2023年8月6日日曜日

2023/08/05 ニース第7日

 今日は土曜日で授業はない。学校企画のカンヌへの日帰り遠足の日だった。カンヌ遠足は私たちのグループ以外からも参加者が数名あった。午前9時に学校に集合する。カンヌへは在来線で30分ほど。引率は学校のスタッフの若者だった。彼は日本語を少し話すことができる。日本にも数ヶ月滞在したことがあるようだ。日本人のわれわれとはできるだけ日本語で話すようにしているようだ。愛嬌のある可愛い若者なのだが、その仕事ぶりを信頼することは難しい。学校との入金をめぐる事務手続きのミスが彼に起因するものだったことから、数日前のエズへの半日遠足、そして今日のカンヌへの全日遠足の引率が彼であることに不安を抱いていた。エズではたいしたミスはなかったのだが、エズ行きのバスに乗る前に私のところにニコニコ笑いながらやってきて、「ミキオさん、電話ありません。電話なくした」と言ってきたのにはこちらも笑った。自分の携帯を学校に置いたまま、遠足の引率をしていたのだ。こういう失敗は可愛い。エズからの帰りの超満員バスに無理矢理我々グループを乗り込ませようとしていたのには、「おい、マジかよ。勘弁してくれよ」と思った。

今日も大丈夫な気がしなかった。
Azurlinguaのカンヌ遠足は私はこれまで7、8回は参加している。カンヌの旧市街をぶらりと回り、マルシェを見学したあと、船で15分ほどのところにあるサン=マルグリット島に渡り、島にある博物館と鉄仮面が収容されていた監獄、そして19世紀の兵舎が並ぶ城塞を見学するなどして、数時間を過ごしたあと、カンヌ市街に戻り、カンヌ映画祭の会場であるパレ・ド・シネマを見学して、ニースに戻るというものだ。昼食は船で島に渡るまえにカンヌ旧市街でサンドイッチなどを購入して島に渡ったあと食べるか、島に行く前にカンヌ市内のレストランで各自が自由に取る。
引率の彼はカンヌ駅について旧市街のマルシェのほうに向かう時点になっても、今日のプログラムにはついては何の説明もしない。これは学校の遠足では実はよくあることだ。マルシェに到着する前に、今日の一日の行動を参加者に説明するように促した。
するとマルシェで30分ほど自由時間を過ごしたあとは、カンヌの高台に登り、そこで写真を取ったあとは、麓におりて、映画祭会場のパレ・ド・シネマを見学して、一時間ほど自由時間。そのあとニースに戻る、と言うのだ。
「島への行かないのか?」
と聞くとレクリーエション担当の責任者からサン=マルグリット島に行くという話は聞いていないと言う。
「それはおかしい。私はAzurlinguaのカンヌ遠足に7、8回参加していたが、これまで島に以下なったことはなかった。だいたいカンヌの町をぶらぶら回って何時頃に解散するつもりなんだ?また参加者は昼飯をどのタイミングで食べるんだ?」と聞くと
「島に行くという話は聞いていないし。14時ぐらいに解散でいいかなと。昼飯は適当に時間をみつけて参加者が自由に食べればいい。惣菜とかマルシェに売っているし」と言う。
「週末の全日の遠足で、カンヌに行って町で二時間ほど過ごして帰るなんてありえないだろ? サン=マグリット島に行かないプログラムは私は一回も経験していないし、学生たちにも島に行くと言っているんだ」
「そんなに島に行きたいのだったら、パレ・ド・シネマの横にクルージングの会社があるから、今からそこに電話してミキオのグループが島に行けるように予約するよ。請求書は学校に回せるようにして」
サン=マルグリット島に行く船便を出している会社はいくつかあるのかもしれないが、少なくとも私がこれまで使ったことがあるのは、パレ・ド・シネマの近くから出るものではなかった。
「何時に出て、何時頃島から戻ることができる?」
「うーん、14時頃カンヌを出て。帰りはわからないけど。17時頃の便が多分あると思うし」
「14時出発じゃ遅すぎる。それに帰りの船の便が不確かなのは困る。そもそも君は、学校のカンヌ遠足で、参加者を島に連れて行ったことはあるのか?」
と聞くと、「ない」と答えた。
これはこいつに任せておくとろくなことにならないと思ったので「自分のグループは私が面倒を見る。帰りの電車のチケットだけ暮れればいい。君は他の参加者とカンヌの町をぶらぶらしておいてくれ」と言った。
「島に渡るのか? 船の代金を学校に出して貰わないと」と言うので、「とりあえず私が私のグループの船代を払う。学校とはあとで私が交渉するから、君は気にしないでいい」と答えるとちょっとホッとした顔をしていた。この段階で彼を切っておいて正解だった。一緒についていくとダラダラとカンヌの街中で数時間ぶらぶらするだけだっただろう。
その場で自分たちのグループは分離し、サント=マグリット島行の船が出る場所に向かった。11時半の船で島に向かい、15時15分の船でカンヌに戻った。
島では、カンヌで買いこんだ食料を野外で食べたあと、鉄仮面牢獄・博物館を見学。そのあとは島の西側にある浜で一時間ほど過ごした。サン=マルグリット島の城塞の景観や美しい海などを学生に見せることができてよかった。学校とは船代の交渉がしなくてはならない。うまくいきそうな気はしないが、面倒くさいけれどこれも勉強のうちだと思っている。
島から戻った後はパレ・ド・シネマの付近を回り、そのあとニースに戻った。ニースに戻ったは午後6時過ぎだった。
夜は8年前にニースに来て、駅の北側の下町のレストランで食事をしていたとき偶然知り合い、その後も付き合いが続いている女性と彼女の家の近所のインド料理やで飯を食べた。この3年ほどのあいだに、彼女の生活状況が激変していたことを知る。
彼女のインスタを見ていて、いったい最近何をやっているんだろうかと思っていたが。カンヌのめがね屋の店員だった彼女は、今はフリーランスのスタイリストみたいことをしている。もとよりエキセントリックな人ではあったが、その生活はアナーキーだ。いろいろ彼女の生活について、おもしろい話、興味深い話を聞いた。
レストランは彼女の家の近所、ニース駅の北側の庶民的な地域だ。レストランもその界隈もとても気楽で、穏やかな活気があって雰囲気がいい。
帰りはトラム。腐敗したキリストのような雰囲気の頭のおかしい人が、目の前にたって踊りながらブツブツなんか言っている。匂いがひどかったし、触られたらいやだなと思ったので、車両を移動した。

