2025/02/16 第2日
7時間ほど眠れた。変な夢を見たが、内容は忘れてしまった。Macの故障が気がかりだったが、FacebookでニースのApple Storeに行くことを勧めてくれた人がいた。そういう手があったか。ウェブサイトで確認すると、月曜日の10時にApple Storeで予約が取れた。修理で済めば、それに越したことはない。AppleCareの保証は切れているが、新しいChromebookを買うよりは安く済むだろう。
もう一つ気がかりだったのは、昨日の学生たちの引っ越し問題だ。今日はカンヌへの遠足の日だったが、例の学生たちは大家に車で駅まで送ってもらったらしい。話を聞くと、昨夜の出来事があったにもかかわらず、大家とは楽しく食事をし、打ち解けたようだ。そして、「1人がソファベッド、もう1人が部屋のベッドに寝るなら、このまま滞在してもいい」と言う。ホテルに移るのは望んでいないようだった。学生本人の意向を尊重すべきだが、果たしてこの大家に2人を預けていいものか迷う。すでに学校には引っ越しを依頼しているが、担当者からの返信はまだない。とはいえ、今晩は昨夜と同じように1人は部屋のベッド、もう1人はソファベッドに寝るということで、ひとまずこの家に滞在させることにした。
9時32分の列車でニースを出発し、10時過ぎにカンヌに到着。カンヌには、Azurlinguaの遠足で何度も来ている。駅を出て右手の旧市街を歩き、まずマルシェを見学。マルシェが工事中で、通常の半分ほどのスペースしかなかったため、少し物足りなく感じた。日曜日だったので、旧市街の店も半分ほどが閉まっていた。マルシェはさっと通り抜け、奥の路地を進んで階段を上り、ノートルダム・ド・レスペランス教会へ。ここからはカンヌ旧市街を一望できる。15分ほど滞在した後、再び下へ降りた。
昼食はサント・マグリット島でピクニックを予定していたため、学生たちに昼食を買うよう指示。多くの学生はマルシェで食材を調達したようだ。私はマルシェ横の惣菜屋でニース風トマトのファルシ、鶏肉のクリーム煮、チキンウィングを購入。これで15ユーロ。正直、高いと感じたが仕方ない。
昼食を調達後、サント・マグリット島行きの船乗り場へ。正午発の船に乗る。カンヌからサント・マグリット島までは約15分。島に着いた後、10分ほど歩き、城砦と鉄仮面博物館へ向かった。学生と引率者は無料だったのはありがたい。鉄仮面が収容されていた牢獄がある博物館は間もなく昼休みに入るとのことだったので、先に見学。展示内容は、17世紀の牢獄跡や、島周辺の沈没船から発掘された土器など。30分もあれば見て回れる規模だった。
この間に昨夜の大家と電話で話す。大家曰く、「ずっとソファベッドに学生を寝かせるわけにはいかない。学校にクレームを入れるつもりだ」とのこと。私は「今晩一晩はソファベッドを使わせてほしい」と頼み、渋々ながら了承を得た。ただ、昨夜とは打って変わって冷たい対応だった。正直、かなり不快ではあったが、方針が明確になったことで少し安心した。その後、学校の担当者からも電話があり、月曜日に新しい滞在先を決定し、夕方には移動できるとのこと。これで引っ越し問題の目処が立ち、少し気分が軽くなった。
カンヌ行きの船は15時15分発。それまで学生たちには自由行動を許可。私は鉄仮面博物館よりも、周辺の19世紀の兵舎が並ぶ風景のほうが好きなので、その辺りで時間を過ごした。
15時15分の船でカンヌに戻る。映画祭の会場を訪れ、レッドカーペットで写真を撮るなどした後、17時過ぎの列車でニースへ。列車は、私が1990年代に乗ったことのあるコンパートメントタイプの古い車両だった。最近、フランスでは寝台列車復活の兆しがあると聞くが、それにしてもこんな旧型車両をいまだに運行しているのはなぜだろうと思った。
18時前にニース駅に到着し、解散。夜は、明日引っ越しをする学生2人と夕食を共にした。通常、学生の食事代は負担しないが、今回は迷惑をかけたことへのお詫びとしてご馳走することに。何が食べたいか聞くと「ブイヤベースが食べたい」とのこと。ブイヤベースは高額な料理だ。私は食べたことがなく、「高すぎるなあ」と一度は断ったが、せっかくの機会なので試してみたくなった。
