2023年2月21日火曜日

2022/02/20 モンレアル第3日目

 2023年2月20日(月)モンレアル 第3日

午前5時半に起床。午前6時にZoomでAICTの運営会議に参加する。鼻水は出るけれど熱はない。娘はフランスの薬の副作用で吐き気になやまされたようだ。まったく食欲がないという。結局、今日も娘は外にでることなく、60平米の半地下のAir BnBで一日を過ごした。広くて幸いだった。もっとも外にでても、風景は単調な住宅街であまり散歩してもあまり面白くはない場所だ。夜になっても娘は鼻水と喉の痛みでしんどそうだったが、「ケベックで風邪ひきでなくてよかった。あんなきれいな町で、狭い部屋に閉じこもっていると辛かっただろうから」と言っていた。

アントワーヌが午前9時に車でAir BnBまで迎えに来てくれた。2013年の年末以来の再会だ。この年、アーティスト・イン・レジデンスでアントワーヌは日本に滞在していて、六本木ヒルズの高級アパートに住んでいた。10月に早稲田であったケベックの作家、ウーク・チョンの講演会にアントワーヌが来ていて、そのあとの飲み会で彼とは知り合った。ラブレーの『ガルガンチュア』やデカルト『方法序説』などを人形劇でやる演劇人だと知って、10月から12月にかけての三ヶ月ほどのあいだだったがよく一緒に芝居などを見に行った。その後、彼は日本に来ることはなく、私はケベックに行く機会もなくて、FBで細々とつながっていたのだが、今回ケベック行きが決まって一番会いたかったのは彼だった。
ところが秋に連絡を入れたのだが、なかなか返事が来ない。こちらがメッセージを送っても二週間ぐらい放置されることもあり、やきもきした気分になった。時間がたつとそれはいろいろ変わってしまうものだよな、今の彼の状況はどんなものかは知らないけれど、迷惑だったのかもしれないと、ちょっと寂しい気分になり、連絡を取ったのをちょっと後悔していたのだが、向こうに心境の変化があったのか、1月末頃から彼から連絡が届くようになった。


今日の予定は午前中にケベック劇作家センター(CEAD)を訪問し、午後はケベック大学モントリオール校UQUAMのアントワーヌの授業に出るというものだ。アントワーヌは2017年以降、劇作家・演出家としての仕事はしていない。残念なことだが。このころからUQAMの演劇科で教えるようになり、今ではほぼパーマネントの契約で先生をやっている。週に12時間の授業を担当するだけでなく、学内行政にも関わる立場らしい。それが猛烈に忙しいとのことだ。
CEADの存在は数年前から知っていて、ここが発行するニュースレターは講読していたけれど、どういう機関なのかはいまひとつわからなかった。というかとりあえずケベックの演劇に関わる機関ということでニュースレターは講読したものの、積極的な関心は持っていなかったのだ。ニュースレターも見出しをさっと流し読みするくらい。今回、ケベックに来ることになって、ケベック演劇の現在の取材なのだから、連絡をとっておいたほうがいいのかなとは思ったものの、しかし実質的にはケベック演劇初心者がここに行って何を求めることができるのか、何を得られるのかがよくわからない。在日本ケベック政府事務所の久山さんを通じて、CEADのスタッフとつながり、今回、面会の約束をとりつけたのだけれど、実は行ってどうなるものやらちょっと不安だった。居心地の悪い思いをして変えるはめになるのではないかと。アントワーヌはCEADとは関わりが深いらしく、度々通っていて、知り合いもいるという。私がCEADに行くことになっているんだと伝えると、それじゃ、おれも一緒に行くよということになり、これは心強かった。

CEADの面会の約束は10時からだったが、アントワーヌの車はその40分まえにCEADの近くに到着した。カフェで時間をつぶす。アントワーヌは朝飯を食べた。CEADがある建物は巨大なビルで元は織物関係の工場だったらしい。ここにいくつかの公的文化事業の事務所が入っているようだ。
CEADで私を迎えてくれたのはサラさんとアレクサンドルさん。準備不足でやってきた私が欲しかった様々な現代ケベック演劇の情報について90分にわたってレクチャーしてくれた。感謝に堪えない。お土産は例によってキットカット抹茶味。お返しにというわけではないが、話題にあがった作家の戯曲を三冊くれた。ケベックに行く前はぼんやりとしていたケベック演劇の現代について、自分がどのようにアプローチしていくのか、その道筋が、先週のRIDEAU、今回のCEADの訪問を通じて、徐々に見えてきたように思う。いくつもの切り口があるが、まず私が扱うべきは先住民による演劇およびその他の文化芸術活動だろう。サラさんもアレクサンドルさんも優しく、丁寧に応対してもらって、本当にありがたい。この取材も久山さんの仲介がなかったらできなかった。またこうして人と会うことで、それまでぼんやりしていた関心に焦点が合ってくる。人のつながりの重要性を感じる。



11時半にCEADの事務所を出る。午後のアントワーヌの授業は14時からだが、彼は昼に人と会う約束があるという。私はモントリオール地下鉄・バスの一週間チケットを買う必要があったので、近くにある地下鉄の駅まで連れて行ってくれというと、モン・ロワイヤル駅まで連れていってくれた。そこでいったん別れ、授業開始の15分前に大学で待ち合わせするこにした。モンロワイヤル駅の自販機で地下鉄・バス一週間券を購入し、Google mapで見つけたレバノン料理屋でサラダとサンドイッチの昼ご飯を取った。


UQAMの最寄り駅はBerri-UQAM。大学校舎は地下鉄駅と直結していた。改札を出たところにある大学ホールでAntoineに電話をかけ迎えに来て貰う。
14時からアントワーヌの「演技」の授業。一年生のクラスで、学生は6名である。みな人なつっこくて感じがいい。アントワーヌが学生に対しては、威厳のある先生的な態度で接しているのはちょっと意外な感じがした。学生は二人組ペアで、それぞれが割り当てられた戯曲の抜粋を朗読、分析、試演する。抜粋の長さは7-8分ほど。課題戯曲はストリンドベリ「ペリカン」、イプセン「人形の家」、チェーホフ「プラトーノフ」と三編とも自然主義・象徴主義の古典作家だ。アントワーヌによると学生たちのほとんどはこうした古典戯曲に触れたことがあまりないという。分析と試演では、アントワーヌから矢継ぎ早にさまざまな指示が飛ぶ。まず正統的なテクストの読解ができているかどうかを重視しているようだ。指導に熱が入っているとアントワーヌの指示がどんなものか、私には理解できなくなった。学生側からの反論はほぼない。アントワーヌが考えるあるべきかたちを探しているような感じがした。一組につき約1時間にわたってこうした指導が行われる。途中に一回、5分ほどの休憩時間がある。授業終了は午後5時半だった。アントワーヌは自然主義的な演技、レアリズムの表現を求めてはいない。しかしレアリズムでない演劇的表現とはどういうものかは、学生たちにはまだイメージできてない。
学生たちが素直で従順であることはちょっと意外だった。かなり強権的なアントワーヌの指示に対する反論があるのかなと思っていたので。アントワーヌによると、学年が進むとそういう議論は出てくるのだけれど、一年生だとあまりないという話だった。


アントワーヌは人形劇作家・演出家としてはかなり特殊な発想を持つ演劇人で、その音楽の嗜好も前衛なのだけれど、先生としての教え方は非常に古典的、正統的スタイルであるのも意外だった。


帰りはまずアントワーヌの家による。彼は大学には車で通っていないのだった。彼の家はモン・ロワイヤル駅から15分ほど歩いたところにあった。わざわざ私を迎えに来るために車を出したのだ。彼のアパートに寄って、それから車でAir BnBまで送って貰った。Air BnBに変えるまえに、食材購入のためにスーパーにも立ち寄ってもらった。
うーん、異国での親切、歓待はやはり身にしみる。ケベックに来てから、人の対応でいやな目には合っていない。こういうことがあるので、ますますケベックに愛着がわいてしまう。
娘はやはり一日家の中にいたらしい。回復まであと一日、二日はかかりそうだ。

