2023年2月20日(月)モンレアル 第3日
2023年2月21日火曜日
2022/02/20 モンレアル第3日目
2023/02/19 モンレアル第2日目
2023年2月19日(日)モンレアル第2日目
2023/02/18 モンレアル第1日目
2023年2月18日(土)モンレアル第1日目
2023年2月20日月曜日
2023/2/17 ケベック第8日
2023/2/16 ケベック第7日
ケベック第7日いつも通り午前7時起床。規則正しい生活が続いている。午前中は家の近くのバス停から800番のバスに乗って40分ほどで行けるモンモランシーの滝に行った。ケベック近郊の定番観光地だが、この時期、路線バスで行く人はそんなにいないようだ。800番のバスの終着駅がモンモランシーの滝の近くだが、そこで降りたのは私と娘はだけだった。バス停から滝までは歩いて10分ほど。あまり期待していなかったのだが、雪と氷に覆われたセント=ローレンス川、その白い川に勢いよく流れ落ちる滝の風景は、思っていたよりもずっと雄大で美しかった。モンモランシーの滝周辺には30分くらいいた。
2023/2/15 ケベック第6日
2月15日(水)ケベック第6日
午前7時起床。朝ご飯のとき,イザベルと話していて,いやな気分になったことがあった。イザベルがニースに居住していることを昨日,るみさんから聞いて,そのことを話題にした。私はフランス語を教えていて,7年ほど前から毎年学生を連れてニースで語学教育の研修を行っていること,こんどは7月の終わりに行く予定であること,もしタイミングがあえばイザベルのパフォーマンスを学生たちに見せることができればと思っていることなど。そうした話をしているとき,私のcirqueの発音がまずくて,イザベルに通じなかった。cirqueのciを,うっかりchiで発音してしまったのだ。「ああ,発音の問題だ。フランス語を教えているのに恥ずかしい。ここでは自分のフランス語力のなさにショックを受けた」ということを言うと,「そう,ニースで本物のフランス語を学ぶといい。ケベックのフランス語は,私にも理解できないことがあるから」と彼女は言った。
「本物のフランス語」という言葉にカチンときた。「うん,でも私はケベックの文化が好きなので,むしろケベック人のようなフランス語を話したいと思っているよ。もっとがんばらなくては」と言うと,変な顔をしていた。いかにもフランス人が言いそうなことをと思ったが,ケベックに仕事を求めにやって来ているパフォーマーからケベックのフランス語を否定するような言葉が出たのはとても残念だった。
今日は洗濯の日。Air BnBの家主のMartinには,洗濯のことは伝えている。午前中はLe Diamant劇場にダンスのショーケースを見に行った。二団体の公演があった。一本目はBenajamin Hatcherの《Sonore des_accord》(調和あるいは不調和の響き》。30分ほどの作品。7人のダンサーによる「芸術的な」タップダンス。正直なところ,どこが面白いのか,すごいのか,私にはまったくわからない。次はチュニジカのダンスグループによる55分のパフォーマンス。男女三組,6人よるダンスだった。チュニジアにある幻想的なキャバレーのショーという設定。前の演目よりは表現の変化があって面白かったが,ぜんたいとしてはやはりどこがとりわけ素晴らしいのかわからないパフォーマンスだった。概要を読むと「なるほど」とは思うのだけれど,表現上の面白み,ユニークさが私には分からなかった。会場は大喝采だ。
Le Diamant劇場でのダンスのショーケースを見た後,劇場から150メートルほど離れたところにある靴屋で靴を買った。ケベック訛りの店員のことばがさっぱり理解できなかったのはちょっとショックだった。ただし靴には大満足。バーゲンで16000円ぐらいの価格だった。履いた瞬間に,前の靴との違いが分かる。暖かくて,安定感がある。別世界だ。かかとも親指の付け根も全然痛みを感じない。靴購入後,一度家に戻る。途中,家の近所のスーパーで昼ご飯用にクロワッサンなどを買った。飯を食べた後,洗濯をする。乾燥機が壊れているとのことで,洗濯後は部屋のクローゼット干しとなる。暖房が効いているし,乾燥もしているので,半日干しておけば乾くはずだ。午後の予定は決めていなかった。