2023年8月5日土曜日

2023/8/4 ニース第6日

 金曜日。一週目の最後の授業の日だった。今日は午前中の授業の日。私はB2クラスの授業に出ていて、クラスのメンバーは私を入れて6名。チェコ人二人、イタリア人、スペイン人、スイス人だが、B2クラスでもフランス語力は文法はもとより、イタリア人、スペイン人はよく話すというイメージがあったのだけど、会話の面でも、それほどレベルが高いという感じはしない。今日は授業は「脳の再活性化」というテーマで脳科学の専門家が話している3分ほどの映像を見て、そこで使われている語を確認するというものだった。テレビの視聴者向けに分かりやすく解説しているのだが、ほとんどその内容が追えなかったことがちょっとショックだった。授業のなかで、映像で使われていた語や表現を確認すると、知らない語・表現がいくつもあった。脳科学者による解説で、脳科学に関係する語・表現がいくつか用いられているとはいえ、、テレビの一般視聴者向けに話しているので、大半のフランス人にとっては十分理解可能な内容だ。私にとっては関心のあるトピックではなかったが、多分日本語で同じ内容が話されるのを聞けば、100%理解できるだろう。自分のフランス語はまだまだ修行が足りない。


昼飯はいつものフランス料理店へ。来週からは学校近くの食堂で昼食になるはずなので、このレストランで昼食を取るのは今日が最後だ。私は小エビのクリームソースのパスタを頼んだ。まあ、普通。レストランのスタッフは愛想が良くて、雰囲気は悪くない。ある意味、典型的な普通の大衆的フランス料理屋なのだろう。
今日の午後は学校側が「クレープパーティ」という企画を私たちのグループのために企画してくれていたのだが、ニースで日本人グループがクレープを学校の台所で作ってもなあ、という気がして、この企画のキャンセルを申し入れた。学校側としては週日は毎日何らかのレクリエーションを入れるということで見積書を作っていたので、何かやらなくてはまずい、という感じだったのではないかと思う。
クレープパーティは中止して、今日は学校ではなく、私個人のミキオ企画で、ニースの高台にあるシャガール美術館、マティス美術館、シミエ修道院を見学することにした。国立のシャガール美術館はなぜかAzurlinguaのエクスカーションのコースに含まれていたことはない。ニースの美術館のなかでは最も有名な美術館なのに。一方マティス美術館はAzurlinguaのエクスカーションに含まれることが多い。今調べて見ると、シャガール美術館は国立で、マティス美術館はニース市立のようだ。学生の団体の扱いも違っていて、シャガール美術館ではEU加盟国の25歳以下の学生は無料だが、それ以外の国々の学生は有料だ。マティス美術館のほうは、25歳以下の学生は国籍を問わず無料になる。
シャガール美術館は大人団体で昨夜メールで予約を入れておいた。学生の学生証を集めて、受付で提示したが学生無料にはならなかった。ただ団体予約の割引はあった。
町の中心にあるレストランからシャガール美術館までは歩いて行った。20分ほどかかった。美術館では一時間ほど過ごす。マティス美術館はシャガール美術館よりもさらに高台にある。天気が急変して雨が降りそうだったので、バスで行くか、歩いて行くか迷ったが、歩いて行くことにしたところ、夕立っぽい雨に濡れるはめになった。シャガール美術館からマティス美術館までは坂道を歩いて20分ほどった。
マティス美術館では、早稲田の学生証を見せれば学生は無料になった。引率者の私も無料だ。40分ほど滞在する。マティス美術館周辺は、古代ローマ時代の円形闘技場と巨大浴場施設の遺跡がある。野球場のグランドほどの広さの場所にいくつもの浴室の遺跡が残る巨大浴場跡は、考古学博物館になっていてこれも市立だ。ここも早稲田の学生証を見せることで無料になった。マティス美術館にはそこそこ人がいたが、フランス人は浴室遺跡には興味がないのか、考古学博物館はいつもガラガラだ。Azurlinguaの遠足でマティス美術館に来るときもこの考古学博物館には行かない。浴室跡なんか見てもつまらないとフランス人は思っているのか。
マティス美術館と考古学博物館から歩いて3分ほどのところに、シミエ修道院がある。フランチェスコ会の修道院で、その歴史は11世紀までさかのぼるが、現在残る教会と修道院回廊は16世紀の建造物だ。教会の祭壇はイタリアのバロック様式のごてごてした装飾がある。祭壇の向こう側の内陣の部分は、壁で仕切られていて信徒席からは見えない。天井にはフレスコ画。比較的小さな教会ではあるが、内部は暗くて静かで荘厳な雰囲気があった。教会では15分ほど滞在。そのあと修道院の庭園を散策した。薔薇などの花のほか、薬草などが栽培されている。この庭園の端の展望台からは、ニース市の東側と海を一望できる。
ニース市街にはバスを使って降りた。
学生たちと別れたあと、私はニース在住の友人に会い、クスクスを食べた。ニースで私が好きなクスクス店の一つ、Chez Michelである。ここにはこれまで三度ほど食べに来たことがある。調理と給仕をほぼワンオペでやっているミシェルおじさんが茶目っ気があっておもしろい。クスクスのソースのお代わりを頼むと、「お代わりは10€だ(実際はスムールと野菜がたっぷり入ったソースはお代わり無料)」と言うし、トイレを探していると、「トイレはここから200メートルほどのマセナ広場のトイレを使え」と言われる。
ここのクスクスはボリューム、味とも絶品。まさに私が求めるクスクス。4年ぶりに食べたが、やはり美味しかった。支払いはこの店では現金が好まれる。クスクスを食べながら、ニース在住の友人(日本人女性)と学校のことやフランス生活のことについていろいろと興味深い話を聞いた。美味しくて楽しい会食だった。20時に食事を始め、店を出たのは23時前だったと思う。トラムを使って帰宅したが、旧市街で途中下車して、夜の旧市街を5分ほど散歩した。オレンジ色の電灯で照らされる旧市街の町並みは本当にかっこいい、美しい。夜11時を過ぎても町は多くの人で賑わっている。その夏のバカンスの雰囲気も最高だ。

