5回目のニース研修。今年は例年より多く19名の参加者となった。
ニースまでは日本からの直行便はない。例年はドバイを経由するエミレーツ航空を利用していたのだが、今年はイスタンブールを経由するターキッシュエアラインズを利用してのニース行きとなった。今年はヨーロッパ便の航空運賃が全般に高くて、昨年まで利用していたエミレーツ航空が利用できなかったのだ。ターキッシュエアラインズを利用するのは私個人でも今回が初めてだった。成田からイスタンブールまでは12時間ほど、イスタンブールからニースまでは3時間ほどの飛行時間だった。イスタンブール空港での乗り継ぎ時間が約3時間。
2/15(金)にターキッシュエアラインズでニースに向かったのは私を含め20名のうち、18名。1名は同日のカタール航空でニースへ、もう一名は2/18(月)のスイス航空でニースに来る。
21時25分に成田発。現地時間午前4時過ぎにイスタンブール着。寝不足の状態で飛行機に乗ったので機内ではよく眠ることができた。イスタンブール便では6時間ぐらいは寝ていたはずだ。イスタンブール空港ではまずニース行きの飛行機の出発ゲートを確認し、そこまで移動してから、いったん解散する予定だったのだが、イスタンブール空港の掲示板には搭乗予定時間の2時間ほど前にならないとゲートが表示されない。とりあえず大きな電子掲示板の前を集合場所に設定して、搭乗予定時間の1時間半前を集合時間にして解散とした。私はハンバーガーショップでハンバーガーを食べる。ケバブ屋は空港にはなかった。
集合時間になると男子学生の一人が「飛行機に乗り込む前からちょっとへんな感じだったのですが、調子がよくないです。ニースに着いたら医者に連れて行ってくれませんか」と言う。熱を測ってみると37.7度あった。このまま熱が上がらなければ持参している市販の風邪薬を飲んで様子を見ようと言ったが、あとから考えてみると彼自身、「これはちょっと普通の風邪とは違う」という感じがあったから、医者に連れて行ってくれと言ったのだろう。
イスタンブールからニースまでの飛行時間は3時間ほどだったが、ここでもよく眠ることができた。機内で睡眠を十分にとることができたので、かなり元気な状態でニースに到着することができた。ニースに着くと「帰ってきた」という感じになり、気分も高揚する。
空港には学校の送迎担当者が2名、ホストファミリーが1名迎えに来ていた。この学校の送迎担当への連絡がいい加減で、空港であった時点から、リストにある学生の名前が間違っていたり、送迎担当者が学生の送り先を間違えて女子学生二人を送るはずの家に男子学生二人を託し、男子学生二人のはずの家に女子学生を置いていったり。さらに午後に別の便で到着する学生の迎えも要請していたのだが、その学生の名前を間違えていて学生は空港で待ちぼうけの状態になった。私のところに学校の担当者から「迎えにいったけどいない。どうなっているんだ?」と連絡が入ったけど、そっちが違う学生の名前で探しているんだろうが。学生は英語はかなりできる人だったのだが、送迎者のほうはフランス語オンリーだったので、空港で会っているにも関わらず、話が通じなくて二人とも茫然としていたらしい。
男子学生と女性学生の入れ違いについては、最初に女子学生を間違えた家に届けたものの、受け入れ家族のほうも性別が違っているのに頼りない送迎係に言われるままに学生を受け入れるもなんだかという感じだが。女子学生二人は自分たちが言われているのと違う家に受け入れられたことに気が付かなかったらしい。男子学生二人はすぐに気づき、LINEで連絡をしてきた。そのとき、私は調子が悪くなった学生を休日診療の大病院に連れて行って診察待ちだった。男子学生の大家と女子学生の大家に電話したところ、別にこのままで構わないという。男子学生も女子学生がよければこれでいいとのこと。女子学生には連絡がなかなかつかなかった。女子学生には事前にホストファミリーの情報を伝えていて、そこが海岸に近いブルジョワ住宅地帯にあるかなりいい家であることを知っていたので、ちょっと難色を示していたのだが、そのままそこに滞在することを承諾してくれた。
調子が悪い学生は幸い私の滞在先のすぐ近くの家に滞在していた。自分の滞在先に荷物を置き、海外旅行保険会社に保険金請求の手続きについて確認したあと、その学生のホストファミリーへ向かう。土曜日だったので、救急受付のある病院に行くしかない。マダムに休日診療の病院を聞く。熱がだいぶあがっていてしんどそうだったのでタクシーを呼ぼうと思ったのだが、マダムはすぐ近くのバス停からバスに乗れば終点で降りればいいだけ、バスなら1.5ユーロだからと言ってタクシーを呼ぶことに反対する。それでバスで病院に行ったのだが、バスは混んでるし、運転は荒いし、経路もじぐざぐで遠回りで時間がかかるしで、タクシーを呼ばなかったことを後悔した。
