2025/02/21(金)第7日
いろいろあった日だった。朝食が出ない家庭に滞在している学生に、「今朝はどうだった?」とLINEで聞くと、やはり出なかったとのこと。学校には一昨日メールで状況を説明し、対処を求め、それに対し返信がないので、昨日午後にも「どうなっているんだ?」とメールを出している。午前中に学校の事務所に行ってこの件について話をしなくてはならない。学生一人から倦怠感がひどくて、学校の授業を途中で抜けるという連絡が入る。数日前にも体調不良を訴えていた学生だったので心配になる。病院に連れて行くとすれば今日か、明日か、どっちにしようと考える。結局、今日は様子見することに。夕方まで休んだら元気を回復したとのこと。昨日のモナコの坂道歩きがきつかったかなあ。私もバテた。私より若い学生たちは大丈夫だろうと思ったが、案外そうではないかも、などと考える。
今日は夜にオペラ座にクラシックのコンサートを聞きに行くことになっていた。チケットは1ヶ月前に既に予約している。ニース・オペラ座のチケットは比較的取りやすいのだが、このコンサートは満席だった。学生は10ユーロの自由席、私は20ユーロの席。学生席は劇場窓口で引き取りとしていた。学校に行く途中にオペラ座のチケット売り場に行き、チケットを引き取る。「日本人か?」と聞かれ、「そうだよ」と答えると、日本語で「ありがとうございます」と返ってきた。フランスではサービス業全般に労働者のモラルが低く、不愉快な目に合うことがちょくちょくあるのだけど、私の経験では劇場スタッフで感じがよくない人には会ったことがない。あと薬局の店員も親切だ。先日行ったAppleの正規代理店のスタッフも感じがよくて、しかも有能だった。これ以外については、まあ場所と人によりけりで、親切かつ有能な人にあたることもあれば、日本では考えられないほど無責任、無能、無愛想なやつに遭遇することもある。
学校に到着するとまず事務室に行って、ホストファミリーの担当者を呼び出す。愛想のよい中年女性だが、彼女は今回、いい加減な伝達でベッド一台に学生二人を割り当てる指示を行った。朝食が出ない家庭の問題について、「私のメールは読んだのか?一昨日にメールを出して、返事がないので、昨日午後に出した。それにも返事がない。学生には今日も朝食が出なかった」というと、「その家のマダム・ダニエルはとてもいい人でいままでそんな問題を起こしたことは一回もない。朝食はちゃんと用意していたのに、学生が食べなかっただけではないか?」と言う。
「マダム・ダニエルに電話して状況は確認したのか?」と言うと、「確認した」という。「それじゃあ、いつ電話した? 昨日か? 学生は今日も朝飯がなかったと言っている。今日、電話したのか? 私がここに来る前に電話して状況を確認したのか?」と重ねて聞いた。「いや、マダムはとても立派でいい人だから。朝食を出さないなんてありえないから」と言う。「今すぐ、ここで電話して確認してくれ」と言うと渋々という感じで電話をかけた。電話で確認などしていないのだ。
電話した結果、朝食は毎朝、テーブルに用意して、自由に飲み物やパンなどを取ってくれればいいという風にしていた、学生たちにもそう説明している、とのこと。
「ほら、だからマダムは悪くない。学生たちが理解していなかったからしかたない。彼女はちゃんと朝食は用意していたんだから。そして私も悪くない」と担当者は言う。
「そういう行き違いは十分にあり得ることだ。ただ学生たちは、その指示が理解できていなかったため、日曜から今日まで朝食を取れていない。マダムにもう一度、学生たちに朝食の取り方を説明するように伝えてくれ。そのコミュニケーションの行き違いはしかたないとして、なぜあなたは、私がおととい、昨日とメールで問い合わせたのに返事をしなかったのか?」
「いやマダムはちゃんとしている人だし。実際、食事も用意していたのだから。彼女は悪くないし、私も悪くない」と言う。
「あなたのミスじゃないというのなら、いったい誰のミスなんだ? 何で私の問い合わせを無視した? ちゃんと説明しろ」
頭にかっと血が上って強い調子で言った。すると周りにいた学校のスタッフが、「みきお、怒鳴るな。普通に話せばいいじゃないか。みんなここで仕事しているんだから」と言ってくる。これでさらに頭にきた。
「おい、ここで私が大声を出さなければ、どう解決するっていうんだ? こんな無責任で屑みたいな対応して、冷静になれ、と私に言うのか? これは信じがたい、ありえない」とさらに騒いだ。