5-7 Officielは,ケベックのフォーク・カントリーのバンドを聞きに行こうと思っている。会場はライブハウスで,入場チェックが甘い場所なので,娘も誘う。5-7 officielの開始まで時間があったので,昨日,ケベック在住のサーカス・アーティストのリュウノスケさんを通じてFB上で知り合いになったサーカス・アーティストでプロデューサーでもあるAnouk Vallée-Charestが,RIDEAUのMarchéに出展しているので,彼女のブースを訪ねることにした。Anouckのブースはすぐに見つかったが,彼女に関心を持つプロデューサーが次々とブースにやってくる。彼女の仕事の邪魔をしては申し訳ないので,挨拶した後,一度,彼女のブースを離れ,Marchéの会場ををぶらぶら歩いた。
来週,モントリオールで会うことになっている演劇批評家,ミシェル・ヴァイスさんの奥さんが「語り部」のパフォーマーで,その奥さんが関わる語り部のグループがスタンドに出品していると聞いていたので,そこを尋ねることにした。しかしそのスタンドでも,なにか打ち合わせらしきものがやっている。どうしよう,しばらく待っているかと思っていたら,すぐそばのスタンドの黒人から声をかけられ,彼のイベントの説明を聞くことになった。地元ケベックのイベンターで,《我が国の歌》Les chant de Mon paysというケベックを本拠に活動する黒人ソプラノ歌手によるソロ・オペラのプロモーションだった。Felix LeclercやGilles Vigneaultなどケベックの偉大なフォーク歌手,シャンソニエのナンバーで構成された歌によるケベックの歴史,みたいなものらしい。日本の一演劇研究者に過ぎない私にプレゼンしたところで,営業にはならないのに,申し訳ない気がする。「語り部」のブースから,クライアントらしき人が立ち去ったので,ブースにいたおじさんに声をかけると,そのブースは,語り部は語り部でも私が訪問するはずのMichel Vaïsさんの奥さんのプロジェクトとは別の団体だった。それでもそのおじさんに,ケベックの「語り部」の特徴,活動についていろいろ教えて貰う。このブースの隣が,Michelさんの奥さんが関わっているプロジェクトだった。語り部の女性が二人いて,この二人からも話を聞く。Ariane LabontéさんとSuzane O'Neillさんだ。
このあと,Anoukのブースに戻り,ケベックのヌーボー・シルクについての話を聞いた。子供向きから大人向きまで,キャバレーでのエロチックなショーも含め,さまざまな領域で,さまざまな様式のサーカスが,上演されていることを知る。
Anoukのところで10分ぐらい話すと,marchéの終了時間の17時10分前だった。Marchéの会場から出ようとしたところで,等身大の人魚のフィギュアがディスプレイされているブースに目がとまった。Simonriouxのブースだった。彼は在日本ケベック州政府事務所の久山さんのことを知っていた。後で調べると,主宰のSimonはシルク・ド・ソレイユのパフォーマーでもあるらしい。シルク・ド・ソレイユが大型テントないし劇場を使った大規模なショーであるのに対し,Simonのエンターテイメントは,サーカスと音楽を組み合わせたもので,シルク・ド・ソレイユの美学を継承しつつ,パレードや少人数の規模の野外公演,室内公演など,上演状況に適応した様々な形態のショーを提供している。日本でのパフォーマンスはまだないらしい。
