明日、水曜の午後2時半パリ発の飛行機に乗り、ドバイ経由で東京に帰る。東京着は3月16日(木)の夕方になる。
昼前には空港に向かわなくてはならないので、明日は飯を食べた後、荷造りで時間がつぶれてしまう。実質的に今日がパリ、そして今回のフランス滞在最後の日であり、旅日記もこれが最終回だ。
朝8時半に起床し、朝食を食べた後、フランス国立図書館へ行く。お土産の類を買いたかったし、本とDVDもパリにいるあいだに見ておきたかったので、14時ぐらいに図書館からでる。宿舎の近く、ショワジー門のそばにある大型スーパーでお土産用の板チョコを仕入れる。日本からフランスへのお土産もチョコ、その逆もチョコ。土地土地で色んなバリエーションがあって、かつ誰でも安心して食べることができるので、チョコは万能のお土産だ。カカオ原産地では、児童労働が問題になっていて、現地の人はチョコを口にすることがほとんどないという話をどこかで読んで気になってはいるが。フランスは板チョコのバリエーションは多く、そして安い。チョコ専門店のチョコは店によって個性があっておいしいのだけれど、やはりけっこう高い。
一度宿舎に戻り、パソコンやスーパーで買ってきた食料品などを部屋に残す。本とDVDを見ておきたかったのでサン・ミシェルのジベール・ジューヌに行ったが興味を引く本やDVDは見つけることができなかった。レアルのFNACに行ったが、やはり自分の関心を引くようなものは見つからなかった。娘のお土産で「ジョジョ」のフランス語版を2冊、そして自分の授業の教材資料としてアメリー・ノトンの日本を題材とした小説のアンソロジーを買う。DVDとしては、ジュネの『女中たち』のモデルとなったパパン姉妹の殺人事件を題材とした映画が数本あって(そのうちの一つがシャブロルの傑作『沈黙の女』)、FNACにあれば買って帰るつもりだったのだが、売れ線ぽい映画しか店には並んでいない。デレク・ジャーマンの全編ラテン語映画『セバスチャン』やオリヴェイラ『繻子の靴』も売っていないかなと思ったけれど、売っていない。
ちょっと考えてみればこうした自分の嗜好に合うものは3000円ぐらいの送料はかかるとはいえAmazonでは注文できるわけで、実店舗でぐだぐだ時間をつぶしたのはもったいなかった。娘の土産の『ジョジョ』フランス語版もノトンの小説もamazonで帰る。スーパーで買った板チョコも、買おうと思えば高くはなるけれど楽天の店や成城スーパーでは売っているらしいし。現地でしか買えないものなんてほとんどない。
せっかくフランスに来て最後の日だというのに、現地でしか買えないというわけではない買い物に時間をつぶすなんて馬鹿みたいだった。美術館にでも行っていればよかったと思う。
レアルのFNACからバスティーユに向かう。途中、マレ地区のサン=ポール サン=ルイ教会に寄った。ちょうど晩課の祈りがはじまる時間だった。身廊には5人ほどの人間がいた。教会のなかに祈りの文句が反響する。外の通りの喧騒とはまったく別の静謐な美しい時間だった。
最後の夜は、バスティーユ・オペラにバランシン振付の『夏の夜の夢』を見に行くことにした。バレエの『夏の夜の夢』を見たことはないし、バランシンの作品も見たことはない。この三月は竹中香子さんが出るギヨーム・ヴァンサンの『夢とメタモルフォーゼ』を見て、帰国後はRoMTの『夏の夜』、そしてSPACの野田版『真夏の夜』を見ることになっている。カクシンハンも同時期に『夏の夜』を上演する。そういうことなら『夏の夜の夢』のいろいろなバージョンを見比べてみようと思ったのだ。それにせっかくパリに来たのだからやはりオペラ座には足を運んでスペクタクルを見ておきたい。滞在の締めくくりにこうした大きなスペクタクルは悪くないような気がした。
バランシン版『夏の夜の夢』は信じられないくらい感動してしまった。一幕目で夢心地だった。一幕目で『夏の夜の夢』のエピソードはほぼ完結している。休憩後の二幕目は40分ほどの長さしかない。二幕目は3組のカップルの結婚式の枠組みを利用した華やかなレビューだった。しかし最後はやはり原作通り、パックのソロで締めくくるのだ。この最後の場面の緊張感に満ちた美しさには、見ていて心臓がどきどきした。いったいなんなんだ、これは!終わった瞬間、自分で自分のほっぺたを思わず叩いてしまった。バレエの良しあしを判断できるほどの本数を自分は見ていない。しかしこれはまさにその劇世界が提示するように、その夢幻的な世界のなかで陶酔に浸ることができる最高のスペクタクルだった。フランス滞在の最後の夜をこんなスペクタクルで締めくくることができて私は幸せだ。
夕食はバレエの後、宿舎の近くの料理屋で、今、パリではやっているというボブンという麺料理を食べた。ヴェトナム風まぜそばという感じである。春巻きや肉がたくさん入っている。甘酸っぱい汁をかけて、まぜて食べる。あっさり味だ。美味しかった。
今回、中華街の端に宿を取ったのは正解だった。夜遅くなると暗がりに元気な若者がたむろっていてちょっと怖い雰囲気はあるけれど、中華ヴェトナム飯は比較的安いしおいしい。サービスも早いし、一人でも入りやすい、しかもかなり夜遅くまで飯を食べられるというのがありがたい。そして私は中華街の雰囲気が好きだ。レストランで働く人たちやここらへんを歩いている人たちのどこかふてぶてしくて、自信に満ちた表情や動きが、とても好きだ。
パリにはずっと苦手意識があった。私の二回の留学先はいずれもパリだったのだが、大嫌いになってもしかたがないようなつらい出来事や不愉快な出来事が留学の最後の時期にいくつかあり、その後、二回、短期滞在したときも、フランス人相手に戦闘態勢を取らなければならないようなトラブルがあった。パリに俺は愛されていないなあと思っていた。パリはつらい片思いの相手で、こっちは大好きだって言っているのに向こうは俺に意地悪なことばかりやってくる、ということで憎悪も倍増という感じだった。今回、10年ぶりのパリ滞在だったのだが、この間にこうした嫌な記憶が自分のなかで増幅していた。だからパリに着くまえは、「またどうせ嫌なことがあるに違いない」とちょっと憂鬱で不安な気分だった。
10年ぶり、わずか6日間の滞在のパリだが、やはりパリは別格に面白い、刺激的な町だ。美術館やスペクタクルなどの観光資源が充実しているだけではない。さまざまな民族的出自の人間、そして観光客を含めさまざまなスタイルで町を歩く人たちがいて、その多様性がパリならではのダイナミズムを作り出している。いろんなタイプの人間にパリの町では出会うことができる。私の滞在した13区の中華街や昨日ヘミさんと食事をしたアフリカ系移民の多いサンドニ界隈の町の独特の風景や香り、雰囲気には、気持ちが高揚する。ちょっと緊張感を維持しつつ、互いの距離を測りながら多種多様な人間がパリでは集まり、それが町に活気をもたらしている。気取った美しさも猥雑で庶民的な親しみやすさも、そして未知で異質なものの怖さもある。メトロや街並みの薄汚れたところが実にかっこいい、これがパリだ。街角のいたるところがそれぞれの個性を主張している。落ち着いたなまぬるさがない。とんがっていて、アグレッシヴな魅力にみちている。パリにいると自分の感覚が研ぎ澄まされていくような感じがする。
ニースは気さくで親しみやすく、そして美しい町だ。しかしその感覚は20世紀はじめのベルエポックのブルジョワ文化で停滞している感じがする、パリと比べると。パリは今もなお、刷新の活力を失っていないように見える。
くそみたいに不愉快な人間に出会う確率も多いが(今回の滞在では幸いなかった)、あと私にはあんまり優しくない町ではあるけれど、パリは最高だ。この町で暮らすと言うのは特権的な体験だと思う。ああ、私もまたここで長期滞在できればなあ。
2017年3月15日水曜日
2017年3月14日火曜日
レンヌ・カン・パリ2017春(9)3/13
昼にア・ラ・プラスのチェ・ヘミさんと昼食をとる約束をしていた。フランス人の配偶者がいる彼女は、日仏を行ったり来たりしていて、ちょうど3月末までパリに滞在中だった。
午前中はルーブル美術館に行こうと思っていた。それで実際にルーブル美術館まで行ったのだが、午前10時すぎに着くと入場待ちで長蛇の列ができている。15分ほど並んだが、こんなことをしていたら時間がもったいない、ヘミさんとの約束の時間が気になって絵も落ち着ついて見ることができないと思い、列を離脱。
メトロで移動し、ジベール・ジョゼフで本を見ることにした。ダリオ・フォ『滑稽聖史劇』イタリア語版、バカロレア試験対策用のセネカ『パエドラ』ラテン語仏語対訳本、セネカ『メデイア』 仏訳+解説、ダリオ・フォー『虎の歴史』仏訳、デュポン『ローマ 演劇』、ブシャール『農場のトム』、マヤコ フキー戯曲仏訳を購入した。
ヘミさんとの待ち合わせはメトロ4番線のシャトー・ドーの地上出口。ヘミさんのパリでの住居がこの近くにあるらしい。待ち合わせ時間5分くらい前に駅について、地上に出ると、メトロ出口付近には大量の黒人青年がたむろっている。正直なところ、やばそうで怖い感じがした。じっと立っていると彼らから声をかけられたらいやだなと思い、出口付近をうろうろする。3分遅れぐらいでヘミさんがやってきた。
「ここにたまっている、こいつら悪い奴らですか?」
