2024年2月23日金曜日

2024/2/22 ニース第6日目

朝8時半に近所にある医療検査場に向かう。フランス語ではlaboと呼ばれる施設で、ニース市内に2−30箇所はありそうだ。至るところにある。フランスではいわゆるかかりつけ医、一般医の多くは、日本のクリニックのように「○○医院」という看板を出してというのではなく、集合住宅の一区画でひっそりと営業している。診察は問診が中心で、採血などの医療用検査は医院ではなく、医師が書いた検査依頼票を持って患者がlaboに行って行わなければならない。そしてlaboの検査結果をまた医師に患者が持っていて診察を受け、処方箋を出して貰ったり、必要な場合は専門医への紹介状を書いて貰う、という手順になっている。大学病院などの救急外来に直接行くという手段もないではないが、たいてい長時間放置されてという感じになるらしい。

患者は医院とlaboを行ったり来たりしなくてならなくて面倒なのだが、合理的なシステムであるとも言える。医院はたいてい診察予約が必須だが、laboでの検査は予約の必要はない。また朝の7時頃から開いている。

 私の滞在先から歩いて10分ほどのところにlaboがあった。フランスではサービス業関連の応対では無責任かつ無能、無愛想なスタッフに不愉快な思いをすることがちょくちょくあるのだけど、私の経験の範囲ではあるが、医療関係の人たちは概ね親切で感じがいい(私が今、診察を受けている女医はまったく愛想のない人だが)。ここのlaboのスタッフも感じがよかった。私は海外旅行保険なので検査費用を全額、窓口で支払うことになる。採血で1万円ぐらいだった。検査結果は翌日の朝までに携帯電話にSMSで届く。laboでの検査は私は初体験だった。

 採血前に12時間、食事を取ってはならなかったので、採血後は家に戻り、朝食を取った。それから学校に行った。今日は断続的に雨が降る、憂鬱な天気の日だった。昼食は学校の食堂で取った。フィッシュアンドチップスを選んだが、それに添えられるはずのタルタルソースが品切れで、パサパサのフィッシュアンドチップスを食べるはめになってしまった。

午後は学校の遠足でニースから列車で20分ほどのところにあるアンティーブに行くことになっていた。雨が降っていて寒かったし、体調も昨日が一〇段階の八だとすると、今日は六ぐらいですっきりしない。行こうかどうしようか迷ったが、結局、学生たちと一緒にアンティーブに行くことにした。引率はモルドヴァ人のanimatriceのユヴァだ。

アンティーブには、ニースでの研修のたびに来ている。アンティーブの旧市街は、ニースの旧市街のミニチュアのような感じで、3階建ての建物が並んでいる。こじんまりした町だが、町歩きが楽しい、美しく、可愛らしい町だ。

あいにく雨模様の天気だったが、町を歩いて、トイレを借りるためにカフェに入ってコーヒーを注文して、休憩しているうちにだんだん元気になってきた。南仏の町っていいなあ、とじわじわと思う。

一時間ほど町の散策の時間を取ったあと、ピカソ美術館に行った。石造りのこの建物は、もともとはこのあたりの領主だったグリマルディ家の城塞だった。この建物にピカソが1946年に2ヶ月ほど滞在したらしい。この期間にピカソがこの地で製作した作品が、この美術館のコレクションの核になっている。ピカソ以外の現代作家の作品もこの美術館は収蔵している。


 ピカソ美術館には40分ほど滞在した。美術館内を回っているときに携帯のSMSに、検査場から検査結果が届いていたことに気づく。血液検査の数値でいくつかの項目でチェックが入っていたが、なんとなくそんなに深刻なものではないような気がする。明日の午前中の診察を電話で予約した。
 アンティーブ駅でニースに戻る列車に乗ろうとしていたとき、私たち14名のメンバーのうち、ユヴァを含む三名が列車に乗り込むことができなかった。乗ろうとしたところでドアが閉まってしまったのだ。フランスの南仏ローカル線では、乗客の乗り降りが日本の乗客のように整然としていないので、乗降のときに人が我先に殺到して混乱することが多く、そのためにいたずらに列車が遅れるというのがほぼ常態なのだが、このときに限ってはまだ乗り込もうとしている乗客がいるにも関わらず、フランス国鉄職員はドアを閉めて、発車させたのである。

問題は列車のグループチケットをユヴァが持っていることだ。ユヴァを含む三名をアンティーブ駅に残したまま、列車に乗り込んだ私を含む11名はこのままニースまで行くか、あるいは途中下車してユヴァたちを待つかの決断を迫られた。運悪く検札がやってきたら、切符なしの11名は無賃乗車と見なされて、高額の罰金を支払うはめになるかもしれない。フランス国鉄で検札に出くわすのはかなり稀なのだけど、たまたま行きの列車で車内検札に遭遇したので、もしやってきたらということを考えてしまった。こういう場合、事情を話してもわかってくれない、というのもフランスではけっこうありがちのことのように思えた。
ユヴァも動揺していて、「こんな事態ははじめてだ。そのままニースまで行くか、途中で降りて私たちを待つのか、決めるのはあなただ」というメッセージをWhats'upで送ってきた。ニースまでは15分ほど列車に乗っていれば到着する。
どうするか2分ほど考えて、見つかって、検札が事情を了解してくれなかった場合の金銭的ダメージがあまりにも大きいと思い、途中駅であとの列車に乗ってくるユヴァたちを待つことにした。カーニュ・シュール・メール駅で10分ほど待っていると、後続列車がやってきた。ユヴァたち三人と無事合流することができた。まあ終わりよければすべてよしだ。
このトラブルのため、ニース到着が18時半ごろになった。
 














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