午前はもやもや、夜はすっきりの日だった。
研修二週目の金曜日で学校のプログラムは今日が最後になる。
午前中、学校の運営スタッフのところに挨拶に行った。この夏に日本から8人の先生をニースでの教育者向け研修に呼ぶという計画は、日本側の窓口だったアンスティチュ・フランセ東京の担当者が投げ出してしまい頓挫してしまったようだ。ありがちのことだと思う。しかしこちらから見ると、教員向け研修、ボンジュール・デュ・モンドの責任者であるヤンのやり方も、過剰な美辞麗句は連ねるけれども、行き当たりばったりで計画の具体性が乏しい。日本人の窓口が何の権力もない非常勤講師の私というのも運がないところだが、これはどうしようもない。
この日本からの教員招聘での交渉がうまくいかなかったためか、挨拶にいったもののヤンのこちらへの応対がぞんざいで投げやりに感じられた。夏の研修には今年も私を呼んでくれるとは言ったが、週あたり滞在費を150ユーロ払ってくれと言われたのも、これまでの3年間は滞在費はすべて向こう持ちだったことを思うと、やはりいい気分はしない。たぶん今年の夏もニースで再会したい人がたくさんいるので、結局ニースに行くとは思うのだけれど。ヤンの親密さと親切は、彼の狡猾さと計算高さと表裏一体のように感じられる。こちらも彼の美辞麗句の裏側を読んで、それに合わせて「はいはい、わかってますよ」とにおわせながら愛想よくふるまう。こうした芝居じみた社交的やりとりは、実は私はうんざりだ。もっとストレートにいきたいのだが。彼には私をニースと結びつけてくれたことについて大きな恩義を感じているけれど、こういうところは面倒くさいなあと思う。
最後の授業は終了前30分ぐらいを見学させてもらった。文法的知識はかなりあることはわかったけれど、オーラルが弱く、積極的な発言をする学生は少数だった。ただし学生はとても行儀がよく、友好的で、非常に授業はやりやすかったという評価を担当教員から聞いた。われわれの前はパナマの16歳のグループを担当していたそうだ。ラテン系の十代のやつらの騒がしさを思うと、いくら受動的で反応が鈍いと言っても日本の大学生のほうが教えるほうとしてははるかにやりやすいことは想像できる。例年、私が連れてくる日本人学生の評判は、クラスでも、ホームステイ先でもかなりいい。イタリア人の餓鬼どもの調子ののりかたを見ていると(かわいいんだけど)、確かに日本人って教えやすいだろうなと思う。
午後はエリックの引率で、ニースとモナコの間にある小さな町、ボリュ=シュール=ラ=メールの遠足に行った。ニース駅の集合が15時10分前と遅かったので、飯を食べたあとにオペラ座に寄り、明日の午後にあるオーケストラのコンサートのチケットを購入した。チケット代は学生券が5ユーロ、私は一般券で19ユーロのチケットを取った。
ボリュ=シュール=ラ=メールは、ベルエポック様式の瀟洒な建築が並ぶシックな町だ。海と海に迫る崖の景観はBeaulieu「美しい場所」という名前にふさわしいけれど(ナポレオン一世がここを「美しいところ」と言ったのが、町の名前の起源になったらしい)、ここの見どころは何といっても20世紀初頭にギリシャ考古学者と建築家が、その知識、技術、趣味、そして莫大な資金を存分につぎ込んだ古代ギリシャの別荘の再現、ケリロス別荘だろう。その内部装飾の壮麗さ、趣味の良さは圧巻である。いったいどんな指示を職人たちに与えたのだろうと思ってしまう。
アジュールリングァの遠足では一時間ほどの見学時間しかとってくれないが、本当ならもっと時間を取ってゆっくりこの贅沢の極みのような空間を味わいたい。ニース観光なら、ケリロス別荘は私なら外すことができない場所だ。
ケリロス別荘を見学した後は、ボリュ=シュール=ラ=メールから一駅、ニースに向かった方向にあるヴィルフランシュ=シュール=ラ=メールに行った。ここでアジュールリングァのエリックとはお別れだ。ヴィルフランシュ=シュール=ラ=メールは、岬を挟んでニースの隣にある小さな港町だ。山の斜面がすぐ海岸に迫っている。山と海に挟まれた狭い傾斜地に旧市街が形成されている。パステルカラーの壁の色合いが美しいだけでなく、建物と建物の下のトンネルのような路地があるのが、ヴィルフランシュ=シュール=ラ=メールの旧市街の特徴だ。
