2023年7月31日月曜日

2023/07/30 ニース第二日

 ニース二日目、授業開始の日。よく眠れた。朝6時半ごろに目覚める。

早めに学校に行って、おそらく緊張して最初の登校をするだろう学生たちを迎えるつもりだったのだが、学校方面に向かうトラムがなぜか途中までしか運行していなくて(心疾患の病人がトラム車内で倒れるという事故があったため、ということを帰宅してから家主のAnnickに聞いた)、別のルートで学校には到着したものの10分ほど遅刻しての到着になってしまった。
学生たちはすでに校舎内の教室で、レベル分けテストを受験中だった。学校の運営スタッフは3年半前とはかなり変わってしまっていたが、運営スタッフの中核のエリックは残っていた。校舎の入り口で3年半ぶりにエリックに会う。教員スタッフの中核であるアントニオもいた。久々にこうして再会できただけで、無性に嬉しくなる。教員にはほかにも数人、三年半前のスタッフが残っていた。
前回のフランス語教育研修は2020年2月後半に実施したのだが、私たちのグループの滞在二週目に、新型コロナのせいでカーニバルが中止になり、北イタリアの都市が閉鎖された。そして私たちのグループが学校を去った直後に、フランス全土は強制的な「引きこもり」状態になったのだ。それを思うと、3年半の空白を経ての旧知のスタッフとの再会はやはり格別のものがある。
新型コロナ禍のもとでは、Azurlinguaのような私立の小規模の語学学校はとりわけ厳しい状況にあったはずで、よくぞこの困難な時期を乗り越えて存続したものだと思う。この三年の状況を聞いてみると、2020年から21年にかけてはもっぱら遠隔授業だったが、フランスでは昨年あたりからはほぼ学校の状態は通常運転に戻っていたそうだ。
例年、多くの生徒が近隣のヨーロッパ諸国からやって来る夏のバカンスシーズンには、collège-lycée複合校の広大な校舎と敷地を借りて授業をやっているのに、今年の夏は本校舎での授業実施になっていたので、生徒がまだ集まらなくて苦しい状況に陥っているのではと私は懸念していたのだが、そうではなかった。
この2月ごろから続々と受講生が増え、この夏のバカンスシーズンには「爆発的状況」だったと言うのだ。そのため生徒に対して、先生の数が足りなくなってしまったようだ。例年の会場だったcollège-lycée複合校敷地を夏期講座で利用しなかったのは、7月に大きなテニストーナメントがその学校の敷地であったため、借りることができなかったという事情があったからだと言う。
日本では新型コロナ以降、円安や航空券高騰もあって、海外に行こうという機運が弱まっている感じがあるが、ヨーロッパでは「ようやく、コロナが終わった、さあどんどん外に出て行こう」という雰囲気になっているらしい。
こうした急激な受講生の増大のためだと思うが、授業プログラムも変則的になっていて、生徒群を大きく二グループにわけ、これまで標準コースは午前中に授業に行い、午後に遠足などを入れていたのを、一日置きに授業を午前にやったり、午後にやったりするかたちになっていた。こうした変更の説明は事前にまったくなかったので、最初に聞かされたときは「一日置きに午前中に遠足なんてどうかしてるのではないか?」と思ったのだが、学校としてはやむを得ない方策のようだ。しかしそれならちゃんと、最初の問い合わせから何度もやりとりしているのに、事前に説明してくれよ、と思う。
私たちの研修費用には朝昼夜の三食が含まれているプログラムのはずだが、先週木曜日にエリックから「今回はミキオのグループには昼食の予約が入っていないけど、それで間違いないか?」というメッセージが届いた。「昼食込みで申し込んでいる。それは学校の事務の間違いだ。確認してくれ」と返事を出したのだが、結局エリックからは返事が来ないままだった。今朝、エリックと再会したときにこの件について聞くと、「これから確認する」とのこと。結果的にはいつも使っている共同食堂(cantine)は工事中で利用できないので、学校から1キロほど離れた町の中心部のレストランで昼食を取ってくれ、とのことだった。こんなことはこれまでなかった。なんでまたこんな遠くのレストランに、と思ったがしかたない。「ちゃんと我々の席は予約できてるんだろうな? お金は学校持ちということもちゃんと伝わっているんだろうな?」と三回確認する。