2023年8月4日金曜日

2023/8/3 ニース第5日

 午前中がアンティーブに遠足、午後は授業という日。アンティーブにはピカソ美術館がある。元々はモナコ大公の居城だった建造物だが、第二次世界大戦後の一時期、ピカソがこの居城の一室をアトリエとして使っていたそうだ。その時期に制作された作品が主に展示されている。

学校企画の遠足だが、Azurlinguaの美術館遠足は鑑賞時間の設定が30分ほどしか取られていない。もっと長い時間美術館にいたい学生もいるかと思い、ガイドのローラに相談して、1時間美術館に滞在するグループと20分ほど滞在してアンティーブの町を散策グループに分けようということになった。


アンティーブはニースからローカル線で30分ほどのところにある。旧市街のサイズもそこに建てられている建物の高さもニース旧市街の2/3ほどだが、そのこじんまりしたサイズがとても可愛らしくて魅力的な町だ。美術館は旧市街の海岸沿いにあるが、この町並みや広大で活気のあるマルシェの様子を目にして、美術館に長時間滞在するつもりだと言っていた組にも迷いが生じたらしい。結局、30分美術館に滞在したあと、全員で町を散策することになった。午後から授業があるので、現地の滞在時間を延ばすことはできない。限られた時間で何を選択するのか、迷ってしまうのはわかる。多くの学生にとっては次にここに来られる機会があるかどうかはわからないし。

ただピカソ美術館はピカソの晩年の子供の落書きのようなシンプルな線の作品が多いとはいえ、展示室に入るとピカソ以外にもニコラ・ド・スタールなどの魅力的な作品が数多く展示されている。30分で出てしまうのはもったいないような美術館ではある。

ピカソ美術館のあとは、マルシェに行った。アンティーブのマルシェは、ニース、カンヌと並んで、コートダジュールを代表する大規模なマルシェだ。マルシェは毎日開かれていて、屋根がある。肉、野菜、惣菜、チーズ、お菓子など色とりどりのさまざまな食料品が並んでいて、賑やかで活気がある。商品を見ていると、マルシェの各店舗の店員たちも人なつっこく話しかけてくる。マルシェには20分ほどいた。そのあと旧市街をさらっと回り、学生たちは海岸の港のそばにある観覧車に乗って楽しそうだった。ニースの旧市街をコンパクトして、コートダジュールの町の魅力のエッセンスが凝縮されたようなアンティーブは、ニース近辺の町のなかでも私が特に気に行っている町だ。正味二時間ほどの滞在でこの町を出てしまうのはもったいない。
ニースへの帰りは、ちょうどホームに入ってきた列車に飛び乗った。しかしこれはTGVだった。TGVは本来は予約必須のはずだ。ローラはついうっかり私たちを乗せてしまったようだった。私たちの切符はローカル各駅停車のものだったので、車掌が検札にくれば罰金を取られる可能性もある。アンティーブからノンストップで、このTGVの終着駅であるニースに到着した。幸い車掌は検札に来なかった。

これまでニースやパリなどで数多の「試練」に遭遇して鍛えられてしまったので、私はどうしてもフランス人に対して厳しくなる、警戒してしまうところがある。たまに腹に力を入れて向き合わないとならないような事態があるけれど、今のステイ先の大家もAzurlinguaの学校のスタッフも実はなにかとこちらの心中を忖度して、彼らなりのやりかたで気を遣っていることに、時々気づく。フランス人の振る舞いに対して「なんて優しいんだろう!」と感動することは少なくない(むしろ日本人に対してよりはるかに多い)のだけど、それでも戦闘準備態勢を解くことはできない。これが私にとってフランスのしんどさでもあり、面白さでもある。

