2023年2月15日水曜日

2023/02/12 ケベック第3日

2月12日(日)ケベック第2日
午前7時に起床。意外なことに時差ボケは克服できているように思える。カナダ滞在中は娘も一緒なので、午前中は特に用事がないことが多いのだが、夜更かしせず、朝ちゃんと起きる規則正しい生活をするようにしよう。今日は夕方にRIDEAU 2023のオープニング・パーティがある。パーティの前に参加登録のaccreditation 「認証」が必要とあった。午前中は近所のスーパーマーケットに行った。歩いて10分ぐらいのところに、道路沿いの3階建ての低層の建物に個人商店が並ぶ小さなショッピング・ストリートがあり、それなりの賑わいがあった。スーパーの品揃えは日本と大きく違いはないが、値段は全般的にかなり高め。日本より2割高という感じだ。野菜や果物はほぼ全てが輸入品だ。フランスのスーパーとの違いで気づいたのは、板チョコの棚が小さいこと。お菓子類もバリエーションが乏しい。店によってもちろん違いはあるのだろうが。ポテチ、飲料、生野菜などを購入した。
昼飯は滞在先で食べた。昨日のブーティンの残りと午前中にスーパーで買ったサラダ。RIDEAUの事務局でな登録認証が午後3時までなので、それに間に合うように家を出たが、家から10分ほどのところにあるバス停に着いたところで財布を忘れていたのに気づき、家に戻るはめに。結局、登録認証受付時間には間に合わなかった。RIDEAU参加は今回が初めてだが、そもそもこの種の演劇見本市への参加の経験がないのでどういう具合に参加するのかよく分からない。そもそもはプロデューサーや劇場主など興行に関わる人が想定された参加者で、演劇研究者や批評家でやってくる人はそんなに多くないのではないか?登録認証すれば、すべてのプログラムに無料で参加できるのか、あるいは個々のプログラムごとに事前参加申込が必要なのか、あるいはプログラム参加ごとに支払いがあるのか?、など知らなかった。
私の場合は、今回は日本ケベック学会の小畑研究奨励賞を滞在費用の一部として利用して、ケベックに演劇の研究調査の名目で来ている。RIDEAUについては在日本ケベック政府事務所の文化事業担当のKさんに教えてもらい、参加申込にあたっては便宜を図ってもらった。それで所属は日本ケベック学会、日本代表、プロフェッショナル枠で、参加登録されているらしいのだが、これでいったい現地で何ができるのか、よく分からないままケベックに来たのだった。参加登録は既にやっているのに(Webの入力がなぜか上手くいかずけっこう大変だった)、さらに現地でaccréditation が必要とは、いったいどういうことなのだとちょっと不安だった。https://drive.google.com/uc?export=view&id=1H9VxdeBn0D_TSWEXWOkf4InTn2WZWfXt
登録認証受付の人に16時半から始まるオープニングパーティの会場でも認証をやるからそこでやればいいと言われる。
パーティの受付が始まるまで一時間ほど時間があった。近くにある国会議事堂に行って写真を撮る。パーティ会場でまずaccreditation。何のことはない、名簿での出席チェックで、チェック何終わると首から下げる顔写真とQRコード付きとプラスチックのプレートをもらった。期間中のプログラムに参加するときは、会場の入口でこのQRコードをチェックするしくみだ。パーティのあとにある歌手のショーケースに娘も連れて行っていいかと聞くと、それはできない、見本市登録者でないとダメとの返事。このへん、実は融通利かせてくれるのではないかと思ったのだが、きっかり断られた。まあ、仕方ない。
ケベックで真冬に行う舞台芸術見本市ということで、パーティは数十人規模のものを想像していたのだが、オープニングパーティの会場にはパフォーマーも数百人がいる思っていたより大規模なものだった。会場に入るとそのままほぼ放置。互いに顔見知りの人が多いようだ。顔見知り同士でなくても、すぐに打ち解けて、楽しげに会話している。知らない人たちのあいだに、一人ポツンと放り込まれた感じで、こういう場での社交的振舞いのスキルが乏しく、フランス語会話力も低い私には、しんどいパーティだった。ただ今回はこういう居心地の悪い、気まずくなるような時間も、敢えて避けないようにしようと思っていた。ある種の修行のつもりで。
RIDEAUの参加者のほとんどはフランス語圏の人たちだ。ケベック、ローカルではあるが、フランス語圏の人たちは安心して、のびのびした気分で参加できるイベントなのだろうと思う。
喧騒の中、一人でドギマギとしていると、私以外もう一人の日本人参加者のルミさんが私を見つけて声をかけてくれた。ケベック州政府事務所のKさんから彼女の参加は聞いていたが、これから初対面だった、音楽関係のプロデューサーだが、そのフランス語が流暢なのにまず驚く。聞けばもともとはトランペット奏者として、フランスで活動していて、紆余曲折を経て音楽プロデューサーになったとのことだ。彼女はいろんな人に気軽に話しかけ、会話のグループを作っていく。おおっ、プロって感じだ。しばらくの間、彼女に付いて、このパーティのなかに自分も「入った」ふりをした。ずっと彼女にくっついているのも何かなと思い、離れて別の人に話しかけてはみたものの、話は弾まずという気まずさを数回繰り返しつつ、会場をウロウロ彷徨った。90分の苦行のあと、会場を後にし、娘と落ち合い、娘に滞在先の部屋の鍵を渡す。もし可能であれば、娘と一緒に音楽のショーケースに行くつもりだったが、ダメだってので女は一人で先に宿に戻らなくてはならない。
娘と別れた後、シャトルバスに乗って3人のミュージシャンのショーケース会場になっている旧市街の劇場に行った。会場は150席ほどのライブハウス。ここでは3人のアーティストが20分ずつパフォーマンスを行う。最初に演奏したのは、80年代から活動する女性歌手、Chloé Sainte-Marie。彼女のことは数年前に日本ケベック学会て、ケベックの詩とシャンソンについて小さな企画を行ったときに取り上げていたので、知っていた。ガストン・ミロンなどケベックの詩人の詩に曲をつけて歌ったり、全編、カナダ先住民の詩に曲をつけて歌ったりする独自のスタイルを持つ歌手だ。1962年生まれで60歳だが、細身でキュートでエキセントリックな雰囲気を持っている。3曲か4曲が、その中には先住民の言葉の歌も入っていた。歌うにあたって、詩としての言葉と丁寧に向き合っているように思える。ケベックのフォーク音楽の伝統であるシャンソニエの系譜にある歌手だ。言葉を重視しているが故に、パフォーマンスとしては親密で誠実だが、地味で盛り上がりには欠ける。とは言え彼女のパフォーマンスに立ち会えてよかった。https://drive.google.com/uc?export=view&id=1exJy_w6OvRIGCWL-Qa9GbjpEf3m5NAUR
2番目はINUのアーティスト、Scott-Pien Picardのバンド。しかしINUのアーティストとは言え、その音楽は典型的なロックロールのように思えたが。ボーカリストの風貌やパフォーマンスはどことなくプレスリーを思わせる。バンドのメンバー全員がデブだった。一番デブのギタリストの大仰で滑稽なパフォーマンスがよかった。型にはまっているが、その型で遊んでいるような雰囲気があるバンドだった。
三組目のJuste Robertは、ギター、ボーカル、キーボードの三人編成。ユーモラスでとぼけていて、そして詩的余韻のあるフォーク音楽で、この劇場で聞いた三組の中では、一番わたしの好みだった。
旧市街のプティ・ジャンプラン劇場のショーケースの後は、シャトルバスでImpérial Bell劇場へ移動。ここは三百席ぐらいの広さか。キャバレー風の客席で、飲みながら見る劇場なのだろう。ここでも三組のアーティストの演奏を聴いた。最初に登場したイヌーの女性歌手、Laura Niquay ローラ・ニケは、彼女の最初の発声からガツンと引き込まれた。咆哮のようにも思える力強い歌声だった。民族楽器だと思われる太鼓を手に歌うスタイルもいい。迫力あるパフォーマンスに観客も一気に盛り上がった。二組目のAmmoyeは、ハードでポップなレゲエ。明るくエネルギーに満ちた歌声、巨大なアフロヘアと溌剌とした切れのいい動きも魅力的だ。
3組目のAFRICANA SOUL SISTERは、エレクトロニックなアフリカン・ポップ。悪くないけれど、音楽的に単調で、前の二組と比べると印象が薄い。https://drive.google.com/uc?export=view&id=1V8yenP3btMe89PeE-9ZbdbnETzHWA8C7
終演は22時半。シャトルバスでRIDEAUの本部があるヒルトンホテルまで行き、そこから路線バスに乗って自分の宿な戻る。路線バスが深夜まで走ってあるのはありがたい。
しかし芸術作品の見本市というのは、見せる方にとってもキツそうだなあ。興行主に値踏みされることを意識して自分の作品を20分の短い時間にカタログ化するのだから。
人はなぜ演劇を作るのか?と言う夢を見る。十箇条があるのだが,それらはありきたりだが,本質的なことが書かれていた。その十箇条の文句が思い出せない。

