくのモナコ、行きたい気持ちは痛いほど分かる。でも、君の検査数値はまだ体が戦っていることを示しているんだ。ここで無理をして帰国まで寝込むより、明日一日プロのように完璧に休んで、月曜日からまたみんなと笑って過ごそう。それが今の君のミッションだ」というものだった。Geminiはかなりの慎重派なのだ。しかし一応、回復しているのに、昨日、今日と、他の学生たちは出かけているのに、ずっと家に閉じこもっておくというのもさぞかしつらいはずだ。熱もないし、電話の様子でも元気そうにしていたので、結局、モナコ遠足への参加を許可した。
ニース駅への集合は午前10時と遅めにした。10時22分ニース発の列車に乗ったが、列車は大混雑だった。マントンのレモン祭の昼のパレードもそういえば今日だった。モナコにはこの研修では毎回必ず訪問しているのだけど、駅の出口がいまだによくわからない。昨年は変な出口から出てしまったため、最初の目的地である大公宮殿に行くまでに大幅な遠回りをするはめになり、大公宮殿前広場に着いたときには疲れ切っていた。今年もどの出口から出るのがいいのかわからない。選んだ出口は駅の北側の高台に出るもので、やはり間違っていたが、下り道で大公宮殿に向かう坂道にたどり着けたので疲労はそれほどでもなかった。
大公宮殿前広場に到着したのが午前11時半頃。確か正午に衛兵交替のセレモニーが宮殿前で行われていたことをなんとなく覚えていた。前に一度だけ、その時間に宮殿前にいたことがある。様式感のある、演劇的なセレモニーだったことを記憶している。宮殿入り口前には、その衛兵交替を見たい人たちの人垣ができていた。われわれもそれに加わり、衛兵交替のセレモニーを見物することにした。正午5分ほど前に、セレモニー開始。四角張った動作で、衛兵達は動き、あいさつ(?)を交わす。茶番じみた見世物のような儀式は、15分ほどだったと思う。


たかが持ち場の交替を、このように儀式化・演劇化しなくてはならなかった理由は何だろうと思う。今はある種の観光客向けのパフォーマンスとなっているが、もともとは観光客向けのスペクタクルとして演劇的な様式で行われたのではないはずだ。王権、領主権を可視化させて、国民に誇示する、という目的があったのか?しかしこの儀式は、国民向けに見せるものとしてあったわけでもないように思う。



眺望の良い大公宮殿前広場に、衛兵交替のあと20分ぐらいいて、写真撮影時間とした。その後、旧市街を抜け、大聖堂前まで移動。1時間の自由時間とし、この間に旧市街の売店でサンドイッチなどを買って、食事をとっておくように伝えた。私はケバブのサンドイッチといちごなど数種の果物のシロップ漬けを購入。ケバブサンドはまあまあ、しかしこれはアラブ人、トルコ人系の人が作るケバブではなく、迫力に乏しいものだった。果物は甘みがなくて美味しくなかったので、全部食べなかった。
休憩時間後は、エキゾチック植物園のなかの道を通って、モナコ海洋博物館へ。ここは学生料金が設定されていて、一般料金よりかなり安い。昨年はチケットを買うときに、「学生証を出せ」と言われたので、学生たちから日本の大学の学生証を集めてそれを見せたのだが、「中国語で書いてあるものを見せられても困る」「そもそもこれが有効な学生証かどうかわからない」とかいろいろいちゃもんをつけられたのを、なんとか「お願いします、日本からはるばるやって来たのですから」と粘って学生料金にしてもらった。今回もそういった対応を予想して若干緊張していたのだが、学生の名前と生年月日、年齢を一覧にしたリストを見せると、あっさり学生料金適用にしてくれた。このリスト作成は、アンティーブのピカソ美術館に団体予約したときに求められたものなのだが、他のケースでも役立つかもしれないと思い、何枚か印刷しておいたのだ。それが役に立った。また昨日のピカソ美術館同様、チケットの担当者がゆるい人で助かった。フランスはこういうとき、本当に人次第で対応が変わる。


海洋博物館は地下1階が水族館、上階が海洋についての映像と展示となっている。屋上にテラスあり。ミュージアムショップには可愛らしいデザインのものがそろっている。南仏観光といえば、モナコは外せないし、モナコ観光のコースは、大公宮殿、旧市街、大聖堂、海洋博物館、モンテカルロという流れなので、私はもう10回以上、海洋博物館に来ている。展示には毎年若干の変化はあるものの、新鮮味はまったくない。昨年はチケット購入で交渉が必要だったのに加え、館内の混雑も相当なものだった。今回は人が例年に比べると少なかったので落ち着いて、見学することができた。海洋博物館で90分弱、滞在する。


