私がこれまで読んだ紀行文のなかで最も美しく、感銘を受けたのが、ジョン=ミリントン・シングの『アラン島第一部』である。29年前にアイルランドに来たのはもっぱらアイリッシュ・トラッド音楽への関心からで、このころ私はシングのこの紀行文を読んでいなかった。もし読んでいたら、ゴールウェイにかなり長く滞在していたのだから、そのときにアラン諸島には行っていたはずだ。アラン島の人々にとって、英語を話し、プロテスタントのインテリだったシングは、異邦人だ。彼は異邦人としての慎ましさを保ったまま、島の人たちと交流をもち、その生活と風土を、島の語り部がかたる民話とともに記録した。語り部の物語の豊かさは驚くべき魅力を備えている。ヨーロッパ大陸で古代から伝承されてきたさまざまな物語が、アイルランドの西の端のこの地で、ケルト的な神秘性とともに独自の熟成をとげ、島の人々の生活とつながっていく。
シングは1898年から1902年にかけて毎年アラン島を訪問している。そこで彼が特に好んで滞在したのは、アラン諸島三島の真ん中にあるイニシュマン島だった。アラン三島のなかで一番大きいのが西側にあるイニシュモア島であり、アラン島の観光もこの島が中心となっている。イニシュモア島には明日から一泊の予定で行くことにし、今回はシングのアラン諸島における本拠地であるイニシュマン島に日帰りで行くことにした。
アラン三島のなかでイニシュマン島が最も観光資源に乏しい島のようで、私の持っているフランス語のガイドブック、Guide de routardでもこの島の記述は3分の1ページしか割かれていない。
ゴールウェイからはまずフェリー会社のシャトルバスでゴールウェイから一時間ほどのところにあるロッサヴェールという港まで行く。そこからイニシュマン島・イニシィア島行きのフェリーに乗る。フェリーは10時半に行きの便が出て、夕方16時半に島から帰り便が出る。シャトルバスには40人ほどの客が乘っていたが、そのほとんどはイニシュモア島に行く観光客で、イニシュマン島に行くのは私一人だけだった。イニシュマン・イニシュア島行きの船には私以外に数組の乗客が乘っていて、その大半はイニシュマン島で降りたが、私以外はみな島の人たちのようで波止場に着くと、迎えに来た車に乘ってすぐにいなくなってしまった。Guide de routardにはイニシュマン島の人口は150人とあった。
イニシュマン島まではロッサヴェールの港から45分ほどで着く。20世紀はじめのシングの頃には3時間以上かかったようだ。波が荒くてかなり揺れる。デッキに出ると油断すると海に振り落とされそうだ。風と波が強くて欠航というのもしばしばあるらしい。アラン島を舞台にしたシングの戯曲『海に騎りゆく者たち』が思い浮かぶ。
私は港は人口150人の小さな島の中心地にあり、港付近には何軒かの店などがあると思っていた。フランス留学中に友人たちと行った大西洋のベルイル島の様子を思い浮かべていたのだ。アラン諸島はゴールウェイ付近の有名な観光地だし、辺境といってもそれなりの賑わいはあるだろうと。シングは大作家なので、シング所縁の土地として、私のようにこの島を訪れる人はかなり多いに違いないとも思っていた。
しかしイニシュマン島の港には本当になんにもなかったのだ。店も家も一軒もない。船に乘ってやってきた親戚あるいは知り合いを迎えに来た車が数台停まっているだけだ。下船したもののいったいどこを目指せばいいのかわからない。グーグルマップもほぼ白紙であるし、アイルランド文学研究者の先生に頂いた手書きの島の地図を見てもどこに行けばいいのか見当がつかない。
車で波止場に迎えに来ていたおばあさんが車のなかから私に声をかけた。「どこにいくつもりかい?」と聞かれたと思う。「ここに来るのは初めてでいったいどこに行けばいいのかわかりません」と答えると、はるかかなたを指さして「あのへんに村があるから、そこに向かっていけばいい」と言う。
「それじゃあ歩いて行きます」と言ったが、村まで車に乗せてくれないかと頼めばよかったと後から思う。波止場から村のある場所までは、3キロほどの距離があり、その間は石垣に区切られた荒野が果まで続くほぼ無人の地だったのだ。
私以外誰一人歩いていない。確かに向こう側に家らしきものがポツポツ見える。しかし自分が歩いている方向で本当にいいのか、悪いのかわからない。見たこともない壮大な風景には感嘆したが、じきに一人ぼっちで見知らぬ荒野を歩いていく不安のほうが大きくなってきた。本当にとんでもないところにとんでもない時期に来てしまった。
