2024年2月23日金曜日

2024/2/22 ニース第6日目

朝8時半に近所にある医療検査場に向かう。フランス語ではlaboと呼ばれる施設で、ニース市内に2−30箇所はありそうだ。至るところにある。フランスではいわゆるかかりつけ医、一般医の多くは、日本のクリニックのように「○○医院」という看板を出してというのではなく、集合住宅の一区画でひっそりと営業している。診察は問診が中心で、採血などの医療用検査は医院ではなく、医師が書いた検査依頼票を持って患者がlaboに行って行わなければならない。そしてlaboの検査結果をまた医師に患者が持っていて診察を受け、処方箋を出して貰ったり、必要な場合は専門医への紹介状を書いて貰う、という手順になっている。大学病院などの救急外来に直接行くという手段もないではないが、たいてい長時間放置されてという感じになるらしい。

患者は医院とlaboを行ったり来たりしなくてならなくて面倒なのだが、合理的なシステムであるとも言える。医院はたいてい診察予約が必須だが、laboでの検査は予約の必要はない。また朝の7時頃から開いている。

 私の滞在先から歩いて10分ほどのところにlaboがあった。フランスではサービス業関連の応対では無責任かつ無能、無愛想なスタッフに不愉快な思いをすることがちょくちょくあるのだけど、私の経験の範囲ではあるが、医療関係の人たちは概ね親切で感じがいい(私が今、診察を受けている女医はまったく愛想のない人だが)。ここのlaboのスタッフも感じがよかった。私は海外旅行保険なので検査費用を全額、窓口で支払うことになる。採血で1万円ぐらいだった。検査結果は翌日の朝までに携帯電話にSMSで届く。laboでの検査は私は初体験だった。

 採血前に12時間、食事を取ってはならなかったので、採血後は家に戻り、朝食を取った。それから学校に行った。今日は断続的に雨が降る、憂鬱な天気の日だった。昼食は学校の食堂で取った。フィッシュアンドチップスを選んだが、それに添えられるはずのタルタルソースが品切れで、パサパサのフィッシュアンドチップスを食べるはめになってしまった。

午後は学校の遠足でニースから列車で20分ほどのところにあるアンティーブに行くことになっていた。雨が降っていて寒かったし、体調も昨日が一〇段階の八だとすると、今日は六ぐらいですっきりしない。行こうかどうしようか迷ったが、結局、学生たちと一緒にアンティーブに行くことにした。引率はモルドヴァ人のanimatriceのユヴァだ。

アンティーブには、ニースでの研修のたびに来ている。アンティーブの旧市街は、ニースの旧市街のミニチュアのような感じで、3階建ての建物が並んでいる。こじんまりした町だが、町歩きが楽しい、美しく、可愛らしい町だ。

あいにく雨模様の天気だったが、町を歩いて、トイレを借りるためにカフェに入ってコーヒーを注文して、休憩しているうちにだんだん元気になってきた。南仏の町っていいなあ、とじわじわと思う。

一時間ほど町の散策の時間を取ったあと、ピカソ美術館に行った。石造りのこの建物は、もともとはこのあたりの領主だったグリマルディ家の城塞だった。この建物にピカソが1946年に2ヶ月ほど滞在したらしい。この期間にピカソがこの地で製作した作品が、この美術館のコレクションの核になっている。ピカソ以外の現代作家の作品もこの美術館は収蔵している。


 ピカソ美術館には40分ほど滞在した。美術館内を回っているときに携帯のSMSに、検査場から検査結果が届いていたことに気づく。血液検査の数値でいくつかの項目でチェックが入っていたが、なんとなくそんなに深刻なものではないような気がする。明日の午前中の診察を電話で予約した。
 アンティーブ駅でニースに戻る列車に乗ろうとしていたとき、私たち14名のメンバーのうち、ユヴァを含む三名が列車に乗り込むことができなかった。乗ろうとしたところでドアが閉まってしまったのだ。フランスの南仏ローカル線では、乗客の乗り降りが日本の乗客のように整然としていないので、乗降のときに人が我先に殺到して混乱することが多く、そのためにいたずらに列車が遅れるというのがほぼ常態なのだが、このときに限ってはまだ乗り込もうとしている乗客がいるにも関わらず、フランス国鉄職員はドアを閉めて、発車させたのである。

問題は列車のグループチケットをユヴァが持っていることだ。ユヴァを含む三名をアンティーブ駅に残したまま、列車に乗り込んだ私を含む11名はこのままニースまで行くか、あるいは途中下車してユヴァたちを待つかの決断を迫られた。運悪く検札がやってきたら、切符なしの11名は無賃乗車と見なされて、高額の罰金を支払うはめになるかもしれない。フランス国鉄で検札に出くわすのはかなり稀なのだけど、たまたま行きの列車で車内検札に遭遇したので、もしやってきたらということを考えてしまった。こういう場合、事情を話してもわかってくれない、というのもフランスではけっこうありがちのことのように思えた。
ユヴァも動揺していて、「こんな事態ははじめてだ。そのままニースまで行くか、途中で降りて私たちを待つのか、決めるのはあなただ」というメッセージをWhats'upで送ってきた。ニースまでは15分ほど列車に乗っていれば到着する。
どうするか2分ほど考えて、見つかって、検札が事情を了解してくれなかった場合の金銭的ダメージがあまりにも大きいと思い、途中駅であとの列車に乗ってくるユヴァたちを待つことにした。カーニュ・シュール・メール駅で10分ほど待っていると、後続列車がやってきた。ユヴァたち三人と無事合流することができた。まあ終わりよければすべてよしだ。
このトラブルのため、ニース到着が18時半ごろになった。
 














