学校は最後の日。午前中は学校企画でニースから列車で10分ほど東に行ったところにあるボーリュへの遠足だった。モナコの手前にあるこの小さな町には、古代ギリシャのデロス島にあった邸宅の遺跡を模して作られた別荘、ヴィラ・ケリロスがある。ヴィラ・ケリロスは日本ではほとんど知られていないと思うが、私はニース近郊の観光ポイントのなかでも、カップ岬にあるロスチャイルド家別荘とともに、必見の場所だと思う。
ヴィラ・ケリロスは、20世紀初頭の二人の古代ギリシャ文化愛好者による傑作である。考古学者のテオドール・レナークと建築士のエマニュエル・ポントレモリは、徹底的な歴史的考証と優れた美学的創意によって古代ギリシャの邸宅を6年間の時間をかけて再現した。その室内装飾の豊かさとセンスのよさは驚異的だ。室内のディテールまで徹底して装飾が施されているが、見事な調和と落ち着きがあり、フランスの歴史的建造物の装飾にあるような過剰なうるささはない。いったいどのような指示を職人たちに与えれば、このような装飾が実現できるのだろうかと思う。Azurlinguaの遠足ではじめてこの別荘を訪れたときは、訪れる前は「金持ちの好事家が作らせた古代住宅の複製なんか見たってしかたないだろうに」と思っていたのだけど、建物の中にはいってすぐにその極度に洗練された装飾に驚嘆した。以来、ニースに来る度にヴィラ・ケリロスには行っている。何回見ても素晴らしい。ヴィラ・ケリロスには1時間ほど滞在した。
昨日、病気で休んでいた男性三人組も午前の遠足には参加した。新型コロナ感染の診断を受けた学生はお腹の調子は悪く、食事はあまり取れていないようだったが、解熱剤なしでも平熱になったということでマスク付きの参加を許可した。他の二人はこの学生と同居しているので、これから成田空港に着くまでは「三位一体」で行動してもらうようにした。
昨日から休んでいる女子学生一人は、午前中の遠足は休んで貰った。熱は平熱にほぼ戻ったとのことだったが。彼女も午後の授業にはマスク付きで参加した。
昼食は学校近くの食堂で。今日のメニューは羊肉のミートボール(ケフタ)とクスクスとほうれん草の煮込み。美味しかった。
午後は最後の授業である。私が聴講しているクラスを担当しているニコラが今日は用事で休みということで、代わりの教員が授業を行った。始終ニコニコ笑顔の先生であったが、「日本は非常に階層化されている社会だ」、とか「日本人の学生はおとなしく勤勉だが、仕事をするようになるとだらしくなくなるんだろ?」とか「日本は明治天皇が和魂洋才と行って、西欧の技術/思想を受け入れて近代化しつつ、独自の伝統文化を守っている」といった通俗的でフランス人的偏見に満ちたことを言ってこちらに意見を求めるので、「そういったことがらについて、簡単に答えることはできない」と返答した。すると「複雑すぎる問題だからか?」と言うので、「いや逆だ。そうした質問は、むしろものごとを単純化しすぎているからこういう場ではわたしは答えないんだ。この種の議論を本当にしたいのだったら、サイードの『オリエンタリズム』を読んでからにして欲しい。いくらでも議論する用意はあるから」といくぶんイライラした調子で返答した。彼はサイードの名前すら知らなかった。「サイードはどんなことを言っているのだ?」と言うので、「興味あるならWikipediaで調べればいい」と答えた。けっこう辛辣な調子で返答したのだが、彼はずっとニコニコしていた。別に私も怒ってはいない。やれやれと思っただけだ。こういったことはちょくちょくある。
いくぶん保守的な思想傾向がある人で、フランスにおけるparité(男女同数)のあり方や、男性でも女性でもない「無性」の三人称人称代名詞ielやこの他の包括的書法 écriture inclusiveについて批判的な意見を述べたりもしていた。個人としてどのような思想、宗教、イデオロギーを持っても構わないのだが、教員がそれを教室で表明する際には慎重にしなくてはならないなと改めて思った。語学学校の「大人」相手のクラスだと、教員も受講生も対等の立場で意見交換できるようには思えるのではあるが、やはり教えるー教わるの関係性のなかでは権力性から抜け出すことは難しい。教室内では教員は常に自分の権力性を意識して、できる限り中立的姿勢を示すことが必要であるように私は思う。
今回は10日間の授業のうち、8日間に出ることができた。授業内のつたないフランス語のやりとりであっても、そこに各自の人間性や知性は感じ取ることができる。言葉での表現がもどかしいがゆえに、余計、感受性が研ぎ澄まされるというのもあるのかもしれない。この10日間、同じ教室で学んだチェコ人の二人の若い学生、ドイツ語圏スイス出身で現在はアメリカで「国境なき医師団」のスタッフとして働いている女性、アゼルバイジャンからドイツに移住している大学生の女性はとても印象的で、どこかピンと通じるような感じがあった。ニコラの授業技術、そして人間性も素晴らしかったのだが、こうした受講生のおかげで私は授業を楽しんで受けることができたし、学んだことも多かった。
授業プログラムが全部終了するとやはり解放感がある。
授業後は3人の学生とニースを見下ろす城山で夜9時から行われる野外劇を見に行く予定だった。ケバブと飲み物を買って、山に登り、町を見下ろす城山の展望台から夕陽を見て、そのあと城山での野外巡回劇を見て帰るという予定だった。
ケバブ・サンドイッチは、ネットで調べてニースで最も評価が高いケバブ屋に買いに行ったのだが、ケバブが売り切れていた。ケバブ屋でケバブ売り切れとは。ケバブ・サンドイッチを食べる気満々だったので、google mapで検索し、付近にあるケバブ屋で高評価の店を探して、そこに向かった。ニースのケバブ屋は、小移民街であるSNCFの駅の近くに固まっている。探して行った店のケバブは若干高めでポテト付きが7.5€だった。他の店は6€というのが多い。
ケバブを仕入れて、野外劇が行われる城山に向かったのだが、城山を昇る階段の入り口の柵に人がいて、城山に入るにはイベントチケットの予約が必須だと言う。私は夜の野外巡回劇で、座席が必要なわけではないので、定員などはなく、その場でチケットを購入できると考えていた。ネットで早速サイトにアクセスして予約しようとしたのだが、今日の日付のチケットを予約するボタンを押すことができない。入り口にいたスタッフに、「予約したいのだけど、ウェブで今夜のチケットを予約できないのだが、どうすればいい?」と聞くと、電話してチケット担当に確認してくれた。するとなんと今夜のスペクタクルは満席で、当日券は出ないというのだ。「日本から来たんだ、なんとかならないか」と頼んでみたけど、ダメだった。
結局ケバブはニースの海岸に座って食べることになった。食べているうちに日が沈んだ。日暮れのニースの海岸沿いの道を、城山からネグレスコ・ホテルまで30分ほど散歩した。野外演劇を見られなかったことは残念だが、同行した3人の学生たちは夕暮れのニース海岸でのケバブ・ピクニックと散歩を楽しんでいたようでよかった。
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