2023年2月20日(月)モンレアル 第3日
午前5時半に起床。午前6時にZoomでAICTの運営会議に参加する。鼻水は出るけれど熱はない。娘はフランスの薬の副作用で吐き気になやまされたようだ。まったく食欲がないという。結局、今日も娘は外にでることなく、60平米の半地下のAir BnBで一日を過ごした。広くて幸いだった。もっとも外にでても、風景は単調な住宅街であまり散歩してもあまり面白くはない場所だ。夜になっても娘は鼻水と喉の痛みでしんどそうだったが、「ケベックで風邪ひきでなくてよかった。あんなきれいな町で、狭い部屋に閉じこもっていると辛かっただろうから」と言っていた。
アントワーヌが午前9時に車でAir BnBまで迎えに来てくれた。2013年の年末以来の再会だ。この年、アーティスト・イン・レジデンスでアントワーヌは日本に滞在していて、六本木ヒルズの高級アパートに住んでいた。10月に早稲田であったケベックの作家、ウーク・チョンの講演会にアントワーヌが来ていて、そのあとの飲み会で彼とは知り合った。ラブレーの『ガルガンチュア』やデカルト『方法序説』などを人形劇でやる演劇人だと知って、10月から12月にかけての三ヶ月ほどのあいだだったがよく一緒に芝居などを見に行った。その後、彼は日本に来ることはなく、私はケベックに行く機会もなくて、FBで細々とつながっていたのだが、今回ケベック行きが決まって一番会いたかったのは彼だった。
ところが秋に連絡を入れたのだが、なかなか返事が来ない。こちらがメッセージを送っても二週間ぐらい放置されることもあり、やきもきした気分になった。時間がたつとそれはいろいろ変わってしまうものだよな、今の彼の状況はどんなものかは知らないけれど、迷惑だったのかもしれないと、ちょっと寂しい気分になり、連絡を取ったのをちょっと後悔していたのだが、向こうに心境の変化があったのか、1月末頃から彼から連絡が届くようになった。
今日の予定は午前中にケベック劇作家センター(CEAD)を訪問し、午後はケベック大学モントリオール校UQUAMのアントワーヌの授業に出るというものだ。アントワーヌは2017年以降、劇作家・演出家としての仕事はしていない。残念なことだが。このころからUQAMの演劇科で教えるようになり、今ではほぼパーマネントの契約で先生をやっている。週に12時間の授業を担当するだけでなく、学内行政にも関わる立場らしい。それが猛烈に忙しいとのことだ。
CEADの存在は数年前から知っていて、ここが発行するニュースレターは講読していたけれど、どういう機関なのかはいまひとつわからなかった。というかとりあえずケベックの演劇に関わる機関ということでニュースレターは講読したものの、積極的な関心は持っていなかったのだ。ニュースレターも見出しをさっと流し読みするくらい。今回、ケベックに来ることになって、ケベック演劇の現在の取材なのだから、連絡をとっておいたほうがいいのかなとは思ったものの、しかし実質的にはケベック演劇初心者がここに行って何を求めることができるのか、何を得られるのかがよくわからない。在日本ケベック政府事務所の久山さんを通じて、CEADのスタッフとつながり、今回、面会の約束をとりつけたのだけれど、実は行ってどうなるものやらちょっと不安だった。居心地の悪い思いをして変えるはめになるのではないかと。アントワーヌはCEADとは関わりが深いらしく、度々通っていて、知り合いもいるという。私がCEADに行くことになっているんだと伝えると、それじゃ、おれも一緒に行くよということになり、これは心強かった。
CEADの面会の約束は10時からだったが、アントワーヌの車はその40分まえにCEADの近くに到着した。カフェで時間をつぶす。アントワーヌは朝飯を食べた。CEADがある建物は巨大なビルで元は織物関係の工場だったらしい。ここにいくつかの公的文化事業の事務所が入っているようだ。
