2025年3月6日木曜日

2025/03/05(水)モロッコ第3日

 

2025/03/05(水)モロッコ第3日

マラケシュからラバトに移動の日。 二泊三日で実質的に歩き回ったのは昨日一日だけだが、マラケシュの旧市街、メディナは、最高だな。モロッコの洗礼を受けヘトヘトにはなったが、大好きになった。また来たいね。イスタンブールより荒々しい、エネルギッシュ。

メディナの奥にあるリアドから駅までは4キロほどの距離がある。バイクが走り回るメディナのあの雑踏のなかをスーツケースを転がして800メートルほど歩き、メディナを抜けたところまで歩いて、タクシーに乗って駅に行くしかないかと憂鬱な気分でいたら、リアドの女将さんに聞いてみると宿のすぐそばの路地までタクシーを呼べると言う。「えっ!あんな狭い路地に、マジ?!」と思ったが、フナ広場の向こう側までバイクを避けながらスーツケースを運ばなくて済むのはありがたい。リアドにタクシーを呼んでもらうと高くなるらしいがまあ仕方ない。

「いくらぐらいかかりますかね?」と女将に聞くと「私にはわからない」と言う。まあ交渉次第ということか。

予約した時間の少し前にタクシーが来ると言う路地に出て見ると、欧米人の旅行者がスーツケースを転がしているのを何組か見た。欧米人はパワフルだ。「うーん、でも俺はタクシーだもんね」とちょっと優越感に浸る。

タクシーが来ると言う路地ではマンホール工事が始まった。これでは車は入れないじゃないかと思ったら、タクシー運転手はスーク(市場街)の入り口にタクシーを停めて、私のいるところまで迎えに来てくれた。 タクシーの停まっている場所まで100メートルほど、スーツケースを運んでもらう。

いくらで駅まで行ってくれると聞くと10ユーロという。普通にタクシーをつかまえれば5ユーロぐらいみたいだが、まあ私の想定内なので、10ユーロ払うことにした。駅までは20分ほどかかった。メディナ内のタクシー走行の超絶運転技術に感動する。





メディナを抜けて、新市街に入ると、おお、普通の近代都市ではないか!マクドナルドもスーパーもある。

マラケシュからラバトまでは列車で3時間半。列車の車両は6人一部屋のコンパートメント形式だった。10時50分マラケシュ発の列車に乗って、14時30頃にラバトに到着する。ラバトで車両から降りようとしたら、待ち構えていたポーターにスーツケースを運ばれてしまう。「運ばなくてもいいよ」と言ったのだが、「いや階段しかないから」と言ってスーツケースを離さない。「いくら払わなくてはならないんだ?」と聞くと、「20MADだ」という答え。300円くらいか。仕方ないと思ったが、ポーターは私にホテルの名前を聞いて、ホテルまで運ぶと言う。ホテルは駅前で、歩いて5分ほどのところにあった。ホテルの入り口で40MAD要求されるが、20MAD札と5MAD硬貨しか持っていなかったのでそれを渡した。

ホテルはいかにも駅前にある寂れた感じの古いホテルだった。ただ部屋はかなり広いし、照明も明るい。一泊の宿泊料金は40ユーロくらい。ラバトはマラケシュのような雑然とした混沌はない。すっきりした現代都市だった。

午後4時半過ぎ、横田さんが仕事帰りにホテルの近くまで迎えに来てくれた。自家用車だった。かなり古い車だがモロッコ政府が中古車に対し高い関税をかけているので100万近くしたとのこと。横田さんは昨年からモロッコ大使館で施設の管理業務の仕事をしている。フランスの何倍も濃いこの国で、家族で生活しているのだからたいしたものだと思う。任期は2年だ。フランス語圏の国や地域にはできるだけ行きたいが、日本からは遠いのでなかなか行く機会がない。今回は横田ファミリーがいるからこそ、モロッコに来ようと思ったのだった。