2023年2月13日月曜日

2023/02/11 ケベック第2日

 午前7時に目覚ましで起きる。昨夜寝たのが午前1時前だったと思うので,ケベックの昼夜に合った睡眠時間を取ることができたと言えるのだが,時差ボケというのは手強いので思わぬ時に強烈な眠気が襲ってくる可能性がある。Martin宅にはわれわれ以外にもう一組,ゲストがいるようだ。まだ会っていないが声は聞こえる。朝起きて,風呂に入った。浴槽がある家だった。他人の家で,まだ慣れないのでなにかと気を遣う。朝ご飯はダイニングキッチンに用意してあるものを適当に食べるというスタイル。これも恐る恐るという感じで。今日はまだRIDEAUは始まっていない。16時半にLe Diamant劇場のガイドツアーに参加するのは決まっている。昼はケベックのウィンター・カーニバルを見る予定。土地鑑がほぼないので,何をどこでするのか,前もって頭に入れて行動しなくては。



9時20分ごろ家を出た。滞在先からウィンター・カーニバルまでは2キロほどの距離がある。道はほぼまっすぐだ。天気がよかったし,町の広さの感覚をつかめるかと思い,カーニバル会場まで歩いて行くことにした。滞在先周辺は三階建てくらいの低層の住宅地なのだが除雪がされていなくて,特に歩道側には雪が残っている。靴は日本で防水仕様の短ブーツを買っていた。寒いけれど,町中はそんなに雪はないのではないかと思っていたのだが,案外雪だらけだ。モントリオール空港やケベック空港では軽装のケベック人ばかりだったので,防水ブーツではなくてスニーカーで来ればよかったと思ったのだが,防水短ブーツでよかった。
ウィンター・カーニバルは札幌の雪まつりみたいなものという風に想像していたのだけれど,思っていたより子供向きのアトラクションが中心だった。氷のブロックでできた城とかに入ってはみたが,下が雪だと,防水なので水が靴のなかに浸透したりはしないのだけど,足先が冷えてくる。また履き慣れない靴で長時間雪道を歩くのはかなり疲れた。最初の15分くらいは雪道が物珍しくて楽しかったのだけど。11時半ぐらいだったが,カフェに入って昼食を取ることにした。


昼食を取るカフェは,フランス語のバックパッカー向けのガイドブック,Le  Routardに載っている店にした。町中にある何の変哲もない小さなカフェだ。ただ店員の女の子は愛想が良くて,感じがいい。チップ制だと,スタッフの応対がよくなるというメリットはあることに気づいた。この店には軽食しかなかった。私はカモ肉コンフィのサラダ,娘はクロックムッシュとサラダを頼む。これいカプチーノとカフェオレをつけると,税とチップ込みで7000円ぐらいになってしまった。これはたまらない。


ランチを食べると,娘がショッピングセンターで買い物をしたいというので,google mapで一番近くにあった所に向かった。目的地に向かう途中で,靴屋さんを見つけ,中に入った。娘が町歩く人たちの靴がしっかりしたものであることに気づいて,自分も雪道用の靴が欲しいと思ったのだ。娘の靴は一応四時間防水とはなっていたが,この雪道ではいかにも心許ない感じだった。冬靴はバーゲンになっていたが,防水がしっかりとなされている町歩き靴はかなり高い。娘は何足か試着して,150カナダドルくらいの靴を購入して,その場で履き替えた。私も欲しかったが,とりあえず自分の靴は完全防水ではあるし,並んでいる靴では私が履けるサイズで一番安いものでも200カナダドルを超えていたのであきらめた。娘によるとそれまで履いていた靴とは,履き心地,暖かさ,安定感で雲泥の差があるという。東京の靴屋にはこういう靴は並んでいなかった。
旧市街のフロントナック城の周辺をうろうろと歩き回る。旧市街は川岸なので高低差がかなりあって,坂道がかなり急だ。今日の気温はマイナス10度くらいだったと思う。フロントナック城の高台から見下ろすセント・ローレンス川の風景が素晴らしかった。川の表層が凍っていて,白い氷が流氷として上流から下流へゆっくりと流れていく。しかし晴れていて良かった。晴れていても寒かったが。寒さは午後になるとどんどん強くなっていったように思えた。これで天気が悪ければどれほどどんよりした気分になっていたことだろう。やはり寒いってのは大変だ。こんなに寒いのに大勢の人が町中を歩いているのはちょっと驚く。16時半からはじまる劇場ツアーのため,Le Diamant劇場に向かう。Le Diamant劇場は旧市街の城壁の外側にある。劇場中心がケベック市の中心のようだ。Le Diamantのガイドツアー受付時刻の30分前に劇場についてしまった。近くのカフェで時間を潰す。劇場まで旧市街から20分ぐらい上り坂を歩いてきたので,あと30分,寒いなか付近をうろうろする元気はなかった。暖かい所に入るとホッとする。





Le Diamant劇場はケベック出身の世界的演出家,ロベール・ルパージュとそのカンパニー,Ex Machinaの本拠地となる劇場だ。ツアーに参加したのはわれわれを含めて,5組,10名ほどだった。90分かけて劇場内を回る。劇場自体は2019年にオープンしたものなので,設備自体は現代の中規模(800席)の劇場という感じで特に特徴は感じられない。ただこのケベックの人たちが,この町出身のルパージュに対して大きな敬意を抱いていることは感じたし,この劇場を誇りに思っていることも感じられる。劇場ツアー以前に,複数のケベック演劇関係者や演劇とは直接関係ない国際ケベック学会事務局の人たちから,ケベックに行くならぜひLe Diamantへという言われていたのだが,劇場ツアーでその敬意と誇りをあらためて確認出来たように想う。ツアーの説明はもちろんフランス語だが,最初のうちはガイドの方が私に気を遣って,ゆっくり分かりやすく話していたのでほぼ理解できたが,途中からはこちらの集中力も落ちたことがあり,半分くらいしか理解できていない。娘は時差ボケが襲いかかってきて,猛烈に眠たそうにしていた。