私だって穏便にすませたい。しかしこういう局面で、愛想笑い浮かべてゆるゆるやっていては解決しない、というこれまでのフランス人との経験から得た思い込みがある。不愉快なときは本気で怒ってみせないと、彼らは絶対、動かない。担当者の女性は、怖かったからか、悔しかったからか知らないが、泣いてしまった。それを学校のスタッフがなぐさめている。私は全然後悔していない。ここで彼らに阿ってどうする? 一番の被害者で、一番弱い立場にあるのは、大金払ってこの研修に参加している学生たちではないか? 学生たちには「朝飯が出ないのはどうしてですか?」ぐらい直接聞けよ、と思わないではない。フランスではこちらが要求しないと、相手は答えてくれない。相手がこちらの気持などを察して先回りしていろいろ気を使う、というのは、まあ普通はない。言わないなら、OKなんだ、と考えるのがフランス人だ。しかしはじめてのフランスで、こうした要望を伝えることに慣れていない、しかもフランス語がつたない彼らが、こうしたことをフランス人に聞けない、というのも私はわかる。
金を払っている客にもかかわらず、しかもこの関係性のなかで一番弱い学生が理解していなかったのだからしかたないと、ここで学校のスタッフにおもねって、向こうの言うことに共感を示したら、自分こそ人間のくずだろう。Azurlinguaのスタッフは、顧客である学生の状況より、無能で無責任な自分の仲間を守ることのほうが大事なのだ。まあ、こういうのはAzurlinguaに限らず、他の局面でも経験がある。日本でもないわけではないが、フランスのほうが無能な同僚との関係性を重視するという傾向は強いと思う。
そんな感じでカンカンになって怒っていると、それを見かねた教育部門の責任者のアントニオが、「ミキオ、お前の不満はわかった。解決策としては、お前がこの家庭まで行って、学生たちが朝食をどう用意するのか、マダムがお前と学生たちの目の前で説明させるほうがいいだろう? それでいいか? おれがマダム・ダニエルにこれから電話するから」と建設的な提案をしてきた。彼とて、学校の同僚との関係は悪くしたくないのだけど、見るに見かねて私に声をかけたのだろう。フランス人は普通、自分の担当外のことには手を出そうとしないので、教育部門の責任者であるアントニオがこういったかたちで介入してくるのは、極めて例外的だと言える。フランス人はこういった場合、傍観して、知らない振りというのが通常なのだ。アントニオについては教育部門の責任者としての能力の高さとその人柄には大きな信頼を抱いていたが、ここまでやってくれるとは。私は彼の心遣いに感じ入り、彼の提案を素直に受け入れることにした。アントニオは、その後すぐ、マダムと面会の約束を取ってくれた。17時半に私が家に行くことになった。朝飯抜きの学生たちにも17時半に私が家に行くので、絶対に家にいるように伝える。
昼食は学校長のジャン=リュックと一緒に食べることになっていた。本当は火曜だったのが、管理部門の統括者のエリックと3人で食べるというので金曜に延期されたのだ。ところがエリックは仕事があるので昼食には来ないという。エリックはさっきの騒動の現場にいた。そして私と担当者のやりとりを傍観し、私には「落ち着け」と一言声をかけただけだ。たぶんこれがあったために、一緒の昼飯はキャンセルしたのだろう。エリックは面倒なことには決して向き合おうとはしない奴だ。ある種の平和主義者ともいえるが、要は狡猾な人間なのだ。
ジャン=リュックは私が来る度にこうやって昼食に招待してくれる。毎年学生を連れてくる常連客なので、彼なりに歓待しているのだと思うが、私なんかと話をして何が面白いのだろうとも毎回思う。ビジネス的な申し出をされた時もあったが、前回も今回も、本当にただの雑談だ。ジャン=リュックはフランス人にしてはおしゃべりなほうではなく、自分から話題を提供するというわけでもない。どちらかと言うとひたすら私の下手なフランス語を聞いている。Azurlinguaが昨年、アメリカの国際的語学教育企業Kaplanに買収されたので、今後のことについて彼に聞いた。ジャン=リュックは2年後か3年後に引退するが、それまではAzurlinguaのディレクターとしてとどまるとのこと。彼がいるあいだはAzurlinguaのカラーは維持されるだろう。買収によるシステムの移行でいろいろ問題があるのではないか?と聞くと、特にはぐらかした様子もなく、「いや、別に変わらない。お金の管理はKaplanがやることになったけど、スタッフは同じだし。ミキオもこれまでのようなことがあれば、Kaplanではなく、私に直接連絡してくれればそれでOKだ」とのこと。
