2024年3月8日金曜日

2024/3/6 パリ第5日─帰国

典型的なウイルス性胃腸炎の症状で夜中に嘔吐が4回、そして下痢。あまり眠れなかった。朝7時15分に目覚ましで目醒める。吐き気はほぼ消えていた。でも体力奪われフラフラ。嘔吐の際に胃液で喉が荒れたためか、声はガラガラである。

朝食は恐る恐るりんごのコンポートと紅茶。

午前10時40分に宿を出る。宿からシャルル・ドゴール空港までは、トラムでまずCité Universitaire まで行き、そこからRERのB線で空港まで。RERのB線での空港行きは、かつてラッシュアワーにぶつかって、スーツケースが邪魔だと無理矢理、離れた場所にある網棚の上に乗せられたというトラウマ的経験があったため、ずっと避けてきたのだが、今回は電車が空いていてよかった。宿舎からだと乗り換え一回だけで、歩く距離も少ない。1時間ほどで空港に到着した。

14時25分パリ発のエミレーツ航空RK074便でドバイへ。ドバイまでは約6時間のフライト。昨夜は寝不足だったため、6時間の飛行中はほとんど寝ていた。機内食は2回出た。食べるかどうか迷ったが、チキンと米、デザートのプリン、あんずなどの干し果物を食べた。

ドバイでの乗り換え時間は、広大な空港のターミナルのゲートの移動に時間がかかったため、実質的1時間半くらい。トイレに行っただけで、何も食べなかった。お腹も空いていない。

ドバイから成田はEK318便で約9時間のフライトである。

搭乗の際に係員が私が渡した搭乗券を別のものに交換した。新たに受け取った搭乗券を見ると、通路側のD席で予約していたのに、E席になっている。「なんで勝手に内側の席にするんだ? 引き返して説明してもらおうか」と、一瞬も思ったのだが、いくらなんでも何の説明もなく通路席を内側席に変更したりはしないだろう。これはもしかしてアップグレードされたのか?と思い直し、機内に入ると、果たしてそうだった。ビジネスクラスとエコノミークラスの間、プレミアム・エコノミー席にアップグレードされていた。これはラッキーだ。足元は広々。座席もゆったり。そして両脇は空席となった。9時間を超える長時間フライトだし、それに体調不良だったので、これはありがたかった。食事の内容もエコノミーよりよくなっていた。お腹の調子はまだ不安があったし、食慾もなかったのだが、貧乏根性が出てしまい、二回出た機内食は完食してしまった。映画は公開時に周りで話題になっていたものの見損ねていた『バービー』を見たが眠気が強くて集中して見られなかった。広々とした座席でぐっすり眠ることができた。6時間以上眠ったと思う。

成田空港にはほぼ予定通りの時間に到着。

成田空港から池袋まではバスを利用した。バスでは熟睡してしまう。はっと目を覚ますと池袋に着いていて、乗客が降車中だ。あわてて私も席を立ち、バスから降り、スーツケースを受け取った。地下鉄の駅に降りるエスカレータの手前で、バスの網棚にリュックサックを忘れていることに気づいた。バス会社に電話すると「黒いリュックですよね? さっき運転手から電話がありましたが、もう高速道路に入ってしまったから、営業所まで取りに来るか、着払いで送るかどちらかですね」と言う。

「大事なものが入っているので、持って帰らなくてはならないんですよ」

「それでは営業所まで取りに来て下さい」

「営業所はどこですか?」

「千葉県四街道市です」

Goolge mapで住所を調べると、池袋から1時間半ぐらいかかる。リュックを取りに行くと今日中には帰宅できないかもしれないがしかたない。JR池袋駅に向かっていると電話がかかってきた。千葉からだ。

「バスの運転手が高速を降りて、池袋の降車地点まで戻るそうです。そこで待っていてください」

なんて親切なんだ! 5分後に私はリュックサックを受け取ることができた。京成バス万歳! 