結局Marchéが終わる17時ぎりぎりまで会場にいた。17時に娘とMarché会場の入り口で待ち合わせをしていた。コンフェランス・センターの近くにあるライブハウスでやっているトラッド,ケベック,アイルランド,スコットランド,ケイジャンのフォーク音楽のライブに行った。入場するとチケットを貰い,それと引換にバーのカウンターで飲み物が提供される。娘にもチケットは渡された。私は炭酸水,娘はビールを頼んだ。最初のバンドはトラッド・フォークの雰囲気の乏しい荒っぽいロック。女性ボーカルのバンドだった。元気がいいけれど,ダサい。その音楽を聞いていると,娘の様子がおかしい。目がぐるぐる回り,これ以上ここに居られないという。外に出ようとするとよろめいて倒れてしまった。回りにいた人たちが心配して声をかけてくれた。幸い15分ほど外で休んでいると,娘は回復した。夕食はライブハウスの近くにあったハンバーガー・ショップで食べた。サイドメニューにプーティンがついているセットを頼むと、ハンバーガーの上までドロドロのグレイビーソースがかかった重厚な食べ物が出てきた。娘はハンバーガーとフライドポテト。フライドポテトは持ち帰りにしてもらう。
飯を食べているうちに娘はほぼ回復した感じだったので、私は19時半から文明博物館の劇場に演劇のショーケースを見に行くことにした。ヒルトンホテルからのシャトルバスはすでに出てしまっていたので、路線バスを使ったら、10分ぐらい遅れてしまった。
この日は男女二人のユニット、Marilyn DaoustとGabriel Léger-Savardの『Le temps des fruits (果実の時間)』。実に奇妙な、そしてとても興味深いスペクタクルだった。背景のスクリーンには常に映像が映し出される。その映像は舞台手前、下手に置かれた机で演者が手に取る様々なオブジェ、写真、資料だったり、演者が語っている内容に関わるものだったりする。そこで語られるのは世界史、人類史に関わる事柄だったり、博物誌的なものであったりして、脈絡がない。ある種の百科全書的な語りが映像と共に行われる。しかし言葉と映像はによる語りは、次第に、加速度的に抽象化され、ついには言葉が失われた舞踊表現のなかで表現が溶解していく。わけのわからない変なスペクタクルだったけれど、面白かった。
Marilyn DaoustとGabriel Léger-Savのあとは、Impérial Bell劇場に移動し、音楽のショーケースを見る。カントリーっぽい雰囲気もあるレトロで愛嬌たっぷりのグラムロックのLumière 、多彩で大胆な照明で演劇的な演出のステージを提示するエレクトロ・ポップのLydia Kepinski。この二組のステージは楽しかった。3組目のトリオZouz はちょっとプログレの風味もあるか。印象に残っていない。Impérial Bellではルミさんと合流し、autochtones のバンドを日本に持ってくる可能性などについて話を聞いた。
明日はRideauの最終日だが、ショーケースはない。Marché やガラといったプログラムはあるが、それはパスして娘とケベックの観光をしようと思う。Imperial Bell劇場から路線バスで帰ろうとしたのだが、暗くてバス停がどこにあるのかわからなかった。気温も比較的高かったし、歩いて帰っても15分ほどということで、google map頼りに歩いて帰ったが、指定されたルートが低地のケベックを通るものだったため、あー家にたどり着く直前に170段の急な木製階段、「フランシスコ会修道士の階段」を登る羽目になった。
2023/2/14 ケベック第5日
2月14日(火)ケベック第5日
午前7時起床。朝ご飯を食べた後,午後のLe Diamant劇場にインタビュー取材のための質問事項を作っておく。立食パーティでの気まずい思いや昨日午後のフォーラムでの「敗北」体験の影響で,インタビューしたもの向こうの言っていることがわからなかったらどうしよう,こっちの言いたいことが伝わらなかったらどうしようと思い,ちょっと不安になる。話が全然弾んだ感じならなくて,「やれやれ」という感じになったらやだなあと。
午前中はLe Diamant劇場にMachine de cirque の『Robot infidèle』を娘と一緒に見に行った。10時半開演だったが,10時ごろに劇場に到着。RIDEAUの参加登録者しか入れない公演だったが,入場時に「娘なんだ。入れてくれませんか?」と入場チェックの人に頼むと,黙認してもらった。
