2025年2月23日日曜日

ニース研修2025 02/22(土)第8日

 2025/02/22(土)第8日

今回の研修では、授業のない週末の滞在が、2/16、22、23、3/1の4日ある。この4日間は、日中にどこかへ行くプログラムを考えなければならない。先週の日曜日、到着の翌日にはカンヌに行った。明日、23日はボリュ・シュール・メールのヴィラ・ケリロスと、フェラ岬のロスチャイルド家別荘に行く予定である。そして、3/1はサン=ポール=ド=ヴァンスに行く。
本来なら、今日はニースから私鉄プロヴァンス鉄道で、アルプス山中にある城塞集落アントルヴォーに行く予定であった。アントルヴォーにはこれまで何度か行ったことがある。ニースからは、可愛らしいデザインの鉄道に乗って約2時間弱で行ける。日本のガイドブックでここを紹介しているものはおそらくないが、わざわざ時間をかけて赴く価値がある、ここでしか見られない景観美を楽しむことができる。学生を連れてのニース研修では最も見せたい場所の一つであったが、おとといの夜、時刻表を確認したところ、今年はシーズンオフの時期のアントルヴォー行きの便が削られていることを知る。これまでアントルヴォーに行くときに利用していた便は夏のみの運行となっていた。ニース発の列車は午前中、朝8時のものしかなく、これは早すぎる。また、帰りの便も午後の早い時間帯に1本と、19時以降に1本しかなく、これでは日帰り遠足としてアントルヴォーへ行くのは不可能である。
代替地を探したが、16人という大人数となると、移動手段の確保や現地での食事、過ごし方などにいろいろ制約があり、結局妙案が見つからず、今日はフリーデーに変更してもらった。希望者は私と共に、ニース美術館と旧市街にあるラスカリス宮、そしてショッピングを行うことにした。
10時半にニース駅で待ち合わせたところ、8人の学生が集った。学生の一人から風邪の症状で家で休むとの連絡があり、熱はないとのことであった。私も一昨日から鼻水と咳があり、昨日、ニースの薬局で薬を購入した。男子学生の一人も同様の風邪症状を示していた。
まず、駅から30分ほど歩いてニース美術館へ向かった。ニースの西の中心部から外れた場所にあるこの美術館には、これまで訪れたことがなかった。この美術館はニース市立のもので、学生は入場無料である。Jules Chéret(1836–1932)という、ニースに縁のある画家の名前が賦けられている。イタリア風の堂々たる建物は、19世紀半ばのロシアの大公によって建設されたものである。当時、温暖で風光明媚なニースは、避寒地としてロシアやイギリスの貴族、大ブルジョワが訪れる町であった。ロシア大公の別荘は、20世紀初頭にニース市の所有となり、美術館として一般に公開された。



ニース市内にはいくつかの市立美術館があるが、最もコレクションが充実しており見応えがあるのはニース現代美術館である。しかし、ニース現代美術館は昨年から続く大規模な改修工事のため休館中となっていた。ニース美術館は中世から近代、ベル・エポック期にかけての作品を中心に展示しているが、美術館の規模はそれほど大きくない。しかし、ジュール・シェレのようなご当地画家の作品だけでなく、ディドロの肖像画で知られるロココ期の肖像画家Louis Michel van Looや、古典主義の画家ゲランなどの作品も収蔵している。フランスでは、地方都市の市立美術館でも日本の企画展の目玉となるような作品を所蔵していることが多く、フランス美術の豊かさを感じずにはいられない。





また、ニース近郊の町ヴァンスに何度か滞在したことのある画家ラウル・デュフィ(1877–1953)の企画展も開催されていた。彼はマティスと交流があり、フォーヴィスムの画家の一人とされるが、その絵画は他のフォーヴィストよりも軽やかで装飾的である。デュフィの作品を一堂にまとめて鑑賞したのは、私は初めてだった。
1時間ほど現代美術館に滞在した後、トラムで中心地へ移動し、旧市街近くのショコラティエでチョコレートを購入した。これはこれまで何度も私の学生を受け入れてくれているイザベルさんへの誕生日プレゼントである。



早めに軽い昼食をとるつもりであったが、ショコラティエを出た後、旧市街のサン・レパラト教会に到着した時には13時20分になっていた。空腹ではあったが、夜はクスクスを食べる予定であったため、この時間にしっかりと食事をするわけにはいかない。40分ほど自由時間を設け、2時に再集合することにした。結局、私は何も食べず、バロック様式の装飾に埋もれたゴテゴテなジェズ教会で休んでいた。



2時に再び集合し、17世紀の貴族の旧邸宅を博物館として利用しているラスカリス宮に向かおうとしたところ、女子学生たちはラスカリス宮に行くより買い物をしたいと申し出た。正直、「え、マジ?」と思ったが、まあしかたない。旧市街にある、ニースで最もまともなワイン販売店で買い物を学生たちが希望したので、その店が午後3時に営業を開始するのに合わせ、店の前に集合することにした。
行くところがなさそうだった男子学生二人には、「おまえらも来るだろう?」と半ば強引にラスカリス宮へ連れて行った。17世紀のイタリア・バロック様式によるゴテゴテな豪華な内装と、主に19世紀の楽器展示は見応えがあり、フランス語のガイドブックでは「訪れるべき場所」として高く評価されている。しかし、この種のものに関心を示すにはある種の教養が必要であり、日本の学生が興味を持たないのは仕方がないともいえる。男子学生二人はベンチに座って時間を潰していたようである。