帰宅前に家の近所のラーメン屋でチャーシュー麺を食べた。全身が震えるほど美味しかった。

さて今回の研修旅行の総括をしておこう。

ニースの語学研修旅行を始めて行ったのが2015年の2月。以降、毎年2月後半にニースのAzurlingua に10-15名ほどの学生を連れてきて2週間の研修旅行を行なっている。21年と22年は新型コロナのために研修は行えなかったが、2023年夏に再開。今回の24年は第8回目の開催となる。

今回はニースでの2週間に加え、パリでの4泊に5日を追加した。滞在初期に数日間の謎の体調不良、そして1週目の週末とパリでの最後の夜に胃腸炎と、自身の体調不良に悩まされた滞在だった。学生が体調を崩すことはこれまで何度かあったが、私が体調を崩したのはこれがはじめてだ。研修にあたっては自身の健康にはいつも以上に気をつけているのだけど、それでもうまくいかないことはある。この体調不良のため、モナコへの1日遠足に同行できなかったり、「みきお企画」のイベントが例年より縮小されることになってしまった。

パリの観光は事前の下調べが不足していた。短い滞在なので、いつどこへ行くかは事前にかっちり決めておくべきだった。留学でパリにはトータルで2年半ほど住んでいたし、その後も何回もパリに滞在しているので、定番観光地巡りならなんとかなるだろうと高をくくっていたところがあった。留学していたときはパリにやってきた友人や弟、父をアテンドして主要観光地を回ったが、そのときと今では状況が違っている。そのあとのパリ滞在は、基本、学術的な調査が目的なので、昼は図書館、夜はスペクタクルが主だった。
パリとその周辺は観光資源が豊かなので、短い日程だと定番中の定番的ポイントをいくつかしか回ることができない。しかしルーブル美術館やヴェルサイユ宮殿などの人気観光地は、事前予約・時間指定入場が必須で、かなり前もって予約しておかないと、効率よく観光を楽しめない。あと観光は基本、人混みを歩き続けることになるので、体力的なことも考慮しなくてはならない。 

今回、学生は12名。全然手のかからない真面目でいい子ばかりで助かった。風邪をひいた子もいたけれど、大きく体調を崩したりする学生がいなかったのは何よりだった。 

「よく学生連れて研修旅行なんてことやっているね?大変でしょ?」と言われることがたびたびある。確かにこんな研修旅行は私ぐらいしかやらないし、私にしかできないだろうと思う。学校とのプログラムの内容の確認やさまざまな交渉、航空券の手配など、すべて私がやっている。この研修旅行を毎年やっているのには、いくつか理由があるのだけど、一つはフランス語・フランス文化を教える教員として、一年に一度、二週間ほどニースで過ごすというのは重要ではないかと思っているからというのがある。教室で教えているフランス語の向こう側にはその言語を使っている人たちの生活や社会がある。ニースの研修実施にあたっては、フランス語学校のスタッフたちなどとときにかなりタフな交渉を行わなくてはならない。こうした現地での経験の裏付けがあってこそ、教室で自信を持ってフランスとフランス文化について語ることができるように私は思うのだ。実施に伴うさまざまな面倒は、自分を鍛え、自身の技能を向上させるためのタスクであると捉えている。実際、この研修を通じて、私のフランス語力は維持されているところはあるし、フランス語の運用能力は鍛えられている。旅行やイベントのコーディネーターとしてのスキルも向上し、これは学会や研究会の企画・運営や研究調査のための旅行に役立っている。

また二週間という短い期間ながら学生たちのそばにいることで、彼らがフランスという異物のリアリティと向き合うことで、なにかを発見し、異質なものへの理解を深化させ、成長している過程に立ち会うことができるというのは、教員として、そしてイベント企画者として大きな喜びを感じる。フランスで二週間にわたって一緒に過ごすというかなり濃密な時間を通して、若者たちから私が得られるものは大きい。

あと何年続けられるかはわからないが、できる限りは来年以降もこの研修旅行を続けていきたい。
























2024年3月6日水曜日

2024/3/5 パリ第4日目

 明日は帰国日で空港に行くだけの日になるので、実質的に今日がパリ滞在最終日となる。パリ観光の定番中の定番であるヴェルサイユ宮殿に行った。ヴェルサイユ宮殿にはRERのC線に乗って行くのだが、RERの切符を買うのにちょっと戸惑った。google mapの表示より一分早くホームに入線したヴェルサイユ方面行きのRERに飛び乗ったのだ。ヴェルサイユ宮殿の最寄り駅は、Versailles-rive-gaucheという駅なのだが、私たちの乗った列車はこの駅には止まらない列車だった。google map通り、この1分あとの列車に乗るべきだったのだ。宮殿からはそう遠く離れていないはずのVersailles-chantiersという別の駅で降りた。この駅から宮殿まではgoogle mapによると徒歩で30分とあった。Versailles-chantiers駅の駅員に宮殿にはここからどう行けばいいと聞くと、私たちのように間違った列車に乗り、この駅で降りる乗客は少なくないようで、「改札を出て左手に行き、1か4か5のバスに乗りなさい」と言う。