「うん、悪い奴じゃない。このあたりは黒人用の美容室がたくさんあって、その客引きのためにメトロの出口で待ち構えているのよ。だから白人やアジア人はスルーで黒人女性にしか声をかけないよ」
とヘミさんが教えてくれた。後で観察してみると、確かに彼らは黒人女性がそばを通ったときに「マダム」と声をかけている。
「このあたりは黒人が多いし、ほかにもいろんな民族が入り混じっていて慣れないとぎょっとするかもしれないけれど、実は案外危なくない。日本の雑誌にも最近とりあげられていて、おしゃれでセンスのいい店も多い通りなのよ。それがわかってきたから日本人でこここらへんに住む人も増えてきた」
サン・ドニ門の近くにあるモロッコ料理屋に入った。昼のスピード・ランチが、前菜、クスクス、デザート、ミントティがついて9.8ユーロ。これは安い。ヘミさん曰く、ここらへんは物価が全般的に安いらしい。クスクスはスープをかけるタイプ。スープをかけるのがチュニジア風、数種類のスパイスとともに具材とクスクスを蒸し上げるのがモロッコ風だと思っていたがそういうわけではないみたいだ。クスクスの調理法がいくつもあるというだけの話のようだ。味はまあまあ。クスクスはどこで食べてもそこそこ美味しい。量はたっぷり。
ヘミさんにはフランスでの生活、ここしばらくの彼女の演劇活動について話を聞いた。そして昨年からヘミさんの夫がフランスを本拠地とすることになったので、今後、日仏でどうやって演劇活動と家庭生活を続けていくかという話など。3時に子供を迎えに行かなければならないというので、預けている場所まで一緒について行く。4歳と7歳の子供がヘミさんにはいて、3時に迎えに行ったのは4歳の男の子だ。人見知りで私とはあまり話をしてくれなかったけれど、実にかわいらしい子だった。
ヘミさんと別れてから、サン・ドニ界隈の道をぶらぶら歩く。こうした気取らない庶民的な町なみ、雑然としていてアナーキーな雰囲気の地区こそ、パリの魅力だと改めて思う。異質のものがとんがった雰囲気で交じり合っている。地区ごとに表情がまったく違うのが面白い。
ルーブル美術館へ。閉館が18時、その2時間前に行くと入場口は空いていて、すぐに入ることができた。ここ数年、新約聖書、聖者伝とギリシア・ローマ神話を題材にしたテクストをいくつか読んできたので、それにかかわる主題の絵画を重点的に見た。ルーブル美術館は10回目ぐらいだと思うが、そのコレクションの巨大さ、膨大な数の名画、そしてそれを収める建物の規模には毎回圧倒される。2時間だと駆け足で見て回るという感じになる。歩き回って疲れた。パリの巨大美術館は本当に疲れる。アプレイウスの『黄金のロバ』の「アモルとプシケ」の物語を読んでいるところなので、フランソワ・ジェラールのこの主題の有名な絵画を見つけた時はちょっと感動する。図像ではこれまでに見たことがあったけれど。ジェラールは、ウェヌスを嫉妬させるほどの美女、プシケーのイメージを裏切らない。マンテーニャの『聖セバスチャン』も本物を見ることができて満足。ざっと駆け足で見たが、18世紀のブーシェなどのロココ絵画に限らず、近代以前のヨーロッパ絵画に官能的な絵が多いことにあらためて気づく。
せっかくパリにいるのだから今日もスペクタクルを見に行くかとも思ったのだが、ルーブルで疲れてしまって気力がない。ショワジー大通りにある有名なフォーの店、フォー14で早めの夕食を取って、宿舎に帰った。フォー14、やはり家の近所の店のフォーより美味しかった。これでフランスで食べたかったものはほぼ食べた気がする。断食・節制の四旬節ダイエットどころか、とんでもないご当地B級グルメの滞在になってしまった。
2017年3月13日月曜日
レンヌ・カン・パリ2017春(8)3/12
日曜日。
午前中は5区にあるサン=ニコラ・デュ・シャルドネ教会のミサを見学に行った。17世紀の建築のこの教会は1977年2月に、16世紀のトレント公会議で定められたミサ形式に固執する伝統主義カトリック信者集団に乗っ取られ、以降ここでは16世紀以来のラテン語ミサが行われている。このカトリック伝統主義者集団は、聖ピオ十世会である。私の友人(日本人女性)に聖ピオ十世会に所属する信者がいて、彼女にシャルドネ教会のことを教えてもらった。聖ピオ十世会はローマ・カトリック教会からは破門されているが、最近になって教皇フランシスコのとりなしで和解の道が模索されているらしい。
カトリック教会では中世以降、ミサなどの典礼はすべてラテン語で行われていたのだが、1960年代の第二バチカン公会議で各国語でミサが行われることが認められて以降、ラテン語でミサを行うことは、全くなくなったわけではないが、きわめてまれになった。聖ピオ十世会はこの決定に反対し、トレント公会議以来のミサ形式を遵守している。東京では公民館のようなところを借りて、月に一、二度、フィリピンから司祭を呼んでミサを行っている。
この一年ぐらい中世の典礼劇に興味を持って読み始めているのだが、典礼劇の多くは典礼儀式の一部だったと考えられているので、その式次第がどうなっているのかが気になった。現在行われている典礼と中世の典礼では、伝統主義者の聖ピオ十世会のものであっても相当大きな違いがあるのだが、実際にミサに参加してその式次第や雰囲気を知ることは、典礼劇理解にとって重要なことではないかと思っている。本当は修道院の聖務日課の様子を知りたいのだけれど、とりあえず信者でなくても参席できる日曜ミサから始めてみることにした。今回は四旬節の時期のミサ典書(もちろんトレント式のミサのもの)をコピーして、シャルドネ教会のミサに参席した。しかし実際のミサは、私の持参したミサ典書のコピーに記述されない式次第も含んでいて、結局よく把握できないまま。まだまだ勉強が足りない。通常文テクストのキリエ、クレドなどは、歌えたのでよしとするか。
日曜日はこの教会では朝8時から「読むミサ」「グレゴリオ聖歌を歌うミサ」「大ミサ」と三つのミサが続くのだがその違いがわからない。私はグレゴリオ聖歌のミサと大ミサに参加したが、大ミサでもグレゴリオ聖歌は歌う。中世ラテン語宗教劇を研究していて、ミサの式次第も頭に入っていないというのはちょっと恥ずかしい気がする。また機会を見つけて出てみたい。
シャルドネ教会のミサでは少年聖歌隊が聖歌を内陣で歌う。当たり前だがすごく上手だったので「おお」と感動。
意外だったのはミサの参加者の数だ。これまでガラガラの教会しか見ていなかったし、フランスでは特にカトリック離れが激しいと聞いていたので、聖ピオ十世会というカトリックでも異端的集団のミサだけあって、ひっそりと少人数で行われていると思っていたのだ。ところがそうではなかった。10時半から始まる大ミサには、ミサの身廊の席がほぼ埋まり、おそらく1000人以上の信者が集まっていたのだ。教会の正面大扉が開かれるのも初めて見た。シャルドネ教会は、聖ピオ十世会の活動拠点であり、おそらくパリでは唯一ということもあって、熱心な信者が集まるのかもしれない。
カトリック教会は政治的保守主義と結びつくことが多いが、カトリックのなかでも急進派である聖ピウス教会もその傾向があり、フランスの極右政党であるFNの党首マリーヌ・ルペンの三人の子供はここで洗礼を受けたとウィキペディアに記述があった。マリーの父親であるジャン=マリー・ルペンも定期的にこの教会のミサに出ているそうだ。カトリック教会(に限らないか。アメリカではプロテスタント教会は保守主義に近い)が政治的保守主義となぜ結びつくのかについては、いろんな人の解説があるはずだ。以前調べたような気もするのだが、帰国したらまた調べ直してみたい。
昼食はパリで長年ガイドをやっているジュリーさんと一緒に教会近くのカフェで食べた。ジュリーさんはパリの軽犯罪情報についてツィッターで流しているのにまず興味を持ち、それからFBで交流を持ち、昨年夏に彼女が日本に来た時に会って大衆演劇を一緒に見にいった。私と同い年のパワフルな女性だ。彼女はカトリック信者なので、カトリックから見た聖ピオ十世会の話であるとか、ガイドでのいろいろなエピソードなど興味深い話をいろいろ聞いた。
ジュリーさんと別れてから、ノートルダム大聖堂とクリュニー美術館を見学し、それからRERのB線に乗ってパリの南郊外、ソーSceauxにあるジェモーLes Gémeaux劇場に芝居を見に行った。ここでカリブ海にあるフランス海外県、マルティニーク島の大作家、エメ・セゼールの『クリストフ王の悲劇」が上演されることを昨日知って、予約を入れたのだ。今日の公演が千秋楽だった。
文学者であり政治家でもあるエメ・セゼールについてはその名前ぐらいは知っていたけれど、興味を持ったのは昨年春にカリブ海文学を専門とする立花英裕先生の講演を日仏文化協会で聞いたのがきっかけだ。彼は1960年代に何編かの戯曲を書いていて、その紹介を立花先生がその講演でしたのだ。世界最初の黒人国家、ハイチ独立についての戯曲『クリストフ王の悲劇』はセゼールの代表作であり、日本語訳も出版されている。立花先生の話を聞いた後、日本語訳を読んだのだが、今回、上演を見られるのはとてもラッキーだった。日本ではまずこの戯曲が上演されることはないだろう。フランスでもそんなに頻繁に上演されるとは思えない。