海洋博物館のあとは、一度港まで降りて、それからモンテカルロの丘に登ることになる。歩行時間は30分ほどだが、港からモンテカルロへの上り坂がけっこうしんどい。港からモンテカルロまでの公共エレベーターがあって、かつて一度それを利用して上ったことがあるのだけど、その場所が定かでない。今回、エレベーターの場所を探して利用しようと思ったが、Googleマップを頼りにモンテカルロに向かっていると、通常の坂道登山になってしまった。
モンテカルロのカジノ・歌劇場は、外壁工事中だった。せっかくここまで上ってきたのに中を見ることができないのかとがっくりしたが、建物の入り口の守衛さんに聞くと、中には入れるという。カジノの入り口前のホールに20分ほど滞在する。それからカジノの建物の裏手にあるF1コースのヘアピンカーブを見て、駅に向かった。



モンテカルロには10回以上来ているくせに、道をちゃんと覚えていない。駅の入り口が何箇所かあって、どの出口がどこに出るのか把握できていない。Google Mapに従って、駅に向かったが、このルートは無駄に上り坂を上るもので、足が疲れてしまった。「あ、これ、違うわ」と思ったときには遅い。モンテカルロに来るのに上ってきた坂道を下ったところに、駅に向かう長いトンネルがあったことを、途中で思い出したがもう遅い。
帰りの列車もけっこう混んでいて座ることはできなかった。学生たちも昨日に引き続き、今日も歩き回ったので、かなり疲れている様子だ。病み上がりの学生も、Geminiがあんなに警告していたのに、上り下りの道を長距離歩かせてしまった。
私の滞在先の家の夕食が異常に美味しい。美味しすぎる。今夜はスケソウダラ(lieu noir)の紙包み焼き(papillote)だった。キヌア(quinoa)という南米の穀物と、カリフラワー、あともう一つ、野菜が添えられている。香草とオリーブオイルのソースが絶品だ。毎晩、こんなご飯を作っているというのは、驚くべきことだ。料理はいわゆる家庭料理が主だが、その技術はプロ並みではないか。


こんなに美味しい料理が家で食べられるので、夜の外食はあまりしたくない。しかしいろいろ外出の予定があって、この美味しい家飯が食べられるのは、あと火曜、土曜、日曜の三日間だけだ。外食も、実はまだ行きたいレストランはいくつかある。西アフリカ料理の店、ニース料理の店、クスクスの店、レユニオン料理の店など。昼食時にいくつかは行っておきたい。せっかくニースにいるのだから、ニース料理の店が最優先か。しかし私の行きたい店は小さな店で、人気店なので果たして予約がとれるかどうか。電話での予約となるのもちょっと気が重い。

2026年2月22日日曜日

ニース研修2026春第7日目

 

2026年2月21日(土)第7日

午前6時45分起床。体調を崩した学生を朝一番で診療所に連れて行くか、アンティーブへの遠足を早めに切り上げニースに戻ってから診療所に連れて行くのか、迷う。朝、診療所に行った場合、診療所Doc Med 7/7が混んでいたりすると、予定通りアンティーブに遠足に行けなくなるかもしれない。午前10時半にアンティーブのピカソ美術館に団体予約していて、このピカソ美術館のスタッフが昨年、けっこう手続き面でうるさかったのだ。だから時間に遅れたり、キャンセルとかになるとまた一手間かかるかもしれない。私が病気学生についてニースにとどまり、他の学生は私なしにアンティーブに行かせるというのはちょっと無理そうだ。

かといって体調の悪い学生を夕方まで自宅待機させるというのも不安だ。万一、その間に体調が悪化したら後悔することになる、とか考えてしまう。

毎日休みなしで開いているクリニック、Doc Med 7/7の開業時間は、ウェブページを見ると午前8時だった。アンティーブ行きのためのニース駅の集合時刻は9時10分に設定していた。結局、病気学生のことを気にしつつアンティーブに私が行くよりも、たとえピカソ美術館の予約時間や予約していた昼食のレストランに遅れることになっても、朝のうちに学生に診察を受けさせることを優先すべきだと考えた。

電話すると、体調不良の学生は昨夜下痢が二回あったとのこと。ウィルス性胃腸炎の可能性もあるなと考えた。ただ熱はなく、しんどさはないとのことだった。彼は昨日、マントンの遠足のあと、夕方から夜にかけて海岸での「夕陽を見る会」にも参加している。昨日夕方のうちに、検査結果を解読して、医者に連れていけばよかったと後悔する。彼には診察時間の10分前に、Doc Med 7/7の前に来るように言った。


