典型的なウイルス性胃腸炎の症状で夜中に嘔吐が4回、そして下痢。あまり眠れなかった。朝7時15分に目覚ましで目醒める。吐き気はほぼ消えていた。でも体力奪われフラフラ。嘔吐の際に胃液で喉が荒れたためか、声はガラガラである。
朝食は恐る恐るりんごのコンポートと紅茶。
午前10時40分に宿を出る。宿からシャルル・ドゴール空港までは、トラムでまずCité Universitaire まで行き、そこからRERのB線で空港まで。RERのB線での空港行きは、かつてラッシュアワーにぶつかって、スーツケースが邪魔だと無理矢理、離れた場所にある網棚の上に乗せられたというトラウマ的経験があったため、ずっと避けてきたのだが、今回は電車が空いていてよかった。宿舎からだと乗り換え一回だけで、歩く距離も少ない。1時間ほどで空港に到着した。
14時25分パリ発のエミレーツ航空RK074便でドバイへ。ドバイまでは約6時間のフライト。昨夜は寝不足だったため、6時間の飛行中はほとんど寝ていた。機内食は2回出た。食べるかどうか迷ったが、チキンと米、デザートのプリン、あんずなどの干し果物を食べた。
ドバイでの乗り換え時間は、広大な空港のターミナルのゲートの移動に時間がかかったため、実質的1時間半くらい。トイレに行っただけで、何も食べなかった。お腹も空いていない。
搭乗の際に係員が私が渡した搭乗券を別のものに交換した。新たに受け取った搭乗券を見ると、通路側のD席で予約していたのに、E席になっている。「なんで勝手に内側の席にするんだ? 引き返して説明してもらおうか」と、一瞬も思ったのだが、いくらなんでも何の説明もなく通路席を内側席に変更したりはしないだろう。これはもしかしてアップグレードされたのか?と思い直し、機内に入ると、果たしてそうだった。ビジネスクラスとエコノミークラスの間、プレミアム・エコノミー席にアップグレードされていた。これはラッキーだ。足元は広々。座席もゆったり。そして両脇は空席となった。9時間を超える長時間フライトだし、それに体調不良だったので、これはありがたかった。食事の内容もエコノミーよりよくなっていた。お腹の調子はまだ不安があったし、食慾もなかったのだが、貧乏根性が出てしまい、二回出た機内食は完食してしまった。映画は公開時に周りで話題になっていたものの見損ねていた『バービー』を見たが眠気が強くて集中して見られなかった。広々とした座席でぐっすり眠ることができた。6時間以上眠ったと思う。
成田空港にはほぼ予定通りの時間に到着。
成田空港から池袋まではバスを利用した。バスでは熟睡してしまう。はっと目を覚ますと池袋に着いていて、乗客が降車中だ。あわてて私も席を立ち、バスから降り、スーツケースを受け取った。地下鉄の駅に降りるエスカレータの手前で、バスの網棚にリュックサックを忘れていることに気づいた。バス会社に電話すると「黒いリュックですよね? さっき運転手から電話がありましたが、もう高速道路に入ってしまったから、営業所まで取りに来るか、着払いで送るかどちらかですね」と言う。
「大事なものが入っているので、持って帰らなくてはならないんですよ」
「それでは営業所まで取りに来て下さい」
「営業所はどこですか?」
「千葉県四街道市です」
Goolge mapで住所を調べると、池袋から1時間半ぐらいかかる。リュックを取りに行くと今日中には帰宅できないかもしれないがしかたない。JR池袋駅に向かっていると電話がかかってきた。千葉からだ。
「バスの運転手が高速を降りて、池袋の降車地点まで戻るそうです。そこで待っていてください」
なんて親切なんだ! 5分後に私はリュックサックを受け取ることができた。京成バス万歳!
