学生を連れてのニース、今回で何回目になるだろう。円安、航空運賃の高騰、現地物価の上昇などがあって、例年よりもかなり金額があがってしまったのだが12名の学生の参加があった。
いつも通り22時30分成田発、ドバイ行きのエミレーツ航空EK319便を利用する。18時前に空港に到着する。空港の食堂でエビフライカレーを食べた。体調がすっきりしなくて学生たちに冗談を言う気分にならない。淡々と事務事項だけ伝える。
スーツケースを預けて、手荷物検査、写真照合の後、搭乗ゲートへ。早めに搭乗ゲートに着いたので空いていた。搭乗ゲートの周りには自動販売機があるだけだ。30分ほど仮眠を取る。ドバイ行きの便はほぼ満員。体調の不安はあったけど、機内に入り、エミレーツ航空のエンターテイメントの画面を見ていると、心が浮き立ってきた。
ドバイ行きの飛行時間は12時間ぐらい。7時間ぐらいは眠れた感じがする。思ったより元気だが調子に乗らないようにしなくては。食欲はあまりなかったが、機内食は残さずに食べた。ドバイでの乗り換えの時間は2時間ちょっとだった。ハードロックカフェで時間を潰す。
ドバイからニース行きの飛行機も満席だった。
機内で見た映画は2本。一本は『AKAI』。新型コロナのころに行った現在の赤井英和へのインタビュー映像を外枠に、かつて赤井が大阪西成のスターだったころ、《浪花のロッキー》と呼ばれていた時代の赤井の映像を再構成したものだった。私は赤井とほぼ同年代だったので、赤井の武勇伝についてはこれまで何度も目にしてきたのだが、まさスターになるべくしてなった赤井の快進撃ぶりをあらためて確認する。ボクシングは相手を必ずノックアウトするけんかスタイルでめっぽう強い、顔はハンサム、そして話も面白い。これで人気者にならないわけはない。負けなしで突き進んできた赤井だが世界挑戦の判定負けをきっかけに、何かが崩壊して、一気をに弱くなってしまう。栄光の頂点にいた赤井だが、世界戦のあとの復活を目指す日本人ボクサーとの一戦で生死を彷徨う大けが多い、一気にボクサー生命を失い明日の見えない地獄の日々へと突き落とされる。しかしそこから自然体ではいあがって再生したというのが赤井英和の驚異的なところだ。赤井英和に怖いものはないはずだ。驚異的、奇跡的、神的な再生。彼は神性を持った存在だ。
二作目は『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』。非正規底辺労働者の若い女性二人組の殺し屋のコメディ・アクション。長髪女性の殺し屋、高石あかりののヤサグレ演技、定型的だが実にさまになっている。うまい。殺し屋たちに依頼される殺しの理由や動機が徹底的にくだらない。このナンセンスな台本を心地よいリズムで展開させる演出が秀逸。アクションの見せ場も素晴らしい。痛快。ラストのハードボイルドの処理に思わず快哉を叫ぶ!最高。主演女優、高石あかり、名前と顔を覚える。
ドバイからニース行きの飛行機の乗客の大半はフランス人。成田発ドバイ行きの便の機内と雰囲気が全然違う。小さな子供連れが多い。けっこう泣き叫ぶ。親は大変だ。でもこういうとき、泣いて騒いでいる子供に微笑みかけてあやす大人はフランス人のほうが、日本人よりはるかに多い。顔を顰めて迷惑そうにしている人はいないというか、そう言うことはしないものだ、みたいな雰囲気があるように思う。他人の迷惑に寛容なのがフランス人のいいところだ。人様に迷惑をかけてはならないが優先される日本との違いだ。
こちら側の通路を担当しているエミレーツ航空の女性客室乗務員、細身で美人、しかも感じがいい。ちゃんと忘れずに炭酸水を持ってきてくれるし。「ありがとう」というと「どういたしまして、でしたっけ?」って。可愛い。発音からしてフランス人なのか?
ニースは快晴。気温は17度。飛行機のなかではぐっすりと眠れた。ニースに着いた時点ではほぼ健康を取り戻せたのではないか、という感じで元気になった。
Azurlinguaの送迎スタッフの責任者のロマンともう一人が迎えに着ていた。女性グループ三組と男性グループ三組に別れて車にのり、ステイ先に向かう。今日の予定は特に定めていなかった。家の周辺をぶらぶら歩き回ってはどうかと学生たちには伝えていた。
明日の日曜日も予定がない。私に思ったり元気があったので、カップ岬のロスチャイルド家別荘とボーリュにギリシア式別荘を見に行くプランをLINEで提案したが、荷ほどきを終えて付近を30分ほど歩き回っているとふらふらになってしまい、とても明日、長距離を歩けるような気がしなくなってしまった。途中、イスラエル侵攻に反対し、パレスチナを支援するデモと遭遇した。マクドナルドとスーパーのカルフールの前でシュプレヒコールをあげていた。こうした意思表明は重要だ。
学生たちには申しわけないが、それで急遽、LINEを送って、明日の別荘行きは中止ということに。月曜に医者に行って診断してもらう必要があると確信した。
私のステイ先のAnnickは夏について二回目なので、家の様子もわかっているし、気心も知れている。散歩のあと、シャワーを浴びてから夕食まで眠る。疲れがどっと出た感じ。
夕食時にはAnnickの弟夫妻がやってきた。弟のフランクはコンピュータのエンジニア、その妻ソフィは助産師とのこと。二人ともこどもは成人して働き始めている。年代は私と同じくらいだ。あとAnnickのパートナーのWalterも夕食に。みんなおしゃべりなので賑やかな夕食となった。7時すぎにはじまり、解散が11時すぎ。話題はイスラエルのパレスチナ侵攻について。Annickの母親はユダヤ系亡命アルジェリア人, pieds noirsだ。ただAnnickもその弟もユダヤ教は信仰していない。キリスト教というわけでもないので、無信仰者という感じだ。Annickは何年か前にイスラエルを旅行し、弟のフランクは昨年のガザ侵攻がはじまったときにイスラエルにいたとのことだ。心情としてシオニスト側なのか?と聞くと、なんとも言えないと言う。ユダヤ入植地のありかたをみてしまうと、イスラエルに同調するのは心理的に抵抗を感じと言っていた。
話題になったことでもう一つ記憶に残ったのは、助産師のソフィが出身を問わず、あらゆる東アジア、東南アジア系の女性がその子どもの名前を古典的ないかにもフランス人っぽい名前にするのに対し、マグレブ系など他の民族系の場合はフランス系の名前をまずつけたりしない、と言っていたこと。フランスではファーストネームを複数持つことが可能だが、アジア系以外の女性の子どもはそのルーツがを伺うことができる名前を自分の子どもつけるのだ。
おしゃべりが延々と続くフランスの食卓は面白い。しかし疲れた。
23時半には床についたのだが、朝8時半まで寝ていた。それでもすっきりしない。寝汗が出ていた。
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