2023/02/19 モンレアル第2日目

 2023年2月19日(日)モンレアル第2日目

午前6時半起床。体温は平熱だった。しかしなんかまだ身体が本調子ではない。だるい。咳は少なくなったが鼻水が出るようになった。昨日買ってきたクロワッサンとソーセージの朝食を取る。ソーセージは塩辛かった。午前中に洗濯をする。家で洗濯が自由にできるのはありがたい。娘はのどがいがらっぽいと言う。私と同じ症状だ。このあと、私と同じように症状が進行していき、私が風邪を移してしまったことが判明する。私はどこかから貰った風邪だがわからないが、娘は間違いなく私が原因だ。幸い、私が昨日買った総合感冒薬がよく効くようだ。発熱や咳はかなりそれで押さえられる。ただ全身の倦怠感からは逃れることができない。この日記を書いているのは21時半。娘は20時に薬を飲んだ後、眠っているがうなされているようだ。しんどいのだろうか。


日中は家にいて、後回しになっていた仕事をしていた。昼ご飯は昨日スーパーで購入したなにかを食べたのだが、何を食べたのかもう覚えていない。若干頭はぼーっとしているし、身体も怠いけれど、熱はずっと平熱のまま。私は快復したと考えていいだろう。
夕方に買い物に行く。近所のパン屋に行ったが、ブリオッシュの類いが三種類並んでいるだけだった。午前中に来なければダメらしい。近くのスーパーまでは700メートルほどの距離がある。幸いそんなに寒くなかったし、雪も雨も降っていなかったが、このあたりは長大な長方形のブロックで区画されていて、景色が単調だ。歩いていてもそんなに楽しい気分にはならない。スーパで果物他を購入する。チキンのロースト一羽が7ドルという格安だったので購入した。一度食べてみたかったのだ。夜はその半分を食べたが、あまりおいしくはなかった。まあ確認できてよかった。
ぼんやり頭で〆切のある原稿を書く。
娘はどんどんしんどそうになっていく。可哀想だ。申し訳ない気分になる。


2023/02/18 モンレアル第1日目

 2023年2月18日(土)モンレアル第1日目

朝7時に目覚めるが身体が重い。やはり調子が悪い。熱はなさそうなのだが。日本から持ってきた体温計は壊れていた。風邪薬と食料の調達をしなくてはならない。周辺は低層三階建ての住宅地だった。重い身体を引きずるようにして買い物に出かける。まず薬局で風邪薬と体温計を購入。スーパーは700メートルほど歩かなくてはならなかった。スーパーで買い物をして家に帰ってから体温を測ると37度5分だった。早速薬を飲んで,2時間ほど寝る。寝て起きて諮ると38度を超えていた。これはしんどい。17時半に詩のアンソロジーの編集者に会う約束をしていたが,断りのメッセージを送る。Antoineからは午後に会わないかと誘いがあったが,それも断る。食欲は多少戻ってきた。スーパーで買ったブラックベリーとカット果物の盛り合わせ,日本から持ってきたカップヌードルを食べた。その他の時間はひたすらベッドで眠っていた。


2023年2月20日月曜日

2023/2/17 ケベック第8日

2月17日(金)ケベック第8日
ケベックを発ってモントリオールに移動する日。天気予報通り、ドカ雪が降っていて、昨夜とは風景が一変している。モントリオール行きの列車は12時36分発だった。余裕を見て11時半に、Air BnBの家主に車で駅まで送ってもらうことになっていた。隣室のイザベルは、Trois Rivière に住む妹が迎えに来ることになっているのだが、大雪のため、ケベックから動けない可能性もあると言っていた。
11時半、出発の時間になった。この時間は猛吹雪になっていた。家主のMatinが車を取りに行ったけど、なかなかやって来ない。どうなるのかと思っていると、メッセージ何届いていて、車が雪に突っ込んでしまい身動きできない、送るのは無理という内容だった。



それは困る。家の前は除雪ができていなくてクルマがまともに走れそうな状況ではなかった。とりあえず広いバス道まで出て、そこでUberを利用しようと思ったのだが、Uberも捕まらない。もうすでに12時5分。万事休すかと思ったら、Martinからメッセージが入り、ようやく雪から車を出すことができた、バスが走る広い道で待っていれば拾っていけるというメッセージが入る。豪雪でバスも埋まって立ち往生しているような状況だったのだが,なんとか列車発車前の10分前に駅に到着した。しかし改札に向かっているときに,自分が予約した切符が3月17日のものであることに気づいた。駅員に聞くと差額を払えば変更可能だが,私と娘で席が離れてしまうと言う。15時発の列車なら並んだ座席を取ることができるということだったので,15時の列車に変更してもらった。おかげで駅構内の食堂で昼ご飯を食べることができた。昼ご飯はクラブハウスサンドイッチを食べた。


15時発オタワ行きの列車に乗ってモントリオールへ。到着予定時間は18時だったが,遅れが出て,実際にモントリオールについたのは18時50分だった。モントリオール駅構内のサブウェイで夕食用のサンドイッチを購入した。列車の明かりも薄暗かったが,モントリオール駅構内もうすぐらく,人があまりいない。がらんとしている。モントリオールの宿泊先Air BnBは,駅から12キロほど離れた場所だった。タクシー乗り場はすぐ見つかった。20分ほどで到着。このAir BnBは,今ひとつチェックインのやりかたや家に様子が分からなかった。一軒家だがその玄関から入るのではなく,建物の左横の黒い鉄格子扉をくぐり,先に進む。右手に灰緑色の木の扉があるのでそれを開いて,下に降りる。さらに古い木の扉があって,そこをくぐって左手に進むとAir BnBがあるとあった。

地下の倉庫をAir BnB用に改装したようで,広い。二部屋+DK+シャワー・トイレで60平米ぐらいの広さがあった。大家は別の場所に住んでいるのかとAir BnBサイトでの情報では思っていたのだが,上階に住んでいて,私たちが到着すると上から降りてきて,説明してくれた。とても感じのいい40代くらいの女性で名前はClaudineさん。上階のClaudineさんのお母さんと6歳ぐらいの息子さんにも挨拶をした。
朝方から痰がらみの咳が出ていて,部屋が暖房で乾燥しているからかと思ったのだが,どうやら風邪を引いてしまったみたいだ。食欲もない。この日は私は夕食もとらず,シャワーも浴びず,そのまま眠ってしまった。

2023/2/16 ケベック第7日

 ケベック第7日いつも通り午前7時起床。規則正しい生活が続いている。午前中は家の近くのバス停から800番のバスに乗って40分ほどで行けるモンモランシーの滝に行った。ケベック近郊の定番観光地だが、この時期、路線バスで行く人はそんなにいないようだ。800番のバスの終着駅がモンモランシーの滝の近くだが、そこで降りたのは私と娘はだけだった。バス停から滝までは歩いて10分ほど。あまり期待していなかったのだが、雪と氷に覆われたセント=ローレンス川、その白い川に勢いよく流れ落ちる滝の風景は、思っていたよりもずっと雄大で美しかった。モンモランシーの滝周辺には30分くらいいた。






バスで市内に戻り、エティエンヌのレストランリストにあったプラスリーで昼食を取った。鮭のグラヴラクス gravlax を私は注文して。調べてみると北欧料理だった。初めて食べたが実に美味しかった。ちょっと甘味のあるサラダのソースが絶品だった。


昼食のあとは、人類美術館へ。ここの展示も充実していた。四つの特別展が並行して行われていた。最初にエジプト文明展をさらっと回る。次に回った先住民展が圧巻だった。先住民寄宿舎学校における子供たち強制隔離、同化教育、虐待、一方的な法による土地収奪という近年大きく報道されてきた先住民族問題が総合的に展示されていた。カナダ、ケベックがこの人権問題に本気で向き合おうという姿勢を感じるてんじだった。現在、先住民族は10万人という。数世紀にわたる政治的抑圧、文化的破壊行為にも関わらず、彼らは独自のアイデンティティを維持、継承し、Rideau のショーケースで確認されたように、音楽、文学、演劇など芸術的表現の領域において強烈な存在感を示している。先住民による文化発信は、現在のカナダ、ケベックの文化の特色と言っていいだろう。