今日の午前中は、最初の日なので学生たちはレベル分けテストだけで終わった。例年はレベル分けは、オラルで二三言応答するだけの簡単なものなのだが、今回はペーパーの試験とオラルの試験の二つでクラス分けを行っていた。
私たちの昼食のために学校が確保したレストランは、ニースの中心部のにぎやかな場所にある。思いのほか、きれいでお洒落で感じがいいレストランだったが、まあ、ごくありきたりの観光地レストランといった感じの店だった。幸いちゃんと店側に私たちの昼食の話は伝わっていた。リゾットかパスタかどちらかを選んでくれと言われる。私はリゾットを選んだ。それなりに美味しかったが、まあ普通の味。ボリュームはまあまああったが、前菜がなく、リゾットだけというのが物足りない。毎日同じメニューだったら嫌だなと思う。こんなといってはなんだが、こんな平凡なごはんでも、こちらのレストランでは15−20€ぐらいは取るだろう。
昼食の件も、こちらのリクエストがちゃんと伝わっていないし、変更についての連絡は事前に何もない。「工事」というのも本当かよ、と実はちょっと思っていたりする。先週私がクレームをつけたので、急遽、適当な代替手段を探したのではないかという気もする。フランス相手にビジネスすると、どうしても疑心暗鬼にならざるをえない。
昼飯を食べた後は、午後のエクスカーションの時間まで各自ばらばらに過ごすようにした。
午後はエクスカーションでニース旧市街を散策し、評判の高いお菓子工房フロリアンの見学をした。このエクスカーションの参加者は私たちのグループ11名プラス単独で受講しているヨーロッパ人の受講者7−8名だった。ガイドはAzurlingaで数ヶ月前から働き始めたというLauraという若い女性スタッフ。気温は30度を超えていて、炎天下とはいえないかもしれないが、日光の下を歩いて入ると暑さでバテるし、喉が渇く。フランス人はとかく早足でガツガツ歩く人が多いので、事前に「私は身体が弱いから、優しく歩いてくれ」と頼んでおいた。15時前に学校を出発して、旧市街の入り口当たりを一回りしたあと、ニース市街を一望できる「城山」に昇る。私はエレベーターを使ったが、私以外の若者たちは歩いて登った。お菓子工房Florianはニースでは人気の老舗で、チョコレートと花びらや果実を使った砂糖菓子で名高い。天然の材料だけを使って、手間と長い時間をかけて作ったお菓子の数々は、どれも美味しくて、見た目の洒落ているが、値段はかなり高い。あの材料と手間を知っていればこれらのお菓子のありがたみは増す。工房を見学したあとは、商品試食と販売の時間である。私はお土産用のお菓子を何点か購入した。
学校主催のイベントとして、このあとさらにウェルカムパーティが学校内で行われるとのことだが、私がまず疲れていたし、学生たちもけっこう疲れている感じだったので、このパーティ参加はパスした。学生たちとすれば他の国々からやってきた若者たちと親しくなれる機会だったかもしれないのだが。男3人組はガリバルディ広場からトラムで家に戻った。私は他の女性7人を先導して、ニースの旧市街の路地を案内した。ニースはやはり旧市街が素晴らしい。本当は夏の夜のこの旧市街の賑わいを見せて上げたいし、旧市街の路地にあるレストランで食事も楽しんでもらいたいとは思う。これぞバカンスのニースの醍醐味だと私は思うので。ただそれは私の体力と学生たちがどれだけ「いい子ちゃん」かである次第だ。ニース研修をはじめて二年目のときに、旧市街のライブハウスにジャズを聴きいったときのことを思い浮かべる。楽しかったなあ。大変だったけど。

帰宅は7時半ごろ。夕飯はキッシュ、サラダ、チーズ、そしてデザートとして手作りのレモンケーキだった。A nnickは料理が上手だ。しかしこのフランス風の料理は確実に私の体重を増加させてしまうだろう。
夕食時の雑談。最近、特にフランスの若者のあいだでエコロジー志向が強くなり、その影響で冬のフランスのレストランの野外テラス席での暖房が昨年から禁止になってしまったとのこと。冷房、暖房は、戸の閉まる密閉された空間でないとエネルギーの無駄遣い、エコではないということで、こうなったそうだ。Annick曰く、今のフランスはエコロジー推進とLGBT問題を全面に出す急進左派と移民排斥のナショナリスト極右に二極化しているとのこと。

2023/7/29-30 ニース2023年 第一日

 2020年2月以来、3年半ぶりに学生を連れてのニース研修。これまでは学生を連れて行くのは二月の後半だったが、今回ははじめて夏休み中に研修を行うことになった。夏のニースはただでさえ観光のハイシーズンで高いのに加え、円安や航空代金の高騰、そして物価の上昇などもあって例年よりかなり高額になってしまった。

募集時期も年度末で授業がおわって二ヶ月たってからだったので、果たして人が集まるのかなと懸念していたのだけど、結果的に10人の学生とニースに行くことになった。

ニース行きの航空便はエミレーツ航空を利用した。29日(土)22時半に成田空港を出発する便だ。余裕をもって19時半集合としていたのだが、電車に乗り間違えて40分遅刻した学生がいたり、スーツケースの鍵の不具合でスーツケースを開けられなくなった学生が空港内の修理屋で修理をしたりしたので、余裕をもった集合時間でよかった。ドバイ行きの便は私たちのグループ以外にも若者のグループが多かった。機内はほぼ満席だった。