海岸で夕暮れを眺めながらGoogleマップでブイヤベースの店を検索。やはり高い。しかも予約なしで飛び込みで入れるような店でブイヤベースを頼むのも気が引ける。結局、18時半頃にプロムナード・デ・ザングレ沿いの観光客向けレストランに入る。私はムール貝のワイン蒸しを注文。フランスでは定番の庶民的メニューだ。学生たちは2人でタイのグリルを注文。料理の味は予想どおり平凡だったが、店員の対応は悪くなかった。
食事をしながら学生2人といろいろ話ができたのは良かった。普段、大学では学生とじっくり話す機会は少ない。こうして話せるのは、ニース研修のときぐらいだ。
食後、学生たちはUberで帰宅させた。バスの乗り継ぎだと遠く、少し心配だったので。私はトラムで帰ったが、カーニバルのため本数が減っていて、帰宅は22時頃に。
たった2日目なのに、すでにいろいろあったような気がする。明日から学校で授業が始まる。いよいよ本番だ。
2025/02/15 第1日
2月14日(金)22時20分、成田空港発ドバイ行きのエミレーツ航空に搭乗。ニース行きには、2019年にトルコ航空を使った以外、毎回エミレーツ航空を利用している。理由はいくつかある。まず、団体航空券で搭乗者氏名なしで座席を確保できる航空会社が限られていること。次に、この時期のニース行きはエミレーツが比較的安いこと。エールフランスなどヨーロッパ系の航空会社を使えば南回りより3時間ほど短縮できるが、その分料金が高くなる。さらに、エミレーツより安い航空会社は乗り継ぎ時間が長くなる。
エミレーツを選ぶ理由は他にもある。乗員の対応が良く、機内エンターテイメントが充実している。機内もきれいで、ドバイ空港は活気があり、安全そうだ。成田からドバイまで11時間、ドバイからニースまで7時間。待ち時間を含めると合計20時間の長旅になるが、ロシア上空を飛べなくなった今、北回りでも17時間ほどかかるので、大きな差はない。
ドバイまでの11時間、うとうとしながら6時間ほど眠れた。映画を観る気力はなかった。ドバイからニースまでは7時間。ここでは久々に映画を一本観た。2003年のイギリスのコメディ映画『Hot Fuzz』。公開時に観て大好きだった作品で、改めて観ても面白い。イギリスらしい風刺の効いたブラックコメディで、過剰なまでにカリカチュアされた閉鎖社会が描かれている。郷土愛が歪み、都合の悪いことはなかったことにされるという設定は、悪夢的でありながら現実世界でも見られる話だ。
本来の座席は中央ブロックの通路側だったが、私のせいで分断されたカップルがいたので、彼らと席を交換。移動した先は窓側ブロックの通路側で、隣にはウクライナ人女性二人組が座っていた。彼女たちはドバイの観光関連企業に勤めており、出張でニースとパリに行くという。つたない英語での会話だったが、iPhoneの充電コードを貸したことをきっかけに話が弾んだ。7時間のフライトは、映画一本とおしゃべりのおかげでそれほど長く感じなかった。
ニース空港到着後、飛行機が停止すると、周囲の乗客が荷物を降ろし始めたので、私も荷物を下ろそうとした。すると、前の通路側に座っていた白人の老人男性が英語で「ベルト着用サインがついているのが見えないのか?座れ」と言ってきた。「周りが見えないのか?皆荷物を下ろしているのに、なぜ私だけ注意される?」と返すと、「とにかく座れ」と繰り返す。「アジア人に礼儀を教えてやろうと思っているのか?」と言い返すと、黙った。フランスに着くと、こちらも戦闘態勢に入ってしまう。
空港にはAzurlinguaの送迎担当者が待機。一組だけ空港近くの家庭に滞在する女子学生2人がいて、彼女たちはホストファミリーが迎えに来ていた。感じの良さそうな人だった。他の学生たちと私は、2台の車に分かれてそれぞれの滞在先へ。今回、私のグループを受け入れる家庭の中には、過去に学生を預かったことのない家もあったが、出迎えてくれたマダムたちは感じが良く、ひとまず安心した。
