2018年9月4日火曜日

フランス修道院宿泊ガイド:ル・バルー聖マドレーヌ大修道院滞在の記録 その2(2018/07/25-27)

5.ル・バルー聖マドレーヌ修道院の歴史

ル・バルー修道院の歴史は浅い。設立したのはジェラール・カルヴェ師 Gérard Calvet (1927-2008)だ。1970年8月24日にベネディクト会修道士のカルヴェ師はスクーターに乗ってル・バルーのそばにあるベドワンBédoin村にあったうち捨てられた小さな礼拝堂にやって来た。この礼拝堂は聖マドレーヌに捧げられたものだった。ここで彼は聖ベネディクトゥスの戒律に則った修道生活を行おうとしたのだ。すなわち祈り、沈黙、労働、ラテン語の聖務日課、伝統的な典礼を行う日々だ。彼を敬愛する若い修道士たちがすぐにベドワンに次々とやって来た。
ラテン語による伝統的な典礼を行っている修道院がどれぐらいフランスにあるのか私は知らないが、カルヴェ師の伝統回帰は1960年代の第二バチカン公会議で、各国語による典礼が認められたあと、大半の教会がラテン語での典礼を捨て去ってしまったことへの反動だろう。またスク—ター一台で移動し、うち捨てられた礼拝堂に身を寄せる彼のもとに、多くの修道士が次々と集まり、共同体を形成する過程は、修道院の歴史からみれば原点に戻ったと言えるが、60年代70年代のヒッピーたちのコミューン形成の動きとの類似も感じられる。

彼らは礼拝堂周辺の粗末な小屋で生活していたが、増え続ける修道士にそうした生活も限界に近づいた。
1978年にカルヴェ師はル・バルー村に30ヘクタールの土地を手に入れる。募金活動で資金を集め、ル・バルーの地に新たな修道院の建設がはじまる。1981年に修道士たちはベドワンを離れ、ル・バルーに移る。1989年にようやく教会が建ち、ローマから大修道院として正式に認可された。

6.祈りの時間

修道院の生活は聖ベネディクトゥスの戒律に則って行われる。聖ベネディクトゥスは5世紀末から6世紀前半に生きたイタリア中部ヌルシア出身の修道士で、モンテ・カッシーノ修道院の創設者である。ベネディクトゥスの戒律は「祈りと労働」を核とする修道士の共同生活のルールを定めたものだ。この戒律は西ヨーロッパの修道生活の規範となった。「戒律」は中世にはおそらく聖書に次いで広く読まれたテクストであり、私が大学院修士課程に入ったときに最初に読んだのが「戒律」の古仏語版だった。指導教授が修道院思想の研究者だったのだ。文学研究科フランス文学専攻なのに、文学性の乏しい修道院戒律の古仏語版を授業で読まなくてはならないのは、宗教的なものに関心が薄かった当時の私には苦痛だったが、まさか今になってこの戒律に立ち戻ることになろうとは。

一日に八回、祈りの時間がある。週日は朝3時半に朝課、6時に賛課、7時45分に第一時課、9時30分に第三時課と歌ミサ、12時15分に第六時課、14時15分に第九時課、17時30分に晩課、そして19時45分に終課。

各聖務日課の開始前には教会の鐘が鳴らされる。静修者はこれらの聖務日課への参席が義務づけられているわけではない。別に来なくても何も言われない。基本的に最初に宿泊する部屋に案内された後は、修道士はこちらの行動には介入しない。聖務日課に出る出ないは各人の自由なのだ。私はせっかくの機会なので、3時半からの朝課と14時15分からの第九時課を除くすべての聖務日課とミサには参席した。

聖務日課とミサは修道院附属の教会で行われる。町中の教会との大きな違いは、聖職者のみが入ることができる内陣が広く取られていることだ。教会内部の2/3は聖職者専用の聖域になっている。修道士たちは内陣で左右に分かれ、向かい合って座る。修道士は六〇名くらいいるだろうか。各課によって参席する修道士の数は異なる。
[修道院附属の教会の内部。修道士たちは右側から入場し、左右に分かれて座る]

ル・バルー修道院の修道士以外の人は、手前の身廊に座る。この身廊には女性も入ることができる。聖務日課とミサのときだけ、外からやってくる信徒もいた。服装は「教会での祈りにふさわしいもの」という注意書きがあるが、短パンTシャツのバカンス・スタイルで出ても問題はないようだ。女性はもうちょっとちゃんとした服を着ている人が多かったように思ったが。ただ短パン・Tシャツのラフな格好で来ている人もよくみれば足元はサンダルでなく、みな靴を履いていることに気づいた。サンダルでは来ないというのが暗黙の服装コードなのだろうか。

