2025年2月28日金曜日

ニース研修2025 02/27(水)第13日

2025/02/27(木)第13日

論文が終わらない。やばい。今日は日中は学校にも顔を出さず、ずっと家にいて論文を書いていた。この調子で滞在初日から書いていればなんとかなったのだが。昼飯は家の近所にある地元のレストラン、すなわち地域の常連たちが通う大衆的なカフェに食べに行った。昨日、Annickに教えてもらった店で、家からは歩いて5分ほどのところにある。「本日の定食」を頼んだ。前菜がサラダ(大きなトマトのスライスが入っている)、メインがキッシュ。味は特に美味しいというわけではなかったが、ボリュームはたっぷりだった。店員の応対がテキパキとしていて、しかも愛想がよくて実に気持ちいい。また常連の客たちのくつろいだ雰囲気もよかった。居心地のいい食堂だった。こういうところで飯を食うと、ちょっとフランスの日常に馴染んだような気分になれる。






食事後、浴槽の修理代を現金払いしなくてはならないので、ATMから金を200ユーロほど下ろす。

今日の夜は20時からシャガール美術館のホールで室内楽のコンサートの予定が入っていた。19時半にシャガール美術館入り口で待ち合わせだったので夜にゆっくり飯を食べる時間がない。「希望者は17時45分にガリバルディ広場のガリバルディ像の前に来てもらえれば一緒にソッカなどニースの惣菜を食べに行きますよ」と告知しておいたのだが、3人の学生がやってきた。人数が少ないほうが飯を食べる場所を探すのは簡単だ。ソッカを出す店はニースに何軒もあるのだが、ガリバルディ広場から歩いて10分ほどのところにあるChez Pipoという老舗のソッカ屋に行くことにした。ニースに数あるソッカ屋のなかでもよく知られている店のひとつだ。この店はソッカと軽食、デザートしかない。ピサルディエールというタマネギとオリーブの乗ったピザのようなものとピザ、それから店員に勧められたミニ・パン・バニャ(mini pan bagnat)という丸い小さなパンのサンドイッチ、それに加えてソッカを頼んだ。どれも素朴な郷土料理だったが、美味しかった。ソッカはひよこ豆の粉で作った塩味のクレープみたいなものだが、先週食べたTram Soccaのソッカは厚みがあってふわふわしていたのに対し、この店のソッカは薄手だった。見た目通りのシンプルな味で、美味しいといえば美味しいけれど、味は単調なのでそんなに大量にむしゃむしゃ食べたいようなものではない。コーヒー、デザートなども頼んで、19時ごろに店を出た。この店のブレッド(ふだん草)のパイ(Tourte de Blettes)は、今、思い返すと絶妙の甘さで美味しかったなと思う。おつまみみたいなものしか頼まなかったが、一人あたり10ユーロで安い。





シャガール美術館のホールでのコンサートでは小編成の弦楽オケで、アルヴォ・ペルト、ベッツィ・ジョラス、スティーヴ・ライヒの作品が演奏された。ペルトとライヒは現代音楽の作曲家のなかでも比較的聞きやすい音楽なのだが、今日演奏された三曲はがちの現代音楽だった。それでもライヒのTriple Quartetはやはり聞きやすいほうだったか。アメリカ系のフランス人作曲家、ベツィ・ジョラスの作品は私は初めて聞いた。バロック、古典主義の作曲家の曲の断片を変形させ、それらを再構成していくという、ラップのサンプリングのような手法の楽曲は、今、思い返すとパロディ的なユーモアもあって面白い曲だったようにも思う。ペルトの「東洋と西洋」ははじめて聞いた曲だった。東洋風、といっても中近東系の旋律に西洋風のハーモニーをかぶせていくというもの。地味な曲だった。レクチャーコンサート形式で、各曲の演奏前に指揮者が曲の解説を早口で行い、さわりの部分を演奏して聞かせたりしていた。現代音楽に親しんでほしいというある種のサービスなのだろうけど、さわりの部分の演奏はちょっとやり過ぎではないかと思った。




20時に始まって終演が21時20分。学生の参加者は七名で、男性が一名。演奏を聞きながらどうやって学生たちを家に帰すのがいいのか考えていた。シャガール美術館から3キロほど離れた海辺に住んでいる学生は、Uberを呼ぶことにした。幸い3分ぐらいでUberはやってきた。駅の北側のちょっと元気な若者がたむろっているような場所に住んでいる女性3人は、男子学生に送らせることに。残りの女性3人は、トラム1号線沿いの住人だったので私が送った。帰宅したのは午後22時半過ぎだった。

