2019年2月20日水曜日

2019/2/18 ニース研修2019春 3日目

月曜日。今日から授業が始まる。
他の国の学生と混じったインターナショナルなクラス編成が好ましいのではあるが、事前に学校の担当者と打ち合わせしたところ、私が連れて来る学生はほとんどがフランス語の勉強を始めて1年の初級者なので、特に会話のレベルに差があって他の国の学生と混ぜるのは難しいとのこと。19人のうち初級の16人を2クラスに分け、中級とみなされる3名をインターナショナルのクラスに入れることになった。

私も授業に出たいのだが、今回は自分の論文の準備をニース滞在中に進めなくてはならない。語学の授業に生徒として出るのは何よりもまず楽しいし、フランス語力の向上だけでなく、他人の教え方を通して学ぶこともたくさんあるのだけど。

午後は学校主催の遠足でニース旧市街の散策とニースで名高い菓子工房の見学。ニースの町並みと海の美しさには、学生たちは感嘆の声を上げていた。私は何回も見ているけど、来るたびになんで美しいんだと思う。学校主催の遠足のあと、学生数名とお茶を飲んで休む。かなり長距離を歩いたので疲れた。

夕方は一人で遅れてニースの研修にやって来る女子学生を空港に迎えに行った。土曜のことがあるので、学校の送迎係だけでは不安だったので、私も同行することにしたのだ。今日の送迎は土曜日にいい加減な送迎をやったロシア人の青年だった。空港に向かう車の中での会話で彼がオケの指揮者であり、作曲家であることを知る。奥さんはバレエダンサーでモナコの劇場の専属とか。彼はニースの音楽院で教えつつ、語学学校の送迎のバイトをしているとのこと。

女子学生を彼女のホストファミリーに送ってから帰宅。夕飯は炒飯、八角を使った中華風スペアリブだった。これにキャベツのサラダがついた。美味すぎる。食べ過ぎた。マダガスカルは中国系移民も多く、中華風料理も私のホストのギヨームとマニアのレパートリーなのだが。このスペアリブとチャーハンに、マダガスカルの親戚が送ってきたという激辛の唐辛子ペーストを少しつけて食べると風味が一気に増してさらに美味しくなる。体重という面では実にやばい。今週の金曜夜はマダガスカルの料理を作ってくれると言う。実に楽しみだ。

土曜に高熱を出して病院に連れて行った学生の状態を確認する。急な高熱、悪寒などの全身症状、鼻水と咳、喉の痛みという風邪症状がぜんぶ揃った感じで、インフルエンザではないかと思ったが、病院の医師が処方してのは、アスピリン一回1000mgを1日3回を三日間というものだった。これに痰切り薬のカルボシステインのシロップとアスピリンでも熱が下がらなかった時に飲めという別の解熱鎮痛剤。
日本ではインフルエンザの解熱剤としてはアスピリンは推奨されていないはずだ。しかもアスピリンを1日1000mg×3回なんて処方はまずありえないだろう。
薬局で薬剤師にも一応確認したら、「インフルエンザは薬で治らないから、対処療法しかない。アスピリン飲んで寝るしかない」と言う。あとで別のフランス人に聞いたが、フランスでもタミフルなどとのインフルエンザ治療薬を出す医者はいないわけではないが、アスピリン大量投与で熱下げて苦痛を取り除くというのは普通のやり方のようだ。アスピリン3000mg/日は、やはり強力で土曜の翌日の日曜日夕には熱は平熱に戻ったとのこと。咳も大幅に改善したとのこと。多分カルボシステインの容量も日本より多いのではないか。

月曜日の今日は念のため家で休んでいたけど、熱は上がらず、咳も減ったとのことなので、明日から学校に来るように伝えた。アスピリンは万能薬だ。こちらは薬は全て箱売りなので、まだ余っているはず。余った薬は貰おうと思った。わたしが立替払いしたのだから別にこれくらいはいいだろう。
抗インフルエンザ薬に頼らなくても、アスピリンでインフルエンザを制圧できるのだ。