聖務日課は各課とも基本は詩篇の朗唱だ。この詩篇の朗唱の合間に旋律のついた讃歌などが挿入される。もちろんすべてラテン語で行われる。曜日によって各課で朗唱される詩篇や歌は決まっていて、身廊の入口には各課別のラテン語(仏語対訳)の聖務日課書抜粋冊子が置いてあるのだけれど、聖人の祝日などに従って同じ曜日でも取り上げるテクストが異なるようで、その冊子の該当ページにあるテクストが取り上げられなかったりすることが多い。冊子と違う詩篇や聖歌が取り上げられるときは、修道士の一人が参席者にその日のテクストを印刷したパンフレットを配付して回る。これらの冊子やパンフは貸し出し制なので、祈りの時間が終わると返却しなくてはならない。

自分で聖務日課書やミサ典書を持っていて、それを見ながら典礼に参席する信徒もいる。
祈りは内陣の修道士が行うものので、身廊にいる人たちは聞いているだけだ。教会堂内は反響が大きい。ラテン語の詩篇の朗唱や聖歌の響きが実に美しく、心にしみ通る感じがする。日々何回も祈っているのだから当たり前といえば当たり前だが、ラテン語の発声と歌は、日本の聖ピウス十世会のミサの聖歌隊よりはるかに上手だ。ル・バルー修道院の聖務日課は、ウェブ上でリアルタイムでも、後になってからも聞くことができる。修道院で聖務日課とミサに出ると、これらの美しい朗唱と歌声がまさに神を賛美し、神に捧げられたものであることが実感できる。中世に典礼の枠内ないしその周辺で聖職者たちによって演じられた典礼劇もそのような精神のもとで作られ、演じられたはずだ。

フランスはカトリックの国とはいえ、今では教会に通う人とは本当に少数で、こうして静修のために修道院に泊まるような人は相当熱心な信者のはずだ。祈りの手順はよくわかっている人ばかり。身廊にいるのはこうした熱心な信者と他の修道院から来た修道士だけだ。周りが立ったり、座ったり、十字を切ったりする度に、私はおたおたと慌てて真似をした。祈りの時間の様子を写真や映像で取りたかったが、厳粛そのものといった感じで、とてもiphoneを取りだして傍若無人に撮影できそうな雰囲気ではなかった。

7.修道士との食事

聖務日課やミサは、手順を知らなくておたおたすると言っても、「観客」としてその様子を眺めていればいいだけだ。修道士との食事はそうはいかない。修道院では朝食は女性も入ることができる食堂で、朝6時から8時半のあいだに自由に(ただし沈黙を守ったまま)取るのだが、昼食と夕食は修道士たちと修道院の奥の修道士エリアにある食堂で取ることになっている。この食事の時間は、祈りの時間以上に強烈なカルチャーショックの時間だった。
[修道士たちと食事を取った食堂。外側が修道士たちのすわる場所。内側が静修者の座るテーブル。ル・バルー大修道院のウェブページより]

私は午後3時に修道院に到着したので修道院で最初に取ったのは夕食だった。夕食の開始時間は18時半である。18時半の5分前に修道院内の回廊に集合する。滞在中、修道士と会話することができるのは、最初の受け入れ時と昼食・夕食の前後の短い時間しかない。修道院生活がはじめての私にとっては、修道士との会話は失礼で場違いなことを言っていないだろうかとヒヤヒヤしながらのもので、がちがちに緊張した。
[ル・バルー修道院回廊]

静修者全員が揃うと、当番の修道士の先導で食堂に並んで入る。食堂に入ると話しはならない。静修者たちは食堂の中央にテーブルに座る。テーブルの椅子には各静修者の名前が書いたカードが置いてある。修道士たちは静修者を取り囲むかたちで、壁際に座る。
全員が席に着くと、食べ始める前にラテン語の祈りを唱える。唱える文句は各自の座る席の前に置かれたカードに書いてある。祈りが終わると食べ始めるが、食べている間は一切会話してはならない。一人、朗読役の修道士がいて、その修道士は食事時間中ずっと聖書の一節とかその日に関係する聖人のこととかを独特の抑揚でずっと話している。この朗読はフランス語だ。

食事は前菜、主菜、デザート。ワインと水も出る。給仕係の修道士がテーブルの周りを移動し、料理を出してくれる。4人で一つの大皿からとりわけて食べる。「もっといる?」「いや、もうけっこうです」といった合図を無言で行いながら。前に座っている人の後ろには、壁際に座る修道士たちがこちらを向いて黙々と食べている。話すのは禁止なので、文字通り黙々と食べるしかない。

食事は前菜にはハムも出た。初日の主菜はラビオリのクリームソースだったように思う。豪華な食事というわけではないが、味は悪くない。美味しいと言っていい。ただ修道士に囲まれ、無言の厳粛な雰囲気のなかで食べるので、味を楽しむ心理的余裕はなかった。

食事時間は30分。30分で全員が食べ終わる。食事終了後は短いラテン語の祈り。そのあと静修者たちは修道士の先導され、一列になって食堂から出て行く。一列に並んで出て行くのが初日夕食ではわからなくてぼんやり座っていたら、私の前に座っていた修道士から肘で合図され、どきっとした。

二日目の昼は私が到着後、最初の昼ご飯ということで、食堂に入る前に大修道院長に手を洗って貰うというサービスがあった。これは私にだけの特別サービスではなくて、静修者が最初の昼食を取る時に行うとのこと。