ラスカリス宮を後にし、ワインショップへ向かった。お土産用にワインを購入するなら、ニースのローカルワインであるベレ一択だと私は思う。私は下戸でワインには興味がないが、日本で購入するより安いとはいえ、何本も持って帰ることはできないのだから、日本でも容易に手に入る品種を購入しても仕方がないとように思う。ワインショップでの買い物の後、解散となり、私は一旦家に戻った。
夕方6時半、ガンベッタ通り沿いにあるクスクス屋で、その近所に住む学生6名と夕食を取った。学生たちは初めてのクスクス体験だった。私はこの店にはこれまで何度か利用していて、ニースで私が贔屓にしているレストランの一つである。クスクスとミントティーで20ユーロほどであり、私はメルゲーズ、仔羊肉、ミートボールを添えたクスクスを食べた。久々のクスクスはやはり美味であった。




その後、近隣に住む女子学生を家の近くまで送迎した。今回送った学生たちの住居は、SNCFの線路の北側に位置するガンベッタ通りとその横道沿いである。この付近の昼間の雰囲気は庶民的で良い感じであると思っていたが、夜になると私の予想以上に雰囲気が悪かった。若い男性があちこちでたむろしている。案外、悪い連中ではなく通行人にちょっかいを出すことないかもしれいが、女子学生にとってはその近くを通って歩くのは少し怖いに違いない。町は暗く、女性が歩いている姿はほとんど見当たらなかった。
22時前に帰宅した。家主のAnnickはパートナーのWalterとカーニバルを見に行っている。シャワーを浴びていると、浴槽の中ですべって派手に転んでしまった。幸い怪我はないが、シャワーカーテンをさせる棒が落ちてしまった。あと壁にしっくいみたいなものでくっついてた浴槽自体が、私が転んだときに壁を押した衝撃で壁から一部が剥がれてしまう。なんてもろいんだ。Annick帰宅後、状況を説明する。申し訳ないと思ったが、すべって転んだのはわざとではない。Annickは状況を見てかなりびっくりしたようだったが、「まあ、しかたない。たいしたことじゃない」で終わった。
Annickの家の滞在は今回は三回目で、飯はうまいし、彼女との相性は悪くないのだが、水回り(風呂、トイレ、洗濯)ことで気を遣わなければならなないのは、正直なところかなりうっとうしいなと思う。

2025年2月22日土曜日

ニース研修2025 02/21(金)第7日

 2025/02/21(金)第7日


いろいろあった日だった。朝食が出ない家庭に滞在している学生に、「今朝はどうだった?」とLINEで聞くと、やはり出なかったとのこと。学校には一昨日メールで状況を説明し、対処を求め、それに対し返信がないので、昨日午後にも「どうなっているんだ?」とメールを出している。午前中に学校の事務所に行ってこの件について話をしなくてはならない。学生一人から倦怠感がひどくて、学校の授業を途中で抜けるという連絡が入る。数日前にも体調不良を訴えていた学生だったので心配になる。病院に連れて行くとすれば今日か、明日か、どっちにしようと考える。結局、今日は様子見することに。夕方まで休んだら元気を回復したとのこと。昨日のモナコの坂道歩きがきつかったかなあ。私もバテた。私より若い学生たちは大丈夫だろうと思ったが、案外そうではないかも、などと考える。

今日は夜にオペラ座にクラシックのコンサートを聞きに行くことになっていた。チケットは1ヶ月前に既に予約している。ニース・オペラ座のチケットは比較的取りやすいのだが、このコンサートは満席だった。学生は10ユーロの自由席、私は20ユーロの席。学生席は劇場窓口で引き取りとしていた。学校に行く途中にオペラ座のチケット売り場に行き、チケットを引き取る。「日本人か?」と聞かれ、「そうだよ」と答えると、日本語で「ありがとうございます」と返ってきた。フランスではサービス業全般に労働者のモラルが低く、不愉快な目に合うことがちょくちょくあるのだけど、私の経験では劇場スタッフで感じがよくない人には会ったことがない。あと薬局の店員も親切だ。先日行ったAppleの正規代理店のスタッフも感じがよくて、しかも有能だった。これ以外については、まあ場所と人によりけりで、親切かつ有能な人にあたることもあれば、日本では考えられないほど無責任、無能、無愛想なやつに遭遇することもある。

学校に到着するとまず事務室に行って、ホストファミリーの担当者を呼び出す。愛想のよい中年女性だが、彼女は今回、いい加減な伝達でベッド一台に学生二人を割り当てる指示を行った。朝食が出ない家庭の問題について、「私のメールは読んだのか?一昨日にメールを出して、返事がないので、昨日午後に出した。それにも返事がない。学生には今日も朝食が出なかった」というと、「その家のマダム・ダニエルはとてもいい人でいままでそんな問題を起こしたことは一回もない。朝食はちゃんと用意していたのに、学生が食べなかっただけではないか?」と言う。

「マダム・ダニエルに電話して状況は確認したのか?」と言うと、「確認した」という。「それじゃあ、いつ電話した? 昨日か? 学生は今日も朝飯がなかったと言っている。今日、電話したのか? 私がここに来る前に電話して状況を確認したのか?」と重ねて聞いた。「いや、マダムはとても立派でいい人だから。朝食を出さないなんてありえないから」と言う。「今すぐ、ここで電話して確認してくれ」と言うと渋々という感じで電話をかけた。電話で確認などしていないのだ。