駅前のバスターミナルになっていて、どこから乗ればいいのかわからない。またGoogle map便りでバスの番号と行き先表示を頼りにバスに乗り込んだのだが、そのバスに乗っていた老婦人から「ヴェルサイユ宮殿ならこのバスではなくて、向かい側の乗り場のバスに乗りなさい」と教えて貰った。ヴェルサイユ宮殿はVersailles-chantiers駅からバスで二つほど、案外近くにあった。到着したのは午前11時を過ぎていた。

宮殿の建物への入場は13時からのチケットだったので、それまでは庭園を散策した。散策といってもやたらと広大である。あいにく庭園はあちこちで工事が行われていて、池や水路の水も満水の状態でないところがあり、期待していたほどの景観ではなかった。今日は曇りときどき雨、たまに晴れ間という天候で、風が強く寒かった。昼食を取る時間は設けていなかった。私は庭園内でチョコレートビスケットを食べた。

13時から入場。長い行列はできていたが、時間別入場はけっこうまく機能していて13時20分には城館内に入ることができた。16時にヴェルサイユを発つと学生たちには伝え、あとは自由に城館内見学することにした。

16時すぎに城館を出て駅へ。小雨が上がって太陽が照っていたため、大きな虹が見えた。

パリで学生たちと別れる。私は17時半からパリ日本文化会館で打ち合わせが入っていた。12月に大衆演劇劇団がパリ日本文化会館で公演を行うことになり、私はそのアドバイザーみたいなことをすることになっていた。パリ在住の知人の音楽プロデューサーに巻き込まれてという感じだが。その音楽プロデューサーがパリ日本文化会館の担当スタッフとの打ち合わせを、私がパリに来ているということで急遽セッティングしたのだが、彼女は急用で打ち合わせに来れなくなったと言う。私はこの企画の詳細を知らされているわけではなく、自分がこのイベントでどんな役割を期待されているのかもはっきりしていなかったのだけど、とにかく打ち合わせの約束はしてあるので、パリ日本文化会館のスタッフと話をすることに。パリ日本文化会館のスタッフは国家公務員なのだけど、担当者は演劇、舞台芸術に幅広い関心を持ったふところの深い人だった。彼と話しているうちに大衆演劇のパリ公演のイメージが膨らんでいった。

80分ほどパリ日本文化会館のスタッフと話す。その後、パリ在住の女優・映画プロデューサーの竹中香子さんと映画監督の太田正吾さんとの会食の約束があった。この二人に、音楽プロデューサーを引き合わせるというのが、この会食の目論見だったのだ。パリ日本文化会館での打ち合わせをドタキャンしたプロデューサーからは、会食会場に直接向かうとメッセージが入った。

昼過ぎからなんとなく気分が悪い、かすかな吐き気を感じいたのだが、会食会場に向かうメトロのなかでその吐き気が段々ひどくなってきて、これは会食は無理だと思った。何とか会食を行うレストランまで行って、竹中さんと太田さんに挨拶と謝罪をする。音楽プロデューサーと彼らとのつなぎは私の役目なので、私がいなければこの三人だけだと気詰まりになってしまうだろう。音楽プロデューサーもしばらくするとタクシーでレストランに到着したが、結局、今日の会はお開きにした。私はとてもものを食べられる状態ではなかったからだ。

竹中さん、太田さんと別れ、私は胸のむかむかはひどくなっていたけれど、音楽プロデューサーとお茶を飲んで、秋の大衆演劇パリ公演について40分ほど話した。むかつきはだんだんひどくなる。12区のNationの近くだったが、Uberで宿舎まで帰ることにした。Uberの運転手は超安全運転でゆっくり走る。しかし道のでこぼこでの揺れが気持ち悪かった。Uberを降りるなり2回吐いた。

ホテルに入って、部屋の鍵をさがしたがいつも入れている場所に見つからない。カバンの中身を全部取り出して、受付のカウンターに置いて、探すと見つかった。とりあえず自分の部屋の階に行き、トイレに駆け込む。嘔吐と下痢、またウィルス性腸炎だ。このフランス滞在中に二度目であり、一月末にもやっている。いくらなんでも多すぎる。