2024年2月22日木曜日

2024/2/21 ニース第5日目

 8時間以上たっぷり眠っているのだが、頭にはまだもやがかかっているような感じですっきりしない。学校の授業の休憩時間である10時15分に学校に行く。

学生たちに午後のカーニバル花合戦のチケットを配布していると、なぜか重苦しいうっとうしい気分から解放されていることに気づく。さっきまで頭にもやがかかっていたような感じだったのに、それがすっと晴れた感じだ。

医者の診察予約は11時45分だった。学校から医者までは歩いて20分ほどの距離がある。昨日午後はこの距離を早足で歩いてげっそり疲れてしまったのだが、今日はなぜか大丈夫なような気がして、歩いて医者まで行くことにした。息切れしない。昨日までの様子を思うとなんでだろう?と不思議に思う。

前にも書いたようにフランスでは個人病院は集合住宅のなかにひっそりあって、「○○医院」などという看板は出ていない。私の予約した医師は二階の右手の扉なのだが、地味なプレートがドアにあるだけだ。そこに入ろうとすると、上から階段を降りてきたおばあさんが、「ミスターティリはどこですか?」と私に聞く。

「ティリーというのは人名ですか?私にはわからないのですが」

「ティリーはここだというを聞いてきたのです」とおばあさんは言う。フランス語は片言だ。英語で話しかけてみたら、フランス語のほうがまだ通じそうな感じだった。イタリア人の老婦人だった。

一階には郵便ポストが並んでいるので、そこまで一緒におりて「ティリ」を探すことにした。ティリが一階で営業している理学療法士(?)であることが判明。「現地」の人でも目当ての医院を見つけるのは大変だ。

さて私の医師は女性なのだけど、口調は冷静だが、「暖かな」応対とはまったく無縁の人だ。googleのレビューを見ると、おそらくこの素っ気なさゆえに、低評価が並んでいる。愛想というのが全くない人なのだが、案外丁寧にこちらの話は聞いてくれるという印象はある。今回も問診と触診があったが、前回の見立て同様、やはり狭心症の可能性は極めて低いとのこと。確言という感じだったので信じていいだろう。それではこの不調の原因はなにかと言えばわからないので、血液検査のリクエストを出して貰うことになった。医師が作成した検査リクエスト票を持って、町中に数カ所あり早朝からやっている検査場「ラボ」に行く。採血検査の前は12時間の絶食が必要とのことで、検査場に行くのは明日の朝になる。検査の結果はメールで送られてくるようだ。それを持ってまた医師のところに戻り、その後の処置が決まる。薬が処方されたり、あるいは専門医を紹介されたりというプロセスだ。

合理的なシステムではあるが、そういうものだと事前に知っていないと、旅行者が診察を受けるとなると戸惑うだろう。海外で医療を受けるというのはなかなかハードルが高い。

「不調」といっても昨日午後の調子の悪さを思うと、嘘のように心身共に解放感がある。病気感がない。今朝はカーニバルの花合戦の自分のチケットは無駄になるのではないかと思っていたが、こんな感じなら花合戦見物も可能ではないかと思い、花合戦の会場に行くことにした。会場に行く前に、旧市街のカンボジア料理屋で昼飯を食べた。何となくアジアっぽいものが食べたかったのだ。鶏肉が乗った焼きそばのようなものを食べた。味が濃くて、あまり美味しくなかった。外食が高くて、円安なので、こんなスナックが2000円ぐらいしてしまう。こちらで飯を食べるときは円換算しないほうがいい。ただカンボジア料理屋のお兄さんは、さきほど私が診察を受けていた女医とは対照的に、微笑みをたたえたほがらかな感じのいい青年だった。一一年前に両親とともにフランスに移住し、この店は一月半前にオープンしたばかりだと言う。このカンボジア料理屋の前にあるタピオカティー屋は中国系のお兄さんで、カンボジア料理屋の前で入ろうかどうか迷っていた若い中国人女性二人組に、中国語で話しかけて、この店に案内していた。いい奴だ。カンボジア料理屋のお兄さんは中国語は話さない。