電話した結果、朝食は毎朝、テーブルに用意して、自由に飲み物やパンなどを取ってくれればいいという風にしていた、学生たちにもそう説明している、とのこと。

「ほら、だからマダムは悪くない。学生たちが理解していなかったからしかたない。彼女はちゃんと朝食は用意していたんだから。そして私も悪くない」と担当者は言う。

「そういう行き違いは十分にあり得ることだ。ただ学生たちは、その指示が理解できていなかったため、日曜から今日まで朝食を取れていない。マダムにもう一度、学生たちに朝食の取り方を説明するように伝えてくれ。そのコミュニケーションの行き違いはしかたないとして、なぜあなたは、私がおととい、昨日とメールで問い合わせたのに返事をしなかったのか?」

「いやマダムはちゃんとしている人だし。実際、食事も用意していたのだから。彼女は悪くないし、私も悪くない」と言う。

「あなたのミスじゃないというのなら、いったい誰のミスなんだ? 何で私の問い合わせを無視した? ちゃんと説明しろ」

頭にかっと血が上って強い調子で言った。すると周りにいた学校のスタッフが、「みきお、怒鳴るな。普通に話せばいいじゃないか。みんなここで仕事しているんだから」と言ってくる。これでさらに頭にきた。

「おい、ここで私が大声を出さなければ、どう解決するっていうんだ? こんな無責任で屑みたいな対応して、冷静になれ、と私に言うのか? これは信じがたい、ありえない」とさらに騒いだ。

私だって穏便にすませたい。しかしこういう局面で、愛想笑い浮かべてゆるゆるやっていては解決しない、というこれまでのフランス人との経験から得た思い込みがある。不愉快なときは本気で怒ってみせないと、彼らは絶対、動かない。担当者の女性は、怖かったからか、悔しかったからか知らないが、泣いてしまった。それを学校のスタッフがなぐさめている。私は全然後悔していない。ここで彼らに阿ってどうする? 一番の被害者で、一番弱い立場にあるのは、大金払ってこの研修に参加している学生たちではないか? 学生たちには「朝飯が出ないのはどうしてですか?」ぐらい直接聞けよ、と思わないではない。フランスではこちらが要求しないと、相手は答えてくれない。相手がこちらの気持などを察して先回りしていろいろ気を使う、というのは、まあ普通はない。言わないなら、OKなんだ、と考えるのがフランス人だ。しかしはじめてのフランスで、こうした要望を伝えることに慣れていない、しかもフランス語がつたない彼らが、こうしたことをフランス人に聞けない、というのも私はわかる。

金を払っている客にもかかわらず、しかもこの関係性のなかで一番弱い学生が理解していなかったのだからしかたないと、ここで学校のスタッフにおもねって、向こうの言うことに共感を示したら、自分こそ人間のくずだろう。Azurlinguaのスタッフは、顧客である学生の状況より、無能で無責任な自分の仲間を守ることのほうが大事なのだ。まあ、こういうのはAzurlinguaに限らず、他の局面でも経験がある。日本でもないわけではないが、フランスのほうが無能な同僚との関係性を重視するという傾向は強いと思う。

そんな感じでカンカンになって怒っていると、それを見かねた教育部門の責任者のアントニオが、「ミキオ、お前の不満はわかった。解決策としては、お前がこの家庭まで行って、学生たちが朝食をどう用意するのか、マダムがお前と学生たちの目の前で説明させるほうがいいだろう? それでいいか? おれがマダム・ダニエルにこれから電話するから」と建設的な提案をしてきた。彼とて、学校の同僚との関係は悪くしたくないのだけど、見るに見かねて私に声をかけたのだろう。フランス人は普通、自分の担当外のことには手を出そうとしないので、教育部門の責任者であるアントニオがこういったかたちで介入してくるのは、極めて例外的だと言える。フランス人はこういった場合、傍観して、知らない振りというのが通常なのだ。アントニオについては教育部門の責任者としての能力の高さとその人柄には大きな信頼を抱いていたが、ここまでやってくれるとは。私は彼の心遣いに感じ入り、彼の提案を素直に受け入れることにした。アントニオは、その後すぐ、マダムと面会の約束を取ってくれた。17時半に私が家に行くことになった。朝飯抜きの学生たちにも17時半に私が家に行くので、絶対に家にいるように伝える。

昼食は学校長のジャン=リュックと一緒に食べることになっていた。本当は火曜だったのが、管理部門の統括者のエリックと3人で食べるというので金曜に延期されたのだ。ところがエリックは仕事があるので昼食には来ないという。エリックはさっきの騒動の現場にいた。そして私と担当者のやりとりを傍観し、私には「落ち着け」と一言声をかけただけだ。たぶんこれがあったために、一緒の昼飯はキャンセルしたのだろう。エリックは面倒なことには決して向き合おうとはしない奴だ。ある種の平和主義者ともいえるが、要は狡猾な人間なのだ。