超観光地で外国人観光客が溢れているマラケシュでは、ラマダンと言っても店は開いていたし、日中も食事出来る場所はいくらでもあった。しかしラバトは日中開いている店はなく、町は普段の賑わいを失い、ひっそりとした感じなのだそうだ。





まず横田さんの家に行く。横田さんの配偶者の弓井さんも長年の知り合いだ。6歳と1歳の子供が二人いる。横田さんの家は70平米ぐらいはありそうなゆったりとしたマンションだった。しばらく家にいたあと、ラバトのメディナ近くのレストランでラマダンの夜食、イフタールを食べようということになったが、案外店が開いていないし、人通りも多くはない。マラケシュの喧噪とは対照的だ。ただ町はきれい。横田さんたちが何回かは行ったことがあるという音楽ショー付きのレストランに入ったが、ラマダン時期の夜は高い値段の定食しかなくて、結局、メディナの城壁のそばにある店に入った。タジンなどを食べる。食後、横田さんに車で家まで送ってもらう。明日の夜も横田宅で食べる予定。

2025/03/04(火)モロッコ第2日

 

2025/03/04(火)モロッコ第2日

朝8時に起きる。食事はリアドの一階に用意されていた。客室は2階に4部屋。朝食時に他の宿泊客にも会う。いずれもカップル(若いのと中年)でスペイン人で、フランス語は話せない人だった。


朝10時からの「文化と歴史の町歩きツアー」のグループツアーに申し込んでいた。待ち合わせ場所のフナ広場のカフェ・ド・フランス前には大勢の観光客がいて、ガイドも数名いる。しかしフランス語でのガイドに問い合わせたところ、私の名前はリストに入っていないという。昨夜のタクシーのように、また自分の予約したガイドに出会えないかと不安になった。英語のガイドのリストに私の名前が登録されていたことが判明し、英語のガイドがフランス語のガイドに交渉して、無事、ガイドツアーに参加することができた。フランス語のツアー参加者は10名くらいだった。

 




ガイドがメディナの形成やモロッコ王国について説明したあと、フナ広場を南に下って、まず観光名所のひとつバヒア宮殿に向かった。入場料は100MAD。バヒア宮殿は19世紀後半のモロッコの宰相の邸宅だったそうだ。2023年9月にモロッコで大きな地震があり、この地震のせいで宮殿内の多くの部分が修復工事中だった。宮殿のなかは観光客でかなりの人手だった。ガイドの解説付きで各部屋を回る。タイル文様と精密な漆喰細工の壁面がすごい。ガイドの解説付きでひととおり見るのに1時間ほどかかった。






バヒア宮殿のあとは、ユダヤ人地区(といっても今はほとんどいないらしい)を歩き、16−17世紀にかけてのモロッコの王朝、サアード朝の墳墓群を見に行ったが、ツアー参加者のうち半数は歩き疲れたのか、この墳墓群は見ないで出口で待っていると言う。この墳墓群の見学に参加したのは私と母親と子供二人の親子連れ、それからおそらく50代の夫婦だった。最初にトイレに行ったがこのトイレがけっこうな行列で20分ぐらいかかる。それから墳墓を見るための入場の行列があった。ガイドは自分はなかには入ることができないといって、その場から離れてしまった。出口で待つということらしい。






ところがこの行列がなかなか進まない。しびれをきらして親子連れは20分ほど並んでいたものの墳墓を見学することなく出口から出ていった。私とフランス人夫婦は30分ほど並んだ。修復の関係か見ることができたのは、黄金王とよばれたアルマン・スール王の王廟のみ。壮麗な建築だったが、中に入ることはできず、外から2分ほど眺めて、写真を撮っただけである。墳墓の外に出ると、ガイドも墳墓を見なかったツアー客もいない。フランス人夫婦は散々ガイドの悪口を言っていたが、タクシーに乗ってどこかへ行った。私も歩いて宿に戻ることにした。宿までは30分ほどの距離がある。途中、スーパーで水と簡単な昼食を買って帰ろうと思ったが、旧市街にはスーパーぽい店がないのだ。旧市街は本当にカオスで、石畳の道や広場にバイクが走り回っていて、気を付けないと危険だ。喧噪と無秩序が町を支配している。一度宿に戻って1時間ほど休憩した。





