2020年2月18日火曜日

2020/02/17 ニース研修第3日

月曜日。今日から語学学校の授業が始まる。学生たちには朝8時半までに学校に行くように伝えていた。今回は17名の学生を2クラスに分けて貰った。フランス語を学んで一年目と二年目以上の学生が混じっているけれど、会話能力という点では学生たちのフランス語力それほど大きな差があるわけではない。

授業初日の今日は、私は授業を受けるわけでないのだが、ちょっと緊張して憂鬱だった。学校側から先週の金曜の夜、私たちがすでに飛行機に乘っている時間に送信されたメールに「突然で申し訳ないが、プログラムに小さな変更がある。新しいスケジュールは添付ファイルを参照のこと」というのがあったからだ。添付ファイルを開いてみると、2週目の授業が午前から午後に変更され、遠足が午後になっていた。これまで常に授業は午前、遠足が午後に設定されていたのだから、この変更は小さなものではない。授業が午後になると、現地での生活の組み立て方が根本的に変わってしまう。

こんな大きな変更を「小さい」変更と記して、その変更の理由を示していないのが、非常に不愉快だった。「二週目には午前中の授業を行わない? これは「小さな」変更とは言えない。明確な理由の説明もなしにこういう変更を受け入れることはできない。この件については月曜日に責任者と真剣に討議する必要がある」という返事をすぐに送った。

学校側のクソみたいな言い訳を聞いて、それに反論して、変更の撤回まで持っていく面倒な「けんか」をしなくてはならないかなあと思って気が重かったのだ。こういうことはこれまで何回もやってきた。

メールを書いたのは今年学校に正規雇用になったばかりの若い女性のスタッフで、朝、学校で私に合うと、ちょっと警戒したような硬い雰囲気があった。授業プログラムの責任者とはこの研修プログラムが始まった6年前から知っている中だ。お土産の「キットカット抹茶味」(学校へのお土産は毎年これで、ミキオといえば、キットカット抹茶味という具合になっている)をその授業担当責任者に渡しながら、この件について彼に確認し、二週目の授業を午後にすることは受け入れることはできないと伝えた。すると「ちょっとすぐにはわからない。午前中は新しい受け入れ学生のレベル分けテストで忙しいので、あとで確認して、午後にこの件について返事する」ということだった。結果的には2週目の授業は従来通り、午前に行うと昼前に彼から連絡があった。

私の伝え方がちょっと攻撃的過ぎてギクシャクしてしまったかなと思ったが、交渉ごとにおける私のこうした攻撃性はフランス人によって育まれた面もかなりあるような気がする。日本ではこの攻撃性がマイナスになってしまうことが多い。一応気をつけていはいるのだけど。

という出来事はあったのだけど、6年前から毎年来ているので学校のスタッフの多くとは顔見知りで、知り合いの誰もが私の再訪を歓迎してくれ、こちらの気分も高揚した。2014年の夏から、二週間の滞在とはいえ、ニースにはこれで9回来ているのだ。神戸の実家より頻繁に行っているわけで、今やニースは私の第二の故郷、ville d'adoptionと言ってもいい。

学生たちのレベルは、ヨーロッパ言語共通参照枠(CEFR)でA1ぐらいと伝えていた。おとなしい日本人学生の特性は学校はすでに理解している。月曜にレベルチェックのテストをする年もあるのだが、今回はそれを省いて月曜の最初から授業をやってもらった。ここの学校のスタイルは、教科書を使うのではなく、学生の反応を見ながら臨機応変に教える内容を調整していく。コミュニケーション主体の内容だが、真面目に文法を勉強している学生には内容的には易しすぎると感じられるかもしれない。イタリアやドイツからの受講生がこの学校には比較的多いのだが、言語的に近いためにとにかくよくしゃべるが文法は近いがゆえにかえってまったく身につける気がない欧米系の学生と、文法的な枠組みを通して外国語を理解していく日本人学生は対照的だ。まだ初日で学生たちも緊張がある。
学生たちに話を聞くと、一つのクラスはうまく学生たちのバリアを打ち崩せたようだ。もう一つのクラスは「沈黙の壁」にちょっと先生が苦戦している感じがあるようだ。

昼食は学校と道を挟んだ裏側にあるカフェテリアで取る。このカフェテリアでは語学学校だけでなく、近隣の契約した企業や官庁のスタッフしか利用できない。前菜+主菜+パン+デザートで、それぞれ何種類かあるうちから選ぶ。パリの一般的な大学食堂と比べると、味もボリュームもかなりいい。フランスは外食が高いので、受講料に昼飯も含まれているのはありがたい。

午後は学校のプログラムでニース旧市街の散策と果物のシロップ漬けなどの砂糖菓子の工場・販売所の見学を行った。われわれのグループをガイドしたのは、授業プログラム変更の件で私とメールのやり取りをした若いフランス人女性スタッフだった。ここ数年では一番丁寧に説明をしてくれた。そもそもフランスのこうした観光ガイドツアーでは、けっこう真面目に参加者は勉強させられてしまう。歴史や文化的背景について、教育的にきっちり説明するのが、フランスのスタイルなのだと思う。
ガイドが真面目だったので、私も今年は例年より若干丁寧に通訳をした。案外、学生は聞いていた(ように見えた)。ニースにはしょっちゅう来ているのだけれど、旧市街と海の風景を見ると、毎回、なんて美しい場所なんだろうと思わず感嘆の声を上げてしまう。今日も天気がいい日で、濃淡の異なるツートンカラーのニースの海はとても美しかった。風情ある旧市街からほんの数分歩いただけで、美しい海岸に出ることができるのがニースの魅力だ。

旧市街と海を見た後は、町を見下ろす城山の展望台に行き、そこから山を挟んで旧市街の裏側にあるニース港に面したところにあるお菓子工場、フロリアンに行った。このお菓子工場の見学を楽しみにしている学生は多かったようだ。

ここで生産されるお菓子は、チョコレートとこの付近で採れる果物や花を使った砂糖菓子だ。チョコレートの原料であるカカオを除くと、地元の天然素材しか使わず、職人たちの手作業で手間をかけて丁寧に作られている。その工程をガイドつきで見学していく。作業場のレイアウトが昨年から大きく変わっていて、その工程がよりわかりやすくなっていた。工場というよりは、職人が手作業でやっているので作業場という感じだ。見学の最後には、直売所がある。ここで商品を買ってもらうという手はずになっているのだ。
天然素材だけをつかった職人の手作り菓子ということで、安全で美味しいけれど、値段もそこそこ高い。私がここではお土産を買わなくなったのは、工程や材料を知っているとこれらの菓子のありがたみがわかるのだが、家族にお土産で渡したとき、スーパーのポテトチップスのように無造作にぼりぼりと食べられてしまって、その値段にみあう「すごさ」を感じ取ってもらえないことに失望したからだ。「うん、けっこういけるね」みたいな感じで。