ジャン=リュックは私が来る度にこうやって昼食に招待してくれる。毎年学生を連れてくる常連客なので、彼なりに歓待しているのだと思うが、私なんかと話をして何が面白いのだろうとも毎回思う。ビジネス的な申し出をされた時もあったが、前回も今回も、本当にただの雑談だ。ジャン=リュックはフランス人にしてはおしゃべりなほうではなく、自分から話題を提供するというわけでもない。どちらかと言うとひたすら私の下手なフランス語を聞いている。Azurlinguaが昨年、アメリカの国際的語学教育企業Kaplanに買収されたので、今後のことについて彼に聞いた。ジャン=リュックは2年後か3年後に引退するが、それまではAzurlinguaのディレクターとしてとどまるとのこと。彼がいるあいだはAzurlinguaのカラーは維持されるだろう。買収によるシステムの移行でいろいろ問題があるのではないか?と聞くと、特にはぐらかした様子もなく、「いや、別に変わらない。お金の管理はKaplanがやることになったけど、スタッフは同じだし。ミキオもこれまでのようなことがあれば、Kaplanではなく、私に直接連絡してくれればそれでOKだ」とのこと。




あとは本当にとりとめのない話ばかり。ニースのおすすめのレストラン情報などを教えてもらった。連れて行ってもらったレストランは学校から歩いて5分ほどのところにある地中海料理の店だった。魚料理を食べた。ボリュームがあって、美味しかった。たぶん50ユーロぐらいはしたはずだ。もちろんジャン=リュックにおごってもらった。こんな飯を私におごって、とりとめのない話をして、彼は楽しかったのだろうか、彼にとってなんかいいことはあるのだろうか、などと考えてしまう。

食事のあと、一旦家に戻り、論文書き。それから朝飯なし家庭のもとへ向かう。家の外まで学生に迎えに来てもらった。大家と飯について話はあったか?と聞くと、大家が先生が来てから話した方がいいということで、特に話はなかったとのこと。感じのいい夫妻だった。状況について丁寧に説明してもらう。また朝食の用意のしかたについても実演してもらった。悪気があったわけではなく、単に学生たちにちゃんと伝わっていなかっただけだということはわかった。終始にこやかに和やかに、30分ぐらい家にいたと思う。アントニオがどのように伝えたのか、大家はかなり身構えて、私を迎えたような雰囲気ではあった。これで万事解決となったが、正直、私は心の底から大家の善意を信じているわけではない。私が本気でやってくるという気配を感じたからこそ、あの歓待ぶりだった可能性も高いと思っているのだ。日本でもそうだといえばそうなのだが、フランスではなおさら舐められたらアカン、という気持ちが私には強い。アジア系などはおとなしいと思われているし、実際にあいまいな愛想笑いで文句を言わないと、どんどんそれにつけ込んで、というのが刻み込まれている。私の攻撃性の7割はフランスで育まれたものだと言ってもいい。

朝飯なしの男子学生二人とぶらぶらと歩いてオペラ座へ向かう。二人ともお腹は空いていないというし、私も昼飯のボリュームがすごかったので全然お腹がすいてない。途中スーパーでポテトチップスと飲み物を買って、それを海岸沿いのベンチに座って食べて夕食代わりとした。ニースの海岸沿いの観光道路、プロムナード・デザングレは夜の風景も美しい。ニースは本当に何度来ても「なんて美しい町なんだろう!」と思う。

19時20分、オペラ座に到着。今日のオペラ座でのコンサートは、全員参加だった。シューベルトの《ロザムンデ序曲》、モーツァルト《バイオリン協奏曲5番イ短調》、休憩を挟んで、シューベルト《交響曲ホ長調》。けっこう通好みのマニアックな選曲ではないか? 私ははじめて聴く曲ばかりだった。最初に演奏された《ロザムンデ序曲》と交響曲の最終楽章は楽しんで聴いた。そのほかの部分は、別のことを考えながらぼんやり聞いていた。演奏者のよしあしは私にはわからないが、バイオリンのソリストもインパクトが弱い。ぐーっと引き込まれるような時間はなかった。まあ今日は午前中怒り狂ったからというのも大きいかもしれないが。指揮者はかなりいいんじゃないかと思ったが。



学生たちは10ユーロ、私は20ユーロの席なのに、私の席はやや中央よりであったものの、同じ五階のAmphithéâtreだったのはちょっと不満。もう少し奮発していい席を買えばよかった。

夜のイベントの帰りはいつも、女子学生たちをどのように帰せばいいのか頭を使う。今回は8組の滞在先に分かれていたが、幸い同じ方角に住んでいる人がまとまっていた。海岸通りのブルジョワ地区に住んでいる一組は、明るいプロムナード・デザングレを早歩きで帰るように行った。海岸沿いの通りには大型ホテルやカジノがあり、夜も明るいし、アウトローは娼婦ぐらいしか立っていない。娼婦も愛想がよくて危険はない。ちょっと遠くに住んでいる一組は、Uberを呼んだ。夜遅くはUberで帰宅という「お姫様」扱いしていることはちょっとはわかってほしい。ニース市街の西側に住む4組は、男二人が同じ方向なので、彼らに送らせる。あとトラム1号線に住んでいる二人は、私がトラムに同乗して送ることにした。
帰宅したら23時を過ぎていた。

2025年2月21日金曜日

ニース研修2025 2/20(木)第6日

 2025/2/20(木)第6日


家が寒い。部屋の暖房機が動作せず、動作している暖房設備は居間のエアコンだけだ。故障なのか使用中止なのかは不明だ。たぶん寒さのせいで、鼻水と咳が出ており、軽い風邪かもしれない。