2025年2月27日木曜日

ニース研修2025 02/26(水)第12日

2025/02/26(水)第12日

午前中に、昨日iPhoneをすられた学生に同伴して警察に行き、保険申請用の盗難証明書を作成してもらった。学校の1限の授業が終わる10時過ぎに学校でその学生と落ち合う予定だったが、事故がどこかであったようでトラムが動かない。しかたないのでSNCFのニース・リキエ駅からニース・ヴィル駅に向かうことにしたのだが、切符の自動販売機の操作でとまどう女性のせいで乗ろうと思っていた列車に乗れなかった。結局10時半すぎに学校に着く。学生は昨夜、AppleのiCloudの「iPhoneを探す」機能で、自分のiPhoneが盗難にあったマクドナルドのすぐ近くにあることが判明したと言っていた。もしかするとマクドナルドに誰か親切な人が届けたのではないかと思い、朝にマクドに行ったそうだ。店員は探してくれたみたいだが、やはりなかった。ブルターニュの田舎町だったらともかく、ニースでそんな奇特な人間はまずいないだろう。それでももう一度、念のため、そのマクドナルドに学生と一緒に赴いて聞いてみた。すると朝、私の学生の相手をした若い店員が面倒くさそうに「朝にもそいつから同じことを聞かれて探したけどなかった。こんな大きな町で、同じ場所にスマホが転がっているなんてありえないだろ」と言われる。

盗難証明書申請のために警察に行くのは私は初めてだった。フランスのこの手の業務となると、たらい回しされた挙げ句、長時間待たされるのではないか、と憂鬱だったが、窓口に「海外旅行保険申請のために、盗難証明書が必要だ。iPhoneを盗まれてしまった」と伝えると、「日本人か」と聞かれた。なんでそんなこと聞くのかと思ったが、「そうだ」というと、日本語訳が付された「盗難証明書」申請書をくれた。3枚あったが、特に記入は面倒くさいことはない。5分ほどで全ての欄を埋めて、窓口の人に見せるとさっとチェックしたあと、入り口横にいる警官に持って行って公印を押してもらえと言う。警官に渡すと、さっと見て、ポンと公印を押して、書類を返却してくれた。10分もかからず、拍子抜けだ。

今日の午後はエズ村への遠足だ。待ち合わせ場所のニース・ヴィル駅に向かう道すがら、FNACに寄りMacbook Air用に60Wのapple純正の電源とUSB-Cのケーブルを購入した。16000円ぐらいした。クラクラする。

昼は学生と新しくできたニース・ヴィル駅の横のベトナム料理のファストフード屋でフォーを食べた。汁麺が無性に食べたかったのだ。iPhoneを盗難された学生には汁なしフォーをおごってあげた。17ユーロぐらいするけっこうな値段のフォーだが美味しくなかった。なんという無駄遣いだ。



エズ村には、13時30分Vauban発のバスに乗らなくてはならないのだが、そのためには13時前にニース・ヴィル駅近くの停留所からトラム1号線に乗らなくてはならない。ところが今日は水曜日で、昼にカーニバルの花合戦があるのを忘れていた。Google のルート検索は、カーニバルによるダイヤ変更に対応しておらず、ジャン・メドサンでトラムが止まることが示されていなかった。ジャン・メドサンでトラムから降ろされたが、そこからVaubanのバス停までは歩いて30分以上かかる。今日はもうエズ村に行けないかと思ったが、5番のバスに乗れば、エズ村行きのバスの始発のVaubanではない別の停留所で、エズ村行きのバスと接続可能なことがわかった。しかしかなり微妙なタイミングである。その接続用のバスが遅れて到着し、しかも渋滞のため、私たちが乗りたかった83番のバスに追い抜かれてしまった。万事休すかと思ったが、83番のバスがすぐに出発しなかったのでかろうじて乗り込むことができた。エズ村にはカーブが続く山道を上るのだが、バスの運転は例によってかなり乱暴で、バスは大揺れしていた。エズ村についたのは14時過ぎ。






まずエズ村の頂上にあり、地中海を臨む素晴らしいパノラマを見ることができる熱帯植物園まで上った。帰りのバスの選択肢があまりなくて、かなりあわただしくはなるが、15時52分エズ村発のバスに乗って、ニースに戻りたかった。熱帯植物園の頂上に着いたのが14時20分ごろ。14時50分ごろに植物園出口に集合し、エズ村の麓にあるフランス最古の香水店Galimardとその香水博物館を訪れるつもりだったのだが、香水を買いたいという学生がそれでは30分ほどしかショッピングの時間がないので困ると言う。エズ村でのプライオリティが、香水購入>>>エズ村の景観、であることには実はちょっと驚いたのだが、結局学生たち全員がふもとの香水店に降りていった。



