2017年2月27日月曜日

ニース研修春2017 (7) 2/25

夜にいろいろ想定外のことがあって、どろどろに疲れた日だった。
土曜なので学校での授業はないが、学校主催の一日遠足でカンヌに行った。体調が悪い学生一人が不参加。ガイドは木曜のモナコのときに我々に同行した19歳のレア。
ニースからカンヌまではローカル線で30分ほど。
映画祭で有名なカンヌは、コートダジュール有数のリゾート地だ。町の規模はニースよりもかなり小さいが、そのブルジョワ濃度はニースより高い。
カンヌへの遠足も私はこれが4度目か5度目。2年前に学生をはじめてカンヌに連れて行ったときは、船で渡ったサント・マルグリット島で暴風雨に遭った。ずぶ濡れの状態で、10畳ほどのバラック小屋に30人くらいの人間が避難し、雨風が収まり、船が来るのを二時間ほど待った。本気で遭難するかと思った。
今回は快晴だった。



レアの案内ではいつもと回る順番が違った。最初にカンヌ中心部海岸沿いにある映画祭のメイン会場に行った。ここのレッドカーペット階段で記念写真を撮るというのが定番なのだけれど、今回は国際ゲーム・フェスという催しで階段に上ることができない。さらに階段にはアニメ映画のキャラクターの人形が並べられていて、レッドカーペットを背景とした写真もパッとしない。
映画祭メイン会場の後は、旧市街の高台でカンヌで最も古くからの地域、le Suquetに行った。ここには中世に建築された教会と塔があるのだけれど、改修工事中で趣が損なわれていた。
カンヌ遠足にはカンヌ沖合にあるレランス諸島のサント・マルグリット島も含まれている。島への船が出る14時まで、自由時間となった。市場を見学した後、港近くの公園にいくつかあったスナック・スタンドの一つでハンバーガーを買い、カンヌの浜辺近くで食べた。巨大でおいしいハンバーガーでおなかがいっぱいになった。

レランス諸島のサント・マルグリット島はカンヌの港から船で15分ほどで着く。ここには17世紀にルイ14世の弟ともいわれる鉄仮面が幽閉されていた牢獄がある。この牢獄は今は博物館の一部になっている。鉄仮面幽閉の話は、フランスではアレクサンドル・デュマの長編歴史小説『ダルタニャン物語』を通じてほぼ誰でも知っている話だ。日本でも仏文専攻なら「常識」として読んでおくべき作品だと篠沢秀夫先生が文学史講義の本で書いていたように思うが、私は読んだことがない。この牢獄では鉄仮面と同じ時期に、ユグノーの聖職者6名がカトリックへの改宗を拒み投獄されたことでも知られている。ああそういえばルイ14世がナントの勅令を廃止したというのがあったなあとなんとなく思い出す。



サント・マルグリット島には19世紀の兵舎が何棟も残っていて、オレンジ色の屋根のこの兵舎の建築と海と空の青、木々の緑が作り出す景観が私は好きだ。この兵舎は現在は、夏の臨海学校で子供が宿泊する施設として使われている。
2時間ほど島で過ごして、カンヌに戻る。レランス諸島の一つ、サント・マルグリット島の次に大きな島であるサントノラ島には、5世紀から続くガリア最初の共住修道院がある。私としてはサント・マルグリット島よりもむしろサントノラ島を見てみたいのだけれど、サントノラ島には今も修道院があって、一般人は入島できないそうだ。

午後6時過ぎにニースに着く。夜はカーニバルを学生たちと見ることになっていた。カーニバルは夜9時開始だが、入場時のチェックが厳しくなっているので8時頃には会場内に入っておきたい。となると食事を取る時間が中途半端になる。学生は一人が体調がいまひとつということでカーニバル参加をとりやめた。二人はカーニバル会場のすぐそばに住んでいるので、ステイ先で食事を取る。残り私を含めて11人がどこで飯を食べるかでちょっと迷う。
旧市街にあるノンストップ営業のレストランで、サラダや軽食を食べようかと思っていたのだが、カーニバルでマセナ広場横断ができなくなっていて、旧市街に行くには大きく迂回する必要がありそうだ。フランスでは外食夕飯サービスはおおむね午後7時半以降、しかもゆっくりサービスで食事時間を90分ぐらいは見ておかないといけない。
駅前の中華バイキングの店が開いていたのでここでいいかと思って入ったら、料金が18ユーロと案外高い。ニースの中華バイキングで18ユーロは払いたくない。結局、駅前の多民族地域にある殺風景なレストランに学生8人ぐらいと入った。ムール・フリットとピザが食べられる店だったので、貝の苦手な学生はピザを、そのほかの学生はムール・フリットを注文した。場末感に満ちた大衆食堂だったけれど、案外うまい。もっともムール・フリットはどこで食っても同じようなもんかもしれないが。注文して料理が出てくるまでに30分、食べ終えるのに30分。