ニースのカーニバルの花合戦は、基本、いろんな山車のパレードなのだが、地中海で春を告げる花であるミモザのほか、花を満載した山車に乗ったきれいなお姉さんが、観客に向かって花を投げるというのがメインの趣向だ。椅子席は満席だったため、立ち席にしたのだが、パレードが行進する沿道の前の方はすでに人で埋まっていて、パレードからちょっと離れた場所でしか見られない。パレードは2時間弱続くが、30分ほどで飽きてしまった。ニースのカーニバルはニースに2月に来るたびに、学生たちを連れて見に来ているのだけど、個人的には一度見れば十分かなという感じのイベントだ。ニースのカーニバルが始まったのは1873年。商業的観光のカーニバルのはしりだ。世界最大規模のカーニバルであるリオのカーニバルももともとはニースのカーニバルに触発されてはじまったものだ。「巨大頭の人形」や「花の女王」など、古代中世以来の民俗的要素をひきついだ部分もあるが、「有料公演」として実質的に外部の人たちのためのお祭りになってしまっているのが、私としてはつまらないなと思ってしまう。最近は観光産業とスペクタクルを研究テーマにしようと準備しているので、そういう観点からの関心はあるのだけど。

カーニバルの花合戦の会場は、ニース随一の高級ホテル、ネグレスコ・ホテルの近くだ。コロニアルな、いかにもベルエポックっぽいブルジョワ文化の趣味がこのホテルには反映されている。このホテルの大広間が素晴らしいのだ。地元の人たちにも敷居が高くてちょっと近づきがたい雰囲気のある高級ホテルだが、私はニースに来るたびにこのホテルのカフェでお茶を飲んで、そのあと大広間を見物するというのをやっている。学生たちにニースで「どやっ」と見せたい場所の一つなのだ。

「花合戦が終わった後、ネグレスコ・ホテルのカフェに一緒に行く人いますか?」と今回の研修旅行のLINEグループに投げると、結局12人+私の全員でホテルにぞろぞろ行くことになった。格式ある高級ホテルなので、大人数団体で入り込むってのは、私としては実はちょっと心理的抵抗感があるのだが、まあしかたない。

ネグレスコ・ホテルのカフェは全部で五〇席ぐらいでそんなに大きなものではないのだけど、幸い我々全員が入ることができた。コーヒーは一〇ユーロだ。現在の円安レートだと1600円ということでえらく高いコーヒーなのだが、このカフェの雰囲気を味わい、大広間、豪華な内装、展示されている美術品の数々などもこれで楽しむと考えれば、そんなに高いとは言えないのではないか。

残念ながら今日は大広間でイベントが行われるらしく、あの開放的で贅沢な空間がカーテンで遮られていたのは残念だった。ホテルの従業員に見つかると注意されるような気もしたが、今回はエレベーターで最上階の五階まで上って、各フロアを見て回った。各階ごとに内装のテーマが違うのだ。一泊三万ほどで泊まれる部屋があると思っていたのだがそれは私の勘違いで、表の看板を見ると一番安い部屋で一泊900ユーロだった。

ネグレスコ・ホテルを見学した後、学生と別れs、家に戻る。体調は、結局ずっと、普通だった!これがずっと続けばいいのだが。

夕食はカリフラワーのグラタンと羊肉のステーキ。

明日の朝は早起きして、近所のラボで採血。


2024年2月21日水曜日

2024/2/20 ニース第4日目

せっかくのニースなのに私の体調悪い日記になってしまっている。 きれいで楽しいことばかり書き残しておきたいのだけれど、まあしかたない。

今日もよく寝た。しかしいくら寝てもすっきりしない。そしていつまでも布団に入っていたいような感じだ。学校の授業間の休憩時間に学校に行った。学校に行くには普段はトラムを使うが、今日はSNCFを使ってみた。SNCFのローカル線は落書きだらけだ。そして車両のなかは通勤電車仕様になっていない。






家から学校までのあいだ、たいして歩いていないのに行っただけで疲れている。

学校のホールで、ドア越しに授業の様子を聞いていた。先生のブランディーヌががんばっていて、ブランディーヌの声だけがよく聞こえる。学生たちはしゃべっているのだろうか。初級の語学の授業をフランス語だけでやるのは大変だ。日本の学生たちは話せないけど一応文法はそれなりに学んでいる、と伝えたためか、実践的な会話を授業でできるだけ教えようとしているように思える。

実際にはフランスでフランス語の語学学校の講座を取ると、文法的なことをひたすらやっている場合が珍しくない。スペイン、イタリア語系の学生は、すぐに流ちょうにフランス語を話せるようにはなるのだが、文法的なことはほぼまともに学校でやっていないので、語学学校で文法を学ぶのだ。文法を知っていないとフランス語のテクストは読めないし、書けない。

昼ご飯は学校のカフェテリアで食べた。食慾はまったくなかったのだが、もぐもぐと無理矢理食べる。お腹いっぱいになった。

午後はニース旧市街散策と天然の素材をつかったお菓子工房として名高いフロリアンの見学が、学校企画としてある。私もできるだけつきあおうかと思ったのだが、トラムの駅まで歩いているだけでバテバテになってしまい、旧市街の入り口で学生たちと離脱した。学生たちの案内は学校のanimatriceのユヴァがやる。もしかするとユヴァの年齢は学生たちとそんなに変わらないかもしれない。

