2017年3月10日金曜日

レンヌ・カン・パリ2017春(5)3/9

カーン最終日、今日も昨日に引き続き、雨模様の日だった。大雨は降らなかったけれど、時折小雨がぱらつく天気。
折り畳み傘をまたどこかに置き忘れていることに気付く。ケバブ屋か劇場だと思うのだが、また探しに行ってなかったらその労力と時間が馬鹿らしい。

一時にランチを竹中香子さんと取る約束をしていたので、それまで町の高台にあるカーン城に行った。12‐13世紀の城塞だったここには美術館とノルマンディ博物館がある。この美術館の評価が私が愛用するガイド『ルタール』ではかなり高かった。
城塞の中は円形の広場のようになっていて、その中にいくつかの建物がある。中央の教会が切符売り場。美術館と博物館のセットチケットが6ユーロと安い。


美術館には16世紀ルネサンスから現代にいたる作品が並んでいる。16世紀イタリアの画家の作品のなかに、私が見たことがない聖セバスチャン像が3作品あった。16世紀におけるこの聖人の人気の高さがわかる。矢に打たれて殉教した聖セバスチャンは19世紀に同性愛者の守護聖人となった。ダヌンツィオが中世フランスの聖史劇をモデルに書き、ドビュッシーが音楽をつけ、バレエ・リュスのイダ・ルビンシュタインが聖人を演じた作品がある。三島由紀夫が翻訳している。数年前からこの作品に関心を持っていろいろ調べている。

美術館の常設展の作品は知らない作家の作品が多かったが、そのクオリティは高い。美術の点では地方の美術館でもこのレベルなのだから、日本の美術館はとうてい太刀打ちできない。このところオウィディウスの『変身物語』や聖書や聖者伝をモチーフとする演劇作品に関心を持ち調べている。パリに行ったらやはりルーブル美術館に行って、自分が関心があるモチーフの絵画を探しておこうと思った。

常設展のコレクションもよかったが、特別展のマルク・デグランシャン Marc Desgrandchampsもよかった。不安定で繊細な心理状況を反映したかのような不思議な人物と風景を描く画家だ。おばあさんの団体対象に学芸員がレクチャーをやっていて、その団体に交じってそのレクチャーを聞きながら作品を見た。若い女性の学芸員だったが、この解説が素晴らしいものだった。絵にあるいくつかのモチーフを解釈するためのキーワードを提示し、そこから豊かな語彙と表現で描かれた世界を敷衍していく。画家とのインタビューの内容や絵に反映された古典作品の引用なども説明に加えていく。紹介の構成もよく練られていたし、その動作さや表情の変化もまるで女優やダンサーの演技のように優雅で美しかった。フランスはこの手のガイドの解説のレベルが高い。どこでもしっかり勉強させられてしまう。


竹中さんとのランチは、『ルタール』で紹介されていた旧市街のフランス料理屋に行った。『ルタール』の食べ物とホテルの記述は、私はかなり信用している。もともとはバックパッカー向けなので安いレストランも紹介されているのもありがたい。今日入ったのは私にとってはちょっとぜいたくめのレストランで、昼の定食が20ユーロ。この値段で主菜+デザート+飲み物になっている。メインにトリップ(牛のモツ煮込み)があったので私は迷わずそれを選ぶ。前からフランスでモツを食べたかったのだ。このモツ煮込みはカーンの名物料理らしい。竹中さんはサケの料理を頼む。
このモツ煮込みが絶品だった。ボリュームもあるし。まさにフランスでこういうものが食べたかったんだという感じ。大満足である。店のおじいさんも愛想がよく、気持ちよく食事をすることができた。


食事後、竹中さんと別れ、私はバスに乗ってカーン戦争記念博物館に行く。ここは『ルタール』で高評価。そして入場料も19ユーロとこの手の博物館では別格に高い。行くと中学生の団体が校外学習でたくさん来ていた。
内容は第二次世界大戦以前と第二次世界大戦以後の世界についての膨大な写真、映像、テクスト資料である。もちろん兵器や軍服などの実物の展示もある。しかしその質と量に圧倒される。昨日のバイユーの戦史博物館の数倍の規模だ。
日本も戦争に勝っていたらこんな博物館を作っていただろうか。第二次世界大戦における日本についても多くの展示があった。南京大虐殺やパールハーバーについても。ただし原爆についてはなかった。ドイツにはこの種の戦争博物館はあるのだろうか。