20時過ぎにカーニバルの会場に入る。入場チェックはかなり厳しい。かばんの中身を見せるだけでなく、金属探知機、身体を触ってのチェックもある。身体チェックがあるため、入場は男女別だ。チェックの警官の態度はいかめしく乱暴で感じが悪い。へらへら笑って適当にやられるよりはいいが。

座席は立見席だ。すでにかなり疲れていたので椅子席にしておけばよかったと後悔する。入場が早すぎて、パレード開始までの待ち時間が長かった。またパレード開始も遅れた。観客をあおるテンションの高いDJが同じようなことを何回も繰り返し言ってる。昼間はかなり暖かかったのだが、夜のマセナ広場はかなり冷え込んだ。疲労もあって、パレードがはじまっても気分が盛り上がらない。
パレードが始まって30分ぐらいしたところで、学生の一人がトイレに行きたいと言う。
「トイレあるでしょうか?」
と聞かれた。
「うーん、知らない。会場スタッフに聞いてみな?」
と答える。その学生が15分ぐらい戻ってこない。どうしたのだろうと思っていると、姿が見え、こちらいにやってきた。トイレを探し回ったけれどそれらしきものはない。スタッフに聞いたら「トイレはない」と言われたと言うのだ。
夜の野外で、おそらく数万人規模の観客がいるのに仮設トイレがない。フランスというのは恐るべきところだ。私も近くにいたスタッフに聞いてみたら、やはり「ない」との答え。どうかしている。
いったん会場の外に出て、近くのレストランかカフェでトイレを借りてまた戻ってこようと思い、ゲートを出ようとしたら、ゲート警備の警官に呼び止められた。彼が言うには一度ゲートを出たら再入場はできないとのこと。
学生に「どうする?」と聞くと、「あと30分ぐらいだったらなんとかがんばれる」と言う。しかしかなり切羽詰まった様子に見えた。
一度退場してどうせ戻ってこれないのであれば、速足で歩けば15分ほどで着くこの学生のステイ先に戻るのが、近所のレストランでトイレを借りるよりいいように思った。
レストランで何の注文もしないでトイレだけ借りるというのが、断られてしまうような気がしてちょっと気が重かったのだ。なお有料の公衆トイレもカーニバル会場付近にあるのだが、夜は閉まっている。トイレ環境についてはフランスは本当にひどい。


問題はここで私と学生が会場を出てしまうと、会場に残った学生たちと再会が難しくなることだ。携帯では学生がwifi環境にないと連絡が取れない。学生たちにはパレード終了後、会場内の目印となる場所に集合するように伝えていた。

数名の学生が固まってパレードを見ていたので、そこに行き、これから私はトイレ限界の学生と会場を出て、彼女を家まで送ったのち、また戻ってくる。会場内には再入場できないので、出口のところで待っているので、ほかの学生にもこのむねを伝えて一緒に出口に出てきてほしいと伝えた。

「出たら戻ってこれないけれどいいんだな」と警備警官に念押しされてから、会場の外に出る。そこから速足で彼女をステイ先まで送り届ける。会場に戻るには、レンタル自転車Velo Bleuを利用した。

さて会場出口付近に戻ってくると別の女子学生が一人でそこにいた。
「お前、なんで一人でここに出ているんだよ?」
と聞くと、
「あー、先生よかった。おなか痛くなって出てきたんです。これから一人で家に戻ろうとしてたところなんです」
と言う。こういうイレギュラーな退場はかなわんよなと思ったが、彼女にたまたま出会えたのは運がよかったとも言える。彼女をステイ先まで送り、また会場出口に戻る。夜は気温が低く寒い。近くにカフェみたいなものが開いていればいいのだが、カフェっぽい店はみな閉まっている。出口そばにレストランがあったのでそこに入ってコーヒーでも飲んで、カーニバルが終わるまで待っていようと思って中に入ろうとすると、おやじウェイターが
「なんのようですか?」
と聞く。
「コーヒーを飲もう思ったんだ」と言うと
「申し訳ないがもう終わりなんですよ」
と答えた。
ほんとかよ?と思ったが、仕方ない。しかしその後、その店を見ていると新たに入店している客がいるではないか!あのくそおやじ、うそを言って俺を追い返しやがったなと、めらめらと怒りの感情が芽生える。また中に押し入ってやろうかと思っていると、出口から学生三人が出てきた。まだカーニバルは終わっていない。


