2017年3月9日木曜日

レンヌ・カン・パリ2017春(4)3/8

一日中雨模様の日だった。
ニースからブルターニュ、ノルマンディに来て以来、寒い日が続いている。東京では自転車に乗るときしかはかなかったユニクロのタイツを、レンヌ以来はいている。こっちの足元から腰にかけて冷える感じなのだ。3月に入るとだんだん暖かくなると思ったのだが、見込みが甘かった。

今日はカーンから電車で20分ほど離れた場所にあるバイユーに行った。ノルマンディ公ウィリアム(フランス語ではギヨーム)が、イングランドの王位を継承したときの戦いの様子を描いた11世紀の有名なタピスリーがここにある。幅50センチで全長が70メートル近くある布に刺繍で戦いの発端から最後まで、マンガのような感じの絵物語が続く。絵柄はマンガっぽく、横から見た絵だが、闘いや食事、略奪、交渉などの様子はかなりリアルに書き込まれている。簡単なラテン語で絵の様子や人物の説明がやはり刺繍で記されている。上と下の余白にある裸の男女や怪物などの装飾絵も面白い。中世研究者なら一度は見ておきたい作品だ。オーディオガイド(日本語もある)を聞きながら最初から最後まで順番に見ていく。作品保護のため写真撮影はできない。美術館でお土産は滅多に買わないのだが、ここではバイユータピスリーの画集を買った。

バイユーの考古・歴史・工芸・美術博物館とノルマンディ戦史博物館のセットチケットを購入したが、残りの二つの美術館・博物館(フランス語ではどちらもmusée)は昼休みがあって14時まで開かない。町の中心部で開いていたレストランに入り、フィッシュ・アンド・チップスを食べたがボリュームが少なくて物足りない。値段も12ユーロとけっこう高い。この店の「本日のおすすめ料理」はポトフで、そっちのほうがボリュームがあって、おいしそうだった。

飯を食べたあとは、一番古い部分は11世紀のロマネスク時代だというバイユー大聖堂を見学。12世紀後半のゴシック様式の部分も多い大聖堂だった。ステンドグラスが美しい。大聖堂のあとは、近くにあったバイユー考古・歴史・工芸・美術博物館を見た。バイユーは陶器でも知られていて、19世紀の陶器の展示もあった。それからノルマンディ戦史博物館に行く。戦史博物館は町の中心からは離れたところにあり、20分ぐらい雨のなかを歩いた。ノルマンディ上陸作戦についての博物館だが、情報量が多すぎてついて行けなかった。兵器などの展示はそれほど多くない。



戦史博物館の帰り、「ベネディクト修道院のお店。修道院の製品や本など」と書いてある看板を見つけた。帰り道からははずれた路地にあるが、行ってみることにした。店の入り口は明るくてきれいだ。入り口に立つと、修道女のおばあさんが「ボンジュール、マダム」と声をかけてきた。赤い服を着ていたから女性に見えたのだろうか。
客は誰もいない。売っている商品はジャムや酒やシロップ、バターやお菓子など多様な食料品とロザリオや十字架などのグッズ。それと書籍。修道女のおばあさんがひとつひとつ商品について説明する。店内はかなりひろびろしていた。ここの修道院は宿坊もやっているとのこと。「ごはんがとてもおいしいと評判なんですよ」と修道女の人。なかなか商売熱心だ。
一通り説明してもらったし、ニコニコ笑いながら説明する修道女のおばあさんがあまりにも可愛らしかったので、何か買わなければ悪い感じがして、結局ベネディクト会謹製の板チョコを三枚購入した。



バイユーからカーンに戻ったのは午後5時半。今日は7時から竹中香子さんが出演する『夢とメタモルフォーゼ』の公演を見るので、その前におなかに何か入れておきたかった。この公演は上演時間が4時間を超え、終演は夜11時過ぎなる。さっと食べて腹にたまる、そして美味しいとなると、ケバブしかない。駅前に数件ケバブ屋はあったが、グーグルマップで検索して、コメントでこの界隈で一番うまいとあったケバブ屋に行くことにした。カーンの町中はワイルドな雰囲気はないが、駅周辺、とりわけ旧市街と反対側は、いい顔つきの若者たちがけっこうたむろっていてちょっと緊張する。ケバブ屋は駅から歩いて10分ぐらいのところにあった。
まず外からケバブ屋の写真を撮っていると、ケバブ屋の兄ちゃんがニコニコ笑いながら「入ってきなよ」と手を振ってきた。もとよりそこに入るつもりだったので入ると、
「写真撮っていたけれど、あんたはジャーナリストか?」と聞いてくる。
「いやジャーナリストじゃないけれど、ツーリストだ。本物のケバブを探しにやってきたんだ」と答えた。

このケバブ屋の常連客のおばさんがいて、「日本人か?私は日本の着物と寿司が大好きで」と話しかけてくる。ケバブ屋のお兄さんはモロッコ出身だそうだ。22歳のときに、カーン出身の女性と結婚して、モロッコからカーンに。ケバブ屋もそれから初めて8年目。子供は3人いる。ケバブ屋は繁盛していて、一日に300人くらいの客が来る。そのため朝の5時半に店に来てパンを焼いているんだ。といった話を、ケバブを作りながら話してくれた。ケバブはごく標準的なスタイルのケバブ。味も特に特徴はない。おいしかったけれど。私はケバブソースは常にアリッサ・マヨネーズの組み合わせだ。

ケバブを食ったあと、カーン劇場に行った。休憩20分くらいを含み4時間20分の舞台。公演の感想についてはまた別に書く。公演終了後、竹中さんと写真を撮った。うれしい。

2017年3月8日水曜日

レンヌ・カン・パリ2017春(3)3/7

フランスでの宿泊は、安ホテルばかり泊まっているからではあるが、ろくな思い出がないのだが、レンヌのホテルは清潔で明るく、快適だった。スタッフもみな感じがいい。あまり観光できなかったが、観光ポイントの旧市街にも行きやすい場所だし、駅にも10分ほどでスーツケースを転がして歩いて行ける距離だ。またレンヌに泊まる機会があったら、このホテルを選ぶだろう。

レンヌからカーンまでは150キロほどだ。TGVを使うとル・マン経由で乗換があり、距離も伸びてしまうので、在来線を使ったほうが早いし、安い。しかしカーン行きの在来線は一日に数本しか走っていない。
夕方6時半にカーンで女優の竹中香子さんと会う約束があったので、それに間に合うようにするとなると朝9時レンヌ発の在来線列車に乗るしかなかった。時間は2時間45分かかり、運賃は38ユーロ。これに乗り遅れると直通便は夕方までないので、朝6時に起床し、余裕をもって8時過ぎにホテルをチェックアウトした。

フランス国鉄では、何番線に列車が入るかは掲示モニタに表示される。レンヌ駅では出発20分前に表示されるとなっているが、9時5分前になってもカーン行き在来線の入線ホームは表示されない。しかし「定刻通り」の表示も出ているので、不安になる。インフォメーションに聞きに行こうと思ったときに、「10分遅れ」の表示が出たので、そのまま待っていることにした。私の乗るカーン行き在来線のみならず、今朝はあらゆる列車が遅延している。なぜ遅延したのかの理由は説明されない。多数の乗客がモニタを見上げ、立ったまま入線ホームの表示を待っていた。