午前中は家で論文を書いていたが、頭が重くてあまり進まなかった。昼前に家を出て学校へ向かう。今日の午後はモナコへの遠足だ。昼食は駅近くのケバブ屋で摂った。ニース駅周辺は小規模なエスニックエリアで、アラブ系やアフリカ系の店が点在している。ケバブ店も複数ある。客層は主にブルーカラー労働者とアラブ人・黒人女性で、白人のマダムやビジネスマンの姿を見かけることはほとんどない。帰宅後、大家のAnnickに確認したところ、彼女もケバブ店での食事習慣はないとのこと。ハラルフードを提供しているため、アラブ・イスラム系の人々が主な顧客層だという。ただし、白人でも若者はケバブを食べる。



現在の東京ではケバブ店が至るところにあるが、30年ほど前のヨーロッパへの日本人留学生たちにとって、ケバブはヨーロッパでの食の「発見」であり、安くてボリュームがあり、美味しいたため、多くの日本人の若者がケバブのファンになった。私もフランスの留学でケバブの魅力にとりつかれた一人だ。アラブ系の人が多く、競争が激しいパリのほうが、ケバブについてはニースより美味しい店が多いように感じる。

ニースからモナコまでは列車で30分弱。ニース駅に数年前から設置された自動改札機が、実に扱いづらい代物である。切符のバーコードを読み取ってゲートが開くシステムだが、かなりの頻度で読み取りに失敗する。今回も正常に作動せず、何度試してもドアが開かない。改札機横のカメラ付きインターホンも応答がなく、駅員の対応も頼りない。担当者への連絡を依頼すると「わかった」と言って電話はしてくれたものの、結局、入場までに5分ほど要した。この状況は設置当初から改善されない。フランスのダメなところだ。

モナコ公国は独立国で、バチカン市国に次いで面積が狭い。海沿いの限られた土地に建物が密集し、タックス・ヘイブンのため超富裕層しか住めない都市となっている。一方、近隣のフランス人たちがここへ働きに来る。旧市街を歩くと、パステルカラーの漆喰の壁やオレンジの屋根はコート・ダジュールの他の町と似ているが、モナコの町は清潔で、ゴミ一つ落ちていない。治安も良い。コート・ダジュール観光ではモナコは外せないスポットとされているが、私はこれまで十回以上訪れているものの、この人工的で富裕層と観光客向けに作られた町には全く魅力を感じない。「リアルな」ディズニーランドのような印象だ。



十回以上訪れているにもかかわらず、モナコ駅の出口を間違え、道に迷ってしまった。モナコ大公宮殿へ向かうのに手間取る。宮殿と旧市街は高台にあり、急勾配の坂を延々と登らなければならない。かなりの負担だ。宮殿広場からは市街を一望でき、絶景ポイントになっている。そこからモナコ大聖堂に立ち寄り、その後、モナコ海洋博物館へ。20世紀初頭のモナコ大公が海洋学者だったことから、立派な博物館が建てられた。地下は水族館になっている。





学生料金で入場しようとした際、日本の学生証であることを理由に「在学確認ができない」と難癖をつけられたが、交渉の末、認められた。私は以前に何度か訪れているため、外で学生たちを待つことにした。約40分の見学後、一行はカジノで有名なモンテカルロ地区へ移動。Google マップによれば徒歩30分の行程だが、一度港まで下りてから、かなりの上り坂を20分ほど歩く必要があった。連日の徒歩による疲労が蓄積しており、到着時には相当な疲れを感じた。モンテカルロではカジノホールの見学のみで、17時21分の列車でニースに戻った。



夕食はパスタのマサラソース。インド好きのAnnickのオリジナルレシピだ。彼女はインドを7回訪れており、一般的にスパイシーな料理を苦手とするフランス人とは異なり、インド滞在を通じてスパイスや辛味への愛好家となったという。デザートのクレープも美味であった。

朝食を提供しない家庭の問題は未解決のままだ。昨夜学校にメールを送ったが返信がなく、午後3時過ぎに催促のメールを送信した。都合の悪い事案への対応を避けるのはフランス人に限らないが、ビジネスでもこうした無責任な対応をするのがフランスっぽい。私は明日、学校に行くので、そのときに対面でクレームを入れる。こういうフランスのルーズさに対応するが本当に面倒くさくて、むかつく。まあ、いつものことなんだが。解決が見られない場合は、家庭の変更を検討する必要があるだろう。

2025年2月20日木曜日

ニース研修2025春 2025/2/19 第4日

2025/2/19(水)第5日
曇りで風が強く、寒い一日だった。風邪気味だった学生は大分回復し、今日は授業に出席するとのこと。私は午前中、自宅で論文の準備をしていた。材料はあるものの切り口が見つからず、本当に書き終えることができるのだろうかと憂鬱な気持ちになる。
午後のイベントは、ニースカーニバルの花合戦だ。有料イベントで、希望していた椅子席は既に売り切れ、立ち見席(14ユーロ)しか残っていなかった。16人の学生のうち13人が見物に参加し、残りの3人は本屋と美術館巡りを選んだ。
学校の授業が終わる正午ごろ、チケットを購入して学校に到着。昼食は、トラム1号線Libération駅近くのSocca'Tramへ。Google mapで評判の良いソッカの店だ。学生4人と一緒に訪れた。持ち帰りの客も多い軽食堂で、店での食事は路上の簡易テラスになる。寒い日だったのでテラスでの飯は避けたかったのだが、しかたない。着いた時は混んでいたが、幸い5人分の席がすぐに空いた。