Galimardは、香水販売店のほか、Èzeでは香水工場とガイド付きの香水博物館見学というサービスもやっているのだが、まあ、今回は時間もないし、とばしていいかと思った。ガイド付き香水博物館は確か30分ぐらいかかる。私は過去に3回ぐらい聞いた。香水、香料についてはまったく関心のない私ではあるが、様々な香料の原料とその特色、香水の製造方法の変遷、香水parfum、オードトワレeau de toilette、オーデコロン eau de Cologneの違い、香水調合の技術とフランス語で「鼻」le nezと呼ばれる香料師の日常など、フランスの香水の歴史と香りの文化のさわりを知ることができる優れたガイド・プログラムだった。「フランス人は風呂に入らないから、におい消しのために香水が発達した」という俗説の浅はかさを知った。15時52分のバスでニースへ。帰りの下りはジェットコースターのようなスピード感で町に着いた。ガリバルディ広場で解散。ガリバルディ広場から私の滞在先までぶらぶら歩いて帰る。このあたりは本当に何のへんてつもないふつうの下町だ。でもこんな地区でもそこそこ活気が感じられるのがニースのいいところだ。



浴槽の修理費用のだいたいの見積もり、400ユーロとのこと。これを私が現金払いして、日本で保険請求する。保険請求でおそらく支払った金額は補填されるものの、なんか釈然としない気分でもある。フランス人家庭での滞在は、フランス語のみならず、フランス人の日常的感覚を知る上で私にとって得るものは大きかったのだけど、やはり他人と一緒に暮らすというのは何かと面倒だ。

大金を支払って購入したMacの純正アダプタだが、これを使用していると、MacbookAir使用中でも、充電は維持されている!ということはやはり電源の電力量の問題だったということか。日本ではサードパーティー製の電源で問題があったことはなかったのだが。 

ニース研修2025 02/25(火)第11日

 

2025/02/25(火)第11日

MacbookAirが、電源アダプタ使用時には充電が停止され、どんどんバッテリーが減っていき、2時間ほどでシャットダウンしてしまうという現象に相変わらず悩まされている。スリープないしシャットダウンしている状態では充電可能なのだが。バッテリーの老朽化が原因のような気もするのだが、そもそも今、滞在中の家のコンセントの電圧(?)の問題ではないか、という気もする。MacbookAirのみならず、モバイルバッテリーも充電されないのだ。午前中はAppleのサポートセンターとチャットでこの件で相談しているうちに終わってしまった。電源のWの問題かもしれないし、もしかするとケーブルの不良とか。日本でこうした充電の問題はなかった。原因は結局わからない。論文書けない。本当にやばい。憂鬱。マジで。

今日の午後はニースから列車で20分ほどのところにあるアンティーブへの遠足だった。13時半にニース・ヴィル駅で学生たちと待ち合わせをしていたのだが、そのニース・ヴィル駅に向かうトラムの車内でiPhoneに電話がかかってきた。悪い予感しかしない。案の定、よくない話で、男子学生の一人がマクドナルドで昼食を取っているときに、iPhoneをすられたという話だった。保険会社に請求手続きを確認しなくてはならない。今日の午後にはアンティーブ遠足があるので、それを中止にするわけにはいかない。とはいえこの学生ひとりで事故処理は荷が重いだろう。明日の午前中に一緒に警察に行って盗難証明を貰うということになるだろう。フランスではフランス滞在が長い人でもスリの被害に合った人はけっこういる。ニース・ヴィル駅で当該学生に話を聞くと、注文と会計をすませたあと、商品を取りに行くときにスマホをポケットに入れたそうだ。おそらくそのポケットから盗られたのだろうと。私は盗難被害に遭った経験はないのだが、自分が被害者となればかなり落ち込むに違いない。海外旅行保険で補償されるとはいえ、その学生もかなり落ち込んでいるようだった。

体調を崩している学生が一人いて、アンティーブ遠足の参加者は私を含め16名だった。アンティーブ遠足はニース研修のときは毎回行っている。そのコースは駅から10分ほど海に向かって歩き、多数のレジャーボートが停泊している港を見て、そこから旧市街を一回りして、ピカソ美術館を見て帰るというものだった。港のさらに先の海に面した岸壁にカタロニアの現代芸術家、ジャウメ・プレンサの《ノマド》というモニュメントがあるのだが、これまではAzurlinguaの遠足担当者はこのモニュメントの近くまで案内してくれたことがなかった。ピカソ美術館への団体入場予約が16時半だったので、それまで2時間半ほど時間をつぶす必要が今日はあった。そこで今回は、《ノマド》の近くまで行って見ることにした。駅からは歩いて20分ほどだったと思う。アンティーブは紀元前4世紀頃にはギリシア人の植民都市となっていて、ニースの正面にあることからAntipolis(対面にある都市)と名付けられた。このAntipolisがアンティーブの地名の語源となっている。《ノマド》像のある位置からはニースがたしかによく見える。《ノマド》像は、白いアルファベットの文字を組み合わせて作られた膝をかかえて座っている人の姿をしている。そのなかは空洞だ。《ノマド》が膝を抱えて見つめているのは、ニースのさらに背景にあるイタリアだろうか。白い空洞である《ノマド》像は、海や防波堤など周囲の風景とうまく溶け込んでいた。あいにく小雨が時折降る曇りの日だった。晴れだったらもっと青く輝く海を背景に、白い《ノマド》のある風景はもっと印象的なものになったに違いない。