レンヌ駅は大工事中だが、モニタの前はほぼ野外で立っていると足元から冷えてくる。10分遅れとなっていたので、9時10分には出発するのかと思えば、9時10分直前に「20分遅れ」の表示。9時20分の前に「40分遅れ」の表示。こんな具合にずるずると遅延が表示されるというひどいシステムのせいで、立ちっ放しで寒さに震えながらひたすら待たされれるはめになった。60分遅れ、70分遅れとなったときには寒さに耐えられず、かなり離れた場所にある待合室に避難しに行った。待合室に到着すると待合室のモニタに「75分遅れ」とともにようやく到着番線が表示され、またスーツケースを転がしてホーム方面に戻る。

10時15分、予定より75分遅れでようやく出発。走っている途中でも、なぞの長時間停車があって、結局、カーンに着いたのは予定より2時間遅れの1時45分だった。在来線車両は、ニースよりもはるかに清潔で落書きもない。空いていたので、スーツケースも座席にどかっと置くことができた。

宿泊先の受付は、1時から3時まで昼休みなので、すぐに行ってもしかたない。駅前で昼ご飯を食べることにした。
「本日のおすすめ」がアシ・パルマンティエ9ユーロとなっていた店に入った。アシ・パルマンティエは仏作文の教科書に出てきた料理だが、食べたことがなかった。高級レストランではおそらくメニューにないと思う。レストランというより家庭で作る大衆的料理だと思う。マッシュポテトで牛ひき肉を包んだもの、衣なしのコロッケみたいな料理だ。日本の肉じゃがみたいな位置づけの料理だと思う。
がっつりしたボリュームで出てきた。味はまあまあおいしい。感動するほどうまいというわけではないが。殺風景な場末の駅前レストランだったけれど、店員の対応は感じがよかった。


宿泊先は駅から2キロほど離れていたので、タクシーを利用することにした。駅のタクシー乗り場から乗ったのだが、このタクシーの運転手が感じがいい。運転も丁寧だ。レンヌでも空港からホテルまでのタクシーの運転手は感じがよかった。ニースやパリのタクシーも必ずしも運転手の感じが悪い、運転が荒いということはないのだけれど、ブルターニュ、そして今回はじめてきたカーンのサービス業の人たちの対応は、なんとなくニースやパリよりも安心できるような雰囲気がある。人のあたりが柔らかいというか。町全体の空気が穏やかに思われる。気のせいかも知れないが。


カーンのホテルはホテルというよりは、研修用宿泊センターのようなところだった。台所があり自炊ができる。部屋は広くて清潔。この宿泊先もあたりだ。宿泊料も50ユーロと安い。場所はカーンの中心地からちょっと外れたところにあるが、15分ほど歩けば中心地だ。カーンについては何の予備学習もしなかった。1066年にイングランド王になったノルマン人末裔、ノルマンディ公ウィリアム(フランス語ではギヨーム)ゆかりの地であり、彼にかかわる史跡が多数あることを知る。へースティングズの戦いの様子を描いた有名なバイユー・タピスリーが展示されているバイユーの町は、カーンのすぐ隣だ。これは見に行かなくてはならない。ノルマン・コンクェストは、英語とフランス語の関係においても重要な事件だ。また第二次世界大戦のノルマンディ上陸作戦とも関わる。見るべきものは多い町であることを到着してから知る。


夕方会う約束をしていた竹中香子さんから、列車を乗り間違えたため、到着が遅れるという連絡があった。6時半に会って、一時間ほどインタビューしたあと、一緒に食事のつもりだったが、7時半に会ってそのまま食事をしながらインタビューすることにした。竹中さんに会うまでのあいだ、散歩して時間をつぶそうと思ったのだが、今日はとても寒い日で散歩を楽しめるような気温ではなかった。竹中さんの泊まるホテルの前にモノプリがあったので、そこで時間をつぶす。

ガイドブックの『ルタール』で食事を取る店の候補をいくつか調べていたが、寒かったのでホテルの近くの適当な店に入ることにした。グーグルマップで「食事」検索して出てきた店のなかで、一番近くにある店に入った。Mooky'sという店だ。
https://www.tripadvisor.fr/Restaurant_Review-g187182-d7612190-Reviews-Mooky_s-Caen_Calvados_Basse_Normandie_Normandy.html

店はけっこう混んでいたが、予約なしでも入ることができた。メニューを渡されたが、飲み物とハムやチーズの盛り合わせみたいなものしかない。
「あれ?ここレストランだと思ったけれど、バーなのかな?」
と思ったが、いろいろなハムが入っているらしいハムの盛り合わせプレートと飲み物を頼んだ。
しかし食事に来たのに前菜と飲み物だけというのは物足りない。店員に食べ物のメニューはないのかと聞くと、
「食べ物は全部黒板に書いてある。でもとりあえず前菜見てから決めな」
といったことを言う。

そしてハムの盛り合わせが来た。そのボリュームに驚愕。
「すげえ。うそみたいだ」
とか言っていると店員が「でしょ!だからこれを見てから注文したほうがいいって言ったのよ」と。ノルマンディおそるべしである。
このハム盛り合わせとパンでおなか一杯になってしまった。料理を頼まなくてよかった。

竹中さんとはハムをむしゃむしゃ食いながら、昨年秋からツアーで上演を続けている作品のクリエーションの話や学校卒業してプロになったことで何が変わったか、など話を聞いた。
明日の夜、私は作品を見る。そのあとで感想をまた話す機会を設けることにした。

2017年3月7日火曜日

レンヌ・カン・パリ2017春(2)3/6

学生たちから無事に東京に戻ったという連絡がLINEで入ってほっとする。
ホテルで朝食を取ったあと、旧市街を散策する。しかし気温が低いううえに風が強い。雨もぱらつく。ホテルの近くに美術館があるのでそこで時間をつぶそうかと思ったのだが、月曜は休館日だった。観光案内所に行って見どころを確認しようと思ったが、観光案内所も月曜は午後からの営業でしまっていた。
観光案内所の近くにサン=ピエール大聖堂があったのでそこに入った。大聖堂だけあって巨大で壮麗な建築だったが、聖堂の中には誰もいない。建物自体は19世紀の比較的新しい建物だ。ここが人でいっぱいになるのはどのような機会なのだろうか。


サン=ピエール大聖堂から歩いて五分ほどのところにある聖救世主聖堂(Basilique de saint-Sauveur)で正午過ぎからミサがあると掲示があったので、それを見学しに聖救世主聖堂に行った。フランスはヨーロッパ諸国のなかでもとりわけ宗教離れが顕著で、地方の教会には打ち捨てられたようなところが多いと聞いていたが、平日のミサにもかかわらず聖救世主教会には100人ほどの信徒がミサを授かりに来ていた。ミサを最初から最後まで見学する。時間は30分ぐらいだった。