この緊張感に満ちた食事の様子こそ写真や映像に取っておきたかったのだが、とてもiphoneを取り出せるような雰囲気ではなかった。

8.ル・バルー村散策と修道院土産

[修道院の売店で購入したお土産]

滞在二日目は第三時課とミサが終わったあと、修道院敷地内にある売店に行ってお土産を買った。売店は修道院の建物から5分ほど離れた別の場所にあった。売り場はかなり広くて、日本の小中学校の教室ぐらいの広さがある。売っているのはキリスト教関係の書籍の他、オリーブ関連商品、ワインやビールなどの飲料、バター、チョコレートなどの食品である。食品類は必ずしもこの修道院で作られたものではない。私はオリーブ油で作った石けん、板チョコレート、そして聖務日課書を購入した。
二日目は第六時課と昼食のあと、第九時課は欠席して、修道院から2キロほど離れた場所にあるル・バルー村を散策した。修道院は木々に囲まれた丘の上にあり、周囲は森とオリーブ畑とぶどう畑が広がっている。修道院からふもとに向かって坂を下っていると、オリーブ畑から修道院に戻る修道士とすれ違った。おそらく気温は35度くらいの暑い日だったが、修道士はそんな暑さのなかでも黒い修道服を身につけている。

修道院から丘を下に降りて、また高台に上ったところにル・バルー村はある。
ル・バルーは人口650人の小さな集落だ。高台の頂上には城塞があるが、立派な城塞にも関わらずフランスではこれくらいの城塞は珍しくないためか、国の文化財にも指定されていない。町の有志で作った委員会がこの城塞を管理しているらしい。
[ル・バルー城]
[ル・バルー城]

ル・バルー城の建設は一六世紀まで遡ることができるらしいが、何度にもわたって襲撃を受け、中はかなり荒れ果てている。第二次大戦中にはドイツ軍にも焼き払われたそうだ。小学生ぐらいの男の子、中学生ぐらいの女の子とおじいさんが入口にいて、入場料を取っていた。
「どこの国から来た?」と聞かれたので「日本から」と答えると、事務室からクリアファイルに入った日本語のパンフレットを持ってきたのでちょっと驚いた。ここまでわざわざ観光でやってくる日本人がいるとは思えないのだが。
城塞内を見学したあと、ル・バルーの村のなかを散策する。南仏には高台の上の方に密集している村が多い。城塞から下に降りるとカフェがあったので、そこでちょっと休んだ。暑い日だった。村の中は静かで人の気配がしない。
[ル・バルー村]
[ル・バルー村]

9.チェックアウト

聖務日課のなかでも晩課は重要なので、ル・バルーを散策したあと、晩課の時間までには修道院に戻った。暑い日だったので坂を上り下りするのでだいぶバテた。汗をだいぶかいたのでまずシャワーを浴びた。翌日の朝チェックアウトなので、電話でタクシーを予約し、朝9時に修道院まで迎えに来るように頼んだ。
お菓子の時間だったので一般の人も入ることのできる食堂に行き、テーブルにあったアプリコットを何個か食べる。冷蔵庫には冷たい水もある。食堂で他の静修者とも会ったが、大声でのお喋りは憚られる感じで、ぼそぼそと小さな声で二三ことばを交わしただけ。無口で信仰に篤いフランス人にこれまで会ったことはなかったが、修道院ではそうした例外的フランス人と出会うことができる。二〇代から三〇代の若い人がけっこう多い。しかもなぜかみなハンサムだ。

晩課、それから夕食。初日の夕食には30人くらい静修者がいたように思うが、二日目はその半分ほど。人数が少ないと、修道士たちに囲まれている圧迫感がますます強くなって、食事の緊張度が増した。食事が終わった後、修道士に「お前は明日出るんだよね。昼食は取るのか?」と聞かれる。
「いや、昼食はとらずに修道院を出ます」
「それではこれでお別れだね。修道院はどうだった?」
「いや、日本で想像していたのとはまったく雰囲気が違いました。もっと厳かで静かで。ラテン語の響きの美しさに魅了されました。今度はもっと勉強してから来ようと思います」
自分にとっては特異な体験で、色々思うところはあったのだが、ことばが出てこない。無難でありきたりのことしか言えなかった。

終課が終わるのが20時過ぎ。夏時間のため日はまだ明るいが、終課とともに修道院の一日は終わり、修道士は眠りに就く。修道院の扉に鍵がかかり、外出ができなくなる。

最終日、3時半の朝課を告げる鐘で一旦目ざめるが、教会には行かず、眠ってしまう。6時からの朝課と7時45分からの第一時課には参席した。
部屋の掃除と次の人の為のベッドメイキングをし、郵便箱に二日滞在したお礼として80€入りの封筒を入れた。ちょっと少なすぎるかなとも思いつつ。

修道院の受付は午前のミサのあとにしか開かないので、修道士に出発の挨拶をすることなく、修道院を出て入口でタクシーを待った。
タクシーが果たして時間通りに来てくれるのかどうか不安だったが、予約した時間の5分前に、私を迎えに来た。

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