旧市街を回り、町を見下ろす16世紀の要塞を海岸側から上った。17世紀の天才築城師、ヴォーバンもこの要塞の設計にかかわったそうで、港を望む石造りの要塞のつくりは堂々たるものだが、史跡として整備されている感じは乏しく、その中心部には入ることができない。この町にはコクトーが内装を手掛けた礼拝堂があり、私の愛用するガイドブック『ルタール』では「見るべき観光スポット」に上げられているが、3ユーロの入場料が必要のため、これまで入ったことがなかった。今回、自由時間を設けて、そのあいだにこの礼拝堂を見学しようと思ったのだが、学生がなんとなく帰りたそうにしているように見えたので、結局見に行かなかった。
夜は学生4人と旧市街に食事に行った。一応学生全員と公平に外食に出かけることにしていて、これが三組目。14人全員で食事を取るとなると、場所や予約、そして帰りの送りが面倒になるので分散して複数回に分けることになった。ステイ先の家飯がおいしいので、金出してわざわざ外に食いに行くのは何かなーという気もするのだが。
この前はクスクスを食べたので、今回はニースのローカルフードのレストランに行くことにした。『ルタール』で高評価で、ニース在住のエリックも推薦していたレストラン・ジェズだ。前から気になっていた店であったが、今一つ行く気がしなかったのが、いわゆるニース料理というものが、結局パスタやピザなどのイタリア料理(それも大衆的な)で、ジェズのメニューにもそうした特に目新しくない料理が並んでいるからだ。学校の食堂の飯もいわゆるフランスの大衆飯だし、わざわざ外でこんなもんを食べることないじゃんという気もしていたのだ。
まあそれでもせっかくニースに来たのだから、ニースらしいものを食って帰るのがいいだろうと、このレストランを選んだ。ここは予約ができない。フランスのレストランはサービスがとろくて、回転はほぼ一回転きりなので、開店直後の7時すぎに行った。地元客、観光客からともに人気のある大衆レストランだが、たぶんここの店にはあまり来ないアジア人の客であるわれわれに対する応対もオープンで明るく、感じがいい。前菜としてニース風サラダとジェズのニース惣菜盛り合わせを頼んだ。これを五人で分けて食べることにした。主菜もできるだけ地元っぽいものをということで、ピストゥ・ソース(バジルやニンニク、松の実などのが入った南仏のソース)のラビオリ、ドーブ(肉の赤ワイン煮)のラビオリとポレンタ(トウモロコシの粉を練ったものらしい)、チーズとキノコのピザ、中に肉などをつめた太いパスタ(名前を忘れた)を頼んだ。この店にはこうした定番ものしかメニューにない。
ニースの観光客向けレストランならどこにでもありそうなものばかりだが、ニース風サラダと惣菜盛り合わせが出てきて、いきなり気分が盛り上がる。盛り付けには繊細さは皆無なのだが、そのどかっとした盛り付けから美味しさが漂っている。そして食べてみると、「おお」と思わず声がでるほど美味しい。単なる「おかず」っぽいおかずなのだが。
メインのパスタ類も期待を裏切らなかった。私はドーブのポレンタ。がっつりしたボリュームだ。最初は食べ切れないのではと思ったが、食べ切ってしまった。学生たちが頼んだものも一口ずつ食べてみたが、どれもおいしい。中でも絶品だったのは、ピストゥソースのラビオリだ。「さあ、食ってみろ!」みたいな雑な大盛が食欲を刺激するし、食べてみるとまさにこれぞ南仏の味という感じだ。大衆的イタリアンではあるが、ジェズの料理にはニースのソウルフードの真髄を味わったような感じがした。サレヤ通りなどにある観光客向けのレストランも値段は高くないし、味も悪くない。でもジェズの料理のほうがはるかにおいしく感じる。大満足だ。気取ったフランス料理なんかよりはるかに満足度が高い。このレストランにはニースに来たら、また食べに来たいと思う。
学生を家まで送って、velo bleuに乗って家に戻る。
0 件のコメント:
コメントを投稿