劇場ツアー終了後,劇場の近くにあるプーティン屋で夕食。Google mapで評価が高い店。20分ほど待って入店できた。プーティンはスモールサイズ,標準サイズ,ラージサイズがあって,標準サイズを頼んだのだが多すぎて半分くらいしか食べられなかった。残りは容器に入れて持ち帰ることにした。フライドポテトの上に,大量のチーズとソースがかかったプーティンの迫力は強烈で,ジャンクフード好きの私でも異にもたれる。帰りはバスを使いたかったのだが,バスが30分待たないと来ないことがわかり,歩いて戻ることに。夜の雪道を30分ほど歩くのはきつかった。





2023年2月11日土曜日

2023/02/10 東京;ケベック第1日

 出発直前まで、猛烈に慌しかった。ケベック行きの準備は相手もあることなのでそれなりに進めていたのだが、その他の仕事がずっと詰まった状態が続いていたのだった。こなさなくてはならない目の前の仕事が大量にあって、娘をケアする余裕はなかった。私の気分もずっと不安定で、いつも以上に落ち着きがなく、娘が私の言った通りにしないと妙にイライラしてしまう。


出様当日の午前4時に荷造りを終える。これはいつものことか。
モントリオール行きの便の出発は、18時45分だった。成田空港までは、池袋からWILLERトラベルの成田バスを利用した。これは昨年夏から始まったサービスで片道1500円と格安なのだ。
出発の日は東京は雪。最寄りの駅まで雪降るなか、大きなスーツケースを転がすのがちょっと大変だった。15分ちょっとかかった。
池袋からバスに乗ったのが12時10分。余裕をもって早目のバスにしたのだ。池袋から成田空港までは、都内は渋滞していたものの、ほぼ予定通り、14時ごろに着いた。昼飯を食べてなかったので、まず昼メシを。家系ラーメンを食べたのだが、塩辛くて美味しくなかった。空港のショッピング街は1/3ほどの店が閉まっていた。まだ新型コロナから完全回復というわけでは無いようだ。
搭乗のチェックインは前日にWebで済ませていた。受託手荷物は、セルフでやるように言われやったのだが、なぜか私の座席ースーツケースの組合せと娘の組み合わせがねじれていて、スーツケースを置いたところでエラーが出て焦る。娘とスーツケースを交換して、チェックインすることでなんとかなった。
なんのかんのでけっこう疲れた。成田空港のレストラン街はそれほど混雑していなかったが、手荷物検査に長蛇の列ができている。

30分ほど休憩してから手荷物検査の列に並ぶことにしたのだから、この休憩中に娘の口の聞き方が気に障って、それがもとで喧嘩になり、娘がプイッといなくなってしまった。15分ほど経っても戻ってこないので焦る。慌てふためいて付近を探し回っていたら、娘から「なんでずっと座って待っていないんだ?」というメッセージが届いて、再会できた。
手荷物検査場は長蛇の列だったが、進むのは早く15分ほどで検査が終わる。出国審査は無人方式。免税店街は、8月にドイツに行ったときはがらんとしていてほとんどの店が夕方には閉まっていたが、今回むしろ一般エリアのショッピング街より賑わっていた。
モントリオール行きの便はほぼ満席だった。乗客の7割は外国人か。ケベック訛りのフランス語が聞こえてくる。こんなにたくさん日本からモントリオールに行く人がいるのかとちょっと不思議な気分になる。
飛行機は3×3×3の座席レイアウトだった。私がヨーロッパ便で利用するエミレーツより小型の機体だ。われわれの座席は真ん中の並びだった。座席周りの設備もエミレーツより簡素だ。機内でwifiは使えない。モントリオールには12時間のフライトだ。日本時間の11日朝6時半に到着する。-14時間の時差があるので、モントリオール時間の到着は10日の16時半になる。
離陸して1時間半ほどで食事が出た。私は鶏肉を選んだ。鶏肉の煮込みとそうめん。そこそこ美味しかった。



機内の温度はちょうどいい。足元は心待ちゆったりしているような気がする。
映画は『ティファニーで朝食を』を見た。この数カ月、なぜか『ティファニーで朝食を』のテーマ、《ムーンリバー》が頭のなかでループしていた。音域が狭くて歌いやすい名曲だ。歌詞も大好きだ。主人公のホリーの心情を重ね合わせて、その歌詞が描く風景を思い浮かべる。
『ティファニー』を見るのは3回目だと思う。キュートな高級コールガールとパトロンヌに囲われたハンサムな売れない小説家の恋物語。浮ついた恋の駆け引きのなかで、偏見に満ちた日本人へのステレオタイプが凝縮された上階の住人の滑稽さが笑いのアクセントとして添えられる。マンシーニのテーマ曲とヘップバーンの魅力だけで見せるくだらない映画だと思って見ていたのだけど、次第にホリーの抱える孤独の深さに引き込まれ、彼女の生き様に共感を覚えてしまう。
映画を見た後、3時間ほど眠る。

娘は飛行機が揺れて酔ったらしい。モントリオールに着く前に朝食が出たが、娘は朝食は取らず水だけ。私は全部食べた。朝食は焼きうどんを選択。案外美味しかった。
モントリオールには予定通り、現地時間の10日16時半に到着。ここでケベック行きの飛行機には乗り換えるが、待ち時間が4時間ほどある。入国審査は端末対応であっさり終わったが、手荷物検査に手間取った。窓口が一つで、スタッフが3名しかいない。検査の手際も悪い。手荷物検査だけで一時間以上かかったように思う。
夕飯は空港内レストランでフィッシュ&チップスを食べた。魚は淡白でサクサクと揚がっていて思ったより美味しかった。
飯を食べ終わると、強烈な眠気が襲ってきた。


ケベック行きの便のなかで眠る。起きるとケベックに着いていた。飛行時間は一時間ほど。ケベックへの到着が22時40分。スーツケースを受け取ったのが23時頃。スーツケースは比較的すぐで出てきたが,私のスーツケースに目印として巻いていたベルトがなくなっていた。空港までAirBnBのホストが車で迎えに来てくれることになっていた。有料で25ドルだが,タクシーよりは安い。タクシーだと35ドルくらいらしい。AirBnBは普通の家なので,チェックインが若干面倒なことが多い。到着が深夜だったので,ちゃんとたどり着けるかどうかちょっと不安だったので,迎えに来てくれるのはありがたかった。連絡はAirBnBのチャットで行う。