そのほかの企画展は、ケベックの首相、ルネ・レベックに関するもの、そしてうんちとトイレに関するものだった。どの企画もよく練られている。
この日は18時からルミさんと食事を取る予定になっていた。人類博物館を見終わった時点で、15時を過ぎていた。ケベック州立美術館を観たかったが、時間的に中途半端だ。ケベック要塞、アブラム平原を見てからルミさんと合流しようと考えた。
ケベック要塞には16時15分前に着く。これまでフランスてこの種の要塞は「遺跡」であり、観光客は勝手に動き回って見て回るものばかりだったのだが、ケベック要塞は現役の軍事施設だった。ガイド付きツアーしかないという。フランス語のガイドツアーを申し込んだ。わかりやすく、丁寧な説明だった。時折り冗談を交えながら、50分ほど要塞の各所を見て回った。ガイドは、Le Diamant劇場のファンだった。ごつい体格と人懐こい雰囲気から、ディアマンでやっているプロレスのファンかと思えば、ルパジュをとても尊敬していた。ルパージュ演出、Ex-Machinaの『サド侯爵」がいかに面白かったか、熱く語った。今,検索



要塞ツアーが終わるともう17時を過ぎていた。ルミさんからは連絡がない。たぶん仕事の打ち合わせが入ったのだろうと思う。寒かったので17時半までヒルトンホテルのロビーで待機して、ルミさんからのメッセージを待った。しかしメッセージがなかったので、娘と二人で飯食って帰ります、また東京では会いましょうとメッセージを送ってホテルを出ようとすると、私たちが座っているすぐ後ろにルミさんがいた。偶然、そこで打ち合わせの待ち合わせをしていたのだ。ルミさんとの食事はかなわなかったが、娘を紹介できてよかった。
ホテルを出てスポーツ用品店でネックウォーマーを購入。その近くにあるやはりエチエンヌのリストにあったハンバーガー・ショップで夕飯を取る。この日は暖かく、路上にほとんど雪は残っていなかった。予報によると深夜から明日にかけて気温が一気に下がり、大雪だとのこと。

2023/2/15 ケベック第6日

2月15日(水)ケベック第6日

午前7時起床。朝ご飯のとき,イザベルと話していて,いやな気分になったことがあった。イザベルがニースに居住していることを昨日,るみさんから聞いて,そのことを話題にした。私はフランス語を教えていて,7年ほど前から毎年学生を連れてニースで語学教育の研修を行っていること,こんどは7月の終わりに行く予定であること,もしタイミングがあえばイザベルのパフォーマンスを学生たちに見せることができればと思っていることなど。そうした話をしているとき,私のcirqueの発音がまずくて,イザベルに通じなかった。cirqueのciを,うっかりchiで発音してしまったのだ。「ああ,発音の問題だ。フランス語を教えているのに恥ずかしい。ここでは自分のフランス語力のなさにショックを受けた」ということを言うと,「そう,ニースで本物のフランス語を学ぶといい。ケベックのフランス語は,私にも理解できないことがあるから」と彼女は言った。

「本物のフランス語」という言葉にカチンときた。「うん,でも私はケベックの文化が好きなので,むしろケベック人のようなフランス語を話したいと思っているよ。もっとがんばらなくては」と言うと,変な顔をしていた。いかにもフランス人が言いそうなことをと思ったが,ケベックに仕事を求めにやって来ているパフォーマーからケベックのフランス語を否定するような言葉が出たのはとても残念だった。

今日は洗濯の日。Air BnBの家主のMartinには,洗濯のことは伝えている。午前中はLe Diamant劇場にダンスのショーケースを見に行った。二団体の公演があった。一本目はBenajamin Hatcherの《Sonore des_accord》(調和あるいは不調和の響き》。30分ほどの作品。7人のダンサーによる「芸術的な」タップダンス。正直なところ,どこが面白いのか,すごいのか,私にはまったくわからない。次はチュニジカのダンスグループによる55分のパフォーマンス。男女三組,6人よるダンスだった。チュニジアにある幻想的なキャバレーのショーという設定。前の演目よりは表現の変化があって面白かったが,ぜんたいとしてはやはりどこがとりわけ素晴らしいのかわからないパフォーマンスだった。概要を読むと「なるほど」とは思うのだけれど,表現上の面白み,ユニークさが私には分からなかった。会場は大喝采だ。

Le Diamant劇場でのダンスのショーケースを見た後,劇場から150メートルほど離れたところにある靴屋で靴を買った。ケベック訛りの店員のことばがさっぱり理解できなかったのはちょっとショックだった。ただし靴には大満足。バーゲンで16000円ぐらいの価格だった。履いた瞬間に,前の靴との違いが分かる。暖かくて,安定感がある。別世界だ。かかとも親指の付け根も全然痛みを感じない。靴購入後,一度家に戻る。途中,家の近所のスーパーで昼ご飯用にクロワッサンなどを買った。飯を食べた後,洗濯をする。乾燥機が壊れているとのことで,洗濯後は部屋のクローゼット干しとなる。暖房が効いているし,乾燥もしているので,半日干しておけば乾くはずだ。午後の予定は決めていなかった。



5-7 Officielは,ケベックのフォーク・カントリーのバンドを聞きに行こうと思っている。会場はライブハウスで,入場チェックが甘い場所なので,娘も誘う。5-7 officielの開始まで時間があったので,昨日,ケベック在住のサーカス・アーティストのリュウノスケさんを通じてFB上で知り合いになったサーカス・アーティストでプロデューサーでもあるAnouk Vallée-Charestが,RIDEAUのMarchéに出展しているので,彼女のブースを訪ねることにした。Anouckのブースはすぐに見つかったが,彼女に関心を持つプロデューサーが次々とブースにやってくる。彼女の仕事の邪魔をしては申し訳ないので,挨拶した後,一度,彼女のブースを離れ,Marchéの会場ををぶらぶら歩いた。

来週,モントリオールで会うことになっている演劇批評家,ミシェル・ヴァイスさんの奥さんが「語り部」のパフォーマーで,その奥さんが関わる語り部のグループがスタンドに出品していると聞いていたので,そこを尋ねることにした。しかしそのスタンドでも,なにか打ち合わせらしきものがやっている。どうしよう,しばらく待っているかと思っていたら,すぐそばのスタンドの黒人から声をかけられ,彼のイベントの説明を聞くことになった。地元ケベックのイベンターで,《我が国の歌》Les chant de Mon paysというケベックを本拠に活動する黒人ソプラノ歌手によるソロ・オペラのプロモーションだった。Felix LeclercやGilles Vigneaultなどケベックの偉大なフォーク歌手,シャンソニエのナンバーで構成された歌によるケベックの歴史,みたいなものらしい。日本の一演劇研究者に過ぎない私にプレゼンしたところで,営業にはならないのに,申し訳ない気がする。「語り部」のブースから,クライアントらしき人が立ち去ったので,ブースにいたおじさんに声をかけると,そのブースは,語り部は語り部でも私が訪問するはずのMichel Vaïsさんの奥さんのプロジェクトとは別の団体だった。それでもそのおじさんに,ケベックの「語り部」の特徴,活動についていろいろ教えて貰う。このブースの隣が,Michelさんの奥さんが関わっているプロジェクトだった。語り部の女性が二人いて,この二人からも話を聞く。Ariane LabontéさんとSuzane O'Neillさんだ。

このあと,Anoukのブースに戻り,ケベックのヌーボー・シルクについての話を聞いた。子供向きから大人向きまで,キャバレーでのエロチックなショーも含め,さまざまな領域で,さまざまな様式のサーカスが,上演されていることを知る。