Le Diamantは800席ある劇場だったはずだが,客席は満員になった。私の隣にすわった青年が「フランス語は話せますか?」と話しかけてきた。「ゆっくり話して貰えるなら大丈夫ですよ」と答える。彼はブリティッシュ・コロンビア州からやってきた英語話者だが,これから公演を行うMachine de cirqueの演者の弟子なんだと言う。「あなたもサーカスのアーティストなんですか?」と聞くと,「いや,自分はクラウンです」と答えた。「それでは師匠にサーカスのアクロバットの技術を学んでいるのですか?」と聞くと,そういうわけでもないらしい。「ぼくはスラプスティックなことをやっていて」と答える。
ショーが始まると彼がそういうあいまいな答え方をした理由がわかった。Machine de cirqueは,「サーカス」cirqueと名乗っているけれど,その公演はアクロバット芸を見せるものではない。出演者は3人だ。舞台は帽子工場らしい。最初の20分は帽子工場のコンベアを動かすための電源を,街灯から取ろうとするとはしごや街灯が倒れたり,逃げていったりして,なかなかうまくいかない,という場面が続く。こんなナンセンスな場面を音楽なしで20分続けて見せる,観客を引き込むというテクニックがすごい。チャップリンやバスター・キートンの無声映画へのオマージュのようなシーケンスだ。公演時間は一時間ほどで,演劇的な構成ではあったが,物語の明確な展開があるわけではない。各シーケンスはユーモラスで親密な雰囲気はずっと維持されたまま,帽子と電柱をめぐるナンセンスな情景が連鎖していく。暗喩的に提示された各場面には濃厚な詩情がある。その連鎖が舞台上で幻想的な詩を語っているようであった。
三人の演者が舞台上のそれぞれの場所でバラバラなことを同時にやっているように見えて,それがメカニックに連動している様子など,各要素の構成は緻密にコントロールされていた。照明には,現代のフランス系セノグラフィの系譜を思わせる洗練を感じた。アコーディオンとピアノの生演奏を含む音楽ももちろんすばらしい。実に美しく,そして心浮き立つような楽しさがある舞台だった。私がこれまでイメージしていたサーカスとは異なるもので,サーカス・クラウンの技術が作り出す世界のなかに,演劇,音楽,ダンスの要素を組み込んだ完成度の高い複合的舞台芸術作品だった。
Le Daiamnt劇場での公演後,ケベック在住のサーカス・アーティスト,りゅうのすけさんがやっているおにぎりの店に行った。Le Diamant劇場からバスで5分ほどのところにある。りゅうのすけさんとはFBで知り合った。今回の私のケベック滞在中は,入れ違いで彼は日本で仕事が入っていたため,ケベックで彼とは会えないのだが,「店に立ち寄って貰えるならタピオカ・ドリンクは無料にしておくようにとお店のスタッフに連絡しておくから」ということだったので。おにぎり・タピオカ・ドリンクと日本のアニメ,マンガ関係の雑貨の店だった。広さは40平米くらい。私たちが入ったあとも,お客さんが数組店内にいて,流行っている感じがした。食べ物はテイクアウトのみ。りゅうのすけさんの娘さんがカウンターにいた。おにぎり三つと餅二つ(まんじゅう的なもの),それからタピオカ・ドリンクを二つ頼んだ。おにぎりと餅代を払おうとしたら,りゅうのすけさんにつけておくから,支払う必要はないとのこと。その言葉に甘える。
おにぎりはRIDEAUのメイン会場のコンフェランス・センターで食べた。味は日本で食べるおにぎりと同じ,美味しかった。大きさは日本のコンビニで売っているおにぎりよりも一回り大きい。
昼飯を食べたあとは,私の今回のケベック滞在の公的任務である国際ケベック学会の事務局への表敬訪問。今回のケベック滞在の費用の一部として,私は日本ケベック学会の小畑研究奨励金を利用していて,その奨励賞の選定や運用に国際ケベック学会が関わっているようなのだ。どのように関わっているのかは実はよく知らないのだけど,国際ケベック学会は,世界にいくつかあるローカルなケベック学会の総本山である。小畑賞決定のあとからメールで何回か事務局の人とはやりとりをしていた。公的な任務ということでちょっと緊張していた。表敬訪問といっても,実際会って何を話していいやらと思い,若干憂鬱でもあった。