お菓子工場見学のあと、解散。歩き回って、私は疲労困憊した。フランス人は歩くのも早い。たったか、たったか目的地まで早足で歩くので、よけい疲れるのだ。
私がニースに5年前に来たときからずっと工事中だったトラム2号線に乘って、家の近所まで戻る。トラム2号線は空港とニース市街地を結ぶ路線で、ニース市街地では地下鉄になっていた。ニースに新しい地下鉄というのはミスマッチな感じがした。

夜はニース在住の友人と彼女の恋人と3人で飯を食べた。彼女には6年前、私がフランス語教員研修のためにはじめてニースに2週間滞在したときに知り合った。その研修には日本フランス語教育学会の推薦で参加したのだが、私はこれでニースに来ることはもうないだろうと思い、研修後に3泊ほど個人旅行としてニースに滞在した。宿泊先は駅の北側の庶民的な地域にあった。夜に地元の人が食べに来るような雰囲気のレストランに入って、出てきた飯の写真を撮ったりしているときに、隣のテーブルに座っていた彼女と彼女の当時の夫に声をかけられたのが知り合ったきっかけだ。そのときはかれらと同じテーブルで飯を食べてそれで終わりかと思ったのだけれど、その数ヶ月後に彼女と彼女の友人が東京に旅行にやってきて一緒に遊ぶということがあり、関係が途切れなかった。ニース研修をやってみようと思ったのも、彼女との出会いが影響している。なんとなくニースとは縁があるような気がして、この縁を持続させたいと思ったのだ。
それ以後、ニースに来るたびに彼女に会って飯を食べるようになった。彼女は3年前に夫と離婚して、新しい彼氏がいる。離婚の原因はハンサムな美容師の夫が、同じ美容室で働く女性と不倫したことだった。彼女はそれが判明すると即座に別居。しかし別居後、3ヶ月ぐらいで今の彼氏と付き合い始めた。前の夫とのあいだには、娘が一人いたのだが、娘は彼女と住むことを望まず、不倫相手と再婚した夫の家で過ごしていると言う。
彼女の新しい彼氏も離婚した独身男性で、十代の息子が二人いる。彼女と彼は結婚はしていない。
彼女は離婚以来、娘とはまともに口を聞いていないそうだ。娘は離婚自体が許せないようだと言っていた。夫の家に住んでいるが、夫と娘の関係もよくないと言う。

というようなフランス人家庭の細々とした話を聞くのが興味深くて、彼女との付き合いは続いている。日本の着物や帯の素材を使って、服をデザインするのに彼女ははまっていて、ここ数年は古着の帯や着物を買って持ってくることを頼まれる。古着のサイトで彼女好みの帯や着物を選んで購入し、それをスーツケースに入れて持ってくるのは、正直ちょっと面倒なのだけれど、エキセントリックな彼女の話を話を聞くのは面白いし、こういった付き合いもまあいいかと思って、関係が途切れないようにしている。また彼女は私をニースに結びつけた恩人ともいえる。ニースと知り合って、わたしの人生は大きく変わったので。彼女を通じて知り合った彼女の友人たちにも自由でユニークな人がいて、彼らとの付き合いも続いている。





2020年2月17日月曜日

2020/02/16 ニース研修第2日

昨夜は11時に就寝し、朝6時頃に目が覚める。トイレに行ったあと、午前7時までまた寝た。日本からフランスに行くときには時差ボケはほとんど問題ならない。到着初日がちょっと眠たくてしんどいだけで、翌日からは普通に生活できる。時差ボケが問題になるは私の場合はフランスから帰国した後だ。

今日は日曜日で学校はまだ始まっていない。昨年に引き続き、私個人の企画でニースを起点とするローカル私鉄、プロヴァンス鉄道でニースの北西にある要塞村、アントルヴォーに行くことにした。この村はかつてはサヴォア公国とフランス王国の境界にある軍事的要衝で、17世紀にフランス各地に見事な要塞を残している築城家ヴォーヴァンが砦を築き、村全体を要塞化した。
SNCFのニース駅の北500メートルほどのところに、プロヴァンス鉄道のニース駅、Nice CP駅がある。フランスでは珍しいこのローカル私鉄については、以下のブログで詳しく記されている。
https://homipage.cocolog-nifty.com/map/2018/04/i-81b0.html

集合場所をNice CP駅としたのだけれど、昨日ニースに着いたばかりで土地勘のない学生たちにとってはここまでやってくるのはけっこう大変なことのようだ。昨年は一組の学生が道に迷って出発時間までに駅にたどり着くことができなかった。今年も若干懸念があったのだが、全員出発前に駅に集合することができた。
アントルヴォーまではニースから90分ほどかかる。週末しかアントルヴォーに行く列車は運行しておらず、一日数本しかない。
昨年は工事中区間があるということで、途中から鉄道会社の代替バスでアントルヴォーに行った。今年は特にウェブページには代替バスの情報はなかったので、全線鉄道でアントルヴォーまで行けると思っていたのだが、やはりニースから30分ほど行った地点から代替バスだった。代替バスは鉄道の線路にほぼ並行して、川のそばの谷間の道路を走るのだが、この道路がかなり曲がりくねっている。そこをかなりの猛スピードの乱暴な運転で走るので、学生たちの多くは乗り物酔いの状態になってしまった。私はあまり車酔いはしないほうなのだけど、今回はちょっと気分が悪くなった。

9時25分にニースCP駅を出て、アントルヴォーに着いたのが11時前だった。アントルヴォーの村は前方は川に区切られ、後方は急勾配の山で遮られている。後方の山の頂上には砦が築かれていて、そこにはジグザグの石畳の道が伸びている。建築は17世紀のものだ。村のなかでは、斜面に密集して5−6階建ての古い石造りの建物がぎっしり並んでいて、実に絵画的、インスタ映えする風情のある景観を形作っている。

観光地・リゾート地である海岸から離れているためか、このピトレスクで独特の景観にも関わらず観光客は多くない。日曜日には商店やレストラン、観光案内所も休みでひっそりとしていて、観光へのやる気も余り感じられない。

まず村をみおろす山頂にある砦に昇ることにした。石畳のジグザグ道を昇るのはかなり大変で、汗だくになった。砦までは20分ぐらいかかった。砦からの見晴らしは素晴らしい。観光資源としてはかなりのものだと思うのだけど、砦の内部はあまり整備されておらず、落書きだらけの廃墟と化していた。第一次世界大戦中はこの砦が捕虜となったドイツ人軍人の監獄として使われていたそうだ。