昼飯は中心部にあるレストラン、オスカーで。今日はピタパンの上に野菜や鶏肉がどかっと乗ったレバノン風のオープン・サンドウィッチみたいなものかきのこのクリームソースのパスタの二択。「ピタ」のナントカとかというのを聞いたときはそれどんな料理か見当つかなかったのだが、そのよくわからないピタを私は選んだ。野菜がたくさん取ることができたのがよかった。味はまあまあ。もし可能ならちゃんとしたレバノン料理屋にも滞在中に行っておきたいものだ。
午後は2時45分から90分の授業を2コマ。授業を集中して受けるのは疲れるものだなあと思う。午前中に遠足で、午後に三時間授業を受け、終わったら午後6時というのは、ニースでの時間の使い方としてはもったいないような気がする。せっかく夏のバカンス時期に来ているのに、夜のニースで遊べないのはかなり物足りない感じだ。遠足が日中に入るので、遠足+授業だと、授業が終わるとけっこうくたくたになってしまう。
これまで夏のこの時期にニースに来たことは3度あるが、それらはいずれも海外の教員向け研修だったので、夜は中南米、地中海地域、東欧、アフリカ、韓国などの世界各国のフランス語教員と旧市街にほぼ毎晩遊びに行っていた。遊びと行っても一緒に飯を食って、そのあと音楽などを聞きに行くというものだったが。今回は学生が一緒なのでそういうわけにはいかない。毎日昼間に遠足があるというのが、思いのほかきつい。今日は午前中で日差しがそんなに強くなかったのでよかった。坂道を登ることもなかったし。気温が一番高くなる夕方も30度に達しておらず、過ごしやすかった。
夕食は昨日の残りの鶏肉のローストに、タブレのサラダ、それにchouchoukaという唐辛子が効いた野菜の煮込みというメニューだった。あとチーズと果物も。
平穏で安らかな日だった。

2023年8月3日木曜日

2023/08/02 ニース第4日

 ニースに到着してまだ4日しか経っていないのかと思う。もう一週間以上いるような気分なのに。

午前7時過ぎに起床。今日は午前中に授業、午後はエズ村にエクスカーションの日だ。私もB2レベルのクラスの授業に参加した。今日のオープニングはフランス語の早口言葉。次にフランス語の慣用表現の意味を当てるクイズをやったあと、生徒各人が自分の母語で同様の慣用表現を探し、それをフランス語訳に直訳したものの意味を当てるというクイズをやった。教室には私以にイタリア人、スペイン人、チェコ人、スイス人の受講生がいる。イタリア語、スペイン語の慣用表現はフランス語と共通するものが多いのではないかと思ったが案外そうではない。私は「腹黒い」という言い回しを提示した。フランス語訳は、avoir un ventre noirとする。手持ちの和仏辞典では「腹黒い」の訳語として、sournoisを挙げていた。すぐに意味の見当がつくのではないかと思ったら、案外そうではなかった。授業の後半は一枚の風景写真を見て、それを描写するというアクティビティだった。最初は一人で考えて、次にペアで互いの「描写」を確認し合ったあと、全体で共有する。先生のニコラは受講生たちが提示した描写に関わる語に、即興的に反応し、自分の持っているさまざまな材料を利用して、類語や表現、逸話などを膨らましていく。この即興的反応と発展のさせ方はさすがうまいなと思う。
授業は90分が二コマ。授業を受ける立場となると、どんな工夫があっても、90分の授業を二コマ集中して受けると長さを感じる。

昼食はいつものレストランへ。今日のメニューは「牛肉照り焼き風とライス」と「鰯のグリル」の二択だった。フランスで魚を食べる機会があまりないので鰯のグリルを選択した。鰯に塩こしょう、ハーブを散らして焼いたシンプルな料理だった。これにサラダが添えられている。
午後は、岩山の上に築かれた「鷲の巣村」のなかでニースに最も近い場所にある人気観光地、エズに行った。これは学校主催の遠足だ。午後2時過ぎに学校を出発する。メトロとバスを乗り継いでエズに到着したのは午後3時過ぎ。まずエズ村のふもとにあるフランス最古の香水工房を見学する。香水の歴史や材料、作り方などのガイドツアーのあと、店舗に誘導するというもの。ガイドツアーは、製品販売に導くためのものだが、フランスのこういうガイドツアーはけっこうきっちり勉強させようとするものが多い。20分ほどツアーのあとは、ショッピングタイムとなる。私は何も買わなかった。
エズ村は岩山に築かれた小さな集落で、多くの土産物店や画廊がその頂上付近にある「エキゾチック庭園」に至る急な坂道の路地沿いに並んでいる。夏のシーズンだけあって人が多かった。またこの時期のニースでは午後5時頃が一番気温が高くなる。「エキゾチック庭園」は日光を遮るものが何もないので暑かった。庭園は切り立った崖のような場所にある。数百メートル下に拡がる地中海の景観が素晴らしい。
帰りのバスは大混雑だった。ジグザグの山道を30分ぐらいかけて下りなくてはならないのだが、ニースのバスの運転は荒っぽいし、しかもカオスといっていいような満員バスだったため、下の市街地に下りるまではひやひやして生きた心地がしなかった。
けっこうバテバテの状態で午後7時半すぎに帰宅。
ニースの最高気温は30度を少し超えるぐらいで、東京よりも過ごしやすいのだが、それでもこの気温と強い日差しのなかを毎日「遠足」するのはきつい。次にニース研修を行うときは、やはりシーズンオフの二月か三月がいいなと思う。夏に比べて安く滞在できるし、人も少ない。学校のスタッフも余裕がある。
夕食は、鳥のロースト、ジャガイモ、ラタトウィユ。全部Annickの手作りである。手製のマスタードソースが絶品だった。ラタトゥイユはこれまで私が食べたラタトゥイユのなかで一番美味しかった。これにデザートとして果物。締めは珈琲。夕飯を食べて、ちょっと元気を取り戻す。昼間ガンガン歩いて入るから、トータルでは消費カロリーが摂取カロリーを上回っているはず。

2023年8月2日水曜日

2023/08/01 ニース第3日

午前中はニースのとなりにあるヴィル・フランシュ=シュール=メールへの遠足だった。ニースからは電車で二駅で、10分ほど到着する。朝、学校に行くトラムの停留所で、学校のエクスカーション担当のLauraとばったり会う。彼女は私の滞在先と最寄り駅が同じだったのだ。夏が終わったあとも、Azurlinguaで仕事を続けるのか?と聞くと、大学生に戻るとのこと。彼女は体育学を専攻している学生だった。
9時に学校に集合して、9時20分ニース駅発の列車に乗ってヴィル・フランシュに行く予定だったが、列車が大混雑していて一本見送った。Lauraの話では、ヴァカンス客だけでなく、このカンヌへの通勤客で、朝夕は列車が満員になることが多いそうだ。カンヌは「外国」だが、近隣の都市からカンヌに働きに行くフランス人は多い。