国際ケベック学会事務局は,偶然にもRIDEAUのセンターが設置されたコンフェランス・センターの隣のビルの8階にあった。約束していた14時ちょうどに事務局を訪問する。幸い,事務局長のSuzieさんは穏やかで優しい雰囲気の人だった。ケベックの印象や自分の研究内容,日本ケベック学会の様子などについて30分ほど話す。お土産は和風の手提げ袋とキットカット抹茶味。お返しにというわけではないが,ケベックのサーカスについて書かれた研究書を頂いた。
国際ケベック学会事務局訪問のあとは,Le Diamant劇場のVivianeさんとの面談の約束があった。これはモントリオール在住の演劇批評家のVaïs氏や在日本ケベック州政府事務所のKさんの仲介で実現したものだ。これも準公的業務になる。正直,フランス語で見知らぬ人にインタビューするというのは,こちらのフランス語力の問題があって気が重いのだが,しかもわざわざこちらからリクエストしてとなるとなおさらである。Vivianeさんとの約束の時間まで30分ほど時間が空いたので,200近い興行主,パフォーマーなどがそれぞれのブースで広報活動を行うmarchéを回った。同じBnBに宿泊している垂直ダンスのイザベルが出展しているので,挨拶しに行った。200近いブースがあると,それらのブースを訪れるプロデューサーたちは行き当たりばったりではなくて,事前にある程度目星を付けているのだろう。人が集まっているブースとそうでないブースが当然ある。出展者の2/3は音楽関係のようだった。イザベルのブースは人はいなかった。せっかくブースを出しても,人が来なければつらいだろう。お土産に持参したキットカット抹茶味を渡した。そのままブースでイザベルからパフォーマンスについて20分ほど説明を聞いた。三年前に日本のテレビでも紹介されたことがあるらしい。身体にワイヤーをつけて,城壁などを利用して踊る。アクロバットのエアリアルよりはあきらかに芸術表現としてのダンスに寄った表現だ。審美的であるが,わかりやすさもあるので,商業性もあるだろう。イザベラのプレゼンを聞き終わると,ちょうどLe Diamantでの約束の時間になった。スタッフの事務所は,劇場の4階にある。
Vivianeさんは大柄でにこやかな女性だった。質問項目はあらかじめフランス語で用意していた。「演劇、プロレスからオペラまで」というLe Diamant劇場のスローガンについて,プログラムのコンセプトやその実現にあたっての困難,劇場の運営体制,ルパージュ/Ex machinaと劇場との関係,ケベック演劇におけるサーカスの位置付け,劇場にとってのサーカスの位置付け,新型コロナ後のクリエーションのありかたそして観客の嗜好の変化についてなどなど。インタビューの時間は30分ぐらい。Vivaneさんは,Suzieさんと違い,あまり話す速度など手加減してくれなかったので,正直半分くらいしかわからなかったのだが,分かったふりをしてインタビューを行った。Le Diamant劇場は,公共事業のあり方の一つの興味深いモデルだと私は考えているので,いずれどこかでこの劇場については書くつもりでいる。インタビューはVivianeさんの了承のもと,録音を取っている。
Le Diamant劇場のVivianeさん取材が終わって,ケベックでの主要任務はほぼ終わりだ。相手を拘束する作業はやはり神経を使う。ケベックではあとは自分の見たいスペクタクルを楽しめばいい。夕方17時から19時のあいだに行われるパフォーマー/興行主主催のミニ・ショーケースは,Makusham Musique, Musique nomade,Ruel Tourneurが提供する三つのauchtone,アメリカ先住民ミュージシャンのライブだった。
