2026年3月7日土曜日

ニース研修2026春 第19日(最終日)

 

2026年3月5日(木)第19日


午前7時15分にiPhoneの目覚ましで目を覚ます。よく眠れた。このホテルの宿泊は朝食付きだった。日本のホテルにあるようなバイキング形式だった。このスタイルだとついつい食べ過ぎてしまう。昨夜会わなかった男子学生のグループは、昨夕はアクロポリスの丘付近に行き、夕食はスーパーで買って部屋で食べたとのこと。こっちは楽しくギリシャ料理レストランで夕食を楽しんでいたので、ちょっと申し訳ない気持ちに。今日の早朝、彼らは私が昨夕に上ったフィロパポスの丘に登り、日の出に照らされるパルテノン神殿を見たと言っていた。素晴らしい景観だったとも。私も早起きして行けばよかったなと思う。
9時15分前に、予約していた大型バン2台はちゃんと迎えに来た。料金は行きのときに、往復分で現金先払いだったので若干不安だったのだ。アテネ市街を出ると高速道路は空いていて、10時過ぎにはアテネ空港に着いた。
アテネ空港では、昨日ニース空港のカウンターでは発券されなかった上海→成田の搭乗券を受け取らなくてはならない。そして受託手荷物であるスーツケースの行き先がちゃんと成田になっているかどうかの確認も必要だった。
荷物のチェックインのカウンターでは、英語に堪能な学生にも、他の学生たちのチェックイン作業をサポートしてもらった。18人のチェックインとなると結構大変で、彼女のサポートは助かった。「ナリタ」とカウンターでは、各自繰り返し伝えるように学生たちには言い、学生たちは皆、そうしていたはずなのだが、上海→成田の搭乗券を受け取っていない学生がいた。カウンターの職員のミスだが、こんなことがあるから油断できない。アテネ空港での上海行きの便の搭乗が、今回の帰路にあたっての大きなポイントなので、すごく集中して学生たちの動きを追っていたら、手荷物検査の時、自分がカバンの中にパソコンと水を入れたままであったことを忘れていて、私が手荷物検査で手間取ってしまった。ニース空港もアテネ空港も手荷物検査のスキャナーは旧式で、いちいちパソコンなどを取り出さなければならないのが面倒だ。羽田では手荷物検査で新型スキャナーが導入されていて(ドバイ空港もそうだったような)、パソコン等を鞄に入れたままでもOKになっている。とりあえず上海行きの便に乗り込むことさえできれば、あと注意しなくてはならないのは、上海でのトランジット、成田でのスーツケース受け取りの二つだけとなり、9割がた帰国が見えてくる。
13時過ぎ、無事に上海行きの便に搭乗完了。3席の座席が3つ横に並ぶ機体で、私は中央列左通路側座席だった。長時間フライトなので空いている席があるかないかで疲れ方がかなり違う。幸い隣席は空席だった。
飛行機の照明が消されて暗くなってから、近くの通路で延々おしゃべりをしている乗客がいて、2時間以上ずっと話していて、煩わしくて仕方なかった。


私の場合、日本からヨーロッパに行くときには時差ぼけの影響はほとんどないが、ヨーロッパから日本に帰国するときは、帰国前日から日本の生活リズムを意識して生活し、飛行機のなかで無理に目を瞑っても、帰国後は一週間ほど時差ボケに悩まされる。早朝や深夜に目覚めたり、昼間に突然暴力的な眠気に襲われたり。帰国時の時差ボケに抵抗するのは諦め、帰りの飛行機では寝たいときに寝るようにしている。しかし今回は昼行便で、フランスの昼間から夜にかけての時間帯を9時間半飛ぶため、眠たくならない。飛行機の食事や消灯は到着地の時間に合わせられるので、消灯後は1時間ぐらい眠ったような気がするが。日本語吹き替えや字幕の映画が多数あるエミレーツ航空の機体とは異なり、吉祥航空は比較的大きなモニターではあるが、日本語で楽しめるコンテンツがない。ゲームの数独を何回かやったが飽きてしまい、最初の2、3章は読んだものの、あまり面白くなくてそのまま続きを読まないままだった、カナダの女性作家、マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』をiPhoneのKindleにダウンロードしていたので、読み始めた。超管理社会で、「出産する」ことだけを社会的に期待されている《侍女》として生きている女性の視点で語られるディストピア小説だ。フェミニズムの作家であるアトウッドの代表作で、読んでおくべき作品だと思っていたが、私はSF小説という枠組みが苦手なこともあって、ぐいぐい引き込まれるように読むという感じの小説ではなかった。最初の数章を読んだのはもう1年以上前だ。ほぼ内容を忘れているので、最初から読み始める。それでも上海に到着するまでに400ページぐらいあるなかの半分くらいまでは読み終えた。
9時間半のフライトはやはり長いが、隣席が空席だったため、疲労はそうでもなかった。上海空港の乗り継ぎは3時間ぐらいあったので、たっぷり時間があると思っていた。なのでトランジット用の道筋を、途中トイレに寄ったりしながらゆっくり移動していたのだが、このトランジットは思っていたより時間がかかった。トランジットのための経路が長大で、かなり長い時間歩かなければならなかった上、ある飛行機から別の飛行機に乗り換えるために空港内を移動するだけなのに、パスポートコントロールがあるのだ。このパスポートコントロールでけっこうな行列。このパスポートコントロールでは、どういうわけかアテネ空港で受け取った上海→成田の搭乗券が新しいものに交換され、それまで持っていた搭乗券は回収された。その後に手荷物検査。中国はハイテクが日本よりはるかに進んでいるという話を見聞きしたことがあるので、最新式スキャナーかと思えば旧式スキャナーで、しかも鍵やベルトのみならず、バッテリー、そして傘まで、鞄から出さなくてはならない。空港スタッフの対応は効率優先という感じで、荷物の扱いは乱暴で、職員の態度も横柄だった。そんなこんなで手間取って、われわれの便の出発ゲートについたときには、搭乗開始時刻まで1時間ほどしかなかった。時間の余裕はそんなになかったが、お腹が空いていたので朝がゆの朝食を食べた。
上海時間8時半、ほぼ定刻に成田行きの飛行機は出発。高市発言で中国人の日本渡航がめっきり減ったという報道があったので、もしかすると飛行機はがら空きなのかなと期待していたのだが、満席だった。成田までの飛行時間は2時間半。機内でアトウッドの『侍女の物語』の続きを読もうと思ったのだが、フランスでは真夜中の時間帯にあたっていたため、すぐに眠ってしまった。食事が一回出たが、朝がゆを食べていたのでお腹が空いていなかったし、帰国してからラーメンを食べるのを楽しみにしていたので、飲み物とザーサイみたいな漬物、干し果物だと思う菓子しか食べなかった。