学生から電話がかかってきて、ホテルのロビーカウンターに私のものらしい財布があるけれど、財布は持っているか?という内容だった。カバンを見たが、財布がない。かなり大型の筆箱のような長財布で、私のオリジナルのイラストが印刷されているため、学生はそれが私のだとわかったらし。先ほど、鍵を探すときに、カバンの中身を取り出した。そのあと財布を放置したまま、エレベータに乗り、トイレに駆け込んだのだ。偶然、学生がカウンターにある私の財布に気づいたので助かった。

いやあ、たまらない、きつい一日だった。










2024年3月5日火曜日

2024/03/04 パリ第3日目

 パリの四泊五日は徹底的にベタな観光をするつもりだったが、このためにはけっこうな下準備が必要なことがパリに到着してからわかった。私が最後にパリに滞在したのが2020年3月、新型コロナ禍で強制的引きこもりがはじまる直前だ。その前の滞在が2019年12月に二週間弱。パリにはトータルで2年半の留学経験もあるし、パリの観光についても一通りは経験しているつもりだった。ただ観光といっても、基本、学術的調査を伴うものだったので、いわゆる定番的観光地に行くことはなかった。

今回はパリ、フランスがはじめてという学生がほとんどなので、凱旋門、エッフェル塔、ルーブル美術館、ヴェルサイユ宮殿といった定番中の定番は実質三日間の観光のなかで外すことはできないだろうと思っていた。オルセー美術館やモンマルトル付近も案内したいところだったが、時間がない。

しかし今ではこうした超メジャー級の観光ポイントは事前予約がほぼ必須となっていた。しかもその予約のやりかたがけっこう面倒くさいのだ。ルーブル美術館は月曜の午前中に行きたかったのだが、入場時間がチケットごとに決まっていて、今日の午前中の入場チケットは取れなくなっていた。そこでしかたなく13時30分のチケットを各自予約するよう学生たちには伝えておいた。明日行く予定のベルサイユ宮殿も城館への午前中入館のチケットは既に売り切れで午後からのチケットしか購入できないことが昨日判明し、学生たちに明日12時半のチケットを各自予約するように伝えておいた。ルーヴル美術館のチケットはみんな予約できていたようなので、ヴェルサイユも各自問題無く予約できているだろうと私は思ったのだ。今日の午前中に行く予定だった凱旋門もパリ・ミュージアム・パスを購入していない者は日時指定チケットを予約する必要がある。そのことも昨夜、LINEで伝えておいた。ただ昨夜の時点で凱旋門のチケットも正午以降のものしか購入できなくなっていたので、今日の午前中はヴォージュ広場とマレ地区の散策をして、マレ地区で軽食を取ってから、午後にルーヴル美術館に向かう予定を考えていた。

朝の集合時間は9時半にしていた。凱旋門は諦めるとして、明日のヴェルサイユの予約はしておかないとヴェルサイユ宮殿を見ることなく日本に帰ることになる。私は学生たちが昨夜のうちにヴェルサイユ宮殿のチケット予約をしていると思ったのだが、実際には誰もしていなかった。集合場所にそろってから明日の午後のヴェルサイユ宮殿のチケット予約をスマホで一斉にはじめたのだが、ヴェルサイユの予約システムがルーヴル美術館とは異なるもので、しかもさらにややこしい。チケット予約できない学生が続出した。

ヴェルサイユ宮殿の予約システムは無駄にややこしいものだが、それにしても予約ページの英語仏語でのindicationをちゃんと理解できていない学生がけっこういたのは、正直、衝撃だった。確かにこの手のindicationはいくつかの知識を前提としてた慣例的な書き方がされているので、慣れないと意味がよくわからないところがあるのは確かではあるが。こういった実用的なことがらについてのリテラシーは、学校の語学の授業でもちゃんと教えておいたほうがいいなと思った。

結局私が何人分かの学生の予約を代理で行うことになった。今月、来月とカードの請求額が怖い。ホテル代の支払いもあるので、確実に設定している利用限度額をオーバーしている。まあしかたない。

