2016年4月1日金曜日

海外戯曲上演における翻訳者のクレジットについて

2/6(土)にこまばアゴラ劇場で見た双身機関の『しあわせな日々』の上演を見たあと、私は以下のようなツィートをしました。

「片山 幹生@camin
双身機関『しあわせの日々』当パンに翻訳者のクレジットなし。「何で?」と思う。自分で訳したのか?使った翻訳を記さずに上演するのはここに限ったことではないけど。個人的には翻訳者の存在をないがしろにして上演するような演劇人は、古典作品を上演する資格はないと思っている。
posted at 18:02:43 」
このツィートにはかなり大きな反響があり(このツィートに対する反発もありました)、劇団主宰者からはこのツィートに対して以下のリプライを頂きました。
「寂光根隅的父@jakopapa
@camin ご指摘有難うございます。作品創作と慣れない旅公演の準備に忙殺されており、失念してしまっておりました。今回のことは取り返しがつきませんが、以後気をつけてまいりたいと思います。」
また小劇場支援サイトfringeの方から(@fringejp)から主催劇場にも責任があるのではないか、主催劇場にもこの件について劇場支援会員として問い合わせをしてはどうか?という指摘を頂き、劇場にメールを出したところ、劇場総監督の平田オリザの名前で以下のような見解が劇場ウェブページに掲載されました。
http://www.komaba-agora.com/2016/02/3852

また上演団体の双身機関も団体のホームページででこの件について見解を表明しています。
http://soushinkikan.org/index.htm

実際には双身機関に限らず、海外戯曲(とりわけ古典戯曲)の上演にあたって、翻訳者クレジットを明記しない団体は珍しくありません。

私が熱烈に支持しているSPACが主催する「ふじのくに⇄せかい演劇祭」で昨年上演された中島諒人演出、デュレンマット作『天使バビロンに来たる』でも翻訳者クレジットが記されておらず、私は観客発信メディア WLに発表した劇評のなかでそのことを指摘しています。
中島諒人の構成・演出となっている『天使バビロンに来たる』で私がまず気になったのは、彼が台本作成の際に参照したに違いない翻訳への言及が当日パンフやガイドブックになかったことだ。冒頭に記した通り、デュレンマットはドイツ語圏スイスの作家で、その作品はドイツ語で書かれている。中島諒人がドイツ語原典から直接翻訳した可能性がないわけではない。しかし彼自身がもし原文から翻訳したのであれば、そのことは当然記載するだろう。台本のテクストレジにあたって、中島が既訳を参照したことはほぼ間違いないはずだ。おそらく上記の木村英二訳も参照しただろう。いくら言葉や場面の順序を変更してたと言っても、他人が翻訳したテクストを利用しながらこのことを記さないというのは、創作家の倫理として問題ではないだろうか? 実は翻訳ものの上演で、翻訳を(おそらく)参照しているにも限らずそれを記さない演劇人は少なくない。「みんながやっている」ということで麻痺しているところがあるのだと思う。

SCOT主宰の鈴木忠志の古典劇公演では、翻訳者クレジットが記されていないことが度々ありますので、おそらく利賀と関わりがある多くの演劇人たちのあいだでは翻訳者クレジットに関する意識が薄いのではないかという気が私はしています。

原作をかなりデフォルメしたものであっても、原文を直接参照した上で、自分で翻訳作業をしていない限り、翻訳者クレジットは翻訳者に対する礼儀として必要なものであるというのが私の考えです。原文にアクセスできない者は、原文の作者の言葉には実際には全く触れていません。彼らが参照しているのは、翻訳者の日本語(ないし他の仲介言語)であり、それは原文の意味を多かれ少なかれ伝えるものであっても、原著者のことばではなく、翻訳者のことばです。翻訳の存在なくては、作品にアクセスすることはできなかったのですから、たとえ大胆な翻案であっても翻訳者の存在を蔑ろにしていいわけがありません。

私は早稲田の小田島恒志先生の戯曲翻訳の授業に数年間、モグリの学生として出ていましたが、そこで演劇について実に多くのことを学びました。そして戯曲翻訳にあたって、翻訳者がどれほど多くの工夫を行っているかも多くの具体的な事例を通して知りました。一つの訳語の選択にあたって、どれほどの知識とセンスが必要とされるか。