マルティニークの俳優たち、カンパニーなのだろうか、数多くの登場人物がいる芝居だが俳優はほとんどが黒人だった。そしてそのフランス語も、フランスのパリのフランス語とは明らかに異なるなまりがある。上演時間は2時間40分ほど。休憩はなかった。舞台奥にはピアノ、チェロ、ベース、ドラムのバンドがいた。
ハイチ独立達成後に、民族的英雄から独裁者と変貌してしまい、その政治的矛盾のなかで窮地に陥っていくクリストフ王とハイチ民衆の姿が描かれている。フランスのことばの演劇の伝統を引き継いだような膨大なセリフ量で表現もかなり詩的だ。正直なところ、耳での理解は相当な集中力が要求され、私のフランス語力では単語や表現の意味はとれても、それを詩的に連鎖させて理解するのが追い付かない。
芝居のできは、劇評では絶賛されていたようだが、私には今一つに思えた。俳優の練度が今一つ。ここ数日のあいだにフランスで見た数本の芝居の俳優の演技の巧みさ、洗練と比べると、演技のクオリティは明らかに落ちる。俳優の練度が低くても(練度が低いは正確ではないかもしれない。表現のニュアンスが乏しいというか)それを生かす演出というのがあるはずなのだが、演出上の工夫も乏しい。
セゼールの代表作をマルチニークの俳優たち(おそらく)で見られたということは重要な経験だったが、舞台としてはあまり楽しめなかった。
観客は大喝采だった。ただフランス人の観客はどこでもなんでも大喝采しているように思える。大喝采することまで含めて楽しんでいる感じというか。ごくまれに自分たちの思っていたのと激しく異なる表現にブーイングというのがある。
夕食は近所でフォー(ではないかもしれないが)を食べる。チャーハンやおかずものは、日本の大衆中華でも食べられそうなので、パリの中華街飯はフォーを選んでおこうと思った。
カトリック教会では中世以降、ミサなどの典礼はすべてラテン語で行われていたのだが、1960年代の第二バチカン公会議で各国語でミサが行われることが認められて以降、ラテン語でミサを行うことは、全くなくなったわけではないが、きわめてまれになった。聖ピオ十世会はこの決定に反対し、トレント公会議以来のミサ形式を遵守している。東京では公民館のようなところを借りて、月に一、二度、フィリピンから司祭を呼んでミサを行っている。
この一年ぐらい中世の典礼劇に興味を持って読み始めているのだが、典礼劇の多くは典礼儀式の一部だったと考えられているので、その式次第がどうなっているのかが気になった。現在行われている典礼と中世の典礼では、伝統主義者の聖ピオ十世会のものであっても相当大きな違いがあるのだが、実際にミサに参加してその式次第や雰囲気を知ることは、典礼劇理解にとって重要なことではないかと思っている。本当は修道院の聖務日課の様子を知りたいのだけれど、とりあえず信者でなくても参席できる日曜ミサから始めてみることにした。今回は四旬節の時期のミサ典書(もちろんトレント式のミサのもの)をコピーして、シャルドネ教会のミサに参席した。しかし実際のミサは、私の持参したミサ典書のコピーに記述されない式次第も含んでいて、結局よく把握できないまま。まだまだ勉強が足りない。通常文テクストのキリエ、クレドなどは、歌えたのでよしとするか。
日曜日はこの教会では朝8時から「読むミサ」「グレゴリオ聖歌を歌うミサ」「大ミサ」と三つのミサが続くのだがその違いがわからない。私はグレゴリオ聖歌のミサと大ミサに参加したが、大ミサでもグレゴリオ聖歌は歌う。中世ラテン語宗教劇を研究していて、ミサの式次第も頭に入っていないというのはちょっと恥ずかしい気がする。また機会を見つけて出てみたい。
シャルドネ教会のミサでは少年聖歌隊が聖歌を内陣で歌う。当たり前だがすごく上手だったので「おお」と感動。
意外だったのはミサの参加者の数だ。これまでガラガラの教会しか見ていなかったし、フランスでは特にカトリック離れが激しいと聞いていたので、聖ピオ十世会というカトリックでも異端的集団のミサだけあって、ひっそりと少人数で行われていると思っていたのだ。ところがそうではなかった。10時半から始まる大ミサには、ミサの身廊の席がほぼ埋まり、おそらく1000人以上の信者が集まっていたのだ。教会の正面大扉が開かれるのも初めて見た。シャルドネ教会は、聖ピオ十世会の活動拠点であり、おそらくパリでは唯一ということもあって、熱心な信者が集まるのかもしれない。
カトリック教会は政治的保守主義と結びつくことが多いが、カトリックのなかでも急進派である聖ピウス教会もその傾向があり、フランスの極右政党であるFNの党首マリーヌ・ルペンの三人の子供はここで洗礼を受けたとウィキペディアに記述があった。マリーの父親であるジャン=マリー・ルペンも定期的にこの教会のミサに出ているそうだ。カトリック教会(に限らないか。アメリカではプロテスタント教会は保守主義に近い)が政治的保守主義となぜ結びつくのかについては、いろんな人の解説があるはずだ。以前調べたような気もするのだが、帰国したらまた調べ直してみたい。
昼食はパリで長年ガイドをやっているジュリーさんと一緒に教会近くのカフェで食べた。ジュリーさんはパリの軽犯罪情報についてツィッターで流しているのにまず興味を持ち、それからFBで交流を持ち、昨年夏に彼女が日本に来た時に会って大衆演劇を一緒に見にいった。私と同い年のパワフルな女性だ。彼女はカトリック信者なので、カトリックから見た聖ピオ十世会の話であるとか、ガイドでのいろいろなエピソードなど興味深い話をいろいろ聞いた。
ジュリーさんと別れてから、ノートルダム大聖堂とクリュニー美術館を見学し、それからRERのB線に乗ってパリの南郊外、ソーSceauxにあるジェモーLes Gémeaux劇場に芝居を見に行った。ここでカリブ海にあるフランス海外県、マルティニーク島の大作家、エメ・セゼールの『クリストフ王の悲劇」が上演されることを昨日知って、予約を入れたのだ。今日の公演が千秋楽だった。
文学者であり政治家でもあるエメ・セゼールについてはその名前ぐらいは知っていたけれど、興味を持ったのは昨年春にカリブ海文学を専門とする立花英裕先生の講演を日仏文化協会で聞いたのがきっかけだ。彼は1960年代に何編かの戯曲を書いていて、その紹介を立花先生がその講演でしたのだ。世界最初の黒人国家、ハイチ独立についての戯曲『クリストフ王の悲劇』はセゼールの代表作であり、日本語訳も出版されている。立花先生の話を聞いた後、日本語訳を読んだのだが、今回、上演を見られるのはとてもラッキーだった。日本ではまずこの戯曲が上演されることはないだろう。フランスでもそんなに頻繁に上演されるとは思えない。
マルティニークの俳優たち、カンパニーなのだろうか、数多くの登場人物がいる芝居だが俳優はほとんどが黒人だった。そしてそのフランス語も、フランスのパリのフランス語とは明らかに異なるなまりがある。上演時間は2時間40分ほど。休憩はなかった。舞台奥にはピアノ、チェロ、ベース、ドラムのバンドがいた。
ハイチ独立達成後に、民族的英雄から独裁者と変貌してしまい、その政治的矛盾のなかで窮地に陥っていくクリストフ王とハイチ民衆の姿が描かれている。フランスのことばの演劇の伝統を引き継いだような膨大なセリフ量で表現もかなり詩的だ。正直なところ、耳での理解は相当な集中力が要求され、私のフランス語力では単語や表現の意味はとれても、それを詩的に連鎖させて理解するのが追い付かない。
芝居のできは、劇評では絶賛されていたようだが、私には今一つに思えた。俳優の練度が今一つ。ここ数日のあいだにフランスで見た数本の芝居の俳優の演技の巧みさ、洗練と比べると、演技のクオリティは明らかに落ちる。俳優の練度が低くても(練度が低いは正確ではないかもしれない。表現のニュアンスが乏しいというか)それを生かす演出というのがあるはずなのだが、演出上の工夫も乏しい。
セゼールの代表作をマルチニークの俳優たち(おそらく)で見られたということは重要な経験だったが、舞台としてはあまり楽しめなかった。
観客は大喝采だった。ただフランス人の観客はどこでもなんでも大喝采しているように思える。大喝采することまで含めて楽しんでいる感じというか。ごくまれに自分たちの思っていたのと激しく異なる表現にブーイングというのがある。
夕食は近所でフォー(ではないかもしれないが)を食べる。チャーハンやおかずものは、日本の大衆中華でも食べられそうなので、パリの中華街飯はフォーを選んでおこうと思った。
2017年3月12日日曜日
レンヌ・カン・パリ2017春(7)3/11
宿舎で遅めの時間に朝ごはんをたっぷり食べて、昼間はフランス国立図書館の研究用閲覧室で勉強して、夕方いったん宿舎に戻る。途中で焼き栗を買って、ぽりぽり食いながらかえった。中華料理店で午後7時前に飯を食べたあと、トラムに乗って芝居を見に行った。最高にシニカルで刺激的で面白い芝居だった。
今日は誰とも話さない日だった。しかしこんな生活は夢のような生活と言えるのではないか。静かで平穏で、そして自分の好きなことしかしていない。労働しないというのは素晴らしいことだ。専任教員になって研究休暇を取ることができれば、こんな生活を一年間続けることができるのだ。何ということだろう!