私は7時45分ごろにDoc Med 7/7に到着。私および彼の滞在先から歩いて5分のところにこういう医療機関があるのはありがたい。私たちの前には小さな子供連れの母親がいた。私たちは二番目だ。8時ちょうどに診療所に入り、8時30分に診察を受けた。最初は前回の診察とは違う医師だったが、運良く、前回診察をしてくれた医師が出勤して、途中から彼と交替になった。ラボの血液検査の結果や、昨日以降の経過を確認した医師の結論は、急性胃腸炎とのことだった。Geminiが脅かしていた炎症を示すCRPの数値は特に重大なものではないとのこと。とりあえずホッとした。ビタミン剤と下痢止めを処方された。

診察が終わった後、トラムのニース駅のすぐ側にある24時間365日営業の薬局に行き、薬を購入。そのあと、学生の滞在先に戻った。滞在先にはマダムがいた。状況を説明すると、こうしたことには慣れているので心配するな、とのこと。そのあと「学校には連絡、相談しないのか?」と聞く。この手の対応で、学校のスタッフがなんか有効な手助けをしてくれることはほぼ期待できない。過去の経験からして、期待したところで無駄。「報告したところでどういう意味があるんだ?」と言うと、マダムは「こちらは学校との契約で子供を預かっているので学校に病気の学生が出たことは伝えなくてはならない」と言うので、「あなたが伝えたければ伝えればいい」と言った。

こういう責任を問われかねないような状況での、フランス人のドライな対応、ある種の強固な自己防衛反応は、私は慣れっこだ。またこういうことがあるので、根っこの部分で、フランス人は信用できないと思っている。トラブルが起こって、ヤバそうだと、逃げる。もちろん日本人でもそういう人はあまたいるが、フランス人は日本人以上に露骨にそうで、個人的関係のみならず、職業的関係においても、私からみると責任回避の「投げ出し」に近いことをやる場合が多い。

学生は一見、回復したようには見えるが、少なくとも今日は、アンティーブ遠足と夕方からのオペラは諦めて、家で休むように伝えた。




予定の集合時刻9時10分より、20分ほど遅れて集合場所のニース駅に着いた。ピカソ美術館の入場予約には間に合った。美術館開場すぐだったらしく、館内に鑑賞者は少なく、ゆったりと作品を見ることができた。また団体予約で昨年はえらく理不尽で面倒なことを要求されて辟易したのだが、今回の受付の人は、予約したことを伝えるとあっさり学生を入場させてくれて、拍子抜けした。こういうのは、フランスでは本当に人次第だ。美術館の滞在時間を1時間取った。そのあと、美術館の近くにあるアンティーブのマルシェに学生たちを案内する。アンティーブのマルシェはその規模と活気で名高い。12時から2時間の自由時間として、私は3人の女子学生と昨日予約した海岸沿いのレバノン料理屋で昼食を取った。



レバノン料理はニースで2回食べたことがある。野菜が多い、ヘルシーでかつ日本人の口に合う美味しい料理だった。ニースのレバノン料理屋は大衆的で値段もひとりあたり20ユーロから30ユーロのあいだだったと思うのだが、アンティーブのこの店はちょっとシックで、一人あたり飲み物込みで40ユーロを超えた。高い。日本円に換算すると、なんて贅沢なランチだと思ってしまう。ただ料理は非常に美味しかったし、店の雰囲気もよかった。

レバノン料理については、料理名をほぼ知らないので、ウェイターに「いかにもレバノン料理っていう定番もの、おすすめを一通り食べたい」とリクエストしたら、ベジタリアンメニューである前菜の盛り合わせ二人前、肉串焼きを二人前頼むといい、とアドバイスされ、実際、このアドバイスは的確だった。フランス料理では、料理を多人数で分け合って食べたりはしないが、レバノン料理は前菜とメインがどかっと一度にテーブルに並び、それを取り分けて食べるスタイルだ。前菜の野菜料理はいったい何皿ぐらいあっただろう?壮観だった。私は普段野菜は好んで食べないのだが、茄子やトマトやひよこ豆などさまざまな野菜を使ったレバノン料理の前菜はどれも美味しかった。野菜不足になりがちなフランスで、これだけ多くの野菜を食べられるのはありがたい。串焼きの肉は、羊ミンチ、鶏肉、牛肉の三種だったが、いずれもしっかり味がついて、肉の旨みもある。値段は高いなとは思ったけれど、食事の内容としては大満足できた。

昼食を取ると90分ぐらいたってしまっていた。海岸沿いの道を集合場所まで歩く。再集合したあとは、海辺の堤防の先に設置された、スペインの現代彫刻家、ジャウメ・プレンサによるモニュメント《放浪者》を見に行った。プレンサはニースのマセナ広場のモニュメント《五大陸》の作者でもある。《放浪者》は、白いアルファベット文字で組み合わされた高さ6メートルほどの像で、膝を抱えて海の彼方を眺めている。中は空洞になっていた。