Anoukのところで10分ぐらい話すと,marchéの終了時間の17時10分前だった。Marchéの会場から出ようとしたところで,等身大の人魚のフィギュアがディスプレイされているブースに目がとまった。Simonriouxのブースだった。彼は在日本ケベック州政府事務所の久山さんのことを知っていた。後で調べると,主宰のSimonはシルク・ド・ソレイユのパフォーマーでもあるらしい。シルク・ド・ソレイユが大型テントないし劇場を使った大規模なショーであるのに対し,Simonのエンターテイメントは,サーカスと音楽を組み合わせたもので,シルク・ド・ソレイユの美学を継承しつつ,パレードや少人数の規模の野外公演,室内公演など,上演状況に適応した様々な形態のショーを提供している。日本でのパフォーマンスはまだないらしい。



結局Marchéが終わる17時ぎりぎりまで会場にいた。17時に娘とMarché会場の入り口で待ち合わせをしていた。コンフェランス・センターの近くにあるライブハウスでやっているトラッド,ケベック,アイルランド,スコットランド,ケイジャンのフォーク音楽のライブに行った。入場するとチケットを貰い,それと引換にバーのカウンターで飲み物が提供される。娘にもチケットは渡された。私は炭酸水,娘はビールを頼んだ。最初のバンドはトラッド・フォークの雰囲気の乏しい荒っぽいロック。女性ボーカルのバンドだった。元気がいいけれど,ダサい。その音楽を聞いていると,娘の様子がおかしい。目がぐるぐる回り,これ以上ここに居られないという。外に出ようとするとよろめいて倒れてしまった。回りにいた人たちが心配して声をかけてくれた。幸い15分ほど外で休んでいると,娘は回復した。夕食はライブハウスの近くにあったハンバーガー・ショップで食べた。サイドメニューにプーティンがついているセットを頼むと、ハンバーガーの上までドロドロのグレイビーソースがかかった重厚な食べ物が出てきた。娘はハンバーガーとフライドポテト。フライドポテトは持ち帰りにしてもらう。



飯を食べているうちに娘はほぼ回復した感じだったので、私は19時半から文明博物館の劇場に演劇のショーケースを見に行くことにした。ヒルトンホテルからのシャトルバスはすでに出てしまっていたので、路線バスを使ったら、10分ぐらい遅れてしまった。

この日は男女二人のユニット、Marilyn DaoustとGabriel Léger-Savardの『Le temps des fruits (果実の時間)』。実に奇妙な、そしてとても興味深いスペクタクルだった。背景のスクリーンには常に映像が映し出される。その映像は舞台手前、下手に置かれた机で演者が手に取る様々なオブジェ、写真、資料だったり、演者が語っている内容に関わるものだったりする。そこで語られるのは世界史、人類史に関わる事柄だったり、博物誌的なものであったりして、脈絡がない。ある種の百科全書的な語りが映像と共に行われる。しかし言葉と映像はによる語りは、次第に、加速度的に抽象化され、ついには言葉が失われた舞踊表現のなかで表現が溶解していく。わけのわからない変なスペクタクルだったけれど、面白かった。

Marilyn DaoustとGabriel Léger-Savのあとは、Impérial Bell劇場に移動し、音楽のショーケースを見る。カントリーっぽい雰囲気もあるレトロで愛嬌たっぷりのグラムロックのLumière 、多彩で大胆な照明で演劇的な演出のステージを提示するエレクトロ・ポップのLydia Kepinski。この二組のステージは楽しかった。3組目のトリオZouz はちょっとプログレの風味もあるか。印象に残っていない。Impérial Bellではルミさんと合流し、autochtones のバンドを日本に持ってくる可能性などについて話を聞いた。




明日はRideauの最終日だが、ショーケースはない。Marché やガラといったプログラムはあるが、それはパスして娘とケベックの観光をしようと思う。Imperial Bell劇場から路線バスで帰ろうとしたのだが、暗くてバス停がどこにあるのかわからなかった。気温も比較的高かったし、歩いて帰っても15分ほどということで、google map頼りに歩いて帰ったが、指定されたルートが低地のケベックを通るものだったため、あー家にたどり着く直前に170段の急な木製階段、「フランシスコ会修道士の階段」を登る羽目になった。




 

2023/2/14 ケベック第5日

 2月14日(火)ケベック第5日

午前7時起床。朝ご飯を食べた後,午後のLe Diamant劇場にインタビュー取材のための質問事項を作っておく。立食パーティでの気まずい思いや昨日午後のフォーラムでの「敗北」体験の影響で,インタビューしたもの向こうの言っていることがわからなかったらどうしよう,こっちの言いたいことが伝わらなかったらどうしようと思い,ちょっと不安になる。話が全然弾んだ感じならなくて,「やれやれ」という感じになったらやだなあと。



午前中はLe Diamant劇場にMachine de cirque の『Robot infidèle』を娘と一緒に見に行った。10時半開演だったが,10時ごろに劇場に到着。RIDEAUの参加登録者しか入れない公演だったが,入場時に「娘なんだ。入れてくれませんか?」と入場チェックの人に頼むと,黙認してもらった。

Le Diamantは800席ある劇場だったはずだが,客席は満員になった。私の隣にすわった青年が「フランス語は話せますか?」と話しかけてきた。「ゆっくり話して貰えるなら大丈夫ですよ」と答える。彼はブリティッシュ・コロンビア州からやってきた英語話者だが,これから公演を行うMachine de cirqueの演者の弟子なんだと言う。「あなたもサーカスのアーティストなんですか?」と聞くと,「いや,自分はクラウンです」と答えた。「それでは師匠にサーカスのアクロバットの技術を学んでいるのですか?」と聞くと,そういうわけでもないらしい。「ぼくはスラプスティックなことをやっていて」と答える。

ショーが始まると彼がそういうあいまいな答え方をした理由がわかった。Machine de cirqueは,「サーカス」cirqueと名乗っているけれど,その公演はアクロバット芸を見せるものではない。出演者は3人だ。舞台は帽子工場らしい。最初の20分は帽子工場のコンベアを動かすための電源を,街灯から取ろうとするとはしごや街灯が倒れたり,逃げていったりして,なかなかうまくいかない,という場面が続く。こんなナンセンスな場面を音楽なしで20分続けて見せる,観客を引き込むというテクニックがすごい。チャップリンやバスター・キートンの無声映画へのオマージュのようなシーケンスだ。公演時間は一時間ほどで,演劇的な構成ではあったが,物語の明確な展開があるわけではない。各シーケンスはユーモラスで親密な雰囲気はずっと維持されたまま,帽子と電柱をめぐるナンセンスな情景が連鎖していく。暗喩的に提示された各場面には濃厚な詩情がある。その連鎖が舞台上で幻想的な詩を語っているようであった。

三人の演者が舞台上のそれぞれの場所でバラバラなことを同時にやっているように見えて,それがメカニックに連動している様子など,各要素の構成は緻密にコントロールされていた。照明には,現代のフランス系セノグラフィの系譜を思わせる洗練を感じた。アコーディオンとピアノの生演奏を含む音楽ももちろんすばらしい。実に美しく,そして心浮き立つような楽しさがある舞台だった。私がこれまでイメージしていたサーカスとは異なるもので,サーカス・クラウンの技術が作り出す世界のなかに,演劇,音楽,ダンスの要素を組み込んだ完成度の高い複合的舞台芸術作品だった。



Le Daiamnt劇場での公演後,ケベック在住のサーカス・アーティスト,りゅうのすけさんがやっているおにぎりの店に行った。Le Diamant劇場からバスで5分ほどのところにある。りゅうのすけさんとはFBで知り合った。今回の私のケベック滞在中は,入れ違いで彼は日本で仕事が入っていたため,ケベックで彼とは会えないのだが,「店に立ち寄って貰えるならタピオカ・ドリンクは無料にしておくようにとお店のスタッフに連絡しておくから」ということだったので。おにぎり・タピオカ・ドリンクと日本のアニメ,マンガ関係の雑貨の店だった。広さは40平米くらい。私たちが入ったあとも,お客さんが数組店内にいて,流行っている感じがした。食べ物はテイクアウトのみ。りゅうのすけさんの娘さんがカウンターにいた。おにぎり三つと餅二つ(まんじゅう的なもの),それからタピオカ・ドリンクを二つ頼んだ。おにぎりと餅代を払おうとしたら,りゅうのすけさんにつけておくから,支払う必要はないとのこと。その言葉に甘える。