観光案内所が開いていれば、川に沿って村を取り囲む城壁を見学できたのだが、日曜で観光案内所は休みだ。城壁内には通路があって村の歴史を再現した興味深い展示があるのだが。砦に上ってしまうと、あとはぶらぶら歩いても一時間ぐらいで回れる村を散策するぐらいしかすることがない。帰りのバスが4時19分なので、3時間半以上をつぶさなくてはならない。昼飯をどこで食うのかがまたちょっとやっかいだ。
昨年は村内の数軒あるレストランで開いているのがクレープ屋一軒だけだった。クレープ屋といっても日本のものとはちがって、そば粉を使ったガレットを出すレストランだ。そのクレープ屋はグループ全員を収容できなかったので、2交代で店に入って食事をしたのだった。
https://thumbnails-photos.amazon.co.jp/v1/thumbnail/v0XBAp09QeGlendwJfbIgA?viewBox=642%2C642&ownerId=AD47RRPX0CEHO

今回はクレープ屋以外にアントルヴォーの郷土料理のセッカを出す店が開いていた。セッカとは牛肉の生ハムみたいなものだ。郷土料理の店に「19名入れるか?」と聞くと、「19名? その人数だと予約してもらわないと」という返事だった。そこでグループを2つにわけて、6名がもう一人の引率者のKさんとクレープ屋に行き、残りの私を含めた13名が郷土料理屋になった。フランスのレストランは大人数で押しかけられるのを好まない店が少なくない。というかこれまで「その人数ではねえ」と断わられたりすることが何回かあった。13名だと嫌がられるかなと思ったが、OKという返事なので、郷土料理屋に入った。実はもう2軒開いているレストランがあったので、そこに何人か流れないかなと思ったのだけれど、他の店に行くという人はいなかった。レストランに入って、食事を注文するというごく普通のことが、フランス語がわからないと案外ハードルが高いのだ。13人分の注文をまとめて、伝えるのは、面倒だなあ、と内心思ったのだけれど、仕方ない。

店のメニューはバラエティに富んでいたが、結局全員が店の主人の勧めにしたがって郷土料理のセッカを中心とした盛り合わせ定食みたいなものを頼むことになった。大皿の上にセッカのほか、サラダと他の数種のおかずが乘っている料理だ。幕の内弁当みたいにバラエティに富んでいて、見栄えがよくて、ボリュームがある。

セッカは前に娘とアントルヴォーに来たときに食べたことがあったが、こんなにまとまった量を食べたのは初めてだった。豚肉の生ハムに似ているけど、臭みはセッカのほうが強い。慣れの問題かもしれないが。この独自の臭みゆえに、牛肉のハム、ソーセージ類というのはあまりないのかもしれない。しかしまずいわけではない。かなり美味しい。郷土料理っぽい珍しいものを食べることができて私は大いに満足した。

食事のあとは学生たちから離れ、石造りの村の路地をぶらぶら散歩した。村の端にある17世紀のバロック様式の教会にも行った。今日は日曜だから、むしろ午前中はこの教会のミサに出てもよかったのだ。どれくらいの人たちがミサに参加しているのだろう。小さな村の教会だが、18世紀終わり、革命期までは司教座聖堂だったと教会の説明文にあった。

帰りはアントルヴォーから鉄道の代替バスでニース近郊まで行き、そこから鉄道でニース市内に戻る。昨年はアントルヴォーに代替バスが着いた時点で、私たちのグループ全員を乗せることができなかった。次の代替バスは2時間以上先なので、私たちのグループを乗せるための追加バスを呼び寄せることをその場で鉄道会社のスタッフに要求した。それで私たちは追加バスで帰ることができたのだった。

今年もそんなことがあるのではと懸念していたのだが、なんとかぎりぎり私たちグループ全員がバスに乗ることができた。しかしそこから先の停留所で待っていたフランス人乗客は座席がもうないという理由で乗車拒否をされていた。
鉄道会社の見積もりが甘いからこういう積み残しができたわけで、乗車拒否はひどい話だ。乗り込もうとしていた人は文句を言っていたが、運転手は「どうしようもないから。しかたないだろ」とか言って、バスを発車させた。この運転手のひどい対応にも驚いたが、停留所で待っていたフランス人(おそらくだが)乗客があっさりあきらめたにも驚いた。なんで粘らないんだ? こんなところで置いてけぼりでいいのかい?

アントルヴォーはかなりの遠出になるので、やるなら研修の最初のほうにやるしかない。二週目になるとみんな疲れて遠出を厭うようになるからだ。しかし南仏での研修で私が何を見せたいとなると、普通の観光旅行ではまず行くことのないアントルヴォーだ。その独特の景観はわざわざ足を運んで見る価値がある。
また昨年そうだったのだが、授業が始まる前にこうした遠足で交流の機会を作ることはその後の研修の雰囲気づくりの上でいい結果をもたらす。今回もお互い知らない者同士の学生たちの距離が遠足でちょっと縮まったように見えた。

2020年2月16日日曜日

2020/02/14-15 ニース研修第1日

毎年2月後半に行っていニースでのフランス語研修は今回で6回目になる。今回は17名の学生が参加した。参加するのは私がフランス語を教えている武蔵大学と早稲田大学の一、二年生が中心で、例年は早稲田の学生のほうが多いのだけれど、今年は武蔵の学生が多かった。またいつもは私一人が教員として同行しているのだが、今年は武蔵でフランス語を教えている同僚に声をかけてこの研修に同行してもらっている。美術館学を専門とする女性の教員だ。今年は武蔵の学生が多いし、女性の参加者が多数なので、彼女に来てもらうのは心強い。真面目でタフそうな人なので声をかけた。

参加者のうち一人は、私とほぼ同年代のSさんで元教員のかただ。教員を一旦退職して、大学に学士入学してフランス語を勉強している。その経緯についてはまだ詳しい話を聞いていないが、今年度、彼は私の授業に3コマ出ていて、「ニース研修に来てくれればいいのになあ」とひそかに思っていた。実直謙虚でかつおおらかな雰囲気に好感を抱いていたし、彼のような異色の学生が参加すると研修の雰囲気にも面白い影響があるのではないかという期待もあった。あと「大人」の参加者がいるとやはり心強いというのもある。

