2020年3月8日日曜日

2020/03/07 ダブリン

2泊したスライゴーを出発して、ダブリンに。ダブリンでも2泊する。
ダブリンはアイルランドの入り口なので29年前にも当然行っている。やはり2泊ぐらいしたはずなのだけれど、記憶にあまり残っていない。ユースホステルに泊まったこととデ・ダナンのコンサートに行ったことだけ覚えている。

スライゴーからダブリンまでは鉄道を使った。ダブリン行きの鉄道は日に5本ほどある。バスも同じくらいの本数があって、所要時間はほぼ同じ、料金は鉄道より割安なのだが、一回ぐらいは鉄道に乘ってみたかった。スライゴーとダブリンは180キロぐらいの距離だが、3時間ほど時間がかかる。

午前11時発の列車に乘って、午後2時過ぎにダブリンに着く。駅から予約しているホテルまではグーグルマップでは歩けそうな気がしたが、スーツケースのキャスターが壊れかけているのでタクシーを使った。実際はグーグルマップでの距離感よりかなり駅から離れたところにあった。タクシー代は10ユーロ。

ホテルは一昨日、booking.comで予約したところだ。直前で週末だったため、空きのある手頃な値段のホテルは限られていた。宿泊したキャッスルホテルは市内の便利なところにあるが、かなり古びたクラシックなホテルだった。床がところどころペコペコになっている。部屋はスライゴーのホテルに比べると狭く、シャワーだけだが、まあ悪くない。値段はそこそこ高い。一泊一万円弱する。

ダブリンは人口130万の都市だ。人口だけだとほぼ神戸市と変わらない。市内観光のための移動は歩きだけだとちょっと広い感じがした。ネットで調べてみると、市内に百箇所ほどあるステーションに乗り捨てできるレンタルサイクルがある。三日間で5ユーロと安い。バスやトラムでその都度チケットを購入したり、路線を調べたりするより便利そうな気がした。クレジットカードで利用登録できるとのことだったので、これを利用してみることにした。

ホテルで荷解きしてから外出するともう16時を過ぎていた。今晩はとにかく芝居を見ることに決めていた。日曜日には芝居の公演がないので、ダブリンで芝居を見るとなると今夜しかないのだ。昨夜スライゴーの宿で調べてみたかぎりでは、特に見てみたい演目は上演されていなかった。アイルランドは演劇の国というイメージがあったのだが、ネットで調べる限り、劇場の数は10もない。人口が神戸市と同じくらいと考えれば、いくら演劇が盛んといってもこんなものか。
特に見たい演目が上演されていないなら、イエイツとグレゴリー夫人が創設したアベイ劇場での公演を見に行こうかと思い、昨日の夜スライゴーのホテルで予約しようとしたのだが、どういうわけか劇場のチケットページで私のクレジットカードがはじかれてしまう。こっちではこうしたことがちょくちょくある。公演ページをみた感じではアベイ劇場の演目はかなり空席があったので、劇場窓口で直接チケットを購入しようと考えた。レンタル自転車でアベイ劇場に向かうが、劇場近くの自転車ステーションが満杯でそこに自転車を返却することができない。結局劇場からはかなり離れたステーションに自転車を返却したのだが、そのときにツィッターをみるとゲイティ劇場で今晩、マクドナーの『イニシュモアの中尉』という作品が上演されると情報が目に入った。どうせなら知らない作家の作品をアベイで見るより、マクドナーの作品を見たほうが楽しめそうだ。しかも演目は、私がついこのあいだ行ったアラン諸島のイニシュモア島を舞台にしたものだ。

その場でゲイティ劇場のページにアクセスして今夜の公演のチケットの予約を試みた。空席があったので申し込んだのだけれど、これもクレジットカードの登録ではじかれてしまった。もう一度試みると今度は「満席」になっていて予約できない。ゲイティ劇場までは2キロぐらいあったが、またレンタル自転車を借りて、ゲイティ劇場のチケット窓口まで行ってみることにした。

ゲイティ劇場近くの自転車ステーションに自転車を返却したあと、もう一度その場でウェブページからの予約を試みる。やはりクレジットカードの登録ではじかれる。劇場のチケット窓口に行って聞くと、「うーん、今夜はもう満席なんだけど」と言っていたが、一席だけ空席があってそこを取ることができた。