全員分のヴェルサイユ宮殿の入場予約を確認してから、メトロに乗ってまずマレ地区のヴォージュ広場に向かった。午前11時前に到着。18世紀までは王宮広場と呼ばれたこの四角形の広場は、かつての貴族の館に囲まれている。その館の一階部分が柱廊形式になっている。『ノートルダムのせむし男』や『レ・ミゼラブル』の作者のヴィクトル・ユーゴーの家がこのすぐそばにあり、フランス革命がはじまったバスティーユ広場もすぐ近く、また付近はマレ地区とよばれるユダヤ人地区でシックでお洒落なブティックなどが多い、という説明をざっくりした。マレ地区を散策し、適当に飯を食べてから、2時間後の13時にまたヴォージュ広場に再集合して、一緒にルーヴル美術館に向かう、とした。

私はヴォージュ広場でちょっと休憩したあと、柱廊をぐるっと回って、さらに近くにあるユダヤ料理の店でファラフェルというひよこ豆のコロッケの定食を食べた。それからまたヴォージュ広場に戻ってきたのだが、学生たちはマレ地区で暇をつぶす術がなかったみたいだ。パリのお洒落地区の一つだし、いろいろ店を見て回ったりしているのかと思ったのだが。ルーヴル美術館の近くに着いたので、ヴォージュには戻らずそのまま時間になればルーヴルに行きたいというので、そうすることにした。

私たちが予約したルーヴルの入場時間は13時半だった。13時半ちょっと前にルーヴル美術館入り口に着くと、入場を待つ長大な列ができている。どの列が13時半のチケットを予約した人で、どの列が予約なしでルーヴルに直接来た人の列なのかよくわからない。おそらく予約なしで直接ルーヴルにやってきた人も多数いるだろう。13時半予約者用の列に並んだが、これでは実際の入場はいつになるのだろうか?と思っていたのが、時間になると案外するすると入場できた。13時40分頃には入場できたと思う。この行列のところで女子学生たちとも会うことができた。美術館入場後はそれぞれ自由に好きなところから好きなように見るということにした。

超有名な作品を見回るだけでも、広大なだけに2時間ぐらいは必要になるようだ。私は最初は混雑必至のモナリザのあるドゥノン翼は避け、それとは反対側のリシュリュー翼にあるベルギー、ドイツ、オランダの16-19世紀の画家とフランスの画家の部屋を見た。私が好きなルーカス・クラナハの《ヴィーナス》が見られて満足する。ひととおりリシュリュー翼の絵画を見てから、ドゥノン翼に移動。モナリザも見に行った。あとピコの《アモルとプシュケ》などギリシア・ローマ神話主題の絵やマンテーニャの《聖セバスチャン殉教図》など。

結局、ルーヴルには3時間ほどいたのだが、ぐったりと疲れてしまった。ルーヴル美術館を見に行く人はみんな疲れている。あの膨大すぎる量と広大な空間、そして作品の密度にやられてしまう。

美術館出口で女子グループの一部と再会する。彼女たちと凱旋門とシャンゼリゼ通りを見た後、別れ、パリ北部の郊外のジュヌヴィリエにある劇場に向かった。この劇場で今日までやっている一人芝居が非常に評判になっているとパリ在住の友人に聞いて、見に行こうと思ったのだ。ただしチケットはすでに売り切れで、上演1時間前にキャンセル待ちリストの登録を行うとあった。郊外のちょっと不便な場所にある劇場だし、行けばなんとかなるんじゃないかと思った。

劇場の近くのケバブ屋でまず夕食。ケバブプレートを頼んだが、凶悪な量だった。全部食べてしまったが。やはりケバブ屋が密集するパリの北部、東部の移民が多い地域のケバブはクオリティが高い。ケバブでお腹いっぱいになりすぎてちょっと気持が悪くなった。

上演の80分ほど前に劇場に行き、キャンセル待ちリストの登録を行ったのだが、なんとその時点で私は30番目だった。開演予定時間の20時半頃にカウンター付近にまた来てくれとのこと。ここに限らず、フランスの劇場のスタッフは、どこでもとても感じがいい。またこの劇場の一階ホールには広々としたカフェが併設されていて、開演を待つ人たちで賑わうこのカフェの雰囲気もいい。どちらかというととんがった芝居だが、郊外の公共劇場で意欲的なプログラムが組まれ、その劇場がこうした居心地のいい空間であるところにフランスの劇場文化の豊かさを感じてしまう。観客も若者が多い。

さてキャンセル待ちだが、残念ながら私のところまでは回ってこなかった。そのまま宿舎に帰ることにした。食べ過ぎでお腹の調子が悪く、ルーヴルで疲れ切っていたので、見られなくてかえってよかったかもしれない。もしチケットが手に入ったとしても、観劇に集中できるような感じではなかっただろう。










