2017年2月20日月曜日

ニース研修春2017 (1) 2/19

今回で3回目の春季ニース語学研修旅行。
今年の参加者は13名。去年より4名多い。男子学生が一名で残りは女性。
出発日は昨年より一週間早い。飛行機の便は過去二年と同じ。
22時成田発ドバイ行きのエミレーツ航空EK319便に乗る。団体チケットを取ったのだが、昨年は事前に座席番号の連絡があったのだが、今年は空港でチェックインするまで座席がわからないという。学生にはとりあえず割り当てられた座席にそのまま座るように指示した。

エミレーツ航空のカウンターは混雑していて、思っていたよりもチェックインに時間がかかる。われわれが乗る便は満員とのことで、私は中央の四人並び席の内側を割り振られた。ドバイまでは10時間の長時間フライトなので通路側がいいのだが。隣が自分の学生だったら変わってもらおうかなと考えたりしたのだが、隣は見知らぬ人だった。フライト中、トイレに二回行った。
ドバイ行きの乗客の多くは日本人。隣に座っていた人は、ドバイからマドリッドに行き、そこからサンチャゴ・デ・コンポステラに行く巡礼観光客だった。

夜発便でフランスに行くときは、機内で眠れると翌日の行動が楽になる。とはいっても行きの飛行機のなかでは、出発の興奮もあってなかなか眠りにつけないことが多い。今回は幸い、ドバイまでの11時間のうち、5時間ぐらいは眠ることができた。
映画も2本見ることができた。眠る前に、三浦大輔監督の『何者』。これは昨秋見損ねていた映画。美男美女ばかりの出演者にちょっと抵抗を感じていたが、三浦大輔のシニカルさがいい塩梅で取り込まれていて面白い作品だった。
眠って起きたあとは、フランス映画の「ニースのブリース3」。黄色い服ばかり着ている馬鹿サーファー、ブリースの珍道中映画。フランスの伝統的なおバカコメディの王道的作品。失笑もののお約束ギャグとルーズで行き当たりばったりの展開の本当にくだらない作品だが、フランスでは大人気のようだ。エロネタがほとんどないので、子供も楽しめるだろう。最後のひねりがちょっとフランス風。

ドバイで乗り継ぎ。ドバイからニースまではおよそ6時間のフライトとなる。
また中央4人並び席で内側、しかも隣は恰幅のいいアラブ人のおやじ、ということで、デブ二人が並ぶのかよとうんざりしたのだが、4人並びのうち2席に乗客がいなかった。一人2席確保できることになりラッキーだった。2席確保できるとさすがに快適だ。 3時間ぐらい熟睡できたと思う。起きたあと、是枝裕和監督『海よりもまだ深く』を見た。これも昨年、見損ねていた作品。離婚したものの、前菜に執着があるダメ男の話。元妻のひややかで拒否的な態度が見ていてたまらない。うちもちょっとあんな雰囲気があるので。ラストの場面がいい。阿部寛演じるダメ男の寂寥感、しかし彼はこの寂しさをひきうける覚悟はできている。

ニースには予定通り19日(日)の十二時半に到着。スーツケースを受け取って、一時過ぎに空港を出る。13人の学生は、一人部屋の男子学生一人を除き、二人ずつ、異なった家にホームステイする。私もホームステイ。8組に分散して二週間過ごす。うち4組は昨年、一昨年から世話になっている家庭だ。

私が昨年、一昨年過ごしたステイ先は引っ越してしまったので、今回は初めての家だ。学校のすぐそばのアパルトマンの8階。30台半ばぐらいの若い夫婦と10歳の男の子、7歳の女の子の4人家族。私が到着したときには、奥さんは外出中、子供二人は今学校のバカンス中でリヨンの祖父の家に木曜まで滞在していると言う。やさしげな旦那さんが一人で私を迎えてくれた。