残念ながらこうした夢のような生活はあと数日で終わりだ。来週の水曜日には帰国する。
パリでは芝居を見る予定は全く入れていなかった。日本出国前からオーバーフローの状況で芝居の検討をする時間がまったくなかったのだ。ニース滞在中もなんやかんやで時間の余裕がなかった。
ニースで地中海難民を扱った『エスペランサ』という優れた舞台を見て、そのあとカーンで竹中香子さんが出演しているヴァンサン作・演出の『夢とメタモルフォーゼ』を見た。そして昨夜、『夢とメタモルフォーゼ』に出演している俳優が作・演出をしている『夫婦間暴力の風景』という作品を見た。いずれも見ごたえのある秀作ばかりで、やはりせっかくパリにいるのだから滞在中は芝居をできるだけ見てみたいと思うようになった。劇場でもらった無料の演劇情報誌『La Terrasse』をめくると、さすが演劇の国、そしてスペクタクルの町パリ、日本ではまず見られないような面白そうな演目が目白押しだ。
今夜は15区の端、ブラッサンス公園のそばにあるモンフォール劇場で、26000 couverts(2万6千人分の食器という意味)の「よく考えてみると」A bien y réfléchirという作品を見に行った。これも竹中さんに今、パリで話題になっている舞台として教えてもらったものだ。このユニットについては私は全く知識がなかった。モンフォール劇場は1000人ほどの収容人数があると思われるかなり大きな劇場だ。20時半開演だが、20時頃行くと劇場附設のカフェでたくさんの人が食事をとっていた。その劇場が満員になっていた。徹底したメタ演劇性にこだわったマトリョーシカ人形のような入れ子構造の作品。ナンセンスでシニカルでばかばかしい笑い満載だが、知的で挑発的な仕掛けに満ちている。最高の芝居だった。パリで芝居を見るならやはりこういうものを見ておきたい、といった感じの芝居。
大満足。
2017年3月11日土曜日
レンヌ・カン・パリ2017春(6)3/10
寝坊して朝起きたら9時半。宿泊先の朝食の時間が10時までなので、急いで下の食堂に降りる。部屋に自炊設備が整っていたので朝食を頼む必要はなかったのだが、頼んでしまったからにはちゃんと食べなければもったいない。
今日はフランス国立図書館(BnF)に行った。パリに来たのが10年ぶりなので、BnFも10年ぶりだ。10年前の研究者用入館カードがあるけれど、当然これは失効していて作り直さなければならない。研究用閲覧室を利用するには、BnFの担当司書と面談が必要になる。研究者用カード作成には所属研究機関の英文証明書が必要だとウェブページにあったが、出国前はごたごたして用意する暇がなかった。面倒な話になったらいやだなと思いながら、司書のカウンターに行った。フランス語で書いた論文の抜き刷りと必要な文献が記載されている書誌を見せて、何とかしてもらおうと思っていたのだが、面談した司書は10年前のカードを見て「ああ、いいよ。研究カード出せるから」とすぐに研究者用入館カードを発行してくれた。担当者の裁量でこういう融通の利かせ方をしてくれるのがフランスのいいところだ。ただし官僚的な対応の担当にあたると、どんなに粘ってもダメなこともある。いずれにせよ入館証発行されて、パリ滞在中の昼間の居所は確保できた。
早速研究閲覧室に入り、午後4時ごろまでそこで過ごす。
午後4時過ぎに図書館を出て、宿舎に戻る。途中、フォーを食べた。夜に観劇するのでこれが昼飯と夕飯を兼ねることになる。中華食堂はノンストップで営業しているし、サービスが早いのでありがたい。値段も安いし、味もはずれが少ない。
フォーを食べたあと、スーパーで洗濯用洗剤や食料品を購入。
夜はパリ北部郊外のサントゥアンにあるespace1789という劇場に芝居を見に行った。ヴァンサンの『夢とメタモルフォーゼ』に出演している俳優、ジェラール・ワトキンス作・演出の作品で、竹中さんに教えてもらった。『夫婦間暴力の舞台』というタイトルの作品で、二組の夫婦(一組は若い夫婦、もう一組は中年の夫婦)の夫婦暴力の過程が描きだされる。ドラムの生演奏が音楽としてついていて、このドラムはYuko Oshimaという日本人女性が演奏している。彼女は途中、俳優としても劇に参加する。
この作品の感想についてはまた別に書きたい。非常にいい作品だった。
サントゥアンはパリ北部郊外の典型みたいな雰囲気があり、劇場に向かう行きは単なる下町という感じであったが、劇終了後の午後10時半ごろには歩道にたむろした少年たちが、歩道をバイクで走り回って喜んでいるという、周りはあまり楽しくない騒ぎ方をしていた。
サントゥアンから私の住む中華街の端までは、13番線の地下鉄でポルト・ド・ヴァンヴへ、それからトラムで東側に移動で、パリをT字の左半分のかたちに移動することになる。時間は1時間ほど、けっこうかかった。
帰ってから洗濯。洗濯は地下一階の洗濯場でやるのだが、ここからエレベータで上に上がるにはエレベータのボタンの下にある鍵穴にホテルからもらったキーを差し込まなくてはならない。ところが私がもらったキーはなぜか鍵穴に入らない。上に上がろうと階段を探して上がると、そこは一階のフロントではなく暗い中庭だった。戻ろうとしたらドアがオートロックになって戻れない。ちょっとパニックになる。
結局暗いなか、中庭を建物の壁沿いにぐるっと一周して、ホテルの入り口に到達した。
フロントに「エレベーターのキーが回らないのだけれど」と言うと、
「ああ、ちょくちょくなぜかわからないけれど、キーが機能しないことがあるんだ。替えてあげるよ」
という返事。
「地下一階に閉じ込められたと思ってパニッくったよ」
と言うと
「階段上ってくればいいじゃないか」と笑っていた。
「階段上ったらここじゃなくて中庭に出た」
「その階段じゃだめだったんだな。まあここに来れたんだからよかったじゃないか。キーを替えたから今度は大丈夫なはず」
と説得された。
今日はフランス国立図書館(BnF)に行った。パリに来たのが10年ぶりなので、BnFも10年ぶりだ。10年前の研究者用入館カードがあるけれど、当然これは失効していて作り直さなければならない。研究用閲覧室を利用するには、BnFの担当司書と面談が必要になる。研究者用カード作成には所属研究機関の英文証明書が必要だとウェブページにあったが、出国前はごたごたして用意する暇がなかった。面倒な話になったらいやだなと思いながら、司書のカウンターに行った。フランス語で書いた論文の抜き刷りと必要な文献が記載されている書誌を見せて、何とかしてもらおうと思っていたのだが、面談した司書は10年前のカードを見て「ああ、いいよ。研究カード出せるから」とすぐに研究者用入館カードを発行してくれた。担当者の裁量でこういう融通の利かせ方をしてくれるのがフランスのいいところだ。ただし官僚的な対応の担当にあたると、どんなに粘ってもダメなこともある。いずれにせよ入館証発行されて、パリ滞在中の昼間の居所は確保できた。
早速研究閲覧室に入り、午後4時ごろまでそこで過ごす。
午後4時過ぎに図書館を出て、宿舎に戻る。途中、フォーを食べた。夜に観劇するのでこれが昼飯と夕飯を兼ねることになる。中華食堂はノンストップで営業しているし、サービスが早いのでありがたい。値段も安いし、味もはずれが少ない。
フォーを食べたあと、スーパーで洗濯用洗剤や食料品を購入。
夜はパリ北部郊外のサントゥアンにあるespace1789という劇場に芝居を見に行った。ヴァンサンの『夢とメタモルフォーゼ』に出演している俳優、ジェラール・ワトキンス作・演出の作品で、竹中さんに教えてもらった。『夫婦間暴力の舞台』というタイトルの作品で、二組の夫婦(一組は若い夫婦、もう一組は中年の夫婦)の夫婦暴力の過程が描きだされる。ドラムの生演奏が音楽としてついていて、このドラムはYuko Oshimaという日本人女性が演奏している。彼女は途中、俳優としても劇に参加する。
この作品の感想についてはまた別に書きたい。非常にいい作品だった。
サントゥアンはパリ北部郊外の典型みたいな雰囲気があり、劇場に向かう行きは単なる下町という感じであったが、劇終了後の午後10時半ごろには歩道にたむろした少年たちが、歩道をバイクで走り回って喜んでいるという、周りはあまり楽しくない騒ぎ方をしていた。
サントゥアンから私の住む中華街の端までは、13番線の地下鉄でポルト・ド・ヴァンヴへ、それからトラムで東側に移動で、パリをT字の左半分のかたちに移動することになる。時間は1時間ほど、けっこうかかった。
帰ってから洗濯。洗濯は地下一階の洗濯場でやるのだが、ここからエレベータで上に上がるにはエレベータのボタンの下にある鍵穴にホテルからもらったキーを差し込まなくてはならない。ところが私がもらったキーはなぜか鍵穴に入らない。上に上がろうと階段を探して上がると、そこは一階のフロントではなく暗い中庭だった。戻ろうとしたらドアがオートロックになって戻れない。ちょっとパニックになる。
結局暗いなか、中庭を建物の壁沿いにぐるっと一周して、ホテルの入り口に到達した。
フロントに「エレベーターのキーが回らないのだけれど」と言うと、
「ああ、ちょくちょくなぜかわからないけれど、キーが機能しないことがあるんだ。替えてあげるよ」
という返事。
「地下一階に閉じ込められたと思ってパニッくったよ」
と言うと
「階段上ってくればいいじゃないか」と笑っていた。
「階段上ったらここじゃなくて中庭に出た」
「その階段じゃだめだったんだな。まあここに来れたんだからよかったじゃないか。キーを替えたから今度は大丈夫なはず」
と説得された。
2017年3月10日金曜日
レンヌ・カン・パリ2017春(5)3/9
カーン最終日、今日も昨日に引き続き、雨模様の日だった。大雨は降らなかったけれど、時折小雨がぱらつく天気。
折り畳み傘をまたどこかに置き忘れていることに気付く。ケバブ屋か劇場だと思うのだが、また探しに行ってなかったらその労力と時間が馬鹿らしい。
一時にランチを竹中香子さんと取る約束をしていたので、それまで町の高台にあるカーン城に行った。12‐13世紀の城塞だったここには美術館とノルマンディ博物館がある。この美術館の評価が私が愛用するガイド『ルタール』ではかなり高かった。
