2017年3月13日月曜日

レンヌ・カン・パリ2017春(8)3/12

日曜日。
午前中は5区にあるサン=ニコラ・デュ・シャルドネ教会のミサを見学に行った。17世紀の建築のこの教会は1977年2月に、16世紀のトレント公会議で定められたミサ形式に固執する伝統主義カトリック信者集団に乗っ取られ、以降ここでは16世紀以来のラテン語ミサが行われている。このカトリック伝統主義者集団は、聖ピオ十世会である。私の友人(日本人女性)に聖ピオ十世会に所属する信者がいて、彼女にシャルドネ教会のことを教えてもらった。聖ピオ十世会はローマ・カトリック教会からは破門されているが、最近になって教皇フランシスコのとりなしで和解の道が模索されているらしい。

カトリック教会では中世以降、ミサなどの典礼はすべてラテン語で行われていたのだが、1960年代の第二バチカン公会議で各国語でミサが行われることが認められて以降、ラテン語でミサを行うことは、全くなくなったわけではないが、きわめてまれになった。聖ピオ十世会はこの決定に反対し、トレント公会議以来のミサ形式を遵守している。東京では公民館のようなところを借りて、月に一、二度、フィリピンから司祭を呼んでミサを行っている。

この一年ぐらい中世の典礼劇に興味を持って読み始めているのだが、典礼劇の多くは典礼儀式の一部だったと考えられているので、その式次第がどうなっているのかが気になった。現在行われている典礼と中世の典礼では、伝統主義者の聖ピオ十世会のものであっても相当大きな違いがあるのだが、実際にミサに参加してその式次第や雰囲気を知ることは、典礼劇理解にとって重要なことではないかと思っている。本当は修道院の聖務日課の様子を知りたいのだけれど、とりあえず信者でなくても参席できる日曜ミサから始めてみることにした。今回は四旬節の時期のミサ典書(もちろんトレント式のミサのもの)をコピーして、シャルドネ教会のミサに参席した。しかし実際のミサは、私の持参したミサ典書のコピーに記述されない式次第も含んでいて、結局よく把握できないまま。まだまだ勉強が足りない。通常文テクストのキリエ、クレドなどは、歌えたのでよしとするか。
日曜日はこの教会では朝8時から「読むミサ」「グレゴリオ聖歌を歌うミサ」「大ミサ」と三つのミサが続くのだがその違いがわからない。私はグレゴリオ聖歌のミサと大ミサに参加したが、大ミサでもグレゴリオ聖歌は歌う。中世ラテン語宗教劇を研究していて、ミサの式次第も頭に入っていないというのはちょっと恥ずかしい気がする。また機会を見つけて出てみたい。

シャルドネ教会のミサでは少年聖歌隊が聖歌を内陣で歌う。当たり前だがすごく上手だったので「おお」と感動。


意外だったのはミサの参加者の数だ。これまでガラガラの教会しか見ていなかったし、フランスでは特にカトリック離れが激しいと聞いていたので、聖ピオ十世会というカトリックでも異端的集団のミサだけあって、ひっそりと少人数で行われていると思っていたのだ。ところがそうではなかった。10時半から始まる大ミサには、ミサの身廊の席がほぼ埋まり、おそらく1000人以上の信者が集まっていたのだ。教会の正面大扉が開かれるのも初めて見た。シャルドネ教会は、聖ピオ十世会の活動拠点であり、おそらくパリでは唯一ということもあって、熱心な信者が集まるのかもしれない。

カトリック教会は政治的保守主義と結びつくことが多いが、カトリックのなかでも急進派である聖ピウス教会もその傾向があり、フランスの極右政党であるFNの党首マリーヌ・ルペンの三人の子供はここで洗礼を受けたとウィキペディアに記述があった。マリーの父親であるジャン=マリー・ルペンも定期的にこの教会のミサに出ているそうだ。カトリック教会(に限らないか。アメリカではプロテスタント教会は保守主義に近い)が政治的保守主義となぜ結びつくのかについては、いろんな人の解説があるはずだ。以前調べたような気もするのだが、帰国したらまた調べ直してみたい。