新市街にある有名観光地、マジョレル庭園とあと時間があればその近くにあるイヴ・サン=ローラン美術館に行こうと思った。歩けば35分。新市街地に向かうバスに乗って行こうと思ったのだが、フナ広場を出たところにあるはずのバス停が見つからない。結局バス路線の道筋を15分ほど歩く。疲れて歩くのは嫌だったけど。市役所前でようやくバス停を発見して、バスに乗ってマジョレル庭園の近くまで行った。近くといってもそこから12分ほど歩かなければならない。これだったら最初から歩いた方が早かった。








マジョレル庭園に行くと入場者行列が出来ていた。チケット売り場には人がいない。入り口に立っていたスタッフに聞くと、「チケットはあっちで買えば」と指さされた方向には、標識が立っていてそこにQRコードが掲示されていた。オンラインでチケットを予約購入しろということらしい。やってみると、今日の入場はマジョレル庭園、ローラン美術館ともに満員で売り止めだった。疲れているなかやって来たのになんということだ。結局、マラケシュでも人気観光ポイントは事前にチケット予約するか、高い金を払ってガイドツアーを申し込むしかないと見ることは難しいのだ。

庭園横にあったカフェに入って、これからどうするか考える。今夜は昨夜見損ねたchez Aliの食事とショーを申し込んでいる。19時45分にメディナの外側にあるホテル前で待ち合わせだ。それまで2時間半、時間を潰さなくてはならない。せっかくだからメディナのなかのスークをぶらぶら見て回ることにした。バスでメディナの西の外れにあるクトゥビア塔を見て、それからスークに行き、宿で一休みしてから、chez Aliツアーの待ち合わせ場所に行くことに決めた。

Google mapで表示されたバス停まで歩くが、やはりバス停らしき表示は見当たらない。仕方ないので路線上を歩いていると、数人の現地人が道端に立っている。聞くとバスを待っているとのこと。なんとマラケシュの市内バスにはバス停標識がそもそもないところが多いことがわかった。利用者はなんとなくその辺と考える位置に立って、バスが来ると手を上げて「とまれ」と示すのだ。

バスは超満員だった。バスは4MAD、60円ほどと安いが、こんな感じでは明日、フナ広場の外から駅までバスで行くのはやめた方が良さそうだ。モロッコのタクシーはタチが悪くて料金交渉が必要なようだが、タクシーを使うしかないか。

クトゥビア塔の近くまで来て、ベンチで休んでいると通りがかりのモロッコ人から「こんにちは、日本人?」と声をかけられたが無視をする。マラケシュには観光客はウジャウジャいるが、そのほとんどは欧米人で、東アジア人は見当たらない。フランス人よりスペイン人の方が多いような印象。

疲れてはいたがスークを30分ほど巡って宿に帰る。一日、マラケシュを歩き回ってヘトヘト。現地ガイドにはサアード朝墳墓で置き去りにされるし。しかしこの街の面白さがだんだんわかってきた。観光客で溢れていて、浅草や京都のような感じでもあるが、その喧騒と無秩序が作り出す空気ははるかに濃厚で混沌としている。

人がごった返す旧市街メディナのなかの細い路地をバイクがけっこうなスピードで通り過ぎるので気が抜けない。

マラケシュの最大の見どころは何かと言えば、それはメディナのスーク(市場)のアナーキーな賑わいだろう。マラケシュはショッピングの町だ。旧市街の喧騒と無秩序は息苦しいほど濃厚でエネルギーに満ちている。ここではよっぽどタフでないと生きていけないような気がする。

宿で30分ほど休憩してから、chez Aliツアーの待ち合わせ場所に向かった。chez Aliは、マラケシュ市街から車で30分ぐらいかかるところにあった。広大なアラビアン・テーマパークみたいなところだった。中に入ると民族衣装を着たパフォーマーに迎えられる。ツアーの参加者は私を含めて10人ほど。私は料理のコースは羊の丸焼きを頼んでいた。料理のメニューごとに、テーブルが振り分けられ、私は一人で来ているロシア人男性、お母さんとロシア人の妻と一緒に来ているスペイン在住のブラジル人の3人組と同じテーブルだった。