訳語、文体の選択は、既にテクストの解釈そのものです。小田島恒志先生はとりわけ周到に(ときに親切すぎるぐらい)上演言語としての戯曲翻訳のあり方に気を配る翻訳者であると思いますが、海外戯曲を上演する演劇人は翻訳にどれほどの知性と労力が投入されているかについての想像力があれば、上演にあたって翻訳者の存在をないがしろにすることはできないはずです。

古典作品においては翻訳の前段階で、テクストの校訂という作業が必要となります。手稿やさまざまな異本を検討し、そこから信頼できるテクストを構築する作業です。この校訂という作業は、翻訳という作業以上に一般には知られていませんが(翻訳者にもこの校訂という作業について無頓着な人が少なくありません)、とりわけ近代以前のテクストについては校訂という作業を経て、活字本として刊行されない限り、一般の読者は古いテクストにアクセスすることはできません。この校訂作業にも膨大な知力と労力が投入されています。

表現者であることを自認するならば、自分が知力と労力を注いで作った表現が、他者に何の断りもなく使用されたときに、それを心穏やかに平然と容認することができるでしょうか? 翻訳者クレジットを記さず、海外戯曲を上演する演劇人がやっているのは、他者の労力と経験、知識にただ乗りした上で、それに言及せずに利用しているという行為に他なりません。

今回、また別の団体の公演案内で、翻訳者クレジットがないものがあったのを目にしたことがきっかけで、こうした文章を残すことにしました。今後も翻訳者クレジットがない公演について私が劇評を書く場合は、いちいちこのことを記していきたいと思います。

2015年11月8日日曜日

日仏演劇協会主催 横山義志氏(SPAC文芸部)講演会『アヴィニョン演劇祭2015概観~今シーズンのフランス演劇の注目作品をめぐって』レポート

https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj4k1QWwEtaK3hdIvipqY-v5lN6d_6QgFmb7qZXbKWnB8GD0J294FnErMBzP-Q5DHd6jIYoljGOzUC26Q5IPWAM-ruEue-g3cXAlzC5jnD13dPxLQsB2IOARd1BLoP8GKAfrV4cyVbAq18/s320/Festival+Avignon+logo.jpeg
【日仏演劇協会主催講演会】
アヴィニョン演劇祭2015概観
今シーズンのフランス演劇の注目作品をめぐって


報告者:横山義志氏(SPAC 静岡県舞台芸術センター文芸部)

聞き手:片山幹生(早稲田大学非常勤講師、観客発信メディアWLスタッフ

日時:2015/10/23(金)1830分〜 

場所:専修大学7号館772教室






◇◇◇◇◇◇◇

日仏演劇協会の研究会に静岡県舞台芸術センター(SPAC)の横山義志氏を招き、7月に開催されたアヴィニョン演劇祭2015の様子、今年のフランス演劇の注目作品についてお話を聞きました

アヴィニョン演劇祭にはいつごろから行かれているのですか?
SPACで働き始めた2007年からは毎年行っています。SPACの演劇祭に招聘する作品の候補を探しに行くのが目的です。だいたい二週間ぐらい滞在することが多いのですが、今年の滞在は5日間でした。この5日間で約20本の公演を見ました。演劇祭で演劇を見て回る楽しい仕事だと思われるかもしれませんが、一日3、4本の公演を連日見たり、いろいろ人と会ったりするので、実は体力的にはかなり大変です。

チケットと宿泊先の手配は横山さんご自身で行われているのですか?
はい、自分でやっています。チケットについてはプロフェッショナル向けの扱いがあり、一般予約が開始されるより前(5月頃)に予約します。プロ向けの割引はありますが、アヴィニョン演劇祭はチケット収入の割合が高いため、招待公演はほとんどありません。

演劇祭中の宿泊は、私は友人宅を利用しています。最初に行ったときは個人間の部屋貸し借りのシステムを利用して探したのですが、そのうちに貸主と仲よくなって友達になり泊めてもらうようになったり、部屋が空いていない場合は、ほかの人を紹介してもらうようになりました。演劇祭期間中は、居住している住居を演劇祭に来る人たちに貸すアヴィニョン住人はかなり多いのです。個人間貸し借りはフランス語ができないと難しいと思いますが。ホテルを探すとなると2月ないし3月ごろには予約しないと、市内の便利な場所で、比較的値段の安い宿泊先を見つけるのは難しいと多います。