今年の懸念事項はなんと言ってもコロナウイルスの影響だ。病気への不安・恐怖が、潜在的なアジア人差別と結びつき、嫌な目に合う可能性をどうしても考えてしまう。学校には先手を打って、教室やホームステイ先で差別的な言動に学生たちがさらされることのないよう配慮を求め、差別的言動が会った場合は断固として抗議するむねを伝えておいた。そのメッセージに「日本ではコロナウイルスは完全にコントロールされていて、拡大の懸念はない」といったことを書いたが、それを出したあとで東京、沖縄、和歌山、北海道などで二次感染の可能性を示唆する発症例が明らかになって、暗澹たる気分になる。
「日本政府は私が思っていたほど有能ではなかった」と言い訳しなくてはならないではないか。語学学校には中国からの留学生も多数いるはずで、彼らの扱いも相当デリケートなものになっているだろう。

「差別する人は残念ながらどこにでもいる。差別的な対応をされてもそんなにショックを受けないように。そういうことがあったら、取り囲んで『さあ、話を聞こうじゃないか』みたいな感じでやっていければと思っている」というようなことを学生たちには話した。

昨年は行きの飛行機で学生がインフルエンザを発症し、ニース到着早々、休日診療の病院に連れていくという事態があった。今年、今のタイミングでそんなことがあれば大変なことになるだろうな、と思っていたが、幸い体調の悪そうな参加者はいなかった。

成田空港で搭乗待ちしていると、女子学生ひとりが外国人にナンパされた。最初にカナダの現地時間を聞かれ、それに答えるとSNSに誘われたそうだ。

ニースへの航空会社はエミレーツ航空を利用した。ドバイ経由で、成田空港ードバイが12時間弱、ドバイーニースが7時間弱だ。帰りは気流の関係なのか時間が3時間ほど圧縮される。搭乗時間はヨーロッパ経由便より長くなるが、機内はきれいだし、乗務員も感じがいい。映画も豊富だ。成田を23時発の夜便だ。ヨーロッパに夜便で飛ぶときは機内で寝ておいたほうがあとが楽だ。

成田ードバイ間では私は前日寝不足だったこともあり6時間ぐらいは眠れたと思う。起きてた時間はイラストを書いたり、プーシキンの『スペードのクイーン』を読んだりしていて、映画は見なかった。『スペードのクィーン』はニース・オペラ座でチャイコフスキーのオペラを見るのでその予習として。原作とオペラではかなり違うみたいだが。光文社古典新訳文庫の望月哲男訳をキンドル版で読んだ。『スペードの女王』はずっと前に神西清訳で読んだことがあるのだけど、望月訳はリズミカルで読みやすい。そして文庫の翻訳解説としては異例に詳しすぎる解説がとても興味深い内容だった。


ドバイーニース間は2時間ほど寝る。起きているときはイラストを書いたほか、『ティファニーで朝食を』を見た。今更この古典的名作を見ようと思ったのは、早稲田の国際教養学部での一年生向けのゼミ、《芸術表現におけるステレオタイプ、オリエンタリズム》でこの映画に出てくる日系人ユニオシについて言及したものがあったからだ。どんなふうに描かれているのか確認してみたかったのだ。日系人ユニオシの表現と役どころは愉快ではなかったけれど、オードリー・ヘップバーンが演じた高級娼婦ホリーの生き様には徐々に引き込まれる。前に見たことはあったけれど内容はほとんど忘れていた。前に見たときはホリーという人物にまったく共感できなかったのだと思う。

予定通り、2月15日12時半ごろ(日本時間は19時半)にニースに到着。空港で家族とイタリア旅行に行っていた学生と落ち合うことになっていたが、その学生が私たちの到着ターミナルを勘違いしていたため、合流に手間取る。
17人の学生は基本二人部屋になっている。ホームステイで12組に滞在先が分散しているのがやっかいだ。。ホームステイにしているのはそれが一番滞在費が安上がりだからだ。またフランス人の生活文化やフランス語の使用という教育的な面でもホームステイの効用は実に大きい。校舎については実際に研修をやってみてわかったことだが。学生たちも他人の家の生活、しかもフランス語でということで、かなりの負荷がかかる。

昨年は学校の送迎係が、間違ったステイ先に学生を送り届けるというミスがあって初日に混乱した。今年は念入りに学生の名前とその届け先の照合を行った。それで大丈夫かと思えば、ステイ先のひとつに家主が不在という事態が今年はあった。私が乗っていたのとは別の車でステイ先に送り届けられた学生だった。私の乗っていた車を運転していたのが送迎担当のチーフだった。そのチーフのもとに電話で連絡が入った。
「学生を道に放置するような真似は絶対しないでくれ」
「もちろんだ」
と返事があったが、こういうときのフランス人は信用できない。結局、ホームステイ手配の担当者が急遽別のステイ先を探して、そこに送り届けることになった。
この他にも学生や大家から電話が何本か入り、小さなパニック状態になる。ドバイでフランスの電話会社のプリペイドsimに入れ替えていて正解だった。

今回は二組の家が学校から3キロほど離れたかなり遠くの家に滞在することになって、今日はそのフォローをしなくてはならないと思っていたのだが、ステイ先が急遽変更になった学生の家もかなり遠い。歩くと学校まで40分ほどかかるので、それはちょっと可哀想だ。他の家の滞在者は歩いて学校まで行けるけれど、遠くに住む学生たちにはSNCFかトラムの利用の仕方を教えなくてはならない。私は自分のステイ先の荷造りを解いてから、学生たちの滞在先に近いSNCFの駅、Nice-Riquier駅で学生たちと待ち合わせをした。そこに向かう途中で、元教員のSさんと参加者一人キャンセルのため一人部屋滞在のとなった女子学生と会い、一緒にNice-Riquier駅に行った。

Nice-Riquier駅は、ニースの中心にあるNice-Ville駅から一駅である。私がこの駅で降りるのは初めてだった。駅に着くと駅の待合室で学生たちはフランス国境近くのイタリアの小さな町に数十年前から住んでいるという日本人のおじいさんにつかまって、そのおじいさんの話を聞かされていた。こうした海外長期滞在の日本人は癖のある面白そうな人が多いのだけど、滞在先が急遽変更になった女子学生のことやら、これから学生たちに教えておかなければならないことなどが頭にあって、このおじいさんの話の相手をしている心の余裕が私にはなかった。

遠くに住む3組の学生のうち、2組は一駅分SNCFを利用して学校に通うことにした。回数券みたいなものがあるのかと駅の窓口に聞くとないと言う。ただ一週間の定期はあるというので、彼女たちにはその定期を購入した。もう1組はトラムを使って学校の近くまで行かせることにした。トラムには回数券があるのでそれを買い与えた。