診察までは一時間ほど待った。待っている間にも熱が上がっているようで、かなりしんどそうに見えた。発熱、悪寒、咳、鼻水と風邪の諸症状が全部そろっているという。症状の悪化が急で、熱が高そうなので、インフルエンザの可能性を疑った。彼の周りに何人かインフルエンザ罹患者がいて、出発前にそうした人たちと会ったとも言っていたので。
診察待ちのあいだに、午後到着便で一人でやってきた女子学生から学校の迎えが飛行場にいないという連絡が入る。この対応で呼び出しを気にしながら、学校の緊急連絡先に電話したり、送迎係に連絡したり、学生と連絡したり。学校の送迎係は送迎係で私のステイ先に何度も電話したりしていたそうだ。
診察があって、熱を測ると39度だった。「これはインフル確定かな」と思って、医者にもその可能性を伝えた。医者は問診、触診ともにかなり丁寧に診察する。
しかし既往症や薬へのアレルギーを確認した後、医者が処方したのはインフルエンザ治療薬ではなかった。一回1000ミリグラムのアスピリンを毎食後、それでも熱が下がらなかった場合、アスピリン服用のあいだに飲む別の解熱鎮痛剤、そしてたんを切るカルボシステインのシロップ。
「インフルかもしれないけれど、これでいいんですか?」と聞く。私自身、一か月前にインフルになったとき、ネットで検索した情報ではインフルでは熱をむやみに下げないほうがいい、解熱剤としてアスピリンは勧められないというのを読んだことがあったからだ。
医師は「熱を下げて、養生するしかないんですよ」と言う。診断した医師が言うのだからそれに従うしかない。しかしインフルにアスピリン、しかも指示された服用量は一日3000mg。日本ではこんな大量のアスピリンを処方することはまずないはずだ。さらにプラスして別の解熱剤。
診察料は50ユーロだった。これはあとで保険で返ってくるはずだ。
医者に出してもらった処方箋をもって薬局で。薬局でも念のため、聞いてみた。
「インフルっぽいんですけど、アスピリンを出すのが普通なんですか?」
「うん、結局インフルは薬で治らないから、熱をさげて養生するしかないんですよ」と薬剤師も医者と同じことを言う。
薬剤師にタクシーを呼んでもらってタクシーで学生の家に戻った。ホストファミリーのマダムは、受け入れ学生がインフルの可能性があると伝えると、「なんでそれならタミフルを出さないんだ?」と言う。医師はインフル治療薬については一言も言わなかった。あとでほかの人に聞いてわかったのだが、フランスではインフルは薬で治らない、対処療法しかないということでアスピリン大量投与だけする場合がけっこう多いが、タミフルなどを出す医者もいないわけではないらしい。
マダムは学生が病気ということで、「うちの夫は気管支が弱くて、うつされたら困る」など正直にかなわんなあ、迷惑ですよという雰囲気で言ってきたが、それでも預かってもらうしかない。よろしくお願いしますと頭を下げる。近所のスーパーに行って学生に飲み物やすぐに食べられる食べ物を買って渡す。
その学生と同室の別の男子学生は一緒の部屋に日中ずっといると彼にとってもよくないということで、外に連れ出し、疲れてはいたけれど二人で海岸をぶらぶらと散歩する。この学生は私がフランス語を教えた学生ではなかったが、名古屋出身で父親はテレビのドラマや小さな舞台で活動する俳優だという。
海岸通りで午後に一人でやってきた女子学生から連絡が入る。ホストファミリーにたどり着くことができたとのこと。一人で海岸にいると中年フランス人男性からナンパされて、一緒にいるという。こちらも海岸にいるなら会いたいというので、待ち合わせをした。
中年おっさん男性と彼女がやってきた。おっさに「私の娘をナンパしたのか?」と聞くと、別に悪びれた様子もなく「いや、そんなわけではないけど。それじゃあ」とその男は去っていった。
その女子学生は十九時半に大家と待ち合わせして、中心部のレストランで飯を食べる約束になっていると言う。彼女につきあってその待ち合わせ場所までぶらぶら歩く。
初日の到着直後からずっと歩いている感じがする。帰宅すると疲労困憊。夕飯はラクレットだった。
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