城塞の中は円形の広場のようになっていて、その中にいくつかの建物がある。中央の教会が切符売り場。美術館と博物館のセットチケットが6ユーロと安い。
美術館には16世紀ルネサンスから現代にいたる作品が並んでいる。16世紀イタリアの画家の作品のなかに、私が見たことがない聖セバスチャン像が3作品あった。16世紀におけるこの聖人の人気の高さがわかる。矢に打たれて殉教した聖セバスチャンは19世紀に同性愛者の守護聖人となった。ダヌンツィオが中世フランスの聖史劇をモデルに書き、ドビュッシーが音楽をつけ、バレエ・リュスのイダ・ルビンシュタインが聖人を演じた作品がある。三島由紀夫が翻訳している。数年前からこの作品に関心を持っていろいろ調べている。
美術館の常設展の作品は知らない作家の作品が多かったが、そのクオリティは高い。美術の点では地方の美術館でもこのレベルなのだから、日本の美術館はとうてい太刀打ちできない。このところオウィディウスの『変身物語』や聖書や聖者伝をモチーフとする演劇作品に関心を持ち調べている。パリに行ったらやはりルーブル美術館に行って、自分が関心があるモチーフの絵画を探しておこうと思った。
常設展のコレクションもよかったが、特別展のマルク・デグランシャン Marc Desgrandchampsもよかった。不安定で繊細な心理状況を反映したかのような不思議な人物と風景を描く画家だ。おばあさんの団体対象に学芸員がレクチャーをやっていて、その団体に交じってそのレクチャーを聞きながら作品を見た。若い女性の学芸員だったが、この解説が素晴らしいものだった。絵にあるいくつかのモチーフを解釈するためのキーワードを提示し、そこから豊かな語彙と表現で描かれた世界を敷衍していく。画家とのインタビューの内容や絵に反映された古典作品の引用なども説明に加えていく。紹介の構成もよく練られていたし、その動作さや表情の変化もまるで女優やダンサーの演技のように優雅で美しかった。フランスはこの手のガイドの解説のレベルが高い。どこでもしっかり勉強させられてしまう。
竹中さんとのランチは、『ルタール』で紹介されていた旧市街のフランス料理屋に行った。『ルタール』の食べ物とホテルの記述は、私はかなり信用している。もともとはバックパッカー向けなので安いレストランも紹介されているのもありがたい。今日入ったのは私にとってはちょっとぜいたくめのレストランで、昼の定食が20ユーロ。この値段で主菜+デザート+飲み物になっている。メインにトリップ(牛のモツ煮込み)があったので私は迷わずそれを選ぶ。前からフランスでモツを食べたかったのだ。このモツ煮込みはカーンの名物料理らしい。竹中さんはサケの料理を頼む。
このモツ煮込みが絶品だった。ボリュームもあるし。まさにフランスでこういうものが食べたかったんだという感じ。大満足である。店のおじいさんも愛想がよく、気持ちよく食事をすることができた。
食事後、竹中さんと別れ、私はバスに乗ってカーン戦争記念博物館に行く。ここは『ルタール』で高評価。そして入場料も19ユーロとこの手の博物館では別格に高い。行くと中学生の団体が校外学習でたくさん来ていた。
内容は第二次世界大戦以前と第二次世界大戦以後の世界についての膨大な写真、映像、テクスト資料である。もちろん兵器や軍服などの実物の展示もある。しかしその質と量に圧倒される。昨日のバイユーの戦史博物館の数倍の規模だ。
日本も戦争に勝っていたらこんな博物館を作っていただろうか。第二次世界大戦における日本についても多くの展示があった。南京大虐殺やパールハーバーについても。ただし原爆についてはなかった。ドイツにはこの種の戦争博物館はあるのだろうか。
展示内容は必ずしもフランス万歳にはなっていない。戦争をさまざまな資料から立体的に提示することを目指したきわめて教育的な内容だ。こうした博物館・美術館での教育的側面については、フランスは本当に大したものだと思う。しっかり見て回れば、丸一日はゆうに過ごせる内容の博物館だった。第二次世界大戦から冷戦終了まで膨大な資料が展示されていたが、フランスの植民地支配やアルジェリア戦争などの自国の暗部はこの戦争博物館では当然展示されていない。
戦争博物館のあとは、ノルマンディ公ギヨームが眠る男子大修道院とその付属教会に行った。男子修道院の建物の一部は市庁舎として使われている。付属教会は巨大だが中はがらんとして装飾は控えめだ。私以外に誰もいなかった。
バスを乗り継いで宿に戻り、スーツケースを受け取る。タクシーで駅へ。
カーンには二泊したが、どこでも人の応対は感じがよかった。カーンから特急列車でパリへ。時間は2時間弱、料金は18ユーロ。パリのサンラザール駅に着いたのは午後9時前だった。
サンラザール駅から13区の端にある宿泊所へはタクシーで行った。20ユーロ。
10年ぶりのパリだ。やはり大都市だなあと思う。13区は中華街だ。今回、中華街に宿を取ったのは国立図書館まで行くのが便利なのと、夜に手軽に食べられるフォーなどの店がたくさんあるからだ。13区の中華街には食事や買い物で比較的よく足を運んだが、町を歩いているのはアジア人ばかりでなんとなく落ち着く。
宿はイタリア広場から伸びるショワジー通りの突き当りの近くにある。この辺には高層ビルが建っていてそのうちの一つが宿になっていた。夜遅くにここら辺に来るのは初めてだった。宿に入るには通りから横に伸びるビルのあいだの歩道を通って行かなければならない。この歩道が暗くて、しかも元気のよさそうな若者がたむろしていてかなり物騒な感じだった。宿自体は18階建てのビルで、部屋は広くてきれいだった。
http://www.booking.com/hotel/fr/apparteo-paris-13.ja.html?aid=356982;label=gog235jc-hotel-ja-fr-apparteoNparisN13-unspec-fr-com-L%3Aja-O%3AwindowsSnt-B%3Achrome-N%3AXX-S%3Abo-U%3Ac;sid=a8a128ed94565b6a9bfa60e6cd3ac6f7;checkin=2017-03-26;checkout=2017-03-27;h2h=1;keep_landing=1;redirected=1&
部屋の感じは上のサイトの写真の通り。値段を考えると非常にいいと言っていい。
問題は夜の周囲の環境である。高層ビルのあいだの路地を通って入り口に入るのだが、その路地に危険な香りが漂っている。グーグルマップではわからないことがある。この辺りはよく知っているつもりだったのだが、実際に夜に来てみると思っていたのとは雰囲気が違った。中国人街はなんとなく怖くないと思っていたのだ。安くて清潔、広い、快適ではあるが、夜の周辺環境ゆえに女性にはとうてい薦められない。
すぐ近くに中華料理屋があるのがありがたい。しかも夜遅くまで営業している。一番近くにある中華料理屋で、ビーフンのような細い米麺に鴨肉をのせたラーメンのようなものを食べた。汁麺を食べるのは久々だ。
中国人はわれわれと外観が似ているだけによけ、そのメンタリティと言動パターンに「え、それはないでしょ」と違和感を覚えることは正直たびたびあるのだけれど、フランス留学中・滞在中に中華レストランやスーパーで被った食の恩恵を多大さを思うと、中国人の悪口なんぞ言えるものではない。中華料理屋、食材店のおかげで、どれだけ海外の日本人は救われていることか。
食事のあと、ホテルに戻ると、入り口付近の喫煙場所で煙草を吸っていた女性宿泊客に、黒人少年が近づいてなんか絡んでいるみたいな感じだった。自分が介入するのは怖かった。ホテルにホテルのフロントのスーダン人のところに行き、「悪ガキが外でたばこ吸っている女性にちょっかい出しているみたいだ。出て行ってみてくれ」と頼む。フロントのスーダン人が外に出たときには、若者は向こうに行っていた。
折り畳み傘をまたどこかに置き忘れていることに気付く。ケバブ屋か劇場だと思うのだが、また探しに行ってなかったらその労力と時間が馬鹿らしい。
一時にランチを竹中香子さんと取る約束をしていたので、それまで町の高台にあるカーン城に行った。12‐13世紀の城塞だったここには美術館とノルマンディ博物館がある。この美術館の評価が私が愛用するガイド『ルタール』ではかなり高かった。
城塞の中は円形の広場のようになっていて、その中にいくつかの建物がある。中央の教会が切符売り場。美術館と博物館のセットチケットが6ユーロと安い。
美術館には16世紀ルネサンスから現代にいたる作品が並んでいる。16世紀イタリアの画家の作品のなかに、私が見たことがない聖セバスチャン像が3作品あった。16世紀におけるこの聖人の人気の高さがわかる。矢に打たれて殉教した聖セバスチャンは19世紀に同性愛者の守護聖人となった。ダヌンツィオが中世フランスの聖史劇をモデルに書き、ドビュッシーが音楽をつけ、バレエ・リュスのイダ・ルビンシュタインが聖人を演じた作品がある。三島由紀夫が翻訳している。数年前からこの作品に関心を持っていろいろ調べている。
美術館の常設展の作品は知らない作家の作品が多かったが、そのクオリティは高い。美術の点では地方の美術館でもこのレベルなのだから、日本の美術館はとうてい太刀打ちできない。このところオウィディウスの『変身物語』や聖書や聖者伝をモチーフとする演劇作品に関心を持ち調べている。パリに行ったらやはりルーブル美術館に行って、自分が関心があるモチーフの絵画を探しておこうと思った。
常設展のコレクションもよかったが、特別展のマルク・デグランシャン Marc Desgrandchampsもよかった。不安定で繊細な心理状況を反映したかのような不思議な人物と風景を描く画家だ。おばあさんの団体対象に学芸員がレクチャーをやっていて、その団体に交じってそのレクチャーを聞きながら作品を見た。若い女性の学芸員だったが、この解説が素晴らしいものだった。絵にあるいくつかのモチーフを解釈するためのキーワードを提示し、そこから豊かな語彙と表現で描かれた世界を敷衍していく。画家とのインタビューの内容や絵に反映された古典作品の引用なども説明に加えていく。紹介の構成もよく練られていたし、その動作さや表情の変化もまるで女優やダンサーの演技のように優雅で美しかった。フランスはこの手のガイドの解説のレベルが高い。どこでもしっかり勉強させられてしまう。
