2019年3月5日火曜日

2019/02/24 ニース研修2019春9日目


研修9日目。
日曜日で学校企画のイベントはない。片山企画で朝から夕まではマントンのレモン祭を見に行き、夜はLGBTの自主企画カーニバル、Lou Queernavalを見に行った。マントンのレモン祭は全員参加のはずだったがのだが、男子学生2人が日曜正午から旧市街のサント=ルパラート大聖堂のラテン語ミサを聞きに行きたいということで、彼ら二人はミサ終了後に合流することになった。

マントンのレモン祭はレモンとオレンジを使ったモニュメントの展示会とパレードの二本立てになっている。狭い町に大量の観光客が押し寄せるので大混雑となる。マントンのトイレ事情もひどいので、昼食はレストランで取って、そこでトイレをすましておくというのが重要なのだが、レストランには早めに入っておかないと満員になってしまう。パレードは14時半からだが、早めにマントンに到着し、まず展示会を見てから各自分かれて昼飯、午後はパレードを見た後、街を散策してニースに戻るというスケジュールを考えていたのだが、集合時間に遅れてきた学生がいて乗るつもりだった列車に乗ることができなかった。これでマントンでの予定を組みなおさなくてはならなくなった。
レモン祭のチケットは事前にネット予約して、プリンタでe-ticketを発券していたのだが、レモン祭のウェブサイトのエラーで展示会を見る日とパレードを見る日が別の日になっていた。チケット代はカードで支払い済みである。レモン祭事務局に問い合わせると、いろいろたらいまわしされた挙句、日付の異なる展示会チケットを取りに当日、ツーリストインフォメーションまで来いという話に落ち着いた。向こう側の不備によるこうした面倒くささに振り回されがちなのがフランスの面倒なところだ。
ツーリストインフォで展示会のチケットを受け取った時点で11時になっていたので、展示会見物は後回しにして、先に町散策と食事をすませ、午後のパレードを見てから、展示会を見るという順序に変更した。私を含め18名の人間で一つのレストランで食事というのは現実的でないので4名ずつぐらいのグループに分かれて、パレード開始まで自由というふうにした。私は学生数名とまず飯を食べることに。グーグルマップでよさげにみえたレストランはいずれも正午営業開始だったり、レモン祭りパレードで封鎖されている地域にあったりして、入ることができない。海岸沿いのレストランのテラス席で海を見ながら飯を食うことにした。しかし典型的なツーリスト向けのレストランで、料理はいまいちだった。数少ない外食の機会をこんなレストランでつかってしまったのが腹立たしい。
飯のあとはマントンの旧市街を探索。坂道に作られたマントンの旧市街路地の絵画的興趣は格別だ。レストランや売店が並び、多くの人でにぎわう海岸沿いの通りから、数十メートル離れた旧市街の坂道路地に入ると、ひっそりとした静謐の空間となる。建物の壁のオレンジや黄色と空と海の青の対比が美しい。午後2時半から始まる予定のパレードはセキュリティチェックにとまどり、実際にはじまったのは午後3時前だった。ニースのサント=ルパラート大聖堂でラテン語ミサを聞きに行ってた学生も合流。ラテン語歌ミサは、予想とは違い訓練された聖歌隊が歌うものではなかったが、一般信徒たちがラテン語で不器用に歌うこと自体が感動的だったと言っていた。
レモン祭パレードはレモンとオレンジで作った山車が出ること、パレードの演者たちがコンフェティという紙吹雪を大量に観客に投げつけることが、ニースのカーニバルのパレードとの違いだ。学生ははしゃいで喜んでいたが、私は立ち通しなので疲れた。昨夜もニースのカーニバルに行っていたし。レモン祭カーニバルは40分ほどで見物から離脱し、展示会の会場に移動した。
展示会の会場の入場の際の荷物検査が厳重で、私の荷物を調べていた係員の女性が私のかばんのなかに入っていたリコーダーを問題にした。
「これはなんだ?」
「リコーダーです」
彼女はリコーダーのケースを開けると、リコーダーを取り出してそれを手に持ち、
「これで人を殴ったりできるだろう」と難癖をつける。
「いやこれは人を殴るためのものではなくて、演奏して音を鳴らす楽器だ。リコーダーですよ」
「だからこういうものでこうやって人をたたいたりできるだろう?」
「だから殴るためのものではなくて、吹いて音を鳴らすんですよ。あなたの国ではリコーダーで人を殴ったりするんですか? これは驚きだ」
あまりに理不尽な言いがかりだったので、からかってわざとこんな答え方をするとそのコントロールの女性は激怒した。
「こんなものはそもそもこうした場所に持って入ってはならないものなんだ」
「フランス人はリコーダーで人を殴るからですか? 殴るんじゃなくて、演奏するためのものなんですよ、リコーダーは」
とか言っていると、別の係員が見かねて「そうそう、これは楽器だから。おっけおっけ」と通してくれた。女性の係員はすごい目つきでこちらをにらんでいた。ああ、愉快愉快。
展示会場では末期的状況の簡易トイレで用を足したあとは、売店でオレンジ・レモンジュースを買って、座って飲んで休んでいた。
マントンからニースへの帰りの列車は大混雑だったが、なんとか座ることができた。ニース着は午後6時過ぎ。LGBTのLou Queernavalの開始は午後7時となっていたのでゆっくり飯を食べる時間がない。学生数名と中華のファストフードで夕食を取った。
公式カーニバルの会場を使ったLGBTの自主企画カーニバルは、2015年にも一度あったが、その後、テロのせいでカーニバルの警備体制やプログラムの見直しが行われたためか、継続的には行われなかった。今年はLou Queernavalと称し、新たにLGBTのカーニバルが行われることになった。無料だと思ったら5ユーロの入場料が必要だった。入場チケット売り場がかなり離れた場所に設置されていたのと、入場時の手荷物審査に手間り、私たちが入場できたのは午後8時前だった。学生でLou Queernavalに来たのは13名だった。公式のカーニバルのように巨大で手の込んだ山車や人形のパレードが次々とあるわけではない。入場時荷物チェックの手際の悪さのせいで、会場となったマセナ広場は私たちが入った時点でもガランとした感じだった。野外ステージでのクラブみたいな感じで、時折、仮装したLGBTの人が踊ったりする。入場者が増えるにつれ徐々に盛り上がってきた。プログラムはぐだぐだで散漫なところはあったが祭りということでは、公式のカーニバルよりもLou Queernavalのほうが解放感と自由さがあってはるかに「健全」で面白いと私は思った。学生たちもこの雰囲気を楽しんでいたようだった。
学生を連れての研修旅行で夜遊びさせるのは面倒くさいことが多いのだけれど、私としてはそれでもせっかく外国の街にやってきたのだから学生たちに夜遊び文化も楽しんでほしいと思っている。カーニバルだけでなく、レストランでの食事やコンサート、オペラ、ライブハウスなども。この夜遊びの面白さを遮断して、なんで大学生の研修旅行だという気が私はするのだ。もちろん大都市で夜出歩くことのこわさもこの機会に知ってほしい。もちろんある程度、賢い大人の学生でないとこうしたことはできないのだけど。
9時半に会場を出る。女子学生の送りを男子で分担して、解散。疲れた。明日から二週目。二週目はもっと穏やかに静かに過ごす。自分の勉強もしなくては。



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