学生と別れた私は、明日のカーニバルの昼のプログラム、花合戦のチケットを購入した。椅子席がよかったのだが、椅子席はすでに完売で立ち見席しか残っていなかった。

花合戦のチケット購入のあとは家に戻る。ガクッと疲れる。べっどに入って二時間ほどぼーっとしていたが、軽い過呼吸みたいになって息が荒く、心臓がドキドキする。これはやはりまた医者にいかなければと覚悟を決めた。こんな疲労と倦怠感はやはり尋常なものではないのはあきらかだ。

2時間ぐらいベッドに転がっていると、AnnickのパートナーのWalterが帰ってきた。Walterに私の状態を伝えると、本当に彼が心配している様子が伝わってきた。Annickもしばらくすると仕事から戻ってきた。

明日は医者にまた行くにせよ、どの医者に行くのか考えなくてはならない。この前、学校に紹介してもらった一般医にまた行くのが適切なのかどうか。問診や触診だけではだめで、採血して分析しないとこの不調の原因はわからないだろう。

契約している海外旅行保険のパンフレットを見てみると、キャッシュレスで診察を受けることができるニースの医院が一つあげられていて、それが偶然、私が一昨日行った医者だった。もしかすると私がこれまでインフルエンザになった日本人の学生を何回か彼女のところに連れていき、保険請求したのがきっかけで、彼女が私の海外旅行保険会社のキャッシュレス指定医となったのかもしれない。

こちらの個人医院は問診が中心で、医療機器は聴診器と血圧計ぐらいしかない。血液検査などは、医師からラボと呼ばれる検査場へのリクエスト票をもらって、ラボで検査、そしてラボで検査結果を受け取って、それを医師が診て診断を下す、という手順になり、数日かかる。大病院に緊急外来としていきなり診察を受けにいけば、採血検査なども一緒にやってもらっててっとり早い気がするが、AnnickとWalterの話だと飛び込みでいくとほぼ丸一日待たされることになるだろうとのこと。怪我や急患というのならともかく、一般医からの紹介状がなければ、大病院で専門医の診察を受けるのはほぼ不可能になっているとのことだった。

こんな話をしていると時間は18時半だった。私がこの前行った医者の営業時間は19時までになっている。Annickに頼んで診察の予約をとってもらう。私の状態や状況もAnnickがうまく説明してくれて助かった。明日の11時45分の予約が取れた。

この予約電話で私の気持ちはすっと楽になり、ちょっと前までのしんどさ、倦怠感が消失した。

Walterは毎日4時半ごろにAnnickの家に来て、そのあとしばらくするとAnnickが帰宅してくる。WalterはAnnickの家では夕食はとらないが、夕食までの3時間ほど、二人でソファに座ってテレビのクイズ番組やニュースなどを見て過ごすのがルーチンになっているようだ。

とりとめのない会話、おだやかで、信頼に満ちた二人の関係が伺えるいい時間だなと思う。

食慾がないので夕飯はあっさりしたものがいいなと思っていた。

本日の夕飯は、昨夜の野菜のスープの残りが前菜、メインが仔羊のステーキ、サラダ添え、これにチーズとデザートとコーヒーというフルコースメニューだった。

仔羊のステーキが本当に美味しい。美味しいご飯を食べて、Annickと話しているときは、さきほどまでの不調がうそのような、快適な時間となった。

LINEに学生たちが夕暮れの美しいニースの景観の写真を挙げていた。本当にニースは美しい町だ。何回も来ているが来るたびに「美しいなあ」と思う。

その美しさを楽しむ余裕が今回の私にはまだない。

2024年2月20日火曜日

2024/2/18-19 ニース第2・3日目

 17日(土)から18(日)にかけては、寝過ぎなぐらい眠った。それで気分がすっきりしたかといえばそんなことはなくて、まだ眠ることができるという感じだ。

学生たちの一部がエズ村に行きたいがかまわないか?とLINEでメッセージが送ってきた。私は今日は家にこもっていることにしたので同行できない。エズ村は海沿いの崖の頂上部に形成された石造りの村で、そこからの景観が素晴らしい。ニース近郊の人気観光地のひとつだ。ニースからはバス一本で行けるのだが、公共交通機関のなかでも地域の路線バスの乗り方というのは、特有のルールがあって旅行者には案外ハードルが高い。「複数の人間で使える回数券カードを前もって渡しておけばよかったな」と彼らに伝えると、エズ村行きのバスの始発停留所が、私の滞在先のすぐそばなのでそこで落ち合って、回数券カードを受け取りたいとのこと。

彼らがいるニースの鉄道駅から私の家までは2キロほど距離があるのだけど、30分ほどかけてやって来た。リチャージ可能な回数券カードをバス停留所で渡した。



学生たちと別れたあと、日曜は昼間で営業の近所のスーパーに行って、飲料水やビスケットなどを購入した。これだけでげっそりと疲れてしまう。

ホームステイ先は学校と契約した家庭だ。朝夕のご飯は出すが昼ご飯は出さない契約になっているのだが、Annickは今日は昼に娘夫妻と孫二人が昼食を食べに来るのでよかったら一緒に食べたらどうか、というのでそうすることにした。子どもは下が6歳の男の子で、上が10歳の女の子。夏にAnnickのところに泊まっていたときにこの二人には一度あったことがある。ごはんを食べて喋っているあいだに元気を回復する。食卓につくまではまったく食欲がなかったのに。10歳の孫娘、Spy & Familyのファンのエヴァが聡明で可愛らしい。弟の6歳のMatisseは自由奔放。にぎやかで楽しい昼食にはなったけれど、食事後、部屋に戻ると、外出する元気も、部屋で勉強する気力もわかない。3時間ほど眠ってしまう。やはり尋常な状態ではない。明日はとにかく医者に行くことを決めた。