昼飯はグーグルマップで「このへんでランチ」を検索して出てきた店のなかから選んだ。ケベック名物のプーチンを出す店があることがわかり、そこに行くことにする。東京では下北沢にプーチンの専門店があるのだが、レンヌのプーチン屋はプーチンに恥じないヴォリュームを出す店だったので大いに満足する。本場だけあってレンヌにはクレープ屋が多いが、ブルトン人たちはあんなささやかな量のクレープを上品につまむだけで本当に満足しているのだろうか。まあ満足しているからたくさんあるのだと思うが。


フランスの旅行者用simのインターネットのクレジットがかけていたので、オレンジの代理店に行ってあらたに3ギガバイト分の通信をチャージする。25ユーロ。かなり高い。ところがチャージしたはずなのに、この直後から3G、4Gでの通信ができなくなった。確認したらちゃんとチャージされているのに。夕方の7時過ぎになってまた突然、3G、4Gで通信できるようになった。こういったイレギュラーな事態がフランスでは多い。いったい何が原因なのか。

トリップアドバイザーでレンヌの観光の見どころの上位に入っていたブルターニュ高等裁判所に入る。裁判所が観光ポイントというのが今一つピンと来なかったのだが、どんどん人が入っているのでとりあえず入ってみることにしたのだ。堂々たる建築物であるが、かなり最近火事で焼失したものを再建したもののようだ。中はやはり裁判所だった。観光客ではなく、中にいるのは弁護士とか裁判の傍聴人とかの当事者ばかりのよう。レンヌ旧市街は石畳の道と木組みが見える漆喰壁の建物など街並みの風景は面白いけれど、観光ポイントはニースに比べるとかなり少ないように思える。
とにかく寒かった。オペラ座の建物を見て、ホテルに戻る。寒さのせいかおなかの具合も変で、ホテルではトイレにくぎ付けの状態になる。


明日はカーンに列車で行く。列車の時刻を調べてみるとローカル線の直通は一日に2本ぐらいしかない。TGVとローカル線の乗り継ぎもあるが、このほうが時間がかかり、金もかかる。朝9時発の列車に乗らなくてはならないことがわかり、日が暮れてから駅に行って切符を買う。駅舎とその周辺は大工事をしていて、切符売り場もスーツケースをもってだとかなり行きにくいところにあった。前もって切符を買っておいてよかった。

駅から路線バスにのって、レンヌ郊外でレストランを経営しているフランス人の友人を訪ねた。エレーヌとジュリアンは若い夫婦で、2014年の秋に私がニースで知り合ったイザベルとともに日本にやってきた。彼らはニースのレストランで働いていたがそれを辞め、ニースの住宅も引き払って、2014年秋から約1年間、日本を皮切りに東南アジアの国々を放浪旅行したのだ。私が彼らと知り合ったのは2014年秋の東京だ。到着日に一緒に食事をし、それから箱根への日帰り旅行を彼らとした。エレーヌはピアスとタトゥーだらけの奇抜なファッションの女性だった。70年代のヒッピーを連想させるカップルだが、私はごく短いつきあいのなかで、彼らの精神の自由さ、開放性、そしてエレーヌの強烈な個性に引き込まれてしまった。彼らに会って話した人は、誰でも彼らのパーソナリティに引き込まれるのではないだろうか。

なんとなくエレーヌとジュリアンにはまた会う機会があるのではないかと思っていた。そして今回、ニース研修の直後にカーンで竹中香子さんの舞台が見られそうだと思ったとき、これを利用してレンヌにいる二人に会いに行こうと思ったのだ。今回のレンヌ滞在の主目的は二人との再会にあったと言ってもいい。偶然ニース発レンヌ行き飛行機も、ちょうどいい時間にあった。


エレーヌのジュリアンの経営するレストラン・バーは、レンヌ市街からバスで20分ほどの場所にある。まず観光客は来ない場所だ。周りは郊外の田舎町という感じだが、いくつかの大きな企業が付近にあり、そこで働いている人たちがランチを食べに来るそうだ。夜は地元に住む人が食事をしたり、酒を飲みにやってくる。

午後7時ごろにレストランに着くと、エレーヌとジュリアンは前菜を用意して私を待っていてくれた。2時間半ほど歓談しながら食事を楽しむ。エレーヌは妊娠していて、7月に出産予定とのこと。二人にとってはほとんど無縁の地だったレンヌでのレストラン経営だが、常連客も増えてビジネスはうまくいっているようだ。ブルトン人は酒飲みだというステレオタイプがあるが、酒の飲み方は南仏人とはやはり大きく違うらしい。ビールを好み、つまみはごく少量しか食べない。ある面、日本人と似た飲み方だ。酒量も南仏人より多いそうだ。ブルターニュはニースよりも人がおだやかで、はったりが少ない、そしてよそ者にも寛容で、商売の面でも生活の面でもニースよりはストレスが少ないと彼らは言う。私もニースからブルターニュに来て、なんとなくほっとした気分になっている。学生監督の緊張から解放されたということもあるけれど、ニースは楽しいし、ニースの人は陽気で気さくではあるけれど、どっかで腹の探り合いみたいことが必要で、完全に油断はできないという感じである。

二度会えたのだから、三度もあるだろう。エレーヌとジュリアンにもまた会う機会があると思う。帰りはホテルまでジュリアンが車で送ってくれた。

2017年3月6日月曜日

レンヌ・カン・パリ2017春(1)3/5

二週間のニース研修も今日で終わり。午前8時ごろ起きて9時ごろからだらだら荷造りをやった。旅行の荷造りは本当に面倒くさくて大嫌いだ。荷造りが面倒で毎日移動するような旅行をするのが私は億劫だ。

マニアはすでに仕事に出ていていなかった。ギヨームと子供二人、ティメアとエヴァンが家にいた。
今回はじめて滞在したマニアとギヨームの家は、私の部屋は狭くて居心地はあまりよくなかったけれど、夫婦二人は感じがよかったし、食事がとても美味しかった。学校に歩いて30秒というのも便利だ。二週目は私の外出が続いたため、月と土の夜しか一緒に食事を取ることができなかったのが残念だった。マダガスカル料理は結局食べることができなかったのも残念。

ギヨームはモナコで流通関係の仕事をしていて、マニアはモナコでアルツハイマー型認知症の老人の介護をしている。マニアの仕事の時間帯はかなり不規則だ。子供の学校の都合などを考えながら、勤務日・勤務時間を決めているらしい。近所にはマニアの母親のほか、妹、さらに彼女の出身地であるマダガスカルにかかわりのある友人たちが住んでいて、そうした親族コミュニティで互いに子供を預けたり、預かったりしているようだ。このマダガスカルのつきあいはかなり濃い感じがする。
マニア、ギヨームともに30台半ばだと思う。ギヨームは私には温厚でいつもニコニコ話しかけるが、子供へのしつけはかなり厳しい。マニアは家事・育児をなんでもこなすしっかり者のスーパー母親といった感じだ。しつけも厳しいし、勉強の面倒も見ている。子供二人はテコンドーやサッカー、ダンスなど様々な習い事をしている。これはマニアが仕事をしているあいだの「託児」措置でもあるが、マニアがかなり教育熱心な母親であるからだろう。彼女の子供たちへの対応は実に教育的だ。
料理の腕前も素晴らしい。毎日違うメニューで、しかもみな美味しくてボリュームがある。さらにホームステイの居候の面倒もみなくてはならない。彼女は隙がないのだ。完璧すぎるように見え、もしかすると実はしんどくないのかな、と思ったりもする。

