2025/02/23(日)第9日
今日は、ボーリュ=シュール=メールにあるヴィラ・ケリロス、そこから歩いて30分ほどのエフリュッシ・ド・ロートシルト別荘と庭園を見に行った。19世紀後半から20世紀初頭にかけての、いわゆるベル・エポックの時代、風光明媚で温暖なコート・ダジュールには、多くの資産家や芸術家が集まった。彼らはニースとその近郊に競うように豪奢で洗練された別荘を建設し、そのうちのいくつかは所有者の死後、自治体や国が管理することになり、博物館・美術館として一般に公開されている。
ボーリュ=シュール=メールまでは、ニースから列車で10分ほどだ。マントンのレモン祭やモナコへ向かう観光客で、列車はかなり混んでいた。17人の団体での昼食は、なかなか難しい。手頃な価格で、これだけの人数の予約を受け入れてくれるレストランを見つけるのが大変なのだ。昨年ボーリュ=シュール=メールを訪れた際は、ヴィラ・ケリロス近くのモロッコ料理店を運良く予約できた。スタッフの感じもよく、美味しいクスクスを食べることができたものの、学生たちはフランス語のメニューが読めず、注文の仕方もわからないため、オーダーに時間がかかり、料理が提供されるタイミングや食べ終わる時間もバラバラだった。会計も個別払いとテーブルごとの支払いが混在して、かなり混乱した。
旅先で十数人で食事となると、結局は全員に同じ「ツーリスト・メニュー」を提供するようなレストランに頼らざるを得ない。しかし、そういった食事はたいてい割高で、味も期待できない。私は、せっかくの旅先でそんなものを食べるのは嫌だし、学生たちにも食べさせたくない。これはビジネスとして割り切って旅行企画をするならともかく。
そこで今回は昼食をピクニックにし、各自でサンドイッチなどを用意するように伝えておいた。私はニース駅の北側にある、評判の良い老舗のサンドイッチ屋で買いたかったのだが、家を出る前の準備に手間取り、行く時間が取れなかった。Googleマップで調べると、ボーリュ=シュール=メール駅の近くに、日曜午前でも営業している評価の高いサンドイッチ屋があったので、そこで昼食を買うことにした。
体調を崩している学生が何人かいたが、遠足には全員参加。ボーリュ=シュール=メール駅に着くと、まずサンドイッチ屋へ向かった。何種類かあったが、「この店の一番のおすすめをくれ」と頼んだら、鶏肉のローストのサンドイッチになった。6.5ユーロ、日本円に換算すると1000円弱で、かなり高額なサンドイッチだが、こちらの外食の相場では安い部類に入る。私以外に5人がこの店でサンドイッチを注文した。「作るのに5分ほどかかる」と言われたので、とりあえず学生たちを海岸沿いまで連れて行き、そこで待機してもらい、私と男子学生一人がサンドイッチを受け取りに戻った。ボーリュ=シュール=メールとカンヌを隔てる岬の崖をバックに写真を撮ったあと、ヴィラ・ケリロスへ向かった。
ヴィラ・ケリロス公式サイト
ヴィラ・ケリロスは、考古学者のテオドール・レナックと建築家エマニュエル・ポントレモリという二人の古代ギリシア狂によって、莫大な資金と人材を投入して建設された別荘で、1908年に6年の歳月をかけて完成した。設計と建設は、考古学的な発掘調査で明らかになった紀元前2世紀のデロス島の豪華な住宅建築の遺跡をもとにしている。
初めて訪れたのは2014年夏、フランス語教育の研修でAzurlinguaに来たときだった。研修の遠足でここに連れてこられたのだが、当初は「暑いのに、わざわざ古代建築のレプリカなんか見に行っても…」と思っていた。しかし、邸内に入ると、その内装装飾の驚異的な洗練に息を呑んだ。床から壁、天井まで、あらゆる空間が装飾に埋め尽くされている。しかし、赤茶を基調としたそれらの装飾は見事な調和を生み出し、まったくうるささや暑苦しさを感じさせない。そのデザインのひとつひとつ、部屋に置かれたあらゆる調度品が、完璧に美しく設計され、周到な計算のもとに配置されているように思えた。
ヴィラ・ケリロスは、ニース研修では毎回必ずプログラムに入れている。私としては、ここは何としても学生たちに見せたい場所のひとつなのだ。究極のブルジョワ趣味と学術的成果、そして古代ギリシャへのマニアックな愛情が結びついて生み出された、奇跡のような空間だ。