竹中さんとのランチは、『ルタール』で紹介されていた旧市街のフランス料理屋に行った。『ルタール』の食べ物とホテルの記述は、私はかなり信用している。もともとはバックパッカー向けなので安いレストランも紹介されているのもありがたい。今日入ったのは私にとってはちょっとぜいたくめのレストランで、昼の定食が20ユーロ。この値段で主菜+デザート+飲み物になっている。メインにトリップ(牛のモツ煮込み)があったので私は迷わずそれを選ぶ。前からフランスでモツを食べたかったのだ。このモツ煮込みはカーンの名物料理らしい。竹中さんはサケの料理を頼む。
このモツ煮込みが絶品だった。ボリュームもあるし。まさにフランスでこういうものが食べたかったんだという感じ。大満足である。店のおじいさんも愛想がよく、気持ちよく食事をすることができた。
食事後、竹中さんと別れ、私はバスに乗ってカーン戦争記念博物館に行く。ここは『ルタール』で高評価。そして入場料も19ユーロとこの手の博物館では別格に高い。行くと中学生の団体が校外学習でたくさん来ていた。
内容は第二次世界大戦以前と第二次世界大戦以後の世界についての膨大な写真、映像、テクスト資料である。もちろん兵器や軍服などの実物の展示もある。しかしその質と量に圧倒される。昨日のバイユーの戦史博物館の数倍の規模だ。
日本も戦争に勝っていたらこんな博物館を作っていただろうか。第二次世界大戦における日本についても多くの展示があった。南京大虐殺やパールハーバーについても。ただし原爆についてはなかった。ドイツにはこの種の戦争博物館はあるのだろうか。
展示内容は必ずしもフランス万歳にはなっていない。戦争をさまざまな資料から立体的に提示することを目指したきわめて教育的な内容だ。こうした博物館・美術館での教育的側面については、フランスは本当に大したものだと思う。しっかり見て回れば、丸一日はゆうに過ごせる内容の博物館だった。第二次世界大戦から冷戦終了まで膨大な資料が展示されていたが、フランスの植民地支配やアルジェリア戦争などの自国の暗部はこの戦争博物館では当然展示されていない。
戦争博物館のあとは、ノルマンディ公ギヨームが眠る男子大修道院とその付属教会に行った。男子修道院の建物の一部は市庁舎として使われている。付属教会は巨大だが中はがらんとして装飾は控えめだ。私以外に誰もいなかった。
バスを乗り継いで宿に戻り、スーツケースを受け取る。タクシーで駅へ。
カーンには二泊したが、どこでも人の応対は感じがよかった。カーンから特急列車でパリへ。時間は2時間弱、料金は18ユーロ。パリのサンラザール駅に着いたのは午後9時前だった。
サンラザール駅から13区の端にある宿泊所へはタクシーで行った。20ユーロ。
10年ぶりのパリだ。やはり大都市だなあと思う。13区は中華街だ。今回、中華街に宿を取ったのは国立図書館まで行くのが便利なのと、夜に手軽に食べられるフォーなどの店がたくさんあるからだ。13区の中華街には食事や買い物で比較的よく足を運んだが、町を歩いているのはアジア人ばかりでなんとなく落ち着く。
宿はイタリア広場から伸びるショワジー通りの突き当りの近くにある。この辺には高層ビルが建っていてそのうちの一つが宿になっていた。夜遅くにここら辺に来るのは初めてだった。宿に入るには通りから横に伸びるビルのあいだの歩道を通って行かなければならない。この歩道が暗くて、しかも元気のよさそうな若者がたむろしていてかなり物騒な感じだった。宿自体は18階建てのビルで、部屋は広くてきれいだった。
http://www.booking.com/hotel/fr/apparteo-paris-13.ja.html?aid=356982;label=gog235jc-hotel-ja-fr-apparteoNparisN13-unspec-fr-com-L%3Aja-O%3AwindowsSnt-B%3Achrome-N%3AXX-S%3Abo-U%3Ac;sid=a8a128ed94565b6a9bfa60e6cd3ac6f7;checkin=2017-03-26;checkout=2017-03-27;h2h=1;keep_landing=1;redirected=1&
部屋の感じは上のサイトの写真の通り。値段を考えると非常にいいと言っていい。
問題は夜の周囲の環境である。高層ビルのあいだの路地を通って入り口に入るのだが、その路地に危険な香りが漂っている。グーグルマップではわからないことがある。この辺りはよく知っているつもりだったのだが、実際に夜に来てみると思っていたのとは雰囲気が違った。中国人街はなんとなく怖くないと思っていたのだ。安くて清潔、広い、快適ではあるが、夜の周辺環境ゆえに女性にはとうてい薦められない。
すぐ近くに中華料理屋があるのがありがたい。しかも夜遅くまで営業している。一番近くにある中華料理屋で、ビーフンのような細い米麺に鴨肉をのせたラーメンのようなものを食べた。汁麺を食べるのは久々だ。
中国人はわれわれと外観が似ているだけによけ、そのメンタリティと言動パターンに「え、それはないでしょ」と違和感を覚えることは正直たびたびあるのだけれど、フランス留学中・滞在中に中華レストランやスーパーで被った食の恩恵を多大さを思うと、中国人の悪口なんぞ言えるものではない。中華料理屋、食材店のおかげで、どれだけ海外の日本人は救われていることか。
食事のあと、ホテルに戻ると、入り口付近の喫煙場所で煙草を吸っていた女性宿泊客に、黒人少年が近づいてなんか絡んでいるみたいな感じだった。自分が介入するのは怖かった。ホテルにホテルのフロントのスーダン人のところに行き、「悪ガキが外でたばこ吸っている女性にちょっかい出しているみたいだ。出て行ってみてくれ」と頼む。フロントのスーダン人が外に出たときには、若者は向こうに行っていた。
2017年3月9日木曜日
レンヌ・カン・パリ2017春(4)3/8
一日中雨模様の日だった。
ニースからブルターニュ、ノルマンディに来て以来、寒い日が続いている。東京では自転車に乗るときしかはかなかったユニクロのタイツを、レンヌ以来はいている。こっちの足元から腰にかけて冷える感じなのだ。3月に入るとだんだん暖かくなると思ったのだが、見込みが甘かった。
今日はカーンから電車で20分ほど離れた場所にあるバイユーに行った。ノルマンディ公ウィリアム(フランス語ではギヨーム)が、イングランドの王位を継承したときの戦いの様子を描いた11世紀の有名なタピスリーがここにある。幅50センチで全長が70メートル近くある布に刺繍で戦いの発端から最後まで、マンガのような感じの絵物語が続く。絵柄はマンガっぽく、横から見た絵だが、闘いや食事、略奪、交渉などの様子はかなりリアルに書き込まれている。簡単なラテン語で絵の様子や人物の説明がやはり刺繍で記されている。上と下の余白にある裸の男女や怪物などの装飾絵も面白い。中世研究者なら一度は見ておきたい作品だ。オーディオガイド(日本語もある)を聞きながら最初から最後まで順番に見ていく。作品保護のため写真撮影はできない。美術館でお土産は滅多に買わないのだが、ここではバイユータピスリーの画集を買った。
バイユーの考古・歴史・工芸・美術博物館とノルマンディ戦史博物館のセットチケットを購入したが、残りの二つの美術館・博物館(フランス語ではどちらもmusée)は昼休みがあって14時まで開かない。町の中心部で開いていたレストランに入り、フィッシュ・アンド・チップスを食べたがボリュームが少なくて物足りない。値段も12ユーロとけっこう高い。この店の「本日のおすすめ料理」はポトフで、そっちのほうがボリュームがあって、おいしそうだった。
飯を食べたあとは、一番古い部分は11世紀のロマネスク時代だというバイユー大聖堂を見学。12世紀後半のゴシック様式の部分も多い大聖堂だった。ステンドグラスが美しい。大聖堂のあとは、近くにあったバイユー考古・歴史・工芸・美術博物館を見た。バイユーは陶器でも知られていて、19世紀の陶器の展示もあった。それからノルマンディ戦史博物館に行く。戦史博物館は町の中心からは離れたところにあり、20分ぐらい雨のなかを歩いた。ノルマンディ上陸作戦についての博物館だが、情報量が多すぎてついて行けなかった。兵器などの展示はそれほど多くない。
戦史博物館の帰り、「ベネディクト修道院のお店。修道院の製品や本など」と書いてある看板を見つけた。帰り道からははずれた路地にあるが、行ってみることにした。店の入り口は明るくてきれいだ。入り口に立つと、修道女のおばあさんが「ボンジュール、マダム」と声をかけてきた。赤い服を着ていたから女性に見えたのだろうか。
客は誰もいない。売っている商品はジャムや酒やシロップ、バターやお菓子など多様な食料品とロザリオや十字架などのグッズ。それと書籍。修道女のおばあさんがひとつひとつ商品について説明する。店内はかなりひろびろしていた。ここの修道院は宿坊もやっているとのこと。「ごはんがとてもおいしいと評判なんですよ」と修道女の人。なかなか商売熱心だ。
一通り説明してもらったし、ニコニコ笑いながら説明する修道女のおばあさんがあまりにも可愛らしかったので、何か買わなければ悪い感じがして、結局ベネディクト会謹製の板チョコを三枚購入した。
バイユーからカーンに戻ったのは午後5時半。今日は7時から竹中香子さんが出演する『夢とメタモルフォーゼ』の公演を見るので、その前におなかに何か入れておきたかった。この公演は上演時間が4時間を超え、終演は夜11時過ぎなる。さっと食べて腹にたまる、そして美味しいとなると、ケバブしかない。駅前に数件ケバブ屋はあったが、グーグルマップで検索して、コメントでこの界隈で一番うまいとあったケバブ屋に行くことにした。カーンの町中はワイルドな雰囲気はないが、駅周辺、とりわけ旧市街と反対側は、いい顔つきの若者たちがけっこうたむろっていてちょっと緊張する。ケバブ屋は駅から歩いて10分ぐらいのところにあった。