昼飯がかなりボリュームがあったし、寝てばかりでとにかく動いていないので、夕食時には食欲が全くなかった。Annickもお腹が空いていないとのことで、結局この日は夕食は取らなかった。夜、勉強しようかと思ったが、集中力がない。すぐに眠くなってしまう。昨日から寝てばかりなのに、今日も早く就寝してしまった。

19日(月)は学校の授業開始の日だ。Annickは昨秋から常勤の仕事についたため、7時半には家を出ていた。私はAnnickが用意しておいたパンとジャム、オレンジジュースと珈琲の朝食を取る。学校には8時半に到着。顔見知りのスタッフに挨拶し、お土産のキットカット抹茶味を渡す。私のお土産は毎回キットカット抹茶味だ。今回は私の日本人学生だけで一クラスを作ってもらった。大半が1年生の学生のこともあり、最初の日にクラス分けテストをするよりも、いっそまとめてもらったほうがいいかなと思って。数年前に私が連れてきた日本人学生のクラスを担当し、学生たちとうまく関係を作ってくれていた女性の先生に受け持ってもらうように事前にリクエストしておいた。

本来の予定では今日の午後は学校主催の遠足で、ニース旧市街の散策と伝統的な製法の砂糖菓子工場の見学のはずだったのだが、カーニバルの観光客で砂糖菓子工場の見学が埋まってしまったので、この遠足が明日になったことを知らされる。まあこういう変更はよくあるし、変更の連絡が当日というのもよくあることだ。学生たちはご飯のあとはほったらかしになってしまうが、大学生なのでなんか時間の潰し方は考えるだろう。幸いニースは歩いて回れる小さな町で、パリのように観光客が知らずに入り込むと危険な目にあいそうなヤバい場所はほぼない。そして町歩きが楽しい風光明媚な観光地でもある。カーニバルの時期でもあるので、カーニバル関連の町の装飾などを見るだけでも楽しいだろう。

医者は学校のスタッフに予約してもらった。12時15分が予約の時間。学生とカフェテリアで昼食を一緒に取れなくなってしまうがしかたない。予約してもらったのは数年前に、インフルエンザになった学生を診察してもらった女性の医師だった。

遠足などのイベント担当のスタッフは入れ替わりがはげしいのだが、今回はモルドバ人の若い女性だった。数ヶ月前からAzurlinguaで働きはじめたと言う。彼女にカフェテリアまでの学生の誘導をお願いしておく。

昼飯は診察後にケバブでも食べようかと思ったのだが、11時すぎになるとお腹が減ったので近所のケバブ屋でケバブを購入して、学校の中庭で食べた。味は普通。

予約の時間の12時15分きっかりに医者のところへ行く。この医者に限らないが、フランスの一般医院、日本での個人経営のクリニックあたるような医院は、外に看板を出したりしておらず、集合住宅のなかでひっそりと営業している。外側からは「病院」だとはわからないのだ。待合室も日本の病院っぽい雰囲気は皆無だ。そして多くの場合、診察には事前予約が必須となっている。

普通の旅行者にはフランスの一般医で診察を受けるのはかなりハードルが高いだろう。



今回私が診察を受けた医院は、女医のワンオペで、受付も会計も彼女が診察室で行う。順番になると彼女が待合室に現れ、診察室に入るように促す。診察室も簡素そのもので、検査器具は聴診器と血圧計ぐらい。ただ問診は日本の医院の医師に比べるとかなり丁寧に時間をとって行う。12時15分予約だったが、実際に診察を受けたのは12時45分ぐらいだったと思う。問診時間は20分ぐらいか。フランス語で医療のこととなると、知らない単語があって、かなりやっかいだ。早歩き歩行をしたあとの疲れ、発汗、けだるさ、脱力感などの症状を訴えた。私は数年前にあった狭心症の発作の可能性を考えていて、そのことも伝えた。問診のあと、触診があったが、彼女の見立てでは、一応、発作時に血管を拡張するスプレーは処方しておくが、狭心症の可能性は低い、日本に帰国後、かかりつけ医に見て貰ってくれとのこと、処方箋だけでは海外旅行保険金がおりないので診断書も書いてくれと言うと、「運動時に息切れ」とだけ書いた診断書をくれた。
診察料は30ユーロで、キャッシュか小切手のどちらかだと言われる。フランスではカード払いが日本より普及しているので、ちょっと「え?!」という感じだった。