ニースの名物スナック、ソッカを前菜として全員でシェア。塩加減が絶妙だった。メインは、アンチョビのピザ、牛肉のドーブ(赤ワイン煮)ソースのニョッキ(楕円形のもちもちパスタ)、ファルシ(挽肉を詰めて焼いた野菜料理)、ラビオリ入りラザニアを分け合った。寒く窮屈な場所での食事だったが、地元の庶民的な店で本場のニース料理を味わえて大満足だった。普段はピザをあまり好まないが、このアンチョビ・ピザは格別だった。
14時半開始の花合戦には14時45分頃に到着。パレードの後方しか空いておらず視界も悪かった。寒さと立ち続けることの疲れで、私は結局スマホを見て過ごす時間が長くなってしまった。正直なところ、何度も見ているニースのカーニバルの公式プログラム(花合戦と電飾行列)にはそれほど魅力を感じない。




ニースのカーニバルは19世紀末、2月の避寒客(イギリス人やロシア人観光客)向けに、中世からの伝統行事を観光スペクタクル化したものだ。ミモザの花を「カーニバルのプリンセス」が観客に投げる花合戦や、山車に乗せた頭でっかちの巨大でグロテスクな人形など、土着的な伝統は今も残っている。有料化された時期は定かではないが、それにより完全な観光イベント化が進んだ。ただし最終日(2月末か3月初めの日曜)の、カーニバルの王と女王を海上で燃やすフィナーレは今でも無料だ。これまでの研修では日曜が帰国日だったため見られなかったが、今年は私は月曜まで滞在するので、初めてフィナーレを見ることができそうだ。
午後4時過ぎに花合戦を後にし、希望者とともにニース随一の伝統を誇る高級ホテル、ネグレスコでお茶を楽しむことにした。大サロンの見学ツアーも予定していたが、16人全員での訪問は控えめにして、最終的に9名の学生が参加した。
ネグレスコ・ホテルのカフェと大サロンは、私がニース研修で学生たちに最も見せたい場所の一つだ。1913年開館のこのホテルは、ベル・エポック期のブルジョワ趣味の精髄といえる。大サロンの周囲にはニキ・ド・サンファルなど一流アーティストの作品が展示され、美術館のような趣がある。何より魅力的なのは、大サロンの贅沢で優雅な空間設計だ。これは、世界中の上流階級や芸術家が集まったニースならではのものだろう。





現在のカフェは旧小サロンを改装したもので、以前のカフェはバーとして営業している。20分ほど待って席に案内された。コーヒー一杯10ユーロと高額だが、大サロン見学込みと考えれば納得できる。初訪問時、ドアマンに「clientでないと大サロンは見学できない」と言われたが、カフェの客もclientだと説明して入館できた思い出がある。
帰宅前に、男子学生二人の滞在先で朝食が提供されていないという問題を聞いた。二食付き(demi-pension)の契約なので、学校に連絡して対応を依頼することにした。
その後、ネグレスコで1時間ほど過ごしてから帰宅の途についた。 

2025年2月19日水曜日

ニース研修2025春 02/18(火) 第4日

 2025/02/18(火) 第4日

七時間ほど眠った。学生の一人から、「寒気がして喉が痛いので、今日は学校を休む」との連絡が入る。寒気と喉の痛みがあるなら発熱もあるだろうと思ったが、平熱だという。とりあえず葛根湯と大家からもらったのどシロップでしのぐと言う。昼頃、LINEが入ったときには「だいぶ楽になった」とのこと。一応、彼女と同室の学生には、イブプロフェン配合の総合感冒薬を学校で渡した。体調が悪い学生には、「もし夜になっても喉が痛くてつらいようなら飲むように」と伝えた。
昨日はレベル判定のためのテストだけだったので、今日から本格的に授業が始まる。しかし私は午前中は家にいることにした。月末締切の論文が2本あるのに、まだ手をつけていないのだ。昨年の夏、科研費の申請書を執筆してヘロヘロになったとき、「自分はマルチタスクが基本的にできない人間なのだ」と五七歳にしてようやく自覚した(それまではマルチタスクが可能だと思っていた)。だが、マルチタスクを今回は避けられない。せめて午前中は集中して論文に取り組まなければ、完成しそうにない。3月末には事典項目の執筆が2本あるため、これ以上先送りにはできない。ヘロヘロになって書き上げた科研費の採択結果は、今月末に発表される。
ちょうど授業が終わる頃、学校へ向かった。学生たちは、それぞれフランス語での授業を楽しんだ様子だった。昨夜引っ越しをした学生は、「同じ家に同年代のイタリア人女性が5人いて、食事のときにはフランス語・英語・イタリア語のチャンポンで会話が弾んだ」と言う。こちらの学生の一人が、イタリア語を一年半ほど学んでいたことも思いがけず役に立ったらしい。ニースにいる日本人がイタリア語を話すとは思っていなかっただろうから、向こうもかなり喜んだのではないか。
昼はAzurlinguaの校長・Jean-Lucと食事に行く予定だった。昨日の昼、学校で会ったときにそう言われたのだ。しかし、Jean-Lucの片腕であるエリックも交えて三人で行こうということになり、食事は金曜に延期された。エリックとは、2014年に初めてこの学校に学生を連れてきたときからの付き合いだ。校長のJean-Luc以外で、当時から変わらずAzurlinguaにいるのは、エリックと教育部門責任者のアントニオだけである。エリックは学校の管理部門を統括しており、私とほぼ同年代。最初の数年間は友達のように親しく付き合い、Facebookでもつながっているが、長く付き合ううちに、彼がなかなか一筋縄ではいかない人物だとわかってきた。エリックを交えた三人での食事となると、単なる楽しい会食では済まない予感がする。「何かあるだろうな」と。
昼は学生たちがそれぞれ食べに出たため、一人飯になってしまった。今日はかなり寒かったので、ケバブを買って学校の中庭で食べるのは避けたい。ニースの山側から海側までまっすぐ伸びるガンベッタ通りの線路を越えた北側には、安いレストランが並んでいる。この通りには、何度か行ったクスクス・レストランもあるが、3月にモロッコへ行けば一週間クスクスとタジン漬けになりそうなので、入るのをやめた。そのクスクス・レストランから50メートルほど行ったところに、カフェというかビストロというか、フランス版の大衆食堂のような店があった。中を覗くと、一人で寂しそうに食べている老人男性客が2組ほどいる。フランスでは、一人飯はファストフード以外ではなかなかハードルが高いが、ここなら問題なさそうだったので入店。