ヴィラ・ケリロスのウェブページを読むと、「ケリロス」という名前の由来が記されていた。
「ギリシャ神話でケリロスとは、真冬に巣を作る神話上の鳥アルキオンのことで、セイクスの妻アルキオネ(Ἀλκυόνη)が変身して生まれたものだ。このウミツバメは、幸せな前兆を告げる鳥とされていた。」
ヴィラ・ケリロスには何度も訪れていたが、実はこれまでこの名前の由来を知らなかった。つい数ヶ月前、私は長い時間をかけてオウィディウスの『変身物語』第11巻をラテン語原文で読み終えたところだった。11巻のいくつかのエピソードのなかでも、最も心を打たれたのが、ケーユクスとアルキュオネーの夫婦愛の物語だった。二人は死後、「カワセミ」になった。物語のヒロイン、アルキュオネーに由来するこの「カワセミ」alcyon は、ヴィラ・ケリロスのウェブの説明にある hirondelle de mer「海燕」に対応する。まさか、そうとは知らずにケリロスに関わるラテン語の物語を自分が精読していたとは…。偶然の符合に感慨深さを覚えた。
『変身物語』Ceyxとアルキュオネーの美しい物語について書いた記事
ヴィラ・ケリロスで1時間ほど過ごした後、フェラ岬の高台にあるエフリュッシ・ド・ロートシルト別荘と庭園へ向かった。途中、海岸沿いの散歩道で昼食を取る。エフリュッシ・ド・ロートシルト別荘と庭園は眺めのいい高台にあり、急ではないが、だらだらと長い坂道を登らなくてはならない。朝、ニースを出たときは肌寒かったが、昼前から日差しが出て気温が上がり、1日の中での気温変動が大きかった。服装の調整が少し難しい。ロートシルト別荘に着いた頃には、汗をかいていた。
「ロートシルト」とは、英語読みでは「ロスチャイルド」だ。この別荘を20世紀初頭にこの地に建てたのは、16世紀以降、ヨーロッパの金融界で君臨したロスチャイルド家の末裔、ベアトリス・エフリュッシ・ド・ロートシルトである。18世紀前半のロココ様式をこよなく愛した彼女の趣味と美意識が存分に反映されたこの別荘と庭園は、1907年から1912年にかけて建設された。まさにベル・エポックの末期にあたる。
ベアトリスの父、アルフォンス・ド・ロートシルトは男爵の称号を持ち、フランス銀行の理事であり、美術のパトロンとしても知られた人物だった。ベアトリスは19歳のときに、ロシア出身の銀行家モーリス・エフリュッシと結婚する。彼は、ヴィラ・ケリロスを建てたテオドール・レナックの従兄でもあった。しかし、この結婚生活は幸せなものではなかったらしい。モーリスは彼女に重病をうつし、結果として彼女は子供を産めない体となった。また、彼はギャンブル狂で莫大な借金を抱えていたため、一族から訴えられ、結婚から21年後に離婚させられてしまう。
父の死後、ベアトリスは莫大な遺産を相続し、ニース近郊のフェラ岬に、彼女の美学が凝縮された別荘と庭園を建設した。これは、彼女の夢想の世界を現実にしたユートピアとも言える。
私たちはヴィラ・ケリロスとロートシルト別荘のペアチケットを購入していたが、ロートシルト別荘に入ろうとした際、予約の有無を確認された。どうやら、こちらの方が観光客に人気があるようだ。予約必須とはなっていなかったし、これまで予約したこともなかったため、今回も団体予約はしていなかった。何とかごまかして入場できたが、フランスの人気観光地では、特にグループの場合、事前予約しておいた方が無難だと痛感した。
ロートシルト別荘には1時間半ほど滞在。私は全員分のオーディオガイドを回収しなければならず、今回は庭園を見ることができなかった。まあ、すでに何度も見ているので、特に構わないのだが。
今回のニース研修は9回目の実施であり、それとは別にフランス語教授法研修で3回、ニースを訪れている。したがって、どこへ行っても私にとって新鮮味はまったくない。しかし、学生たちにコート・ダジュールの魅力を「どやっ!」と伝えたいのと、研修実施に伴う様々な対応を通じて、フランス語力やその他のスキルを維持・向上させることが、この研修を続ける意味なのだろう。実際、毎回いろいろなことがあり、そのたびに鍛えられていると感じる。フランス語に関しては、正直なところ全然上達していないのだが、日本では話す機会が少ないので、こうして現地に来なければ、さらに話せなくなっていたと思う。