AirBnBのホストは50代か60代の男性だった。英語でずっと話す。ケベック出身だが,通常,仕事では英語を使っているらしい。こちらはフランス語で話しかけるが,向こうは英語で話すほうが好ましいような感じがあった。12歳のメスのダックスフントと二人暮らし。ダックスフントはおとなしくて吠えない。すぐに仲良くなれた。
空港から宿までは20分ほどだったという。低層の集合住宅の2階で,3LDKの間取りのようだ。私たちの部屋はベッドが2台,広さは20平米くらいか。バストイレ,キッチンは共用。
一通り使い方の説明を受ける。疲れた。眠い。

2023/02/09 2度目のケベック出発までの長いプロローグ

 日本ケベック学会の小畑研究奨励金に応募したのは2020年だった。新型コロナ禍元年で、この年の3月から6月にかけては全世界が引きこもりを強いられた。



ケベックには2013年の夏にフランス語教育学会とケベック州政府州事務所によるフランス語教授法の研修で3週間滞在して以来、行く機会がなかった。この3週間の滞在でケベックを知ったことで、私はパリ/フランス中心のフランス文化観からようやく解放された。そう言う意味で、こらは私にとってとても大きな、ある意味決定的な経験となった。ケベック研修から帰ってきたあと、私はケベック熱に浮かされていた。ケベックが当時閉塞状況にあった私にとって希望の光に思えたのだった。

がんで闘病中だった小畑精和先生の講演をカナダ大使館で聞いたのは、帰国後、間もない時期だったと思う。小畑先生が末期癌だったことを私が知ったのは後になってから、多分、ケベック学会入会後、小畑先生が亡くなったときだろう。帰国後の10月に日本ケベック学会が、ケベックの作家、ウーク・チョングを日本に招いた。ウーク・チョングは、日本で在日韓国人一世と二世の両親のもとに生まれ、2歳のときにケベックに家族で移住し、フランス語で書く作家となった人物だ。彼の新作小説を私はたまたまモントリオール大学の書店で見つけて購入し、この小説を教材に韓国人とケベック人と模擬授業をやったのだった。なんという偶然。早稲田大学で行われたウーク・チョングの講演会を聞きに行き、図々しくも懇親会にも出た。その懇親会で、聖書、エラスムス、デカルトなどを人形劇で行うユニークな劇作家・演出家アントワーヌ・ラプリーズと知り合った。彼はレジデンス・アーティストとして半年間、日本に滞在していた。私と知り合ったのは10月だったが、その後の2ヶ月、何回か彼と一緒に演劇を見に行った。こんな偶然が続いたのだから、ケベックとの出会いは運命的と思わざるを得ない。私は日本ケベック学会に入会した。

実際、2013年のケベックは私の人生の転機となった。翌年の夏、私は日本フランス語教育学会の推薦を得て、ニースのAzurlingua が夏に行っているフランス語教員研修の告知をたまたま教育学会のMLで見かけ、これに応募し、SPACが出演したアヴィニョン演劇祭とあわせる形で、南フランスで濃厚な3週間を過ごした。
それまで非常勤講師の安い給料でフランス語圏に行くなんてほぼ不可能だろうと思っていたのに、この2014年度2月には学生を連れてニースの語学研修旅行を企画・実施。以後、新型コロナで海外渡航が難しくなるまで、毎年、一回か二回はニース研修をからめるかたちでヨーロッパに行くようになった。2004年に帰国以降、一度フランス語教育学会の研修でプザンソンとパリに4週間行ったことはあったが、それ以降は子供と成長を共にすると言う家庭内の喜びと充実はあったものの、社会生活の面ではパッとせずずっと燻っていたのだが、2013年夏にケベックに行って以降、自分の生活は明らかにダイナミックなものになった。
私の生活の変化の契機となったケベックだが、2013年以降、私は他の色々な事柄に追われるようになり、自分のケベック研究は一向に進めることはできないままでいた。ケベック学会には参加し、理事になっていたものの、ケベックについてアウトプットすることはろくにできなかったし、ケベックを再訪する機会もなかった。後ろめたいというか、もどかしいというか、このままケベックとは徐々に疎遠になっていくのだろうか、という寂しい気持ちを持っていた。

日本ケベック学会の小畑研究奨励賞への応募は考えていたけれど、これは2週間以上のケベック滞在が条件となっている。私がケベックでする研究となれば、演劇研究しかない。ケベックです行われる演劇祭で最も大きく充実しているのは毎年5月末に行われるFestival transameriqueであるが、この時期に大学を3週間休講にして海外に行くのは非常に難しい。職業倫理上も問題だ。また小畑研究奨励金は、5月末に募集が行われ、決定後はその年度中にケベックに行かなくてはならないという規定があったので、5月末に行われるFTAの調査には使うことができたかった。

2020年に入ると中国から始まった新型コロナ感染拡大は瞬く間に全世界に広がり、3月半ば以降は全世界で人の国境をまたいだ移動はほぼ不可能な状態となった。国境を越えた移動だけでなく、大学のキャンパスも閉ざされ、授業は全面的に、急遽オンラインで実施されるようになる。この状況は徐々に緩和されつつも、2021年になっても続く。
大学だけでなく、学会の開催についても同様だった。2020年の日本ケベック学会全国大会は、大阪の阪南大学で行われるはずだったが、それが不可能になる。20年度は学会は中止にするという案も出たのだが、4月以降、自分が主宰する古典戯曲を読む会や日仏演劇協会でzoomを使ったオンラインでの会合実施に手応えを感じていた私は、日本ケベック学会の学会実行委員ではなかったのにも関わらず、全国大会のオンライン実施を主張した。そして手探りで実施することになったオンライン学会の運営準備に関わった。
この年度は、新型コロナで海外渡航が難しくなったいる状況を鑑みて、小畑研究奨励金の使用期間が緩和され、採用翌年度以降の利用も可能になった。となると5月末のFTA取材に小畑研究奨励金が使えることになる。また新型コロナ以降常態化したzoomによるオンラインでの補講やオンデマンドの授業によって、授業期間中に3週間日本を離れることも不可能ではない。

私はそれで小畑研究奨励金を申請することにした。日本ケベック学会全国大会のオンライン開催準備と実施に際してはかなりの労力と時間も投入したので、これで奨励金に採用されないようなら日本ケベック学会から離れてもいいという風にも思った。果たして、私は2020年度の小田研究奨励金に採用された。研究課題は「新型コロナ感染収束後のケベックの演劇状況」だ。新型コロナ元年となった2020年は全世界であらゆるスペクタクル公演が停止するという前代未聞の状況が生じ、そんななかでスペクタクルを今後どう再開していくかが大きな問題となっていた。
2020年度は結局新型コロナ禍が終息することはなく、海外渡航は一般にはほぼ不可能な状態が続いた。しかし2020年度日本ケベック学会全国大会が行われた10月の時点で、新型コロナ感染による行動制限が翌年度も続くと思っていた人は極めて少なかったはずだ。
2021年春のFTAも中止となった。それではこの年度の秋にモントリオールで行われる演劇見本市の調査をしようと思い、CINARの事務局と連絡を取るものの、これも中止に。それでは2月にケベック市で行われるRIDEAU と思って事務局と連絡を取り、渡航準備を進めたのだがこれも12月末に感染拡大でオンライン開催になってしまった。

