コロナウイルスがらみのアジア人差別には遭遇していない、と昨日書いたが、学生たちはそうでもないようで、昨日のカーニバル花祭りのときや道を歩いているときに「コロナ」と言われたり、「中国人」と呼ばれたりなどをしていることが、今日になってわかった。若い女性に対して通りがかりに言ったりするのだ。さすが差別者はやることが卑小かつ卑怯だ。どうせなら私にそういった言葉を投げつければいいのにと思う。時間の余裕があれば相手をする用意はあるのに。
一組、ホストファミリーを変わることになった。いろいろ細かい生活上のルールを威圧的に命じられ、学生がそのストレスに耐えがたくなったのだ。その生活上のルール自体は、シャワーの制限時間やトイレットペーパーの使用量が多いすぎるだの、ケチ臭いフランス人がいかにも言いそうなことで、フランス人的感覚からすると「常識」の範囲内ということなのかもしれないが、その言い方には問題があったのだろう。だいたい日本人の女子学生というのは、この学校に多いイタリア人などに比べるとはるかにおとなしくて行儀がいいはずなのだ。彼女たちの話を聞くと「でもこちらも至らないところあると思うし」とステイ先を変えることを躊躇している。彼女たちが「至らないところがある」のがステイ先で問題なら、他の人間は至らないところだらけだ。高圧的な大家のまえで萎縮したままあと一週間以上過ごさせるわけにはいかないと思い、ホームステイの担当者に新しいステイ先を探すように頼んだ。午前中に新しいステイ先の確認が取れ、午後の遠足のあといったん元の家に戻り荷造りを終えてから、新しい家に移ることになった。ステイ先の変更自体、彼女たちにとっては大きなストレスだが、ずっと居心地の悪いところに居続けるよりはずっといいはずだ。
午前中は学生たちが授業を受けているあいだは、自分の研究発表の準備をしていたけどはかどらず。
昼食はシュークルトだった。これは美味しかった。
午後はニースから列車で25分くらいのところにあるアンティーブに学校主催の遠足にいった。今日はニース市内のバスとトラムがストで動いていなかった。アンティーブにはSNCFで行くが、SNCFもストで間引き運転をしていてニース駅を出たのが午後3時半すぎになってしまった。アンティーブではピカソ美術館に一時間滞在しただけになってしまった。こじんまりした美しい町で、個性的な商店も多く、ピカソ美術館だけ見てさっさと帰るのはもったいないところなのだが。ピカソは中世には司教館だった石造りの城館に、1946年以降住んだそうだ。アンティーブのピカソ美術館に収蔵されているのは、ピカソがプリミティブアートに関心を持つようになって以降の作品であり、子供の落書きのような平面的なデッサンが多い。
ニースに戻ったのは午後7時前になった。ステイ先を変更する学生に同行して、トラブルがあった家まで行く。学生たちが荷造りをしているあいだ、家のマダムと話をする。陽気で快活で、まあ普通の南仏のおばあさんという感じだ。意地悪な感じはしなかったけれど、私に対する態度と学生たちに対する態度が違うというのは十分あり得ることだ。やたらと細かい生活上の指示をいちいちしていて学生を萎縮させていたわけだが、謙虚な日本人学生とは違い、「私にも至らないところがあったかもしれない」などということは微塵も言わない。聞きたいこと、頼みたいことがあるなら、google 翻訳を使うなどして、ちゃんと伝えてほしいけど、ニコッとわらってOK、Ouiしか言わないから。みたいなことを言っていた。また彼女に対して愛想よく接してくれていたのに、今日になってステイ先の変更を申し入れられてびっくりした、とも。それはわかる気がする。しかし学生たちの立場に立つと、向こうの家に住まわせて「もらっている」、生活上のルールは向こうに従うのが当然、フランス語でコミュニケーションを取らなくてはならない、となると権力関係では大家のほうが上なわけで、自分の意志や要望を伝えるのは難しいだろう。なまじ学生が「いい子ちゃん」タイプだったので、過剰に相手の要求に応えようとしたのが逆にストレスになったのかもしれない。あと人には愛想よくしなくてはならない、という身体化された観念に、相手が外国人、権力関係上ということで、縛られすぎたということもあるか。
おっさんの私はいろんな面で図々しくなっているし、基本的にフランス人というのを心の底では信用していないというのがあって、こういった過剰な気の使い方を他人にすることはない。特に今回のように学生たちを引率する場合は、フランス人の都合を学生たちの都合より優先させてはならないというのを、原則としている。それでもやはり、自分はフランス人に対してはかなりのいい子ちゃんを演じてるという感じはある。
若い日本人女性だとなおさらに違いない。若い日本人女性でいるというのは、大変なことだなあと思った。わたしがまずやることのないような気苦労を彼女たちはしているに違いない。
新しいステイ先は、私たちが到着する日に家にいなかったため、急遽キャンセルになった家だった。すっぽかしたのだ。家を移る学生たちは不安そうだ。そりゃそうだ。私も大丈夫かなあと思うが、急な変更だったので彼女しか引き受けてがなかったようだ。
オンボロの自動車で新しいステイ先のマダムが迎えにきた。場所は前の家より町の中心部に近いところだ。旧市街のすぐそばでロケーションはいい。受け入れ先は建物の外観は古びたボロアパートだったが、中は古いながらもきれいに掃除されていて、何部屋もある大きなアパルトマンだった。複数の学校から数組の滞在を受け入れているとのこと。
「なんで先週の土曜、われわれが到着したときにいなかったのか?」と聞くと、「時間を勘違いしていてイタリアに買い物に行っていた。ごめん」との返事。
今度のマダムは下町のおばちゃんという感じで、ダミ声でよくしゃべる。学生たちの夕食だけでなく、私の夕食も用意があったので、私もそこで夕食を食べて帰った。親切そうなマダムだが、過剰なおしゃべりにつきあってちょっと疲れた。学生たちが懸念していたフロ・シャワーも前の家とは違いいつ入ってもいいし、時間の制限もないということで、学生たちはほっとした顔をしていた。ここではトラブルなく、うまくいくといいなと心から願う。
あと列車で定期入れをすられたと学生から連絡あり。SUICAや学生証などが入っていたらしい。現金、クレジットカードの類は大丈夫だったとのこと。定期入れは残念だが、これは警察に届けても戻ってくる可能性はほぼないし、海外旅行保険の補償の対象にもならないだろう。盗難でいやな思いはしただろうが、これはあきらめるしかない。
飯を食って家に戻ると、22時を過ぎていた。
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