フランスには薬局はたくさんある。医院はそれとわかる看板は出していないのに、薬局はなぜかよく目立つ緑色の電光看板を出しているし、いかにも薬局っぽい外観だ。スプレーは6ユーロだった。海外旅行保険はあとで補填なので、保険なしの料金がこれだ。薬品はフランスのほうが安い。医療費も全額負担で30ユーロというのは日本より安いように思う。
とりあえず大事ではなさそうなのだけど、釈然としない。そのまま、家に戻った。


今回ニースにやって来ている学生の一人の母親で、医療関係の仕事についているかたがいて、私の昨日のブログを読んだという。そのかたからの言づてで、別の病気の可能性があるのではないか、というメッセージが学生から入っていた。ネットで検索してみると、まさに思い当たる症状がいくつもある。さらにネットを検索していくと、診断が確定されて、処方された薬を飲めばすぐによくなるというようなもんでもなさそうだった。診断の確定にも時間が必要な感じ、となるとフランス滞在中に医者に行ってどうにかなるものではないか。まあ急速に悪化したりする可能性は少ない、と思ってやり過ごすしかないか、と思う。
夕方、AnnickのパートナーのWalterが家にやってきて、そのあとしばらくするとAnnickが仕事から戻ってきた。二人は夕食の時間まで3時間ほどソファに座ってテレビを見ていた。私はパソコンで日記書き。なんかしていないと眠ってしまう。
Walterは夕食を取らずに自分の家にもどった。Annickがはきはきとした気っ風のいいおばさんという感じなのにたいして、Walterはいつもニコニコし居ていて温厚でおだやかなおじさんだ。


夕食はポロネギ、カボチャ、ジャガイモのスープとキッシュ・ド・ロレーヌ。Annickは料理が上手だ。食欲はあまりなかったけど、彼女と雑談しながら全部食べてしまった。これにプラスしてチーズとデザートも。
ご飯の後はテレビのニュース番組を30分ほど見た。眠くてしかたないが、まだ21時過ぎだ。ということで日記を書いて眠気を紛らわせている。

2024年2月19日月曜日

2024/2/16-17 ニース第1日目

学生を連れてのニース、今回で何回目になるだろう。円安、航空運賃の高騰、現地物価の上昇などがあって、例年よりもかなり金額があがってしまったのだが12名の学生の参加があった。

いつも通り22時30分成田発、ドバイ行きのエミレーツ航空EK319便を利用する。18時前に空港に到着する。空港の食堂でエビフライカレーを食べた。体調がすっきりしなくて学生たちに冗談を言う気分にならない。淡々と事務事項だけ伝える。

スーツケースを預けて、手荷物検査、写真照合の後、搭乗ゲートへ。早めに搭乗ゲートに着いたので空いていた。搭乗ゲートの周りには自動販売機があるだけだ。30分ほど仮眠を取る。ドバイ行きの便はほぼ満員。体調の不安はあったけど、機内に入り、エミレーツ航空のエンターテイメントの画面を見ていると、心が浮き立ってきた。

ドバイ行きの飛行時間は12時間ぐらい。7時間ぐらいは眠れた感じがする。思ったより元気だが調子に乗らないようにしなくては。食欲はあまりなかったが、機内食は残さずに食べた。ドバイでの乗り換えの時間は2時間ちょっとだった。ハードロックカフェで時間を潰す。

ドバイからニース行きの飛行機も満席だった。



機内で見た映画は2本。一本は『AKAI』。新型コロナのころに行った現在の赤井英和へのインタビュー映像を外枠に、かつて赤井が大阪西成のスターだったころ、《浪花のロッキー》と呼ばれていた時代の赤井の映像を再構成したものだった。私は赤井とほぼ同年代だったので、赤井の武勇伝についてはこれまで何度も目にしてきたのだが、まさスターになるべくしてなった赤井の快進撃ぶりをあらためて確認する。ボクシングは相手を必ずノックアウトするけんかスタイルでめっぽう強い、顔はハンサム、そして話も面白い。これで人気者にならないわけはない。負けなしで突き進んできた赤井だが世界挑戦の判定負けをきっかけに、何かが崩壊して、一気をに弱くなってしまう。栄光の頂点にいた赤井だが、世界戦のあとの復活を目指す日本人ボクサーとの一戦で生死を彷徨う大けが多い、一気にボクサー生命を失い明日の見えない地獄の日々へと突き落とされる。しかしそこから自然体ではいあがって再生したというのが赤井英和の驚異的なところだ。赤井英和に怖いものはないはずだ。驚異的、奇跡的、神的な再生。彼は神性を持った存在だ。

二作目は『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』。非正規底辺労働者の若い女性二人組の殺し屋のコメディ・アクション。長髪女性の殺し屋、高石あかりののヤサグレ演技、定型的だが実にさまになっている。うまい。殺し屋たちに依頼される殺しの理由や動機が徹底的にくだらない。このナンセンスな台本を心地よいリズムで展開させる演出が秀逸。アクションの見せ場も素晴らしい。痛快。ラストのハードボイルドの処理に思わず快哉を叫ぶ!最高。主演女優、高石あかり、名前と顔を覚える。

ドバイからニース行きの飛行機の乗客の大半はフランス人。成田発ドバイ行きの便の機内と雰囲気が全然違う。小さな子供連れが多い。けっこう泣き叫ぶ。親は大変だ。でもこういうとき、泣いて騒いでいる子供に微笑みかけてあやす大人はフランス人のほうが、日本人よりはるかに多い。顔を顰めて迷惑そうにしている人はいないというか、そう言うことはしないものだ、みたいな雰囲気があるように思う。他人の迷惑に寛容なのがフランス人のいいところだ。人様に迷惑をかけてはならないが優先される日本との違いだ。

こちら側の通路を担当しているエミレーツ航空の女性客室乗務員、細身で美人、しかも感じがいい。ちゃんと忘れずに炭酸水を持ってきてくれるし。「ありがとう」というと「どういたしまして、でしたっけ?」って。可愛い。発音からしてフランス人なのか?

