2017年3月15日水曜日

レンヌ・カン・パリ2017春(10)3/14

明日、水曜の午後2時半パリ発の飛行機に乗り、ドバイ経由で東京に帰る。東京着は3月16日(木)の夕方になる。
昼前には空港に向かわなくてはならないので、明日は飯を食べた後、荷造りで時間がつぶれてしまう。実質的に今日がパリ、そして今回のフランス滞在最後の日であり、旅日記もこれが最終回だ。


朝8時半に起床し、朝食を食べた後、フランス国立図書館へ行く。お土産の類を買いたかったし、本とDVDもパリにいるあいだに見ておきたかったので、14時ぐらいに図書館からでる。宿舎の近く、ショワジー門のそばにある大型スーパーでお土産用の板チョコを仕入れる。日本からフランスへのお土産もチョコ、その逆もチョコ。土地土地で色んなバリエーションがあって、かつ誰でも安心して食べることができるので、チョコは万能のお土産だ。カカオ原産地では、児童労働が問題になっていて、現地の人はチョコを口にすることがほとんどないという話をどこかで読んで気になってはいるが。フランスは板チョコのバリエーションは多く、そして安い。チョコ専門店のチョコは店によって個性があっておいしいのだけれど、やはりけっこう高い。


一度宿舎に戻り、パソコンやスーパーで買ってきた食料品などを部屋に残す。本とDVDを見ておきたかったのでサン・ミシェルのジベール・ジューヌに行ったが興味を引く本やDVDは見つけることができなかった。レアルのFNACに行ったが、やはり自分の関心を引くようなものは見つからなかった。娘のお土産で「ジョジョ」のフランス語版を2冊、そして自分の授業の教材資料としてアメリー・ノトンの日本を題材とした小説のアンソロジーを買う。DVDとしては、ジュネの『女中たち』のモデルとなったパパン姉妹の殺人事件を題材とした映画が数本あって(そのうちの一つがシャブロルの傑作『沈黙の女』)、FNACにあれば買って帰るつもりだったのだが、売れ線ぽい映画しか店には並んでいない。デレク・ジャーマンの全編ラテン語映画『セバスチャン』やオリヴェイラ『繻子の靴』も売っていないかなと思ったけれど、売っていない。

ちょっと考えてみればこうした自分の嗜好に合うものは3000円ぐらいの送料はかかるとはいえAmazonでは注文できるわけで、実店舗でぐだぐだ時間をつぶしたのはもったいなかった。娘の土産の『ジョジョ』フランス語版もノトンの小説もamazonで帰る。スーパーで買った板チョコも、買おうと思えば高くはなるけれど楽天の店や成城スーパーでは売っているらしいし。現地でしか買えないものなんてほとんどない。

せっかくフランスに来て最後の日だというのに、現地でしか買えないというわけではない買い物に時間をつぶすなんて馬鹿みたいだった。美術館にでも行っていればよかったと思う。


レアルのFNACからバスティーユに向かう。途中、マレ地区のサン=ポール サン=ルイ教会に寄った。ちょうど晩課の祈りがはじまる時間だった。身廊には5人ほどの人間がいた。教会のなかに祈りの文句が反響する。外の通りの喧騒とはまったく別の静謐な美しい時間だった。


最後の夜は、バスティーユ・オペラにバランシン振付の『夏の夜の夢』を見に行くことにした。バレエの『夏の夜の夢』を見たことはないし、バランシンの作品も見たことはない。この三月は竹中香子さんが出るギヨーム・ヴァンサンの『夢とメタモルフォーゼ』を見て、帰国後はRoMTの『夏の夜』、そしてSPACの野田版『真夏の夜』を見ることになっている。カクシンハンも同時期に『夏の夜』を上演する。そういうことなら『夏の夜の夢』のいろいろなバージョンを見比べてみようと思ったのだ。それにせっかくパリに来たのだからやはりオペラ座には足を運んでスペクタクルを見ておきたい。滞在の締めくくりにこうした大きなスペクタクルは悪くないような気がした。


