2023年2月11日土曜日

2023/02/09 2度目のケベック出発までの長いプロローグ

 日本ケベック学会の小畑研究奨励金に応募したのは2020年だった。新型コロナ禍元年で、この年の3月から6月にかけては全世界が引きこもりを強いられた。



ケベックには2013年の夏にフランス語教育学会とケベック州政府州事務所によるフランス語教授法の研修で3週間滞在して以来、行く機会がなかった。この3週間の滞在でケベックを知ったことで、私はパリ/フランス中心のフランス文化観からようやく解放された。そう言う意味で、こらは私にとってとても大きな、ある意味決定的な経験となった。ケベック研修から帰ってきたあと、私はケベック熱に浮かされていた。ケベックが当時閉塞状況にあった私にとって希望の光に思えたのだった。

がんで闘病中だった小畑精和先生の講演をカナダ大使館で聞いたのは、帰国後、間もない時期だったと思う。小畑先生が末期癌だったことを私が知ったのは後になってから、多分、ケベック学会入会後、小畑先生が亡くなったときだろう。帰国後の10月に日本ケベック学会が、ケベックの作家、ウーク・チョングを日本に招いた。ウーク・チョングは、日本で在日韓国人一世と二世の両親のもとに生まれ、2歳のときにケベックに家族で移住し、フランス語で書く作家となった人物だ。彼の新作小説を私はたまたまモントリオール大学の書店で見つけて購入し、この小説を教材に韓国人とケベック人と模擬授業をやったのだった。なんという偶然。早稲田大学で行われたウーク・チョングの講演会を聞きに行き、図々しくも懇親会にも出た。その懇親会で、聖書、エラスムス、デカルトなどを人形劇で行うユニークな劇作家・演出家アントワーヌ・ラプリーズと知り合った。彼はレジデンス・アーティストとして半年間、日本に滞在していた。私と知り合ったのは10月だったが、その後の2ヶ月、何回か彼と一緒に演劇を見に行った。こんな偶然が続いたのだから、ケベックとの出会いは運命的と思わざるを得ない。私は日本ケベック学会に入会した。

実際、2013年のケベックは私の人生の転機となった。翌年の夏、私は日本フランス語教育学会の推薦を得て、ニースのAzurlingua が夏に行っているフランス語教員研修の告知をたまたま教育学会のMLで見かけ、これに応募し、SPACが出演したアヴィニョン演劇祭とあわせる形で、南フランスで濃厚な3週間を過ごした。
それまで非常勤講師の安い給料でフランス語圏に行くなんてほぼ不可能だろうと思っていたのに、この2014年度2月には学生を連れてニースの語学研修旅行を企画・実施。以後、新型コロナで海外渡航が難しくなるまで、毎年、一回か二回はニース研修をからめるかたちでヨーロッパに行くようになった。2004年に帰国以降、一度フランス語教育学会の研修でプザンソンとパリに4週間行ったことはあったが、それ以降は子供と成長を共にすると言う家庭内の喜びと充実はあったものの、社会生活の面ではパッとせずずっと燻っていたのだが、2013年夏にケベックに行って以降、自分の生活は明らかにダイナミックなものになった。
私の生活の変化の契機となったケベックだが、2013年以降、私は他の色々な事柄に追われるようになり、自分のケベック研究は一向に進めることはできないままでいた。ケベック学会には参加し、理事になっていたものの、ケベックについてアウトプットすることはろくにできなかったし、ケベックを再訪する機会もなかった。後ろめたいというか、もどかしいというか、このままケベックとは徐々に疎遠になっていくのだろうか、という寂しい気持ちを持っていた。

日本ケベック学会の小畑研究奨励賞への応募は考えていたけれど、これは2週間以上のケベック滞在が条件となっている。私がケベックでする研究となれば、演劇研究しかない。ケベックです行われる演劇祭で最も大きく充実しているのは毎年5月末に行われるFestival transameriqueであるが、この時期に大学を3週間休講にして海外に行くのは非常に難しい。職業倫理上も問題だ。また小畑研究奨励金は、5月末に募集が行われ、決定後はその年度中にケベックに行かなくてはならないという規定があったので、5月末に行われるFTAの調査には使うことができたかった。

2020年に入ると中国から始まった新型コロナ感染拡大は瞬く間に全世界に広がり、3月半ば以降は全世界で人の国境をまたいだ移動はほぼ不可能な状態となった。国境を越えた移動だけでなく、大学のキャンパスも閉ざされ、授業は全面的に、急遽オンラインで実施されるようになる。この状況は徐々に緩和されつつも、2021年になっても続く。
大学だけでなく、学会の開催についても同様だった。2020年の日本ケベック学会全国大会は、大阪の阪南大学で行われるはずだったが、それが不可能になる。20年度は学会は中止にするという案も出たのだが、4月以降、自分が主宰する古典戯曲を読む会や日仏演劇協会でzoomを使ったオンラインでの会合実施に手応えを感じていた私は、日本ケベック学会の学会実行委員ではなかったのにも関わらず、全国大会のオンライン実施を主張した。そして手探りで実施することになったオンライン学会の運営準備に関わった。
この年度は、新型コロナで海外渡航が難しくなったいる状況を鑑みて、小畑研究奨励金の使用期間が緩和され、採用翌年度以降の利用も可能になった。となると5月末のFTA取材に小畑研究奨励金が使えることになる。また新型コロナ以降常態化したzoomによるオンラインでの補講やオンデマンドの授業によって、授業期間中に3週間日本を離れることも不可能ではない。