成田からドバイまでは約10時間のフライト。ドバイで4時間ほどの乗り継ぎ待機時間があり、ドバイからニースまでは約6時間のフライトだ。ニースには午後2時頃に到着する予定だった。飛行機の中ではできるだけ眠っておいたほうが、ニースに着いてから楽だし、時差ボケの影響も小さくなる。とは行っても海外、ニースに行く高揚感でなかなか眠れるものではない。

現実と夢のあいだをうつらうつらという感じで、ドバイ行きの便では5時間ほどは眠れたと思う。ドバイでの4時間の乗り継ぎ時間は自由行動とし、学生とは離れてカフェでパソコンを開いてやり残しの仕事をしていた。

ドバイからニースまでの便もほぼ満席。ここでは2時間ほど眠って、残りの時間はパソコンを開いて仕事をしていた。エミレーツ航空のエンタテインメントは充実していて、見たい映画が何本かあったが帰りの便にとっておくことにする。

今回は3年半ぶりにニースの語学学校Azurlinguaでの語学で研修を行うのだが、学校の状況やスタッフがかなり変わっていて、申込みや入金などの事務作業で学校側の不手際というか、担当スタッフのいかにもフランス的な無能と無責任に振り回された。空港にスタッフがちゃんと迎えに来てるのかなというのもちょっと不安だったのだが、ちゃんと来ていた。空港から直接、学生たちと私はそれぞれの滞在先家庭に送り届けらられる。5つの家庭に11人が分散して滞在することになったが、今回はこれまで私が学生を預けたことのある家庭は一つもなかった。それもちょっと不安要素だ。女性たちの滞在先は学校まで歩いて10分ほどの家ばかりだが、男性三人の滞在家は、学校から3キロぐらいは離れた高台だった。私の滞在先も学校からかなり遠く離れた場所で毎日歩いて学校に行くことはちょっと難しそうだ。


荷ほどきが終わったあと、マセナ広場に私は行くので、私が「マセナ広場に何時にいます」とメッセージをLINEに送ったときに、そのあたりにいる学生がいればマセナ広場の噴水に来るようにと学生たちには伝えた。

私の滞在先は私と同年齢の女性の一人暮らしのアパルトマンだった。この2月からAzuringuaの生徒たちを受け入れるようになったのだが、そのほとんどは十代の女性で、アジア人の大人の男性は私がはじめてとのことだった。

学校まではかなり距離がある場所だったが、近所にトラムの駅があり、トラム一本で学校に行けることがわかった。学校まで30分もみておけば十分だろう。トラムの一週間券のシステムがカードへのチャージ式に変わっていることがわかり、それを遠くに住んでいる男学生3名に買って渡しておこうと思った。


ニースの気温は30度。東京よりは気温が低いが、日差しは強く、外を歩くとかなり暑い。今の時期は夜の9時頃まで外は明るい。夕方5時だとまだ昼過ぎという日差しの強さだった。3年半ぶりのニースの町だが、やはり美しくて活気のある町だ。この10年のあいだに、1回二週間ほどの期間とはいえ、10回ぐらいニースに来ているので、帰省先に戻ってきたという感じだ。旧市街や海岸通りの観光スポットよりも、ニース駅周辺の少々薄汚れた地域に来ると特にそう感じる。

5時半すぎに学生10名がマセナ広場に集合したが、午後7時頃から食事という家庭もあるので、今日は旧市街の入り口をさっと回っただけ。遠くに住んでいる男三人にニースのトラム・バス乗り放題の一週間券を購入し、学校まで案内した。学校の近くで偶然、3年前までニースに学生を連れてきたときにいつも私が滞在していたマダガスカル出身の家庭の奥さんに会う。この家は飯が異常に充実していて、マダガスカル料理も週に一回食べられるというのもあって、今回も滞在の希望を出していたのだが、そのリクエストが通らなかったのでどうしたのかと思っていたのだ。聞くと、二人の子供(兄と妹)が大きくなってそれぞれ別々の部屋を与えることになったので、学校の家庭滞在の受入をやめたとのことだった。もし都合がつくなら夕食に招待するとのことなので、早速さきほどメールを出して都合を聞いた。

私の滞在先に戻ったのは午後7時半過ぎ。シャワーを浴びたあと、家主のAnnickと夕飯。フランス人との夕飯はおしゃべりしながらになる。1時間以上かけて夕食を食べた。デザートのケーキも含め、Annickのお手製だった。パスタのサラダと、ミートパイとあとはオリーブのペースト、パン、チーズ、デザートはレモンケーキ。フランスっぽい夕飯だ。お腹いっぱいになった。