2024/3/2 パリ第2日目

女子学生たちは朝9時過ぎにUberでパリ・ディズニーランドへ。
帰って来たのは夜9時頃だったようだ。アトラクションは日本のディズニーランドとほぼ同じだったが、ディテイルの演出で違う箇所があったとのこと。あとフランスものとして、ジュール・ベルヌをモチーフとするアトラクションがあるらしい。日本に比べると空いているので、待ち時間が短く、数多くのアトラクションを楽しむことができたようだ。

私は男子5名と、午前中にパリの20区の外側にあるモントルゥイユの蚤の市へ行った。パリ・ハーフマラソンで交通が分断されていて、蚤の市の会場に着いたのは11時頃になった。モントルゥイユの蚤の市には20年以上前に行ったことがある。パリ市の環状線の外側に、道路に沿って1キロほど多数のテントの仮設テントが並んでいる。売り物の中心は古着と靴だが、洗剤、雑貨などもある。サン・トゥアン(クリニャンクール)の市と違い骨董品や古家具はなく、日用品の市場だ。その雑多な雰囲気がいかにもパリっぽい風景のように思われる。
見ているだけで何も買わなかったが、売り物を見て回るだけで楽しかった。
昼飯は蚤の市の会場から10分ほど歩いたところにあるケバブ屋でケバブ・プレートを食べた。ケバブ屋の店員もそう言えばどこでも感じがいい。
昼食後、学生たちと別れ、19区の教会の信徒たちによって1938年以降、毎年、上演が続けられている受難劇の公演を見に行った。この芝居の出演者はみな素人だ。地域市民演劇研究調査のフランス版である。上演会場は教会付設の集会所のような建物で、天井は低い。会場には200席ほど、パイプ椅子で用意されていたが、観客は50人くらいだった。出演者は約50名なので、それにしては観客が少なすぎる感じがしたが、四旬節の週末に6回公演がある。千秋楽公演はたくさん人がやって来るのかもしれない。観客の大半は出演者の親族ないし知り合いのような雰囲気で、赤の他人の観客はおそらく私一人だ。
公演の半年前から稽古を行うとのことだが、どの役者も台詞はしっかり入っていて、発声は明瞭だった。上演台本と演出は毎回改訂されているらしい。今回の上演ではイエスの再生を確認したマグダラのマリアとエマオで復活したイエスに会ったペテロのやり取りが劇の外枠となっている。ここでペテロは現代の平服だった。福音書のエピソードは、この二人のやり取りの内側として上演される。この内側では、俳優たちは古代風の衣装をまとう。聖書の細かいエピソードも拾って劇化していた。演技はいわゆる芝居くさい大仰なものではなく、過剰さを抑えたリアリズムの演技だった。音楽は主に場面の転換時に使われる。
イエスが十字架を担いでゴルゴダの丘を上るときに、イエスの流す血を赤くて長いなので表現したり、最後にまた外枠が現れ、イエスとマグダラのマリアを除く人物が現代の平服で現れたりする仕掛けはよかった。誠実に丁寧に作り上げられた舞台であることは伝わってきたものの、いささか静的過ぎて単調で、見ながら落ちてしまった時間もあった。昨年夏に見た南ドイツのバイエルン州のオーバーアマガウ受難劇とは異なり、教会の信徒有志による同じ教会の仲間に向けられた公演で手作り感が強い。カーテンコールで俳優たちへの拍手が暖かい。上演時間は休憩15分を含み2時間半だった。フルサイズの芝居である。昨今、教会離れが進んでいるフランスでは、特に都市部では、このような信徒劇を続けていくのはだんだん難しくなっているに違いない。
今夜、見に行こうかどうか迷っていた『ロッキー・ホラーショー』を男子学生たちが見に行くことにしたとメッセージが入った。私も見に行くことにする。会場は10年ほど前にキャバレーを閉業したシャンゼリゼのLIDOだ。今はLIDO2という名の劇場になり、娯楽性の高いスペクタクルを上演しているようだ。
今回の学生同行のパリ滞在では徹底的にベタな観光をしてみようと思っていた。観光とは何か、について考えるのが最近の自分のテーマの一つだったのだ。ムーラン・ルージュのショーも見てみたかったのだが、滞在中の上演回は残念ながらすべて満席だった。しかも円安もあってすごい高額である。23時開始のシャンパン付きのショーが日本円で2万円を超えてしまう。キャバレーのショーとしては、パラディ・ラタンも見てみたかった。今のパラディ・ラタンのショーは、フレンチ・ミュージカル、《太陽王》などの振付・演出を担当したKamel Oualiなのだ。彼の演出するキャバレーのショーも見てみたいのだが、こちらも今回は見に行くことはできなかった。『ロッキー・ホラーショー』はその代わりみたいな感じだ。
『ロッキー・ホラーショー』の開演時間は20時半なので、2時間ほど時間が空いた。受難劇の上演会場からベルヴィルまで歩き、途中にあったヴェトナム料理屋で牛生肉フォーを食べた。レアの薄切り牛肉をフォーのスープに浸して食べるというもの。
『ロッキー・ホラーショー』の舞台は、35年くらい前にロンドンで見たことがある。映画版はこれまで3回くらい見ただろうか。荒唐無稽でくだらないストーリーだが、ドラッグクィーンの様式の確立、エロいナンセンスギャグの数々、そしてナンバーが何と言っても魅力的だ。最初に歌われる『二本立てのSF映画』が歌われ始めた途端、一気にテンションが上がる。倒錯的性の狂騒と悪ふざけの悪夢の外枠を示すこのオープニングとエンディング・ナンバーは、その内側の物語の突き抜けた解放感ゆえに、切なく、寂しい。
昔、若い頃にロンドンの劇場で見たときの怪しさとグロテスクさを思うと、LIDOでのロッキー・ホラーショーは、あまりに明朗で健全で観光的になっていた。しかし最後の盛り上がりはやはり最高。楽しいスペクタクルだった。