私はそれで小畑研究奨励金を申請することにした。日本ケベック学会全国大会のオンライン開催準備と実施に際してはかなりの労力と時間も投入したので、これで奨励金に採用されないようなら日本ケベック学会から離れてもいいという風にも思った。果たして、私は2020年度の小田研究奨励金に採用された。研究課題は「新型コロナ感染収束後のケベックの演劇状況」だ。新型コロナ元年となった2020年は全世界であらゆるスペクタクル公演が停止するという前代未聞の状況が生じ、そんななかでスペクタクルを今後どう再開していくかが大きな問題となっていた。
2020年度は結局新型コロナ禍が終息することはなく、海外渡航は一般にはほぼ不可能な状態が続いた。しかし2020年度日本ケベック学会全国大会が行われた10月の時点で、新型コロナ感染による行動制限が翌年度も続くと思っていた人は極めて少なかったはずだ。
2021年春のFTAも中止となった。それではこの年度の秋にモントリオールで行われる演劇見本市の調査をしようと思い、CINARの事務局と連絡を取るものの、これも中止に。それでは2月にケベック市で行われるRIDEAU と思って事務局と連絡を取り、渡航準備を進めたのだがこれも12月末に感染拡大でオンライン開催になってしまった。

2020年度に取得した小畑研究奨励金はこうして翌年2021年度も利用できずに終わった。
そして2022年度になった。この年度からは大学での対面での授業がほぼ全面的に再開され、演劇などのフェスティバル等も従来通り行われるようになった。この年の夏には私はドイツのオーバーアマガウの受難劇を見に行った。2020年3月以来、2年半ぶりの海外渡航だった。
小畑賞を利用してのケベック行きも今年度中に行わなくてはならない。7月にケベックの国際ケベック学会の事務局から渡航についての問い合わせがあった。小畑賞では2週間以上のケベック滞在が求められる。となると大学の春休み中に行くしかない。

私は2月にケベックで行われるRIDEAUの取材を中心にケベック滞在することに決め、10月ごろからRIDEAU事務局と連絡を取り始めた。私がケベック行きを決めると、大学3年生の娘が一緒にケベックに行きたいと言う。娘の分の滞在費、特に渡航費を出す余裕は私にはないことを告げると、貯めたバイト代があるので自分の航空券代は自分で出すと言う。娘とは彼女が高校一年の夏に向けてニースとフィンランドに行ったことがある。ケベックは娘との最後の旅行の機会となる可能性が高い。娘と海外、それもケベックに行けるなんて、父親冥利に尽きると言うべきものだろう。もっとも私は芝居を見たり、演劇関係者と会って取材する間、娘はどうするのだろうとは思うのだが、娘は娘でなにかやることは考えているようだった。
11月半ばに旅程をほぼ確定して、航空券を発注した。2/10に出国し、10日から17日まではケベックに滞在。12日から16日にRIDEAUが開催される。17日にモントリオールに移動し、ここに25日まで滞在。これで小畑奨励金でのケベック滞在のミニマムの2週間はクリアできる。25日から3/1はトロントに行くことにした。英語圏のオンタリオ州の都市だが、2013年にこの街に数泊したときに活気あるエスニック・タウンの集積であるこの都市の雰囲気が気に入ったのだ。せっかくだから世界有数の観光地であるナイアガラの滝を娘に見せたいというのもあった。

今回の宿泊はすべてAir BnBとなった。まずベッド2台のツインルームの用意のある安いホテルが少なかったこと、そして長期滞在のため、自炊ができる環境の方が好ましかったからである。ケベック、モントリオール、トロントの3箇所のBnBに宿泊するが、いずれも泊まる場所の雰囲気は違う。宿泊代は一泊1.2万円ぐらいのところを選んだ。ホテルだとこの値段で見つけるのは難しい。
航空券は行きは、成田-モントリオール-ケベック、帰りはモントリオール-トロント-成田。帰りのモントリオール-成田は鉄道でも良かったかなと、今になって思う。チケット代は一人24万円弱だった。

12月に入るとケベックで取材する相手や現地で会う予定の友人たちに連絡を取った。すぐに返事をくれるところもあるが、返事がなかなかないと、もしかすると迷惑なのかなと思い、かなりモヤモヤとした気分になる。まあそれぞれいろんな事情を抱えているので仕方ない。
2週間の滞在だが、今回の滞在中に今後ケベック研究を継続して行うための足場を作っておきたい気持ちは強い。

ケベックについて日本で発信し、できれば日本/ケベック交流の機会を作ることで、私に人生の契機となったケベックに何らかの貢献できればと思っている。

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