結局9時55分の列車に乗った。ヴィル・フランシュ到着は10時すぎ。11時半にヴィル・フランシュを出る列車でニースに戻るので、実質1時間ちょっとしか町には滞在しない。ただヴィル・フランシュは小さい町で見所が固まっているのでそれでちょうどよい感じだった。海岸沿いの道を歩き、16世紀に開港した港と城塞をさらっと見学。それから旧市街の教会と一部がトンネル状になっている路地を歩いた。
昼食は昨日と同じニース中心部のレストランへ。今日のメニューは、ステーキ+ポテトフライとサラダの二択だった。私はサラダを選ぶ。ハムやチーズがゴロゴロ入っていて、サラダとはいえ、かなり食べ応えがあった。給仕するスタッフは愛想がよくて、感じがいい。
食事後、学校に戻る。学校の中庭では校長のジャン=リュックが庭木の剪定をしていた。昨夕、突然ジャン=リュックから電話がかかってきて、今日の一緒に昼飯を食べる日の調整をしようという話はしていた。昼飯は来週水曜日に取ることになったのだが、そのついでに学校の運営や私たち日本グループの受入れについて、少々込み入った話をした。なかなか一筋縄ではいかない。シンプルに腹を割ってという具合にはならない。こういうやりとりの経験によって、こちらもタフになった、鍛えられた。
私たちのグループの授業は今日の午後から始まる。私はアントニオに頼んで、B2のニコラが担当するクラスに出席できることになった。ニコラはAzurlinguaの教員でも古株で、私はこれまで彼の授業に何回か出ている。彼は授業がうまい。学生の関心を惹きつけ、引っ張っていく高い技術とセンスを持っている。自分はニコラのようなスタイルで授業はできないけれど、彼の授業に出ると学べることが多い。もちろん、自分のフランス語力を鍛える上でも、役に立つ。
授業は休憩をはさんで前半と後半に分かれる。午後の授業は14時45分にはじまり、18時に終わる。今日は後半の授業には出られなかった。学生のなかにクラスでトラブルがあって、クラス変更を余儀なくされる事態が生じ、その対応が必要になったので。その学生を家まで送り、受け入れ家庭のマダムと20分ほど話をした。おしゃべりで情けが深そうな、いかにもニースの下町のおかみさんといった雰囲気の人だった。
学校に戻り、18時に授業が終わったあとは、学生4人とニースから15キロほど離れたフェラ岬にある旧ロスチャイルド邸・別荘に、現代サーカス・ダンスのショーを見に行った。
ロスチャイルド家の子女、Béatrice de Rothschildが1900年代初頭に建設した壮麗な別荘と地中海を見渡せる美しい庭園は、ニース周辺の観光ポイントのなかでも私が最も推したい場所の一つであり、その庭園で以前、映像をたまたま見て魅了されたYoann & Marie Bourgeoisの階段とトランポリンを使った象徴的で詩的なダンス・サーカス・パフォーマンスを見られることを知ったとき、これはぜひとも見に行きたい、そしてできれば学生に見せたいと思った。ただ値段が35ユーロするのと、公園時間が午後8時から深夜0時と遅かったので、あまり積極的に呼びかけしなかった。ロスチャイルド別荘のあるカップ岬までは、ニースの中心地からはかなり距離があるので、帰りの足が確保できるかどうか不確かだったからだ。ショーを見た後、なんとかかろうじて公共交通機関を使ってニースに戻れる可能性がないではなかったのだが、あまり治安がよさそうではない場所に住んでいる学生もいるので、深夜に帰宅させるのは躊躇する。一人でも見に行くかと思い、「無理してこなくてもいいよ」みたいな微妙な呼びかけをしたところ、4名の学生がつきあってくれることになった。
ロスチャイルド別荘に行く前に、夕飯をニース市内の港の近くにあるソッカ屋で取った。昨夜、私の大家のAnnickに教えて貰った店である。ソッカとタマネギ・オリーブ・アンチョビが入ったピザ的なローカルフード、ピサラディエールを食べた。どちらも食事というよりスナック的な軽食だ。店はよく繁盛してて活気があった。
その店の近くにあるバス停からバスでロスチャイルド邸に向かう。40分ぐらい、海岸沿いの道を走る。乱暴で荒っぽい運転だった。ロスチャイルド邸には開門時間である20時の5分ほどまえに到着する。ショーの開始は21時からだった。ショーが始まるまで別荘と庭園を散策した。
Yoann & Marie Bourgeoisのショーは4つの演目から構成されていて、上演時間はトータルで30分ほどだった。別荘の正面にあるフランス式庭園の中央の水路の上でパフォーマンスが行われる。観客は周囲の芝生の上に座ってそれを見守る。期待を裏切らない緊張感にみちた美しいパフォーマンスだった。表現はいずれの演目も詩的な引喩に満ちている。そして演劇的な流れが各演目にあった。
帰りは公共交通機関ではなくUberを利用することにした。値段は当然バスや列車を使うより高額にはなるが、やはり実に快適で安全。Uberで複数箇所の下車地点を設定できることを最近知って、それを試してみた。車は電動のものだが、大型できれいな車だった。女子学生二人を深夜安全に送り届けることができてよかった。