《ノマド》像のあとは、アンティーブの旧市街に入る。アンティーブの旧市街は規模が小さく、建物の高さも3階、4階建てくらいでニースより低い。ニースの旧市街のミニチュアのような感じで、本当に美しく、可愛らしい町だ。これまで行ったことはなかったのだが、この旧市街の広場にある、この町で活動していたイラストレーター、レモン・ペネ Raymond Peynet(1908−1999)の美術館に入った。ユーモラスで可愛らしいカップルの図像などで人気のイラストレーターで、軽井沢にも彼の名を冠した美術館があることをさきほどWebを検索して知った。このあと、1時間ほど、ピカソ美術館の入場予約時間まで、自由時間とした。私はカフェで時間をつぶした。





ピカソ美術館は団体入場は予約必須となっていた。他にも学校の生徒たちの団体がゾロゾロいた。そんなに大きな美術館ではないので、入場制限があるのはわかるのだが、そのコントロールがけっこう厄介で手間どった。10人以上で美術館に入るときは、今後は予約をかなり前に考えておく必要がある。予約前提でないと入れないところが徐々に増えている。

ピカソ美術館には40分ぐらいいただろうか?この美術館に所蔵されているピカソの作品は、戦後のものが多く、おおらかで自由な描線でサッと描かれた子供の絵のような作品が多い。学生たちはまた面白かっただろうか?実はこの美術館の所蔵作品は、ピカソの作品よりも、ニコラ・ド・スタールやアルトゥングの作品のほうが優れたものだ。ド・スタールはロシア、アルトゥングはドイツ出身の画家だが、どちらもアンティーブで制作を行い、この地で没した作家だ。





この後、私を含め6名はニース行きの列車を途中下車してカーニュにあるフランス料理レストラン、La TABLE DE KAMIYA に行った。神谷さんのツイッターを何年も前から追っかけていて、前から機会あれば行きたいと思っていたレストランだった。ただフランス料理ゆえ一人で食いに行くような店ではないし、また学生たちを誘うには値段が少々高めだったので、これまで行く機会がなかった。

今回はニースでまともなフレンチを高い金を出してまで食べたいという学生がいたので、それに乗じて前から行ってみたかったこのレストランを予約することにした。

私はフランス滞在中にいわゆるフランス料理レストランには滅多に行かない。フランスでちょっと気取ったフランス料理を食べるとなると、50ユーロぐらいは最低出さないと満足感の高い料理にありつくことは難しいだろうし、食べようと思えば東京にはもっと手頃な値段の美味しいフランス料理を出す店がいくらでもあるからだ。東京のフレンチとフランスのフレンチでは、料理の素材がそもそも違うし、サービスのありかたも違うのだけど、料理のクオリティでいうと、東京で5000円出せば食べられるレベルのフランス料理を、フランスで30ユーロぐらいで食べることができるかというと、それはかなり難しいと思う。どうせ海外にいるのであれば、そこでしか食べられないものを食べたい。フランスでそれは何かというと、様々な大衆的な郷土料理的なもの、フランスの旧植民地のアフリカなどからの移民がやっているエスニック・レストランということになる。この手のレストランは東京にもそんなにないし、あってもB級っぽい雰囲気が薄く、別の「エスニック」料理になっている。

La Table de Kamiyaについては、フランスでの料理修業のあと、フランスにとどまり、競争の激しい観光地、コートダジュールでフランス料理という領域で勝負している神谷さんの心意気に感じ入るところがあったし、彼がSNSで発信するメッセージにも共感するところがあった。私はフランスに押さえ込まれ、「負けて」しまった人間だけに、フランスでフランス人にもまれながらがんばっている日本人は無条件に応援したいという気持ちが強い。もちろん神谷さんがSNSで紹介する料理の写真や、彼の料理を称賛する数多くの高評価にも惹かれた。






食前のおつまみ、オードブル、メイン、デザートで45ユーロ。これに飲み物の値段が加わる。私には贅沢すぎる料理ではあるけれど、それぞれの料理に感じられる繊細さ、盛り付けの美しさ、各料理のコンビネーションが作るハーモニー、そして明るく開放的な店の雰囲気など、期待通りの満足いく内容だった。学生にはさらに贅沢すぎるように思う。食事中、なんか面白い話をひとりひとつずつするということになった。面白い話となると、私は性にかかわるエピソードしか思い浮かばないから困る。数日前にクスクスを学生たちと食べたとき、「エロい話しかできないよ」と言ったのに、それでもいいからということで、私が一番気に入っている話をしたら女子学生はけっこう引いていたとのこと。私は芸術、文化についての高尚な話か、エロい話か、そのどっちかしかできない。