バランシン版『夏の夜の夢』は信じられないくらい感動してしまった。一幕目で夢心地だった。一幕目で『夏の夜の夢』のエピソードはほぼ完結している。休憩後の二幕目は40分ほどの長さしかない。二幕目は3組のカップルの結婚式の枠組みを利用した華やかなレビューだった。しかし最後はやはり原作通り、パックのソロで締めくくるのだ。この最後の場面の緊張感に満ちた美しさには、見ていて心臓がどきどきした。いったいなんなんだ、これは!終わった瞬間、自分で自分のほっぺたを思わず叩いてしまった。バレエの良しあしを判断できるほどの本数を自分は見ていない。しかしこれはまさにその劇世界が提示するように、その夢幻的な世界のなかで陶酔に浸ることができる最高のスペクタクルだった。フランス滞在の最後の夜をこんなスペクタクルで締めくくることができて私は幸せだ。


夕食はバレエの後、宿舎の近くの料理屋で、今、パリではやっているというボブンという麺料理を食べた。ヴェトナム風まぜそばという感じである。春巻きや肉がたくさん入っている。甘酸っぱい汁をかけて、まぜて食べる。あっさり味だ。美味しかった。
今回、中華街の端に宿を取ったのは正解だった。夜遅くなると暗がりに元気な若者がたむろっていてちょっと怖い雰囲気はあるけれど、中華ヴェトナム飯は比較的安いしおいしい。サービスも早いし、一人でも入りやすい、しかもかなり夜遅くまで飯を食べられるというのがありがたい。そして私は中華街の雰囲気が好きだ。レストランで働く人たちやここらへんを歩いている人たちのどこかふてぶてしくて、自信に満ちた表情や動きが、とても好きだ。


パリにはずっと苦手意識があった。私の二回の留学先はいずれもパリだったのだが、大嫌いになってもしかたがないようなつらい出来事や不愉快な出来事が留学の最後の時期にいくつかあり、その後、二回、短期滞在したときも、フランス人相手に戦闘態勢を取らなければならないようなトラブルがあった。パリに俺は愛されていないなあと思っていた。パリはつらい片思いの相手で、こっちは大好きだって言っているのに向こうは俺に意地悪なことばかりやってくる、ということで憎悪も倍増という感じだった。今回、10年ぶりのパリ滞在だったのだが、この間にこうした嫌な記憶が自分のなかで増幅していた。だからパリに着くまえは、「またどうせ嫌なことがあるに違いない」とちょっと憂鬱で不安な気分だった。


10年ぶり、わずか6日間の滞在のパリだが、やはりパリは別格に面白い、刺激的な町だ。美術館やスペクタクルなどの観光資源が充実しているだけではない。さまざまな民族的出自の人間、そして観光客を含めさまざまなスタイルで町を歩く人たちがいて、その多様性がパリならではのダイナミズムを作り出している。いろんなタイプの人間にパリの町では出会うことができる。私の滞在した13区の中華街や昨日ヘミさんと食事をしたアフリカ系移民の多いサンドニ界隈の町の独特の風景や香り、雰囲気には、気持ちが高揚する。ちょっと緊張感を維持しつつ、互いの距離を測りながら多種多様な人間がパリでは集まり、それが町に活気をもたらしている。気取った美しさも猥雑で庶民的な親しみやすさも、そして未知で異質なものの怖さもある。メトロや街並みの薄汚れたところが実にかっこいい、これがパリだ。街角のいたるところがそれぞれの個性を主張している。落ち着いたなまぬるさがない。とんがっていて、アグレッシヴな魅力にみちている。パリにいると自分の感覚が研ぎ澄まされていくような感じがする。
ニースは気さくで親しみやすく、そして美しい町だ。しかしその感覚は20世紀はじめのベルエポックのブルジョワ文化で停滞している感じがする、パリと比べると。パリは今もなお、刷新の活力を失っていないように見える。


くそみたいに不愉快な人間に出会う確率も多いが(今回の滞在では幸いなかった)、あと私にはあんまり優しくない町ではあるけれど、パリは最高だ。この町で暮らすと言うのは特権的な体験だと思う。ああ、私もまたここで長期滞在できればなあ。




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