グーグルマップでようやくレストランの表示を見つけた。村と言っても人は誰も外を歩いていない。こんなところでレストランなんて本当にやっているのだろうか、と思いながらその場所に行くと、レストランは工事中だった。工事のひとに「ここはレストランなんだよね?グーグルマップがそう示しているんだけど」と聞くと、「うん、そうだけど、シーズンオフなんで営業はしてない。今はどこもしまっているけれど、ここから5分ほどいったところに店がある」と言う。
「そこで飯を食べられるのですか?」と聞くと、
「いやそこはshop店だよ。飲み物や食料品は売っている。昼休みになると閉まるから行くならすぐに行ったほうがいい」と言う。
その休業中のレストランで飼っている犬が、私を道案内してくれた。shopは食料品のほか、ちょっとだけだが文具やお土産ものも売っているなんでも屋だった。郵便局も兼ねているようだ。おじいさんが店番をやっていた。水とビスケット、チョコレートなどを購入する。島の地図も売っていたのでそれも買った。
店主のじいさんがその地図で島のみどころを一通り説明してくれた。「コーヒー飲むか?」と言われたので、「飲む」と言うとインスタントコーヒーとお湯があるところに連れていかれ、そこで自分で好きなように作れと言われた。
風が強く、寒い日だったが、天気がよかったのが幸いであった。雨だったら雨宿りするような店もなくどうしようもなかっただろう。
イニシュマンは思っていたより大きな島だった。店で買った地図とgoogle mapを頼りに、古代の城塞やシングの滞在していた家などいくつかの観光ポイントを歩いて回った。島のみどころは、島の中央を東西に走る道沿いに固まっている。とにかく歩くしかない。ひたすら歩いて、へとへとになった。しかし石垣で区切られた緑の大地の雄大さ、そして美しいい海の風景は格別なものであり、これまで私が見たことのないような圧倒的な景観だった。おそらく今日、この島にやってきた観光客は私一人だ。
右側がシングが滞在したコテージ |
船が出るのが16時半と昨日、フェリー会社のカウンターの人に言われていた。パンフレットにもそう書いてある。この夕方の船に乗り遅れると翌朝8時まで船はない。島に一泊するはめになるのだが、果たして島に一軒のB&Bが営業しているのかどうか定かでない。イニシュマン島に一泊することも考えていたのだが、日帰りにしておいてよかったと思った。一泊しても面白かったかもしれないけれど。
とにかくフェリーに乗り遅れたらたいへんだということで、4時過ぎにフェリー乗り場に着くように歩いたのだが、村とフェリー乗り場のあいだは石垣に区切られた荒涼とした野が続くだけで、グーグルマップはあったものの自分が正しい道を歩いているのかどうか不安で仕方なかった。
4時過ぎにフェリー乗り場に着くはずが、時間が思ったよりかかり、着いたのは4時15分ごろになっていた。ところが船着き場には誰一人いない。
アラン島への船はしばしば欠航になると聞いていたし、Guide de routardにもそういうことが書いてあったので、もしかすると風が強くて突然欠航になってしまったのではという不安に襲われる。4時半になっても私以外誰もいないし、船の姿も海に見えない。さすがに心配になってフェリー会社に電話をかけてみた。すると「船は動いてます。あと数分で着くから大丈夫」との返事。
4時40分頃に車で地元のひとが数組港にやってきた。そのうちの一人に聞くと「心配しなさんな。いっつもこんなもんだよ。船は来るよ」と言う。
船がやってきたのは4時45分だった。本当に心臓に悪い。家に帰ってから調べてみると、16時半はイニシィア島の出港の時間であり、そのあとでイニシュマン島に船がやってくるのだった。イニシュマン島の到着時間はウェブページやパンフレットには書かれていないのだ。昨日のフェリー会社の人は、私が行くのはイニシュマン島というのはわかっていたのに16時半だけを繰り返し言っていた。私が言っていたことをよく理解できていなかったのかもしれない。
イラストのなかのテクストはシング『アラン島 第一部』の一節。 この一節そのままのすばらしい風景を味わうことができました。 |
ゴールウェイに着いたのが19時前だった。今日はよく歩いたので流石に疲労困憊だ。ちょっと中華っぽいものを食べたかったけれど、グーグルマップではひっかからない。マップで評価の高いアイルランド料理の店に入った。「手頃」となっていたけれど、グーグルマップのレストランの「手頃」は、ヨーロッパでは私には高級すぎる。「安価」だとピザ屋やケバブ屋のようなところしか出てこないのだが。
スープと羊肉のローストを注文した。昼がピーナッツだけだったのでちょっと奮発したのだ。疲れすぎてあまり食欲がないのだが、無理やり食べた。
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