私は学生はフランスでは毎食ケバブぐらいでちょうどいいと思っているのだけど、今回は私がこのレストランに来るきっかけを作ってくれたことには感謝しなくてはならない。

La Table de Kamiyaの鉄道の最寄り駅はLe Cros-de-Cagnes駅なのだが(私はCagnes-sur-merだと勘違いしていて、そのためレストランに行くときは30分弱歩くはめになった)、ニース行きの最終列車は21:45と思っていたより早い時間だった。これに乗り損なうと翌朝6時まで列車はない。バスを乗り継いでニースに帰ることは可能だが、その場合は列車で15分の距離が、1時間以上かかってしまう。この最終列車が10分以上遅れたので、ホームで待っていてやきもきした。私たち以外にはフランス人が一人いるだけ。駅は無人駅で、暗い。一人だけだったらさぞかし心細かっただろう。



ニース駅から女子学生一人を家まで送ってから帰宅。帰宅したのは23時を過ぎていた。

2025年2月25日火曜日

ニース研修2025 02/24(月)第10日

2025/02/24(月)第10日

二週目の授業の開始日。特に大きな出来事はない日だった。体調を崩して午前中の授業を休んだ学生が一人いた。昨年は私がなぞの体調不良でかなりしんどい日が何日かあったのだが、学生で体調を崩す人はいなかった。たまたま頑強な学生がそろっていたのか。毎日かなりの距離を歩き回るし、毎日やることがつまっているし、ホームステイ生活はなにかと気をつかってストレスもたまるだろうし、食べ物も違うしで、体調を崩す人がいるのはしかたない。私は昨年は1月から4月にかけて謎の体調不良で、研修中もしんどい思いをしたのだが、昨年以外はむしろニースにいるあいだのほうが体調がいい。これはニース滞在中は、夜に寝て、朝に起きるという規則正しい生活をして、さらに適度に運動しているからだろう。
午前中は家にいて論文を進めていた。ADHDゆえになかなか取りかかる気分にならない。本当にやばい。いつも何か、締切りに追われている。昼はサラミ・ソーセージのスティックを囓り、板チョコを食べただけ。あんまりお腹は空かない。でもたいして食べていないけど、この「昼食」はハイカロリーだ。

午後のプログラムは、ニースの北東の高台、シミエ地区にあるマティス美術館とシミエ修道院に行ったあと、そのふもとにあるシャガール美術館に行くというもの。昨年、予約せずにシャガール美術館に行くと、入場まで2時間ぐらい並ばなくてはならなかった。それまではシャガール美術館に入場するのに、行列を作った記憶はなかったのだが。今年はその教訓を踏まえ、事前に団体入場予約したのだが、15時30分の入場回しか予約が取れなかった。本当はふもとのシャガール美術館を見た後、シミエの高台のマティス美術館、シミエ修道院を回りたかったのだが。ニース駅から10分ほど東側に歩いたところで5番のバスに乗って、まずマティス美術館に向かう。
シミエ地区は市街地の中心部からは離れているが、ニースの高台にあり見晴らしがいい。高級住宅街でもある。マティス美術館の付近には、古代ローマ時代の円形競技場(といっても半径50メートルほどの規模)跡と巨大な共同浴場跡がある。共同浴場遺跡は考古学博物館になっていて、その規模の大きさは壮観なのだが、フランス人は入浴施設には関心がないのか、いつ行ってもガラガラだ。私は好きな場所だが、今回は後ろにシャガール美術館の予約が入っているため、考古学博物館はあきらめた。




最初にマティス美術館を見る。マティスの大作や有名な作品をいくつか所蔵しているが、美術館の規模としては大きくない。30分か40分ほどで見て回ることができるだろう。マティス美術館の本館部分は赤茶色の壁と屋根が印象的な建造物だ。学生にはマティスの居住した館と説明したがこれは間違いで、美術館のウェブページを読むと、19世紀の貴族の別荘だった。一昨日に行ったニース美術館、昨日行ったヴィラ・ケリロスとロートシルト別荘、そしてラスカリス宮やマセナ美術館など、ニースとその近郊の主な美術館/博物館の多くは、ベル・エポック期の貴族や大ブルジョワの遺産を利用したものなのだ。マティス美術館は本館の柔らかなオレンジの照明がかっこいい。内装もマティスの作品を思わせるオレンジ系の色彩で統一されている。現在、休館中のニース現代美術館の所蔵作品であるイヴ・クラインの作品も数点展示してあった。マティス美術館には30分ほどいた。
マティス美術館のあとは、そこから歩いて5分ほどのところにあるシミエ修道院の教会に行った。バロック様式の装飾の祭壇と天井に描かれたフレスコ画は見応えがある。教会のあとは、修道院庭園に。この庭園からニースの東側を見下ろすパノラマが楽しめる。教会と庭園に合わせて30分ほどいたあと、歩いてシャガール美術館まで行った。下り坂だから楽だろうと思ったのだが、30分ほどの距離はけっこう長く感じた。