2024年3月4日月曜日

2024/3/2 ニース第15日、パリ第1日

ニース最後の日。6時半に起床し、荷造りをした。7時半に朝食、8時半に学校の送迎係が迎えに来て、8時45分にニース駅に着いた。

TGVは10h04発。TGVの乗車案内によると車内に持ち込む荷物には住所氏名が記入されたラベルが必須とある。駅員がそのラベルを配ってくれるのか、あるいは乗客側が自分で用意すべきものなのかわからない。後者だった場合を考えて、エミレーツ航空のラベルにローマ字氏名とTokyo, Japonと書いておいたが、駅で聞くと乗車時に駅員が配るとのことだった。

スーツケースを学生に見てもらって、駅近くのスーパーに列車内で昼食として食べるサンドイッチを購入した。

SNCFの団体チケット乗車案内には、乗車の30分前にSNCF担当者が団体客を誘導して車内に案内してくれるとあった。改札付近に駅員がいることは滅多にないので、どうせ他の乗客たちと一緒にどさくさに紛れて慌ただしく、出発直前に乗車になるんじゃないかと思っていたときのだが、TGV_INOUIと書かれた赤いユニフォームの駅員が数名、発車30分前に団体乗客の誘導にやって来たのにちょっと驚く。やればできるじやないか、SNCF。その赤いユニフォームのスタッフが、私を見て

「あ、おれ、あんたのこと知ってる!」

なんとTGV_INOUIの団体乗客担当スタッフは、先日チケットの発券問題で私の対応をした奴だった。

われわれが乗車するTGV_INOUIの2号車は改札の目の前だった。スーツケース置き場も十分にあり、座席から見える場所だ。駅停車時にスーツケースが盗難されることがあるとネットで見てちょっと心配していたのだ。

3人分の座席だけ少し離れた場所だったが、他の10人の座席は号車の奥に固まっていた。座席は横三列である。パリまでは6時間弱の旅になる。

私は窓際席、ニースからマルセイユまでは海岸の景観を楽しんだ。マルセイユまでは在来線と共通の線路なので速度は時速140キロほどりマルセイユからパリまでTGV専用線になり、速度は時速340キロまで上がる。マルセイユ以降は内陸部となり、なだらかにうねる平原の景色が続く。日本のように山がなく、線路が真っ直ぐなので、速度が出ても揺れは少ない。実に快適な鉄道の旅だった。学生たちは寝ていたが私はずっと起きていた。

パリのリヨン駅には予定時刻に到着する。パリはかなり強い雨が降っていた。リヨン駅からパリの宿舎までは、4キロほど距離だ。スーツケースがあるのし、メトロの乗り換えなど学生たちが慣れていないことを考慮してタクシーで行くことにした。ただし13人なので、数台のタクシーに分乗ということになる。一台のタクシーには3人しか乗れない。