まず外からケバブ屋の写真を撮っていると、ケバブ屋の兄ちゃんがニコニコ笑いながら「入ってきなよ」と手を振ってきた。もとよりそこに入るつもりだったので入ると、
「写真撮っていたけれど、あんたはジャーナリストか?」と聞いてくる。
「いやジャーナリストじゃないけれど、ツーリストだ。本物のケバブを探しにやってきたんだ」と答えた。
このケバブ屋の常連客のおばさんがいて、「日本人か?私は日本の着物と寿司が大好きで」と話しかけてくる。ケバブ屋のお兄さんはモロッコ出身だそうだ。22歳のときに、カーン出身の女性と結婚して、モロッコからカーンに。ケバブ屋もそれから初めて8年目。子供は3人いる。ケバブ屋は繁盛していて、一日に300人くらいの客が来る。そのため朝の5時半に店に来てパンを焼いているんだ。といった話を、ケバブを作りながら話してくれた。ケバブはごく標準的なスタイルのケバブ。味も特に特徴はない。おいしかったけれど。私はケバブソースは常にアリッサ・マヨネーズの組み合わせだ。
ケバブを食ったあと、カーン劇場に行った。休憩20分くらいを含み4時間20分の舞台。公演の感想についてはまた別に書く。公演終了後、竹中さんと写真を撮った。うれしい。
ニースからブルターニュ、ノルマンディに来て以来、寒い日が続いている。東京では自転車に乗るときしかはかなかったユニクロのタイツを、レンヌ以来はいている。こっちの足元から腰にかけて冷える感じなのだ。3月に入るとだんだん暖かくなると思ったのだが、見込みが甘かった。
今日はカーンから電車で20分ほど離れた場所にあるバイユーに行った。ノルマンディ公ウィリアム(フランス語ではギヨーム)が、イングランドの王位を継承したときの戦いの様子を描いた11世紀の有名なタピスリーがここにある。幅50センチで全長が70メートル近くある布に刺繍で戦いの発端から最後まで、マンガのような感じの絵物語が続く。絵柄はマンガっぽく、横から見た絵だが、闘いや食事、略奪、交渉などの様子はかなりリアルに書き込まれている。簡単なラテン語で絵の様子や人物の説明がやはり刺繍で記されている。上と下の余白にある裸の男女や怪物などの装飾絵も面白い。中世研究者なら一度は見ておきたい作品だ。オーディオガイド(日本語もある)を聞きながら最初から最後まで順番に見ていく。作品保護のため写真撮影はできない。美術館でお土産は滅多に買わないのだが、ここではバイユータピスリーの画集を買った。
バイユーの考古・歴史・工芸・美術博物館とノルマンディ戦史博物館のセットチケットを購入したが、残りの二つの美術館・博物館(フランス語ではどちらもmusée)は昼休みがあって14時まで開かない。町の中心部で開いていたレストランに入り、フィッシュ・アンド・チップスを食べたがボリュームが少なくて物足りない。値段も12ユーロとけっこう高い。この店の「本日のおすすめ料理」はポトフで、そっちのほうがボリュームがあって、おいしそうだった。
飯を食べたあとは、一番古い部分は11世紀のロマネスク時代だというバイユー大聖堂を見学。12世紀後半のゴシック様式の部分も多い大聖堂だった。ステンドグラスが美しい。大聖堂のあとは、近くにあったバイユー考古・歴史・工芸・美術博物館を見た。バイユーは陶器でも知られていて、19世紀の陶器の展示もあった。それからノルマンディ戦史博物館に行く。戦史博物館は町の中心からは離れたところにあり、20分ぐらい雨のなかを歩いた。ノルマンディ上陸作戦についての博物館だが、情報量が多すぎてついて行けなかった。兵器などの展示はそれほど多くない。
戦史博物館の帰り、「ベネディクト修道院のお店。修道院の製品や本など」と書いてある看板を見つけた。帰り道からははずれた路地にあるが、行ってみることにした。店の入り口は明るくてきれいだ。入り口に立つと、修道女のおばあさんが「ボンジュール、マダム」と声をかけてきた。赤い服を着ていたから女性に見えたのだろうか。
客は誰もいない。売っている商品はジャムや酒やシロップ、バターやお菓子など多様な食料品とロザリオや十字架などのグッズ。それと書籍。修道女のおばあさんがひとつひとつ商品について説明する。店内はかなりひろびろしていた。ここの修道院は宿坊もやっているとのこと。「ごはんがとてもおいしいと評判なんですよ」と修道女の人。なかなか商売熱心だ。
一通り説明してもらったし、ニコニコ笑いながら説明する修道女のおばあさんがあまりにも可愛らしかったので、何か買わなければ悪い感じがして、結局ベネディクト会謹製の板チョコを三枚購入した。
バイユーからカーンに戻ったのは午後5時半。今日は7時から竹中香子さんが出演する『夢とメタモルフォーゼ』の公演を見るので、その前におなかに何か入れておきたかった。この公演は上演時間が4時間を超え、終演は夜11時過ぎなる。さっと食べて腹にたまる、そして美味しいとなると、ケバブしかない。駅前に数件ケバブ屋はあったが、グーグルマップで検索して、コメントでこの界隈で一番うまいとあったケバブ屋に行くことにした。カーンの町中はワイルドな雰囲気はないが、駅周辺、とりわけ旧市街と反対側は、いい顔つきの若者たちがけっこうたむろっていてちょっと緊張する。ケバブ屋は駅から歩いて10分ぐらいのところにあった。
まず外からケバブ屋の写真を撮っていると、ケバブ屋の兄ちゃんがニコニコ笑いながら「入ってきなよ」と手を振ってきた。もとよりそこに入るつもりだったので入ると、
「写真撮っていたけれど、あんたはジャーナリストか?」と聞いてくる。
「いやジャーナリストじゃないけれど、ツーリストだ。本物のケバブを探しにやってきたんだ」と答えた。
このケバブ屋の常連客のおばさんがいて、「日本人か?私は日本の着物と寿司が大好きで」と話しかけてくる。ケバブ屋のお兄さんはモロッコ出身だそうだ。22歳のときに、カーン出身の女性と結婚して、モロッコからカーンに。ケバブ屋もそれから初めて8年目。子供は3人いる。ケバブ屋は繁盛していて、一日に300人くらいの客が来る。そのため朝の5時半に店に来てパンを焼いているんだ。といった話を、ケバブを作りながら話してくれた。ケバブはごく標準的なスタイルのケバブ。味も特に特徴はない。おいしかったけれど。私はケバブソースは常にアリッサ・マヨネーズの組み合わせだ。
ケバブを食ったあと、カーン劇場に行った。休憩20分くらいを含み4時間20分の舞台。公演の感想についてはまた別に書く。公演終了後、竹中さんと写真を撮った。うれしい。
2017年3月8日水曜日
レンヌ・カン・パリ2017春(3)3/7
フランスでの宿泊は、安ホテルばかり泊まっているからではあるが、ろくな思い出がないのだが、レンヌのホテルは清潔で明るく、快適だった。スタッフもみな感じがいい。あまり観光できなかったが、観光ポイントの旧市街にも行きやすい場所だし、駅にも10分ほどでスーツケースを転がして歩いて行ける距離だ。またレンヌに泊まる機会があったら、このホテルを選ぶだろう。
レンヌからカーンまでは150キロほどだ。TGVを使うとル・マン経由で乗換があり、距離も伸びてしまうので、在来線を使ったほうが早いし、安い。しかしカーン行きの在来線は一日に数本しか走っていない。
夕方6時半にカーンで女優の竹中香子さんと会う約束があったので、それに間に合うようにするとなると朝9時レンヌ発の在来線列車に乗るしかなかった。時間は2時間45分かかり、運賃は38ユーロ。これに乗り遅れると直通便は夕方までないので、朝6時に起床し、余裕をもって8時過ぎにホテルをチェックアウトした。
フランス国鉄では、何番線に列車が入るかは掲示モニタに表示される。レンヌ駅では出発20分前に表示されるとなっているが、9時5分前になってもカーン行き在来線の入線ホームは表示されない。しかし「定刻通り」の表示も出ているので、不安になる。インフォメーションに聞きに行こうと思ったときに、「10分遅れ」の表示が出たので、そのまま待っていることにした。私の乗るカーン行き在来線のみならず、今朝はあらゆる列車が遅延している。なぜ遅延したのかの理由は説明されない。多数の乗客がモニタを見上げ、立ったまま入線ホームの表示を待っていた。
レンヌ駅は大工事中だが、モニタの前はほぼ野外で立っていると足元から冷えてくる。10分遅れとなっていたので、9時10分には出発するのかと思えば、9時10分直前に「20分遅れ」の表示。9時20分の前に「40分遅れ」の表示。こんな具合にずるずると遅延が表示されるというひどいシステムのせいで、立ちっ放しで寒さに震えながらひたすら待たされれるはめになった。60分遅れ、70分遅れとなったときには寒さに耐えられず、かなり離れた場所にある待合室に避難しに行った。待合室に到着すると待合室のモニタに「75分遅れ」とともにようやく到着番線が表示され、またスーツケースを転がしてホーム方面に戻る。
10時15分、予定より75分遅れでようやく出発。走っている途中でも、なぞの長時間停車があって、結局、カーンに着いたのは予定より2時間遅れの1時45分だった。在来線車両は、ニースよりもはるかに清潔で落書きもない。空いていたので、スーツケースも座席にどかっと置くことができた。
宿泊先の受付は、1時から3時まで昼休みなので、すぐに行ってもしかたない。駅前で昼ご飯を食べることにした。
「本日のおすすめ」がアシ・パルマンティエ9ユーロとなっていた店に入った。アシ・パルマンティエは仏作文の教科書に出てきた料理だが、食べたことがなかった。高級レストランではおそらくメニューにないと思う。レストランというより家庭で作る大衆的料理だと思う。マッシュポテトで牛ひき肉を包んだもの、衣なしのコロッケみたいな料理だ。日本の肉じゃがみたいな位置づけの料理だと思う。
がっつりしたボリュームで出てきた。味はまあまあおいしい。感動するほどうまいというわけではないが。殺風景な場末の駅前レストランだったけれど、店員の対応は感じがよかった。
宿泊先は駅から2キロほど離れていたので、タクシーを利用することにした。駅のタクシー乗り場から乗ったのだが、このタクシーの運転手が感じがいい。運転も丁寧だ。レンヌでも空港からホテルまでのタクシーの運転手は感じがよかった。ニースやパリのタクシーも必ずしも運転手の感じが悪い、運転が荒いということはないのだけれど、ブルターニュ、そして今回はじめてきたカーンのサービス業の人たちの対応は、なんとなくニースやパリよりも安心できるような雰囲気がある。人のあたりが柔らかいというか。町全体の空気が穏やかに思われる。気のせいかも知れないが。
