2025年3月11日火曜日

2025/03/06(木)モロッコ第4日

2025/03/06(木)モロッコ第4日

今日はラバト観光の日とした。こちらの時間の午前11時に、観光演劇学の打ち合わせがZOOMであるので、それが終わってから出かけることにした。今、泊まっているホテルは朝食がついていない。ホテルは駅のすぐ近くで、レストランやカフェは何軒もあるので、ラマダン期間とはいえ観光客向けの店で朝食は取ることができるかなと考えていたのだったが甘かった。マラケシュとは全く状況が異なる。水や食料品を売っているキオスクは開いていたのでそこでポテトチップスを購入し、ポテチと水の朝食とした。ニースで買ったチョコレートも食べた。熱いコーヒーかお茶が飲めないのがちょっとつらい。

午前11時のZoom打ち合わせまで、終わっていない八老劇団についての原稿を書こうと思っていたのだが、気持ちがそっちに向かない。ラバトの観光コースなどを調べているうちに11時になる。打ち合わせは30分ほどで終わった。

ラバトの見所は町の北にあるウダイヤのカスバとそれに隣接して広がるメディナだ。カスバはアラビア語では城塞の意味だが、今では城塞とその周辺の古い住宅地域を指す名称だ。仏和辞典をひくと、kasbah < casbaで「(北アフリカで君主の)城, 館; 城塞」としか記されていない。メディナは仏和辞典ではmédina「メディナ⦅北アフリカのイスラム教徒居住地⦆」(『プチ・ロワイヤル仏和辞典』第5版)となっているが、そういった地域を指す用例もあるのだろうが、「旧市街」と訳すのが適切だろう。




カスバとメディナは隣接している、というよりメディナの一部の地域をカスバと呼んで区別するほうが正しいのかもしれない。しかし同じ旧市街でもその様相はかなり違う。ウダイヤのカスバまでは、私のホテルからは3キロほどあった。ラバトでは日常の足で、準公共交通機関となっているというタクシーを利用してみることにした。駅前に何台もタクシーが停まっている。そこをうろうろしているとタクシー運転手から声をかけられた。メーターは回さない運転手だったが、「メーターを回してくれ」とは言えなかった。20MAD請求されたが、まあそれくらいならかまわないかと思い、支払った。

カスバのなかはちょっと傾斜がある。白壁の低層住宅が重なり合うように建っていて、迷路のような町を形成していた。コートダジュールでは漆喰の壁はオレンジ系のパステルカラーに塗られるが、カスバの住宅の壁は太陽光が当たるとまばゆい白壁だ。そしてこの白さを保つため、定期的に塗り替えが行われているはずだ。白壁と窓の格子戸の青、そして空と海の青のコントラストが美しい。コートダジュールの旧市街もウダイヤのカスバもおよびメディナも、その都市構造や景観の構成の原理はおそらくそんなに変わらないだろう。どちらも城壁に囲まれ、建物を密集して建てることで数多くの路地が錯綜する。コートダジュールの町の旧市街の風景も美しいが、モロッコのカスバ・メディナの都市景観のセンスは19世紀のヨーロッパ人に十分比肩するものだ。むしろイスラムの都市が、コートダジュールの町のお手本になっているのかもしれない。

カスバの外側には広大な墓地が広がっている。カスバは海辺の高台に形成されていて、そこから見る海の景色がたまらない。人はあまりいなかった。静謐で美しいカスバの町歩きと海の眺望を堪能したあとは、カスバの坂道を下り、旧市街へ。食事を取ることができればと思ったが、あらかじめチェックしていたメディナのなかのレストランは開いていない。しかたない、昼飯抜きだ。メディナを抜けて、ハッサン塔とムハンマド五世の霊廟に向かおうとしたところで、メディナの中にある「世界の人形博物館」を見に行く予定だったことを思い出した。メディナのなかにまた入って、15分ほど歩かなければならないが、歩き疲れてはいたけれど戻って見に行くことにした。

「世界の人形博物館」はメディナの奥深くにひっそりとあった。伝統的な建築物が博物館になっている。人形は100ヶ国以上のものが3000体あるという。コレクションはマリオネットのような人形劇用の人形ではなく、1950年代から60年代にかけてフランスで人気だった高さ20センチほどのサイズのフィギュアというのだろうか、展示用の人形だ。人形の多くは民族衣装を着ている。切符を売っていたのは手が揺れているおじいさん。彼は私が見て回っているあいだにもいろいろ気になるらしく、時折説明してくれた。私が館内を回っている途中でそのおじいさんが何か私に言ったが、よくわからなかった。館内をゆっくり回って、入り口に戻ると30歳くらいの女性とその母親っぽいマダムが受付にいた。どうやらこのマダムが人形のコレクターらしい。この二人に人形博物館を見た感想を伝えた。人形の衣装にそれぞれの民族の特質が凝縮されている。それぞれの民族の美学、美意識がその衣装から感じ取ることができるのが素晴らしい。そしてこの素敵な古民家の空間でこれらの膨大なコレクションを見られることの楽しさ、ディスプレイの素晴らしさを称賛した。実際、これだけの数の人形がそろうと相当なものだし、それらの見せ方もしっかり計算されている。おじいさんにせよ、マダムとその娘にせよ、この私設博物館のスタッフの人形愛の深さを感じとることができた。