2020年度に取得した小畑研究奨励金はこうして翌年2021年度も利用できずに終わった。
そして2022年度になった。この年度からは大学での対面での授業がほぼ全面的に再開され、演劇などのフェスティバル等も従来通り行われるようになった。この年の夏には私はドイツのオーバーアマガウの受難劇を見に行った。2020年3月以来、2年半ぶりの海外渡航だった。
小畑賞を利用してのケベック行きも今年度中に行わなくてはならない。7月にケベックの国際ケベック学会の事務局から渡航についての問い合わせがあった。小畑賞では2週間以上のケベック滞在が求められる。となると大学の春休み中に行くしかない。

私は2月にケベックで行われるRIDEAUの取材を中心にケベック滞在することに決め、10月ごろからRIDEAU事務局と連絡を取り始めた。私がケベック行きを決めると、大学3年生の娘が一緒にケベックに行きたいと言う。娘の分の滞在費、特に渡航費を出す余裕は私にはないことを告げると、貯めたバイト代があるので自分の航空券代は自分で出すと言う。娘とは彼女が高校一年の夏に向けてニースとフィンランドに行ったことがある。ケベックは娘との最後の旅行の機会となる可能性が高い。娘と海外、それもケベックに行けるなんて、父親冥利に尽きると言うべきものだろう。もっとも私は芝居を見たり、演劇関係者と会って取材する間、娘はどうするのだろうとは思うのだが、娘は娘でなにかやることは考えているようだった。
11月半ばに旅程をほぼ確定して、航空券を発注した。2/10に出国し、10日から17日まではケベックに滞在。12日から16日にRIDEAUが開催される。17日にモントリオールに移動し、ここに25日まで滞在。これで小畑奨励金でのケベック滞在のミニマムの2週間はクリアできる。25日から3/1はトロントに行くことにした。英語圏のオンタリオ州の都市だが、2013年にこの街に数泊したときに活気あるエスニック・タウンの集積であるこの都市の雰囲気が気に入ったのだ。せっかくだから世界有数の観光地であるナイアガラの滝を娘に見せたいというのもあった。

今回の宿泊はすべてAir BnBとなった。まずベッド2台のツインルームの用意のある安いホテルが少なかったこと、そして長期滞在のため、自炊ができる環境の方が好ましかったからである。ケベック、モントリオール、トロントの3箇所のBnBに宿泊するが、いずれも泊まる場所の雰囲気は違う。宿泊代は一泊1.2万円ぐらいのところを選んだ。ホテルだとこの値段で見つけるのは難しい。
航空券は行きは、成田-モントリオール-ケベック、帰りはモントリオール-トロント-成田。帰りのモントリオール-成田は鉄道でも良かったかなと、今になって思う。チケット代は一人24万円弱だった。

12月に入るとケベックで取材する相手や現地で会う予定の友人たちに連絡を取った。すぐに返事をくれるところもあるが、返事がなかなかないと、もしかすると迷惑なのかなと思い、かなりモヤモヤとした気分になる。まあそれぞれいろんな事情を抱えているので仕方ない。
2週間の滞在だが、今回の滞在中に今後ケベック研究を継続して行うための足場を作っておきたい気持ちは強い。

ケベックについて日本で発信し、できれば日本/ケベック交流の機会を作ることで、私に人生の契機となったケベックに何らかの貢献できればと思っている。

2020年3月15日日曜日

2020/03/14 パリ

一ヶ月にわたるフランス・アイルランド滞在の最終日だ。昨日の午後に100人以上の集会が禁止されてしまったので、今日の午後に見る予定だった公演がなくなってしまった。私が予約した公演だけでなく、ほとんどの公演が昨日午後の通達によって、なくなってしまった。演劇などのスペクタルだけではない。美術館、博物館も、エッフェル塔などの観光名所も封鎖された。国立図書館も閉館だ。

ホテルのチェックアウトは朝10時だが、飛行機は夜9時過ぎだ。昼飯を食べた後、芝居を見て、夕方になったらタクシーで空港に行って早めにチェックインしようと思っていたのだが、午後の時間が空白になってしまった。

昼はパリ在住で俳優・ダンサーとして活動している外間結香さんと13区のフォー屋で飯を食べる約束をしていた。このフォー屋はこの近所に住む彼女行きつけの店で、私はパリで彼女に会うときはこの店でという感じになっている。牛肉薄切り肉をしゃぶしゃぶのように汁に浸して食べるフォーが名物で、彼女も私もいつもこれを頼んでいる。
話はやはりコロナウイルスがもたらす影響(彼女の仕事もキャンセルになった)と見た演劇や映画についていろいろ。フォー屋の後はカフェで1時間ほど話をした。

彼女と別れた後はどこに行くあてもない。店は空いているので、本屋でも寄って時間を潰そうかと思い、とりあえずイタリア広場からゴブラン通りを下った。ゴブラン通りはプレヴェールの「日曜」という詩に出てくる。この詩は教材として授業で使うので通りの写真でも撮っておこうかと思ったのだ。するとゴブラン通りに大量の警察官が待機していて道を塞いでいる。後で分かったのだが、ジレ・ジョーヌ(黄色いチョッキ)の大規模なデモがあったようだ。
この辺りに尿意を催して、どうにも我慢しがたい状況に陥った。あたりに万人に開放されたトイレはない。ホテルまで一旦戻ろうかと思ったがとうてい持ちそうにない。近くのカフェに入り、カフェとトイレを注文した。カフェは1ユーロ20サンチームだった。
トイレから出たあとカフェでGoogleマップを調べてみるとすぐ近くに映画館が二軒あり、どちらも営業していることがわかった。10分後ぐらいに『聖体拝領』というポーランド/フランス映画の上映がそばの映画館であることがわかり、観客の評価も高いのでこれをら見ることにした。ポーランドの田舎の教会で少年院を出た不良少年が司祭代理を務める羽目になる話。司祭という権威を背景に、因習に囚われない少年司祭が村社会の闇に切り込んでいく。信仰とは何かという問いかけが少年と村人たちの関係から浮かび上がる。渋い映画だった。
映画を見たあと、スーツケースを預けていたホテルに戻るとちょうど良い時間になっていた。ホテルのフロントに空港行きのタクシーを呼んでもらう。タクシーの運転手が優しそうなアジア系のおじさんだったのでちょっとホッとする。
土曜の夕方でいつもは渋滞する空港までの道は空いていた。

2/14(金)に日本を出て3/1(日)まで学生たちとニースに滞在。その後3/1(日)から3/9(月)までがアイルランド、3/9(月)から11(水)がグルノーブル、3/11(水)から3/14(土)までがパリ。

長い一ヶ月だった。実際の滞在期間よりさらに長く感じた。フランスに一ヶ月前に入国したときは、フランスではコロナウイルス感染は確認されておらず、日本人がこの感染症と結びついた差別の対象になるのではないかと思っていた。私にはなかったのだが、ニース 研修中には学生の中には「コロナ!」と罵声を浴びた者がいた。それが一ヶ月後の今はコロナウイルス感染についてはフランスの方が日本よりはるかに緊迫した状況になっていて、フランスからの帰国者がコロナ差別の標的になっているような状況のようだ。

ニースにいた頃は2週目には北イタリアでの大量感染者の確認があり、こちらのテレビニュースでの緊張感が増した感じはあったのだが、それでも日本でエスカレートしていくコロナ騒動は別世界の出来事だった。