2019/2/17 ニース研修2019春 2日目

ニース研修2日目。
朝9時集合でプロヴァンス鉄道でアントルヴォーに行った。私を含め月曜夜にニースに来る学生を除く全員の19名で行く予定だったが、病気で不参加の男子学生が1名。そしてマイペースかつ寡黙な中国人留学生の女性学生は、「寝不足なので寝たいです」との連絡があり不参加。そしてさらに日本人女子学生2名が列車の出発時間になっても来ない。連絡もない。ニースに着いたばかりなので学生を野放しにしたくはなかったのだが仕方ない。
4名不参加で私をふくめて15名で行くことになった。

本来ならニースからアントルヴォーまでローカル私鉄のプロヴァンス鉄道で行けるのだが、区間工事中ということで30分ほど列車に乗った後は、1時間ほどバスに乗ってアントルヴォーに行くことになっていることを駅に着いてから知る。乗り物に弱い学生がいてそれを聞いて憂鬱な顔をしていた。昨日のニースが暖かったため、かなり薄着の学生もいた。アントルヴォーへ向かう路線は山の中に入って行くので、バスへの乗り換えの時はかなり寒かった。寒くなる可能性も考えといてくれよと思ったが、「暖かい格好をして来てくれ」と事前に言うのを思い浮かばなかったのを後悔する。

アントルヴォーに着くとなんと観光案内所が休み。日曜なので当然開いていると思っていたのだが。観光案内所で町を囲む城壁の外周と山頂の要塞に登る道のチケットを買うはずだったのだが、これでは購入できない。日曜は数少ないレストランや売店の多くは休みで村はひっそりとしている。観光しか無いようなアルプスの村だけど、日曜は休んでしまうところが、フランスらしい。かろうじてお土産物屋一軒とクレープや一軒が開業していた。

観光案内所休みでどうしたものかと途方にくれたのだが、開いていたお土産物屋のマダムに聞くと、山上の要塞に登る道に必要なジュトンは要塞道入口の自動販売機で購入できるという。ただしカードでの購入はできなくて、1ユーロか2ユーロの硬貨しか受け付けないとのこと。ジュトン一枚が3ユーロなので、我々の場合、45ユーロ分の硬貨が必要になる。昨日ニースに到着したばかりの我々は硬貨をほとんど持っていない。お土産物屋のマダムは「申し訳ないけど私の店にも硬貨はない。さっき別の旅行者に両替してしまったから。そこのスーパーに頼んでみなさい」と言う。

おじいさんか一人がレジにいる村のスーパーに入って頼んでみると、「日曜にここに来たのは運が悪かったな」と言って、おじいさんは電話して奥さんに50ユーロ分の1ユーロか硬貨の筒を届けるように言った。奥さんが硬貨の筒を持って5分後に到着。これで山上要塞に登ることができる。ありがたい。

ふもとから要塞まではジグザグの急な石畳の坂道を登って30分ほどかかる。私は汗だくになった。全員が山上要塞まで登ってから16時のニース行きのバスが出るまで自由行動とした。昼飯を食べなくてはならないが、村で空いているレストランはクレープ屋一軒のみ。ここの店内には15名ほどしか入ることはできない。学生の中にはサンドイッチの弁当を持ってきたものもいたけれど、われわれ以外にも観光客はチラホラいたので、昼飯はこのクレープ屋争奪戦となる。ということを思った私はさっさと降りて、クレープ屋に向かった。私と一緒に来た学生が7名。ちょうど7名分のテーブルが空いていた。セッカと呼ばれる牛肉の生ハムのようなものが入ったガレットを食べた。セッカはアントルヴォーのローカルフードだ。

