2017年2月24日金曜日

ニース研修春2017 (5) 2/23

一昨日のエズ山下りの疲労から回復。しかし学生一人が昨夜から風邪っぽい症状と聞いて、朝、風邪薬を持っていく。幸い風邪薬がよく効いたみたいで、午後のモナコ遠足のときにはこの学生は多少元気を取り戻していた。薬で症状を抑えているだけかもしれないが。

午後のモナコ遠足の引率は19歳で観光学専攻のレア。こちらが連れてきている学生も19-20の女性が多いが、彼女と同じ年には見えない。彼女が「19歳」と知ると、思わず「えっ!」と声があがった。日本人学生は見た目もふるまいも、フランス人の平均よりもはるかに幼く、子供っぽい。レアはまじめでしっかりとした受け答えのできる子だった。

モナコは、コートダジュール観光では欠かすことができないポイントであり、アジュールリングァの研修プログラムでも必ず遠足に組み込まれている。しかし実は私にとってはモナコは一度行けば十分で、あまり興味を持てない町だ。来るたびに言っているのでこれで6度目のモナコなのだけれど。
街並みは周辺のコートダジュールの町と共通するものがあるが、モナコが「外国」であることは、駅に降りるとすぐ感じることができる。町が清潔で、整然としている。モナコはいかにも観光用に調整され、整備されているような、人工的な感じで、私には今一つつまらない場所だ。警官がたくさんいて、監視カメラもいたるところにある。おかげで治安はとてもいいらしい。


まず海洋博物館へ。20世紀はじめに海洋生物学者であったモナコ大公あるベール一世が作ったもので、地下は水族館になっている。モナコの代表的観光ポイントの一つだ。一時間ほど海洋博物館にいたあと、大聖堂、それからモナコ大公宮殿。時間があったのでさらにモンテカルロ・カジノ前広場まで。モナコの観光コースを一通り回る。F1のコースで有名な「ローズ・ヘアピン」で、F1ファンの父親のために写真を撮りたいと言っていた子がいたのだが、その子の願いをかなえることができた。私は6度目のモナコではじめてこのヘアピン・カーブの存在を知った。F1ファンにとっては聖地みたいなところなのだろうか。

カジノやオテル・ド・パリのあるモンテカルロはモナコの高台にある。そこからモナコ駅までは歩いて15分ほど。その15分のあいだに学生一人がはぐれてしまった。モナコ駅のホームに続く地下道のなかで気づく。ガイド役のレアが走って探しに行くが、5分ほどで戻ってくる。はぐれた学生は見つからない。それで今度はレアに学生を託して、私が探しに行くことになった。携帯で連絡が取れればいいのだけれど、学生が持っているのは日本の携帯でしかもフランスで音声受信ができる設定にしてあるかどうか未確認だった。

来た道を逆に行き、モンテカルロまで上ったけれど見つからない。そこで海外wifiを契約している学生からLINEが入った。はぐれた学生からLINEで連絡があったと言う。はぐれた学生は道に迷い、それからどうやってか知らないけれど、我々とは違う駅の入り口に到達し、ホームにいた。不可抗力のことによるトラブルならともかく、こんなことで振り回されるとさすがに「ふざけんなよ、ばかやろう」と言いたくなる。肉体的にも精神的にも疲れた。彼女は海外wifi契約していないようだ。「機内モードにしていたけれど、LINEはwifi環境でなくてもつなぐことができるので」と言っていたが、モバイルデータ通信の海外ローミングサービスがもしかしてオフになっていないかもしれない。これまでに何度か「ローミングオフにしとけよ。とんでもない請求が来るかもしれんよ」と注意しておいたのだが。いずれにせよ今回はLINEで連絡が取れたので何とかなった。ローミングをオフにしていなかったらLINEはできなかったわけで。仮にパケット海外ローミングでこの学生に高額請求が来たとしても、それは仕方ない。「確認するように」と改めて注意したけれど、「よくわからない」とのこと。私も見てみたがアンドロイド端末でどこの設定を見るべきかよくわからなかった。

18時にはニースに戻る予定だったのだが、このトラブルでニース駅着が40分ほど遅れた。日が落ちて暗くなっていたので、ニース市街西側に住んでいる学生をトラムで送る。それから私はレンタル自転車のvelo bleuで自分の滞在先に戻った。一方通行や自転車専用道路がよくわからなくて、ちょっと怖い思いをした。帰宅は20時前になった。

帰宅すると学校のバカンス期間中、リヨンの祖父宅に滞在していた二人の子供が戻っていた。上が10歳の男の子でEwann、下が7歳の女子でTimea。上の子は私の息子と同い年だ。日本から買ってきたノートと折り紙、そして竹とんぼを渡した。エワンは竹とんぼにはすぐ飽きて、テレビゲームのサッカーゲームに夢中。私はティメアの竹とんぼの練習に付き合う。折り紙はフランスでも盛ん(いやむしろフランスのほうが盛んかも)で、フランス語の折り紙の本が置いてあった。
二人の子供のほか、マニアの母親、マニアの幼馴染も来ていて、一緒に夕食を取った。マニアの母親と幼馴染はマダガスカル人で、マニアとは時折マダガスカル語で話していた。夕食は前菜がモナコ名物のラビオリ、バルバジュアンとサラダ、主菜が牛肉の赤ワイン蒸し、ドーブ。ドーブは通常、ラビオリやパスタとともに食べるが、今夜はマダガスカル風に米と一緒に食べた。リゾット風になって、米とよく合う。さらにマダガスカルから送って貰ったという唐辛子ベースの薬味をつける。この薬味はかなり辛いが、実に美味しい。ドーブとよく合った。マニアは料理がうまい。今日のドーブは、あたかも私のために作られた料理のようにおいしかった。



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