見る作品を選ぶポイントは何ですか?
見るのは主に演劇祭の公式プログラムの作品です。SPACとしての作品選定の基準は明確で、要は劇団SPACの活動に刺激を与えうるような公演を選びます。独自の身体的メソッドを持っていて、俳優のありかたを重視するような作品ですね。毎年2月か3月に演劇祭のだいたいのラインナップが発表あります。日程等の詳細が決まるのは4月ないし5月頃です。

今年のアヴィニョンの演劇祭の雰囲気は総体的にどのようなものでしたか?
昨年2014年にオリヴィエ・ピィが演劇祭総監督に就任して、今年はその二年目にあたります。ピィ以前は、ヤン・ファーブルなどのパフォーマンス系やポスト・ドラマ演劇的なプログラムが重視されていたのですが、ピィが総監督に就任してからはいわゆる演劇的な作品がプログラムの中心になりました。「偉大なテクスト、偉大な俳優」による演劇ですね。フランス演劇も以前より上演が増えています。また今年はラテン・アメリカの作品が特集されていました。全体的にはメイン会場の法王庁中庭で上演されたピィの『リア王』などの大作の評判は今一つでしたが、小規模な作品に面白いものがいくつかありました。


以下、横山さんが言及した各作品ごとに記述をまとめます。作品リンク先では、映像抜粋や公演写真を見ることができます。

1. オスターマイヤー演出『リチャード三世


オスターマイヤーは、ピィが芸術総監督になる前からアヴィニョン演劇祭の公式プログラムの常連です。今年上演された『リチャード三世』は、演劇祭の目玉作品の一つとみなされ、チケットを取るのは大変でした。公演もおおむね高く評価されました。楽しい演劇的仕掛が詰め込まれたウェルメイドな『リチャード三世』でした。陰惨な悲劇ですが、エンターテイメント性豊かな明るい雰囲気の演出でした。オスターマイヤーの演出はサービス精神旺盛で、職人的に感じます。

 2.オリヴィエ・マルタン=サルヴァン構想『ユビュ王


今年の演劇祭で上演回数が最も多かった作品がこのジャリ『ユビュ王』です。映像を見ていただければおわかりいただけると思いますが、実に馬鹿馬鹿しい芝居です。日本の戦隊ものをモデルにしていたりして、高校生が体育館でふざけているような雰囲気でした。作品を構想し、主演しているオリヴィエ・マルタン=サルヴァンは、今のフランス演劇を代表する俳優の一人だと私は思います。マルタン=サルヴァンは、バンジャマン・ラザール演出の『町人貴族』で主役のジュールダン氏を演じた俳優です。17世紀のバロック劇から現代劇まで幅広い作品を手掛けています。この公演はアヴィニョンの郊外のあちこちの町を回って上演されました。

3.アラン・バディウー翻案『プラトンの国家』


演劇学校の学生とアヴィニョンの市民による朗読劇で、今年の演劇祭の話題作の一つでした。テクストはプラトンの『国家』をもとに学生や市民たちが討論した内容に基づいています。プラトンによる国家の分類を「独裁国家」、「共産主義国家」、「資本主義国家」等に置き換えアクチュアリティをもたせた翻案になっていました。翻案のバディウーはフランス現代思想を代表する人物の一人として知られている人です。

4.サミュエル・アシャシュ演出、「人生は短い」集団『フーガ FUGUE


今年のフェスティヴァルで見たフランス演劇作品の中で一番面白い作品でした(フランスのプロダクションは往々にしてイマイチなものもあるのですが)。南極観測隊の群像劇です。マルターラーを連想させる脱力系のシュールなユーモアに満ちた音楽劇でした。俳優の音楽技量はかなり高いレベルでした。哲学的な問いかけもあります。白い砂が敷き詰められた美しい舞台で、白砂は南極の雪を表し、登場人物は南極観測隊なので厚着していますが、実際には35度を超える猛暑のなかの上演です。この集団は南仏のコメディ・ド・ヴァランスの提携アーティストです。今後ますます注目を集めるでしょう。