とりあえず学校への行き方、トラムの乗り方を教えておこうと思い、トラムに乗るが、あいにくカーニバルのパレード準備と重なってしまい、トラムが目的地であるNice-Ville駅までは行かない。そのはるか手前で降ろされてしまう。回数券を使って8人で乗ったのだけど、大損だ。とにかく位置関係の要となるNice-Ville駅に連れて行かないと意味がないと思い、降ろされた場所からNice-Ville駅までたらたらと歩くはめになる。週末で市街地中心はけっこうな人手だった。疲れた。

明日は朝からローカル私鉄に乗ってEntrevauxという町に行く予定だが、今日学生たちにつきあって歩いてわかったのは、待ち合わせ場所であるローカル私鉄の駅に行くことが学生たちにはかなりハードルが高そうだということだ。グーグルマップの使い方さえ頼りない。遠くに住んでいる学生たちにとっては、券売機で切符を買うのも大変だろう。フランスの切符券売機というのがまたポンコツで、紙幣は受け付けない、硬貨かクレジットカードのみしかだめ、クレジットカードもなぜか私の普段利用しているマスターカードは支払いが拒絶され、何度やってもだめ。別のVISAのデビットカードで支払いがようやくできた。たかが一駅分の切符を券売機で買うことに無駄に時間がかかる。

Nice-Ville駅で、Nice-Riquier駅発-Nice-Ville行きの明日の切符(日付も指定しなくちゃならん)を買おうとすれば、なぜかNice-Riquerを始発駅とは設定できない。遠くに住んでいる二組は明日の朝は、Nice-Riquier駅からNice-Ville駅に列車で来なくてはならないのに(週の定期は月曜〜日曜までなのだ)。
「明日の朝、自分たちで駅で切符買います」
とか言っていたけど、絶対に戸惑うに違いないと思い、結局また私は学生たちとともにNice-Riquier駅まで行き、そこの券売機でNice-Riquier発Nice-Ville駅の切符を買ったのだった。

自分の下宿先に戻ったのは午後7時を過ぎていた。疲れた。
私の下宿先は昨年、そして3年前と同じマダガスカル人の家庭。ここは飯がうまい。今日の夕飯は白米と豚肉と野菜のソテー。豚肉と野菜のソテーは中華風の味付けになっていて、まさにご飯のおかずという感じだ。実にうまい。ちょっと生き返った。

2020年2月12日水曜日

jogleor n.m.


jogleor n.m.

Formes : (an.fr.) jogleour, jougleur, jogelour, jugleeur, jogeler ; giculer, giogoler, jougler, joculer ; (m.fr.) jugleor,  jogleor, jougleur ;  (fr.mod.) jongleur

Étyml. : JOCULATOR , ORIS (latin)  n.m. : rieur, railleur, bon plaisant. (Gaffiot) ; bouffon, jongleur (Blaise, Niermeyre)

Réf. : FEW V, 41b « joculari » ; TL, V, 1705 ; Godfroy, IV, 660a « jougleor  » , « jougler » , X, 50c ; Huguet IV, 723a

Dér. : jogler, jongler v.i ; jonglerie n.f. ;

I. Homme qui aime à plaisanter , qui est badin. (13 siècle, Gdf ; Joufr) : Les fols et culs qui sont trops sages et jugleeurs tu fuyras. J. de Salisbury Policraticus, Richel. 24287, f° 5d. ;
II. Musicien, ménéstrel , qui récitait et chantait des vers et jouait de l’instrument comme vielle ou harpe, ambulant dans les cours, les tournois, les villes (12-13 siècle, Gdf )  :  Dunt il ert nez pas ne saveit, De lui son juglëur feseit Estorie des Engles de Gaimar (v.1140) 166 ;  Faites cy venir les jugleurs, Qui ces gens cy esbaudiront : Plus liez seroont quant les orront Miracle de l'evesque que l'arcediacre murtrit (1341) ; Jougleurs, qui font [gens] resjouir Et menestriers peut on ouyr Celle part corner a toute heure Chr. de Pizan, Le Livre de la Mutacion de Fortune, I, 150 (1400-1403) ;
III. Joueur de tours de passe-passe, bateleur qui joue avec des boules, avec des cercles, des couteaux, etc. ; saltimbanque.
IV. Terme d’injure, débauché, ribaud, canaille :
V. Railleur, moqueur ; plaisantin (XIVe s.) : Car telz genz nous les appellon jauglëeurs et ne dison pas que ilz soient desactrempés. Nicolas Oresme, Le Livre de Ethiques d'Aristote (c.1370)
VI. Comédien , acteur  (XVIe s.) : [Domitien] feit occire un jongleur nommé Elvidius, pour ce qu’il avoit joué par personages le divorce de Paris et Oenone. Lemaire de Belges, Ilustrations de Gaule, II ; En ceste maniere voyons nous entre les jongleurs … le personaige du sot et du badin estre tous jours represente par le plus petit  et perfaict joueur de leur compaignie. Rabelais, III, 37.
VI. Espèce de devin guérisseur ; sorcier chez les mérindiens.

2019年9月19日木曜日

レクチャーコンサート《フランス中世の恋歌:宮廷の愛、田園の恋~》2019/10/18(金)

早稲田大学文学学術院 フランス語フランス文学コース主催

レクチャーコンサート

フランス中世の恋歌~宮廷の愛、田園の恋

パリ、国立図書館所蔵、フランス語写本、BnF, fr. 25566。
アダン・ド・ラ・アル《ロバンとマリオンの劇》冒頭部。

【日時】2019年10月18日(金)16時半〜18時
【場所】早稲田大学戸山キャンパス33号館第一会議室
入場無料、予約不要 
【出演】
片山幹生(早稲田大学非常勤講師)
中世・ルネサンス音楽ユニットTrouBour トルブール
  • 小坂理江[歌・ハープ]
  • 上田華央[フィドル]
  • 立岩潤三[パーカッション]

宮廷の貴婦人への不倫の愛と田園の羊飼い娘への開放的な愛は、フランス中世の恋歌の重要なテーマでした。宮廷風恋愛と田園風恋愛、この対照的な愛のかたちを、中世抒情詩・演劇の研究者である片山の解説とトルブールの演奏によってお伝えします。

西欧最古の田園牧歌劇、《ロバンとマリオンの劇》の抜粋も上演します。

【演奏予定曲目】 

  • ティボー・ド・シャンパーニュ:シャンソンとパストゥレル(羊飼い娘の歌) 

  • アダン・ド・ラ・アルとジャン・ブルテル:恋愛についての論争詩(ジュ・パルティ) 