おにぎりはRIDEAUのメイン会場のコンフェランス・センターで食べた。味は日本で食べるおにぎりと同じ,美味しかった。大きさは日本のコンビニで売っているおにぎりよりも一回り大きい。

昼飯を食べたあとは,私の今回のケベック滞在の公的任務である国際ケベック学会の事務局への表敬訪問。今回のケベック滞在の費用の一部として,私は日本ケベック学会の小畑研究奨励金を利用していて,その奨励賞の選定や運用に国際ケベック学会が関わっているようなのだ。どのように関わっているのかは実はよく知らないのだけど,国際ケベック学会は,世界にいくつかあるローカルなケベック学会の総本山である。小畑賞決定のあとからメールで何回か事務局の人とはやりとりをしていた。公的な任務ということでちょっと緊張していた。表敬訪問といっても,実際会って何を話していいやらと思い,若干憂鬱でもあった。


国際ケベック学会事務局は,偶然にもRIDEAUのセンターが設置されたコンフェランス・センターの隣のビルの8階にあった。約束していた14時ちょうどに事務局を訪問する。幸い,事務局長のSuzieさんは穏やかで優しい雰囲気の人だった。ケベックの印象や自分の研究内容,日本ケベック学会の様子などについて30分ほど話す。お土産は和風の手提げ袋とキットカット抹茶味。お返しにというわけではないが,ケベックのサーカスについて書かれた研究書を頂いた。

国際ケベック学会事務局訪問のあとは,Le Diamant劇場のVivianeさんとの面談の約束があった。これはモントリオール在住の演劇批評家のVaïs氏や在日本ケベック州政府事務所のKさんの仲介で実現したものだ。これも準公的業務になる。正直,フランス語で見知らぬ人にインタビューするというのは,こちらのフランス語力の問題があって気が重いのだが,しかもわざわざこちらからリクエストしてとなるとなおさらである。Vivianeさんとの約束の時間まで30分ほど時間が空いたので,200近い興行主,パフォーマーなどがそれぞれのブースで広報活動を行うmarchéを回った。同じBnBに宿泊している垂直ダンスのイザベルが出展しているので,挨拶しに行った。200近いブースがあると,それらのブースを訪れるプロデューサーたちは行き当たりばったりではなくて,事前にある程度目星を付けているのだろう。人が集まっているブースとそうでないブースが当然ある。出展者の2/3は音楽関係のようだった。イザベルのブースは人はいなかった。せっかくブースを出しても,人が来なければつらいだろう。お土産に持参したキットカット抹茶味を渡した。そのままブースでイザベルからパフォーマンスについて20分ほど説明を聞いた。三年前に日本のテレビでも紹介されたことがあるらしい。身体にワイヤーをつけて,城壁などを利用して踊る。アクロバットのエアリアルよりはあきらかに芸術表現としてのダンスに寄った表現だ。審美的であるが,わかりやすさもあるので,商業性もあるだろう。イザベラのプレゼンを聞き終わると,ちょうどLe Diamantでの約束の時間になった。スタッフの事務所は,劇場の4階にある。


Vivianeさんは大柄でにこやかな女性だった。質問項目はあらかじめフランス語で用意していた。「演劇、プロレスからオペラまで」というLe Diamant劇場のスローガンについて,プログラムのコンセプトやその実現にあたっての困難,劇場の運営体制,ルパージュ/Ex machinaと劇場との関係,ケベック演劇におけるサーカスの位置付け,劇場にとってのサーカスの位置付け,新型コロナ後のクリエーションのありかたそして観客の嗜好の変化についてなどなど。インタビューの時間は30分ぐらい。Vivaneさんは,Suzieさんと違い,あまり話す速度など手加減してくれなかったので,正直半分くらいしかわからなかったのだが,分かったふりをしてインタビューを行った。Le Diamant劇場は,公共事業のあり方の一つの興味深いモデルだと私は考えているので,いずれどこかでこの劇場については書くつもりでいる。インタビューはVivianeさんの了承のもと,録音を取っている。

Le Diamant劇場のVivianeさん取材が終わって,ケベックでの主要任務はほぼ終わりだ。相手を拘束する作業はやはり神経を使う。ケベックではあとは自分の見たいスペクタクルを楽しめばいい。夕方17時から19時のあいだに行われるパフォーマー/興行主主催のミニ・ショーケースは,Makusham Musique, Musique nomade,Ruel Tourneurが提供する三つのauchtone,アメリカ先住民ミュージシャンのライブだった。

最初に演奏したのは,イヌー族の女性歌手のKANEN。2023年4月にファーストアルバムを出す。すーっと伸びる歌声で繰り返されるイヌー族の言葉による歌詞と旋律が印象的だ。フランス語の歌曲だと日本の歌謡曲っぽくなる。これはこれで悪くない。二組目はPakoは,Lanaudière地方のManawan出身のAtikamekw人のシンガーソングライター,PAKO。男性の歌手で,やはり先住民言語であるAtikakw語で歌う。力強い声の野性的な亜人のある面白い歌手だった。ギタリストは,日曜夜のショーケースで,やはり先住民のSCOTT-PIEN PICARDのバンドでも演奏していたデブ・ギタリスト。彼の表現過剰の演奏スタイルは見ていてとても楽しい。三組目はMaten。ケベック北部のManiutenam出身のイヌー族のミュージシャン。ギタリストは引き続き,あのデブ・ギタリストが務める。これは抜群に容器で楽しいポップなフォークロックだった。観客も大いに盛り上がり,最後はダンスに。私もその輪に加わった。日曜の夜のショーケースで聞いた女性シンガー,Laura Niquayも含め,先住民たちによるバンドがケベックの現代の音楽シーンで大きな存在感を持っていることを確認できる。いずれも言葉,ファッションなど先住民族固有のイディオムを,現代のポップ音楽の文脈に組み込んで,個性的なスタイルを確立していた。音楽に限らず,近年,ケベック・カナダの文化芸術シーン全般で先住民族は大きな存在感を示しているようだ。文学や演劇領域における先住民の活動もちゃんと調べておきたい。



19時半からは文明博物館の劇場に移動し,Théâtre à Bout Portantの《人々の移住》Migration des peuples。「移民もの」ということで関心を持った。追っ手から逃れ,移動を強いられる難民の逃走を,マラソン競技のアナロジーを交え,いくつものパターンで提示し続けるという作品だった。おそらく集団製作的な方法で作られている。俳優や演出家が「逃走」場面の表現についてアイディアを出し合い,それを構成したものだろう。ユニークな表現もあったが,ワンアイディアで90分もたせるのはしんどい。台詞はごく少量。途中で落ちてしまった。

この後,音楽のショーケースを見るつもりだったが,あまりに寒く,疲れていたので,家に戻る。靴は防水なのだが,そんなに長い距離を歩いて入るわけではないのにかかとと親指の付け根が痛くてたまらない。もう限界だ。旅行中はふだんより長距離歩かなければならないことが多いのに,こんな靴であと2週間以上,カナダを歩き回ることはできないと思った。明日の午前中に靴を買うことを決めた。

2023年2月15日水曜日

2023/2/13 ケベック第4日

午前7時に起きる。私たちが宿泊しているAir BnBは、3部屋のアパートで、そのうち2部屋がゲスト用になっている。私たちが到着した日から毎日、隣室の宿泊者は変わっている。昨夜からはIsabelleと書かれた名札がかかっている。何となく共用スペースのダイニングキッチンを使う時間が重ならないように配慮していで、前の2日は隣室の人たちと会う機会はなかった。