羊の丸焼きは、出てきたときは「おっ!」と思ったが、味は単調だし、肉はパサパサ、脂の旨味も薄くて、あんまり美味しくなかった。まあツーリストにショー見せるレストランで出す料理だから、作り手の思い入れもないだろうし、味に期待しても仕方ない。

食事のあと、30メートル×400メートルくらいある馬場で、曲馬やダンスのショーが40分ほど。映画のセットのようなアラビアンナイト風空間のスケールはすごいが、照明が暗すぎて何をやってるかよく見えない。ショーの構成も工夫がない。

TripAdvisorのような旅行者のサイトでも低評価が多いが、料理、スペクタクルともにこの内容ではわざわざ見に行くこともないかなと。客も100人くらいで広大なレストランも観客席もガラガラ。

観光と演劇の取材を念頭においてツアーに申し込みしたが、chez Aliの食事とショーはこのままでは、先は長くないだろう。帰宅は深夜0時前になった。

一日、マラケシュを歩き回って地理感覚ができてみると、昨夜、よくぞスーツケースを転がしてメディナ(旧市街)の奥にあるリアド(リヤド)まで辿り着けたものだと思う。モロッコ到着後に無事e-simが開通して、Google mapを利用できたからこそだが。Google Mapがない時代だったら、どうやって辿り着けたのだろうか。





タクシーが、遠くに降ろしやがってと怒っていたが、今日歩いてみてあの場所にしか降ろせないことがわかった。リアドはメディナのスーク(市場街)の脇道にある。道案内で金をせびってきた兄ちゃんに「小銭がない」と言ってお金を渡さなかったが、あの兄ちゃんがいなければおそらくリアドに到達できてなかった。今思うと、50MADくらい払っても然るべきだった。

古都マラケシュに泊まるんだったら当然、メディナにあるリアドだろうと思って宿を取ったが、マラケシュ初心者にはハードルが高かった。素敵なリアドだけど。

2025年3月4日火曜日

モロッコ 2025/3/3(月)第1日

 2025/03/03

昨日、学生たちをニース空港で見送る。今回参加した16名のうち、1名だけは高校時代に一年間ホームステイしていたスイスに向かったが、他の15名はドバイ経由で成田に戻る。朝8時半に起床。朝ご飯はホテルで食べた。ビュフェ形式の品数とボリュームのある朝食だった。フランスの朝食はホテルでも、フランスパンとクロワッサン、それに飲み物というシンプルなものが出てくるものだと思っていたので、ちょっと驚く。ホテルは空港からトラムで3駅のところにある大型のホテルだ。朝食から部屋に戻ると、帰国の途についた学生から成田に着いたという連絡がLINEで入っていた。

今日の夕方16時10分発の飛行機でマラケシュに向かう。ホテルのチェックアウトの時間は正午までだったので、ギリギリまで部屋にいた。朝食でお腹いっぱいになるまで食べたので、昼食は抜くことにした。夜はマラケシュで食事付きのスペクタクルを予約していて、かなりボリュームのある食事が出そうな感じがした。またeasyJet機内で一回食事がつくと記述してあったような気がした(これは勘違いで、機内では食事は出なかったのだが)。

スーツケースを預ける開始時刻は14時だったので、それまでは空港のカフェで時間を潰した。チェックインはすでにしてある。冬の今の時期は通常、モロッコとフランスの間には時差がないのだが、日曜日にラマダンが始まってからはモロッコの時間がフランスより1時間遅くなる。マラケシュ到着予定時刻は現地時間で18時15分となっていた。食事付きスペクタクルの迎えの時間は20時だったので、飛行機が多少遅れても間に合うと思っていた。




飛行機は18時30分頃に空港に到着する。入国審査とスーツケース受け取り、両替を終えて、空港出口に出たのが18時50分ぐらい。予約していたタクシーが迎えに来ているはずだが見当たらない。19時15分まで待っていたが、結局私を迎えに来ているはずのタクシーが見つからないので、その場でタクシーチケットをあらためて購入して、空港待機のタクシーに乗った。すると乗って2分ほどしたところで、予約したタクシーの運転手からメッセージが入る。いったいどこで何をしていたのだ、こいつは?