昨年、一昨年、私が滞在した家は、海岸に近い場所の高級アパルトマンで、部屋も広いし、おばあさんとその娘さんも感じがよくて、とても快適だった。今回は部屋に案内されてその狭さと前のアパルトマンの一室と比べると殺風景でみすぼらしいものだったことに正直がっかりした。
ただ迎えてくれた旦那、ギヨームは親切で感じがいい。彼はリヨンで生まれたが、母親がマダガスカル人、父親がフランス人で、幼少期から高校まではマダガスカルで過ごしたそうだ。妻のマーニャは、父親はパキスタン人、母親は中国人とマダガスカル人のハーフ。マダガスカルにはインド系と中国系の移民が多数住んでいるそうだ。マダガスカルでは生粋のマダガスカル人が半分、残りの四分の一が中国系、四分の一がインド系という話だった。

彼女は20年くらい前にフランスに移住した。実の父はマダガスカルに住んでいたが今はもう死んでいる。母親はパキスタン人の夫と別れ、フランス人と結婚し、そのフランス人の仕事の関係でマダガスカルからフランスに移住することになったらしい。そのフランス人の義父も4年前に亡くなったとのこと。
ギョームの父は現在、リヨンに住んでいる。彼の両親も離婚した。母親はマダガスカルにずっと住んでいる。両親は二人とも、現在は別のパートナーと生活している。

マダガスカルの形容詞が、malgacheであることを知った。マダガスカル語もmalgacheだ。
マーニャはインド系の名前らしい。インド映画の登場人物から取られたそうだ。彼女の家庭ではマダガスカル語が話されていた。私の個室環境は前のステイ先に比べるとかなり落ちるけれど、彼らのこうした出自の話を聞くと非常に興味深い。

荷ほどきをし、ギヨームからひととおり生活の仕方について説明を受けた後、町に出た。ほかの学生たちとはちょっと離れた下町地域にステイし、今回はじめて学生を預ける家庭に滞在する学生二人と待ち合わせて、街歩きをする。海岸まで降りて、プロムナード・デザングレを歩いて、旧市街まで行った。ニースの名物、ソッカの露店が出ていたのでソッカを買い、ベンチに座って食べた。
それから旧市街のサレヤ通りのカフェに入り、リンゴタルトを食べた。トラムで学生の滞在先の近くまで行き、学生を送る。二人が滞在するのは老夫婦の家庭だ。部屋の写真を見せてもらったが内装がシックでかっこいい。部屋も広々した感じだ。おじいさん、おばあさんもはっきりものを伝える人で感じがいいとのことだった。

自分のステイ先に戻ると、マーニャが夕食の用意をしていた。
シャワーを浴びて、飯を食べながら、上に書いたような興味深い話を聞く。夕食はサラダとパスタ、それからチーズ。ボロネーゼ風のパスタ(パスタは細長いものではなく、ニョッキ)はなかなかおいしかった。あとフランスパンがとてもおいしい。
私の滞在中にマダガスカルの料理を作ってもらうようにお願いしておいた。唐辛子を使うけれど大丈夫か?と問われたが、私は問題ない。マダガスカル料理はまだ食べたことがない。

10年前からアジュールリングァの生徒を受け入れているとのこと。私は彼らが受け入れる4人目の日本人だそうだ。彼らがホームステイをはじめて、最初に受け入れたのが日本人の二十台の女性だったそうだ。この日本人女性は最初に紹介された滞在先が相性が悪く、次に紹介されたのがギヨームとマーニャの家だった。フランス語も英語もほとんど話すことができなかったという。でもその日本人女性も何とかコミュニケーションを取ろうとしていた。彼女は一週間、ギヨームとマーニャの家に滞在した。そのあと、イタリヤへの自由旅行に出かけたらしい。
最初に受け入れた学生が、彼らにとっては未知のアジア人女性、それもほとんどフランス語も英語も話せない人だったので、彼らもいろいろと気を使ったらしい。
その日本人女性は、イタリア旅行のあと、またニースに戻ってきた。そのとき、ギヨーム・マーニャのところにやってきて、学校とは関係ないけれど、日本に帰国するための数日間、また二人の家で過ごしたいと頼んだそうだ。二人は喜んで彼女を受け入れた。
これで二人はホームステイ受け入れをその後も続けてやっていけると思ったそうだ。




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