2017年3月7日火曜日

レンヌ・カン・パリ2017春(2)3/6

学生たちから無事に東京に戻ったという連絡がLINEで入ってほっとする。
ホテルで朝食を取ったあと、旧市街を散策する。しかし気温が低いううえに風が強い。雨もぱらつく。ホテルの近くに美術館があるのでそこで時間をつぶそうかと思ったのだが、月曜は休館日だった。観光案内所に行って見どころを確認しようと思ったが、観光案内所も月曜は午後からの営業でしまっていた。
観光案内所の近くにサン=ピエール大聖堂があったのでそこに入った。大聖堂だけあって巨大で壮麗な建築だったが、聖堂の中には誰もいない。建物自体は19世紀の比較的新しい建物だ。ここが人でいっぱいになるのはどのような機会なのだろうか。


サン=ピエール大聖堂から歩いて五分ほどのところにある聖救世主聖堂(Basilique de saint-Sauveur)で正午過ぎからミサがあると掲示があったので、それを見学しに聖救世主聖堂に行った。フランスはヨーロッパ諸国のなかでもとりわけ宗教離れが顕著で、地方の教会には打ち捨てられたようなところが多いと聞いていたが、平日のミサにもかかわらず聖救世主教会には100人ほどの信徒がミサを授かりに来ていた。ミサを最初から最後まで見学する。時間は30分ぐらいだった。

昼飯はグーグルマップで「このへんでランチ」を検索して出てきた店のなかから選んだ。ケベック名物のプーチンを出す店があることがわかり、そこに行くことにする。東京では下北沢にプーチンの専門店があるのだが、レンヌのプーチン屋はプーチンに恥じないヴォリュームを出す店だったので大いに満足する。本場だけあってレンヌにはクレープ屋が多いが、ブルトン人たちはあんなささやかな量のクレープを上品につまむだけで本当に満足しているのだろうか。まあ満足しているからたくさんあるのだと思うが。


フランスの旅行者用simのインターネットのクレジットがかけていたので、オレンジの代理店に行ってあらたに3ギガバイト分の通信をチャージする。25ユーロ。かなり高い。ところがチャージしたはずなのに、この直後から3G、4Gでの通信ができなくなった。確認したらちゃんとチャージされているのに。夕方の7時過ぎになってまた突然、3G、4Gで通信できるようになった。こういったイレギュラーな事態がフランスでは多い。いったい何が原因なのか。

トリップアドバイザーでレンヌの観光の見どころの上位に入っていたブルターニュ高等裁判所に入る。裁判所が観光ポイントというのが今一つピンと来なかったのだが、どんどん人が入っているのでとりあえず入ってみることにしたのだ。堂々たる建築物であるが、かなり最近火事で焼失したものを再建したもののようだ。中はやはり裁判所だった。観光客ではなく、中にいるのは弁護士とか裁判の傍聴人とかの当事者ばかりのよう。レンヌ旧市街は石畳の道と木組みが見える漆喰壁の建物など街並みの風景は面白いけれど、観光ポイントはニースに比べるとかなり少ないように思える。
とにかく寒かった。オペラ座の建物を見て、ホテルに戻る。寒さのせいかおなかの具合も変で、ホテルではトイレにくぎ付けの状態になる。


明日はカーンに列車で行く。列車の時刻を調べてみるとローカル線の直通は一日に2本ぐらいしかない。TGVとローカル線の乗り継ぎもあるが、このほうが時間がかかり、金もかかる。朝9時発の列車に乗らなくてはならないことがわかり、日が暮れてから駅に行って切符を買う。駅舎とその周辺は大工事をしていて、切符売り場もスーツケースをもってだとかなり行きにくいところにあった。前もって切符を買っておいてよかった。

駅から路線バスにのって、レンヌ郊外でレストランを経営しているフランス人の友人を訪ねた。エレーヌとジュリアンは若い夫婦で、2014年の秋に私がニースで知り合ったイザベルとともに日本にやってきた。彼らはニースのレストランで働いていたがそれを辞め、ニースの住宅も引き払って、2014年秋から約1年間、日本を皮切りに東南アジアの国々を放浪旅行したのだ。私が彼らと知り合ったのは2014年秋の東京だ。到着日に一緒に食事をし、それから箱根への日帰り旅行を彼らとした。エレーヌはピアスとタトゥーだらけの奇抜なファッションの女性だった。70年代のヒッピーを連想させるカップルだが、私はごく短いつきあいのなかで、彼らの精神の自由さ、開放性、そしてエレーヌの強烈な個性に引き込まれてしまった。彼らに会って話した人は、誰でも彼らのパーソナリティに引き込まれるのではないだろうか。

なんとなくエレーヌとジュリアンにはまた会う機会があるのではないかと思っていた。そして今回、ニース研修の直後にカーンで竹中香子さんの舞台が見られそうだと思ったとき、これを利用してレンヌにいる二人に会いに行こうと思ったのだ。今回のレンヌ滞在の主目的は二人との再会にあったと言ってもいい。偶然ニース発レンヌ行き飛行機も、ちょうどいい時間にあった。


エレーヌのジュリアンの経営するレストラン・バーは、レンヌ市街からバスで20分ほどの場所にある。まず観光客は来ない場所だ。周りは郊外の田舎町という感じだが、いくつかの大きな企業が付近にあり、そこで働いている人たちがランチを食べに来るそうだ。夜は地元に住む人が食事をしたり、酒を飲みにやってくる。

午後7時ごろにレストランに着くと、エレーヌとジュリアンは前菜を用意して私を待っていてくれた。2時間半ほど歓談しながら食事を楽しむ。エレーヌは妊娠していて、7月に出産予定とのこと。二人にとってはほとんど無縁の地だったレンヌでのレストラン経営だが、常連客も増えてビジネスはうまくいっているようだ。ブルトン人は酒飲みだというステレオタイプがあるが、酒の飲み方は南仏人とはやはり大きく違うらしい。ビールを好み、つまみはごく少量しか食べない。ある面、日本人と似た飲み方だ。酒量も南仏人より多いそうだ。ブルターニュはニースよりも人がおだやかで、はったりが少ない、そしてよそ者にも寛容で、商売の面でも生活の面でもニースよりはストレスが少ないと彼らは言う。私もニースからブルターニュに来て、なんとなくほっとした気分になっている。学生監督の緊張から解放されたということもあるけれど、ニースは楽しいし、ニースの人は陽気で気さくではあるけれど、どっかで腹の探り合いみたいことが必要で、完全に油断はできないという感じである。

二度会えたのだから、三度もあるだろう。エレーヌとジュリアンにもまた会う機会があると思う。帰りはホテルまでジュリアンが車で送ってくれた。

0 件のコメント:

コメントを投稿