「おい、ほかのやつはどうしてるんだよ?なんで途中で出てきたんだ?」
と聞くと
「もう寒くて寒くてがまんでいないので途中で出たんです。私たちだけで帰りますから」
と言う。3人のうち2人は同じホストファミリー、1人はトイレで私が家に送った学生と同じところに住んでいる。2人組のほうは、駅の北側の地域であんまり女子だけで帰したくなかった。でも出てきたらもう再入場はできない。彼女たちにはトラムの切符を渡して、走ってさっさと帰るように言った。残りの一人は寒さで震えていて、すぐにでも一人で家に帰りたそうだったが、女の子をこの時間一人で帰らせるわけにはいかない。
それで先ほど、私を追い出したレストランに彼女と一緒に入ることにした。先ほどうそを言ったおやじウェイターとは別の若いウェイターが入り口のところに言った。飲み物だけというとまた追い返されたらいやなので、「二人だ」とだけ言ったら席に案内してくれた。
席に着くと注文を取りにきたのはさっきのおやじウェイター。
「コーヒー二つ」
と言うと
「ムッシュー、飲み物だけでは」とか言いかけた。それを最後まで言わせず
「コーヒー二つ、お願いします」と繰り返すと、
「はい、コーヒー二つですね」
と言って向こうに行った。

私が連れてきた女子学生は入り口付近でフランス人おやじの客につかまってダンスの相手をさせられていた。この店はDJー歌手が音楽をかける店でもあった。酔っ払い気味の客と一緒にあとで《イマジン》を合唱する。

コーヒーを飲んで、トイレに行って、女子学生の体が温まったところで外に出る。カーニバルはちょうど終わっていた。
私が外で待っているように他の学生にも言伝を頼んだ学生二人がいた。
「どこにいたんですか?向こうまで探していたんですよ」
とか言っている。
「お前ら、他のやつは? ほかのやつにおれが外にいるって伝えたよな?」
と聞くと
「えー、そんなこと言われても。終わったらここで待つってことじゃないんですか?」
とか言っている。
伝言が伝わっていないとなると、他の数人の学生は最初の約束通り、会場内のとある場所でわれわれを待っているはずだ。
「ふざけんなよ、お前らがのこりの学生に伝えなきゃ、どうやってあいつらはここまで出てくるんだよ。中で待ち合わせだと思っているから、そこに待っているに決まっているじゃないか」
と怒る。
会場内に入って中で待っている学生を呼びに行きたいのだが、警備の警官に事情を説明しても「再入場はできない。向こうを回れ」とかなり横柄な口調で追い返される。
「おい、あいつらが自分の判断で違う出口から出て、勝手に帰ってしまったら、それが確認できるまでこっちは動きをとれんだろうがっ。どうすんだよ」
と会場外に出てきた学生たちにキレていたところで、取り残された学生たちが出口から出てきた。

帰りは三方向に分かれる。寒さで途中で出てきた学生は取り残された学生二人のすぐそばで、そこまでの道のりは夜遅くまで開いているレストランがたくさんあってあまり危険性はないので、3人一緒に帰らせる。駅の北側に住んでいる女子は、やはり駅の北側に住んでいる男に送らせる。彼らは途中までトラムを使う。残りの二人は、私を含め、ほかの学生たちとは逆の方向でかなり遠くに住んでいる。私は彼女たちの家まで同伴した。そこからの帰りはレンタル自転車velo bleuを使って自分の家に帰った。このレンタル自転車システムがなければ、帰りは歩きで40分ぐらいかかったはずだ。velo bleu登録しておいてよかった。

トイレ、寒さは不可抗力の事態と言えるが、こうぞろぞろと複数の学生が不規則な動きをするとこちらはお手上げだ。こうした不規則事態が生じることを想定したうえで、計画を立てるべきだったのだ。

過去数回、夜の外出後の送りはとりあえずうまくいっていたので何とかなるもんだと思っていたが、女子学生を集団で夜外出させる難しさをあらためて認識した。自分の考えが甘かったのだ。こういう事態、パリとかだったら洒落にならない。ニースでもダメなんだけど。
自分はスペクタクルが生活の一部になっているような人間なので、学生にもスペクタクルの喜びを、夜に外出する際のリスク管理の重要性とともに、知ってほしい、知っておくべきだと思っているのだけれども、やはりなかなか大変なことだ。






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