家の間取りは寝室が三つ(夫婦の部屋と子供部屋、そしてホームステイする人の部屋)と10畳ほどのリビング、それに台所だ。私のいた部屋はリビングに接しているため、夜に家族がいる時間帯はプライバシーが完全に確保しずらい点がちょっとしんどいところだった。2週間ぐらいだったし、夜だけなので、そんなには気にならなかったが。

この家族構成で、見知らぬ居候を恒常的に受け入れるというのは、受け入れ側にとってもかなりのストレスがあるように思える。受け入れ側も他人がいるとどこかリラックスできないだろう。東京の私の住んでいるところがほぼ同じ部屋数で、家族構成も同じ、そして夫婦共働きだが、ここに留学生をステイさせたいとは私は思わないし、妻も同意しないだろう。気が休まらないからだ。夫婦喧嘩、親子喧嘩もしにくくなる。他人が一緒に住むとなると短い期間ならともかく、長期間となるとストレスが蓄積するような気がする。だいたいいくら料理が得意といっても、マニアのレベルの料理を毎日、献立を変えて作り続けるということだけで大変なことだ。

ニースで語学学校のホームステイを受け入れているところは、多かれ少なかれ学校から支払われる報酬が家計の補助となっているのだけれど、マニアとギヨームについては「やむを得ず」受け入れいれてるという状況が明瞭なのが、私としてはちょっとしんどいところではあった。それでも彼らが受け入れてくれるのであれば、次回も機会あれば彼らのところに滞在すると思う。二人の人柄が信頼できるし、それに何よりも飯がうまい。

学生を春休みにニースに連れてくるのはこれが3回目だが、日本人学生たちの評判はニースのホストファミリーにはすこぶるいい。おとなしくて、コミュニケーションには難があることはあるが、礼儀正しいし、きれいに使うし、愛想がいいしということで。確かにイタリアの十代の若者を受け入れることに比べると、私が連れてくる日本人大学生は天使に思えるかもしれない。

11時に学校の送迎担当者が迎えに来るはずだったのだが、10時半に家の呼び鈴がなった。午後に空港に迎えに行く団体の予定が急に入ったので、われわれの迎え時間を繰り上げたとのこと。イレギュラーな対応だが、遅れるよりはましか。当日朝にでも連絡をくれよ、と送迎担当者に言ったら、「電話したんだけれど、お前のところは電話に出てくれなかったんだ」とのこと。

学生たちはドバイ経由で東京に戻る。私はチェックインとスーツケースの預けるところまで付き合った。アレルギーを持っている学生がエピペンの注射薬剤を機内に持ち込むのだが、その英文証明書を提示しろと言われたのが最初なんのことかよくわからなくて焦った。かなり早めに空港に着いたので、今年は余裕をもってチェックインが完了した。ドバイ空港乗り継ぎの際の点呼を、学年が上の男子学生に頼み、ほかの学生にもこのときは自分以外の人間のことも考えるように伝える。

手荷物検査場に入る学生を見送ったあと、私はターミナルを移動して、エールフランスのカウンターに。ブルターニュ地方のレンヌ空港行きの便のチェックインと荷物預けが必要なのだが、これがエールフランス・カウンターではすべて自動化・無人化されていて戸惑った。端末でバゲージクレーム・タグと搭乗券を発券してから、スーツケースを預けに行くのだが、バゲージクレーム・タグは出てきたけれど、搭乗券が発券されない。係員に聞くと、搭乗時刻の2時間前にまた来てくれとのこと。それまでにはまだ1時間あったので、空港のカフェテリアで昼飯を食べて時間をつぶした。

搭乗時刻2時間前にまたカウンターに行く。するとまた端末を操作して、搭乗券を発券するように言われる。パスポートをセンサーにかざして搭乗券を発券。それを係員に見せて、今度はスーツケースを預けに行くのだが、そこも機械化されていてカウンターに人はいない。自分でベルトにスーツケースを載せて、端末の指示にしたがってボタンを押すと、無人のベルトコンベアが動き、スーツケースを運んで行った。本当に大丈夫なのか不安になる。


15時半にニースを出て、17時半にレンヌに到着。レンヌにはまったく土地勘がない。レンヌに着いてからどうするのかも予習していなかった。高いといやだなと思いつつ、場所の感覚がないので、ホテルまではタクシーで行くことにした。町の中心部までは空港から7キロほどだとグーグルマップで確認する。
タクシー乗り場にはタクシーは一台も待っていない。本当にここで待っていたらタクシーが来るのだろうかとちょっと不安になりながら10分ほど待っているとタクシーが来た。レンヌ市街まではタクシーで20分くらいか、値段は20ユーロだった。

ホテルの外観や周りの雰囲気はかなりやばそうな感じで、話のネタになりそうなすごいホテルを選んでしまったかなと不安で暗い気分になる。しかしそれは杞憂だった。レセプションが笑顔で迎えてくれてほっとする。内部は明るくてきれいだ。部屋も清潔で明るく快適そうだった。レンヌには二泊する。


夜はホテルにレストランがあると書いてあったのでそこですませようと思って一階に降りたが、レストランがやっている雰囲気はない。レセプションで地図を貰い、近くにあるレストランが並んでいる通りを教えてもらう。外はかなり寒かった。人通りもなく、町も暗く、ガランとしていて、ニースとは全く雰囲気が異なる。ホテルは旧市街の近くにあることが確認できた。


せっかくブルターニュに来たのだからということで、土地の名物のクレープを食べることにした。サーモンのガレットがメインで、メープルシロップのガレットがデザート。そこそこ美味しかったが、ボリュームが圧倒的に足りない。これでは食事というよりスナックだ。値段もけっこう高い。

クレープ・レストランの近くにアイリッシュ・パブがあり、今日の夜はライブがあると書いてあった。聞きに行きたいなと思ったが、寒かったし、疲れもあったので、今日はおとなしくホテルに戻ることにした。

2017年3月5日日曜日

ニース研修春2017 (14) 3/4

ニースの日々も明日が最後。土曜日の今日は一日フリーの日だった。
午前中にフェラ岬にあるエフレッシ・ド・ロットシルド別荘と庭園への遠足を学生に提案したのだが、来たのは5名。この手のモニュメント、文化財に対する反応の薄さには正直ちょっとがっかりである。
今日は朝方は大雨だった。ただ雨はすぐに弱まり、その後午後までは降ったり、晴れたり、曇ったりのはっきりしない天候だった。午後の後半になり、雨はやんだ。
雨降りでなければプロバンス鉄道に乗って、山中の城塞村アントルヴォーに行くつもりだった。


