2024年3月5日火曜日

2024/3/2 パリ第2日目

女子学生たちは朝9時過ぎにUberでパリ・ディズニーランドへ。
帰って来たのは夜9時頃だったようだ。アトラクションは日本のディズニーランドとほぼ同じだったが、ディテイルの演出で違う箇所があったとのこと。あとフランスものとして、ジュール・ベルヌをモチーフとするアトラクションがあるらしい。日本に比べると空いているので、待ち時間が短く、数多くのアトラクションを楽しむことができたようだ。

私は男子5名と、午前中にパリの20区の外側にあるモントルゥイユの蚤の市へ行った。パリ・ハーフマラソンで交通が分断されていて、蚤の市の会場に着いたのは11時頃になった。モントルゥイユの蚤の市には20年以上前に行ったことがある。パリ市の環状線の外側に、道路に沿って1キロほど多数のテントの仮設テントが並んでいる。売り物の中心は古着と靴だが、洗剤、雑貨などもある。サン・トゥアン(クリニャンクール)の市と違い骨董品や古家具はなく、日用品の市場だ。その雑多な雰囲気がいかにもパリっぽい風景のように思われる。
見ているだけで何も買わなかったが、売り物を見て回るだけで楽しかった。
昼飯は蚤の市の会場から10分ほど歩いたところにあるケバブ屋でケバブ・プレートを食べた。ケバブ屋の店員もそう言えばどこでも感じがいい。
昼食後、学生たちと別れ、19区の教会の信徒たちによって1938年以降、毎年、上演が続けられている受難劇の公演を見に行った。この芝居の出演者はみな素人だ。地域市民演劇研究調査のフランス版である。上演会場は教会付設の集会所のような建物で、天井は低い。会場には200席ほど、パイプ椅子で用意されていたが、観客は50人くらいだった。出演者は約50名なので、それにしては観客が少なすぎる感じがしたが、四旬節の週末に6回公演がある。千秋楽公演はたくさん人がやって来るのかもしれない。観客の大半は出演者の親族ないし知り合いのような雰囲気で、赤の他人の観客はおそらく私一人だ。
公演の半年前から稽古を行うとのことだが、どの役者も台詞はしっかり入っていて、発声は明瞭だった。上演台本と演出は毎回改訂されているらしい。今回の上演ではイエスの再生を確認したマグダラのマリアとエマオで復活したイエスに会ったペテロのやり取りが劇の外枠となっている。ここでペテロは現代の平服だった。福音書のエピソードは、この二人のやり取りの内側として上演される。この内側では、俳優たちは古代風の衣装をまとう。聖書の細かいエピソードも拾って劇化していた。演技はいわゆる芝居くさい大仰なものではなく、過剰さを抑えたリアリズムの演技だった。音楽は主に場面の転換時に使われる。
イエスが十字架を担いでゴルゴダの丘を上るときに、イエスの流す血を赤くて長いなので表現したり、最後にまた外枠が現れ、イエスとマグダラのマリアを除く人物が現代の平服で現れたりする仕掛けはよかった。誠実に丁寧に作り上げられた舞台であることは伝わってきたものの、いささか静的過ぎて単調で、見ながら落ちてしまった時間もあった。昨年夏に見た南ドイツのバイエルン州のオーバーアマガウ受難劇とは異なり、教会の信徒有志による同じ教会の仲間に向けられた公演で手作り感が強い。カーテンコールで俳優たちへの拍手が暖かい。上演時間は休憩15分を含み2時間半だった。フルサイズの芝居である。昨今、教会離れが進んでいるフランスでは、特に都市部では、このような信徒劇を続けていくのはだんだん難しくなっているに違いない。
今夜、見に行こうかどうか迷っていた『ロッキー・ホラーショー』を男子学生たちが見に行くことにしたとメッセージが入った。私も見に行くことにする。会場は10年ほど前にキャバレーを閉業したシャンゼリゼのLIDOだ。今はLIDO2という名の劇場になり、娯楽性の高いスペクタクルを上演しているようだ。
今回の学生同行のパリ滞在では徹底的にベタな観光をしてみようと思っていた。観光とは何か、について考えるのが最近の自分のテーマの一つだったのだ。ムーラン・ルージュのショーも見てみたかったのだが、滞在中の上演回は残念ながらすべて満席だった。しかも円安もあってすごい高額である。23時開始のシャンパン付きのショーが日本円で2万円を超えてしまう。キャバレーのショーとしては、パラディ・ラタンも見てみたかった。今のパラディ・ラタンのショーは、フレンチ・ミュージカル、《太陽王》などの振付・演出を担当したKamel Oualiなのだ。彼の演出するキャバレーのショーも見てみたいのだが、こちらも今回は見に行くことはできなかった。『ロッキー・ホラーショー』はその代わりみたいな感じだ。
『ロッキー・ホラーショー』の開演時間は20時半なので、2時間ほど時間が空いた。受難劇の上演会場からベルヴィルまで歩き、途中にあったヴェトナム料理屋で牛生肉フォーを食べた。レアの薄切り牛肉をフォーのスープに浸して食べるというもの。
『ロッキー・ホラーショー』の舞台は、35年くらい前にロンドンで見たことがある。映画版はこれまで3回くらい見ただろうか。荒唐無稽でくだらないストーリーだが、ドラッグクィーンの様式の確立、エロいナンセンスギャグの数々、そしてナンバーが何と言っても魅力的だ。最初に歌われる『二本立てのSF映画』が歌われ始めた途端、一気にテンションが上がる。倒錯的性の狂騒と悪ふざけの悪夢の外枠を示すこのオープニングとエンディング・ナンバーは、その内側の物語の突き抜けた解放感ゆえに、切なく、寂しい。
昔、若い頃にロンドンの劇場で見たときの怪しさとグロテスクさを思うと、LIDOでのロッキー・ホラーショーは、あまりに明朗で健全で観光的になっていた。しかし最後の盛り上がりはやはり最高。楽しいスペクタクルだった。

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