雨の中、タクシー乗り場に並んでいると、

「何人のグループなんだ?ワゴン車タクシーがあるからそれなら、分乗するより便利だし、安い。ワゴン車に乗れ」と誘導する奴がいた。学生たちが誘導されるまま、ワゴン車のほうで固まっている。

「ちょっと待て。ワゴン車で13区のボルト・ディタリーまででいくらだ?」と聞くと、「13人だから、ワゴン車2台で160ユーロだ」と言う。

これは高いと思った。「ここからボルト・ディタリーで160ユーロはありえない」こう答えて、googleマップで調べてみる。一台のあたり14-20ユーロとgoogleマップには出た。

「13人だと5台のタクシーが必要だ。一台あたり40ユーロは払わなきゃならないのだから、ワゴン車2台の方が安いし、便利だ」と相手は言う。

「この距離で40ユーロもかかるわけないだろ!google map ではこうなっているぞ」とgoogle mapの表示を見せると、「いや一台あたり30ユーロはかかるはずだから、5台に分乗すると最低でも150ユーロだ」と言う。こいつは信用できないと思い、「私たちはタクシーに分乗する。ワゴン車は使わない」と言うと「まあ、お好きなように。五台分乗で高い金を払えばいい」と返ってきた。

結果的にはgoogle mapの予測どおり、15−20ユーロで宿泊先には行けた。ただ5台分乗はやはりかなり面倒。スーツケースが大きすぎて2人しか乗れない車もあったりした。SNCFのようにタクシーが確実に拾える場所であればまだいいが。

全員が宿舎についたのは17時前だった。ホテルのチェックインの際、宿泊代を払っていたつもりだったのが、実は未払いだったことが判明して、ガツーンとショックを受ける。団体予約でかなり大きな金額になるので、事前支払いはしたものだと思い込んでいたのだ。予約完了の確認メールを貰っていたので、それはホテル側が支払いを確認したあとに発行したものだと勘違いしていた。

宿舎は私のパリでの定宿の一つだ。中華街のある13区のはずれにある。ここはホテルと研修所の複合施設で、設備は簡素ながら清潔だ。朝食がついているというのも大きい。団体客の利用が多くて予約が取りにくいことが多いが、今回は運良く部屋を確保できた。パリの観光地の中心部からはかなり離れているが、中華街がすぐ近くなのでフォーなどの軽食の店が夜遅くまで開いているのが便利だ。

いったん部屋に入って荷造りをしたあと、18時にホテルロビーに再集合。夜にエッフェル塔と凱旋門の見学をするつもりだったが、エッフェル塔に到着し、上に登るのに手間取った。二階までしか上れなかったが、エッフェル塔から見るパリの夜景は美しかった。

エッフェル塔に登って降りると、夜9時を過ぎている。雨のなか歩いたので身体も冷えてしまったし、夕食も食べたいので、凱旋門は別日にした。夕食はイタリア広場の近くにあるベトナム料理屋に行った。Google mapによると24時間営業となっていた店で、あまり期待はしていなかったが、夜10時過ぎだが店は繁盛していて、店員もとても感じがよかった。私は鶏肉のソテーとガーリックライスのプレートを頼んだ。私と同じテーブルについた女子学生はフォーを頼んでいた。パクチーが苦手な人が多く、フォーには苦戦していた。東南アジア料理は香草類が苦手だときつい。私の頼んだプレートは美味しかった。久々にアジアっぽいものを口にしたのでいっそう美味しく感じた。

明日は午前中にオペラ座を訪問する予定だったが、サイトを見るとオペラ座は臨時休館となっていた。オルセー美術館にしようかと思ったが、第一日曜は美術館の無料開放日ということで満員。オルセーに限らず、パリの有名美術館は事前予約がほぼ必須であることがわかり、それも前日、前々日の予約では、午後の時間帯からしか入場できない。月曜に行く予定のルーブル美術館の予約を急いでしたが、午後の入場チケットしか購入できなくなっている。パリの観光は思っていた以上に手強い。日本の有名観光地もこんな感じなのだろうか。

結局、女子たちはUberを呼んでパリ・ディズニー・リゾートに行くことになった。男子組と私は、モントルゥイユの蚤の市に行くことにした。