今日は朝食を取っていると、隣室の宿泊者が部屋から出てきた。フランスから来た女性だった。バカンスで来たのかと尋ねるとRIDEAUのために来たと言う。彼女は、壁面を使って垂直方向に踊るアクロバティックなダンスのパフォーマーだった。彼女のパフォーマンスの映像を見せてもらう。この垂直ダンスというパフォーマンスはどこかで見たことがあるようなかすかに気がする。ググって見るとヨーロッパやアメリカではかなり盛んらしい。RIDEAUの参加者は皆、メイン会場のヒルトンやその近くのホテルに泊まっていると思ったので、BnB利用者がいること、しかもまさか同じBnBにいたのにはちょっと驚いた。しかし午後にRIDEAUのフォーラムで数百人が入る部屋がいくつか用意されているのを知った。もしかすると千人規模の人間がRIDEAUのために集まっているのかもしれない。ヒルトンの部屋を用意されたのは招待者を中心とするごく一部の参加者だけで,多くの参加者はBnBや友人や親戚の家などに泊まっているのかもしれない。

午前中は娘とホッケーのジュニアのPee-Wee国際トーナメントを見に行った。11時から日本の選抜メンバー ジャパン・セレクトが,地元ケベックのチームと敗者復活戦で戦うことになっていた。競技場は私たちの宿からバスで20分ほどのところにある。これまで使っていたバス停とは反対の方向にあるバス停から乗ったのだが,そのバス停に降りる道が急な崖になっていた。下の道に降りるのに木製の階段が設置されていた。さてジャパン・セレクトの試合だが,Pee-Weeトーナメントの初戦はやはりケベックの強豪チームと戦って,負けはしたものの1対0のスコアだったので,今日の敗者復活戦では勝つチャンスがあるのではないかと期待していた。入場料は8ドル。観客席はガラガラだった。日本チームは第一ピリオドこそ,何とか1-0で踏ん張ったが,素人目にもケベックのチームの方が押しているのはわかった。初めて生で見たアイスホッケーの試合だったが,そのスピードと運動量の多さは圧巻だった。第2,第3ピリオドは,ケベックの怒濤の攻撃に一気に日本チームは崩れてしまい,最終的には8対0のワンサイドゲームになってしまった。力の差は歴然としていた。




日本チームの試合が終わった後,娘と別れ,私はバスでRIDEAUの昼食会のあるコンフェランス・センターに向かった。しかし数日前に受領したランチの予約チケットをコンフェランス・センターのRIDEAU受付に見せると,隣のヒルトンホテルに行けと言う。ヒルトンホテルには,RIDEAUの名札を下げている人が大勢うろうろしていた。一階のカフェで並んでいる人に,RIDEAUの飯を食べるために並んでいるのか,と聞くとそうだと答える。それで私も並んだのだけど,カフェの案内役に予約票を見せても「そんなものを見せられても私にはなんのことか分からない。レセプションで尋ねてくれ」と言われた。ホテルのレセプションの人に昼食会のチケットを見せると,それはやはりコンフェランス・センターのどこかの部屋で行われるはずだと言われ,またコンフェランスセンターに戻った。

RIDEAUは,昼間に行われるフォーラムと題されるシンポジウムの会場と事務局をコンフェランス・センターの地下一階に数室借りていて,食事会もそのうちの一つで行われていることがようやくわかる。この昼食会は有料でしかもベジタリアン・メニューで5000円以上という高額だったため,申し込んだ人は数十人だけだったようだ。私はそもそもRIDEAU参加者自体が数十名規模で,ケベックでひっそりと行われるローカル・スペクタクル見本市だと思っていたし,この食事会はRIDEAUのセレモニーの一つで参加するのが義務のようなものだと思っていたのだが,そういうわけではないらしい。すでに食事開始時間を15分ほど過ぎていた。この食事会は着席だが,自由席。8人ぐらいが座れる円い大きなテーブルがいくつか並んでいる。一人ぼっちでの飯は寂しいので,なるべく話しに入りやすそうな二人円卓に席を取った。料理はカフェテリア形式だ。5000円も取るわりには,飯がしょぼくて,ごちそう感に乏しい。私が料理を取ってテーブルに戻ると,先にいた二人のうち一人は席を立って退室していった。もう一人残った初老の女性は,日本に何度も来ている人で,ケベック州政府事務所の文化担当のKさんのこともよく知っている人だった。モントリオールで若い観客のための演劇のプロデュースを主にしているらしいが,音楽関係のマネージメントもやっているとのこと。この方と20分ぐらい話しをしながら食事をした。ポツンと一人で飯とならなくてよかった。こういう社交的な場が一番神経がすり減る。

午後はフォーラムに出てみることにした。フォーラムは午後に二つの時間帯にわけて,複数の部屋で行われる。要はシンポジウムだ。演劇におけるハラスメントについてのフォーラムに出席した。登壇者は5名,丁数は5, 600名いただろうか。ここでようやくRIDEAUの開催規模が自分が思っていたよりはるかに大きいものであることに気づく。ケベック州の州都とはいえ,人口50万人ほどのケベック市で真冬のこの時期やるスペクタクル見本市にまさかこんなに多くの参加者があるとは思ってなかった。しかも参加者のかなりの部分はケベック州から来た人たちであり,参加者の大半はフランス語話者だ。



「ハラスメント」についてのフォーラムの登壇者のうち,聞いて話している内容がほぼ理解できるのは一人だけで,他の登壇者の発言の内容は追っていくことができないことにショックを覚える。ケベック訛りに慣れていないのもあるが,むしろスピードに理解がついていけない。90分ほどのフォーラムだったが,終わるとぐったり疲れてしまった。

RIDEAU開催期間中は毎日7-9時に,5 à 7 Officielというのが幾つかの会場であって,これも何をするのかわからなかった。とりあえずどんなものか行って見ようと思い,モントリオールでスペクタクル興行のリーダーだという組織の5-7 officielを覗いてみたが,要は企業が主催するカクテルバーティだった。日本からケベックの演劇の現代について調査に来ている,と言うと,きょとんとされて,どんな種類のスペクタクルをやっているのかと聞くと,主にワンマンのコメディショーだと言う。ここにいても仕方ないと思い,10分ほどで退室してしまった。昨夜会った日本人の音楽プロデューサーのルミさんが別の会場の5-7 officielにいるというので,そこに移動する。会場に到着したあと,ルミさんからいったん宿泊先のヒルトンホテルに戻った。30分後にヒルトンホテルで行われている7-9 officielに出るとメッセージが入る。すれ違いだ。この会場では,キャバレーのバラエティショー風の出し物があった。フォーラムの後にもカクテルパーティが準備されていた。なんともケベック人というのはカクテルパーティが好きなんだなと思う。いや見本市というのがそもそもそういうもので,日本の企業が行うものでも,立食パーティでの儀礼的・社交的なやりとりこそ,重要な要素なのかもしれない。TPAM,YPAMにはオーディエンスとしてそこで行われる公演を見ただけなので,「プロ」たちがいったいなにをあそこでやっているのかよくわからなかったのだが,今回は自分が「プロ」の立場でケベックのRIDEAUに出て,ようやくどういうことが行われ,どのようにプログラムが組まれているのかが,見えてきた。全然畑違いだが,一般企業で働く弟も40代後半からはクライアントや他の会社や機関の人たちとの会食が主な仕事みたいなもんだ,とか言っていた。「そういう儀礼的なあたりさわりのない会話しながら飯を食うって面白いんか?」と聞くと,「面白いわけないやろ。仕事や」と弟は言っていた,そういえば。結局,自分の関心のあることしか話せない私は「社会人」ではないんだなと思う。まあ学会のあとの懇親会や出版社などのブースなども同じなのだが,自分は下戸でそういうのが苦手であまり関わりがなかった。

ルミさんとはヒルトンホテルで行われていたサーカスなどの興行を行う会社の5-7で出会うことができた。20分ほど話しをしたが,こちらが話したいことを気持ちよく話させてくれる彼女は,やはりプロの仕事人だな思う。

ショーケースは,Louise Baduelという女性演者による一人芝居,Loop Affectを見に行った。きっちり年月順に整理されていた祖父の写真を見ているうちに過去の回想の世界に入りこんでいき,云々とかいうお話。大量のスモークを使った美術は美しかったし,詩的なテクストではあったけど,その詩の世界は通俗で陳腐で空虚に思えた。美しいけれど,陳腐で,退屈な,まあありがちのモノローグ劇だなと。