ニース研修では例年2-3名は体調を崩し、病院に連れて行くことが多いのだが、今年は幸い発熱などがあっ参加者は出なかった。アジア人で発熱となると相当警戒されることを覚悟しなくてはならないだろうと思っていたのでほっとした。
フランスでのコロナウイルス感染が一気に深刻な状況になったのは私がアイルランドに滞在している9日間のあいだだった。

海外で一ヶ月ぐらい過ごしていると、ずっと絶好調でいるのはけっこう難しい。しかし今回の旅については体調を崩したら大変面倒なことになるのは間違いないので、のほほんと楽しく旅を楽しみつつも、体調管理にはそれはそれは神経を使った。強迫観念のように風邪ひいたらあかん、と思い続けていたのだ。早寝早起きの健康的な規則正しいまともな生活を送った一ヶ月だった。よく歩いて運動もした。

帰国後は2週間は大人しく引きこもるつもりだが、体調を崩すことなく一ヶ月を過ごせてホッとしている。こんなに一ヶ月を長く感じたことはない。コロナウイルスを巡る状況の急変だけでなく、いろいろなものを見て、いろいろなことを経験した密度の高い一ヶ月だった。

美味しいものをこんなに食べ続ける旅になったのは想定外だった。
断食の時期の四旬節に入ることもあり、ダイエットも兼ねた節制の旅になるはずだったのだが。


2020年3月14日土曜日

2020/03/13 パリ

午前中はヴェルサイユ宮殿に行った。
ヴェルサイユ宮殿はフランス観光の定番中の定番であり、フランス留学中は日本から知り合いが来るたびに連れて行った場所だ。ただ最後に行ったのは17年前だ。いや、ベルサイユ宮殿内のオペラ・ロワイヤルでのコンサートやオペラには2、3回、そのあとに行っている。スペクタクル目当てなので宮殿と庭園は見なかったが。

ヴェルサイユ宮殿はいつ行ってもチケットを購入したり、入場したりするのに長時間並ばなくてはならないが、コロナウイルス感染が問題になっている今ならすぐ入れるのではないかと昨日思い、ネットから予約していた。
NHKテレビフランス語講座『旅するフランス語』のテクストで、「城を巡る旅」という連載コラムを担当していた身としては、やはりフランスの城のなかの城であるヴェルサイユ宮殿はもう一度しっかり見ておきたかった。また翻訳中のラ・フォンテーヌの『プシシェとキュピドンの恋』の記述にもヴェルサイユ宮殿から想起された箇所が多数あるので、それも確認しておきたかった。

ヴェルサイユ宮殿にはRERのC線を使って行った。パリ市内13区の端の私の宿からは一時間ほどで行ける。事前にネットで電子チケットを購入したこともあって、宮殿への入場はスムーズだった。ただ城内にはけっこう観光客がいた。日本人の観光客もかなり多い。この時勢でもフランスに旅行に来る人がいるのだ。と人のことは言えないが。私の場合はフランス入国は2月15日で、フランス国内でのコロナウイルス感染がまだ報告されていない時期だった。この一ヶ月でこれほど事態が激変すると予測できた人間はいないだろう。

宮殿内を1時間ほど見学し、庭園を1時間ほど見学する。とにかく広大で豪奢、そしてごてごての装飾が悪趣味なところだ。一度は訪れる価値のある観光地であることは間違いない。しかし私にとっては一度くれば十分だ。17世紀の文化の基調はバロック的なものなのだと思う。しかしヴェルサイユ宮殿の装飾美学には、バロック的な自由な逸脱を抑え込もうとする古典主義的な抑制が覆いかぶさっている。それが装飾から生気を奪っているような気がした。

パリに戻ったのは二時半ごろ。美術館かどこかに寄ろうかとも思ったが、疲れていたので宿舎に戻った。しかし今日、ちょっと無理してでもどこかに行ってしまうべきだったかもしれない。午後2時すぎに「100人以上の集会が禁止」される通達が政府から出されて、ほとんどの劇場、美術館などの閉館が決まったからだ。それまでは1000人以下だったのが、いきなり十分の一の100人以下の規模になってしまったのだ。
最終日の明日の午後にはミュージカル公演のチケットを予約していたがそれも中止になった。パリを発つ飛行機は夜の便だが、それまでやることが全くなくなってしまった。公演を散歩するぐらいしかない。まあ仕方ない。

宿舎で1時間ほど眠る。夕方はパリ国際大学都市の韓国館の館長をやっているソン・セギョンさんと夕食を取る約束をしていた。彼とは4年前にニースでのフランス語教員研修で出会った。当時から大人の風格が彼にあり、韓国人教員のグループとこのグループにくっついていた私のボス的存在だった。このときは娘もニースに連れて行ったのだが、娘も彼にかわいがって貰った。
当時彼は明洞の高校の校長先生だったのだが、一年半前からパリ大学都市の韓国館の館長と在フランス韓国大使館の教育担当官としてパリに赴任していた。FBではつながっていたが、出世してえらくなってしまったし、あまりに忙しそうな様子だったので、連絡を取るのを遠慮していたのだが、「パリに来るんだったら、声をかけて」と彼のほうからメッセージをもらったので、今回連絡を取ってみた。
やはりとんでもない激務のようで、とりわけ一月以降はコロナウイルス関係の対応が大変だったに違いない。そんななかでもこうして会う機会をわざわざ作ってくれるのはとても嬉しかった。
韓国館内のレストランで韓国料理をごちそうになった。



2020年3月13日金曜日

2020/03/12 パリ

午前中はバスティーユに映画を見に行った。
今、フランスの女性のあいだで大人気というノエミ・メルランが主演の歴史映画『火のなかにいる若い女性の肖像』Portrait de la jeune fille en feuを見るためだ。この女優についても、映画についても私はまったく知らなかったのだが、パリ在住の女優の竹中香子さんから昨日教えてもらって見に行くことにした。竹中さんも一緒に見る予定だったのだが、彼女に急な用事が入ったので私ひとりで見に行くことになった。
時代は18世紀末、主人公は女性画家でブルターニュの島にとある貴族の娘の肖像画を描くために赴く。この女性画家と一筋縄にはいかない貴族の娘の関係を描いた映画だ。フランス内外で高い評価を得て、カンヌ映画祭の脚本賞をはじめかずかずの賞を獲得している。

映画のあとは竹中さんと昼飯を食べた。グーグルマップでポルトガル料理というのが表示されていて気になったので、その店に食べに行くことにした。私も竹中さんもはじめてのポルトガル料理で何をどのように頼めばいいのかわからない。幸いメニューは写真付きだったのでどんな料理なのか見当をつけることができる。エビと肉の串焼きを注文したが、そのサイズが思っていたものの3倍くらいあったので驚いた。
こんなたくさん食べられるのだろうかと思ったが、食べてしまった。塩コショウのシンプルな味付けだが、にんにくもたっぷり。美味しかった。
昼飯のあとは、近所にある竹中さんおすすめのケーキ屋にいって、モンブランを購入する。購入後、彼女と分かれて、一度宿舎に戻る。宿舎でモンブランを食べた。絶品ではあったが、スプーンがないので困った。宿舎のカフェテリアで借りようと思ったら、カフェテリアが閉まっていて借りれなかったのだ。ケーキの紙の箱の一部を折り曲げて、スプーン代わりにして食べた。