5.マルグリット・ボルダ、ピエール・ムニエ演出、バドゥーイエック原作(『名祖のアルゴリズム』)『身を倒すことは禁止


日本ではまず上演されないような特異な演目だと思います。原作者は自閉症で、20歳のときに突然、プラスティック製のアルファベットで文章を書きはじめたという人です。それまでは言葉を発することがなく、全く文字の読み書きを行わなかった人だそうです。この自閉症作家のことばが、シュールで実験的な舞台のなかで語られます。様々な「実験」が舞台上で行われるのですが、その実験が成功したのか失敗したのかさっぱりわからない。奇妙で形容しがたい作品でしたが、非常に印象的な舞台でした。音楽性のある詩的な舞台でした。

6 ステレオプティック出演、ペフ(漫画家)原作『ダーク・サーカス


2人組の舞台で、1人は主に音楽、もう1人はデッサンを担当します。ライブで描かれるデッサンの様子が背景に映像として映し出されます。映像はほとんど全編白黒です。描き出されるサーカスの内容は、シニカルで絶望的なものです。空中ブランコ乗りはブランコから落ちて死ぬ、猛獣遣いはライオンに食べられてしまう。その場で書き上げられるデッサンの美しさがとても印象的でした。今回の演劇祭で非常に評判がよかった作品の一つです。

7. ガエル・ブールジュ『我が唯一の欲望に


パリのクリュニー美術館所蔵の『一角獣と貴婦人』のタピスリーに基づく作品です。ガエル・ブールジュは40歳ぐらい女性アーティスト。子どもの頃に様々なジャンルのダンスを学び、パリ第8大学で文学を学んだあと、自分でパフォーマンス・グループを立ち上げた。並行してストリップ劇場で働いた経験があり、裸体や男性の視線に関する作品で注目されました。
この人の表現の基本は裸体です。タピスリーに描かれたモチーフをひとつひとつ図像学的解釈を踏まえて演劇化していきます。最後の場面はエキセントリックで衝撃的でした。赤い背景幕が落とされ、後ろに広大な闇が現れます。そこにはウサギの仮面をかぶった35人の裸体の人物がいて、ドアーズの『ジ・エンド』の熱唱にあわせて激しく踊りまくるのです。この35人はアヴィニョンで募集されたエキストラでその8割が女性でした。最後には全員、裸のまま仮面を取ってカーテンコールに参加していました。

8.エシュテル・サラモン振付『モニュメント・ゼロ 戦争に取り憑かれて(1913-2013



今年のアヴィニョンで見た作品のなかで、個人的には一番印象深かった作品です。振付のエシュテル・サラモンはハンガリー出身の振付家で、現在はベルリンとパリを拠点にして活動しています。バレエからコンテンポラリーダンスへと続く舞踊の流れからとりこぼされた、身振り、身体性があることを、この作品は気づかせてくれました。アフリカ、中東、バリ島、チベットなどの戦闘行為を模したダンスを収集し、それらをアレンジし、再構成することによって作品が作られています。作品のタイトルにある年号は、ヨーロッパが関わったヨーロッパ以外で起きた紛争を示していて、ヨーロッパによって戦争が輸出されているポストコロニアルの現状が表明されています。作品の評価は大きく割れました。単なるフォークロリックなダンスではないかという感想もありました。

2014年7月19日土曜日

SPAC『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』@アヴィニョン演劇祭 劇評

十数人の評論家によって運営されているフランスの舞台芸術批評のブログ、« Théâtre du blog »に、アヴィニョン演劇祭の《イン》で、今月19日まで上演される宮城聰演出、SPAC『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』の劇評が掲載されました。
執筆者はフィリップ・ジャンティのカンパニーで、批評と写真を担当されているジャン・クテュリエ氏です。
« Théâtre du blog »のサイト管理者に連絡をとり、許可を頂いた上で、クテュリエ氏の劇評の翻訳をここに掲載します。
2014年7月19日 片山幹生

オリジナル記事(仏語)のurl:http://theatredublog.unblog.fr/2014/07/16/mahabharata-nalacharitam/
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J'exprime mes remerciements sincères au personnel du site « Théâtre du blog »  et l'auteur de l'article original, M. Jean Couturier de m'avoir bien permis de publier une traduction en japonais de l'article sur la représentation de Mahabharata du SPAC au festival d'Avignon.
le 19 juillet 2014, à Tokyo
Mikio KATAYAMA
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『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』