他のニースの美術館・博物館とは違い、シャガール美術館はニース唯一の国立美術館で、ニースへの観光客の多くはこの美術館を訪れるだろう。
シャガールはフランスで活動した画家の中でも超メジャーだし、日本でも非常に人気のある作家なので、学生たちも当然知っているものだと思っていたけれど、この画家の名前を知っていたのは16人のうち、1/3ぐらいだった。そういえば昨年もそんなもんだったような気がする。美術鑑賞というのは、鑑賞にあたって特に訓練は必要はなく、前提的な知識なく見て感覚的に楽しめるような作品もあるけれど、8割、9割がた、作品や作者についての既知のメタ情報に基づいて行われるように私は思っている。シャガールの絵は、幻想的な具象画である種の物語性があり、何が描かれているのかというのは読みとりやすいので、「有名な画家」という情報だけあれば、初めて見てたとしても楽しめるかもしれない。シャガールより知られていないマティスの場合、装飾的な面白さはあるが、抽象度は高い。前提知識なく、はじめて見た学生は面白いと思っただろうか、などと考える。明日行く、アンティーブのピカソ美術館所蔵のピカソの作品のほとんどは、ピカソがアフリカなどの民族芸術に関心をもっていた時期の作品なので、美術史的文脈やピカソの画家としてのスタイルの変遷を知ったうえでないと、面白さはわからないかもしれない。




団体予約のおかげで、さっと入場できた。しかし予約なしの行列も昨年ほどは長くなかった。シャガール美術館は入館した時点で、自由解散とした。私は20分ほど見たあと、敷地内のカフェでコーヒーを飲んで、美術館を出た。帰宅したのは18時ごろ。
夕飯はガレットだった。中にハムと卵が入っているもの。浴槽の修理の保険請求手続きについて、Annickと少々面倒な確認作業を行った。論文は進んでいない。パソコンの電源とバッテリーの調子がおかしくて、充電されない。かなり憂鬱。

2025年2月24日月曜日

ニース研修2025 02/23(日)第9日

2025/02/23(日)第9日

今日は、ボーリュ=シュール=メールにあるヴィラ・ケリロス、そこから歩いて30分ほどのエフリュッシ・ド・ロートシルト別荘と庭園を見に行った。19世紀後半から20世紀初頭にかけての、いわゆるベル・エポックの時代、風光明媚で温暖なコート・ダジュールには、多くの資産家や芸術家が集まった。彼らはニースとその近郊に競うように豪奢で洗練された別荘を建設し、そのうちのいくつかは所有者の死後、自治体や国が管理することになり、博物館・美術館として一般に公開されている。

ボーリュ=シュール=メールまでは、ニースから列車で10分ほどだ。マントンのレモン祭やモナコへ向かう観光客で、列車はかなり混んでいた。17人の団体での昼食は、なかなか難しい。手頃な価格で、これだけの人数の予約を受け入れてくれるレストランを見つけるのが大変なのだ。昨年ボーリュ=シュール=メールを訪れた際は、ヴィラ・ケリロス近くのモロッコ料理店を運良く予約できた。スタッフの感じもよく、美味しいクスクスを食べることができたものの、学生たちはフランス語のメニューが読めず、注文の仕方もわからないため、オーダーに時間がかかり、料理が提供されるタイミングや食べ終わる時間もバラバラだった。会計も個別払いとテーブルごとの支払いが混在して、かなり混乱した。

旅先で十数人で食事となると、結局は全員に同じ「ツーリスト・メニュー」を提供するようなレストランに頼らざるを得ない。しかし、そういった食事はたいてい割高で、味も期待できない。私は、せっかくの旅先でそんなものを食べるのは嫌だし、学生たちにも食べさせたくない。これはビジネスとして割り切って旅行企画をするならともかく。

そこで今回は昼食をピクニックにし、各自でサンドイッチなどを用意するように伝えておいた。私はニース駅の北側にある、評判の良い老舗のサンドイッチ屋で買いたかったのだが、家を出る前の準備に手間取り、行く時間が取れなかった。Googleマップで調べると、ボーリュ=シュール=メール駅の近くに、日曜午前でも営業している評価の高いサンドイッチ屋があったので、そこで昼食を買うことにした。

体調を崩している学生が何人かいたが、遠足には全員参加。ボーリュ=シュール=メール駅に着くと、まずサンドイッチ屋へ向かった。何種類かあったが、「この店の一番のおすすめをくれ」と頼んだら、鶏肉のローストのサンドイッチになった。6.5ユーロ、日本円に換算すると1000円弱で、かなり高額なサンドイッチだが、こちらの外食の相場では安い部類に入る。私以外に5人がこの店でサンドイッチを注文した。「作るのに5分ほどかかる」と言われたので、とりあえず学生たちを海岸沿いまで連れて行き、そこで待機してもらい、私と男子学生一人がサンドイッチを受け取りに戻った。ボーリュ=シュール=メールとカンヌを隔てる岬の崖をバックに写真を撮ったあと、ヴィラ・ケリロスへ向かった。