プレンサの《放浪者》に行ったのが、午後3時過ぎ。夜は18時からニース・オペラ座でクラシックのコンサートに行くことになっていた。それにはまだ間がある。

プレンサの像がある場所から港をはさんだ向こう側に、17世紀フランスの天才築城家、ヴォーバンが設計した《四角い要塞》が見える。アンティーブにはニース語学研修旅行のたびに来ているのだが、あの要塞のところまで行ったことはなかった。すぐそばにあるように見えるのだが、Googleマップでは徒歩40分とあった。時間的に微妙だが、この機会に要塞まで行ってみることにした。


しかしこれがなかなかきつくて、長い道のりだった。天気は快晴で、海と空のブルーは美しく、奥にあるアルプス山脈の白さと対比をなしている。絶景であったが、暑かったし、40分というのは思っていた以上に長距離で、要塞の入り口に着いた時にはヘトヘトになった。そして要塞に入ろうとしたら、受付で「今要塞内は定員で一杯なので、18人の団体が入場することは不可能だ」と言う。中に入る人数が決まっているらしいのだ。なんで?と思う。要塞って広そうなのに。「日本からわざわざ来たので、なんとかして欲しい」と粘ったが、結局ダメだった。アンティーブの駅までまた40分かけて戻る。

ニースに着くと、5時15分前くらいで、オペラ座でのコンサート開始まで余裕がない。5時半にオペラ座前に集合とした。ジェラートが食べたいという女子学生がいた。私ものどが渇いたし、ジェラートを食べたかった。トラムに乗って、旧市街に行き、ジェラートを食べながら、オペラ座まで行こうとしたのだが、カーニバルの夜のパレードのため、旧市街の入り口までトラムが行かない。マセナ広場の前で降ろされてしまった。このため、結局、ジェラートを買って、食べる時間はなくなってしまった。

オペラ座のコンサートのプログラムは、ハチャトリアンの《ヴァイオリン協奏曲ニ短調》とショスタコーヴィチの《交響曲第5番ニ短調》。学生たちは最上階の天井桟敷の席。見下ろすような高い場所だが、舞台はよく見えたと思う。私はけっこういい席を買ったつもりが、舞台から見て左側のボックス席の後列で、舞台の上手1/3は見えなかった。オペラでなく、コンサートだったので、舞台全体が見えなくても、問題はないが。



ハチャトリアンのヴァイオリン協奏曲は、とらえどころがないし、ソリストの演奏も音量が小さくてパンチが弱いような気がして、ちょっとうつらうつらしてしまった。休憩後のショスタコーヴィチの交響曲は私は好物の部類で、とりわけ最終楽章のダイナミックな盛り上がりには気分が高揚した。


コンサート終了後、オペラ座前で集合写真を撮ったあと、解散。私は昼はかなりしっかり食べたので、夜はコンサート終了後、さらっとケバブでも食べて帰るつもりだったが、昼がサンドイッチだけと軽かった学生が多かったみたいだ。昨日、家の場所を確認したカーボベルデ人家庭の学生もお腹が空いたと言っている。彼らは家では四旬節メニューでちょっと可哀想である。帰り道に、私が毎年行っているクスクス屋がある。昼にあんなに食べたにもかかわらず、あのクスクスなら食べられそうな気がして、その四旬節学生に「クスクスを食べに行かないか?」と声をかけると「行く!」という。さらに病気で自宅待機の学生と同室の学生も同方向だったので、クスクスに誘い、男5人でクスクス屋に行った。幸い空いていた。

Le Bédouin chez Michelという店だ。ここにはニースに来るたびに来ている。フロアを取り仕切るおじさんが冗談好きで面白い。彼がMichelかと思えば、Michelは店のオーナーの名前で、おじさんの名前は別だった。何と言う名前か忘れてしまったが。この7〜8年、私は毎年、学生を連れてきているので、おじさんはさすがに私のことは覚えていた。相変わらず、冗談ばっかりだ。客あしらいがうまい。


そしてこの店のクスクスも絶品だ。ボリュームたっぷりで、ダイナミック。まさにこれぞクスクスと私が思うクスクスを出してくれる。というかこの店のクスクスが私のクスクスの基準になっているのかもしれない。スムール(クスクスの粒)とスープはお代わり自由だ。野菜がたっぷり入ったスープが、クスクスと絶妙に合っている。そして副菜となっている羊肉、鶏肉、ミートボール、メルゲーズ(羊肉のピリ辛ソーセージ)もシンプルな調理ながら美味しい。値段も25ユーロ前後で、フランスの外食としては安い部類だ。

一年ぶりのLe Bédouinのクスクスはやはり美味しかった。学生たちも満足したようだった。おじさんもその様子をみて大満足の様子だった。