昼食はパリで長年ガイドをやっているジュリーさんと一緒に教会近くのカフェで食べた。ジュリーさんはパリの軽犯罪情報についてツィッターで流しているのにまず興味を持ち、それからFBで交流を持ち、昨年夏に彼女が日本に来た時に会って大衆演劇を一緒に見にいった。私と同い年のパワフルな女性だ。彼女はカトリック信者なので、カトリックから見た聖ピオ十世会の話であるとか、ガイドでのいろいろなエピソードなど興味深い話をいろいろ聞いた。


ジュリーさんと別れてから、ノートルダム大聖堂とクリュニー美術館を見学し、それからRERのB線に乗ってパリの南郊外、ソーSceauxにあるジェモーLes Gémeaux劇場に芝居を見に行った。ここでカリブ海にあるフランス海外県、マルティニーク島の大作家、エメ・セゼールの『クリストフ王の悲劇」が上演されることを昨日知って、予約を入れたのだ。今日の公演が千秋楽だった。

文学者であり政治家でもあるエメ・セゼールについてはその名前ぐらいは知っていたけれど、興味を持ったのは昨年春にカリブ海文学を専門とする立花英裕先生の講演を日仏文化協会で聞いたのがきっかけだ。彼は1960年代に何編かの戯曲を書いていて、その紹介を立花先生がその講演でしたのだ。世界最初の黒人国家、ハイチ独立についての戯曲『クリストフ王の悲劇』はセゼールの代表作であり、日本語訳も出版されている。立花先生の話を聞いた後、日本語訳を読んだのだが、今回、上演を見られるのはとてもラッキーだった。日本ではまずこの戯曲が上演されることはないだろう。フランスでもそんなに頻繁に上演されるとは思えない。
マルティニークの俳優たち、カンパニーなのだろうか、数多くの登場人物がいる芝居だが俳優はほとんどが黒人だった。そしてそのフランス語も、フランスのパリのフランス語とは明らかに異なるなまりがある。上演時間は2時間40分ほど。休憩はなかった。舞台奥にはピアノ、チェロ、ベース、ドラムのバンドがいた。

ハイチ独立達成後に、民族的英雄から独裁者と変貌してしまい、その政治的矛盾のなかで窮地に陥っていくクリストフ王とハイチ民衆の姿が描かれている。フランスのことばの演劇の伝統を引き継いだような膨大なセリフ量で表現もかなり詩的だ。正直なところ、耳での理解は相当な集中力が要求され、私のフランス語力では単語や表現の意味はとれても、それを詩的に連鎖させて理解するのが追い付かない。

芝居のできは、劇評では絶賛されていたようだが、私には今一つに思えた。俳優の練度が今一つ。ここ数日のあいだにフランスで見た数本の芝居の俳優の演技の巧みさ、洗練と比べると、演技のクオリティは明らかに落ちる。俳優の練度が低くても(練度が低いは正確ではないかもしれない。表現のニュアンスが乏しいというか)それを生かす演出というのがあるはずなのだが、演出上の工夫も乏しい。
セゼールの代表作をマルチニークの俳優たち(おそらく)で見られたということは重要な経験だったが、舞台としてはあまり楽しめなかった。
観客は大喝采だった。ただフランス人の観客はどこでもなんでも大喝采しているように思える。大喝采することまで含めて楽しんでいる感じというか。ごくまれに自分たちの思っていたのと激しく異なる表現にブーイングというのがある。

夕食は近所でフォー(ではないかもしれないが)を食べる。チャーハンやおかずものは、日本の大衆中華でも食べられそうなので、パリの中華街飯はフォーを選んでおこうと思った。

0 件のコメント:

コメントを投稿