カーンのホテルはホテルというよりは、研修用宿泊センターのようなところだった。台所があり自炊ができる。部屋は広くて清潔。この宿泊先もあたりだ。宿泊料も50ユーロと安い。場所はカーンの中心地からちょっと外れたところにあるが、15分ほど歩けば中心地だ。カーンについては何の予備学習もしなかった。1066年にイングランド王になったノルマン人末裔、ノルマンディ公ウィリアム(フランス語ではギヨーム)ゆかりの地であり、彼にかかわる史跡が多数あることを知る。へースティングズの戦いの様子を描いた有名なバイユー・タピスリーが展示されているバイユーの町は、カーンのすぐ隣だ。これは見に行かなくてはならない。ノルマン・コンクェストは、英語とフランス語の関係においても重要な事件だ。また第二次世界大戦のノルマンディ上陸作戦とも関わる。見るべきものは多い町であることを到着してから知る。
夕方会う約束をしていた竹中香子さんから、列車を乗り間違えたため、到着が遅れるという連絡があった。6時半に会って、一時間ほどインタビューしたあと、一緒に食事のつもりだったが、7時半に会ってそのまま食事をしながらインタビューすることにした。竹中さんに会うまでのあいだ、散歩して時間をつぶそうと思ったのだが、今日はとても寒い日で散歩を楽しめるような気温ではなかった。竹中さんの泊まるホテルの前にモノプリがあったので、そこで時間をつぶす。
ガイドブックの『ルタール』で食事を取る店の候補をいくつか調べていたが、寒かったのでホテルの近くの適当な店に入ることにした。グーグルマップで「食事」検索して出てきた店のなかで、一番近くにある店に入った。Mooky'sという店だ。
https://www.tripadvisor.fr/Restaurant_Review-g187182-d7612190-Reviews-Mooky_s-Caen_Calvados_Basse_Normandie_Normandy.html
店はけっこう混んでいたが、予約なしでも入ることができた。メニューを渡されたが、飲み物とハムやチーズの盛り合わせみたいなものしかない。
「あれ?ここレストランだと思ったけれど、バーなのかな?」
と思ったが、いろいろなハムが入っているらしいハムの盛り合わせプレートと飲み物を頼んだ。
しかし食事に来たのに前菜と飲み物だけというのは物足りない。店員に食べ物のメニューはないのかと聞くと、
「食べ物は全部黒板に書いてある。でもとりあえず前菜見てから決めな」
といったことを言う。
そしてハムの盛り合わせが来た。そのボリュームに驚愕。
「すげえ。うそみたいだ」
とか言っていると店員が「でしょ!だからこれを見てから注文したほうがいいって言ったのよ」と。ノルマンディおそるべしである。
このハム盛り合わせとパンでおなか一杯になってしまった。料理を頼まなくてよかった。
竹中さんとはハムをむしゃむしゃ食いながら、昨年秋からツアーで上演を続けている作品のクリエーションの話や学校卒業してプロになったことで何が変わったか、など話を聞いた。
明日の夜、私は作品を見る。そのあとで感想をまた話す機会を設けることにした。
レンヌからカーンまでは150キロほどだ。TGVを使うとル・マン経由で乗換があり、距離も伸びてしまうので、在来線を使ったほうが早いし、安い。しかしカーン行きの在来線は一日に数本しか走っていない。
夕方6時半にカーンで女優の竹中香子さんと会う約束があったので、それに間に合うようにするとなると朝9時レンヌ発の在来線列車に乗るしかなかった。時間は2時間45分かかり、運賃は38ユーロ。これに乗り遅れると直通便は夕方までないので、朝6時に起床し、余裕をもって8時過ぎにホテルをチェックアウトした。
フランス国鉄では、何番線に列車が入るかは掲示モニタに表示される。レンヌ駅では出発20分前に表示されるとなっているが、9時5分前になってもカーン行き在来線の入線ホームは表示されない。しかし「定刻通り」の表示も出ているので、不安になる。インフォメーションに聞きに行こうと思ったときに、「10分遅れ」の表示が出たので、そのまま待っていることにした。私の乗るカーン行き在来線のみならず、今朝はあらゆる列車が遅延している。なぜ遅延したのかの理由は説明されない。多数の乗客がモニタを見上げ、立ったまま入線ホームの表示を待っていた。
レンヌ駅は大工事中だが、モニタの前はほぼ野外で立っていると足元から冷えてくる。10分遅れとなっていたので、9時10分には出発するのかと思えば、9時10分直前に「20分遅れ」の表示。9時20分の前に「40分遅れ」の表示。こんな具合にずるずると遅延が表示されるというひどいシステムのせいで、立ちっ放しで寒さに震えながらひたすら待たされれるはめになった。60分遅れ、70分遅れとなったときには寒さに耐えられず、かなり離れた場所にある待合室に避難しに行った。待合室に到着すると待合室のモニタに「75分遅れ」とともにようやく到着番線が表示され、またスーツケースを転がしてホーム方面に戻る。
10時15分、予定より75分遅れでようやく出発。走っている途中でも、なぞの長時間停車があって、結局、カーンに着いたのは予定より2時間遅れの1時45分だった。在来線車両は、ニースよりもはるかに清潔で落書きもない。空いていたので、スーツケースも座席にどかっと置くことができた。
宿泊先の受付は、1時から3時まで昼休みなので、すぐに行ってもしかたない。駅前で昼ご飯を食べることにした。
「本日のおすすめ」がアシ・パルマンティエ9ユーロとなっていた店に入った。アシ・パルマンティエは仏作文の教科書に出てきた料理だが、食べたことがなかった。高級レストランではおそらくメニューにないと思う。レストランというより家庭で作る大衆的料理だと思う。マッシュポテトで牛ひき肉を包んだもの、衣なしのコロッケみたいな料理だ。日本の肉じゃがみたいな位置づけの料理だと思う。
がっつりしたボリュームで出てきた。味はまあまあおいしい。感動するほどうまいというわけではないが。殺風景な場末の駅前レストランだったけれど、店員の対応は感じがよかった。
宿泊先は駅から2キロほど離れていたので、タクシーを利用することにした。駅のタクシー乗り場から乗ったのだが、このタクシーの運転手が感じがいい。運転も丁寧だ。レンヌでも空港からホテルまでのタクシーの運転手は感じがよかった。ニースやパリのタクシーも必ずしも運転手の感じが悪い、運転が荒いということはないのだけれど、ブルターニュ、そして今回はじめてきたカーンのサービス業の人たちの対応は、なんとなくニースやパリよりも安心できるような雰囲気がある。人のあたりが柔らかいというか。町全体の空気が穏やかに思われる。気のせいかも知れないが。
カーンのホテルはホテルというよりは、研修用宿泊センターのようなところだった。台所があり自炊ができる。部屋は広くて清潔。この宿泊先もあたりだ。宿泊料も50ユーロと安い。場所はカーンの中心地からちょっと外れたところにあるが、15分ほど歩けば中心地だ。カーンについては何の予備学習もしなかった。1066年にイングランド王になったノルマン人末裔、ノルマンディ公ウィリアム(フランス語ではギヨーム)ゆかりの地であり、彼にかかわる史跡が多数あることを知る。へースティングズの戦いの様子を描いた有名なバイユー・タピスリーが展示されているバイユーの町は、カーンのすぐ隣だ。これは見に行かなくてはならない。ノルマン・コンクェストは、英語とフランス語の関係においても重要な事件だ。また第二次世界大戦のノルマンディ上陸作戦とも関わる。見るべきものは多い町であることを到着してから知る。
夕方会う約束をしていた竹中香子さんから、列車を乗り間違えたため、到着が遅れるという連絡があった。6時半に会って、一時間ほどインタビューしたあと、一緒に食事のつもりだったが、7時半に会ってそのまま食事をしながらインタビューすることにした。竹中さんに会うまでのあいだ、散歩して時間をつぶそうと思ったのだが、今日はとても寒い日で散歩を楽しめるような気温ではなかった。竹中さんの泊まるホテルの前にモノプリがあったので、そこで時間をつぶす。
ガイドブックの『ルタール』で食事を取る店の候補をいくつか調べていたが、寒かったのでホテルの近くの適当な店に入ることにした。グーグルマップで「食事」検索して出てきた店のなかで、一番近くにある店に入った。Mooky'sという店だ。
https://www.tripadvisor.fr/Restaurant_Review-g187182-d7612190-Reviews-Mooky_s-Caen_Calvados_Basse_Normandie_Normandy.html
店はけっこう混んでいたが、予約なしでも入ることができた。メニューを渡されたが、飲み物とハムやチーズの盛り合わせみたいなものしかない。
「あれ?ここレストランだと思ったけれど、バーなのかな?」
と思ったが、いろいろなハムが入っているらしいハムの盛り合わせプレートと飲み物を頼んだ。
しかし食事に来たのに前菜と飲み物だけというのは物足りない。店員に食べ物のメニューはないのかと聞くと、
「食べ物は全部黒板に書いてある。でもとりあえず前菜見てから決めな」
といったことを言う。
そしてハムの盛り合わせが来た。そのボリュームに驚愕。
「すげえ。うそみたいだ」
とか言っていると店員が「でしょ!だからこれを見てから注文したほうがいいって言ったのよ」と。ノルマンディおそるべしである。
このハム盛り合わせとパンでおなか一杯になってしまった。料理を頼まなくてよかった。
竹中さんとはハムをむしゃむしゃ食いながら、昨年秋からツアーで上演を続けている作品のクリエーションの話や学校卒業してプロになったことで何が変わったか、など話を聞いた。
明日の夜、私は作品を見る。そのあとで感想をまた話す機会を設けることにした。
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