ロートシルト別荘を出た後、バスでニースのガリバルディ広場まで戻った。乗車時間は30分ほどだが、運転が荒い。ニースのバスは、7割方こんな感じだ。ガリバルディ広場に着いたのは5時頃。広場では古物市が開かれていた。
夕食時に、浴槽の故障の話になった。AnnickのパートナーであるWalterにも見てもらったが、業者を呼んで修理する必要があるとのこと。まあ、私が見てもそう思ったが。今朝、Annickの機嫌が悪いように感じたのは、この件があったからかもしれない。当然、修理代はどうするかという話になる。
Annickは、「私が加入している海外旅行保険で補償できないか?」と聞いてきた。確かに、私の保険には器物損壊の補償があり、最大1億円までカバーされると記載されていた。Azurlinguaが保険契約しているとは思うが、海外旅行保険の方に問い合わせてくれないかという話になった。
LINE電話で保険会社の担当者と話をし、確認したところ、「宿泊先がホテルでなくても、このような場合、補償は可能」とのこと。その際に必要なのは、
- 事故写真
- 事故証明書(Annickが自由な書式で、「いつ・どこで・どのような状況で・どんな損害が発生したか」を記したもの)
- 修理の領収書
これらを帰国後に提出すれば良いらしい。保険で補償されることがわかり、ひとまず安心したが、問題は手順だ。私はフランスの業者のプロフェッショナリズムをまったく信用しておらず、業者がいつ来るのか、どんな見積もりを出すのかも当てにならないと思っている。また、非常に嫌な話だが、これを機に過剰修繕され、請求額が不当に高くなり、保険申請が通らない可能性も頭をよぎった。
浴槽を壁から引き剥がすようなことになり、申し訳ないとは思っている。しかし、この程度のことで浴槽が剥離するとは、いくらなんでも脆すぎるのではないか。すでに老朽化していたのでは? それを100%こちらの責任にされるのも、腑に落ちない。大金を支払う羽目になるかもしれず、ついそんなことも考えてしまう。Annickも金銭の絡む話なので、彼女なりに気を遣って話題にしているのだろう。
そもそも、フランスの業者がすぐ来て見積もりを出し、即工事を終わらせるとは思えない。そこで、帰国後にAnnickから業者の請求書を送ってもらい、それが適正であれば彼女の口座に代金を振り込み、さらに領収書を送付してもらって保険請求をする、という手順を提案した。
するとAnnickは、「知り合いの工事業者がいるので、明日見積もりを出してもらう。問題なければMIKIOが代金を支払い、工事日が確定したら、すぐ領収書を発行するので、それを保険会社に提出してほしい」と言う。
すぐに業者が来るなら、それが手っ取り早い。ただし、請求額があまりに高すぎた場合、Annickとギクシャクすることになるだろう。そのときは仕方ない。しっかり話し合い、交渉するしかない。
フランスにいると、ほんの短い滞在でも本当にいろいろある。
夜、フランスのドキュメンタリー番組、Zone interdite「禁断地帯」が日本特集だったので、Annickと一緒に見た。90分ほどの長編ドキュメンタリーだった。3週間のバカンス旅行で日本にやってきた親子、福井県美浜市に居住し、役所と共同して観光振興事業を行おうとするフランス人家族、大阪で主に活動するフランス人落語家など数人をピックアップして、彼らが見る、そして生きる日本の社会を丁寧に描き出してた。私の友人の音楽プロデューサー、河井留美さんのそのなかの1人として取材されていた。エキゾチシズムを強調したフランス、ヨーロッパ的な紋切り型の見方ではない日本の捉え方には好感を持ったが、これはフランス人の視聴者にとって面白いのだろうか、とも思う。おそらく日本に多かれ少なかれ関心を持つフランス人の期待の地平に答える内容ではなかったのではないか。