レストランというよりは「飯屋」といった感じの店で、今日の昼定食は、鶏肉(ささみのような脂の少ないパサパサの部位)の薄切りカツに、トマトソースのパスタを添えたものだった。15ユーロほど。味付けは薄く、全然おいしくはなかったが、店の雰囲気はよかった。近所の常連が利用する店で、カウンターには初老の愛想のいいマスター、フロアには若い黒人女性が一人。彼女も感じがよく、リラックスして働いているのが見ていてわかる。狭い店内で、私の隣の二人席には、近所に住んでいると思われる老夫妻がいて、私と同じ昼定食を食べていた。椅子一つ分をコート置き場として共有したこともあり、何気なく言葉を交わす。気さくでオープンな雰囲気がいかにも南仏ニースの下町らしく、料理はおいしくなかったが、居心地のいい店だった。
午後は、ニースから列車で10分ほどの小さな港町、ヴィルフランシュ=シュール=メールへ学生を連れて行った。細長い旧市街が海沿いに広がり、トンネル状の路地が特徴的な町だ。16世紀に建造された要塞から町を見下ろすことができる。観光地としてはそれほど知られていないが、その独特の景観美ゆえに私はこの町が好きだ。第二次世界大戦前期には、多くのユダヤ人芸術家がドイツの迫害を逃れ、この地にやってきた。ヴィシー政権は親ナチスではあったが、ドイツほどユダヤ人を迫害しなかった。しかし1942年以降はドイツが支配するようになり、多くのユダヤ人芸術家が収容所送りとなった。そのうちの一人が、女性画家のシャルロッテ・サロモンである。彼女の回顧展を7、8年前にニースのマセナ美術館で見て、大きな感銘を受けた。



ヴィルフランシュ=シュール=メールでは、町を2時間ほどかけて散策。駅から5分ほどの旧市街を歩き、海沿いの道を回って要塞に登り、また旧市街へ戻る。要塞近くの小さな広場では、老人たち(男性ばかり)がペタンクをしていた。フランスのローカルスポーツで、教科書にはよく載っているが、学生たちは知らなかった。見学していると、彼らもこちらに興味を持ち、話しかけてくる。こうした人懐っこさは南仏らしい。プレイヤーの一人は97歳だとのこと。老人たちのプレイに、学生たちが拍手すると、大喜びしていた。
16時前にニースへ戻る。