  • アダン・ド・ラ・アル:シャンソン、モテ、《ロバンのマリオンの劇(抜粋)》

2019年3月5日火曜日

2019/03/03 ニース研修2019春16日目


研修16日目。最終日。
ほかの学生たちは今日の午後の便でニースを発ってイスタンブール経由で東京に戻る。私は空港で学生と別れ、レンヌに。レンヌで2泊したあと、ソレム大修道院で2泊、そのあとカーンに1泊、バリに2泊し、飛行機の経由地のイスタンブールに4泊してから東京に3/15に戻る。
学生の飛行機はニースを16時過ぎに発なのだが、学校に依頼した各家庭への迎えは正午から30分の間にするように依頼していた。通常は飛行機の時間の2時間半ほど前に各家庭に迎えが来ることになっているのだが、以下の理由でかなり早めの迎えを依頼していた。
まず学校の送迎係がいまいち信頼できないこと、前にチェックインでトラブルがあって大慌ての搭乗があったこと、東京に帰る学生の中に一人他の学生より出発が30分早い別の便で帰国する学生がいること、そして私の乗るレンヌ行きの便も学生たちのイスタンブール行きの便より40分ほど早い時間に出ること。
ニースの海岸で日の出を見に行く約束を学生としていたので朝6時過ぎに起きる。日の出は7時5分。ニースの海岸は東西に伸びているので、朝日は海に向かって左側の岬から昇り、夕日は右側の岬と山並みへと沈んでいく。日の出の海岸の風景の美しさは学生から聞いたていたが、早起きが億劫な私はこれまで見たことがなかった。私を含め7人がネグレスコホテルの前の海岸に集まって、日の出を待った。日の出の瞬間も美しいが、その前の濃紺、青、紫、オレンジへと変化する柔らかいグラデーションも素晴らしい。
日の出を見た後は海岸沿いの道をマルシェが立つサレヤ通りまで20分ほど歩いた。サレヤ通りのそばにあるパン屋が開いていたので、そこでクロワッサンと生ハムとチーズのサンドイッチを買い、それを朝食として食べながら家に戻った。
荷造りのあと、また自転車で海岸へ。陽光に照らされた海水の色は鮮やかな濃紺とエメラルドグリーンになっていた。気温があがり、Tシャツとジャケットでは汗ばむ感じ。泳いでいる人もいた。ニースの一番の魅力は美しい海岸が町のすぐそばにあることだろう。街中からすぐに広々した美しい海に出ることができる。学生たちの多くもほぼ毎日海岸に行っていた。私たちが滞在していた二週間には雨は一回も降らなかった。東京では雨の翌日なら空気が澄んで遠くまで見渡すことができるが、晴れの翌日はほこりが舞っているため視界が悪い。ニースは毎日晴れなのに海岸付近の空気は透明感がある。車も多いし、人もぞろぞろ歩いているのに、空も海も美しい。
午後1時過ぎに全員が空港に到着する。早めに学生たちのチェックインを済ませ、その様子を確認してから私は国内線ターミナルに移動して、レンヌ行きの便のチェックインを行うとつもりだったが、ターキッシュエアラインの受付が14時にならないと始まらない。早めに空港に到着した意味があまりなかった。私は15時半発の便を予約していたので、14時過ぎには国内線ターミナルに移動する必要がある。それで結局学生たちの チェックインを確認することができなかった。学生たちとの別れはなんか中途半端なすっきりしない感じになってしまった。
国際線の第一ターミナルから国内線の第二ターミナルまではシャトルバスで移動するのだが、案内がわかりにくくてシャトルバスのバス停を探すのに往生した。またシャトルバスがなかなか発車しないし。セルフサービスのチェックインと荷物預けにもまごまごして、搭乗口にたどり着いたのはぎりぎりだった。早めにチェックインして空港のレストランで昼飯を食べるつもりだったのに、昼飯抜きになってしまった。

15時25分に飛行機が飛び立つ。レンヌ行は座席が4列の小型の飛行機だ。窓際の席を取っていた。バイバイ、ニース。個性的で、行儀がよくて、好奇心旺盛で、面白くて、振る舞いも見た目も美しい学生たちと過ごした濃厚な二週間だった。ニースは私たちを暖かく歓待してくれた。飛行機の窓から地中海の青い海を見ていると、ちょっと感傷的になって泣きそうになってしまった。

2019/03/02 ニース研修2019春15日目

研修15日目。
学生たちは一人を除いて明日帰国である。帰国前日の土曜日は基本的にフリーとしたが、午前中は希望者とフェラ岬にあるロットシルド別荘に行った。20世紀はじめにロスチャイルド家の末裔であるベアトリスが作らせた壮麗で優美な夢の別荘と庭園だ。ロココ美術の収集家であった彼女の趣味のよさとこだわりがすみずみまで行き届いたユートピアのような場所で、ベルエポック期のフランスの豊かさを象徴するような建造物だ。学校の遠足で言ったヴィラ・ケリロスの近くにあり、この二つの別荘を見学できるセット券もあるのだが、なぜか学校主催の遠足ではロットシルド別荘は含まれていない。朝9時半にニースを出て、開館時間の10時に入場するつもりだったがのだが、最寄り駅であるボリュから海岸沿いの美しい景色を見ながらぶらぶら歩いていたら、別荘に着いたのが10時半近くになってしまった。11時50分まで自由に見学ということにした。
ロッドシルド別荘からニースまでの帰りはバスを使った。海岸沿いの美しい景色の場所を走る路線だが、ニースのバスの運転手はそのほとんどが運転の仕方が乱暴でガンガン揺れる。ジェットコースターみたいだ。ニースまでは25分ほどなのだが車酔いしそうになっていた学生がいた。
昼飯は5年前、夏休みの教員向け研修ではじめてニースに二週間滞在したときに知り合った友人と食べる約束をしていた。ニースに住むレユニオン出身のフランス人女性だ。5年前、ニースの下町のレストランで一人で夕飯を食べていると、隣のテーブルで飯を食べていたフランス人夫妻に声をかけられ、一緒のテーブルで飯を食ったのが知り合ったきっかけだ。
その後、夫妻の妻の方が彼女の友人と2回日本に旅行で来た。私がニースの行くたびに一緒に飯を食っている。ただこの夫婦は2年前に離婚してしまった。美容師の夫が同僚と不倫していたのが発覚したからだ。夫婦には娘が一人いるし、不倫相手にも夫と子供がいた。地元の美容院だったので関係者全員が知合いだ。夫は不倫相手と一緒に暮らしている。娘は最初のうちは父と母のところを行ったり来たりしていたが、妻のほうと相性が悪く、最近は夫の新しい家族と一緒に暮らしている。
不倫された妻の方にも、別居後、すぐに彼氏ができた。その彼氏に私は2年前に会っている。一緒に食事をしてのだ。今回の昼食もその彼氏が一緒だった。付き合って2年になるが結婚の予定はないようだ。彼も離婚していて、子供が2人いるとのこと。
昼飯はサレヤ通りのレストランで、オッソブッコを食べた。仔牛の骨付き肉の煮込みでパスタが添えてあった。
食事後、二人と別れ、自転車でメーテルリンクが晩年の数年間を過ごした邸宅に行った。メーテルリンク の死後、ホテルになったりしたこともあったようだが、今は民間のアパルトマンになっているようで、中に入ることにできない。ニースと隣町のヴィルフランシュの境となる岬の先端にある。メーテルリンクはこの邸宅をオルラモンドOrlamondeと呼んだ。ガランとした大邸宅で、世からはほぼ忘れられた作家として過ごしたニースでの最後の数年間については、メーテルリンクと親交のあったニースの医師による興味深い追悼文があり、メーテルリンクが最後に発表した原子爆弾についてのエッセイとともに翻訳しているのだけど、まだ発表できるほど勉強が進んでいない。
夜は学生数名とニースオペラ座プロデュースのミュージカル『赤と黒』を見に行った。会場はニース市街からバスで40分ほど離れたところにあるオペラ作品の倉庫兼稽古場で、その空間の広大さには驚嘆する。肝心の芝居はひねりのないオペラ風の歌唱劇で退屈。75分の上演時間が長く感じられた。会場は面白かったけど、わざわざ最後の夜の時間を使って見るようなものでなかった。
女子学生一人を家まで送ってから帰宅。疲れた。