19時半開演だが、開場は18時半とやけに早い。チケットを購入した時点では時間は17時半だった。昼ごはんを食べてなかったので、観劇前に近くで腹ごしらえをした。海外ではできる限りローカルフードを食べることを原則としているのだけれど、安くて短い時間でさっと食べられそうな店を付近に見つけることができず、心ならずもバーガーキングに入ってしまった。

18時半すぎに劇場に行くと、やはり観客はまだ来ていない。劇場は開場したけれど、客席開場はまだ、劇場内のバーで時間を潰してくれと係員に言われる。バーの客も私一人。何も頼まずにバーにいると居心地が悪いのでコーヒーを頼んだ。開演30分前の19時過ぎになるとバーにもたくさん客がたまるようになっていた。

マクドナーには『イニシュマンのビリー』というアラン諸島を舞台とする戯曲があることは聞いたことがあった。今回私が見たのはアラン諸島が舞台の別の作品で、『イニシュモアの中尉』というものだが、この作品は『ウィー・トーマス』というタイトルで日本で複数回上演されたことがグーグル検索でわかった。『ウィー・トマース』はWikipediaの日本語版に詳しいあらすじの記述があったので、開演前にそれをしっかり読んでおいた。過激なことばが飛び交うマクドナーの戯曲のセリフは、聞いても理解するのが難しいように思ったからだ。実際、上演が始まると、絶望的なくらいセリフが聞き取れなかった。Wikipedia日本語版の行き届いた詳細なあらすじのおかげで、人物関係や場の展開は追うことができた。

劇の舞台は1993年のイニシュモア島だ。主人公のひとり、パドレイクはこの島出身だが、アイルランド共和国軍(IRA)の過激派テロリストの分派のメンバーで、この分派でもその凶暴さゆえに恐れられている男である。この男は残忍で暴力的な人間だが、故郷の島で飼っている猫(その名前がウィー・トマース)を溺愛している。ところが彼の父の父親ドニーと近所の少年デイヴィは、その愛猫の脳天が打ち砕かれて死んでいるのを発見し、途方にくれている。これが最初の設定である。

上演中は暴力と残虐さが強調された悪趣味なギャグに観客は大受けで、最初から最後まで爆笑が沸き起こっていた。言葉が聞き取れない私は笑えない。言葉によらないドタバタギャグも多かった。演技も喜劇性が強調されたくどいものだった。

この戯曲は、直線的でわかりやすいプロットや類型的な人物、ベタでひねりのないギャグという見かけの単純さの裏側に、さまざまな象徴によって北アイルランド問題といった政治状況への風刺が盛り込まれている。作品として高い評価を受けたのは、政治的アレゴリー劇として優れていたからだろう。

しかし今日のダブリンの観客の反応を見て思ったのだが、観客がこの芝居を喜んでいるのは作品の形而下的な表現であり、そのわかりやすさの背景にある象徴は必ずしも読み取っていないではないかということだ。
マクドナーはアラン諸島やコネマラなどアイルランドの西側にある地域を舞台にした作品をいくつか発表しているが、今回の『イニシュモアの中尉』にしても他の作品についても、彼はアイルランド西側を後進的で野蛮な田舎として提示していて、これらの西側の土地への愛着はあるにしてもそれは相当屈折して、ひねくれたものだ。シングがこれらの地域の取材に基づき創作した『西の国のプレイボーイ』はアイルランド農民の後進性を嘲笑するものだと捉えられ初演時には騒動になったそうだが、マクドナーはこうした挑発を意図的にやっている。

ダブリンの観客がマクドナーの『イニシュモアの中尉』を喜んだのは、田舎者をバカにして笑うという古今東西に存在する素朴な笑いの型を踏襲したものではないか。

この作品の内容はフィクションだが、1993年でも(そして今もなお)アラン諸島や西側の田舎者たちは、こんなおろかで野蛮な奴らなんだという田舎への蔑視の感情が、ダブリンやイギリスの観客にはあるのではないか。マクドナーはそうした観客の差別意識も見据え、そうした差別感情を浮き上がらせることを密かに意図して、アイルランド西部を舞台とする喜劇作品を書いているような気がした。

今日、ダブリンのコノリー駅からホテルに向かうときに乘ったタクシーの運転手に、「ダブリンに来る前にアラン諸島に行ってきたんだ」と言うと、「オールド・スタイルを見に行ったんだ」というようなことを言われたことを、『イニシュモアの中尉』の公演を見ているときに反芻した。運転手がそういったときは「オールド・スタイル」という言葉がちょっとひっかかっただけだったのだが。



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