2025年3月11日火曜日

2025/03/07(金)モロッコ第5日

 

2025/03/07(金)モロッコ第5日

今日は日帰りでモロッコの北端、大西洋と地中海の境界、アフリカとヨーロッパの境界の町、タンジェに行った。ラバトからは新幹線で直通と聞いたのだが、ONCFのサイトで調べるとRabat-Ville駅からケニトラという駅まで鈍行、そこでTGVに乗り換えという切符しか出てこない。おかしいなと思いつつ乗り継ぎのチケットを購入したのだが、あとになってRabat-Villeではなく、Rabat-Agdalなら直行があるような気がしてきた。調べて見ると果たしてそうだった。Guide du routardにもRabatからとしか書いていなかったので気がつかなかったのだ。30分ほど時間を損したことになる。まあしかたない。

ケニトラで私の乗る新幹線の車両は11号車だったのだが、ホームのどのあたりで待っていればいいのかわからない。ホームにいた地元民っぽい女性に聞いてみると、彼女もわからないという。でもなんとかなるもんだと。まあなんとかなるんだろう。なんとかなったが、とりあえず乗車してから車両を移動して自分の座席にたどり着くのはけっこう大変だった。8時17分の列車でRabat-Villeを出て、Tanger-Villeに着いたのは10時過ぎだった。

駅から旧市街までは3キロほどの距離がある。駅前からタクシーに乗った。相乗りタクシーで、メーターは回さず30MAD請求された。Grand Soccoというメディナの入り口の広場に降ろしてもらう。この広場には、シネマ・リフという1938年に開業した映画館があり、タンジェのシネフィルの拠点として知られている。アニエスbが運営に協賛していて、洒落たデザインの赤いTシャツが売られているということで、そのTシャツを買う気満々だったのだが、ラマダン中で休みだった。

タンジェの歴史は紀元前1200年頃のフェニキア人の入植に始まるという。交易・軍事上の要衝として古代以来、現在に至るまでローマ、カルタゴ、モロッコ王朝、16世紀以降はヨーロッパ列強など様々な勢力がこの町を支配したが、1925年に永世中立の国際都市となり、1956年モロッコの独立によりモロッコ領となる。海岸を見下ろす斜面に形成された旧市街の規模は1キロ平方ぐらいではないだろうか。ラバトよりも小規模だ。

私が信頼するフランス語のガイドブック、Guide du routardの記述では旧市街の見所としては、カスバ美術館・博物館がまず挙げられていたので、まずそこに向かった。カスバ美術館・博物館は、土地の歴史や風俗に関わる事物を展示するいわゆる博物館と現代美術を展示する美術館の入り口が、隣り合った建物の別々にある。Routardでは博物館をより強力に推していたので、そちらから入ることにした。展示されている事物はまあふつうの博物館で、歴史的コンテクストなしで見てもどう見ていいのかわからないような感じではあったが、古いリヤドをリニューアルした内装の装飾は、どこも似たようなものだとはいえ、素晴らしい。




博物館・美術館の前には、メディナのなかの高所に建てられたSalon bleuという白と青の外観と内装の洒落たカフェがあって、そこで昼飯を食べようと思ったのだが、博物館を出てそのカフェのテラスを見ると誰もいない。まだ開いていないようだ。ホテルに朝飯はついていなかったので、チョコレートをかじったぐらいでほぼ朝飯抜きの状態なのでお腹が空いていた。ラマダン中はメディナのなかのレストランは休業のところが多い。とりあえず現代美術館のほうに入って時間を潰すことにした。現代美術館はキューバの現代作家の展覧会をやっていたが、お腹が空いていてちゃんと絵を見る気分ではなかった。現代美術館に入るときにもチケット代を払ったのだが、そのチケットで博物館のほうも見ることができるという記述があった。博物館で購入したチケットにもその記述はあったかもしれない。30ディルハム、500円弱、損をしてしまった。