私の滞在先は、50代のAnnickの家。2023年の夏から彼女の家に滞在している。パートナーのWalterは近所に住んでおり、毎夕テレビを観に来ることが多い。時々、一緒に食事をするが、同居はしていない。Annickはオープンで聡明な女性で、料理も美味しく、会話も楽しい。
到着後、空港近くの家に滞在する学生2人のことが気になり、最寄りのトラム駅で待ち合わせることに。私自身、その地域に行ったことがないため、街の雰囲気や学校までの距離感も知りたかった。ところが、待ち合わせの駅を間違えたという連絡があり、しかも1人は空港で渡したプリペイドカードを忘れていた。「いったい何をやっているんだ」と思ったが、ホストファミリーの旦那さんが車で送ってくれたとのこと。親切な人のようだ。
彼女たちをトラムに乗せ、学校まで案内。その後、ニース駅、ジャン・メドゥサン大通り、旧市街を回り、ガリバルディ広場へ。ここで別れる予定だったが、不安そうな顔をされたので、最寄りのトラム駅まで付き添うことにした。
車内で「実は気になることがあるんですが…」と言うので聞くと、「私たちの部屋、ベッドが1台しかなくて、2人で一緒に寝るよう言われた」とのこと。一瞬、聞き間違いかと思ったが、どうやら事実らしい。Azurlinguaから「男女ペアなので1台のベッドで構わない」と言われたとホストファミリーは主張。そんな伝え方を私はするはずがないし、そもそも同性でも他人同士で1台のベッドはあり得ない。
Azurlinguaの緊急連絡先に電話するが、応答なし。結局、今晩は1人が居間のソファベッドで寝ることになった。ホストファミリーは「日仏の文化の違いだ。日本ではそんなに問題なのか?」と言いながらも、すまなそうにはしていた。悪気があるわけではないのは分かるが、こういう態度は確かにフランスらしい。
不本意な状況に置かれた学生たちには申し訳ない。初日から大きなストレスだっただろう。ホストファミリーの家から自分の滞在先に戻ったのは21時前。AnnickとWalterと一緒に夕食を取る。仔牛の煮込みソースがかかったパスタ。美味しかった。AnnickもWalterも聞き上手で、彼らと話すとフランス語がまともに話せているような気分になる。
夕食後、シャワーを浴び、パソコンを立ち上げようとするが、電源が入らない。バッテリー関係のトラブルらしい。ハード的な故障かもしれない。滞在中に書かなければならない論文があるのに…。絶望的な気分になりつつ、最悪、安いChromebookを買ってしのごうかと考え始めた
2025/2/14 出発前
Azurlinguaで初めてフランス語教育の研修を受けたのが2014年、学生を連れてニースで語学研修を実施したのが2015年2月だった。2021年・2022年は新型コロナの影響で断念し、2023年2月はケベックとオンタリオに娘と行ったため、ニース研修は見送った。再開したのは2023年の夏。それに続き、2024年2月後半にも実施。昨年はニースで2週間の研修後、パリに4泊5日滞在した。
今回でちょうど10周年、9回目の実施となる。しかし、コロナ禍以降、航空運賃の高騰と円安、フランスの物価上昇により、費用は以前の1.5倍以上になった。日本ではフランス語人気が低迷し、海外志向も弱まっていると言われるが、それでも2023年夏と2024年冬には12〜13名の学生が集まり、今回は16名が参加した。
今回、コスト削減のため、従来は学校近くのカフェテリアで提供していた昼食(ボリュームがあり、美味しかった)を省き、昼食なしとした。また、学校が用意するエクスカーションもつけないことにした。これにより、エクスカーションはすべて私が引率することになる。
カフェテリアの昼食は、学生全員が一緒に食事をする貴重な機会だったが、フランスの物価高と円安の影響を考えると仕方がない。ランチを自由にすると、レストラン利用などで結果的に高くつくかもしれないが、それも経験の一つと考えることにした。