私たち7名より遅れてクレープ屋にやってきた学生集団は、中で食べている私たちを恨めしそうに外から見ている。ここ以外で飯をとることのできるレストランはないので、寒いのにテラス席に座って注文を待っていた。私たちが食べ終わった時点でまだ彼らの注文は届いていなかったので、私たちと入れ替わりに彼らがレストランの中に入った。


レストランから出たのが2時過ぎて、帰りのバスまで2時間以上時間がある。ぶらぶらと村内を散策して時間を潰した。静かでひっそりとしていて実にいい感じだった。

午後4時20分にプロヴァンス鉄道の代替バスが来たのだが、バスが満員でわれわれのグループはバスに乗ることはできないと言う。次のバスは2時間後だ。
「それは困るよ。哀れな日本人グループはプロヴァンス鉄道に見捨てられるのか?」と言うと「いや、今すぐあなたたちを乗せるバスをここにもう一台呼ぶから」と言ってプロヴァンス鉄道の人は言う。そして私たちの目の前で電話をかけてバスの追加を要請した。
電話を切ったあと「大丈夫だ。もう車を出したって」と言うが、ここに置いてけぼりにされたらかなわんと不安で、「何分ここで待てばいいんだ?」とさらに聞いた。フランス人の仕事はどうも信用できない。するとまた電話して「15分だ」とのこと。本当に来るのかなと思っていたら、案外すぐに追加のバスが来た。

バスの中の様子で、学生たちが学校や性別、学年の違いを超えて、仲のいい雰囲気になっていることを確認できた。行きと逆のルートで列車に乗り換えると、その車内に朝、来なかった2名の女子学生が乗っていた。事情を聞くと、シャガール美術館が30分ほどで見られると書いてあったので、美術館に寄ってからプロヴァンス鉄道の駅に行こうと思ったら時間が過ぎてしまったとのこと。帰宅してから調べるとシャガール美術館の開館は10時から、こちらの待ち合わせは9時からなので、彼女たちの言い分がよくわからない。最初から遅れて行くつもりだったのか。

彼女たちは午後の列車とバスでアントルヴォーに行き、合流するつもりだったのだが、バスを乗り過ごしてしまい、アントルヴォーの先のアノーまで行っていたとのこと。電車一本で行けるはずだったのに途中からバスに乗せられるし、降りたところは聞いたこともない町だしということで、かなり心細い思いをしたに違いない。

今日の夕飯は旦那のギヨームによる貝類のパスタ。ペスカトーレと言うのだっけ? いやあ、絶品。あまりにおいしくて食べ過ぎてしまった。

2019/2/15-16 ニース研修2019春 1日目

5回目のニース研修。今年は例年より多く19名の参加者となった。
ニースまでは日本からの直行便はない。例年はドバイを経由するエミレーツ航空を利用していたのだが、今年はイスタンブールを経由するターキッシュエアラインズを利用してのニース行きとなった。今年はヨーロッパ便の航空運賃が全般に高くて、昨年まで利用していたエミレーツ航空が利用できなかったのだ。ターキッシュエアラインズを利用するのは私個人でも今回が初めてだった。成田からイスタンブールまでは12時間ほど、イスタンブールからニースまでは3時間ほどの飛行時間だった。イスタンブール空港での乗り継ぎ時間が約3時間。

2/15(金)にターキッシュエアラインズでニースに向かったのは私を含め20名のうち、18名。1名は同日のカタール航空でニースへ、もう一名は2/18(月)のスイス航空でニースに来る。

21時25分に成田発。現地時間午前4時過ぎにイスタンブール着。寝不足の状態で飛行機に乗ったので機内ではよく眠ることができた。イスタンブール便では6時間ぐらいは寝ていたはずだ。イスタンブール空港ではまずニース行きの飛行機の出発ゲートを確認し、そこまで移動してから、いったん解散する予定だったのだが、イスタンブール空港の掲示板には搭乗予定時間の2時間ほど前にならないとゲートが表示されない。とりあえず大きな電子掲示板の前を集合場所に設定して、搭乗予定時間の1時間半前を集合時間にして解散とした。私はハンバーガーショップでハンバーガーを食べる。ケバブ屋は空港にはなかった。