日本時間の正午、予定通りの時間に成田到着。学生も疲れはあるはずだけれど、元気そうだった。荷物受け取りの前に、階段で集合写真を撮った。ロストバゲージを懸念していたスーツケースも全員分がすぐに出てきた。ミッション完了である。眠気と長旅の疲労が勝っていたためか、案外感慨はなかった。今回の研修の学生たちは、最後に国際情勢に翻弄される運命共同体となっただけに、同志感がさすがに湧く。戦友っぽい感じだ。本来の研修中のイベントも充実していたのだが、帰国直前に起こった帰路便キャンセルとその対処ゆえに、これまで10回にわたって行ってきたニース語学研修旅行のなかでも最も濃密なものとなった。
フランス語のことわざで"Tout est bien qui finit bien"というのがある。直訳すれば「うまく終われば、万事よし」すなわち「終わりよければすべてよし」。シェイクスピアの戯曲にも「All's Well That Ends Well」という喜劇がある。帰路代のチケット、ホテル経費、現地の延泊代など総額で40万近くの支払いが強いられたことを思うと「終わりよければすべてよし」とはすっきり言えないが、われわれの現実が思わぬことで国際情勢の急変とつながっていること、そして戦争がわれわれが想像している以上に広範な範囲に不合理をもたらすことなど、世界のありかたを学ぶ貴重なレッスンにはなったとは思う。あまりに高いレッスン料だったが。学生たちはもとより、私にとっても非常に大きなレッスンになったし、この経験で得たものは大きくて、重要だ。

空港に迎えに来ていた学生たちの親御さんたちが何人かいたので、挨拶をする。どの親御さんもさぞかし心配されていたはずである。「無事で何より」と多くの人に声をかけて頂いた。たしかにそうなのだが、安全という面では、われわれが滞在していたニースはまったく問題はないし、途中立ち寄ったアテネもそうだった。ただ戦争勃発に伴う空港閉鎖で突然、帰国便キャンセル、航空会社は代替機を用意してくれない、という滅多に遭遇することがない事態に巻き込まれたため、帰路便のチケットをなんとか手にすることができたものの、「オーバーブックや、突然のキャンセルで飛行機が飛ばない、とか言われたらどうしよう?」、「帰路の途中で誰かが怪我をしたり、病気になったら」という不安には囚われていた。軽口でも口に出してしまうと本当にこんなことが起こってしまいそうで、口には出さなかったが。
今後、エミレーツ航空からキャンセルされた帰路分の航空運賃の返還や海外旅行保険の保険金請求など、いくつかの事後処理が残っているが、私としては自分ができること、果たすべき責任は果たすことができたと思っている。学生たちがみな賢明かつ冷静だったこと、そして少ない情報をもとに、早急の判断を求められた保護者の方々の理解があったことも大きい。18名の人数がいながら、帰路を巡っての判断にコンセンサスがすぐに得られたことは非常に大きかった。そしてとっさの機転で、18人の帰路便航空券を確保してくれた旅行代理店の担当者の方の判断がなければ、われわれはまだ帰国できていなかったかもしれない。戦争という事態に巻き込まれたことは運が悪かったかもしれないが、私たちはいろいろな幸運が重なったことで、無事に全員帰国できたともいえる。普通は経験できないような状況を経験したことは、今後の人生の糧にすることができるのではないだろうか。
私はスーツケースは空港から宅配便で送ることにした。帰りに池袋でラーメンを食べたかったのだ。空港から池袋までは2300円の空港バスで。バスのなかでは熟睡した。
池袋駅地下の店でラーメンを食べる。特に贔屓の店ではなかったけれど、歩いて他の店に行くのが面倒だったので。フランス、そしてギリシアであんなに美味しいものばかり食べていたというのに、数週間ぶりのラーメン、日本食は、後頭部がしびれるほど美味しかった。


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