エクスカーションを学校に任せるのは楽ではあるが、ルーチン化されたプログラムのため行動が制限されることが多い。また、団体予約やチケット手配の不手際も少なくなかった。私はおそらく学校スタッフよりも細やかに正確に手配できるはずだ。そこで今回は、自分で全て手配することにした。
Azurlinguaは昨年夏、国際的に語学学校を展開する多国籍企業「Kaplan」に買収された。これにより、Kaplanが運営する30以上の語学学校の一員となった。これまでAzurlinguaは会計や総務の管理部門の入れ替わりが激しく、不安定な面があった。そういう意味では、大手企業の傘下に入ることで、安定するかもしれない。ただ、当面はスタッフの入れ替えはないようだが、業務の引き継ぎがスムーズとは言い難い。
今回、授業料の支払いでトラブルがあった。
12月初めにAzurlinguaから請求書が届いたが、滞在期間の記載に誤りがあった。修正した請求書の再送を依頼したが、返事がない。通常であれば12月中に総額の3割を手付金として支払う必要があるが、私も忙しく、そのまま放置していた。
12月20日過ぎ、Azurlinguaのスタッフから電話があり、「Kaplanの担当者がメールを送っているはずなので、そちらの指示に従ってほしい」と言われた。そういえば数日前にKaplanから英語のメールが来ていたが、内容を確認せず放置していた。読んでみると、Kaplanとの事業提携に関する書類提出を求めるものだった。
ウェブ上で細かい項目に回答して書類を作成する仕組みになっていたが、これは実質的にKaplanとの契約書のようなものだった。私は営利目的の事業者ではなく、大学の一教員として学生を引率しているだけなので、記入できない項目も多かった。とりあえず記入できる部分だけ記入し、事情を説明した。すると、「とりあえず受領するが、契約関係がないと取引ができない。社内で検討する」と返信があったきり、連絡が途絶えた。
1月下旬になり、支払いが完了していないことが気になったため、改めてAzurlinguaに請求書の再送を依頼。すると、Kaplanの別の担当者から、修正済みの請求書が届いた。新しい担当者はロンドン在住の日本人で、昨年秋にAzurlinguaを訪問したという。
請求書の振込先は、12月にAzurlinguaが送ってきたものとは異なっていた。Kaplanの日本人担当者が「直接話したい」と言うので、Microsoft Teamsで打ち合わせをすることになった。相手は40歳前後の日本人女性で、「Azurlinguaのことは私よりも先生のほうが詳しいでしょうから、教えてほしい」と言われた。
Kaplanが会計処理を担当することになり、今後はAzurlinguaへの申し込みもKaplanを通じて行う必要があるとのこと。さらに、日本のKaplan代理店を通じて申し込んでほしいと言われた。
これは私にとってメリットがない。これまでAzurlinguaと直接やり取りすることで、滞在先のリクエストなど柔軟に対応してもらえた。しかし、代理店を通すことでその柔軟性が失われ、コストも上がる可能性がある。
今のところ、Azurlinguaのスタッフは変わらず、Kaplanは会計処理だけを引き継いでいるようだ。しかし、移行期であり、今後どうなるかは不透明だ。Kaplanの日本人担当者とはざっくばらんに話をしたが、費用の振込確認メール以降、向こうからの連絡はぱったり途絶えた。
出発は2月14日(金)夜。15日(土)昼にニース到着予定だった。
2月12日(木)、ニースの滞在先のAnnickからメッセージが届き、「それじゃあ、日曜に!」と書かれていた。「いや、日曜日ではなく、我々の到着は土曜日だ」と返信すると、Azurlinguaから「日曜着」と連絡があったらしい。
慌ててAzurlinguaの送迎担当者、学院長、事務統括宛にメールを送り、「15日昼着であることを再確認し、各家庭に改めて連絡し、その旨をこちらに報告するように」と要請。やはり完全に信用するのは危険だ。
こうした手続きや調整を済ませ、いよいよ出発の日を迎えた。
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