集合時間になると男子学生の一人が「飛行機に乗り込む前からちょっとへんな感じだったのですが、調子がよくないです。ニースに着いたら医者に連れて行ってくれませんか」と言う。熱を測ってみると37.7度あった。このまま熱が上がらなければ持参している市販の風邪薬を飲んで様子を見ようと言ったが、あとから考えてみると彼自身、「これはちょっと普通の風邪とは違う」という感じがあったから、医者に連れて行ってくれと言ったのだろう。

イスタンブールからニースまでの飛行時間は3時間ほどだったが、ここでもよく眠ることができた。機内で睡眠を十分にとることができたので、かなり元気な状態でニースに到着することができた。ニースに着くと「帰ってきた」という感じになり、気分も高揚する。
空港には学校の送迎担当者が2名、ホストファミリーが1名迎えに来ていた。この学校の送迎担当への連絡がいい加減で、空港であった時点から、リストにある学生の名前が間違っていたり、送迎担当者が学生の送り先を間違えて女子学生二人を送るはずの家に男子学生二人を託し、男子学生二人のはずの家に女子学生を置いていったり。さらに午後に別の便で到着する学生の迎えも要請していたのだが、その学生の名前を間違えていて学生は空港で待ちぼうけの状態になった。私のところに学校の担当者から「迎えにいったけどいない。どうなっているんだ?」と連絡が入ったけど、そっちが違う学生の名前で探しているんだろうが。学生は英語はかなりできる人だったのだが、送迎者のほうはフランス語オンリーだったので、空港で会っているにも関わらず、話が通じなくて二人とも茫然としていたらしい。

男子学生と女性学生の入れ違いについては、最初に女子学生を間違えた家に届けたものの、受け入れ家族のほうも性別が違っているのに頼りない送迎係に言われるままに学生を受け入れるもなんだかという感じだが。女子学生二人は自分たちが言われているのと違う家に受け入れられたことに気が付かなかったらしい。男子学生二人はすぐに気づき、LINEで連絡をしてきた。そのとき、私は調子が悪くなった学生を休日診療の大病院に連れて行って診察待ちだった。男子学生の大家と女子学生の大家に電話したところ、別にこのままで構わないという。男子学生も女子学生がよければこれでいいとのこと。女子学生には連絡がなかなかつかなかった。女子学生には事前にホストファミリーの情報を伝えていて、そこが海岸に近いブルジョワ住宅地帯にあるかなりいい家であることを知っていたので、ちょっと難色を示していたのだが、そのままそこに滞在することを承諾してくれた。

調子が悪い学生は幸い私の滞在先のすぐ近くの家に滞在していた。自分の滞在先に荷物を置き、海外旅行保険会社に保険金請求の手続きについて確認したあと、その学生のホストファミリーへ向かう。土曜日だったので、救急受付のある病院に行くしかない。マダムに休日診療の病院を聞く。熱がだいぶあがっていてしんどそうだったのでタクシーを呼ぼうと思ったのだが、マダムはすぐ近くのバス停からバスに乗れば終点で降りればいいだけ、バスなら1.5ユーロだからと言ってタクシーを呼ぶことに反対する。それでバスで病院に行ったのだが、バスは混んでるし、運転は荒いし、経路もじぐざぐで遠回りで時間がかかるしで、タクシーを呼ばなかったことを後悔した。