人形博物館のあとは、またメディナを抜けてハッサン塔とムハンマド五世の霊廟まで歩く。20分くらい。ハッサン塔は高さ40メートルくらいだが、80メートルの高さで完成のはずだったとのこと、途中で中断されたままになっているという。霊廟は近衛兵たちに守られていたが、中を見ることはできる。内装の装飾は見事ではあったが、新しいモニュメントにはそれほど惹かれない。

ラバトの見所として、Le Guide du routardの評価が高い、古代ローマ遺跡、シェラを見に行くことにした。ムハンマド五世の霊廟から歩けば40分ほどかかる。流しのタクシーをこの付近では走っているのを見かけないので、Careemという中東地域で普及しているUberのようなサービスを使ってみることにした。もう一つIn Driveというのがあるが、Careemはカードで決済できるのでより便利だ。5分ほどで車がやってきた。

シェラの遺跡は、古代ローマ遺跡がまずあって、さらに13−14世紀にその跡地にマリーン王朝が墓所を建設した。そのスケールは壮大ではあるが、14世紀以降はうち捨てられていた場所だ。ローマ遺跡には床に見事なモザイク画の装飾があったそうだが、それらは引き剥がされ、現在では博物館に展示されているという。観光客はここでも多くはなかった。巨大な鳥がこの遺跡内には多数いて、遺跡の上に巣を作っていた。調べて見るとcigogne(コウノトリ)だった。300羽ぐらいいるらしい。




Chellahの遺跡で1時間ほど過ごした後、いったんホテルに戻る。遺跡からホテルもCareemを使った。18時に横田/弓井さん宅に招かれている。ホテルから彼らの住んでいるところまではトラムで行ける。トラムの駅でチケットを購入しようとしていると、二人のガキどもがまとわりついてきた。「向こうへ行け!」と日本語で怒鳴ったが、ケラケラ笑っている。気分が悪い。

横田/弓井さん宅での食事には、日本大使館で横田さんの同僚で、この三月で退職する一等書記官、清水さんという方も招かれていた。私とはもちろん初対面。モロッコ大使館に勤務する前は、コートジボワール大使館に勤務されていたという。横田さんのような不器用そうな若者を優しく受け止める度量がある人なんだと思う。西アフリカとモロッコの言語事情など、いろいろ話を聞いた。オープンでほがらかで気持ちのいい人だった。

今回のモロッコ行きは、横田・弓井さん一家が、ラバトに昨年から住んでいたからこそ、実現した旅行である。海外に在住している方のところに、日本から知人がのこのこやって来るというのはしばしば迷惑な話だと思うが、仕事やまだ小さなお子さん2人の子育てがあるなか、私を温かく迎えてくれた横田・弓井さんにはとても感謝している。

フランス語教員をやっているのでフランス語圏のいろんな国や地域に行ってみたいと思っていて、モロッコにも漠然と行く機会があればなあ、とは思っていた。しかしモロッコは日本から遠いので単に「行ってみたいなあ」という気持ちだけでは、具体的な旅行計画に結びつかない。横田・弓井さんがモロッコにいる、モロッコで生活する彼らに会ってみたいというのが、今回の私のモロッコ行きを後押しした。

横田さん、弓井さんは、私とはたぶん20歳近く年が離れていて、日本にいるときも日常的な付き合いがあるというわけではないのだが、知り合ってからはかなり長い。二人とも演劇関係のつながりで、弓井さんとは彼女が座・高円寺アカデミーに所属し、大道芸のスタッフをやっていたときに知り合ったのだと思う。2010年くらいだ。この頃は娘や息子を連れてよく大道芸を見に行っていて、娘が高円寺大道芸のスタッフをやっていたこともあった。昨日、そのときの話になって「あの頃、弓井さんを見て『なんて可愛らしい人なんだろう!妖精みたいじゃないか!』と思ったよ」というようなことを言ったのだが、二人の子供の母親となった今ももちろん可愛く、美しい。私が編集スタッフをやっていた『観客発信メディアWL』で「弓井茉那のドイツ劇場研修日誌」という連載記事を書いてもらったこともあった。https://theatrum-wl.tumblr.com/.../%E3%83%89%E3%82%A4%E3...

横田さんは、特殊かつユニークな前衛的な演劇の作り手でもあり、彼を知ったのは、彼の演劇作品を板橋ビューネで見たのが最初のきっかけだったように思う。横田さんはフランス演劇の研究もしているので、私がお願いして日仏演劇協会の理事をやってもらったこともあった。横田さんはSPACで裏方の技術部門(間違っているかも)で何年か働いて、そのあと東京と京都の商業演劇関係の裏方をやったあと、在日本フランス大使館の海外アーティスト・レジデンスである京都のヴィラ九条山の施設管理者として何年か働いた。

そのあとに横田さんはモロッコで昨年から働くことになった。単身ではなく弓井さんと子供2人もモロッコで住むと知ったときは、かなり驚いた。フランス語圏とはいえ、モロッコは未知の国で、生活習慣などについては参照できる経験もなく、まだ小さい子どもを連れて暮らすなんて!すごいやつだなあと思った。それを受け入れる弓井さんもすごい。

モロッコにも前から何となくは行きたかったが、私としては2人からモロッコでの生活のリアルについて話を聞きたいというのも大きかった。

二人ともすごく不器用な生き方をしている人のように思える。あえていばらの道を突き進むというか、選んでしまうというか。こんな二人がモロッコという異国、異世界で格闘しながら生きていることに、ちょっと感動している。すごいなあと思う。

こうしてモロッコで二人に会えてよかった。

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