執筆者:ジャン・クテュリエJean Couturier
Mahabharata-Nalacharitam
2014/07/16

撮影ジャン・クテュリエ:アヴィニョン演劇祭《イン》『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』演出:宮城聰(日本語上演、フランス語字幕)
ピーター・ブルックの神話的スペクタクルの上演のほぼ三〇年後、インドのこの有名な叙事詩にある「ナラ王の冒険」のエピソードが、静岡舞台芸術センター(SPAC)の宮城聰の演出によって上演された。アンテルミタンのストライキのためブルボン石切場での公演ができなかった7/12には、宮城とSPACのメンバーは、この作品の抜粋をアヴィニョン教皇庁宮殿の前で無料で上演している。

 この作品でまず印象的なのは、極めて知的に構築されたセノグラフィ(舞台空間)である。客席はその頭上に指輪状に設置された舞台に取り巻かれている。この舞台上で俳優、人形遣い、ダンサー、そして語り手が演技を行う。
 
 演技の概念もここでは重要である。ナラ王の冒険をわれわれに物語るアーティストたちの高揚させる精神の状態は、演技の概念と結びついている。悪魔カリに取り憑かれたナラ王は賭けによって王国と彼の妻、ダマヤンティを失うはめになる。110分のあいだ、ナラ王は愛するダマヤンティと王国を取り戻すために奮闘し、そして最後に取り戻す。

 輪状の舞台の下方では、男性三名、女性四名からなる七名の卓越したミュージシャンが、素晴らしい音楽を奏でる。歌舞伎、文楽、語り芸といった日本の伝統芸術の形式だけでなく、マンガやテレビ・コマーシャルといった現代的な表現もアクセントとしてこの作品には取り入れられ、それらの要素が見事に統合され、共存している。

 俳優はみな達者で、その演技はエネルギーと演じる喜びにあふれていた。とりわけ語り手の声の表現力は驚嘆すべきものだ。語り手の分身である女性の声を担当するほか、「ナラ王の冒険」の全ての登場人物たちの声をひとりで語り分けた。さらには式典で経文を唱える僧侶の声まで模倣してみせた。

  『マハーバーラタ〜ナラ王の冒険』の陽気で愉快な演技には、神社の祝祭の雰囲気を感じさせるところもあった。登場人物を模した指遣いの小型の人形にせよ、観客の周りを囲む輪状の舞台を駆け回る大型の虎にせよ、その操作は常に非常に巧みだった。喜びに満ちたこのスペクタクルを余すところなく享受するには子供の心を持つ必要があるだろう。

   アーティストたちは全体で持続したリズムを受け入れ、観客を引き込んでいく。彼らが着ている白い衣装は、和紙を主な材料としているが、合成皮革を混入することで、より丈夫な材質になっている。紙製の仮面のなかにはマンガを連想させるデザインのものもあった。

 作品には素朴さと楽しさが浸透している。驚くべき謙虚さで、宮城聰は自分の作品と日本文化の雑種性について次のように語った。「この島国にはあらゆる文化が混入しているのですが、そのなかでも日本文化にもっとも大きな影響をもたらしたのは、中国文化とインド文化なのです」。こうした文化のありようは舞台の上に見て取ることができる。

 毎夜の観客の熱狂ぶりは驚くべきものだ。私たちは、一時的に静けさを取り戻したアヴィニョンの夜、演出家と演じる幸福にひたる俳優たちと別れた。私たちがフェスティヴァルに望むものは何だろうか? それは生涯にわたって記憶に残るような夕べの時間ではないだろうか? 他の場所では経験することができないような、上演場所と物語と観客の詩的な錬金術によってもたらされる夕べの時間。ありがとう、宮城聰さん。私たちは確かにそういう時間を味わうことができました。

ジャン・クテュリエ Jean Couturier

2014年7月14日月曜日

アヴィニョン演劇祭でのSPAC:7/12(土)教皇庁前広場での特別公演のレポート

 演劇、映画、文学、音楽、美術展など幅広い文化イベントを紹介するフランスのWebzineRick&Pick》に、7/12(土)のアヴィニョン演劇祭でSPACが行った無料パフォーマンスの記事が掲載されました。

 記事執筆者のリック・パヌジーさんに許可を頂き、その全文の訳を下に公開します。この無料公演は、アヴィニョン演劇祭の舞台関係労働者のストライキのため、予定されていた『マハーバーラタ』が中止になった日に、特別に行われたものです。
 元の記事にあった写真に加え、現地でこのパフォーマンスをご覧になった演劇評論家の長谷部浩氏から提供して頂いた写真を数点加えました。長谷部さん、どうもありがとうございました。

 J'exprime mes remerciements sincères au site Web Rick et Pick de m'avoir bien permis de publier une traduction de l'article sur la représentation spéciale du SPAC à Avignon.

