2025年3月3日月曜日

ニース研修2025 02/28(金)第14日

 2025/02/28(金)第14日

昨年の夏、精魂込めて作成した科研費の申請が不採択であることを確認し、大きく落ち込む。人生、思い通りにならないものだとはわかっているが、今回ばかりは本当に悔しい。20人もの研究者を巻き込んだ大規模なプロジェクトで、意見の調整を含め、申請書執筆には、膨大な時間と労力を注いできたからだ。他にも自分が研究分担者として参加していた申請がすべて不採択だったことも判明した。来年度はおとなしく、ひっそりと過ごすしかなさそうだ。
締切が今日の論文は、絶望的に進んでいない。他にもやることは山積みだ。そもそもマルチタスクが苦手なのに、今はマルチタスクを強いられている状況。
今日は語学学校の最終日。明日は終日フリーなので、もともとニースから15キロほど東にある鷲の巣村、サン=ポール・ド・ヴァンスへ行くつもりだった。ところが昨日、旅程を確認したところ、Google Mapで表示されたバス路線が、ニース近郊の公共交通を担うLignes d'Azurの公式サイトには見当たらない。iOSのマップでは全く別ルートが表示されるが、それだと山道を40分歩かなくてはならない。他のサイトでも調べてみたが、土曜日にニースからサン=ポールまで公共交通で行けるのか、はっきりしない。
サン=ポールは知る人ぞ知る名所で、ニース近郊でも人気の観光地だが、年々アクセスが難しくなっている。私が語学研修を始めた10年前は直行バスがあったが、いつの間にか廃止され、乗り継ぎも年々変わっている。行きづらいほうが観光地化が進まなくていい、という面もあるが。
サン=ポールが無理なら、列車一本で行けるグラースに行こうかとも考えた。ただ、20年ほど前に友人の別荘で食事をしただけなので、土地勘がない。
観光案内所で確認すると、カーニュからサン=ポール行きのバスは確実にあることがわかった。グラースへの行き方も尋ねると、列車よりバスを勧められる。「なぜバス?」と聞くと、「駅が町の中心から遠いから」とのこと。確かにフランスの駅は町外れにあることが多い。
少し考え、サン=ポールに行くことに決めた。実は、もう一つ気がかりなことがあって気分が晴れなかったが、それはまた別の機会に書こうと思う。





正午に学校に着く。今年は14人のクラスで、担当はブランディーヌ。上のクラスに進んだ2人はニコラのクラスだった。ブランディーヌが日本人グループを担当するのはこれで4回目。初級のクローズドクラスは、できれば彼女にお願いしたいとリクエストしている。
初級クラスといっても、イタリア人やスイス人相手のクラスと、日本人だけのクラスでは雰囲気がまったく違う。ブランディーヌは日本人学生の特性を理解し、柔軟に対応してくれる。以前、別の先生が担当したときは、日本人の気質に配慮がなく、怖じ気づいてしまう学生もいた。ブランディーヌなら、みな安心して授業を受けられる。
ニコラは私自身がこれまで何度も受講してきた先生で、発想が豊かで、生徒の発言を拾って授業を展開する柔軟さがある、優れた語学教師だ。人間的にも信頼している。今回の学生たちは、先生に恵まれていたと思う。


Azurlinguaの講師陣は良いのだが、運営面は仲間内のなれ合いが目立ち、問題が多い。改善の兆しも見えない。今回はホームステイの手配や連絡でかなり厳しくクレームを入れたので、運営スタッフとはギクシャクしている。責任者のエリックは、私とまともに話そうとしない。だが、仲良くなったところで対応が良くなるわけでもない。こちらからきちんと主張しなければ、察して動いてくれることはフランスではまず期待できない。
昼休みにブランディーヌやニコラと写真を撮り、昼食はケバブサンドで済ませた。
午後のマントン遠足には、これまで何度も学生を預けているイザベルさんも参加。午前中に「私もマントンに行っていい?」と連絡があり、「もちろん」と返した。今、お願いしているステイ先の中で、最も長く付き合いがある。コロナで研修が中止になった3年間に多くの家庭がホストをやめてしまったが、イザベルさんは続けてくれている。
60代の陽気な女性で、フランス人には珍しく、裏表のない善意そのもののような人。彼女の家なら安心して学生を預けられる。
彼女とは学校で何度か会った程度だが、FBではつながっている。ちょうど滞在時期が誕生日に重なるので、昨年と今年はお礼を込めてチョコレートを贈った。それもあって、今回会っておきたいと思ってくれたのかもしれない。昨年は食事に招いてくれたが、体調が悪くて行けなかった。