夜はオデオン座にイヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出、イザベル・ユペール出演の『ガラスの動物園』を見に行く。新国立劇場での上演も予定されているプロダクションだ。今、ヨーロッパで大人気の演出家であるホーヴェ演出で、フランスを代表する名優、ユペール主演、そしてテネシー・ウィリアムズの名作となれば、面白くならないわけがない。ただ期待していたほどには面白くなかった。ユペールのような大女優と作品を作ることの難しさを感じさせるような舞台だった。ユペールの「名演」に作品全体が振り回されているような印象を持った。きっちり書き込まれた脚本に、演出が食い込めなていない。ユペールの演じるエキセントリックでテンションの高いアマンダの暴走が前面に出て、それが芝居全体を支配している。
二幕で登場するアイルランド系のジムを黒人中年男性俳優にやらせるという仕掛けにはちょっとやられたなという感じはあったが、全体的にホーヴェにして中途半端で切れ味の鈍い演出だった。
個人的には昨年に見た文学座の『ガラスの動物園』のほうにはるかに深い感銘を受けた。ただユペールの芝居としてみると、楽しめなかったわけではない。

今、フランスでは1000人以上の集会はコロナウイルス感染の拡大防止のため禁止されていて、オデオン座は微妙なところだったが上演は維持された。会場もほぼ満員だった。私の席はサイドの一番奥のボックス席だったのだが、開演直前に「正面席に空きがありますので、もしよければそちらに移動してください」と客席誘導スタッフに言われ、いい席で見ることができた。こういうところはフランスの劇場のいいところだ。

2020年3月12日木曜日

2020/03/11 パリ

グルノーブルからパリに移動した。

10時19分グルノーブル発のTGVに乗車した。TGVのチケットはiOSのアプリで予約できて、プリントアウトする必要もない。TGVのチケットは同じ日でも何時の列車を選ぶかで値段がかなり違うのだが、私の乗車したTGVでは2等車と1等車で値段が6ユーロしか変わらない。1等車を購入した。パリまで78€。550キロぐらいあるので、日本の新幹線に比べるとかなり安い。

一人席を選んだら、向かい合った前の座席に知らないおじさんが座って気まずかったが、おじさんはじきに空いていた座席に移動した。グルノーブル発パリ行きTGV一等車はかなり空きがあった。

パリのリヨン駅には午後1時すぎに到着。宿は13区の端にある研修センターみたいなところだ。スーツケースが重いのでタクシーを使った。
宿にチェックインする際にクレジットカードで決済しようとしたら、端末が決済を拒否して支払いができなかった。別のカードを使っても同じ。フランスでクレジットカードを使うとちょくちょくこんなことがある。歩いて5分ほどのポルト・ディタリーに行けばATMがあると言うので、そこまで現金をおろしに行く。カードの問題でまた処理ができなかったらどうしようかと思ったが、銀行のデビットカードで出金できた。やはりカードではなく、ホテルの端末の問題だったようだ。
お金をおろしたあと、スーパーに入って水と食料品を購入する。

ホテルの部屋にはいったらまず昼飯。さっきスーパーでかったビスケットとソーセージを食べた。ご飯を食べると眠くなってしまった。今日の用事は午後8時開演の芝居だったので、1時間ほど眠る。

夜はオデオン座アトリエ・ベルティエに『ペレアスとメリザンド』を見に行った。演出はJulie Duclos。ドビュッシーのオペラで有名な作品だが、私はこれまでこの作品を舞台で見たことがなかった。オペラ版はロラン・ペリ演出、ナタリー・デセ出演のDVDは見たことがある。
コロナウイルス対策で1000人以上の集会はフランスではできなくなっている。ベルティエはたぶん500人ぐらいでこの禁止事項にひっかからないか、コロナウイルスで観劇を控えたひとがいたのか、客席には空席が多かった。開演時間になると劇場スタッフが「空いた席に移動してかまいません」と言ったので、私は最前列中央の席に移動した。

ジュリー・デュクロ演出の『ペレアスとメリザンド』は素晴らしい舞台だった。洗練されたセノグラフィと映像の使い方は、今のフランス演劇の演出の潮流にあるものだが、その卓越した現代的センスの舞台で、戯曲の世界を丁寧に展開させていた。戯曲をほぼ忠実に再現した舞台だった。前後に移動する二階建ての舞台美術と紗幕に映し出される映像とのコンビネーション、ニュアンスの豊かな照明が、テクストの象徴的な要素を効果的に浮かび上がらせている。テクストを読んでイメージした世界が、精緻な演出によって見事に具現化されていた。

夜は食べないつもりだったのだが、最寄り駅のポルト・ディタリーのそばにあるケバブ屋が営業していた。「店で食べていいか?」と聞くと「もちろん」という返事。
骨付き羊肉の定食を頼んだ。ケバブ屋の定食は安くてうまい。骨付き羊肉を焼いただけのシンプルな料理だけれど、肉の旨味が濃くて実においしい。この手のケバブ屋は、夜遅くまで開いているし、うまいし、安いし、一人で入りやすいし、スタッフも感じがいい人が多いし、一人旅には実にありがたい存在だ。

飯を食っていると、白人のおばさんが「トイレを貸して」と店に入ってきた。店のおじさんが「貸してもいいけど、なんか購入してくれ」と言うと、「わかった、あとでなんか買うから。とにかくトイレ」と言って、地下のトイレに行った。
ところがこのおばさん、トイレを使い終わったあとは、「それじゃあね、ありがとう。さよなら」と何も買わずに出ていってしまった。
おじさんは苦笑いしていた。

2020年3月11日水曜日

2020/03/10 グルノーブル

グルノーブル二日目。ホテルの向かいにコインランドリーがあったので、朝食の時間を利用して洗濯した。
明日は午前中の列車でパリに戻るので、グルノーブルを観光できるのは今日だけだ。ところが火曜日の今日はグルノーブルのほとんどの美術館・博物館は休館だった。ドキュメンタリー映画「大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院」(2006年)が近くになるのだけれど、一般人が見学できるグラント・シャルトルーズ博物館もシーズンオフで休みだ。

市内で開いている観光ポイントは教会ぐらいしかない。とりあえずグルノーブル大聖堂に行ってみた。町の他の建物と一体化していて、外観は大聖堂にはみえない。10世紀から建築がはじまったとあったが、古い部分はごく一部なのだろう。内部もふるさを感じなかった。
大聖堂に隣接して旧司教区博物館があってここは開いていた。しかも無料。古代ローマ時代に遡るこの地域の歴史を示す博物館だが、特別展でヴィヴィアン・マイヤーというアメリカの女性写真家の写真展をやっていたのでそれも見た。ベビーシッターとして働きながら、街角の人々のポートレイトを大量に撮ったアマチュア写真家で、その死後にその写真が世に知られるようになったという。彼女についてはこのページに詳しい。
https://www.artpedia.asia/vivian-maier/

この博物館を見てしまうと、もう他に開いている美術館/博物館はない。グーグルマップで「観光ポイント」にあげられていたヴィル公園に行ってみたが、文字通り単なる「町(ville)の公園」で特にみるべきものはない。今日は小雨も降る寒い日だったので、屋根のあるところに行きたかった。屋根があって、座れて、時間を潰せるとなると教会しかない。大聖堂と同じくらい古いサン=アンドレ参事会教会、17世紀の建築のサン=ルイ教会を巡った。信者の方が数名座って祈っているだけで、他に誰もいない。いったい観光客は今日、どこに行っているのだろう?

