ニースに着いたのが一週間前の日曜日だが、もう大分前のことのように思える。
今日は日曜なので授業はない。学校企画の遠足もない。私の企画で、ニースの70キロほど北のアルプス山中にある城塞村、アントルヴォーに行くことにした。ニースからはローカル私鉄のプロヴァンサル鉄道で90分ほどで行くことができる。アントルヴォーには古代以来集落があったが、16世紀以降、スペイン、イタリア、フランスの国境の近くにあるこの村は重要な軍事的要衝となり、17世紀後半にはルイ14世治世下に数々の要塞を築いた天才築城家、ヴォーバンの構想のもと、村を見下ろす山頂に城塞が築かれ、村そのものも要塞化された。現在の人口は約800人の小さな村で、おそらく日本語のガイドブックではまだ紹介されていないと思うが、その軍事的要塞としてのいかめしい威容とふもとに密集した建物と路地が形作る村の景観の静謐な佇まいはなんともいえない魅力がある。ニース研修のときには学生たちを連れていきたい場所の一つではあるが、ニースからかなり遠いのと山頂の砦に登るのが体力的にけっこうきついので、私に体力がなかったり、スケジュールが詰まっているときは、ここには来ない。今回は体力的にはかなりバテバテなのだが、毎日夏の海しか見ていないので、気分を変えて山の風景を見てみたくなったので行くことにした。
アントルヴォー行きの列車は一日に数本しか出ていない。朝9時20分の列車に乗ることにした。学生たちには9時集合と伝えた。アントルヴォー行きの切符を確保していなかったので、早めの8時半すぎに駅舎に行ったのだが、駅舎は空いていたものの切符売り場の窓口は閉まったままだった。9時20分発のプロヴァンサル鉄道に乗るために駅にやってきた観光客が駅舎内に私以外に数組あったが、駅舎にある切符の自動販売機はニース市内のトラムとバスのものだし、切符購入の窓口は閉まっているしで、当惑した感じだった。フランス人が当惑するのだから、私も切符を事前にネットで購入しておけばよかったかなとちょっと焦る。あるいは今日はいきなり運行中止とかではないだろうなとちょっと不安になる。8時50分を過ぎたころにようやく駅員が切符購入窓口を開いた。
9時20分発の列車はほぼ満員だったが、全員、離れた場所だったが、座ることができた。11時前にアントルヴォーに到着する。中世風のコスプレをした住民が私たちを迎えてくれた。まず観光案内所に行き、村を見下ろす山頂の砦に行くのに必要なコインを購入した。さっきWikipediaで調べたところ、麓から山頂の砦までの高低差は156メートル、距離は800メートルに過ぎないのだが、強い日差しのなか砦までのジグザク道の急斜面を登っていくのは、私にはかなり大変だった。25分ほどかかったように思う。息が切れて、頂上では20分ほど休憩しなくてはならなかった。しんどい思いはしたけれど、この砦に登らなくてはアントルヴォーに来た意味がない。砦への道から見下ろす村とその背景にある岩山の風景美は圧巻だ。村に下りたのは1時前だった。昼食は三班に分かれた。ニースで買ったサンドイッチを村内で食べたのが二人、私と一緒にアントルヴォーの名物である牛肉の生ハム、セッカの定食を食べたのが私を含め三名、残りの六名はクレープ屋でガレットを食べたようだ。
私が昼食を取ったレストランは穏やかで感じのいい老夫婦でやっていた。サラダやパスタなどが配置されたセッカのプレートはお洒落だったし、味も悪くなかった。野外のテラス席での食事は気持ちがよかったが、小さな蜂がハエがプレートにあるメロン目当てで飛んでくるのがうっとうしかった。しかしアントルヴォー名物のセッカを食べられて大いに満足する。
昼食後はまた観光案内所に行き、そこから今度は要塞化された村の外壁の通路を散策した。通路内にはアントルヴォーの歴史やこの地域の風俗を説明する写真やマネキン人形などがところどころに展示されている。外壁通路ツアーのあとは、一時間強の自由散策時間とした。アントルヴォーの村はごく狭いので30分もあればほぼすべての路地を見て回ることができる。狭い路地によって形成された風景と村の静けさは、エズなどの観光地にはない魅力がある。過去の時代がそのまま固定化されたようなこの村は、単なる観光用の見世物ではなく、実際の生活の場でもあるのだ。小さな村だが村内には大聖堂があり、南欧特有のねっとりしたバロック様式の内装になっていた。
16時28分にアントルヴォーに到着するはずの列車は、10分遅れで到着した。列車は混雑していたが、なんとか全員座ることができた。車内で学生の多くは眠っていた。ニースへの帰着は予定より40分遅れになった。
夕食はSNCFのニース駅の南側、Azurlinguaの近くにあるアフリカ料理店 Chez Marie-Angeで取った。昨日11名分の席を電話で予約したのだが、18時過ぎにレストランから予約確認の電話がかかってきてちょっと焦る。コートジボワール料理がメニューに含まれているのでおそらくシェフはコートジボワール人だと思う。ヤッサ、マフェといった西アフリカのご飯のレストランで、店員はもちろん、客の大半は黒人だ。この店で私が食べるのは三回目だ。一回目は一人で、二回目は3年半前に学生たちを連れて食べに来た。東アジア人が団体でこの店で食事をすることはまずないだろうから、店の人は戸惑ったかもしれないが、陽気で親切な実に感じのいいホスピタリティでもてなしてくれた。この店では調理は女性が担当し、男性は給仕を担当する。店名のMarie-Angeさんとは食事後に挨拶して言葉を交わしたが、どっしりとしたボスの風格を持つ、ほがらかな女性だった。学生たちはヤッサないしマフェを注文した。飲み物として自家製のジンジャエールを注文したのだが、これがジンジャエールの原液みたいな濃厚さでそのまま飲むと喉がヒリヒリして、顔が火照ってくる。余りに強いジンジャエールだったので、最初4ボトルたのんだが、それを2ボトルに減らして貰った。それでも全部飲みきることができず、大量に飲まないままになってしまった。
前菜はサラダと魚と肉の揚げ物を注文した。魚と肉の揚げ物はどんなものかわからなかったので一皿ずつしか注文しなかったのだが、これが案外美味しい。激辛の調味料ピリピリを付けるとなおよし。メインのヤッサやマフェは、目に来てしまうような豪快なボリュームだった。私はヤッサ、マフェではなく、コートジボワールのシチュー、ケジュヌを注文した。ケジュヌはトマトベースのピリ辛スープの煮込みでほろほろ鳥が入っている。付け合わせは米かアチュケの選択。料理はおおむね学生たちにも好評だったようだが、とにかく量が多かった。「料理を残してはいけない」という精神的縛りでがんばって食べた結果、体調悪化させた学生も出た。学生を食事に誘うときはもっと慎重にしなくてはならないと思った。私としてはホスピタリティも含め、この店はとても気に入った。またニースに来たときは、食べに来ようと思う。
学生を送って家に戻ると23時を過ぎていた。Chez Marie-Angeでは19時にテーブルについたのだが、サービスがのんびりしていて、レストランを出たのは21時半を過ぎていたように思う。
ホストファミリーには昨日から家主の9歳の孫娘が、今日からは5歳の男の子の孫が、来ている。二人とも人なつっこくて可愛らしい。私が帰宅した時にはまだ起きていた。
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