2017年2月22日水曜日

ニース研修春2017 (3) 2/21

肉体的に疲労困憊の一日だった。
授業が始まって二日目。主任と担任と話し合って、学生のクラスは、レベルの差は多少あるけれど、われわれのグループだけの閉鎖クラスでやっていくことに決めた。ちょっとがんばって上のレベルでいける学生もいるのだけれど。

午前中は学校の管理部門スタッフのところにキットカット抹茶味を持ってあいさつに行く。毎年夏に行っているフランス語教員向け研修に日本人教員を8名招聘したいと昨年からアンスティチュ・フランセ東京のスタッフと交渉を続けているのだが、うまくいっていないようだ。この計画では大使館から予算を取ってこなければどうしようもない。そのパイプをアンスティチュ・フランセ東京のスタッフに頼んでいたのだけれど、その頼んでいたスタッフが別のスタッフにこの件を押し付けて、その後、進展していないみたいだ。
「宙ぶらりんの状態なんだね?」と言うと、
「宙ぶらりんではない。交渉は昨年から継続してやっているし」と言って、その場で日仏スタッフにメールを打っていた。

ニースにはVélo bleuという自転車レンタルシステムがある。使用するには事前にウェブで氏名、連絡先、使用日数、引き落としカード番号、携帯電話番号を登録しておく必要がある。私は東京では10キロ圏内なら自転車で移動するのが常だし、それよりはるかに狭いニースは自転車で移動するのに適した広さの町だ。バスの本数は必ずしも多くないので、自転車移動できれば便利だと思い、日本で登録作業をしていた。しかしこのときに日本の携帯電話番号を登録したら、日本の携帯番号ではこの自転車レンタルシステムがこちらでは使えないことが、こっちに来ていざ使ってみようとしたときにわかった。
昨日、iPhoneのsimをフランスのorangeの旅行者用simに変更し、フランスの携帯電話番号を取得した。vélo bleuの登録携帯番号をこのフランスの番号に変更してもらうために、vélo bleuの事務所に行った。
「携帯契約書がないと、変更できない」と言われたが
「旅行者用のsimなんでそんなものはない。端末上で処理するだけなんで」と粘ったら、
「特例ということで、変更してあげる」ということになった。

それで早速vélo bleuを借りて、ニース駅からマセナ広場まで移動してみたのだが(マセナ広場でカーニバルのチケットを買う用事があった)、フランスでは自転車は車道ないし自転車専用道を走らなくてはならない上、日本と違い右側通行、さらにニース市内は一方通行がやたらと多いので、東京の町を自転車で走るのとはかなり勝手が違った。車も自転車のそばを通るときにスピードを落とさない。慣れたらどうってことはないのだろうが、最初の走行はかなり怖かった。

昼飯を食堂で食べたあと、午後はエズ村に遠足だった。行きはトラムとバスでエズ村に行ったが、帰りはエズ村から海辺のふもとのSNCFの駅まで岩だらけの山道を50分ほどかけて歩いて下った。

エズ村に着くと、最初はルイ15世時代から続く香水メーカー、フラゴナールの工場を見学した。見学したあとは、お店で香水を買わせるという流れで、昨日のフロリアンお菓子工場と同じ流れなのだが、こうしたガイドツアーに参加するたびに、フランス人というのは本当に教え好きだなあと思う。どのガイドツアーでも教育プログラムとしてきっちりとした流れの手順があって、見学者は勉強させられてしまう。



香水については私はまったく予備知識がなかったので、フランス語で説明されて、それを学生に日本語で訳すときに、よくわからないところがちょくちょくあった。先に進んで説明を聞いて、「ああ、さっき話していたのはこういうことだったんだ」と後になってわかったり。
フランスにはパリ、ヴェルサイユ、グラースの香水職人養成学校を出た香水士が300人ほどいるとのこと。一日の労働時間は4時間だが、それでかなりの高額の収入を得ることができるらしい。ただ香りに関わる仕事のため、生活はかなりの制限を受ける。配偶者は化粧ができないし、本人はコーヒー、香辛料などの香りのきついものは食べることができない。もちろん鼻かぜなんかをひいてはならない。

香水はフランス文化のなかで私たち日本人が考えるよりはるかに重要な意味を持っているということがわかった。というようなお世辞を言ったからというわけではないだろうが、石鹸やらなんやらいろんな無料のお土産を貰った。私は買わなかったけれど、学生たちのなかには石鹸や香水などを購入した人がけっこういたようだ。

香水工場見学の後は、エズ村に入る。石造りの城塞のような集落が山の斜面に作られていてきわめてピトレスクなところだ。一昨年に学校のツアーではなく、自由企画でエズ村には行った。昨年はエズ村ではなく、サン・ポール・ド・ヴァンスというやはり山の頂上付近に作られた別の城塞村に行った。
エズ村は村のつくり自体も面白いが、頂上にある植物園から眺める地中海が絶景だ。