ロットシルド別荘・庭園は、20世紀はじめにヨーロッパの財閥として有名なロスチャイルド家の末裔のひとり、ベアトリスが莫大なお金をつぎ込み、その洗練されたロココ趣味の究極を具現化した夢の別荘・庭園である。その贅沢さと趣味のよさは、昨日見たケリロス別荘に比肩する。ニース近郊の観光スポットとしては、私は強力に推したい場所の一つだ。ニースからバスで30分ほど行ったところ、昨日、学校の遠足で行ったボリュ=シュール=ラ=メールのケリロス別荘から1キロほどのところにあるフェラ岬の高台にこの別荘はある。

開館時間である10時ちょっと過ぎに別荘に着いた。入場料は大人14ユーロ、学生は11ユーロ。別荘内のオーディオガイドの料金もこれに含まれる。「日本から来た学生です」と言ったら学生証を要求されることなく、学生料金が適用された。やはり日本の大学学生証を拒絶しようとしたマチス美術館の切符窓口の人は例外だ。今日の午後行った旧市街のラスカリス宮でも、日本の学生証で通用し、入場料が無料になった。

開館直後に入場したため人が少なかった。最初のうちはわれわれのグループのほぼ貸し切り。夏のバカンスシーズンだとこうはいかないだろう。人のいない静かな環境で、約2時間、別荘と庭園を見学した。内装の装飾、細工、絵画や彫刻、家具、展示されている食器や衣装がすべて逸品なので、それらをひとつひとつ注意深く見ていけば丸一日あっても時間は足らないだろう。別荘内の各部屋の内容を説明するオーディオガイド(日本語もある)も充実している。


昼すぎにニースに戻る。5人いた学生のうち、1人とはここで別れる。残り4人と昼飯を食べに行く。ニース最後の外食はチュニジア風クスクスにした。Google Mapで「Nice couscous」で検索し、降りたバス停から一番近い店に行った。私以外の4人の学生はこれがはじめてのクスクスだった。スープとスムールが大きな容器に入れて出され、それを取り分ける。こういう豪快さこそクスクスという感じがする。私はいつものように子羊肉のローストを添えた。クスクスがはじめての学生たちにも大好評でみんなたくさん食べた。もっともクスクスが苦手な日本人というのは私はあまり会ったことがない。店員の応対も感じがよかった。

隣のテーブルに座っていたニースに住むフランス人の家族にいろいろ話しかけられた。ロットシルド別荘に行くバス停でも、おばあさんに話しかけれた。無防備に知らない人に話しかけるというのはフランスでは珍しくない。日本でも大阪のおばちゃんはけっこう話しかけてくるが。

クスクスを食べたあとは、旧市街にある17世紀バロック様式の邸宅、ラスカリス宮を見学に行く。ラスカリス家はニースの貴族のひとつ。この建築物は19世紀後半に形成された漆喰壁のほかの建物と一体化してしまっていて、外側は路地のなかに埋もれてしまい地味な感じだ。しかしその内部がすごい。バロックと言えば絵画、文学、音楽を思い浮かべるが、この邸宅の装飾の過剰さ、濃厚さは、まさにバロックを感じさせるものだ、肉感的で暑苦しい装飾で埋め尽くされている。その趣味は、フランスよりもむしろイタリア的なものを感じる。ラスカリス宮はフランスで第二の規模の楽器博物館でもあり、古楽器の展示も非常に興味深いものだった。

ラスカリス宮のそばにあるやはり17世紀バロック様式のジェズ教会内部を見学する。ラスカリス宮からの流れでこの教会を見ると、やはりこの教会の内装もラスカリス宮と同じ美学で作られていることがよくわかる。聖域ではあるが、その装飾は過剰かつ官能的だ。


16時からニースのオペラ座に、ブラームスのバイオリン協奏曲とチャイコフスキーの交響曲四番のコンサートを聞きに行く。このコンサートは二日前にニース駅のポスターで知った。土曜日が雨予報でアントルヴォー行はなくなりそうだったし、16時開始だったのでロットシルド別荘への遠足を午前にずらせばうまいぐあいに見に行けることがわかり、急きょ行くことにしたのだ。学生券はたったの5ユーロである。ニースは多くの美術館は学生無料だし、オペラ座のプログラムでは学生料金は5ユーロだ。5人の学生がコンサートを聞きに来た。私は19ユーロの席を取った。オペラのときと違い、5階席の正面三列目で、舞台はよく見えた。ただし3列目の前の座席との間隔の狭いこと狭いこと。日本の国立劇場の3階最後列席より狭いかも。座席はかなり急こう配に並んでいる。


私はクラシックのオケの演奏のよしあしはよくわからないのだが、素晴らしいコンサートで、特にチャイコフスキーの交響曲は音楽のなかに没入することができた。指揮者のRoland Boerについては全く知識がないが、ダイナミックでめりはりのある音楽を作ることのできる優れた指揮者のように思った。ニースのオペラ座は料金が安いし、劇場の雰囲気もどこか気さくで庶民的な感じがする。


コンサートの後は、いつもニースに来たときにいつも寄るチョコレート店とチーズ屋に行って、妻へのお土産を買った。これで私のミッションはコンプリートだ。
明日は昼前に空港に行くので、ニースでは何もできない。


2017年3月4日土曜日

ニース研修春2017 (13) 3/3

午前はもやもや、夜はすっきりの日だった。
研修二週目の金曜日で学校のプログラムは今日が最後になる。

午前中、学校の運営スタッフのところに挨拶に行った。この夏に日本から8人の先生をニースでの教育者向け研修に呼ぶという計画は、日本側の窓口だったアンスティチュ・フランセ東京の担当者が投げ出してしまい頓挫してしまったようだ。ありがちのことだと思う。しかしこちらから見ると、教員向け研修、ボンジュール・デュ・モンドの責任者であるヤンのやり方も、過剰な美辞麗句は連ねるけれども、行き当たりばったりで計画の具体性が乏しい。日本人の窓口が何の権力もない非常勤講師の私というのも運がないところだが、これはどうしようもない。
この日本からの教員招聘での交渉がうまくいかなかったためか、挨拶にいったもののヤンのこちらへの応対がぞんざいで投げやりに感じられた。夏の研修には今年も私を呼んでくれるとは言ったが、週あたり滞在費を150ユーロ払ってくれと言われたのも、これまでの3年間は滞在費はすべて向こう持ちだったことを思うと、やはりいい気分はしない。たぶん今年の夏もニースで再会したい人がたくさんいるので、結局ニースに行くとは思うのだけれど。ヤンの親密さと親切は、彼の狡猾さと計算高さと表裏一体のように感じられる。こちらも彼の美辞麗句の裏側を読んで、それに合わせて「はいはい、わかってますよ」とにおわせながら愛想よくふるまう。こうした芝居じみた社交的やりとりは、実は私はうんざりだ。もっとストレートにいきたいのだが。彼には私をニースと結びつけてくれたことについて大きな恩義を感じているけれど、こういうところは面倒くさいなあと思う。