ヴィラ・ケリロス公式サイト

ヴィラ・ケリロスは、考古学者のテオドール・レナックと建築家エマニュエル・ポントレモリという二人の古代ギリシア狂によって、莫大な資金と人材を投入して建設された別荘で、1908年に6年の歳月をかけて完成した。設計と建設は、考古学的な発掘調査で明らかになった紀元前2世紀のデロス島の豪華な住宅建築の遺跡をもとにしている。

初めて訪れたのは2014年夏、フランス語教育の研修でAzurlinguaに来たときだった。研修の遠足でここに連れてこられたのだが、当初は「暑いのに、わざわざ古代建築のレプリカなんか見に行っても…」と思っていた。しかし、邸内に入ると、その内装装飾の驚異的な洗練に息を呑んだ。床から壁、天井まで、あらゆる空間が装飾に埋め尽くされている。しかし、赤茶を基調としたそれらの装飾は見事な調和を生み出し、まったくうるささや暑苦しさを感じさせない。そのデザインのひとつひとつ、部屋に置かれたあらゆる調度品が、完璧に美しく設計され、周到な計算のもとに配置されているように思えた。






ヴィラ・ケリロスは、ニース研修では毎回必ずプログラムに入れている。私としては、ここは何としても学生たちに見せたい場所のひとつなのだ。究極のブルジョワ趣味と学術的成果、そして古代ギリシャへのマニアックな愛情が結びついて生み出された、奇跡のような空間だ。

ヴィラ・ケリロスのウェブページを読むと、「ケリロス」という名前の由来が記されていた。

「ギリシャ神話でケリロスとは、真冬に巣を作る神話上の鳥アルキオンのことで、セイクスの妻アルキオネ(Ἀλκυόνη)が変身して生まれたものだ。このウミツバメは、幸せな前兆を告げる鳥とされていた。」

ヴィラ・ケリロスには何度も訪れていたが、実はこれまでこの名前の由来を知らなかった。つい数ヶ月前、私は長い時間をかけてオウィディウスの『変身物語』第11巻をラテン語原文で読み終えたところだった。11巻のいくつかのエピソードのなかでも、最も心を打たれたのが、ケーユクスとアルキュオネーの夫婦愛の物語だった。二人は死後、「カワセミ」になった。物語のヒロイン、アルキュオネーに由来するこの「カワセミ」alcyon は、ヴィラ・ケリロスのウェブの説明にある hirondelle de mer「海燕」に対応する。まさか、そうとは知らずにケリロスに関わるラテン語の物語を自分が精読していたとは…。偶然の符合に感慨深さを覚えた。

『変身物語』Ceyxとアルキュオネーの美しい物語について書いた記事

 ヴィラ・ケリロスで1時間ほど過ごした後、フェラ岬の高台にあるエフリュッシ・ド・ロートシルト別荘と庭園へ向かった。途中、海岸沿いの散歩道で昼食を取る。エフリュッシ・ド・ロートシルト別荘と庭園は眺めのいい高台にあり、急ではないが、だらだらと長い坂道を登らなくてはならない。朝、ニースを出たときは肌寒かったが、昼前から日差しが出て気温が上がり、1日の中での気温変動が大きかった。服装の調整が少し難しい。ロートシルト別荘に着いた頃には、汗をかいていた。

「ロートシルト」とは、英語読みでは「ロスチャイルド」だ。この別荘を20世紀初頭にこの地に建てたのは、16世紀以降、ヨーロッパの金融界で君臨したロスチャイルド家の末裔、ベアトリス・エフリュッシ・ド・ロートシルトである。18世紀前半のロココ様式をこよなく愛した彼女の趣味と美意識が存分に反映されたこの別荘と庭園は、1907年から1912年にかけて建設された。まさにベル・エポックの末期にあたる。



ベアトリスの父、アルフォンス・ド・ロートシルトは男爵の称号を持ち、フランス銀行の理事であり、美術のパトロンとしても知られた人物だった。ベアトリスは19歳のときに、ロシア出身の銀行家モーリス・エフリュッシと結婚する。彼は、ヴィラ・ケリロスを建てたテオドール・レナックの従兄でもあった。しかし、この結婚生活は幸せなものではなかったらしい。モーリスは彼女に重病をうつし、結果として彼女は子供を産めない体となった。また、彼はギャンブル狂で莫大な借金を抱えていたため、一族から訴えられ、結婚から21年後に離婚させられてしまう。

父の死後、ベアトリスは莫大な遺産を相続し、ニース近郊のフェラ岬に、彼女の美学が凝縮された別荘と庭園を建設した。これは、彼女の夢想の世界を現実にしたユートピアとも言える。