CEADで私を迎えてくれたのはサラさんとアレクサンドルさん。準備不足でやってきた私が欲しかった様々な現代ケベック演劇の情報について90分にわたってレクチャーしてくれた。感謝に堪えない。お土産は例によってキットカット抹茶味。お返しにというわけではないが、話題にあがった作家の戯曲を三冊くれた。ケベックに行く前はぼんやりとしていたケベック演劇の現代について、自分がどのようにアプローチしていくのか、その道筋が、先週のRIDEAU、今回のCEADの訪問を通じて、徐々に見えてきたように思う。いくつもの切り口があるが、まず私が扱うべきは先住民による演劇およびその他の文化芸術活動だろう。サラさんもアレクサンドルさんも優しく、丁寧に応対してもらって、本当にありがたい。この取材も久山さんの仲介がなかったらできなかった。またこうして人と会うことで、それまでぼんやりしていた関心に焦点が合ってくる。人のつながりの重要性を感じる。
11時半にCEADの事務所を出る。午後のアントワーヌの授業は14時からだが、彼は昼に人と会う約束があるという。私はモントリオール地下鉄・バスの一週間チケットを買う必要があったので、近くにある地下鉄の駅まで連れて行ってくれというと、モン・ロワイヤル駅まで連れていってくれた。そこでいったん別れ、授業開始の15分前に大学で待ち合わせするこにした。モンロワイヤル駅の自販機で地下鉄・バス一週間券を購入し、Google mapで見つけたレバノン料理屋でサラダとサンドイッチの昼ご飯を取った。
UQAMの最寄り駅はBerri-UQAM。大学校舎は地下鉄駅と直結していた。改札を出たところにある大学ホールでAntoineに電話をかけ迎えに来て貰う。
14時からアントワーヌの「演技」の授業。一年生のクラスで、学生は6名である。みな人なつっこくて感じがいい。アントワーヌが学生に対しては、威厳のある先生的な態度で接しているのはちょっと意外な感じがした。学生は二人組ペアで、それぞれが割り当てられた戯曲の抜粋を朗読、分析、試演する。抜粋の長さは7-8分ほど。課題戯曲はストリンドベリ「ペリカン」、イプセン「人形の家」、チェーホフ「プラトーノフ」と三編とも自然主義・象徴主義の古典作家だ。アントワーヌによると学生たちのほとんどはこうした古典戯曲に触れたことがあまりないという。分析と試演では、アントワーヌから矢継ぎ早にさまざまな指示が飛ぶ。まず正統的なテクストの読解ができているかどうかを重視しているようだ。指導に熱が入っているとアントワーヌの指示がどんなものか、私には理解できなくなった。学生側からの反論はほぼない。アントワーヌが考えるあるべきかたちを探しているような感じがした。一組につき約1時間にわたってこうした指導が行われる。途中に一回、5分ほどの休憩時間がある。授業終了は午後5時半だった。アントワーヌは自然主義的な演技、レアリズムの表現を求めてはいない。しかしレアリズムでない演劇的表現とはどういうものかは、学生たちにはまだイメージできてない。
学生たちが素直で従順であることはちょっと意外だった。かなり強権的なアントワーヌの指示に対する反論があるのかなと思っていたので。アントワーヌによると、学年が進むとそういう議論は出てくるのだけれど、一年生だとあまりないという話だった。
アントワーヌは人形劇作家・演出家としてはかなり特殊な発想を持つ演劇人で、その音楽の嗜好も前衛なのだけれど、先生としての教え方は非常に古典的、正統的スタイルであるのも意外だった。
帰りはまずアントワーヌの家による。彼は大学には車で通っていないのだった。彼の家はモン・ロワイヤル駅から15分ほど歩いたところにあった。わざわざ私を迎えに来るために車を出したのだ。彼のアパートに寄って、それから車でAir BnBまで送って貰った。Air BnBに変えるまえに、食材購入のためにスーパーにも立ち寄ってもらった。
うーん、異国での親切、歓待はやはり身にしみる。ケベックに来てから、人の対応でいやな目には合っていない。こういうことがあるので、ますますケベックに愛着がわいてしまう。
娘はやはり一日家の中にいたらしい。回復まであと一日、二日はかかりそうだ。
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