宿泊しているリヤドはメディナの中にあるから車で行くことができないと、メディナから15分ほど離れた場所でタクシーを降ろされる。Google Mapを頼りにリヤドを目指すが、案の定道に迷う。暗くてどの道に入ればいいのかよくわからない。メディナの路地をうろうろしていると、若者が声をかけてきて、案内してくれた。もちろん単なる親切ではなく金を要求されたが、小銭がないと言うと、諦めて帰って行った。





食事付きスペクタクルの迎えの車の運転手からはWhatsAppで電話がかかってくる。予定時刻には待ち合わせ場所に行けないので私を置いてレストランに行ってくれ、と伝える。「後で現地で合流できるか?」と聞くと、「もちろん。店のドアの前で待っている」との返事。

リヤドの受付はゆったりで20分ぐらいかかってしまった。食事付きスペクタクルの店、Chez Aliを検索すると、宿泊しているリヤドから歩いて15分ほどの距離にあると出てきた。これなら車でわざわざ行くことはないじゃないかと思って、チェックイン後、Google Mapを頼りに歩いて行くが、途中数百メートルにわたって、照明のない真っ暗なスークの中の道を歩かなければならず、かなり怖かった。そしてGoogle MapでChez Aliとなっている場所に着いたのだが、そのあたりを何度ぐるぐる回ってもそれらしき店はない。そのあたりにいた人、何人かに聞いたが誰もChez Aliを知らない。いったいどうなっているのだ?と思っていたら、なんとスペクタクルの行われるレストラン、Chez Aliはここから数キロ離れた場所にあることが判明した。Google MapのChez Aliは同名の別の店なのだ。スペクタクルの店に行くにはタクシーか何かを利用する必要があるが、どこでタクシーを拾えるのかもわからない。あとでわかったが私は、スークの中で迷っていたのだ。代金は支払い済みだったが、結局スペクタクルはあきらめて、宿のほうに戻ることに。あの真っ暗な道を歩くのはいやだったが、しかたない。昼を抜いていたので、お腹がペコペコだ。時間は21時半を過ぎていた。Google Mapで近くにあって、評価の高いレストランを探し、そこに入る。牛肉とプルーンとアーモンドのタジンを食べた。お茶と水込みで110ディルハム、だいたい10ユーロ。おいしかったが腹一杯という感じではない。






雨が降り始めていた。とりあえずリヤドに戻る。到着早々、モロッコに振り回される。早速モロッコの洗礼を受けた感じだ。

2025年3月3日月曜日

ニース研修2025 03/02(日)第16日 最終日

 2025/03/02(日)第16日 最終日

今日、学生たちは帰国の途につく。ただし16名のうち1名だけは、高校時代にホームステイしたスイスに向かい、1週間滞在してから帰国する予定だ。

私は学生たちを空港で見送ったあと、ニースにもう1泊滞在し、明日3日(月)の夕方の便でモロッコのマラケシュへ向かう。

Annickの風邪はかなり辛そうだった。モロッコ行きの便の都合でニースに1泊多く滞在する必要があることは、だいぶ前から分かっていた。1月初め、私はAnnickに「次のステイの予定がなければ、50ユーロ払うので1泊延泊させてくれないか」と頼んだところ、「料金は不要、泊まっていい」と快諾してくれた。

ところが渡航前日に、「日曜からイタリア人の子どもを2人預かることになったので、ソファベッドで寝てもらってもいい?」という連絡が来た。少し迷ったが、一泊だけ他の宿を探すのも面倒なので、「迷惑でないならソファベッドで構わない」と返事をした。