帰宅前に家の近所のラーメン屋でチャーシュー麺を食べた。全身が震えるほど美味しかった。
さて今回の研修旅行の総括をしておこう。
ニースの語学研修旅行を始めて行ったのが2015年の2月。以降、毎年2月後半にニースのAzurlingua に10-15名ほどの学生を連れてきて2週間の研修旅行を行なっている。21年と22年は新型コロナのために研修は行えなかったが、2023年夏に再開。今回の24年は第8回目の開催となる。
今回はニースでの2週間に加え、パリでの4泊に5日を追加した。滞在初期に数日間の謎の体調不良、そして1週目の週末とパリでの最後の夜に胃腸炎と、自身の体調不良に悩まされた滞在だった。学生が体調を崩すことはこれまで何度かあったが、私が体調を崩したのはこれがはじめてだ。研修にあたっては自身の健康にはいつも以上に気をつけているのだけど、それでもうまくいかないことはある。この体調不良のため、モナコへの1日遠足に同行できなかったり、「みきお企画」のイベントが例年より縮小されることになってしまった。
パリの観光は事前の下調べが不足していた。短い滞在なので、いつどこへ行くかは事前にかっちり決めておくべきだった。留学でパリにはトータルで2年半ほど住んでいたし、その後も何回もパリに滞在しているので、定番観光地巡りならなんとかなるだろうと高をくくっていたところがあった。留学していたときはパリにやってきた友人や弟、父をアテンドして主要観光地を回ったが、そのときと今では状況が違っている。そのあとのパリ滞在は、基本、学術的な調査が目的なので、昼は図書館、夜はスペクタクルが主だった。
パリとその周辺は観光資源が豊かなので、短い日程だと定番中の定番的ポイントをいくつかしか回ることができない。しかしルーブル美術館やヴェルサイユ宮殿などの人気観光地は、事前予約・時間指定入場が必須で、かなり前もって予約しておかないと、効率よく観光を楽しめない。あと観光は基本、人混みを歩き続けることになるので、体力的なことも考慮しなくてはならない。
今回、学生は12名。全然手のかからない真面目でいい子ばかりで助かった。風邪をひいた子もいたけれど、大きく体調を崩したりする学生がいなかったのは何よりだった。
「よく学生連れて研修旅行なんてことやっているね?大変でしょ?」と言われることがたびたびある。確かにこんな研修旅行は私ぐらいしかやらないし、私にしかできないだろうと思う。学校とのプログラムの内容の確認やさまざまな交渉、航空券の手配など、すべて私がやっている。この研修旅行を毎年やっているのには、いくつか理由があるのだけど、一つはフランス語・フランス文化を教える教員として、一年に一度、二週間ほどニースで過ごすというのは重要ではないかと思っているからというのがある。教室で教えているフランス語の向こう側にはその言語を使っている人たちの生活や社会がある。ニースの研修実施にあたっては、フランス語学校のスタッフたちなどとときにかなりタフな交渉を行わなくてはならない。こうした現地での経験の裏付けがあってこそ、教室で自信を持ってフランスとフランス文化について語ることができるように私は思うのだ。実施に伴うさまざまな面倒は、自分を鍛え、自身の技能を向上させるためのタスクであると捉えている。実際、この研修を通じて、私のフランス語力は維持されているところはあるし、フランス語の運用能力は鍛えられている。旅行やイベントのコーディネーターとしてのスキルも向上し、これは学会や研究会の企画・運営や研究調査のための旅行に役立っている。
また二週間という短い期間ながら学生たちのそばにいることで、彼らがフランスという異物のリアリティと向き合うことで、なにかを発見し、異質なものへの理解を深化させ、成長している過程に立ち会うことができるというのは、教員として、そしてイベント企画者として大きな喜びを感じる。フランスで二週間にわたって一緒に過ごすというかなり濃密な時間を通して、若者たちから私が得られるものは大きい。
あと何年続けられるかはわからないが、できる限りは来年以降もこの研修旅行を続けていきたい。