最後の授業は終了前30分ぐらいを見学させてもらった。文法的知識はかなりあることはわかったけれど、オーラルが弱く、積極的な発言をする学生は少数だった。ただし学生はとても行儀がよく、友好的で、非常に授業はやりやすかったという評価を担当教員から聞いた。われわれの前はパナマの16歳のグループを担当していたそうだ。ラテン系の十代のやつらの騒がしさを思うと、いくら受動的で反応が鈍いと言っても日本の大学生のほうが教えるほうとしてははるかにやりやすいことは想像できる。例年、私が連れてくる日本人学生の評判は、クラスでも、ホームステイ先でもかなりいい。イタリア人の餓鬼どもの調子ののりかたを見ていると(かわいいんだけど)、確かに日本人って教えやすいだろうなと思う。

午後はエリックの引率で、ニースとモナコの間にある小さな町、ボリュ=シュール=ラ=メールの遠足に行った。ニース駅の集合が15時10分前と遅かったので、飯を食べたあとにオペラ座に寄り、明日の午後にあるオーケストラのコンサートのチケットを購入した。チケット代は学生券が5ユーロ、私は一般券で19ユーロのチケットを取った。

ボリュ=シュール=ラ=メールは、ベルエポック様式の瀟洒な建築が並ぶシックな町だ。海と海に迫る崖の景観はBeaulieu「美しい場所」という名前にふさわしいけれど(ナポレオン一世がここを「美しいところ」と言ったのが、町の名前の起源になったらしい)、ここの見どころは何といっても20世紀初頭にギリシャ考古学者と建築家が、その知識、技術、趣味、そして莫大な資金を存分につぎ込んだ古代ギリシャの別荘の再現、ケリロス別荘だろう。その内部装飾の壮麗さ、趣味の良さは圧巻である。いったいどんな指示を職人たちに与えたのだろうと思ってしまう。

アジュールリングァの遠足では一時間ほどの見学時間しかとってくれないが、本当ならもっと時間を取ってゆっくりこの贅沢の極みのような空間を味わいたい。ニース観光なら、ケリロス別荘は私なら外すことができない場所だ。


ケリロス別荘を見学した後は、ボリュ=シュール=ラ=メールから一駅、ニースに向かった方向にあるヴィルフランシュ=シュール=ラ=メールに行った。ここでアジュールリングァのエリックとはお別れだ。ヴィルフランシュ=シュール=ラ=メールは、岬を挟んでニースの隣にある小さな港町だ。山の斜面がすぐ海岸に迫っている。山と海に挟まれた狭い傾斜地に旧市街が形成されている。パステルカラーの壁の色合いが美しいだけでなく、建物と建物の下のトンネルのような路地があるのが、ヴィルフランシュ=シュール=ラ=メールの旧市街の特徴だ。

旧市街を回り、町を見下ろす16世紀の要塞を海岸側から上った。17世紀の天才築城師、ヴォーバンもこの要塞の設計にかかわったそうで、港を望む石造りの要塞のつくりは堂々たるものだが、史跡として整備されている感じは乏しく、その中心部には入ることができない。この町にはコクトーが内装を手掛けた礼拝堂があり、私の愛用するガイドブック『ルタール』では「見るべき観光スポット」に上げられているが、3ユーロの入場料が必要のため、これまで入ったことがなかった。今回、自由時間を設けて、そのあいだにこの礼拝堂を見学しようと思ったのだが、学生がなんとなく帰りたそうにしているように見えたので、結局見に行かなかった。


夜は学生4人と旧市街に食事に行った。一応学生全員と公平に外食に出かけることにしていて、これが三組目。14人全員で食事を取るとなると、場所や予約、そして帰りの送りが面倒になるので分散して複数回に分けることになった。ステイ先の家飯がおいしいので、金出してわざわざ外に食いに行くのは何かなーという気もするのだが。
この前はクスクスを食べたので、今回はニースのローカルフードのレストランに行くことにした。『ルタール』で高評価で、ニース在住のエリックも推薦していたレストラン・ジェズだ。前から気になっていた店であったが、今一つ行く気がしなかったのが、いわゆるニース料理というものが、結局パスタやピザなどのイタリア料理(それも大衆的な)で、ジェズのメニューにもそうした特に目新しくない料理が並んでいるからだ。学校の食堂の飯もいわゆるフランスの大衆飯だし、わざわざ外でこんなもんを食べることないじゃんという気もしていたのだ。


まあそれでもせっかくニースに来たのだから、ニースらしいものを食って帰るのがいいだろうと、このレストランを選んだ。ここは予約ができない。フランスのレストランはサービスがとろくて、回転はほぼ一回転きりなので、開店直後の7時すぎに行った。地元客、観光客からともに人気のある大衆レストランだが、たぶんここの店にはあまり来ないアジア人の客であるわれわれに対する応対もオープンで明るく、感じがいい。前菜としてニース風サラダとジェズのニース惣菜盛り合わせを頼んだ。これを五人で分けて食べることにした。主菜もできるだけ地元っぽいものをということで、ピストゥ・ソース(バジルやニンニク、松の実などのが入った南仏のソース)のラビオリ、ドーブ(肉の赤ワイン煮)のラビオリとポレンタ(トウモロコシの粉を練ったものらしい)、チーズとキノコのピザ、中に肉などをつめた太いパスタ(名前を忘れた)を頼んだ。この店にはこうした定番ものしかメニューにない。

ニースの観光客向けレストランならどこにでもありそうなものばかりだが、ニース風サラダと惣菜盛り合わせが出てきて、いきなり気分が盛り上がる。盛り付けには繊細さは皆無なのだが、そのどかっとした盛り付けから美味しさが漂っている。そして食べてみると、「おお」と思わず声がでるほど美味しい。単なる「おかず」っぽいおかずなのだが。
メインのパスタ類も期待を裏切らなかった。私はドーブのポレンタ。がっつりしたボリュームだ。最初は食べ切れないのではと思ったが、食べ切ってしまった。学生たちが頼んだものも一口ずつ食べてみたが、どれもおいしい。中でも絶品だったのは、ピストゥソースのラビオリだ。「さあ、食ってみろ!」みたいな雑な大盛が食欲を刺激するし、食べてみるとまさにこれぞ南仏の味という感じだ。大衆的イタリアンではあるが、ジェズの料理にはニースのソウルフードの真髄を味わったような感じがした。サレヤ通りなどにある観光客向けのレストランも値段は高くないし、味も悪くない。でもジェズの料理のほうがはるかにおいしく感じる。大満足だ。気取ったフランス料理なんかよりはるかに満足度が高い。このレストランにはニースに来たら、また食べに来たいと思う。

学生を家まで送って、velo bleuに乗って家に戻る。


2017年3月3日金曜日

ニース研修春2017 (12) 3/2

まあ平穏ないい日だった。
8時半に起床する。午前中は家にいて、夜にニース国立劇場に行く芝居、アルジェリア人作家Aziz Chouaki作の戯曲、Esperanza (Lampedusa)を読んでいた。アフリカから船で、イタリア最南端の島、ランペドゥーザ島を目指す難民の物語だ。フランスに来る前に見たイタリアのドキュメンタリー映画、『海は燃えている』がまさにランペドゥーザ島の難民の問題を扱っていた。ランペドゥーザ島はグーグルで検索すると「船が浮いて見える驚異的な透明度の海の島」といったリゾート地としての情報が多数上がってくる。しかしこの島は年間に5万人の難民が漂着する難民の島でもある。戦争や迫害を逃れ国を捨てたアフリカの難民たちは、チュニジアから数十キロの場所にあるイタリアのこの島を目指すのだ。
内容は非常に興味深いのだが、俗語や口語的表現が多数でてきて、私にとっては難しいテクストだった。