ところが金曜の午前中にAnnickから再度メッセージが入り、「子どもたちが安心できるよう、やはり日曜には出て行ってほしい」とのこと。直前になって何なんだ、とは思ったが、向こうがそう言う以上仕方がない。「わかった。日曜朝に出て、適当なホテルに泊まる」と返したものの、やはり少し嫌な気分だった。



浴槽の修理代は金曜に現金で渡したが、それも何かしこりになっていたのかもしれない。いずれにせよ、こうなった以上、多少費用がかかってもホテルのほうが気楽だ。Booking.comで空港近く、1泊60ユーロの安ホテルを予約した。Annickの家には今回で3回目の滞在だったが、次に来ることがあっても、もう泊まらないだろう。

こういう関係の切り方に見える、フランス人特有の合理主義的な態度は、これまでにも何度か経験している。もちろん、日本人同士でも似たようなことはあるが、フランス人はより露骨に、ざくっと関係を断ち切る傾向が強いように感じる。

今日は学生を空港で見送ったあと、空港からトラムで3駅の場所にある安ホテルに移動した。

学生たちは行きと同じエミレーツ航空で、ドバイ経由で成田に向かう。日本到着は3月3日17時。ドバイで日本行きの便に乗るまでは、団体行動をお願いしておいた。




見送りは午後1時半ごろに終わり、ホテルにチェックインしたあと、近くのカザフスタン料理店で昼食を取った。注文したのはラグマンという麺料理。美味しかったが、こういうB級グルメでも13ユーロ(約2000円)してしまう。

昨夜のレユニオン料理も美味しかったが、言ってみればカレーライスのようなもので、それに15ユーロ(約2300円)支払わなければならない。日本は本当に外食が安い国だと実感する。高田馬場ならあの料理が1000〜1500円で食べられるだろう。



今回のニース語学研修旅行は9回目の実施だった。物価高や円安、航空運賃の高騰もあり、コスト削減のため、学校近くの契約カフェテリアでの食事を省き、学校主催の近隣へのエクスカーションの申し込みも見送った。

管理部門のエリックがとりわけ冷淡だったのも、このコストダウンが影響していたのかもしれない。滞在中に何度か顔を合わせたが、今回は「ボンジュール」と挨拶した程度だった。

遠足はすべて私が計画し、引率した。思っていたより交通費がかさんだのは誤算だった。美術館の入場料も値上がりしている。ただ、自分で引率したことで、学校スタッフがルーチンでこなすだけの遠足より、ゆったりと充実した時間が過ごせたように思う。

この研修は、毎回平穏無事に終わることがない。
今回は、二人の学生を受け入れるのに一つのベッドしかない家庭があり、現地で調整して別のホスト家庭を手配させた。また、男子学生二人が朝食を食べられていない件が発覚し、家庭訪問や学校への厳しいクレーム対応を行い、学校の管理部門との関係がぎくしゃくした。

さらに、自分自身が浴槽で転び、壁から浴槽が剥がれてしまい、修理対応をめぐって大家と気まずくなったり、学生がiPhoneをすられて警察に同行したりと、滞在中はトラブルが続いた。

こうした問題対応は確かに面倒でストレスも大きいが、それでもフランス的な現実に向き合うことで、自分の経験値が上がっていると感じる。この研修を続けているおかげで、フランス語力の維持にもなっているし、旅行計画や手配の経験は、自身の調査・研究にもおおいに役立っている。

現地のリアルに向き合っているからこそ、教室でも自信を持ってフランス語を教えられる面がある。フランス語で生計を立てている以上、面倒でも自分に必要な研修機会だと思っている。もちろん、気分転換になるし、楽しいこともたくさんある。

学生と離れ、やりきった解放感と満足感は大きい。ただ、論文がまったく進んでいない。これが憂鬱だ。科研費の不採択も、心にずっしり重くのしかかっている。

明日からはモロッコ。純粋な観光の一人旅ではあるが、この状況では勉強も少し進めなければと思っている。