最初に演奏したのは,イヌー族の女性歌手のKANEN。2023年4月にファーストアルバムを出す。すーっと伸びる歌声で繰り返されるイヌー族の言葉による歌詞と旋律が印象的だ。フランス語の歌曲だと日本の歌謡曲っぽくなる。これはこれで悪くない。二組目はPakoは,Lanaudière地方のManawan出身のAtikamekw人のシンガーソングライター,PAKO。男性の歌手で,やはり先住民言語であるAtikakw語で歌う。力強い声の野性的な亜人のある面白い歌手だった。ギタリストは,日曜夜のショーケースで,やはり先住民のSCOTT-PIEN PICARDのバンドでも演奏していたデブ・ギタリスト。彼の表現過剰の演奏スタイルは見ていてとても楽しい。三組目はMaten。ケベック北部のManiutenam出身のイヌー族のミュージシャン。ギタリストは引き続き,あのデブ・ギタリストが務める。これは抜群に容器で楽しいポップなフォークロックだった。観客も大いに盛り上がり,最後はダンスに。私もその輪に加わった。日曜の夜のショーケースで聞いた女性シンガー,Laura Niquayも含め,先住民たちによるバンドがケベックの現代の音楽シーンで大きな存在感を持っていることを確認できる。いずれも言葉,ファッションなど先住民族固有のイディオムを,現代のポップ音楽の文脈に組み込んで,個性的なスタイルを確立していた。音楽に限らず,近年,ケベック・カナダの文化芸術シーン全般で先住民族は大きな存在感を示しているようだ。文学や演劇領域における先住民の活動もちゃんと調べておきたい。
19時半からは文明博物館の劇場に移動し,Théâtre à Bout Portantの《人々の移住》Migration des peuples。「移民もの」ということで関心を持った。追っ手から逃れ,移動を強いられる難民の逃走を,マラソン競技のアナロジーを交え,いくつものパターンで提示し続けるという作品だった。おそらく集団製作的な方法で作られている。俳優や演出家が「逃走」場面の表現についてアイディアを出し合い,それを構成したものだろう。ユニークな表現もあったが,ワンアイディアで90分もたせるのはしんどい。台詞はごく少量。途中で落ちてしまった。
この後,音楽のショーケースを見るつもりだったが,あまりに寒く,疲れていたので,家に戻る。靴は防水なのだが,そんなに長い距離を歩いて入るわけではないのにかかとと親指の付け根が痛くてたまらない。もう限界だ。旅行中はふだんより長距離歩かなければならないことが多いのに,こんな靴であと2週間以上,カナダを歩き回ることはできないと思った。明日の午前中に靴を買うことを決めた。
2023年2月15日水曜日
2023/2/13 ケベック第4日
午前7時に起きる。私たちが宿泊しているAir BnBは、3部屋のアパートで、そのうち2部屋がゲスト用になっている。私たちが到着した日から毎日、隣室の宿泊者は変わっている。昨夜からはIsabelleと書かれた名札がかかっている。何となく共用スペースのダイニングキッチンを使う時間が重ならないように配慮していで、前の2日は隣室の人たちと会う機会はなかった。
今日は朝食を取っていると、隣室の宿泊者が部屋から出てきた。フランスから来た女性だった。バカンスで来たのかと尋ねるとRIDEAUのために来たと言う。彼女は、壁面を使って垂直方向に踊るアクロバティックなダンスのパフォーマーだった。彼女のパフォーマンスの映像を見せてもらう。この垂直ダンスというパフォーマンスはどこかで見たことがあるようなかすかに気がする。ググって見るとヨーロッパやアメリカではかなり盛んらしい。RIDEAUの参加者は皆、メイン会場のヒルトンやその近くのホテルに泊まっていると思ったので、BnB利用者がいること、しかもまさか同じBnBにいたのにはちょっと驚いた。しかし午後にRIDEAUのフォーラムで数百人が入る部屋がいくつか用意されているのを知った。もしかすると千人規模の人間がRIDEAUのために集まっているのかもしれない。ヒルトンの部屋を用意されたのは招待者を中心とするごく一部の参加者だけで,多くの参加者はBnBや友人や親戚の家などに泊まっているのかもしれない。
午前中は娘とホッケーのジュニアのPee-Wee国際トーナメントを見に行った。11時から日本の選抜メンバー ジャパン・セレクトが,地元ケベックのチームと敗者復活戦で戦うことになっていた。競技場は私たちの宿からバスで20分ほどのところにある。これまで使っていたバス停とは反対の方向にあるバス停から乗ったのだが,そのバス停に降りる道が急な崖になっていた。下の道に降りるのに木製の階段が設置されていた。さてジャパン・セレクトの試合だが,Pee-Weeトーナメントの初戦はやはりケベックの強豪チームと戦って,負けはしたものの1対0のスコアだったので,今日の敗者復活戦では勝つチャンスがあるのではないかと期待していた。入場料は8ドル。観客席はガラガラだった。日本チームは第一ピリオドこそ,何とか1-0で踏ん張ったが,素人目にもケベックのチームの方が押しているのはわかった。初めて生で見たアイスホッケーの試合だったが,そのスピードと運動量の多さは圧巻だった。第2,第3ピリオドは,ケベックの怒濤の攻撃に一気に日本チームは崩れてしまい,最終的には8対0のワンサイドゲームになってしまった。力の差は歴然としていた。