2023年8月1日火曜日

2023/07/31 ニース第二日

 ニース二日目、授業開始の日。よく眠れた。朝6時半ごろに目覚める。

早めに学校に行って、おそらく緊張して最初の登校をするだろう学生たちを迎えるつもりだったのだが、学校方面に向かうトラムがなぜか途中までしか運行していなくて(心疾患の病人がトラム車内で倒れるという事故があったため、ということを帰宅してから家主のAnnickに聞いた)、別のルートで学校には到着したものの10分ほど遅刻しての到着になってしまった。
学生たちはすでに校舎内の教室で、レベル分けテストを受験中だった。学校の運営スタッフは3年半前とはかなり変わってしまっていたが、運営スタッフの中核のエリックは残っていた。校舎の入り口で3年半ぶりにエリックに会う。教員スタッフの中核であるアントニオもいた。久々にこうして再会できただけで、無性に嬉しくなる。教員にはほかにも数人、三年半前のスタッフが残っていた。
前回のフランス語教育研修は2020年2月後半に実施したのだが、私たちのグループの滞在二週目に、新型コロナのせいでカーニバルが中止になり、北イタリアの都市が閉鎖された。そして私たちのグループが学校を去った直後に、フランス全土は強制的な「引きこもり」状態になったのだ。それを思うと、3年半の空白を経ての旧知のスタッフとの再会はやはり格別のものがある。
新型コロナ禍のもとでは、Azurlinguaのような私立の小規模の語学学校はとりわけ厳しい状況にあったはずで、よくぞこの困難な時期を乗り越えて存続したものだと思う。この三年の状況を聞いてみると、2020年から21年にかけてはもっぱら遠隔授業だったが、フランスでは昨年あたりからはほぼ学校の状態は通常運転に戻っていたそうだ。
例年、多くの生徒が近隣のヨーロッパ諸国からやって来る夏のバカンスシーズンには、collège-lycée複合校の広大な校舎と敷地を借りて授業をやっているのに、今年の夏は本校舎での授業実施になっていたので、生徒がまだ集まらなくて苦しい状況に陥っているのではと私は懸念していたのだが、そうではなかった。
この2月ごろから続々と受講生が増え、この夏のバカンスシーズンには「爆発的状況」だったと言うのだ。そのため生徒に対して、先生の数が足りなくなってしまったようだ。例年の会場だったcollège-lycée複合校敷地を夏期講座で利用しなかったのは、7月に大きなテニストーナメントがその学校の敷地であったため、借りることができなかったという事情があったからだと言う。
日本では新型コロナ以降、円安や航空券高騰もあって、海外に行こうという機運が弱まっている感じがあるが、ヨーロッパでは「ようやく、コロナが終わった、さあどんどん外に出て行こう」という雰囲気になっているらしい。
こうした急激な受講生の増大のためだと思うが、授業プログラムも変則的になっていて、生徒群を大きく二グループにわけ、これまで標準コースは午前中に授業に行い、午後に遠足などを入れていたのを、一日置きに授業を午前にやったり、午後にやったりするかたちになっていた。こうした変更の説明は事前にまったくなかったので、最初に聞かされたときは「一日置きに午前中に遠足なんてどうかしてるのではないか?」と思ったのだが、学校としてはやむを得ない方策のようだ。しかしそれならちゃんと、最初の問い合わせから何度もやりとりしているのに、事前に説明してくれよ、と思う。
私たちの研修費用には朝昼夜の三食が含まれているプログラムのはずだが、先週木曜日にエリックから「今回はミキオのグループには昼食の予約が入っていないけど、それで間違いないか?」というメッセージが届いた。「昼食込みで申し込んでいる。それは学校の事務の間違いだ。確認してくれ」と返事を出したのだが、結局エリックからは返事が来ないままだった。今朝、エリックと再会したときにこの件について聞くと、「これから確認する」とのこと。結果的にはいつも使っている共同食堂(cantine)は工事中で利用できないので、学校から1キロほど離れた町の中心部のレストランで昼食を取ってくれ、とのことだった。こんなことはこれまでなかった。なんでまたこんな遠くのレストランに、と思ったがしかたない。「ちゃんと我々の席は予約できてるんだろうな? お金は学校持ちということもちゃんと伝わっているんだろうな?」と三回確認する。