2019/03/01 ニース研修2019春14日目

研修14日目。
二週目の金曜日ということで最後の授業日になる。今回は19名の学生は4クラスに分かれた。このなかで一番下のレベルのクラスのメンバーは我々のグループだけである。最初は誰も全然しゃべれなくて、先生もいったいどうしたものかという感じだったと思うのだが、まもなく学生たちと先生が打ち解けて、すごくいい雰囲気のクラスになった。学生が先生を信頼して、積極的に発言するようになった。最終日の今日はこのクラスの学生たちは画用紙と折り紙でメッセージボードを自発的に作り、授業の最後に先生に渡していた。ベテランの女性の先生だったが、このサプライズに感動して泣きそうになっていた。「今、メッセージをここで読んだら泣いてしまいそうだから、あとでゆっくり読みます」と言っていた。受講証明書の授与のとき、先生は学生ひとりひとりにビズをしていた。学生は嬉しそうに受講証を受け取っていた。
午後はアンティーブに学校主催の遠足に行った。遠足はわれわれのグループに対して企画されたものだったのだが、スリランカ出身のスイス人の女の子が私の学生と仲良くなっていて、彼女も私たちのアンティーブ遠足に参加することになった。アンティーブの遠足にわれわれを先導したのは、舞台美術専攻の若くて美しいダンサーのジョシアである。彼女も私たちのグループの学生たちとすっかり仲良しになっていた。アンティーブまではニースから列車で20分ほどだ。こじんまりした美しい街だ。アンティーブの旧市街は、ニースの旧市街をミニチュアにしてさらにかわいく、小ぎれいにしたような感じだ。海の色もニースとは違う。もっと濃い青だ。アンティーブではピカソが晩年を過ごした。ピカソ美術館訪問がアンティーブ行の主な目的だったのだが、美術館に着くと美術館のスタッフが「18歳以上は学生でも一律6ユーロの入場料が必要だ」と主張する。学校はこれまで何百回もピカソ美術館への遠足を実施し、これまでまったく問題がなかったのに突然こんなことを言われてしまったのだ。ジョシアが学校に連絡を取るが、学校の担当者とつながらない。まあフランスではありそうなことだが。ジョシアは混乱してどうしたらいいのかわからなくなってしまったようで、明確な説明なしに学生たちを先導して街中を歩いていく。こうしたときに説明がないというのもフランス的ではある。これはよくないのでジョシアに「ちょっとここで止まってみんなを集めて、まず状況を説明してくれ」と要求する。
ジョシアから状況説明があったあと、それではどうするということになったのだが、学校側とピカソ美術館側の交渉がどうなっているのかわからない。一時間ぐらいしたら入れるかもしれないとあやふやなことをジョシアが言っていたが、それまで集団で行列を組んでぐるぐると街を歩き回るのではなく、待ち合わせ場所と時間を決めて、自由にそれぞれが街を散策するのではどうかと提案した。今日は夜にオペラを見に行くことになっていたので、観劇前の食事時間を考えると、だらだらアンティーブにいたくなかったのだ。学生もそれで納得したので、一時間の自由散策ということになった。私はジョシアと海辺を散策したあと、学生数名と仮設の観覧車に乗った。観覧車は巨大なものではなかったのだが、乗客が乗るかごがむき出しになっていて上に上がると思っていた以上に怖かった。アンティーブには高い建物はないので、観覧車の上からの眺めは素晴らしいものだった。ピカソ美術館がなくなって「なんのためにここに来たのか」と言っていた学生もいたが、まあ仕方ない。パリのピカソ美術館と違って、晩年の子供の絵みたいな作品ばかりなので、見られなくてもそんなにがっかりする必要はないなどと言ってなだめる。
ニースに戻ったのは午後5時過ぎだった。オペラ座の開演は午後8時なので十分時間はあるのだが、学生席は天井桟敷の両サイドの自由席なので開場と同時に上にあがって最前列を確保しないと舞台がほとんど見えない席しかなくなってしまう。8時開演で終演が11時なので、食事はその前にすませておかなければならない。しかしまともなレストランは午後7時半ごろにならないと営業開始にならない。ニース駅でいったん解散して、7時15分にオペラ座の前に集合とする。オペラ鑑賞には16名の学生が参加することになっていた。食事はそれぞれがばらばらに取ることに。私は帰国子女二人組の女子学生に確保され、これにプラスして男子学生二人の5人で、サレヤ通りにあるノンストップ営業のツーリスト向けレストランで食事を取ることにした。4人がムール貝のポテト添え、1人がシーフードパスタを注文。ムール貝はどこで食べてもそこそこおいしいし、フランスの外飯では比較的安価だ。私以外は初ムール貝だったが、みな気に入ったみたいだった。
オペラ座には学生の多くは開場と同時になかにはいった。二人だけ遅れて入った学生がいたが、全員天井桟敷サイドの最前列は確保できたようだた。死角はあるが最前列なら舞台を見ることができる。二列目、三列目だとほとんど見えない。私は学生席ではなく、自分で別のチケットを購入していた。天井桟敷のフロアの一階下の中央最前列。舞台がよく見えるいい席だった。料金は51ユーロ。
ニースのオペラ座は19世紀末に建築された馬蹄型客席のクラシックな様式の劇場だ。パリのオペラ座の設計者のガルニエの弟子によるものらしい。大きさはパリのオペラ座よりこじんまりとしていて、サロンなどの空間はない。「ちゃんとした服装で」と指定されてはいるものの、多くの観客の服装はくつろいだ感じの普段着だ。地元の人たちに愛されているというような雰囲気の居心地のいいオペラ座だ。演目はストラビンスキーの《放蕩者の遍歴》。英語のオペラで、1951年が初演。私ははじめて見る作品だが、古代・中世風のアレゴリーが用いられ、ギリシア神話、聖書、中世・近代の説話などに現れるモチーフを自由に構成した台本は、荒唐無稽でシニカルで実に面白い。オペラの台本としては複雑すぎるのだが。音楽もとらえどころがなくてあまりとっつきやすいものではない。音楽的にも脚本的にもオペラ初心者には向かない作品だったが、案外学生は寝ないで見ていたようだ。
終演後オペラ座の前で写真を撮って、女子学生の送りの分担を決めて、解散した。帰宅すると深夜0時を過ぎていた。