日本チームの試合が終わった後,娘と別れ,私はバスでRIDEAUの昼食会のあるコンフェランス・センターに向かった。しかし数日前に受領したランチの予約チケットをコンフェランス・センターのRIDEAU受付に見せると,隣のヒルトンホテルに行けと言う。ヒルトンホテルには,RIDEAUの名札を下げている人が大勢うろうろしていた。一階のカフェで並んでいる人に,RIDEAUの飯を食べるために並んでいるのか,と聞くとそうだと答える。それで私も並んだのだけど,カフェの案内役に予約票を見せても「そんなものを見せられても私にはなんのことか分からない。レセプションで尋ねてくれ」と言われた。ホテルのレセプションの人に昼食会のチケットを見せると,それはやはりコンフェランス・センターのどこかの部屋で行われるはずだと言われ,またコンフェランスセンターに戻った。
RIDEAUは,昼間に行われるフォーラムと題されるシンポジウムの会場と事務局をコンフェランス・センターの地下一階に数室借りていて,食事会もそのうちの一つで行われていることがようやくわかる。この昼食会は有料でしかもベジタリアン・メニューで5000円以上という高額だったため,申し込んだ人は数十人だけだったようだ。私はそもそもRIDEAU参加者自体が数十名規模で,ケベックでひっそりと行われるローカル・スペクタクル見本市だと思っていたし,この食事会はRIDEAUのセレモニーの一つで参加するのが義務のようなものだと思っていたのだが,そういうわけではないらしい。すでに食事開始時間を15分ほど過ぎていた。この食事会は着席だが,自由席。8人ぐらいが座れる円い大きなテーブルがいくつか並んでいる。一人ぼっちでの飯は寂しいので,なるべく話しに入りやすそうな二人円卓に席を取った。料理はカフェテリア形式だ。5000円も取るわりには,飯がしょぼくて,ごちそう感に乏しい。私が料理を取ってテーブルに戻ると,先にいた二人のうち一人は席を立って退室していった。もう一人残った初老の女性は,日本に何度も来ている人で,ケベック州政府事務所の文化担当のKさんのこともよく知っている人だった。モントリオールで若い観客のための演劇のプロデュースを主にしているらしいが,音楽関係のマネージメントもやっているとのこと。この方と20分ぐらい話しをしながら食事をした。ポツンと一人で飯とならなくてよかった。こういう社交的な場が一番神経がすり減る。
午後はフォーラムに出てみることにした。フォーラムは午後に二つの時間帯にわけて,複数の部屋で行われる。要はシンポジウムだ。演劇におけるハラスメントについてのフォーラムに出席した。登壇者は5名,丁数は5, 600名いただろうか。ここでようやくRIDEAUの開催規模が自分が思っていたよりはるかに大きいものであることに気づく。ケベック州の州都とはいえ,人口50万人ほどのケベック市で真冬のこの時期やるスペクタクル見本市にまさかこんなに多くの参加者があるとは思ってなかった。しかも参加者のかなりの部分はケベック州から来た人たちであり,参加者の大半はフランス語話者だ。
「ハラスメント」についてのフォーラムの登壇者のうち,聞いて話している内容がほぼ理解できるのは一人だけで,他の登壇者の発言の内容は追っていくことができないことにショックを覚える。ケベック訛りに慣れていないのもあるが,むしろスピードに理解がついていけない。90分ほどのフォーラムだったが,終わるとぐったり疲れてしまった。