展示内容は必ずしもフランス万歳にはなっていない。戦争をさまざまな資料から立体的に提示することを目指したきわめて教育的な内容だ。こうした博物館・美術館での教育的側面については、フランスは本当に大したものだと思う。しっかり見て回れば、丸一日はゆうに過ごせる内容の博物館だった。第二次世界大戦から冷戦終了まで膨大な資料が展示されていたが、フランスの植民地支配やアルジェリア戦争などの自国の暗部はこの戦争博物館では当然展示されていない。


戦争博物館のあとは、ノルマンディ公ギヨームが眠る男子大修道院とその付属教会に行った。男子修道院の建物の一部は市庁舎として使われている。付属教会は巨大だが中はがらんとして装飾は控えめだ。私以外に誰もいなかった。


バスを乗り継いで宿に戻り、スーツケースを受け取る。タクシーで駅へ。
カーンには二泊したが、どこでも人の応対は感じがよかった。カーンから特急列車でパリへ。時間は2時間弱、料金は18ユーロ。パリのサンラザール駅に着いたのは午後9時前だった。


サンラザール駅から13区の端にある宿泊所へはタクシーで行った。20ユーロ。
10年ぶりのパリだ。やはり大都市だなあと思う。13区は中華街だ。今回、中華街に宿を取ったのは国立図書館まで行くのが便利なのと、夜に手軽に食べられるフォーなどの店がたくさんあるからだ。13区の中華街には食事や買い物で比較的よく足を運んだが、町を歩いているのはアジア人ばかりでなんとなく落ち着く。

宿はイタリア広場から伸びるショワジー通りの突き当りの近くにある。この辺には高層ビルが建っていてそのうちの一つが宿になっていた。夜遅くにここら辺に来るのは初めてだった。宿に入るには通りから横に伸びるビルのあいだの歩道を通って行かなければならない。この歩道が暗くて、しかも元気のよさそうな若者がたむろしていてかなり物騒な感じだった。宿自体は18階建てのビルで、部屋は広くてきれいだった。
http://www.booking.com/hotel/fr/apparteo-paris-13.ja.html?aid=356982;label=gog235jc-hotel-ja-fr-apparteoNparisN13-unspec-fr-com-L%3Aja-O%3AwindowsSnt-B%3Achrome-N%3AXX-S%3Abo-U%3Ac;sid=a8a128ed94565b6a9bfa60e6cd3ac6f7;checkin=2017-03-26;checkout=2017-03-27;h2h=1;keep_landing=1;redirected=1&

部屋の感じは上のサイトの写真の通り。値段を考えると非常にいいと言っていい。
問題は夜の周囲の環境である。高層ビルのあいだの路地を通って入り口に入るのだが、その路地に危険な香りが漂っている。グーグルマップではわからないことがある。この辺りはよく知っているつもりだったのだが、実際に夜に来てみると思っていたのとは雰囲気が違った。中国人街はなんとなく怖くないと思っていたのだ。安くて清潔、広い、快適ではあるが、夜の周辺環境ゆえに女性にはとうてい薦められない。


すぐ近くに中華料理屋があるのがありがたい。しかも夜遅くまで営業している。一番近くにある中華料理屋で、ビーフンのような細い米麺に鴨肉をのせたラーメンのようなものを食べた。汁麺を食べるのは久々だ。
中国人はわれわれと外観が似ているだけによけ、そのメンタリティと言動パターンに「え、それはないでしょ」と違和感を覚えることは正直たびたびあるのだけれど、フランス留学中・滞在中に中華レストランやスーパーで被った食の恩恵を多大さを思うと、中国人の悪口なんぞ言えるものではない。中華料理屋、食材店のおかげで、どれだけ海外の日本人は救われていることか。

食事のあと、ホテルに戻ると、入り口付近の喫煙場所で煙草を吸っていた女性宿泊客に、黒人少年が近づいてなんか絡んでいるみたいな感じだった。自分が介入するのは怖かった。ホテルにホテルのフロントのスーダン人のところに行き、「悪ガキが外でたばこ吸っている女性にちょっかい出しているみたいだ。出て行ってみてくれ」と頼む。フロントのスーダン人が外に出たときには、若者は向こうに行っていた。




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