2019/02/28 ニース研修2019春13日目

研修13日目。
昨夜、学生を送って家に戻る途中、つまづいて派手に転んだ。坂道の横断歩道でごろりと一回転。ひざと左胸の下を強く打ったのだが、朝起きるとその二か所が痛い。特に左胸の下。腫れてはいないので骨にひびが入ったというようなことはないとは思うのだが。
一昨日発熱の学生は、昨日平熱に戻り、今日から復帰。フランスの薬の効き目がすごいのか、若い奴の回復力ゆえか。平穏な一日になると思ったのだが、昨夜、ニース料理を一緒に食べた学生が深夜に激しい腹痛に襲われ、朝になってもまだ腹痛があるので休むという連絡がラインで入った。
昨日食べたものの何かが当たったのではないかと思うと彼女のメッセージにあったが、昨夜食べたもので当たるような料理は思い浮かばない。ちゃんと火が通った料理ばかりだし、食材もなじみのものばかりだ。
「食べすぎじゃないか?」と訊くと彼女はそんなに食べていないという。一昨日調子を崩した学生も「食べ物があたった」と言っていたが、実際にはインフルエンザだった。「熱はないか?」と聞くと、熱はなさそうだ、とにかくじわじわとおなかが痛いと言う。
昨夜の転倒の後遺症で体が痛かったし、疲労で体も重かったのだが、おなかが痛いってのはかわいそうだと思い、ガスター10を持って彼女を見舞うことにした。私の住んでいるところからは歩くと30分ほどの距離だが、ニースのレンタル自転車システムVélobleuを使えば12-3分で行くことができる。このVélobleu、事前の利用者登録が必要だったり、現地で通話可能な電話が必要だったり(利用するときに、画面に表示された電話番号に電話して、登録利用者を確認する仕組みになっている)して面倒なのだが、ニースの移動にはとても便利だ。今回は学生のステイ先が12か所に分かれているので、Vélobleuを使ってニースのまちなかを行き来している。利用料金は一週間5ユーロ、一か月10ユーロで乗り放題と格安だ。
彼女の家を訪ねるとだいぶよくなったと言いながら、痛みに顔をしかめていてかなりつらそうな様子だったので心配になる。とりあえずガスター10を飲んで様子を見ることにしたが、その後学校に戻ると「突然痛くなったと言っていたし、虫垂炎や腸閉塞とかだったらどうしよう」と不安になった。彼女と同室の学生が昼食後すぐに住居に戻って、様子を伝えてくれた。すやすやと寝ていて、だいぶよくなっている感じがするとのこと。昨夜は痛みであまり眠れなかったかもしれない。私は午後にまた彼女たちの家方面に行く用事があったので、そのときにまた寄って様子が思わしくなければ、また病院に連れていくことにしようと思った。
午前中は自分の勉強の時間のはずが、結局はいろいろ入って勉強が進まない。仕方ない。
明日の夜はニースのオペラ座にストラビンスキーのオペラ《放蕩者の遍歴》、明後日の夜はオペラ座プロデュースのミュージカル《赤と黒》を学生たちと見ることになっている。ニースのオペラ座の担当者に学生団体チケットの確保をお願いしていて、それを引き取りにいかなければならなかった。学生券は5ユーロだ。本来なら学生券は劇場窓口で、公演の何日か前までに買うという条件があって、予約取り置きというのはできないのだが、メールで問い合わせたところ、担当者の裁量でわれわれの分のチケットを確保してもらっていた。ニース研修では毎年オペラ鑑賞を行っているが、3年前からこのやり方で学生券を用意してもらっていた。今日の午後はチケット引き取りの際に、それまでメールでのやりとりだった担当者に会って挨拶することにしていた。
家からオペラ座までもVélobleuで。しかし到着先のVélobleuのステーション数か所が満員で、15分で現地に到着したものの、駐輪先を探すのに15分かかった。自転車をステーションに返した時点で、腹痛の子に連絡をとったが、薬を飲んでから少し寝ると、かなり体調がよくなったので散歩に出かけるとのこと。ガスター10が効いたのか。とりあえず大病でなくてよかった。
オペラ座のチケット窓口で、学生券の処理の担当者を呼び出しもらう。メールでのやりとりはフランクな感じであったが、出てきたのはさっそうとした上品なマダムで、劇場内でかなりの地位にあることがその雰囲気から感じられた。学生の芸術鑑賞の意義を熱意をもって語り、こちらの語学研修の様子や学生の関心、私の専門領域などについていろいろ聞かれて、ドギマギする。さらっと挨拶して、おみやげのキットカットを渡して立ち去るつもりだったのだが。ニースのオペラ座に継続的にやってくる日本人学生の団体はおそらくわれわれぐらいなので、好奇心をそそられたのだろう。
ニースでぶらつくところといえば、旧市街と海岸沿いにほぼ集約されてしまう。昨日、今日はイベントを入れなかったので、学生たちは思い思いにすごしていたが半分くらいはこの辺りをぶらついてたようだ。海岸で数人の学生と合流する。
ニースは海岸に座り、ぼーっと海を見ているだけでもいい。一時間ほどぼーっと海を見て、ときおり他愛のないことを話したりして過ごす。
明日、明後日は夜に外出するので、ブラバン家の夜飯は今日が最後だ。夫のギヨームが作った手作り特製ハンバーガーが夕食だった。とてもおいしいハンバーガーだったが、これだけでは物足りないなと思っていると、マニアがトマトソースで色づけしたチキンライスっぽい米料理を出してくれた。
マニアは教育熱心で厳しい母親でもある。仕事から帰って疲れているはずなのに、子供二人の朗読の宿題に厳しいダメ出しをしていた。