現代美術館を出ると、Salon Bleuのテラス席に客がいるのが見えた。開いているようだ。ところがこのSalon Bleuの入り口がなかなか見つからない。入り口は美術館に向き合ったところではなく、裏手に回ったところにひっそりとあった。細長い建物で一階が調理場、二階がトイレと会計の場所、三階の細長い空間に3組ほどテーブルがあり、その上のテラス席にはテーブル席が3つぐらいと6人ぐらいが座れる長椅子のカウンター席があった。このテラスからメディナと海を一望できる。モロッコサラダ、オレンジジュース、チキンのクスクス、そしてミントティを注文した。味はまあふつうか。クスクスも味付けは薄めで、スパイスもそんなに効いていない。フランスだと唐辛子ペーストのアリッサがつくことが多いのだが、モロッコではアリッサは供されない。頼めば出てくるのだろうか? ミントティはミントの葉がいっぱい入っていて美味しかった。




モロッコはどこでも猫が多いのだが、このレストランのテラスにも猫が登ってきて、子猫は何度もおかずを取ろうとする。猫に引っ掻かれたり、噛まれたりして、ひどい病気になった人がいるという話を横田さんから聞いていたので、猫には触らないようにしているが、ここの子猫は追っ払うのがちょっと大変だった。

食事のあと、博物館の裏のカスバ地区を歩く。casbahは仏和辞典では「アラブ諸国の首長の住む城,またはその周囲の町.」(『ロベール仏和大辞典』)、「(北アフリカで君主の)城, 館; 城塞」(『ロワイヤル仏和中辞典』第2版)と定義されていて、これは間違いではないのだけど、現用ではLe Petit Robertで派生的な意味とされている「casbah(アラブ諸国で君主の城塞)の周囲に広がる旧市街」という意味で使われている。旧市街を指すmédinaは、仏和辞典では「メディナ⦅北アフリカのイスラム教徒居住地⦆」(プチ・ロワイヤル仏和辞典、第五版)となっているが、これは誤った定義といってよく、Le Petit Robertの「北アフリカにおける都市の古い部分(ヨーロッパ風都市 ville européenneに対して)」という定義が実態に沿ったものだ。メディナには実質的にイスラム教徒しか住んでいないにせよ、住民の属性によってメディナが定義されるわけではない。Wikitionnaireにはもっと簡潔に「Vieille ville des villes du monde arabe.アラブ世界における都市の旧市街」と定義されている。要は実態としては、médina旧市街の特に旧要塞の周辺部分をcasbahと呼んでいて、その一帯はメディナの他の地域とは異なる特徴的な住居の様相がみられる。カスバはメディナのなかでもより絵画的な面白さのあるところでもある。

タンジェのカスバはごく狭い区域なのですぐに通り過ぎてしまった。カスバの出口にはこの町出身の14世紀の偉大な旅行家、イブン・バットゥータの博物館があったが、Routardの評価は★一つだったので見送ることにした。今思えば見ておけばよかったと思ったが。タンジェのカスバから歩いて15分ほどのところにあるフェニキア人の墓地を見に行く。海を臨む岩のがけにいくつものくぼみがあり、そこに遺体が安置されていたらしい。



帰りの列車の時間が16時なのでそんなに時間の余裕がない。Routardで評価が★★となっているメディナのなかにあるアメリカ公使館を見学することにする。アメリカ合衆国の公使館のなかで最も古いもので1821年に開設されたとのこと。1962年まで公使館として使われたこの建物は、伝統的なリヤドの様式だが、全部で45室あるという。その一部が公開されている。まあ、これまで他の場所で見たような壮麗な内装にアメリカ風調度品と東洋趣味の絵が並べられている。公使館を出ると午後3時ごろになっていて、列車の時刻が迫っていた。




現在修復工事中の1913年にオープンしたセルバンテス劇場を外から眺めたあと、流しのタクシーを捕まえてラバトに戻った。ケニトラで鈍行に乗り換えだったが、帰宅ラッシュと重なってえらく混雑していた。Rabat-Ville駅の近くにはマクドナルドがあった。海外では現地の食べ物を食べる、マクドは食べないことを原則としていたが、モロッコ料理は食べたくない気分。マクドに引き寄せられてしまう。結局、マクドナルドでダブルチーズバーガーとフィレオフィッシュを購入して、ホテルの部屋で食べた。しびれるほど美味しかった。


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