マントンはイタリア国境近くの町で、ニースからは列車で40分ほど。コート・ダジュールの町はそれぞれ美しい旧市街を持っているが、私は特に、斜面に広がり海を望むマントンの旧市街が最も美しいと思っている。建物が重なり合う様子や、漆喰の壁の色合いの調和が見事だ。
マントンでは、ニースのカーニバルと同じ時期にレモン祭が開かれる。ニースのように山車のパレードがあるが、マントンでは特産のレモンやオレンジの実で作られたオブジェが並ぶのが特徴だ。最初の頃はパレードの日に訪れていたが、近年は混雑を避け、パレードのない平日に訪れるようにしている。
まず観光案内所前の公園に展示された、高さ6〜7メートルほどのレモンとオレンジのモニュメント群を見学。数年前まではこの果実モニュメントの展示も有料だった。
その後、市役所にあるジャン・コクトーが内装を手がけた結婚式ホールの見学を試みたが、今日は結婚式が入っており見学できず。フランスでは土曜日に結婚式が多いと聞いていたので油断していた。昨年、初めて見学して感銘を受けた場所だけに残念だった。
マントンの街には、元教会を改装した劇場や古い映画館、コロニアル様式の豪華ホテルなど、趣ある建物が点在している。
市街地を抜けて港近くにあるコクトー美術館へ。コロナ前から本館は老朽化で閉鎖されたままで、現在は旧城塞を改装した小さな別館のみが営業中。日本の二階建て一軒家ほどの広さで、こぢんまりとした美術館だ。
「18人で入れますか?」と尋ねると、「団体が入っているから15分ほど待って」とのこと。待ってから入場し、1時間の自由時間を取って、港から少し内陸に入った小さな広場で再集合することにした。




広場では大道芸人が「マントンの双子」という演目で、銅像のように静止するスタテュの芸を披露していた。
美術館には10分ほど滞在し、その後イザベルさんと旧市街を散策。丘の斜面に広がる旧市街の都市空間の美しさと眺望は、何度訪れても心から素晴らしいと思う。






マントンからニースに戻ったのは18時頃。夜はLGBTQ+の人々によるカーニバル「Lou Queernaval」を観に行く予定で、20時半にマセナ広場近くのマセナ食堂に集合していた。
夕食は部屋でスーパーで買ったサラミとポテチだけで済ませた。昼のサンドイッチがボリュームたっぷりで、空腹を感じなかったからだ。
会場に着くと、すでにLou Queernavalは始まっていた。初めて学生をニースに連れてきた2015年から欠かさず見物しているカーニバルで、当初はLGBTQコミュニティによる自主的なお祭りだったが、年々認知度が高まり、今では公式プログラムとして紹介されている。
巨大な山車や人形のパレードはなく、移動ステージや広場中央で踊るLGBTQ+の人々を眺める形式だが、次第に熱気が高まり、やがてマセナ広場全体が観客も巻き込んだダンス会場と化す。自由で緩やか、でもその解放感に満ちた熱狂は心地よい。
私は、型通りのスペクタクルになっている公式カーニバルより、ゆるくて自由でアナーキーな雰囲気のLou Queernavalの方が好みだ。




22時には切り上げて帰るつもりだったが、スマホをすられた学生がはぐれてしまった。スマホがないので連絡も取れず、会場は人でごった返し、しかも暗くて誰が誰だかわかりづらい。
彼一人を放置して解散するわけにはいかないし、もしすでに自力で帰宅していたとしても、それを確認するまでは動けない。ちゃんと集合場所を決めておくべきだったと後悔していたところ、幸いにも20分ほど探して無事に発見できた。
女子学生を送り届け、家に帰るとすでに深夜0時だった。

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