昼はいつものように食堂で学生たちと一緒に食べる。食事前に学校事務所により日曜日の出国の日の送迎時間を確認した。
今日の午後は学校のプログラムによる遠足はない日だった。私個人の企画で、サン=ポール・ド・ヴァンスへの遠足を提案したけれど、思っていたより学生たちの反応は鈍い。正直、ちょっとがっかりなのだけれど、まあ仕方ない。ニースにとどまりショッピングなどをしたい学生が多かった。4人の学生がサン=ポール・ド・ヴァンスに私と一緒に行き、残りの9人はニースに残った。

サン=ポール・ド・ヴァンスは、ニースの西北の丘の上にある石造りの城塞村で、バスで一時間ほどのところにある。コートダジュールにあるこの種の「鷹の巣村」のなかではエズと並んで人気の高い村だ。バスで一時間だが、交通費は片道1.5ユーロ。ニースはバス代は安い。


この村の近くにはメーグ財団の現代美術の逸品を集めた素晴らしい美術館があるが、今日は時間がなくてこの美術館には行けなった。バスを降りて、村の城壁に入ってすぐのところにある観光案内所に行って村の地図を貰った。日本人観光客も多いのか、日本語の地図もあった。観光案内所のお兄さんに見どころを聞くと、愛想よく教えてくれて、実に感じがいい。観光案内所だったら感じいいのが当たり前ではないかという気もするのだが、フランスでは必ずしもそうではない。

村での滞在時間は二時間ほど。まず村を囲む城壁沿いをぐるっと回る。一周するのに約30分くらい。高台の丘の上に村が建設されているため、眺望がすばらしい。ここには古代以来人が住んでいたことが確認されるが、村が城塞化され、反映するのは14世紀のプロヴァンス伯領時代のことだ。コートダジュールの海岸沿いの都市の景観の多くは、19世紀後半以降のベル・エポック期に作られたもので、漆喰でパステルカラーの壁、オレンジ色の瓦屋根が特徴だが、サン=ポール・ド・ヴァンスは道路、建物とも石造りで、周囲も城壁で囲まれていて趣が海岸の都市とは全く異なっている。

20世紀の初め頃までは、サン=ポール・ド・ヴァンスは住民以外にはほぼ忘れ去られた小さな集落だったが、1930年代以降、有名な文人、画家、歌手がこの村に滞在し、観光地として発展していった。シャガールの墓はこの村の墓地にある。村の規模はエズより大きい。村のなかにはレストランやお土産物屋、ホテルのほか、画廊がたくさんある。画廊に展示されている作品は観光客向けのあからさまな売り絵っぽいものよりは、ちょっと凝った作品が並べられている。村から徒歩で20分ほどのところにあるメーグ財団のコレクションの質の高さを思うと、サン=ポール・ド・ヴァンスの多くの画廊の作品は趣味が今ひとつだが。

ぐるっと外周城壁に沿って回ったあとは、村の内部に入り、40分ほどそれぞれ自由に回ることにした。村のなかは写真スポットがいっぱいある。
私はここに来るのは昨年に続いて二度目だ。閉館時間まで10分で、入場料が4ユーロということでちょっと迷ったのだが、17世紀の礼拝堂内部にジャン=ミシェル・フォロンが装飾したモザイク画を見に行った。奥側の正面と側面がフォロンの作品になっている。空間の中央には彫刻が置かれていた。パステルカラー中心の明るいグラデーションで描き出されたフォロンの作品には、入った瞬間、思わず「おっ」と声が出そうになった。鑑賞時間は10分だけだったが見に行ってよかった。


5時前にサン=ポール・ド・ヴァンスを出る。西日が側面から照らすサン=ポール・ド・ヴァンスの風景が何とも言えず美しい。ニースに到着したのは午後6時頃だった。

明後日、土曜の夕方に行われるオーケストラのコンサートのチケットを買いにオペラ座に行ったが、チケット窓口は閉まっていた。夜にニース国立劇場で見る芝居、『エスペランサ』の開演は20時半でだいぶ時間がある。海岸に行って夕暮れの風景をしばらく見ていた。何度見てもニース海岸の夕暮れ風景は美しい。

夕食は一人飯。チュニジア菓子の店に入った。菓子屋なのだけれど、ブリックという巨大な揚げ餃子風の定食は食べることができる。店の中でブリックを食べているのは私一人。この手の大衆的エスニックはやたらと店員が多いが、ここも客がいなくてひまなわりには4、5人の店員がいて、アラビア語やフランス語でがやがや話していた。
ブリックはそれなりおいしい。野菜も添えられていて健康にもよさそう。B級ローカルフードの典型みたいな料理。デザートにアラブ菓子のミルフィーユみたいなものがおいしそうだったのでそれを食べる。これにプラスしてミントティ。13ユーロ。日本の外食を考えるとけっこう高いといえば高い。でもそれなりに満足できる一人飯夕食となった。


学生二人とニース国立劇場で『エスペランサ』を見る。上演時間は80分。予想していたが、戯曲を読んで予習してきたものの言葉は断片的にしか聞き取ることができない。早口で俗語、口語特有の表現がまくしたてられるとお手上げだ。それでも予習のおかげで、何が展開されているのかはわかる。パセティックな話だが、ユーモラスかつエネルギッシュに演じられ、音楽や舞踊的表現がうまく使われている。

苦労と困難を経て、アフリカを旅立ち、新天地であるヨーロッパを目指し地中海を漂う難民たちは、船のなかでいったい何を考え、何を話すのだろう。ヨーロッパが目下直面している難民の問題を正面から誠実にとりあげた優れた戯曲だと思ったし、狭い船上のなかで展開するこの物語を単調に陥ることなくダイナミックに展開させた演出も悪くなかった。二日前に見たブルックの『バトルフィールド』なんかよりよっぽどいい。
嵐で海に投げ出され、はぐれてしまった仲間を見送りながら、「ランペドゥーザ」と叫ぶ最後のセリフは胸に迫った。


2017年3月2日木曜日

ニース研修春2017 (11) 3/1

今日はキリスト教の暦では「灰の水曜日」。これから復活祭までの46日間は四旬節で節制・断食の時期となる。
今日の午後は学校の遠足で、ニースから西に列車で20分ほどのところにあるアンティーブに行った。ニースの周辺のコートダジュールの町のなかでは、ニースに次ぐ規模の町だが、同じ程度の人口のカンヌよりもひっそりとしていて、こぶりに感じる。見どころはピカソ美術館とその周囲の旧市街の落ち着いた佇まい、そして海岸の景観の美しさ。


