今日の午後は学校主催の遠足などはない。天気があまりよくないという予報だったので、この日の午後は国立シャガール美術館に行くことに昨夜決めた。シャガール美術館はニースに数ある美術館のなかでも最もメジャーな美術館で、シャガール晩年の傑作がそろっている。しかしこの美術館の訪問はなぜか学校の遠足プログラムには組み込まれない。おそらく他のニースの美術館と違い「国立」ということで、費用の点で何らかの負担が学校に生じるからではないかと私は思っている。ニースの他の主たる美術館でAzurlinguaが遠足に組み込んでいるのは、「国立」ではなく、ニースや他の都市の「市立」のものが多い。「国立」施設と「市立」施設では、入場者の割引きなどの条件が異なるのだ。しかしせっかくニースに二週間滞在しているのに、シャガール美術館に行かないのはもったいなという気がして、私個人の企画として毎回、シャガール美術館には学生たちをこれまで連れて行っていた。
シャガール美術館のウェブページを確認すると、団体訪問の場合はメールか電話で事前予約が必須とあった。作品解説のガイドなしの訪問でも予約が必要とある。それで昨夜、シャガール美術館にメールで予約を問い合わせていたのだけど、当日の午前10時を過ぎても返事はなかった。Azurlinguaに行ってanimatriceのユヴァにシャガール美術館に電話して貰ったのだが、今日の午後は満員で団体予約は不可能だと言う。われわれがシャガール美術館に行ける日は、今日以外だと水曜か金曜の午後だが、そのいずれも満員で団体予約は不可能との返事だった。ガイド付きならともかく、作品解説ガイドなしで見て回るのに団体予約はすでに満員というのがよくわからない。「団体」扱いで入場が不可能というなら、「個人」でそれぞれ入場料を払って入場するとユヴァに言うと、「美術館が満員と言っているのだから、《個人》で行行っても追い払われるだけだ」と言う。
美術館のウェブページでは団体は予約必須とあるが、個人の入場については予約が必要などとは書いていない。ユヴァの言っていることはわけがわからない。
「なんでそんな奇妙なことになるんだ?美術館のページには、個人で行くのに予約は必要なんて書いていない。それぞれが入館料を払えばいいだけのはなしじゃないか?」と言うと、
「あなたがたが今日は3人、水曜は別の4人みたいな感じで分散して行くのならともかく、13人そろって美術館に行って《個人》でと言っても通じない。追い払われる。私は仕事があって忙しいから、これでいい?」とかやはり理不尽なことをユヴァが言い、しかも「仕事の邪魔」みたいな言い方をされたので、頭に血が上った。フランスに限らないが、こういう理不尽なルールや思い込みに振り回されるのは、私はがまんならない。
結局、「個人」でそれぞれが行くということで今日の午後行くのが最良だと判断した。それで入場時に「お前たちは、《団体》だから予約がないと入れない」などと言われ入場拒否されるようなことがあれば、「何の根拠で我々の入場を拒否するのか説明してくれ。美術館のページにはそんな記述は一切ない」と戦ってやろうと思った。
今の時期、シャガール美術館は昼休みがあり、午後の開館時間は14時から17時までである。カフェテリアで夕食を食べた後、シャガール美術館に向かった。シャガール美術館はAzurlinguaから歩いて30分ほどのところにある。美術館に到着したのは14時15分ぐらいだったと思うが、入場待ちで長蛇の列ができていたのは、予想外だった。これまで何度もシャガール美術館に行ったが、入場待ちでこんな行列になっていたのは記憶がない。マチス美術館が休館中なのが影響しているのではないかと学生の一人が言っていたが、まさかシャガール美術館がこんな大人気スポットになっているとは。入館者の数の上限があるようで、私たちは入場まで90分ぐらい並ぶはめになった。入場したのが16時ちょっと前。閉館時間が17時なので、1時間ちょっとしかいられない。それでもこの行列を思うと、入場できただけでもラッキーだった。おそらく14時半以降に美術館にやってきた観光客は90分以上並んだ挙げ句、入場できなかったのではないかと思う。
入場はしたものの、シャガール美術館はニースに来るたびに私は来ているし、入ってしまうとあえて見てみたい作品はないなという気分になってしまった。今回の展示は聖書題材の作品が多かった。中世のハープについての研究論文を書いているので、ハープ(ないし竪琴)を属性とするダヴィデ王を主題とする絵画数点だけはちょっと時間をかけて見た。
本当はシャガール美術館のあと、ニース高台のシミエまで上り、シミエ修道院に学生たちを連れて行くつもりだったが、美術館を出るのが17時前になってしまうので、このまま流れ解散とした。しかし17時前に美術館を出ると、すぐにバスに乗ればシミエ修道院をさっと見物する時間がありそうだった。美術館を一緒に出た女子学生数名に声をかけて、シミエ修道院まで行くことにした。
シミエはニース市街を見下ろす高台の地域で、ニースの中心からは離れているけれど、景色がいい高級住宅地だ。この地には古代ローマ時代から町が築かれていて、古代ローマの遺跡が残っている。半径50メートルほどの小型の円形競技場と広大な公衆浴場の遺跡がある。残念ながら今はこの二つの古代ローマ遺跡は修復工事中でなかに入ることができなかった。公衆浴場遺跡に隣接するマティス美術館も休館中で、この美術館に主要な収蔵品は現在、東京のマティス展で展示されている。
古代ローマには『テルマエ・ロマエ』にあるように入浴を楽しむ文化があり、ローマの公衆浴場の遺跡はヨーロッパ各地に残っているが、西ローマ帝国が滅亡し、ヨーロッパがキリスト教世界になると、このローマの入浴文化は継承されなかった。フランス人には今も、日本人のような入浴を楽しむ文化は乏しい。そのせいかわからないが、野球場が数個分ぐらいありそうな広大な規模のニースの古代浴場跡遺跡を訪れる観光客は多くない。私はニースに来るたびに、シミエに来て、この古代浴場跡遺跡を学生たちに案内するのだけど。
休館中のマティス美術館の前で写真を撮り(たしかマティス美術館の建物は旧マティス邸はずだ)、そのあと、シミエ修道院に行った。この地での修道院の存在は11世紀まで遡ることができるようだ。現在はフランチェスコ会がこの修道院を管理している。修道院に隣接する薄いオレンジ色の漆喰の教会の建造は19世紀初頭と比較的新しい。19世紀ロマン派の中世趣味を反映したネオ・ゴシック様式の建築で、内装はイタリア的なバロック様式の装飾が施されている。12、13世紀のロマネスク、ゴシックの教会・修道院が数多く残るフランスでは、この教会はごく新しいものではあるが、ニースの高台に静かにたたずむその外観には味わいがある。教会内に入ったが、私たちしかいなかった。修道院には庭園も併設されている。薬草や果実が栽培されている修道院庭園は、王侯貴族の城館や大ブルジョワの邸宅の庭園とは違った趣がある。華やかさはないけれど、しっとりとした落ち着きがある。シミエ修道院の庭園から見下ろすニースの景観は素晴らしい。結局30分ほどしかシミエにはいなかったが、足を運んでよかったと思った。
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