今日の午前中は、最初の日なので学生たちはレベル分けテストだけで終わった。例年はレベル分けは、オラルで二三言応答するだけの簡単なものなのだが、今回はペーパーの試験とオラルの試験の二つでクラス分けを行っていた。
私たちの昼食のために学校が確保したレストランは、ニースの中心部のにぎやかな場所にある。思いのほか、きれいでお洒落で感じがいいレストランだったが、まあ、ごくありきたりの観光地レストランといった感じの店だった。幸いちゃんと店側に私たちの昼食の話は伝わっていた。リゾットかパスタかどちらかを選んでくれと言われる。私はリゾットを選んだ。それなりに美味しかったが、まあ普通の味。ボリュームはまあまああったが、前菜がなく、リゾットだけというのが物足りない。毎日同じメニューだったら嫌だなと思う。こんなといってはなんだが、こんな平凡なごはんでも、こちらのレストランでは15−20€ぐらいは取るだろう。
昼食の件も、こちらのリクエストがちゃんと伝わっていないし、変更についての連絡は事前に何もない。「工事」というのも本当かよ、と実はちょっと思っていたりする。先週私がクレームをつけたので、急遽、適当な代替手段を探したのではないかという気もする。フランス相手にビジネスすると、どうしても疑心暗鬼にならざるをえない。
昼飯を食べた後は、午後のエクスカーションの時間まで各自ばらばらに過ごすようにした。
午後はエクスカーションでニース旧市街を散策し、評判の高いお菓子工房フロリアンの見学をした。このエクスカーションの参加者は私たちのグループ11名プラス単独で受講しているヨーロッパ人の受講者7−8名だった。ガイドはAzurlingaで数ヶ月前から働き始めたというLauraという若い女性スタッフ。気温は30度を超えていて、炎天下とはいえないかもしれないが、日光の下を歩いて入ると暑さでバテるし、喉が渇く。フランス人はとかく早足でガツガツ歩く人が多いので、事前に「私は身体が弱いから、優しく歩いてくれ」と頼んでおいた。15時前に学校を出発して、旧市街の入り口当たりを一回りしたあと、ニース市街を一望できる「城山」に昇る。私はエレベーターを使ったが、私以外の若者たちは歩いて登った。お菓子工房Florianはニースでは人気の老舗で、チョコレートと花びらや果実を使った砂糖菓子で名高い。天然の材料だけを使って、手間と長い時間をかけて作ったお菓子の数々は、どれも美味しくて、見た目の洒落ているが、値段はかなり高い。あの材料と手間を知っていればこれらのお菓子のありがたみは増す。工房を見学したあとは、商品試食と販売の時間である。私はお土産用のお菓子を何点か購入した。
学校主催のイベントとして、このあとさらにウェルカムパーティが学校内で行われるとのことだが、私がまず疲れていたし、学生たちもけっこう疲れている感じだったので、このパーティ参加はパスした。学生たちとすれば他の国々からやってきた若者たちと親しくなれる機会だったかもしれないのだが。男3人組はガリバルディ広場からトラムで家に戻った。私は他の女性7人を先導して、ニースの旧市街の路地を案内した。ニースはやはり旧市街が素晴らしい。本当は夏の夜のこの旧市街の賑わいを見せて上げたいし、旧市街の路地にあるレストランで食事も楽しんでもらいたいとは思う。これぞバカンスのニースの醍醐味だと私は思うので。ただそれは私の体力と学生たちがどれだけ「いい子ちゃん」かである次第だ。ニース研修をはじめて二年目のときに、旧市街のライブハウスにジャズを聴きいったときのことを思い浮かべる。楽しかったなあ。大変だったけど。

帰宅は7時半ごろ。夕飯はキッシュ、サラダ、チーズ、そしてデザートとして手作りのレモンケーキだった。A nnickは料理が上手だ。しかしこのフランス風の料理は確実に私の体重を増加させてしまうだろう。
夕食時の雑談。最近、特にフランスの若者のあいだでエコロジー志向が強くなり、その影響で冬のフランスのレストランの野外テラス席での暖房が昨年から禁止になってしまったとのこと。冷房、暖房は、戸の閉まる密閉された空間でないとエネルギーの無駄遣い、エコではないということで、こうなったそうだ。Annick曰く、今のフランスはエコロジー推進とLGBT問題を全面に出す急進左派と移民排斥のナショナリスト極右に二極化しているとのこと。

2023年7月31日月曜日

2023/07/30 ニース第二日

 ニース二日目、授業開始の日。よく眠れた。朝6時半ごろに目覚める。

早めに学校に行って、おそらく緊張して最初の登校をするだろう学生たちを迎えるつもりだったのだが、学校方面に向かうトラムがなぜか途中までしか運行していなくて(心疾患の病人がトラム車内で倒れるという事故があったため、ということを帰宅してから家主のAnnickに聞いた)、別のルートで学校には到着したものの10分ほど遅刻しての到着になってしまった。
学生たちはすでに校舎内の教室で、レベル分けテストを受験中だった。学校の運営スタッフは3年半前とはかなり変わってしまっていたが、運営スタッフの中核のエリックは残っていた。校舎の入り口で3年半ぶりにエリックに会う。教員スタッフの中核であるアントニオもいた。久々にこうして再会できただけで、無性に嬉しくなる。教員にはほかにも数人、三年半前のスタッフが残っていた。
前回のフランス語教育研修は2020年2月後半に実施したのだが、私たちのグループの滞在二週目に、新型コロナのせいでカーニバルが中止になり、北イタリアの都市が閉鎖された。そして私たちのグループが学校を去った直後に、フランス全土は強制的な「引きこもり」状態になったのだ。それを思うと、3年半の空白を経ての旧知のスタッフとの再会はやはり格別のものがある。
新型コロナ禍のもとでは、Azurlinguaのような私立の小規模の語学学校はとりわけ厳しい状況にあったはずで、よくぞこの困難な時期を乗り越えて存続したものだと思う。この三年の状況を聞いてみると、2020年から21年にかけてはもっぱら遠隔授業だったが、フランスでは昨年あたりからはほぼ学校の状態は通常運転に戻っていたそうだ。
例年、多くの生徒が近隣のヨーロッパ諸国からやって来る夏のバカンスシーズンには、collège-lycée複合校の広大な校舎と敷地を借りて授業をやっているのに、今年の夏は本校舎での授業実施になっていたので、生徒がまだ集まらなくて苦しい状況に陥っているのではと私は懸念していたのだが、そうではなかった。
この2月ごろから続々と受講生が増え、この夏のバカンスシーズンには「爆発的状況」だったと言うのだ。そのため生徒に対して、先生の数が足りなくなってしまったようだ。例年の会場だったcollège-lycée複合校敷地を夏期講座で利用しなかったのは、7月に大きなテニストーナメントがその学校の敷地であったため、借りることができなかったという事情があったからだと言う。
日本では新型コロナ以降、円安や航空券高騰もあって、海外に行こうという機運が弱まっている感じがあるが、ヨーロッパでは「ようやく、コロナが終わった、さあどんどん外に出て行こう」という雰囲気になっているらしい。
こうした急激な受講生の増大のためだと思うが、授業プログラムも変則的になっていて、生徒群を大きく二グループにわけ、これまで標準コースは午前中に授業に行い、午後に遠足などを入れていたのを、一日置きに授業を午前にやったり、午後にやったりするかたちになっていた。こうした変更の説明は事前にまったくなかったので、最初に聞かされたときは「一日置きに午前中に遠足なんてどうかしてるのではないか?」と思ったのだが、学校としてはやむを得ない方策のようだ。しかしそれならちゃんと、最初の問い合わせから何度もやりとりしているのに、事前に説明してくれよ、と思う。
私たちの研修費用には朝昼夜の三食が含まれているプログラムのはずだが、先週木曜日にエリックから「今回はミキオのグループには昼食の予約が入っていないけど、それで間違いないか?」というメッセージが届いた。「昼食込みで申し込んでいる。それは学校の事務の間違いだ。確認してくれ」と返事を出したのだが、結局エリックからは返事が来ないままだった。今朝、エリックと再会したときにこの件について聞くと、「これから確認する」とのこと。結果的にはいつも使っている共同食堂(cantine)は工事中で利用できないので、学校から1キロほど離れた町の中心部のレストランで昼食を取ってくれ、とのことだった。こんなことはこれまでなかった。なんでまたこんな遠くのレストランに、と思ったがしかたない。「ちゃんと我々の席は予約できてるんだろうな? お金は学校持ちということもちゃんと伝わっているんだろうな?」と三回確認する。