ニースは快晴。気温は17度。飛行機のなかではぐっすりと眠れた。ニースに着いた時点ではほぼ健康を取り戻せたのではないか、という感じで元気になった。



Azurlinguaの送迎スタッフの責任者のロマンともう一人が迎えに着ていた。女性グループ三組と男性グループ三組に別れて車にのり、ステイ先に向かう。今日の予定は特に定めていなかった。家の周辺をぶらぶら歩き回ってはどうかと学生たちには伝えていた。

明日の日曜日も予定がない。私に思ったり元気があったので、カップ岬のロスチャイルド家別荘とボーリュにギリシア式別荘を見に行くプランをLINEで提案したが、荷ほどきを終えて付近を30分ほど歩き回っているとふらふらになってしまい、とても明日、長距離を歩けるような気がしなくなってしまった。途中、イスラエル侵攻に反対し、パレスチナを支援するデモと遭遇した。マクドナルドとスーパーのカルフールの前でシュプレヒコールをあげていた。こうした意思表明は重要だ。

学生たちには申しわけないが、それで急遽、LINEを送って、明日の別荘行きは中止ということに。月曜に医者に行って診断してもらう必要があると確信した。

私のステイ先のAnnickは夏について二回目なので、家の様子もわかっているし、気心も知れている。散歩のあと、シャワーを浴びてから夕食まで眠る。疲れがどっと出た感じ。

夕食時にはAnnickの弟夫妻がやってきた。弟のフランクはコンピュータのエンジニア、その妻ソフィは助産師とのこと。二人ともこどもは成人して働き始めている。年代は私と同じくらいだ。あとAnnickのパートナーのWalterも夕食に。みんなおしゃべりなので賑やかな夕食となった。7時すぎにはじまり、解散が11時すぎ。話題はイスラエルのパレスチナ侵攻について。Annickの母親はユダヤ系亡命アルジェリア人, pieds noirsだ。ただAnnickもその弟もユダヤ教は信仰していない。キリスト教というわけでもないので、無信仰者という感じだ。Annickは何年か前にイスラエルを旅行し、弟のフランクは昨年のガザ侵攻がはじまったときにイスラエルにいたとのことだ。心情としてシオニスト側なのか?と聞くと、なんとも言えないと言う。ユダヤ入植地のありかたをみてしまうと、イスラエルに同調するのは心理的に抵抗を感じと言っていた。

話題になったことでもう一つ記憶に残ったのは、助産師のソフィが出身を問わず、あらゆる東アジア、東南アジア系の女性がその子どもの名前を古典的ないかにもフランス人っぽい名前にするのに対し、マグレブ系など他の民族系の場合はフランス系の名前をまずつけたりしない、と言っていたこと。フランスではファーストネームを複数持つことが可能だが、アジア系以外の女性の子どもはそのルーツがを伺うことができる名前を自分の子どもつけるのだ。

おしゃべりが延々と続くフランスの食卓は面白い。しかし疲れた。

23時半には床についたのだが、朝8時半まで寝ていた。それでもすっきりしない。寝汗が出ていた。

2023年8月15日火曜日

2023/08/13 ニース第15日(帰国)

 帰国の日。我々が乗る便は15時55分ニース発だが、なにかあったときの用心のため、3時間前に空港に到着するように学校の送迎担当者に伝えておいた。送迎担当者は車で私たちが滞在している各家庭を回り、空港に送り届ける。正午頃に私の家に来ることになっているので、実質的に今日は何もできない。朝飯食べて、シャワーを浴びて、荷造りをしただけ。時間通りに送迎担当者はやってきて、12時半には全員が空港に集合した。エミレーツ航空のカウンターはもう受付を開始していて、私がパスポートを提示すると「ああ、日本人の11人のグループですね。あなたがリーダーですか?」とちゃんと話が通っている。搭乗チェックインは航空会社や空港、チケットの種別によってやりかたが違うのだが、今回は事前にオンラインチェックインできないとのことだったので、ちょっと不安があった。