昼ごはんはパリ在住のソプラノ歌手、高橋美千子さんと取る約束をしていた。彼女は今日と明日、グルノーブルの劇場での公演に出演する。今回私がグルノーブルに寄ったのは、彼女が出演するバンジャマン・ラザール演出『エプタメロン』を見るためだった。
昼食のレストランは高橋さんが予約してくれていた。グーグルマップを見ると「高級」とあるフランス料理屋だ。19世紀に建築された邸宅を改築した洒落たレストランだった。こういう店は私ひとりではまず入ることはない。さすがクラシックの歌手となるとこういう洒落た店を知っているだなあと感心する。

ランチのコースを頼んだ。夜はかなり高そうだが、ランチのコースは町のブラスリーとそんなに変わらない。店の空間にふさわしい素晴らしい料理だった。ふだんは私はデザートは取らないのだけれど、今回はデザートを取って正解だった。レモンケーキなのだけれど、酸味と甘みのバランスが絶妙だ。生姜が入っているというソースが複雑で繊細な味わいを作り出している。ウエイターのサービスもとても感じがいい。会話を楽しみながら、素敵な空間で、おいしい料理を食べるという至福の時間を過ごすことができた。

昼食後、高橋さんと別れ、グルノーブル名物のロープウェイに乘って山上の要塞に行く。要塞からの眺めは素晴らしかったのだが、寒かった。観光客の姿はわたしのほか3人ほど。要塞付近のレストランや博物館などもことごとく休業だった。風がつよくてロープウェイのゴンドラがゆらゆら揺れるのが怖かった。

要塞から降りて、一度ホテルに戻る。
夕食はケバブ。グーグルマップで「グルノーブルで一番のケバブ」の評があるケバブ屋が、『エプタメロン』公演会場の近くにあったのでそこで食べた。店員が「シェイシェ」と言ったので、「私は日本人だからしぇーしぇーではなく、ありがとーと言ってくれ」と言うと「おれ、日本のマンガの大ファンなんだ。ドラゴンボールとか」といくつかのマンガやアニメのタイトルを挙げる。日本のマンガ・アニメはインターナショナルだ。
ケバブ屋の兄ちゃんはトルコ人だった。ケバブはグーグルマップの評通り、ボリューム満点で美味しかった。

『エプタメロン』は、語りの外枠をマドリガルの合唱に置き換え、音楽の枠組みのなかで『エプタメロン』のなかの挿話だけでなく、語り手の個人的な物語、『デカメロン』の挿話などが、語り・演じられるというスペクタクルだった。音楽劇としてはかなりユニークなものだ。合唱の歌手たちも俳優として挿話のなかに入ってくる。しかしその介入のしかたはギリシア悲劇のコロスとも異なる。
バラバラの挿話が、16世紀末から17世紀はじめのイタリア歌曲によって統一感のある世界を作り出している。舞台上で使われる映像も挿話と音楽と象徴的に結びつく。独立性と密度の高い挿話が音楽によって総合され一つの世界を作り出していく構造はフェリーニの映画も連想させるものだった。同じ手法で、オウィディウスの『変身物語』やヤコブス・ヴォラジネの『黄金伝説』などもできそうな気がする。
高橋美千子さんの使い方があざとい。天才的。彼女がフィーチャーされるシーケンスは、その演出的仕掛けゆえに、フランス人観客にはとりわけショッキングで印象的なものになっていた。

終演後、初日打ち上げに30分ほどおじゃなして、バンジャマン・ラザールと少し話をした。2ショット写真も撮った。

2020年3月10日火曜日

2020/03/09 グルノーブル

ダブリンを午前中に発って、フランスのグルノーブルに移動した。
朝はホテルのアイリッシュ朝食で腹を満たす。ホテルの近くに空港行きのバス停があるのでそれを利用したが、渋滞でなかなか来ない上、満員で立ったままだった。バスの乗車時間は40分ほど。ダブリンからリヨン行きの飛行機に乘った。飛行機会社はエア・リンガス。フライトは3時間ほどだったが機内ではほとんど寝ていた。
正午前にダブリンを発って、リヨン空港に着いたのが15時過ぎ。リヨン空港からグルノーブルまでは一旦リヨン市内に入り、そこから鉄道でグルノーブルに行くつもりだったのだが、Google mapで調べると空港から直接グルノーブルに向かうバスがあることがわかる。
3時過ぎにリヨン空港に着き、バスの出発が3時半とちょっと慌ただしかったが無事乗ることができた。リヨン空港からグルノーブルまでは一時間だ。案外近い。

リヨンにもグルノーブルにもこれまで行ったことがない。グルノーブルは思っていたより大きな町だった。アイルランドのゴールウェイ、スライゴーといった地方都市が、東武東上線上の「町」ぐらいの規模だったので、グルノーブルがよけい都会に思える。調べてみるとグルノーブルは人口15万ぐらいで、スライゴーの10倍ぐらいの規模の町だ。フランスの代表的な地方都市の賑わいというのはこんな感じなのだ。といっても練馬区の人口が70万人なので、フランスの地方都市はそれに比べると数分の一の人口規模なのだが。

ヨーロッパの地方都市というと私はフランスの都市しかほぼ知らないのだから、アイルランドのスライゴーの小ささを意外に思ったのだ。

グルノーブルのバス・ステーションは鉄道の駅のすぐそばにあった。鉄道駅やバス・ステーションは、フランスではたいてい町の中心地ではなく、はずれた場所にある。私が予約した宿は町の中心に近い。距離は1.3キロとグーグルマップで表示された。スーツケースのキャスターの一つが壊れかけていて、石畳の箇所などは気をつけて運ばなければならない。もう少し距離があるとタクシーを使うのだけれど。ゴロゴロとスーツケースを転がして、ホテルに歩いていった。

ホテルはおととい、booking.comで予約した場所だ。なるべく安くて、評価の高いところを選んだ。Hôtel Victoriaという古風な名前のイメージそのままの、古びた旅籠屋っぽい宿だった。エレベータはない。私の部屋は日本風の三階。古ぼけた宿だけれど、部屋が広くて、電灯が明るいのがありがたい。使える電源コンセントが一箇所だけというのが不便だが。古いけれど、掃除は相当丁寧にやっていることがわかった。まあ悪くない。

夜はやはりGoogle mapで見つけたチュニジア料理屋に行った。前菜にショルバという魚の出汁のスープ、主菜が骨付き羊肉と串焼きを添えたクスクス、デザートがチュニジアの菓子。これにミントティをつけた。25ユーロ。非常においしかった。ショルバははじめて食べたが、出汁と複数のスパイスが絶妙に混じり合っていて、味わいが深い。クスクスはオレンジ色のスムールの味がよかった。スムールだけを食べて「おいしい!」と思った。
おじさん一人のワンオペだったが(クスクス屋はおじさんのワンオペが多いような気がする)、静かに丁寧に話す人でそのサービスも感じがよかった。
アイルランド飯も悪くなかったけれど、同じようなものしかないのが難点だ。フランスはフランス料理はもちろん素晴らしいが、それ以外にもいろんな国と地域の料理が楽しめるのがいい。