診察までは一時間ほど待った。待っている間にも熱が上がっているようで、かなりしんどそうに見えた。発熱、悪寒、咳、鼻水と風邪の諸症状が全部そろっているという。症状の悪化が急で、熱が高そうなので、インフルエンザの可能性を疑った。彼の周りに何人かインフルエンザ罹患者がいて、出発前にそうした人たちと会ったとも言っていたので。
診察待ちのあいだに、午後到着便で一人でやってきた女子学生から学校の迎えが飛行場にいないという連絡が入る。この対応で呼び出しを気にしながら、学校の緊急連絡先に電話したり、送迎係に連絡したり、学生と連絡したり。学校の送迎係は送迎係で私のステイ先に何度も電話したりしていたそうだ。

診察があって、熱を測ると39度だった。「これはインフル確定かな」と思って、医者にもその可能性を伝えた。医者は問診、触診ともにかなり丁寧に診察する。
しかし既往症や薬へのアレルギーを確認した後、医者が処方したのはインフルエンザ治療薬ではなかった。一回1000ミリグラムのアスピリンを毎食後、それでも熱が下がらなかった場合、アスピリン服用のあいだに飲む別の解熱鎮痛剤、そしてたんを切るカルボシステインのシロップ。

「インフルかもしれないけれど、これでいいんですか?」と聞く。私自身、一か月前にインフルになったとき、ネットで検索した情報ではインフルでは熱をむやみに下げないほうがいい、解熱剤としてアスピリンは勧められないというのを読んだことがあったからだ。
医師は「熱を下げて、養生するしかないんですよ」と言う。診断した医師が言うのだからそれに従うしかない。しかしインフルにアスピリン、しかも指示された服用量は一日3000mg。日本ではこんな大量のアスピリンを処方することはまずないはずだ。さらにプラスして別の解熱剤。

診察料は50ユーロだった。これはあとで保険で返ってくるはずだ。
医者に出してもらった処方箋をもって薬局で。薬局でも念のため、聞いてみた。
「インフルっぽいんですけど、アスピリンを出すのが普通なんですか?」
「うん、結局インフルは薬で治らないから、熱をさげて養生するしかないんですよ」と薬剤師も医者と同じことを言う。

薬剤師にタクシーを呼んでもらってタクシーで学生の家に戻った。ホストファミリーのマダムは、受け入れ学生がインフルの可能性があると伝えると、「なんでそれならタミフルを出さないんだ?」と言う。医師はインフル治療薬については一言も言わなかった。あとでほかの人に聞いてわかったのだが、フランスではインフルは薬で治らない、対処療法しかないということでアスピリン大量投与だけする場合がけっこう多いが、タミフルなどを出す医者もいないわけではないらしい。

マダムは学生が病気ということで、「うちの夫は気管支が弱くて、うつされたら困る」など正直にかなわんなあ、迷惑ですよという雰囲気で言ってきたが、それでも預かってもらうしかない。よろしくお願いしますと頭を下げる。近所のスーパーに行って学生に飲み物やすぐに食べられる食べ物を買って渡す。

その学生と同室の別の男子学生は一緒の部屋に日中ずっといると彼にとってもよくないということで、外に連れ出し、疲れてはいたけれど二人で海岸をぶらぶらと散歩する。この学生は私がフランス語を教えた学生ではなかったが、名古屋出身で父親はテレビのドラマや小さな舞台で活動する俳優だという。

海岸通りで午後に一人でやってきた女子学生から連絡が入る。ホストファミリーにたどり着くことができたとのこと。一人で海岸にいると中年フランス人男性からナンパされて、一緒にいるという。こちらも海岸にいるなら会いたいというので、待ち合わせをした。
中年おっさん男性と彼女がやってきた。おっさに「私の娘をナンパしたのか?」と聞くと、別に悪びれた様子もなく「いや、そんなわけではないけど。それじゃあ」とその男は去っていった。
その女子学生は十九時半に大家と待ち合わせして、中心部のレストランで飯を食べる約束になっていると言う。彼女につきあってその待ち合わせ場所までぶらぶら歩く。

初日の到着直後からずっと歩いている感じがする。帰宅すると疲労困憊。夕飯はラクレットだった。