エミレーツ航空のエコノミーは一人あたり30キロまでの荷物を無料で預けることができる。通常、エコノミーの場合は23キロまでが無料の航空会社が大半なので、エミレーツはかなり気前がいい。一人、書籍類を大量に購入したため、スーツケースの重さが34キロを超えた学生がいた。団体で飛行機に乗り込むので、一人、二人の荷物が規定重量オーバーしても大目には見て貰えるのだが、32キロ以上の荷物は預かることができないという規定が航空会社にあるため、その学生は数キロ分の書籍は機内持ち込み手荷物に移し替えた。機内持ち込み手荷物の重量制限は10キロなのだが、これはよっぽど大きな荷物を持ち込まない限り、計測されたりはしない。
搭乗カウンターあたりの様子が分からないので、手荷物検査と出国手続きをさっさとすませたのだが、私たちの搭乗カウンターのあるフロアはサンドイッチ屋とスタバとお土産物店が一軒あるだけだった。90分以上、冷房のあまり効いていない搭乗フロアで時間をつぶすはめになった。私はサラミハムのサンドイッチとクロワッサンを購入して、それを昼食とする。
ニースからドバイまでは6時間。ドバイで成田行きに乗り換えだが、ドバイの手荷物検査を終えたあとで学生一人が携帯を機内に忘れたことに気づいた。すぐに戻ってこないかもしれないなと思ったが、空港警察の人が取りに行ってくれて、30分ほどで置き忘れの携帯を取り戻すことができた。エミレーツ航空は素晴らしい。ドバイの乗り継ぎは2時間弱だった。私はたいしてお腹は減っていないのに、ハンバーガーを食べてしまった。
ドバイから成田までは9時間半のフライトだ。長い。3時間ほど眠ったか。食事は二回出た。映画は阿部サダヲが出演している『死刑にいたる病』を見た。サイコパスもの。
日本時間17時半頃、ほぼ予定通りの時刻に成田に到着。解散のあと、私は1時間ほど空港で時間をつぶし、1900円の池袋行き空港リムジンを使って帰宅した。

色々なことが凝縮された二週間で、日本を出発したのがはるか前のことのように思える。今回は三年半ぶりの実施で、夏に学生をニースに連れてきたのは初めてだった。自分としては「試運転」の感じもあった。学校の状況も変わっているかもしれないし、新型コロナ禍を経験した学生のメンタリティも3年半前の学生たちとは違うだろう。再実施のためには、団体用の航空チケットの手配を依頼する代理店や学校とのあいだで必要となるけっこう膨大なやりとりを再整理・検討しなくてはならなかった。
本当はこれまでのように二月ないし三月に実施したかったのだが、今年は私がケベックに行くことになったため、二月の実施はできなかった。もしケベック行きがなかったとしても、新型コロナへの対応が今よりもずっと過敏だったので、実施にはいろいろ困難が伴っただろう。この研修は私個人が企画して、学校や代理店と打ち合わせのうえ、プログラムを設計しているオーダーメードのものだ。いくつかの偶然が重なってこの研修を八年前(いや、もっと前からかな?)からやっているのだけど、こういう研修は私しかやらないだろうし、私にしか出来ないだろうと今回、改めて思った。
学校との交渉とか学生を病院に連れて行ったりとか、いろいろ大変だが、こうした面倒なやり取りを通じ自分がフランス社会のリアリティとじかに向き合わざるを得ないことで、フランス語教員あるいはこういうイベントのコーディネーターとして確実に鍛えられているのを感じる。またこうした「格闘」は私にとっては実はおもしろいもの、楽しいものという側面もあり、ゲームの困難なタスクを消化していくような達成感もある。
フランス語教員としてはやはり一年に一度は、フランスに行って、タフな状況でフランス語を利用する機会を持つことは重要だろう。こうした経験をしているからこそ、教室で自信をもってフランス語やフランス語圏の文化について、語り、伝えることができるように思うからだ。

参加する学生たちにとってもかなりタフさが要求される環境でのフランス体験だったと思う。この研修はきわめて教育的な研修であると思う。教室で学んだフランス語の向こう側には、その言語を使って生活を営んでいる人たちがいて、そこではわれわれの常識や経験とは異なる日常や文化が存在している。この研修はそうした現実を体験するための機会だ。これまで経験していないであろう世界を自分の目で見て、そのただなかに身を置くことになるこの二週間の研修は、学生たちに自分と世界のありかたについての検討の機会を提供するものであり、彼らに何らかの発見をもたらすきっかけとなって欲しいと思う。
今回、再開できて今後もやっていける目処はついた。ただ次回の研修は例年通り、二月末か三月に実施したいと思う。夏のバカンスシーズンは航空券、滞在費とも高くつくし、それにニースの暑さも想定以上だった。東京の酷暑に比べると、最高気温32度ほどで空気も乾燥しているので穏やかだともいえるのだけど、夏の強い日差しのなか、町歩きをするのは思っていた以上にきつかった。学生たちが後半、バタバタと体調を崩したのは、この暑さのせいもあったのではないか。また夏はバカンスを兼ねてニースにフランス語を学びに来る人が多く、学校のスタッフもかなり慌ただしく、疲れている様子があったので。

いつかケベックにも学生を連れて行ってこのような研修をやりたいと強く思うのだけど、ケベックがそもそもほとんど日本で知られていないので、参加を呼びかけても人が集まりそうにないのが難点だ。少人数で採算度外視ででも一度、試験的にやってみたいなとは思う。やはり現地に行かなくてはねえ。