私たちはヴィラ・ケリロスとロートシルト別荘のペアチケットを購入していたが、ロートシルト別荘に入ろうとした際、予約の有無を確認された。どうやら、こちらの方が観光客に人気があるようだ。予約必須とはなっていなかったし、これまで予約したこともなかったため、今回も団体予約はしていなかった。何とかごまかして入場できたが、フランスの人気観光地では、特にグループの場合、事前予約しておいた方が無難だと痛感した。

ロートシルト別荘には1時間半ほど滞在。私は全員分のオーディオガイドを回収しなければならず、今回は庭園を見ることができなかった。まあ、すでに何度も見ているので、特に構わないのだが。

今回のニース研修は9回目の実施であり、それとは別にフランス語教授法研修で3回、ニースを訪れている。したがって、どこへ行っても私にとって新鮮味はまったくない。しかし、学生たちにコート・ダジュールの魅力を「どやっ!」と伝えたいのと、研修実施に伴う様々な対応を通じて、フランス語力やその他のスキルを維持・向上させることが、この研修を続ける意味なのだろう。実際、毎回いろいろなことがあり、そのたびに鍛えられていると感じる。フランス語に関しては、正直なところ全然上達していないのだが、日本では話す機会が少ないので、こうして現地に来なければ、さらに話せなくなっていたと思う。

ロートシルト別荘を出た後、バスでニースのガリバルディ広場まで戻った。乗車時間は30分ほどだが、運転が荒い。ニースのバスは、7割方こんな感じだ。ガリバルディ広場に着いたのは5時頃。広場では古物市が開かれていた。





夕食時に、浴槽の故障の話になった。AnnickのパートナーであるWalterにも見てもらったが、業者を呼んで修理する必要があるとのこと。まあ、私が見てもそう思ったが。今朝、Annickの機嫌が悪いように感じたのは、この件があったからかもしれない。当然、修理代はどうするかという話になる。

Annickは、「私が加入している海外旅行保険で補償できないか?」と聞いてきた。確かに、私の保険には器物損壊の補償があり、最大1億円までカバーされると記載されていた。Azurlinguaが保険契約しているとは思うが、海外旅行保険の方に問い合わせてくれないかという話になった。

LINE電話で保険会社の担当者と話をし、確認したところ、「宿泊先がホテルでなくても、このような場合、補償は可能」とのこと。その際に必要なのは、

  1. 事故写真
  2. 事故証明書(Annickが自由な書式で、「いつ・どこで・どのような状況で・どんな損害が発生したか」を記したもの)
  3. 修理の領収書

これらを帰国後に提出すれば良いらしい。保険で補償されることがわかり、ひとまず安心したが、問題は手順だ。私はフランスの業者のプロフェッショナリズムをまったく信用しておらず、業者がいつ来るのか、どんな見積もりを出すのかも当てにならないと思っている。また、非常に嫌な話だが、これを機に過剰修繕され、請求額が不当に高くなり、保険申請が通らない可能性も頭をよぎった。

浴槽を壁から引き剥がすようなことになり、申し訳ないとは思っている。しかし、この程度のことで浴槽が剥離するとは、いくらなんでも脆すぎるのではないか。すでに老朽化していたのでは? それを100%こちらの責任にされるのも、腑に落ちない。大金を支払う羽目になるかもしれず、ついそんなことも考えてしまう。Annickも金銭の絡む話なので、彼女なりに気を遣って話題にしているのだろう。

そもそも、フランスの業者がすぐ来て見積もりを出し、即工事を終わらせるとは思えない。そこで、帰国後にAnnickから業者の請求書を送ってもらい、それが適正であれば彼女の口座に代金を振り込み、さらに領収書を送付してもらって保険請求をする、という手順を提案した。

するとAnnickは、「知り合いの工事業者がいるので、明日見積もりを出してもらう。問題なければMIKIOが代金を支払い、工事日が確定したら、すぐ領収書を発行するので、それを保険会社に提出してほしい」と言う。

すぐに業者が来るなら、それが手っ取り早い。ただし、請求額があまりに高すぎた場合、Annickとギクシャクすることになるだろう。そのときは仕方ない。しっかり話し合い、交渉するしかない。

フランスにいると、ほんの短い滞在でも本当にいろいろある。




夜、フランスのドキュメンタリー番組、Zone interdite「禁断地帯」が日本特集だったので、Annickと一緒に見た。90分ほどの長編ドキュメンタリーだった。3週間のバカンス旅行で日本にやってきた親子、福井県美浜市に居住し、役所と共同して観光振興事業を行おうとするフランス人家族、大阪で主に活動するフランス人落語家など数人をピックアップして、彼らが見る、そして生きる日本の社会を丁寧に描き出してた。私の友人の音楽プロデューサー、河井留美さんのそのなかの1人として取材されていた。エキゾチシズムを強調したフランス、ヨーロッパ的な紋切り型の見方ではない日本の捉え方には好感を持ったが、これはフランス人の視聴者にとって面白いのだろうか、とも思う。おそらく日本に多かれ少なかれ関心を持つフランス人の期待の地平に答える内容ではなかったのではないか。