もう一つ音楽のショーケースを見たかったけれど,終わるのが深夜11時半になってしまう。この遅い時間帯でも宿方面のバスはあるのだけれど,今日はぐった。疲れてしまった。音楽ショーケースは見ないで,家に戻った。風が強く,粉雪が舞う寒い夜だった。夕食はカクテルパーティで小さなつまみをつまんだだけ。家でポテチを娘と食べる。ケベックで本当に痩せることができそうだ。

2023/02/12 ケベック第3日

2月12日(日)ケベック第2日
午前7時に起床。意外なことに時差ボケは克服できているように思える。カナダ滞在中は娘も一緒なので、午前中は特に用事がないことが多いのだが、夜更かしせず、朝ちゃんと起きる規則正しい生活をするようにしよう。今日は夕方にRIDEAU 2023のオープニング・パーティがある。パーティの前に参加登録のaccreditation 「認証」が必要とあった。午前中は近所のスーパーマーケットに行った。歩いて10分ぐらいのところに、道路沿いの3階建ての低層の建物に個人商店が並ぶ小さなショッピング・ストリートがあり、それなりの賑わいがあった。スーパーの品揃えは日本と大きく違いはないが、値段は全般的にかなり高め。日本より2割高という感じだ。野菜や果物はほぼ全てが輸入品だ。フランスのスーパーとの違いで気づいたのは、板チョコの棚が小さいこと。お菓子類もバリエーションが乏しい。店によってもちろん違いはあるのだろうが。ポテチ、飲料、生野菜などを購入した。
昼飯は滞在先で食べた。昨日のブーティンの残りと午前中にスーパーで買ったサラダ。RIDEAUの事務局でな登録認証が午後3時までなので、それに間に合うように家を出たが、家から10分ほどのところにあるバス停に着いたところで財布を忘れていたのに気づき、家に戻るはめに。結局、登録認証受付時間には間に合わなかった。RIDEAU参加は今回が初めてだが、そもそもこの種の演劇見本市への参加の経験がないのでどういう具合に参加するのかよく分からない。そもそもはプロデューサーや劇場主など興行に関わる人が想定された参加者で、演劇研究者や批評家でやってくる人はそんなに多くないのではないか?登録認証すれば、すべてのプログラムに無料で参加できるのか、あるいは個々のプログラムごとに事前参加申込が必要なのか、あるいはプログラム参加ごとに支払いがあるのか?、など知らなかった。
私の場合は、今回は日本ケベック学会の小畑研究奨励賞を滞在費用の一部として利用して、ケベックに演劇の研究調査の名目で来ている。RIDEAUについては在日本ケベック政府事務所の文化事業担当のKさんに教えてもらい、参加申込にあたっては便宜を図ってもらった。それで所属は日本ケベック学会、日本代表、プロフェッショナル枠で、参加登録されているらしいのだが、これでいったい現地で何ができるのか、よく分からないままケベックに来たのだった。参加登録は既にやっているのに(Webの入力がなぜか上手くいかずけっこう大変だった)、さらに現地でaccréditation が必要とは、いったいどういうことなのだとちょっと不安だった。https://drive.google.com/uc?export=view&id=1H9VxdeBn0D_TSWEXWOkf4InTn2WZWfXt
登録認証受付の人に16時半から始まるオープニングパーティの会場でも認証をやるからそこでやればいいと言われる。
パーティの受付が始まるまで一時間ほど時間があった。近くにある国会議事堂に行って写真を撮る。パーティ会場でまずaccreditation。何のことはない、名簿での出席チェックで、チェック何終わると首から下げる顔写真とQRコード付きとプラスチックのプレートをもらった。期間中のプログラムに参加するときは、会場の入口でこのQRコードをチェックするしくみだ。パーティのあとにある歌手のショーケースに娘も連れて行っていいかと聞くと、それはできない、見本市登録者でないとダメとの返事。このへん、実は融通利かせてくれるのではないかと思ったのだが、きっかり断られた。まあ、仕方ない。
ケベックで真冬に行う舞台芸術見本市ということで、パーティは数十人規模のものを想像していたのだが、オープニングパーティの会場にはパフォーマーも数百人がいる思っていたより大規模なものだった。会場に入るとそのままほぼ放置。互いに顔見知りの人が多いようだ。顔見知り同士でなくても、すぐに打ち解けて、楽しげに会話している。知らない人たちのあいだに、一人ポツンと放り込まれた感じで、こういう場での社交的振舞いのスキルが乏しく、フランス語会話力も低い私には、しんどいパーティだった。ただ今回はこういう居心地の悪い、気まずくなるような時間も、敢えて避けないようにしようと思っていた。ある種の修行のつもりで。
RIDEAUの参加者のほとんどはフランス語圏の人たちだ。ケベック、ローカルではあるが、フランス語圏の人たちは安心して、のびのびした気分で参加できるイベントなのだろうと思う。
喧騒の中、一人でドギマギとしていると、私以外もう一人の日本人参加者のルミさんが私を見つけて声をかけてくれた。ケベック州政府事務所のKさんから彼女の参加は聞いていたが、これから初対面だった、音楽関係のプロデューサーだが、そのフランス語が流暢なのにまず驚く。聞けばもともとはトランペット奏者として、フランスで活動していて、紆余曲折を経て音楽プロデューサーになったとのことだ。彼女はいろんな人に気軽に話しかけ、会話のグループを作っていく。おおっ、プロって感じだ。しばらくの間、彼女に付いて、このパーティのなかに自分も「入った」ふりをした。ずっと彼女にくっついているのも何かなと思い、離れて別の人に話しかけてはみたものの、話は弾まずという気まずさを数回繰り返しつつ、会場をウロウロ彷徨った。90分の苦行のあと、会場を後にし、娘と落ち合い、娘に滞在先の部屋の鍵を渡す。もし可能であれば、娘と一緒に音楽のショーケースに行くつもりだったが、ダメだってので女は一人で先に宿に戻らなくてはならない。
娘と別れた後、シャトルバスに乗って3人のミュージシャンのショーケース会場になっている旧市街の劇場に行った。会場は150席ほどのライブハウス。ここでは3人のアーティストが20分ずつパフォーマンスを行う。最初に演奏したのは、80年代から活動する女性歌手、Chloé Sainte-Marie。彼女のことは数年前に日本ケベック学会て、ケベックの詩とシャンソンについて小さな企画を行ったときに取り上げていたので、知っていた。ガストン・ミロンなどケベックの詩人の詩に曲をつけて歌ったり、全編、カナダ先住民の詩に曲をつけて歌ったりする独自のスタイルを持つ歌手だ。1962年生まれで60歳だが、細身でキュートでエキセントリックな雰囲気を持っている。3曲か4曲が、その中には先住民の言葉の歌も入っていた。歌うにあたって、詩としての言葉と丁寧に向き合っているように思える。ケベックのフォーク音楽の伝統であるシャンソニエの系譜にある歌手だ。言葉を重視しているが故に、パフォーマンスとしては親密で誠実だが、地味で盛り上がりには欠ける。とは言え彼女のパフォーマンスに立ち会えてよかった。https://drive.google.com/uc?export=view&id=1exJy_w6OvRIGCWL-Qa9GbjpEf3m5NAUR
2番目はINUのアーティスト、Scott-Pien Picardのバンド。しかしINUのアーティストとは言え、その音楽は典型的なロックロールのように思えたが。ボーカリストの風貌やパフォーマンスはどことなくプレスリーを思わせる。バンドのメンバー全員がデブだった。一番デブのギタリストの大仰で滑稽なパフォーマンスがよかった。型にはまっているが、その型で遊んでいるような雰囲気があるバンドだった。
三組目のJuste Robertは、ギター、ボーカル、キーボードの三人編成。ユーモラスでとぼけていて、そして詩的余韻のあるフォーク音楽で、この劇場で聞いた三組の中では、一番わたしの好みだった。
旧市街のプティ・ジャンプラン劇場のショーケースの後は、シャトルバスでImpérial Bell劇場へ移動。ここは三百席ぐらいの広さか。キャバレー風の客席で、飲みながら見る劇場なのだろう。ここでも三組のアーティストの演奏を聴いた。最初に登場したイヌーの女性歌手、Laura Niquay ローラ・ニケは、彼女の最初の発声からガツンと引き込まれた。咆哮のようにも思える力強い歌声だった。民族楽器だと思われる太鼓を手に歌うスタイルもいい。迫力あるパフォーマンスに観客も一気に盛り上がった。二組目のAmmoyeは、ハードでポップなレゲエ。明るくエネルギーに満ちた歌声、巨大なアフロヘアと溌剌とした切れのいい動きも魅力的だ。
3組目のAFRICANA SOUL SISTERは、エレクトロニックなアフリカン・ポップ。悪くないけれど、音楽的に単調で、前の二組と比べると印象が薄い。https://drive.google.com/uc?export=view&id=1V8yenP3btMe89PeE-9ZbdbnETzHWA8C7
終演は22時半。シャトルバスでRIDEAUの本部があるヒルトンホテルまで行き、そこから路線バスに乗って自分の宿な戻る。路線バスが深夜まで走ってあるのはありがたい。
しかし芸術作品の見本市というのは、見せる方にとってもキツそうだなあ。興行主に値踏みされることを意識して自分の作品を20分の短い時間にカタログ化するのだから。
人はなぜ演劇を作るのか?と言う夢を見る。十箇条があるのだが,それらはありきたりだが,本質的なことが書かれていた。その十箇条の文句が思い出せない。

