普段の授業では学生とじっくり話をする機会はほとんどない。週に1、2コマの語学の授業で会うだけだし、授業のあとにごく短い時間、質問などを受け付けるぐらいだ。それも「あの、出席大丈夫でしょうか?」みたいなやりとりがほとんどだ。
ニース研修では二週間、同じ地ですごし、少なくとも週日の昼食は一緒に取るので、私にとっては若い学生たちに向き合って話を聞く貴重な機会となっている。話してみると「ああ、いろんなこと考えているんだなあ」と啓発されることは少なくない。
今日は金曜日だったので第一週目の授業の終了日だった。学生たちもこちらの学校の授業スタイルにだいぶ慣れてきたようだ。時間が立つのが早い。もう一週間たったということは、研修期間の半分が終わったのだ。
午後は学校主催の遠足でニースから列車で15分ほどのところにあるボリュ・シュール・メールとヴィルフランシュ・シュール・メールに行った。どちらもコート・ダジュールの町のなかでは小さな町で観光地として知られている場所ではない。しかし学校主催の遠足で行く場所では、私はこの小さな2つの海辺の町への遠足が一番好きだ。
「美しい場所」Beaulieuボリュという名前はナポレオンがつけたらしい。町が形成されたのは19世紀後半のベルエポック期で新しい町だ。小さい町ながらお金持ちの町でもあり、カジノもある。ボリュの見どころはヴィラ・ケリロスという20世紀初頭に考古学者テオドール・レナックが、紀元前4世紀の古代ギリシャの貴族の邸宅をモデルに建設したゴージャスな別荘だ。古代ギリシャ文明の愛好者であった彼は、持てる知識と莫大な金額を投入して、海辺に贅を凝らした、そして驚くほど趣味がいい別荘を建築した。この付近は20世紀初頭に建てられた豪華で趣味のよさが凝縮された別荘が他にもある。そのなかでもヴィラ・ケリロスの美学が突出して洗練されたものだと思う。
6年前にはじめてニースの研修を行って以来、毎回ヴィラ・ケリロスは訪問していて、来るたびにその壮麗さとシックな趣味のよさに驚嘆している。コート・ダジュールはベル・エポック期のブルジョワ文化の精髄ともいえる建造物がいくつもあるが、ヴィラ・ケリロス、ロスチャイルド家別荘、ネグレスコ・ホテルの大広間はその代表だろう。破格の贅沢というのものの素晴らしさを味わい知ることができる場所だ。
ボリュでヴィラ・ケリロスを見学したあとは、列車で一駅先にあるヴィルフランシュ・シュール・メールに移動し、城塞と旧市街を見学した。この町は岬を挟んでニースのとなりにある小さな海沿いの町だ。崖が海のすぐそばまで迫っていて、その崖の斜面のようなところに細長く旧市街が形成されている。街路の一部が建物の下のトンネルになっているのが特徴的だ。ブルジョワの別荘地だが、第二次世界大戦中は多数のユダヤ人の芸術家がナチス・ドイツを逃れ、この町に避難したと言う。ニース近辺がムッソリーニが指揮するイタリア・ファシズムの支配下にあった時代は、この地に亡命したユダヤ人は迫害を逃れることができたようだ。イタリア・ファシズムが撤退し、ナチス・ドイツがフランスを掌握すると、この地にいたユダヤ人は収容所送りとなった。
夏はバカンス客で賑わうが冬のヴィルフランシュはひっそりしている。城塞まで上って旧市街に戻ったあと、30分ほど自由時間とした。私はカフェでお茶を飲んだ。独特の景観の旧市街と美しい海、そして城塞がコンパクトにまとまっている。地味な町だけれど、私はこの町の雰囲気が好きだ。
今日は学生と引率Kさんと6名で、ニース駅南側にあるモロッコ料理屋で夕食を取った。この店のクスクスが私は大好きなのだ。昨年は店が休業していて、食べに来ることができなかったので二年ぶりの来店だ。店主は私を覚えていた。
学生たちははじめてのクスクスだったが、美味しそうに食べてくれたので、私も満足。私は子羊肉のクスクスを食べた。
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