あとは本当にとりとめのない話ばかり。ニースのおすすめのレストラン情報などを教えてもらった。連れて行ってもらったレストランは学校から歩いて5分ほどのところにある地中海料理の店だった。魚料理を食べた。ボリュームがあって、美味しかった。たぶん50ユーロぐらいはしたはずだ。もちろんジャン=リュックにおごってもらった。こんな飯を私におごって、とりとめのない話をして、彼は楽しかったのだろうか、彼にとってなんかいいことはあるのだろうか、などと考えてしまう。
食事のあと、一旦家に戻り、論文書き。それから朝飯なし家庭のもとへ向かう。家の外まで学生に迎えに来てもらった。大家と飯について話はあったか?と聞くと、大家が先生が来てから話した方がいいということで、特に話はなかったとのこと。感じのいい夫妻だった。状況について丁寧に説明してもらう。また朝食の用意のしかたについても実演してもらった。悪気があったわけではなく、単に学生たちにちゃんと伝わっていなかっただけだということはわかった。終始にこやかに和やかに、30分ぐらい家にいたと思う。アントニオがどのように伝えたのか、大家はかなり身構えて、私を迎えたような雰囲気ではあった。これで万事解決となったが、正直、私は心の底から大家の善意を信じているわけではない。私が本気でやってくるという気配を感じたからこそ、あの歓待ぶりだった可能性も高いと思っているのだ。日本でもそうだといえばそうなのだが、フランスではなおさら舐められたらアカン、という気持ちが私には強い。アジア系などはおとなしいと思われているし、実際にあいまいな愛想笑いで文句を言わないと、どんどんそれにつけ込んで、というのが刻み込まれている。私の攻撃性の7割はフランスで育まれたものだと言ってもいい。
朝飯なしの男子学生二人とぶらぶらと歩いてオペラ座へ向かう。二人ともお腹は空いていないというし、私も昼飯のボリュームがすごかったので全然お腹がすいてない。途中スーパーでポテトチップスと飲み物を買って、それを海岸沿いのベンチに座って食べて夕食代わりとした。ニースの海岸沿いの観光道路、プロムナード・デザングレは夜の風景も美しい。ニースは本当に何度来ても「なんて美しい町なんだろう!」と思う。
19時20分、オペラ座に到着。今日のオペラ座でのコンサートは、全員参加だった。シューベルトの《ロザムンデ序曲》、モーツァルト《バイオリン協奏曲5番イ短調》、休憩を挟んで、シューベルト《交響曲ホ長調》。けっこう通好みのマニアックな選曲ではないか? 私ははじめて聴く曲ばかりだった。最初に演奏された《ロザムンデ序曲》と交響曲の最終楽章は楽しんで聴いた。そのほかの部分は、別のことを考えながらぼんやり聞いていた。演奏者のよしあしは私にはわからないが、バイオリンのソリストもインパクトが弱い。ぐーっと引き込まれるような時間はなかった。まあ今日は午前中怒り狂ったからというのも大きいかもしれないが。指揮者はかなりいいんじゃないかと思ったが。
学生たちは10ユーロ、私は20ユーロの席なのに、私の席はやや中央よりであったものの、同じ五階のAmphithéâtreだったのはちょっと不満。もう少し奮発していい席を買えばよかった。
夜のイベントの帰りはいつも、女子学生たちをどのように帰せばいいのか頭を使う。今回は8組の滞在先に分かれていたが、幸い同じ方角に住んでいる人がまとまっていた。海岸通りのブルジョワ地区に住んでいる一組は、明るいプロムナード・デザングレを早歩きで帰るように行った。海岸沿いの通りには大型ホテルやカジノがあり、夜も明るいし、アウトローは娼婦ぐらいしか立っていない。娼婦も愛想がよくて危険はない。ちょっと遠くに住んでいる一組は、Uberを呼んだ。夜遅くはUberで帰宅という「お姫様」扱いしていることはちょっとはわかってほしい。ニース市街の西側に住む4組は、男二人が同じ方向なので、彼らに送らせる。あとトラム1号線に住んでいる二人は、私がトラムに同乗して送ることにした。
帰宅したら23時を過ぎていた。
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