帰りは学校の遠足担当のエリックの提案で、エズ村から海の近くのふもとにあるSNCF駅まで「ニーチェの散歩道」(ニーチェがニースに滞在時にここを散歩したとか)と呼ばれる山道を歩いて下ることになった。
「眺めはいいけれど本当にたいへんな道だから。スニーカーで来ること」
と事前に注意されていたが、思っていた以上に岩だらけの大変な山道で疲労困憊した。ふもとに降りるのに50分ほどかかった。膝から下ががくがくという感じだ。

ニースには列車で戻る。着いたのは5時半ごろ。
疲労困憊だったが、今夜はオペラ座で《エフゲニー・オネーギン》を見ることになっていた。このオペラ鑑賞は全員が参加する。こんな状態で果たしてまともにオペラを見ることができるのかと思ったけれど、仕方ない。
オペラ開演は20時からだけれど、7時過ぎまでには取り置きを頼んである学生団体チケットを劇場窓口に引き取りにいかなければならない。学生チケットだとParadisと呼ばれる最上階の席だけれど、5ユーロでオペラを見ることができるのだ。劇場担当者の計らいで本来なら到着スケジュールや入金の問題で購入することができなかった学生チケットを今回確保することできたのだ。


大人数でさっさと飯を食べなくてはならない。毎年オペラの前の食事は、旧市街のガリバルディ広場のそばにあるソッカ屋に決めている。ニース名物のソッカとファルシ、様々な種類のピザなどをテイクアウトできる店だ。テイクアウトした食べ物は道を挟んだ場所にあるカフェで飲み物を注文すれば食べることができる。

イレギュラーなやり方で確保してもらったオペラ座学生チケットだったが、劇場窓口にはちゃんと話が通っていてスムーズに受け取ることができた。フランスだと担当者同士の引継ぎができてなくて「そんな話は聞いてない」なんてこともちょくちょくあるので、ちょっと心配だったのだ。


学生席はParadisすなわち天井桟敷だとは聞いていたが、天井桟敷でも正面の席ではなく、サイド側の席が学生5ユーロ席に充てられていた。座席番号はふられていない。これはちょっと予想外だった。天井桟敷でも正面席だろうとなんとなく思っていたのだ。
ニースのオペラ座は馬蹄型のイタリア式劇場なので、サイド席だと死角が大きい。二列目になると、立たないと舞台を見ることができない。席が空いていれば、もっと見やすい席に移動しようと思ったのだが(フランスの劇場は空席の移動に寛容)、あいにくかなり席は埋まっている。
私は結局二列目の席からずっと立ち見で《エフゲニー・オネーギン》を見た。過酷な山下りで疲労しているのに、立ち見のオペラ3時間超はかなりきつかったのだが、演出、演奏とともにかなりいい舞台だったので、疲労にも関わらず、引き込まれて集中してみることができた。学生たちは私とは離れた場所に座っていたのでどんな感じだったかはわからない。疲れて寝ていたかな。終演後にあえて聞かなかったが。

8時開演で終演が11時20分ぐらい。ホームステイなので、分散した場所に住んでいる学生たちを家に帰すのが、いつも悩ましい。今回は7箇所に学生を送り返す必要がある。
ほかの学生たちとは違う方向でちょっと遠くに住んでいる学生がいる。この家の人はとても面倒見がいいし、信頼できるので、遠くてはずれにあるけど3年連続で学生を預けている。ただ夜の外出のあと、どう帰すのかがいつも難しい。
昨年、一昨年はタクシーを呼んだのだが、ニースはタクシーの台数が少なくて、タクシー乗り場から電話で呼んでもなかなかやって来ない。とりわけカーニバルのパレードの後は、交通規制がかかって、さらに大変だ。値段も距離を考えるとすごく高い。
今年は周りのニースの人の意見も聞いて、Uberを初めて使ってみた。日本だと無認可の「白タク」扱いとなりUberのサービスはあまり広がっていないし、イメージもよくない感じがしてこれまでUberを使ったことがなかった。



実際に使ってみると、タクシーよりはるかに便利だし、値段も安い。ユーザーによる運転手の評価も明示されているので、タクシーの運転手より安心な面もある。Uberアプリで近くにいる運転手を探し、コンタクトを取ると、すぐに自分たちのいる場所にやってくる。そもそもフランスのタクシー、とりわけニースのタクシーの状況、運転手の質がひどいものなので(私は何回かいやな思いをしている)、既存のタクシーがUberに今後対抗できるとは到底思えない。

7組の学生の夜の帰り経路を確立。週末の夜のカーニバルもこれで大丈夫だと思う。
ニースはこじんまりした町で、治安がそんなに悪いわけではないけれど、夜遅く、女子だけで帰宅となるとやはりいろいろ気を遣わなくてはならない。



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