今日の午前中は、最初の日なので学生たちはレベル分けテストだけで終わった。例年はレベル分けは、オラルで二三言応答するだけの簡単なものなのだが、今回はペーパーの試験とオラルの試験の二つでクラス分けを行っていた。
私たちの昼食のために学校が確保したレストランは、ニースの中心部のにぎやかな場所にある。思いのほか、きれいでお洒落で感じがいいレストランだったが、まあ、ごくありきたりの観光地レストランといった感じの店だった。幸いちゃんと店側に私たちの昼食の話は伝わっていた。リゾットかパスタかどちらかを選んでくれと言われる。私はリゾットを選んだ。それなりに美味しかったが、まあ普通の味。ボリュームはまあまああったが、前菜がなく、リゾットだけというのが物足りない。毎日同じメニューだったら嫌だなと思う。こんなといってはなんだが、こんな平凡なごはんでも、こちらのレストランでは15−20€ぐらいは取るだろう。
昼食の件も、こちらのリクエストがちゃんと伝わっていないし、変更についての連絡は事前に何もない。「工事」というのも本当かよ、と実はちょっと思っていたりする。先週私がクレームをつけたので、急遽、適当な代替手段を探したのではないかという気もする。フランス相手にビジネスすると、どうしても疑心暗鬼にならざるをえない。
昼飯を食べた後は、午後のエクスカーションの時間まで各自ばらばらに過ごすようにした。
午後はエクスカーションでニース旧市街を散策し、評判の高いお菓子工房フロリアンの見学をした。このエクスカーションの参加者は私たちのグループ11名プラス単独で受講しているヨーロッパ人の受講者7−8名だった。ガイドはAzurlingaで数ヶ月前から働き始めたというLauraという若い女性スタッフ。気温は30度を超えていて、炎天下とはいえないかもしれないが、日光の下を歩いて入ると暑さでバテるし、喉が渇く。フランス人はとかく早足でガツガツ歩く人が多いので、事前に「私は身体が弱いから、優しく歩いてくれ」と頼んでおいた。15時前に学校を出発して、旧市街の入り口当たりを一回りしたあと、ニース市街を一望できる「城山」に昇る。私はエレベーターを使ったが、私以外の若者たちは歩いて登った。お菓子工房Florianはニースでは人気の老舗で、チョコレートと花びらや果実を使った砂糖菓子で名高い。天然の材料だけを使って、手間と長い時間をかけて作ったお菓子の数々は、どれも美味しくて、見た目の洒落ているが、値段はかなり高い。あの材料と手間を知っていればこれらのお菓子のありがたみは増す。工房を見学したあとは、商品試食と販売の時間である。私はお土産用のお菓子を何点か購入した。
学校主催のイベントとして、このあとさらにウェルカムパーティが学校内で行われるとのことだが、私がまず疲れていたし、学生たちもけっこう疲れている感じだったので、このパーティ参加はパスした。学生たちとすれば他の国々からやってきた若者たちと親しくなれる機会だったかもしれないのだが。男3人組はガリバルディ広場からトラムで家に戻った。私は他の女性7人を先導して、ニースの旧市街の路地を案内した。ニースはやはり旧市街が素晴らしい。本当は夏の夜のこの旧市街の賑わいを見せて上げたいし、旧市街の路地にあるレストランで食事も楽しんでもらいたいとは思う。これぞバカンスのニースの醍醐味だと私は思うので。ただそれは私の体力と学生たちがどれだけ「いい子ちゃん」かである次第だ。ニース研修をはじめて二年目のときに、旧市街のライブハウスにジャズを聴きいったときのことを思い浮かべる。楽しかったなあ。大変だったけど。

帰宅は7時半ごろ。夕飯はキッシュ、サラダ、チーズ、そしてデザートとして手作りのレモンケーキだった。A nnickは料理が上手だ。しかしこのフランス風の料理は確実に私の体重を増加させてしまうだろう。
夕食時の雑談。最近、特にフランスの若者のあいだでエコロジー志向が強くなり、その影響で冬のフランスのレストランの野外テラス席での暖房が昨年から禁止になってしまったとのこと。冷房、暖房は、戸の閉まる密閉された空間でないとエネルギーの無駄遣い、エコではないということで、こうなったそうだ。Annick曰く、今のフランスはエコロジー推進とLGBT問題を全面に出す急進左派と移民排斥のナショナリスト極右に二極化しているとのこと。