ニースは旧市街でも建物の高さは七階建てくらいの高さがあるが、アンティーブは建築のスタイルはニースと似ているけれど高さは3-4階のため、ニースのミニチュアのような感じがある。ニースよりもブルジョワ濃度は高いようだ。港には多数の個人クルーザーが停泊し、「大金持ちの港」と呼ばれていると引率のエリックが言っていた。
海岸から東を見ると、遠くにアルプス山脈の雪山が見えて、それが海と空の青と見事なコントラストをなしていて美しい。



アンティーブはごく小さい町だ。最初は駅から港まで行き、旧市街を区切る城壁の上を通って海岸沿いを歩いてかつては領主のグリマルディの城だったピカソ美術館に向かった。ピカソ美術館には他の団体がいたので見学は後回しにして、美術館そばの司教座聖堂を見学し、アブサン博物館のある食材店を見た。


ピカソ美術館はピカソ晩年のプリミティブな作風の作品が多い。ピカソと同時期にアンティーブやニースに滞在した画家のひとり、ニコラ・ド・スタールの作品も展示されていて、こちらのほうにむしろいい作品がいくつかあった。


私はアンティーブの海の色やこじんまりして静謐な街並みがとても好きなのだが、アジュールリングァの遠足ではいつもアンティーブの滞在時間が短い。次回来るときはアンティーブの町のシンボルとなっているプレンザの彫像「nomade」や17世紀の天才築城家、ヴォヴァンの要塞なども見てみたいし、町のなかももっとゆっくり散策してみたい。


アンティーブの滞在時間は2時間半ぐらい。午後5時過ぎにニースに戻る。

夜は学生数名とニース駅南側の少々猥雑な雰囲気のエスニック地域にあるモロッコ料理屋にクスクスを食べに行った。こちらに滞在中にはやはり一回ぐらいはクスクスを食べたい。クスクスはスープをかけて食べるチュニジア風のほうが店が多いが、数種類のスパイスとともに具材とクスクスを蒸し上げるモロッコ風もおいしい。私はむしろモロッコ風のほうが好きだ。この店にはニースに滞在するたびに来ていて、店主とは顔見知りになっている。

子羊肉のクスクスを食べた後、オレンジの花と蜂蜜のお茶を飲んだ。学生には子羊肉を食べたことがない者が多かった。私はフランスでは子羊肉が一番好きだ。四旬節初日なのに早速肉食をしてしまった。

2017年3月1日水曜日

ニース研修春2017 (10) 2/28

平穏な日だった。
8時過ぎに起床する。朝は雨模様だが、午後には雨は上がった。
午前中は家にいた。学会の発表要旨執筆のための勉強をしたり、木曜午後および土曜のスケジュールを考えたり。昼飯前に学校事務所に寄って、午後に学生を連れてニース現代美術館に行く際に持っていく「予約票」を貰った。集団鑑賞の際の予約票、昨年はなかったような気がする。訪問約束の時間は午後4時になっていた。

昼飯は食堂。今日はカトリックの暦の上での「肉の火曜日」mardi gras、すなわちカーニバルの日だ。明日が「灰の水曜日」mercredi des cendresで、明日から復活祭までの46日間は四旬節という節制の時期となる。食堂ではカーニバルの日に食べる習慣があるというbugnesという揚げ菓子がデザートで出た。


飯を食って一度家に戻ってから、午後4時にガリバルディ広場のそばにあるニース現代美術館へ。ニース現代美術館と広場を挟んで向かいにはニース国立劇場がある。このハイブローな二つの施設のあいだの空間が、実はニースで最も危険そうな場所であることを私は昨年知った。二つの施設が開いている日はまだいいのだ。二施設の休館日である月曜の夕方から夜にかけては、この広場はニースの悪の巣窟のような邪悪な空間となる。昨年はそんなことは知らずに、国立劇場前で学生と待ち合わせしたのだが、酔っ払いっぽいやつや薬でらりってんのかという連中のグループがあちらこちらにいて、閉まっている劇場前で学生を待っていた俺をじろじろと見る。そのうちの一人、中年のおっさんがワインの瓶片手に寄ってきて、「おい、中国人、お前は犬を食うのか? 犬を食うのか?」と絡んできたときの不気味さ、怖さ。
昨日夕は、月曜で劇場が休館日だということを忘れてチケットを購入しに行ったのだが、やはり変な連中が何組か固まっていて、これはやばいとすぐに下に降りたのだった。

午後4時に現代美術館の入り口で学生と待ち合わせしていたが、その前に劇場に行って、今夜見るブルックの『バトルフィールド』のチケットを買った。チケットを購入するときに名前と電話番号を聞かれた。チケット半券には私の名前が印字されている。こんなことは昨年にはなかったように思う。


ニースはシャガール、マティス、ピカソ、コクトーなど20世紀フランスを代表する大画家が晩年を過ごした町で、今もここを活動の拠点する画家は多いようだ。美術館も現代作品ばかりを集めた現代美術館のほうが普通の美術館よりもよく知られている。ニキ・ド・サンファルの作品を多数収集しているほか、ニースゆかりの画家で青一色の作品で知られるイヴ・クラインの作品を見ることができる。ゆったりとした展示スペースで、美術空間としてのレイアウトがこの美術館は優れている。あとは屋上の庭園からのニースの眺望も素晴らしい。ニースには高層建築がないので、それほどの高さがない現代美術館屋上からも、広々と町の様子を見ることができる。


美術館のあとは、あさって国立劇場にまた行って、私と一緒に『バトルフィールド』とは別の作品を見に行く学生のチケットを購入し、ニース港の近くにあるノートルダム教会まで散歩。学生と別れたあとは旧市街のケバブ屋で観劇前の一人飯。アダナという牛と羊肉のミンチを棒状にした食べ物の定食を食べる。コーラ込みで17ユーロ。けっこうな値段だけれど、フランスで外食したらこんな感じだ。日本の牛丼屋は偉大だ。レジのお姉さんに「いくら?」って聞くと、「170ユーロ」と大阪のおばさんのようなボケギャグをかまして、ケラケラ笑っている。この店に入るのは初めてではない。前もこのお姉さんは同じようなギャグを言った。


ピーター・ブルックの『バトルフィールド』は世界ツアーで上演が続けられている作品で、2015年にパルコのプロデュースで新国立劇場でも上演があった。英語で仏語字幕の作品だった。日経の内田洋一さんの劇評があってほめていはいるけれど、
http://style.nikkei.com/article/DGXMZO94424580W5A121C1000000
実に地味で単調で枯れ果ててた退屈な作品だった。フランス人観客は大喝采だったが。あんなんでいいのか。脚本も演出もシンプルで素朴。内田さんの劇評はさっきさっと目を通したが、作品を見ただけでこれを褒めるひとがどんなふうに何を褒めるのか予想がついてしまう、そういう芝居だった。日本人のパーカッション奏者、土取利行が舞台上でジャンべを演奏する。劇を締めくくるジャンべの演奏だけはよかった。


帰りはレンタル自転車、velo bleuで。velo bleuを使いこなせれば、ニースの移動は格段に楽になる。劇場から家まで15分。歩いたらこの3倍くらいの時間がかかる。フランスの携帯電話番号が必要、クレカの決済がいまいち不安、一方通行と歩道走行禁止に慣れないなど問題はあるけれど、velo bleu申し込んでおいて本当によかった。