2025年2月18日火曜日

ニース研修2025春 2025/02/17(月)第3日

 2025/02/17(月)第3日

7時間ぐらい寝た。今日が授業初日で学生のレベルを見るテストがある。早めに学校に行っておくつもりだったが、朝食用のコーヒーを作る際にマシンの操作を誤り、床をコーヒーだらけにしてしまった。その始末をしているうちに家を出るのが遅れてしまった。
学生たちは筆記テストとオーラルテストを受けた。今日はテストだけで終わり、授業は明日からだ。私の見立てではB1-2レベルの学生が2、3名、A2が同じく2、3名、残りはA1と思っていたが、学校のスタッフの評価では、A2-B1レベルで上のクラスが適すると判断された学生は2名だけで、残りは全員A1の同じクラスという判断だった。興味深いことに、スタッフがレベルが上と判断した学生は、どちらも私の印象では授業であまり目立たない無口な学生だった。
最初に気になったのは、学生のステイ先の変更である。担当者に「私の要求はちゃんと伝わっているか? ベッド2台でペットのいない家庭じゃないと困る。今日の夕方にステイ先の移動を行わなければならない」と伝えると、「カップルだと聞いていたから」との返答。全く悪気がないというか、ミスを反省する様子もない。「カップルと私が指定したことなどあり得ない。もう新しい受入家庭は決まっているのか?」と強めの調子で尋ねると、「まだ決まっていない。これから探す」という返事だった。
「ベッド2台、女性二人、ペットなしの家庭だが、いつ新しい受け入れ先がわかる?」と聞くと、「午前中には決まるから安心して」と言う。 「午前中というのは何時? 何時になったら確定する?」とさらに追及すると「正午にまた来てくれ。そのときには決まっているはずだから」との返答。ここまで念押ししても、安心できない。担当者は数年前からAzurlinguaで働いている女性だった。朗らかで感じのいい人ではあるが、仕事が粗い。ただし、仕事が粗いのは彼女だけではない。ビジネスにおいてもこういう緩さを互いに許容しているのは、フランス社会の特徴とも言えるのではないだろうか。誰が見てもこの仕事に適性のない人がなぜこんな仕事を担当しているのだ、と思うことは日本でもフランスでもちょくちょくあるが、フランスのほうがはるかに多いように感じる。ある意味、人間の不完全さに対して寛容な社会とも言えるだろう。
午前10時に学校から歩いて15分ほどのところにあるアップルの正規代理店に、MacBookAirの修理のための予約を入れていた。10時が開店時間だった。担当者は寡黙な人物だったが、すぐに原因を特定し対処してくれた。MacBookAirの内蔵バッテリーやシステムの問題ではなく、ホストファミリー宅の電力供給が不安定だったためにバッテリー充電が行われなかったとのこと。15分ほど待って返却された私のMacBookAirは正常に動作していた。なんという的確な判断、迅速な対応だろう。日本のApple Store並ではないか! しかも無料だという。まさかフランスでこのようなサービスを受けられるとは。アップルは偉大だ。Macでよかったと思った。 正午前に事務所を再訪し、学生の引っ越しについて確認した。ベッド2台、ペットなしの家庭は見つかったものの、二人の女子学生なのに、一人がまだ「Monsieur」と記載されている。それを指摘すると、単なる書き間違えで、先方もそれは承知していると言う。「本当にベッド2台なのか?」とさらに念を押した。学生の引っ越しの時間と手順はどうなるのかと尋ねると、それは別の担当者の仕事なのでわからない、その担当者の仕事は自分では決められないという。移送担当者は何時に学校に来るのかと聞くと、2時には来るはずだと言う。それなら移送担当者が来次第、私に連絡するよう伝えてくれと依頼した。随分うるさい客だと思われたかもしれないが、これくらいしないとうまくいかない可能性があるのだから仕方ない。幸い移送担当者は私が学校の中庭でケバブを食べているときに来校したので、その場で学生の引っ越しの時間と手順を確認できた。


昼食は近くのケバブ屋でテイクアウト。飲み物とポテト付きで8ユーロだった。10ユーロ札で支払うと、おつりを10サンチームと20サンチーム硬貨で返してきた。「こんな小銭はいらない。1ユーロか2ユーロ硬貨で釣りをくれ」と言うと、「サンチーム硬貨しかないんだ」と返答。レジを見るとたしかに1ユーロ硬貨、2ユーロ硬貨は見当たらない。しかしこのような小銭のおつりは気分がよくない。ケバブはそこそこ美味しく、ボリュームもあったが、この店では二度と買わないと思った。

午後はニース旧市街と、それを見下ろす城山への遠足を実施。まずFNACでUSB Type-Cケーブルを購入。Macの代理店でも販売していたが2メートルで40ユーロ近くしたので、FNACなら非純正品がもっと安く買えると考えたのだ。しかしFNACの非純正品も、たかがケーブルなのに高価で、2メートルで30ユーロ弱だった。

FNACのあとマセナ広場、それからオリーブ製品の老舗アルジアリ、オペラ座、オペラ座前の老舗菓子店AUERを紹介し、サレヤ通りで開催されている古物雑貨市を冷やかしてから、I LOVE NICEのモニュメントのある岬の端まで足を延ばした。かなり歩いたので疲れた。



その後エレベーターで城山に登り、眺望を楽しんだ。本来なら少し遅い時間、夕暮れ時がもっともピトレスクで素晴らしいのだが。


かなりの距離を歩いて疲れていたが、引っ越しする学生には付き添うことにした。しかしスーツケースが置いてある滞在先のバス停を間違え、15分ほど余分に歩くことになった。疲れたが結果的には付き添ってよかった。引き払う家の大家は、自分たちは悪くない、学校の責任だということを繰り返し強調していた。おそらくその通りだろう。しかしあの狭いダブルベッドに二人の学生を受け入れようとした大家もたいがいだな、と思いつつも、「確かに学校の担当者の仕事はひどいですね」と同調しておいた。昨日の電話では素っ気ない態度だったのに、対面すると様子が変わる。このような欺瞞的なやりとりは一種の「仕事」と割り切ってはいても、何とも言えない気分になる。まもなく学校の送迎担当者から連絡が入り、旧ファミリー宅を後にした。

新しい家は一戸建てで、対応してくれたマダムは30代くらい。5歳と7歳の子供がいた。古い一軒家で、1階は家族のスペース、2階がホームステイ用のスペースで3部屋と台所、シャワー室が2つあった。テラスもあったが、学生の居室は狭く、折りたたみ式のベッドが2台設置されていた。他の2部屋にはイタリア人女子学生が2名と3名、滞在しているとのこと。マダムは感じが良く、やや早口で話好きな様子。市役所勤務で、パートナーは運送業だという。学生二人の新しい滞在先から自分の滞在先に戻ったのは19時半頃だった。かなり長く歩いたので疲れた。お腹も空いた。
夕食は野菜のスープと、アルザス料理の薄焼きピザのようなもの、それにソーセージが添えられていた。野菜のスープにはかぼちゃの種のオイルを薬味として垂らす。スープが一番美味しかった。