2024年2月26日月曜日

2024/2/25 ニース第9日目

  日曜日で学校主催の行事はない。

 夕方から天気が崩れるという予報だったので、野外の町歩きは避けたほうがいいと思った。

 ニースから鉄道で15分ほど東側にあるボーリュ=シュール=メールにあるヴィラ・ケリロスとそこから歩いて30分ほどのサン=ジャン=フェラ岬の高台にあるユフリュシ・ド・ロットシルド邸を見に行くことにした。本当はニース到着の翌日、先週の日曜日にここを訪れる予定だったのだが、私の体調不良のため、行けなかった場所だ。

 20世紀初頭に建築されたこの二つの別荘建築は、ニース近郊の観光ポイントのなかでも出色のものではないかと私は思っている。通常は学校主催の遠足プランにヴィラ・ケリロスが組み込まれているのだが、今回の研修ではなぜか組み込まれていなかった。

 ヴィラ・ケリロスは、ボーリュ=シュール=メールの鉄道駅から歩いて10分ほどの海岸沿いにある。1902年から1908年にかけて、建築家エマニュエル・ポントレモリによって、考古学者でヘレニズム時代の専門家であったテオドール・レナク(1860-1928)のために建てられたこのヴィラは、紀元前1~2世紀の古代ギリシャのヴィラを模して建築・内装されている。

 もう10年近く前になるが、Azurlinguaの遠足で最初にこのヴィラに行ったときには、「古代建築」を20世紀になって複製した《まがいもの》なんてわざわざ見に行ってどうするんだ、と思っていたのだが、実際に訪れてみて息をのんだ。その複製の精度、完成度、洗練ぶりが尋常ではないのだ。古代ギリシア・マニアであるレナクが、優れた建築家のポントレモリと緻密な協同作業を行い、膨大な富を投入して再現された《古代ギリシアの夢》ともいえる建造物である。床から壁面、天井に至るまで埋め尽くされた装飾は、専門家の時代考証を踏まえたものになっているはずだが、古代遺跡の断片資料や文献から、それを「あるべきすがた」に実体化している。装飾で埋め尽くされているのに、ヨーロッパの近代以降の建築様式にありがちな過剰さとは無縁だ。むしろ簡素にさえ感じる。そのユーモラスで装飾的な図案のセンスのよさは驚異的なものだ。この別荘は、別荘である以上に、レナクの情熱と莫大な金銭が注ぎ込まれた一つの芸術作品になっているのである。レナクの死後、この建築はフランス学士院に寄贈された。

 私としてはニース観光のなかでもとっておきの場所の一つであり、学生たちに「どやっ」と見せたかった場所の一つでもあった。ニースに来るたびにここは訪れているが、来るたびに当時のブルジョワの本気に圧倒される。いったいどんな指示を職人たちに与えて、この完成度に到達したのだろうか。学校の遠足では30分ほどしか滞在時間を設定しないのだが、今回はたっぷり1時間以上、ヴィラ・ケリロスの滞在時間を取った。昼頃までは天気がよくて、別荘から見る海が美しかった。

 十人を超える集団になると、悩ましいのが食事である。まともなレストランだとこのような大人数の予約はあまり歓迎されない雰囲気がある。4人のテーブルを3つ確保すればいいだけじゃないかと思うのだけど、グループならグループを同じタイミングでサービスしなくてはならない、みたいなことがしばりになっているのか。またフランスでまともな飯を食べようとなると、二時間ぐらいは見ておいたほうがいい。他にもフランスのレストランではフランス特有の食事に対する考え方や習慣があって、日本人旅行者にはハードルが案外高いように思う。日本は日本で飯のジャンルや地域によっていろいろあるので、これはフランスに限らないかもしれないが。

 昨夜のうちに何軒かの手頃な値段のレストランには目星をつけていた。駅からまず見晴らしのいい海沿いの公園に行き、そこからヴィラ・ケリロスに向かう道筋に目星をつけていたレストランの一つがあった。モロッコ料理のレストランである。開店準備中だったが、店に行って13時から13人で食事可能か聞いてみた。最初は他に予約があるから13人は難しいという返事だったが、最終的には店の奥の席を確保してくれることになった。ありがたい。ヴィラ・ケリロスの見学のあと、このレストランに向かった。

 いいレストランだった。前菜とメインで24ユーロと値段も手頃だ。私はクスクスを注文。そのボリュームと味はまさに私がいつも求めている「本場」フランスのクスクスだった。学生たちの多くは鶏肉のタジンを注文していた。メインが骨付き鶏肉なのだが、一緒に蒸し上げる野菜や果実が異なる。タジンにもクスクスがついていた。

 飯のあとは、海岸沿いの道を30分ほど歩いて、ユフリュシ・ド・ロットシルド邸へ。ここはヴィラ・ケリロスとほぼ同じ時期に、 サン=ジャン・カップ・フェラ半島の高台に、ベアトリス・エフルッシ・ロットシルド男爵夫人(1864~1934)によって建てられた別荘だ。ベアトリスは、16世紀以来ヨーロッパの金融界を中心に活動し、莫大な資産を築いたユダヤ系財閥、ロスチャイルド家の末裔である。Rothschildのフランス語読みが「ロットシルド」となる。ベアトリスは18世紀前半の優雅で軽やかな宮廷文化、ロココ美術のマニアだった。1905年にサン=ジャン・カップ・フェラ半島を知った彼女は、この地に彼女の趣味と夢想を凝縮させたユートピアを建設する。それがこの別荘と庭園だ。






 ヴィラ・ケリロスにせよ、ユフリュシ・ド・ロットシルド邸にせよ、ベル・エポックと呼ばれたブルジョワ文化が爛熟した時期のフランスの大ブルジョワが本気で趣味に投資したときのすさまじさを感じさせる代物だ。気候が温暖で、風光明媚なコート・ダジュールの地には、19世紀末から第二次世界大戦前まで、世界の大富豪が集まり、贅をこらした別荘を建築した。ケリロスやロットシルドのように公共のものとなり一般公開されている別荘はごく一部で、一般には公開されていない別荘建築がいくつもあるはずだ。これらの大ブルジョワ、貴族たちによる華やかな社交界がこの地で展開されていた。ケリロスとロットシルドの別荘は、そうした大ブルジョワたちが、その黄金時代の最後に、実体化した享楽のユートピアなのである。その壮麗さと趣味のよさには、驚嘆するしかない。
 ユフリュシ・ド・ロットシルド邸に到着した頃から、天気が崩れて、雨模様となった。ロットシルド邸からは15番のバスでニースに戻った。18時頃に解散。
 家に戻ると大家のAnnickがしんどそうだった。吐き気がするという。これは私を昨日苦しめていたウィルス性胃腸炎が彼女にうつってしまった可能性が極めて高い。申し訳ないことをしてしまった。「夕飯は私は適当になんとかするから、今夜は作らなくていいよ」と伝えたら、もう準備済みだという。レンズ豆とソーセージの煮込みだった。フランスの家庭料理の定番だ。
昼間のクスクスも大ボリュームだったが、レンズ豆も大ボリュームだった。
昨日は日本から持ってきたおかゆのレトルト二袋しか食べていないが、今日は過食。





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