2023年2月13日月曜日

2023/02/11 ケベック第2日

 午前7時に目覚ましで起きる。昨夜寝たのが午前1時前だったと思うので,ケベックの昼夜に合った睡眠時間を取ることができたと言えるのだが,時差ボケというのは手強いので思わぬ時に強烈な眠気が襲ってくる可能性がある。Martin宅にはわれわれ以外にもう一組,ゲストがいるようだ。まだ会っていないが声は聞こえる。朝起きて,風呂に入った。浴槽がある家だった。他人の家で,まだ慣れないのでなにかと気を遣う。朝ご飯はダイニングキッチンに用意してあるものを適当に食べるというスタイル。これも恐る恐るという感じで。今日はまだRIDEAUは始まっていない。16時半にLe Diamant劇場のガイドツアーに参加するのは決まっている。昼はケベックのウィンター・カーニバルを見る予定。土地鑑がほぼないので,何をどこでするのか,前もって頭に入れて行動しなくては。



9時20分ごろ家を出た。滞在先からウィンター・カーニバルまでは2キロほどの距離がある。道はほぼまっすぐだ。天気がよかったし,町の広さの感覚をつかめるかと思い,カーニバル会場まで歩いて行くことにした。滞在先周辺は三階建てくらいの低層の住宅地なのだが除雪がされていなくて,特に歩道側には雪が残っている。靴は日本で防水仕様の短ブーツを買っていた。寒いけれど,町中はそんなに雪はないのではないかと思っていたのだが,案外雪だらけだ。モントリオール空港やケベック空港では軽装のケベック人ばかりだったので,防水ブーツではなくてスニーカーで来ればよかったと思ったのだが,防水短ブーツでよかった。
ウィンター・カーニバルは札幌の雪まつりみたいなものという風に想像していたのだけれど,思っていたより子供向きのアトラクションが中心だった。氷のブロックでできた城とかに入ってはみたが,下が雪だと,防水なので水が靴のなかに浸透したりはしないのだけど,足先が冷えてくる。また履き慣れない靴で長時間雪道を歩くのはかなり疲れた。最初の15分くらいは雪道が物珍しくて楽しかったのだけど。11時半ぐらいだったが,カフェに入って昼食を取ることにした。


昼食を取るカフェは,フランス語のバックパッカー向けのガイドブック,Le  Routardに載っている店にした。町中にある何の変哲もない小さなカフェだ。ただ店員の女の子は愛想が良くて,感じがいい。チップ制だと,スタッフの応対がよくなるというメリットはあることに気づいた。この店には軽食しかなかった。私はカモ肉コンフィのサラダ,娘はクロックムッシュとサラダを頼む。これいカプチーノとカフェオレをつけると,税とチップ込みで7000円ぐらいになってしまった。これはたまらない。


ランチを食べると,娘がショッピングセンターで買い物をしたいというので,google mapで一番近くにあった所に向かった。目的地に向かう途中で,靴屋さんを見つけ,中に入った。娘が町歩く人たちの靴がしっかりしたものであることに気づいて,自分も雪道用の靴が欲しいと思ったのだ。娘の靴は一応四時間防水とはなっていたが,この雪道ではいかにも心許ない感じだった。冬靴はバーゲンになっていたが,防水がしっかりとなされている町歩き靴はかなり高い。娘は何足か試着して,150カナダドルくらいの靴を購入して,その場で履き替えた。私も欲しかったが,とりあえず自分の靴は完全防水ではあるし,並んでいる靴では私が履けるサイズで一番安いものでも200カナダドルを超えていたのであきらめた。娘によるとそれまで履いていた靴とは,履き心地,暖かさ,安定感で雲泥の差があるという。東京の靴屋にはこういう靴は並んでいなかった。
旧市街のフロントナック城の周辺をうろうろと歩き回る。旧市街は川岸なので高低差がかなりあって,坂道がかなり急だ。今日の気温はマイナス10度くらいだったと思う。フロントナック城の高台から見下ろすセント・ローレンス川の風景が素晴らしかった。川の表層が凍っていて,白い氷が流氷として上流から下流へゆっくりと流れていく。しかし晴れていて良かった。晴れていても寒かったが。寒さは午後になるとどんどん強くなっていったように思えた。これで天気が悪ければどれほどどんよりした気分になっていたことだろう。やはり寒いってのは大変だ。こんなに寒いのに大勢の人が町中を歩いているのはちょっと驚く。16時半からはじまる劇場ツアーのため,Le Diamant劇場に向かう。Le Diamant劇場は旧市街の城壁の外側にある。劇場中心がケベック市の中心のようだ。Le Diamantのガイドツアー受付時刻の30分前に劇場についてしまった。近くのカフェで時間を潰す。劇場まで旧市街から20分ぐらい上り坂を歩いてきたので,あと30分,寒いなか付近をうろうろする元気はなかった。暖かい所に入るとホッとする。





Le Diamant劇場はケベック出身の世界的演出家,ロベール・ルパージュとそのカンパニー,Ex Machinaの本拠地となる劇場だ。ツアーに参加したのはわれわれを含めて,5組,10名ほどだった。90分かけて劇場内を回る。劇場自体は2019年にオープンしたものなので,設備自体は現代の中規模(800席)の劇場という感じで特に特徴は感じられない。ただこのケベックの人たちが,この町出身のルパージュに対して大きな敬意を抱いていることは感じたし,この劇場を誇りに思っていることも感じられる。劇場ツアー以前に,複数のケベック演劇関係者や演劇とは直接関係ない国際ケベック学会事務局の人たちから,ケベックに行くならぜひLe Diamantへという言われていたのだが,劇場ツアーでその敬意と誇りをあらためて確認出来たように想う。ツアーの説明はもちろんフランス語だが,最初のうちはガイドの方が私に気を遣って,ゆっくり分かりやすく話していたのでほぼ理解できたが,途中からはこちらの集中力も落ちたことがあり,半分くらいしか理解できていない。娘は時差ボケが襲いかかってきて,猛烈に眠たそうにしていた。




劇場ツアー終了後,劇場の近くにあるプーティン屋で夕食。Google mapで評価が高い店。20分ほど待って入店できた。プーティンはスモールサイズ,標準サイズ,ラージサイズがあって,標準サイズを頼んだのだが多すぎて半分くらいしか食べられなかった。残りは容器に入れて持ち帰ることにした。フライドポテトの上に,大量のチーズとソースがかかったプーティンの迫力は強烈で,ジャンクフード好きの私でも異にもたれる。帰りはバスを使いたかったのだが,バスが30分待たないと来ないことがわかり,歩いて戻ることに。夜の雪道を30分ほど歩くのはきつかった。