RIDEAU開催期間中は毎日7-9時に,5 à 7 Officielというのが幾つかの会場であって,これも何をするのかわからなかった。とりあえずどんなものか行って見ようと思い,モントリオールでスペクタクル興行のリーダーだという組織の5-7 officielを覗いてみたが,要は企業が主催するカクテルバーティだった。日本からケベックの演劇の現代について調査に来ている,と言うと,きょとんとされて,どんな種類のスペクタクルをやっているのかと聞くと,主にワンマンのコメディショーだと言う。ここにいても仕方ないと思い,10分ほどで退室してしまった。昨夜会った日本人の音楽プロデューサーのルミさんが別の会場の5-7 officielにいるというので,そこに移動する。会場に到着したあと,ルミさんからいったん宿泊先のヒルトンホテルに戻った。30分後にヒルトンホテルで行われている7-9 officielに出るとメッセージが入る。すれ違いだ。この会場では,キャバレーのバラエティショー風の出し物があった。フォーラムの後にもカクテルパーティが準備されていた。なんともケベック人というのはカクテルパーティが好きなんだなと思う。いや見本市というのがそもそもそういうもので,日本の企業が行うものでも,立食パーティでの儀礼的・社交的なやりとりこそ,重要な要素なのかもしれない。TPAM,YPAMにはオーディエンスとしてそこで行われる公演を見ただけなので,「プロ」たちがいったいなにをあそこでやっているのかよくわからなかったのだが,今回は自分が「プロ」の立場でケベックのRIDEAUに出て,ようやくどういうことが行われ,どのようにプログラムが組まれているのかが,見えてきた。全然畑違いだが,一般企業で働く弟も40代後半からはクライアントや他の会社や機関の人たちとの会食が主な仕事みたいなもんだ,とか言っていた。「そういう儀礼的なあたりさわりのない会話しながら飯を食うって面白いんか?」と聞くと,「面白いわけないやろ。仕事や」と弟は言っていた,そういえば。結局,自分の関心のあることしか話せない私は「社会人」ではないんだなと思う。まあ学会のあとの懇親会や出版社などのブースなども同じなのだが,自分は下戸でそういうのが苦手であまり関わりがなかった。
ルミさんとはヒルトンホテルで行われていたサーカスなどの興行を行う会社の5-7で出会うことができた。20分ほど話しをしたが,こちらが話したいことを気持ちよく話させてくれる彼女は,やはりプロの仕事人だな思う。
ショーケースは,Louise Baduelという女性演者による一人芝居,Loop Affectを見に行った。きっちり年月順に整理されていた祖父の写真を見ているうちに過去の回想の世界に入りこんでいき,云々とかいうお話。大量のスモークを使った美術は美しかったし,詩的なテクストではあったけど,その詩の世界は通俗で陳腐で空虚に思えた。美しいけれど,陳腐で,退屈な,まあありがちのモノローグ劇だなと。
もう一つ音楽のショーケースを見たかったけれど,終わるのが深夜11時半になってしまう。この遅い時間帯でも宿方面のバスはあるのだけれど,今日はぐった。疲れてしまった。音楽ショーケースは見ないで,家に戻った。風が強く,粉雪が舞う寒い夜だった。夕食はカクテルパーティで小さなつまみをつまんだだけ。家でポテチを娘と食べる。ケベックで本当に痩せることができそうだ。
2023/02/12 ケベック第3日
2023年2月13日月曜日
2023/02/11 ケベック第2日
午前7時に目覚ましで起きる。昨夜寝たのが午前1時前だったと思うので,ケベックの昼夜に合った睡眠時間を取ることができたと言えるのだが,時差ボケというのは手強いので思わぬ時に強烈な眠気が襲ってくる可能性がある。Martin宅にはわれわれ以外にもう一組,ゲストがいるようだ。まだ会っていないが声は聞こえる。朝起きて,風呂に入った。浴槽がある家だった。他人の家で,まだ慣れないのでなにかと気を遣う。朝ご飯はダイニングキッチンに用意してあるものを適当に食べるというスタイル。これも恐る恐るという感じで。今日はまだRIDEAUは始まっていない。16時半にLe Diamant劇場のガイドツアーに参加するのは決まっている。昼はケベックのウィンター・カーニバルを見る予定。土地鑑がほぼないので,何をどこでするのか,前もって頭に入れて行動しなくては。