2014年7月5日土曜日

講演+上映会『はちみつ色のユン』の背景 ご来場頂きありがとうございました。


講演+上映会、無事終了しました。

 開始時間が遅いし、小雨模様だったので、何人来て頂けるか不安だったのですが、ざっと見て70名くらいの方に「はちみつ色のユン」を見て頂けたように思います。
足を運んでくれた方々、上映会の情報を拡散して頂いた方々に心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

 実は昨日、あの教室で器材のチェックをしているときに、一人で「はちみつ色のユン」を通して見てしまいました。今日見るので、最初の部分だけ確認すればいいと思っていたのですが、見始めると途中でやめることができず。2月に六本木シネマートで見て以来、私にとって二回目の「はちみつ色のユン」でしたが、作品のクオリティの高さについては確信できました。極めて悲痛で深刻な主題なのだけれど、作品の間口は広いので見てもらえれば、大半の方はきっと満足されるに違いないと思いました。

 昨日に続き三度目の鑑賞となった今日も、見ていてやはり胸締め付けられる思いでした。自分自身の存在を受け入れ、さらに周囲の人間を受け入れるまでに、あれほど自分を苛み、傷つけなければならないなんて。

 原作者であり監督でもあるユンはこの作品を作るにあたって、また過去の自分の苦く、つらい記憶をたどり、直視することになります。はちみつ色がかかったノスタルジック、抒情的、牧歌的な情景と抑制され、ドライな印象の演出が、物語内容の悲痛さ、ユンの痛々しさと結び付き、澄み切った緊張感を生み出しています。はちみつ色の肌ゆえに意識せざるを得なかった自分の存在の異物性、疎外感。それをもてあまし、苦悩し、自らを追い詰めることで、ようやくはちみつ色の肌である自分をそのものとして受け入れることができたのは、ユンが私小説的バンドデシネを書き終えたあとだったのかも知れません。
ユンの姿には、私たちが抱える自己存在についての問いかけ、孤独感、不安感が、先鋭的なかたちで集約されているように感じました。

 エンディングで流れるのはユンの娘であるLittle Cometが歌う《Roots》という曲です。この曲は彼女が13歳のときに作詞作曲し、16歳のときにスタジオ録音したものだそうです。思春期の娘は、すでに母親のように、父親であるユンの哀しみを理解し、このうたによって慰めていることにも心動かされました。

 DVDの国内販売がないということで、早稲田大学文学学術院フランス語フランス文学コースのご協力を頂き、自主上映会というかたちでこの作品を上映し、学生のみならず、いろいろなバックグラウンドの方々と、作品を共有できて本当によかったと思いました。
最後にあらためて、ご入場頂いた方々にお礼を申し上げます。

2014年7月4日
片山幹生

2014年6月13日金曜日

講演+上映会『はちみつ色のユン』の背景 早稲田大学文学部フランス語フランス文学コース



早稲田大学文学部
フランス語フランス文学コース主催
講演+上映会 7/4(金)18時半~

はちみつ色のユン』の背景
韓国系養子の民族アイデンティティ


講演】片山幹生(早稲田大学非常勤講師)『はちみつ色のユン』の背景:韓国系養子の民族アイデンティティ

【作品上映】『はちみつ色のユン』(75分)仏語・日本語字幕
【日時】201474日(金)1830より(作品上映は19時頃から)【場所】 早稲田大学戸山キャンパス36号館 382(AV2)教室(新宿区戸山1-24-1 早稲田大学文学学術院)【問い合わせ先】片山(mikiokatアットマークgmail.com)




© Mosaïque Films - Artémis Productions - Panda Média - Nadas
dy Film - France 3 Cinéma – 2012

【入場無料・予約不要】